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2005.09.15
「権利者」の了見
当初は「見過ごせない論理の貧しさ」の追記分として書いたのだが、書いているうちに長くなったので記事として独立させることにした。
「恩恵を得ている」などという奇妙な論理で「音楽データを入れない人」にも私的録音補償金を払わせるべきだと主張した誰かさんのことは論外であるから、ここで更に突っ込むことはしない。ここで採り上げるのは当該記事のコメント欄で勃発した“場外乱闘”に関した話である。
──と言っても、あれをストレートに論じる気もないけど。
私的録音録画補償金制度について論じるにあたり、いわゆる「権利者」側を名乗る人々は不可思議な前提を立ててくることが非常に多い。例えば JASRAC らがよく言う「補償金制度が形骸化したら、私的録音すべてに許諾が必要となるよう法改正することになる(だからユーザーさんが困る結果になるんですよ、と言わんばかり)」とか「権利者には複製権が与えられているから私的複製はすべて本質的に権利侵害だ」とか そういう話である。
何故なのだろう? どうしてそこまで必死になるのか? 彼らは大事なところを見落としているように思える。そして、わざわざ奇妙な論理を披露する羽目に陥っているのではないか。
私的録音録画補償金制度の前提に立つ限り、 iPod 課金について「権利者」は有利な立場にあるのだ。補償金はディジタル録音の専用機器に(政令で指定する必要はあるが)課すという仕組みだからである。私自身はこの前提の妥当性自体に疑問を感じてはいるが、現行制度を冷静に見つめれば そういうものだと言う他はない。
だから権利者は、本来 現行制度に基づいた主張をしていけば良いのである。 iPod 等が補償金の対象となるべき機器であり、また補償金をかけなければ権利者の「不利益」になるということをだ。ただ、それらのことを言うだけではなくて、具体的な事実の積み重ねで主張を裏打ちしていく必要はあるが。
その意味では、 JASRAC が主張するところの 「iPod は主として録音用途に使われる」とか 「iPod の宣伝文句がそれを裏づけている」とかいう辺りは的はずれではない。これで論点の半分はクリアできる。
しかし まだ半分が残っている。こちらをクリアしないと消費者を納得させることなど出来ないだろう。 iPod による私的録音がいかなる「不利益」を発生させているのかという具体的な説明が必要だ。消費者を納得させようと(素直に)考えれば、その一点を論じることは避けて通れない。これが JASRAC が採るべき本道と言える。
ところが JASRAC らは急に本道から逸れ、おかしな主張をし始める。先の「不可思議な前提」を持ち出すのだ。自分の望むことを真正面から説き、相手を納得させるという姿勢に徹すれば良いものを、何故か“ツッコミビリティ”の高い主張を広めたがるのである。しかも何の役にも立たない主張を‥‥。
断言しよう。私的録音録画補償金を無くしてしまえば私的録音録画に複製権が及ぶようにするしかない──とする話は、ただの脅しである。別の言い方をすれば、「権利者」の脳内ファンタジーである。たぶん、それが不可能なのは彼ら自身がよく判っている。
権利者が私的録音・録画の実態をどう把握するのか? どうやって対価を徴収するのか? 片っ端からユーザーに襲いかかり、裁判にかけ、金を奪っていくのか? 徴収の費用はどう確保するのか? 私的録音録画をしない者に対する財産権侵害をどう避けるのか? そもそもプライバシー侵害をどう回避するのか? ざっと考えただけでも、これだけの問題が勃発するのである。仮にここで私的録音が権利制限から外れたとしても、必要となる許諾システムは私的録音録画補償金のような安易で大雑把な方法とはならない。また そこまでの不便をユーザーに強いた場合、彼らがそれでも「音楽」なるものを購入し続けるのかという疑問も忘れてはならないところだ。そんな見込みなど全く立つまいに。
だからこそ私的録音録画補償金という制度が(あれだけの時間と手間と引き替えに)創設されたのである。これ以外に適切な手段がないとまで称された制度である。当時はディジタル録音機器もまだ普及には遠く、ディジタル録画機器に至っては発売すらされていなかった。その状況ですら個別徴収は不可能だと判断されたのである。既にディジタル録音・録画の機器が多く普及した現在においては、なおのこと個別徴収は不可能であろう。しかも、極端な話、今後 機器・媒体を買わなくても しばらく私的録音・録画が繰り返せる上に(手元にある機器・媒体が使える間)、一度 機器・媒体が家庭内に入ってしまえば補足は不可能である。それが現状だ。
となれば、「権利者」には補償金制度しか選択肢が無いのである。我々は彼らの“脅し”にビクビクする必要など無い。
本来「権利者」がなすべきは消費者・機器メーカーへの説得だった。しかし「権利者」は“脅し”の方を選択した。結果、嘲笑の対象となっている上に、全く理解を得ることができていない。今なお認知度の低い私的録音録画補償金の有様とともに、現在の「権利者」の“苦境”は自業自得であると言わざるを得ない。
「権利者」がよく使いたがるロジックのもうひとつとして、前述の「権利者には複製権が与えられているから私的複製はすべて本質的に権利侵害だ」というのがある。しかし本当にそうだろうか?
たとえば現行著作権法が起草された時点を考えると、すでに私的複製に係る権利制限は織り込まれているのである。これは機器による録音も想定されたものだ。もちろん当時の私的録音機器(オープンリールの時代らしい)は今のものとは質・量ともに比べものにならないほど貧弱だった。だから現状が起草時の想定を超え「何らかの」手当てが必要となることは忘れてはならない。
とは言え、旧著作権法にあった「器械的・化学的方法による場合以外」(大意)との記述を削ってまで規定した権利制限である。こうして私的録音への道が開かれた。現行著作権法での「複製権」は私的複製に係る権利制限込みで定められたと考えるのが自然だ。
私的複製──ここでは私的録音・録画がその考察の中心となるが、これを考えるにあたり「複製権」が本来ある筈だから云々というのは議論を遡りすぎではないのか。いや、どうせ遡るのなら そもそも論として「複製権」の付与した理由にまで言及すべきである。そうでなければフェアではない。
「権利者」には著作権が無制限の人権であるかのように考えたい御仁が多いようではあるが、立場の違う他人と意見交換する際には そのような自分勝手な前提は持ち出してはならない。私的録音録画補償金を議論しようと思えば、それは現行の権利制限規定を前提として話をすべきなのである。権利制限規定が無い場合だの何だのというのはナンセンスだ。
すなわち、権利者への補償とユーザーの「公正な利用」(著作権法第1条)とのバランスをどのように取るかを議論すべきなのである。バランスを取るという発想があって始めて、補償金を課すとか 補償金制度を見直すとか そういう話に入っていける筈だ。
こんな感じのことをモヤモヤと考えつつ資料を漁っていたら、次のような文章に出逢うことができた。
作花文雄・著『詳解 著作権法〈第3版〉』
(ぎょうせい)
▲ 引用は 311ページ 21行目から。
権利制限規定は、権利者の本来の権利内容を、公益性等特別の観点から特例的に制限するものであり、その解釈の在り方としては「厳格性」(自由利用が許容される条件を厳格に解する)が求められ、また、本来権利が働くべき著作物の利用行為に対しての制限は「限定的」(権利制限は法文に具体的に列記されているものに限定)でなければならないということが、従来の一般的な考え方である。
ここで留意すべきことは、複製権や演奏権など、どのような範囲で権利内容を設定するかは、国民的コンセンサスの下に政策的に判断されるべきものであり、当該権利があるからといって、「本来全ての複製等に権利が及ぶべきものである」ということではなく、制限規定による縮減分をも織り込んだ内容として複製権等が排他的な権利として規定されている、ということである。
著作財産権についてみると、法 第21条から 第28条 までに無制限に各支分権を規定した上で、 第30条以下の 制限規定により権利内容を縮減するか、あるいは、支分権の権利内容を規定する際に正面から排他的内容を縮減した上で規程するかということは、立法技術的な相違であり、前者の手法を採ることにより、複製権等は全ての複製等に本来及ぶべきであるとの立法思想があるわけではない。
正直、今ごろになってこの『詳解 著作権法』を引いてくるのが恥ずかしい限りなのだが‥‥この文章を読んだときにはショックで震えが来た。「我が意を得たり」というやつだ。自分ではハッキリとした意見にできなかった思いが、正論として目の前に出された時の驚きと喜び。
今までだと、小倉秀夫弁護士や中山信弘教授の意見を読んだ時にそういう嬉しいショックを受けてきた。そして今回は作花文雄氏だ。こういう出逢いがあるから、著作権法関連を追いかけるのを止められないのだ(もっとも仕事でやるとか専攻でやるとか、そういう切羽詰まった環境だと楽しむ余裕が無くなってしまうと思うんだけどね、私の性格として)。
いや、著作権をきちんと勉強されている方からすれば「何を今さら」的な話なのかもしれない。しかし著作権を語る人間(我々や いわゆる「権利者」など)が如何に上辺だけで勝手なことを言い続けていたのかがよく判った。そのことを記録しておきたくて、この記事を書いた次第だったりする。
私的複製にかかる権利制限を前提とした上で、私的録音録画補償金を語るべきという所までは判った。次は、どうやってバランスを取るかという問題である。
バランス──私的録音録画補償金制度は、まさにその「バランス」をとるための制度の筈である。ディジタルに限定したり、補償金額を低く抑えたり、妥協の産物であるという性質は確かにある。しかし早く制度を始めることと 当事者間の同意が取れることを最優先にして決定されたものであり、この制度をもって(創設当時は)バランスを取れたと考えても差し支えないだろう。制度の前提自体に問題があり「バランス」を欠くのではないかという疑問を私は持っているのだが、ここではそれを置いておく。
いま話題になっているのは、ハードディスク内蔵型録音機器等(つまり iPod 等)である。あ、汎用機器と政令指定については現状維持が当然(多数意見)なので割愛ね。 iPod 等について補償金の対象とすべきかを検討する際には、単純にディジタル・私的録音の要件だけを見るのではなく、ここでどう「バランス」を取るかについて検討すべきである。
すなわち iPod 等ではどれほどの「不利益」が発生し、またどれくらいの「補償金」でカタをつけるべきなのか(もちろん補償金を課さないという選択肢もある)── JASRAC はこの観点からストレートに論じるべきなのである。
もちろん我々としてはディベートを進めるべく声を挙げるところである。検討・反論には労力を厭わない。 iPod 課金を是とするか否とするかに関わりなく、この作業は重要である。逆に言えば、この作業を経なければ iPod 課金を認めることなど出来ない。
iPod 等は、私的録音補償金が前提としていた録音形態とは全く異なる可能性が強くなってきた。いろいろ資料に当たっている中で、現行の私的録音補償金はあくまでもレンタルCDや放送(主にラジオでのエアチェック)からの私的複製が「不利益」の原因とされている節がある。私が普段から指摘する「所有するCDからの私的複製」については、実態調査では少なくない人達が該当していたにもかかわらず無視されたのである(あるいは軽微とみなされたのか)。これをどう解釈すれば良いのかは、未だに落とし所が見つからないでいる。もし御存知の方は教えてください。
ちなみに、この手持ちCDのコピーは権利者に「不利益」を与えないという主張の持ち主は私だけでないようで、先日トラックバックを戴いた 『noribo2000 のブログ』でも同様の意見が書かれている。私の文章よりも解りやすい(笑)。
http://blog.goo.ne.jp/noribo2000/e/ a76d815e380145c2099be415e554ee87
「著作権についてのパブリックコメント
(1)私的録音録画補償金制度の撤廃について」
(noribo2000のブログ)
なお、この記事に対してツッコミたい部分もある。
補償金額をもって「利益のマイナス」としているが、これは誤りである。なぜなら、「利益のマイナス」を全額補償したとは限らないからだ。そもそも私的録音録画補償金制度創設時には「利益のマイナス」を算定することはしていない。現状の補償金分「マイナス」があるから あの金額と定められたのではなく、むしろあの金額で“手を打った”という形なのである。従って、 JASRAC らにしてみれば、“本来”手に入るはずの利益よりは遙かに少ない額を「補償」してもらっているという気分であろう。
あと、この記事は 「iPod等に 録音する場合」とか「自ら購入したCDをコピーする場合」とか限定しておくべきなんじゃないだろうか。「私的複製」という広い概念で論じてしまうと、それこそCDレンタルやエアチェックの問題を落としてしまう(それとも後に続く記事で論じられるのだろうか?)。
ともあれトラックバック ありがとうございました。
──話を元に戻す。
iPod 等の仕様では、音源として中心になるのは購入CD・レンタルCD・配信楽曲である。MDの時と決定的に違うのは、ラジオ放送からの録音は(技術的には可能だが)パソコンを介するという特性のため 僅かであろうと思われる点だ。その代わり購入CDの複製(私はこの複製は「不利益」を生じないと考える)が大部分を占め、また配信楽曲の割合も拡大していくと考えられる(ここで「二重課金」が発生すると考える意見が多くあり、検討中の法制小委においても重視されている)。
MDの時の前提を引き継げるのはレンタルCDについてだけだが、これにも問題が残っている。レンタルCDは貸与権による使用料が既に発生しており、これと補償金で「二重課金」ではないかと指摘されているのだ(もっとも法制小委ではこの意見が出ていない)。そもそも貸与権は、レンタル客の私的複製が権利創設の根拠(前提)とされており、この「前提」については私的録音録画補償金制度創設の際の国会審議においても確認されているのである (平成4年11月26日 衆議院文教委員会、 平成4年12月7日 参議院文教委員会。当初は衆議院の方の日付を間違えて書いてしまいました。今は訂正済みです)。補償金制度創設を受けて貸与権使用料の軽減措置が取られるべきところ、そうした措置があった形跡は無い。日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合は今でも使用料軽減を訴え続けているのである。こうした事実をもって、レンタルCDからの複製に補償金を課さないと判断することも可能であろう。
iPod 等への補償金は、MDと同様に考えることは出来ない。使用態様が異なる以上、 iPod 等の実態に合わせた「バランス」の取り方を検討すべきであろう。そして私自身は iPod 等の使われ方では権利者に不利益を与えることは無いと考える。むしろ音楽へ接する機会を増やし、配信楽曲の購入を促し、気に入った曲・アーティストいついてはCDの購入にまで繋がる──まさに「権利者」にとって良いことずくめの機器であると言える。彼らに利益を与えこそすれ、不利益など生じさせるものではないのだ。
となれば、結論は出る。 iPod 等に補償金を求める必要は無い。これは補償金制度時には想定されていなかった「不利益」の生じない私的複製なのである。「不利益」が生じなければ補償金を求める正当性も無い。
投稿:by 谷分 章優 08:30 午前 [著作権行政 watch, 音楽業界の愚行] | 固定リンク
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受信 2005/09/16 3:21:22
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受信 2005/09/16 13:49:02
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というわけで、ハイ、ただいま、お仕事中(厳密にいうと移動中)ですが(^^;
いやいや、すごい(?)討論になってました。
「試される。(ココログ mix)」さんとこでのエントリー"御大”三田誠広氏の“見過ごせない論理の貧しさ”でのこと。
匿名希望さんと、暇人#...... 続きを読む
受信 2005/09/17 12:08:59


