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2005.09.22

Re: 補償金廃止論にまつわる明と暗

 ITmedia での舌鋒鋭いコラムで、ブロガーやブックマーカーからも人気の高い小寺信良氏。彼が満を持して(だと思う)、私的録音録画補償金制度の是非を問う記事を掲載した。

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0509/20/news002.html
「補償金制度廃止論にまつわる明と暗 (1/4)」
(ITmedia +D LifeStyle)



私的録画・録音補償金制度に関する動きが急展開を見せようとしている。そしてこの問題について、意見募集も始まった。10月7日の募集期限までに我々がモノを言うために、この問題の“明と暗”の部分を考えてみよう。

 私もここのところ私的録音録画補償金の話ばかり書いている訳だが、私の場合は基本的に理屈先行である。だから考えの基礎にしているのは法律関係の資料だったりする(参考資料を列挙したここの記事参照)。
 小寺氏の場合は、現場での取材をも加味したと思しき まとめになっている。私のまとめが“建前論”なら、小寺氏のまとめは“身も蓋もない本音”である。もちろん権利者の、だ。
 どちらが本当で どちらが間違いなのか‥‥いや、おそらくは両方とも事実としては正しいのだろう。裏表の関係であるというだけで(だからこそ この制度に歪みが生じているとも言える)。

 小寺氏による この記事は、私的録音録画補償金制度にまつわる問題点や論点の整理に役立つものと思われる。だから この問題に興味をお持ちの方なら、一度お読みいただきたい(というか、既にお読みの方の方が多いですかね?)。
 ここでは当該記事の中から少しずつ引用して、私の手元の資料と付け合わせ補強したり、私の感想を述べたりしていこうと思う。




http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0509/20/news002_2.html
「補償金制度廃止論にまつわる明と暗 (2/4)」
(ITmedia +D LifeStyle)



 補償金制度見直しの土台として考えられるのが、私的使用の複製が、権利者のどのような利益を侵害しているのかという点である。

 もちろん複製したものを自分や家族だけではない範囲の人に渡すことは、そもそも第30条の侵害であるからダメなのは理解する。だが補償金制度はそれらの頒布範囲にかかわらず、自分で買った音楽CDを、自分がカーステレオで聴くためにCD-Rに複製することに関しても対象としている。この場合に、侵害している権利とはなんなのか。じゃあ権利を侵害しないためには、まったく複製をせずに聴きたい機器やシーンに併せて、毎回音楽を購入し直さなければならないのか。

 iPod 等のハードディスク内蔵型録音機器等(もちろんフラッシュメモリー内蔵型もここに含まれる)に対して私的録音補償金を課すという、 JASRAC を始めとした権利者側7団体(通称「悪の7団体」)の要望に私が感じている違和感の最大の原因がこれである。 「JASRAC へ」と題して掲載した記事もそういった趣旨である。
 小寺氏はそこから一歩踏み込んで、補償金制度自体をここで問うている。すなわち買ったCDから CD-R にコピーする場合の補償金の正当性についてだ。私もこの一般化した疑問もずっと持ち続けている。まさに「権利を侵害しないためには、まったく複製をせずに聴きたい機器やシーンに併せて、毎回音楽を購入し直さなければならないのか」という疑問。

 しかし、おそらく JASRAC はこう答えるのだろう。
 ──「買え」と。

http://www.jasrac.or.jp/shiteki-rokuon/05/09_6.html#04
「FAQ」
(JASRAC)



4. 自分で買ったCDからiPod等に曲を入れるだけのユーザーもいるのに、補償金の対象にしようとするのはおかしいのではありませんか?

 私的使用目的の複製が自由とされている(著作権法30条1項)のは、立法当時の状況として、個人レベルの複製が零細なものであり、著作権の行使対象とするほどの実態がなかったからです。しかし、その後の技術の発達、特にデジタル技術の普及によって、個人レベルの複製は量の面でも質の面でも立法当時の想定を超えるようになったため、私的録音・録画を法定の範囲内で自由とすることの代償として、補償金制度が導入されました。
 つまり、本来であれば、複製物が一つ作られるたびに著作権者は権利を行使して使用料を得られるはずのところ、その権利を制限して使用料を得ることができないようにしていることの代償が補償金なのです。
 複製物を作るための使用料が支払われることなく複製が行われるという意味では、iPod等に保存される音楽の音源が自分で買ったCDでも、レンタルしたCDでも、ダウンロード購入したファイルでも変わるところはありません。

 「複製物を作る」(ここでは私的複製のみを論じている)たびに「使用料」を払えというのである。すなわち、ユーザーがわざわざ正規の音源を買ったとしても(しかも世界一高いCDか世界一高いネット配信楽曲だ)、「聴きたい機器やシーンに併せて」何度も何度も対価(複製に係る「使用料」とは、レコード会社がCD等を製作・頒布する際に支払っているものである。もちろんCD等の価格に含まれている)を払い続けるべきだ──と JASRAC は明確に主張しているのである。
 そうした主張が仮に妥当なものだとすれば、ユーザーは何故CDを買っているのだろう? 何故CD焼き付けのできる音楽配信楽曲を選んで買うのだろう? 正規商品を買うことで聴く手段の自由を得るからではないか。 JASRAC の思惑とは全く違うところに消費者の意識はあるのではないか。
 現に消費者が取っている選択はこれが基本線である(そうでなければ皆レンタルで済ます)。ラジカセでも、CDウォークマンでも、曲順並べ替え CD-R でも、MDでも、パソコンでも、 iPod でも──メディアシフト・プレイスシフトいずれも思いのままでなければパッケージ商品を買う意味などない。
 著作権制度が著作権者・著作隣接権者のインセンティブ(誘因)を確保するために存在するとは言え、 JASRAC のここまで行き過ぎた主張は ユーザーが音楽を購入するインセンティブを失わせるものと言わざるを得ない。誰が わざわざ高い金を払って縛りのキツい商品を選択するか。このままではパッケージ商品の死滅は確実。そのあたり、 JASRAC は理解できているのか?

 いや、理解できてないだろうな。未だに iPod 等への私的複製の「不利益」を説明できない連中だ。
 『言いたい放題』というブログによると、まだ内容の詳細は定かでないようだが、 JASRAC が私的録音録画補償金のCMを流し始めているらしい。その言い分が「(私的)デジタル複製により、同質大量複製が行われ、権利者のインセンティブが失われるから御理解を」なんだとか。
 問題は、なぜ(ユーザーが自分で買ったCDの)私的複製が権利者の「インセンティブ」を失わせているのかということであろう。そこを説明できないで「御理解を」と言っても嗤われるだけだ。もちろん、私の疑問に対する答えにもなっていない。
 あれだけの巨大な組織で、あれだけの巨額の報酬を貰ってる連中が、こんな簡単な(しかも補償金制度の根本に関わる)質問にも答えられないとは。バカさ加減は晒し続ける、ユーザーの理解は得られない、しかも悪いイメージばかり音楽ファンに持たれていくという体たらく‥‥著作権を預けている権利者たちに申し訳ないと思わないのか。

 ──小寺氏の記事に戻る。

例の「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会 審議の経過」に盛り込まれた資料に、【携帯オーディオ機器の国内出荷の推移】というグラフがある。

 これを見ると、2005年予測も含めて、MD機器に対してメディア内蔵型プレーヤーの比率が急速に高まっているように見える。だが合計の金額を見ると、2002年から2004年までは増えているが、逆に2005年予測では減少に転じている。MD機器の減少幅が、メディア内蔵型プレーヤーの増加幅を上回ってしまっているのである。合計台数に注目すると、私的複製というのはむしろ零細化に向かっているという見方もできてしまう。

※ リンク既掲記事 「2/4」 より引用。

 いやぁ、こう来るか、と思った。「私的複製というのはむしろ零細化に向かっている」か。皮肉が効いてる上に、相手の出した資料で切り返すと。
 このMD機器出荷量については、私のところでも採り上げた通りである。ちなみに出荷総量が 2005年 で減るというのは 『Where is a limit?』 で指摘されていた。しかし いずれも 2005年 予測値に懐疑的な態度であり、小寺氏のような踏み込みにまでは至ってなかった。
 いやぁ、これには参った。皆さん、ここはパブコメに使えるところですぞ。

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0509/20/news002_3.html
「補償金制度廃止論にまつわる明と暗 (3/4)」
(ITmedia +D LifeStyle)



音楽業界はメーカーに、海外と同じように補償金制度を入れてくれないか、という話を持ちかけた。大手録音機器メーカーは、傘下にレコード会社を持つところも少なくない。結果的にはそれほどの損失にもならないという腹はあったのだろうが、欧米の補償金制度で気に入らないのが、「メーカー側に著作権侵害幇助の汚名が着せられる」ことである。

 そこで双方の落としどころとして、「じゃあ消費者が悪いってことでどうよ」ということになった。もちろんそんなことを、当時の消費者団体が許すはずもない。なんだかよくわからないうちに、勝手にお金を払わされることになるからである。そこでもう一つの落としどころとして、「法律上は消費者が払うってことにして、実際はメーカーが払う」ということで、米国の補償金制度導入からわずか1年という短期間で、三者手打ちとなった。著作権法第5章 第104条の5に、「製造業者等の協力義務」が明記されているところに、その絶妙なパワーバランスが垣間見える。

 補償金を支払っているのは誰か。ここで書かれていることが本当であれば、これはこれでエライことではある。要するに、国会審議や国民向けの説明とは異なる運用がなされているということだ。趣旨どおりに動いていない制度となれば、廃止の理由になりそうなもの。

 ちなみに sarah の説明では「補償金はユーザーの皆さんが、指定機器や指定記録媒体を購入する際の購入価格に含まれており、この制度の協力者であるメーカーを通じて、(社)私的録音補償金管理協会 (sarah) に支払われます」としている。 JEITA の意見書(法制小委#3・ PDF) においても同様の趣旨で説明されている(ただし若干ぼかしているようなイメージではある)。
 この他にも、負担者がユーザーであることの証明は可能だ。私的録音・録画をしない人に対しての返還制度もその一例である。この返還先とは、紛れもなくユーザーである。この制度設計はユーザーが補償金を負担するという前提がなければ成立しまい(この返還制度が全く機能していないのはともかくとして)。
 また、補償金はメーカーにとって製造コストのひとつである。その製品で利益を得るべく消費者に販売しているのだから、そのコストは販売価格に含まれていると考えるのが自然だろう。
 以上のように、“メーカーが補償金を払っているから、消費者には負担が無い”とする見方が妥当なのかは甚だ疑問である。仮に補償金が廃止された場合、 JEITA がこれを理由に値下げを回避しようとした場合は、上の理由をもって反論してやろう(もっとも補償金廃止という事態になる可能性は低いように思うけれど)。

 私的録音に補償金を課した元祖・西ドイツ式はメーカーに「著作権侵害幇助の汚名」を着せるというものであるが、これは日本の法制度から言って実現は難しいものだった。何故なら、私的録音の主体が消費者である上に、私的録音が著作権侵害ではないためメーカーに負担させる合理的説明が出来ないからである。
 よって、日本では補償金の支払い者を消費者とし、その徴収を協力する者として機器・記録媒体メーカーが指定されている。これでもまだ問題が残っている。

『法曹時報』 四五巻一〇号  1頁から 20頁
「私的録音と補償金請求権
 ──新制度の誕生と法的問題点」
(半田正夫)
▲ 同論文は半田正夫・著   『転機にさしかかった著作権制度』にも収録。



機器・記録媒体のメーカーは単にこれらの機器等を製造し販売しているのみで、みずから録音・録画をしていないのに支払に協力義務を課せられているが、その根拠につき前掲報告書(引用者注:著作権審議会第一〇小委員会報告書)は、(中略)メーカーが著作物の録音・録画を可能ならしめる機器・記録媒体を購入者に提供した点に協力義務の原点を求めているようである。もしそうだとすると、協力義務を負う者をメーカーのみに限定するのは妥当ではない。放送事業者も有線放送事業者も、さらにはCDレンタル業者も、著作物の録音・録画を可能にならしめている点ではメーカーと同等であるからである。

 著作権法 30条 を前提とする限り、補償金を支払うべきは私的録音・録画の主体である消費者となる。そして、機器・記録媒体のメーカーが補償金を支払うという必然性には弱さがある。これをクリアする方法としては、上に引用したのと同じ論文で、

法三〇条一項を廃止し、著作物の複製はそれが一部であろうと全部であろうと、さらに営利目的の複製であろうと私的使用の目的の複製であろうと、すべて複製権に抵触するという前提に立ち返れば、録音・録画機器やその記録媒体を使用しての著作物の録音・録画はすべて著作権侵害行為となり、このような目的に使用されることを知りつつ機器・記録媒体を製造・販売したメーカーは共同不法行為者として連帯責任を負わなければならない(民法七一九条)のは当然で、メーカーが直接補償金支払義務を負う法的根拠をこれによってクリアすることができるのではなかろうか。

 ──としているが、今のところこれは実現していない。これをやるという話もない。
 となれば補償金の支払者がメーカー側であるとの解釈はキツいように思う。

 さて、小寺氏の記事に戻ろう。

 こう決まったからといって、メーカー側もただ黙って支払うわけではない。社団法人 私的録音補償金管理協会(SARAH)からは補償金集めの協力費として、メーカー側、具体的には機器関係は電子情報技術産業協会(JEITA)、メディア関係は日本磁気メディア工業会(JRIA)に、数千万単位のお金が戻っていると言われている。

 これを読んだ方は「ええッ!?」と思われるかも知れないが、事実である。法制小委#5に提出された資料「私的録音補償金の分配の流れ (PDF)」 でもこれについての記載がある。しかも金額までしっかりと。
 平成15年度 実績で、 JEITA に 3000万円、 JRIA に 1000万円 とのことである。徴収した補償金額がそれぞれ 約15億円 ・約8億円。だからだいたい 2%・ 1.25% である。この程度なら手数料として受け取るのに妥当な範囲ではないだろうか。
 別の言い方をすれば、この程度では「お金が戻っている」と呼ぶほどのことではない気がするのだが‥‥。

 ちなみに私的録画補償金の分配 (PDF) では、この「協力費」について触れられていない(だから その有無も判らない)。

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0509/20/news002_4.html
「補償金制度廃止論にまつわる明と暗 (4/4)」
(ITmedia +D LifeStyle)



 仮にこの補償金制度が廃止へと向かった場合、権利者団体は著作権第30条とともに心中するつもりだ。つまり、私的複製を全く許さないよう、潤沢な資金を使って現行法の改正へ動き出すだろう。もちろん30条には、テレビ録画も紙コピー機による複写もいっしょくたに含まれているので、音楽だけの事情で全廃できないだろうが、例外を追加するという形は有り得る。

 補償金制度の廃止、あるいは著作権法 30条 の廃止(音楽のみの除外も含めて)は起こり得ないことと私は考える。いずれも不合理なのである。

 特に、 30条 を廃止すれば世の中は混乱が必至だからだ。私的録音をすべて要許諾としたところで、権利者の側には使用料を徴収する術が無い。仮にユーザーを片っ端から訴えたところで、そこにかかる社会的コストは膨大なものとなる。こう言ってはなんだが、正当な著作権の行使ならいざ知らず、私的領域での零細な「複製」から「使用料」を得ることのみにそこまでのリソースを割けるかという問題である。間違いなく、実際に得られる使用料を遙かに超えるコストを社会全体で負担する事態となろう。
 だから私的録音録画補償金制度しかなかったのである。このことを素直に主張できない JASRAC はアホか。そこまで考えが至らない JASRAC はアホか。脅しにすらならない。

 もっとも、私的録音録画補償金制度をいきなり廃止することも難しい。この制度が導入される原因としてあげられていたレンタルやエアチェックからの私的複製に関し、権利者の「不利益」の大きさがベルヌ条約違反の状態を引き起こすことになる。ここに何かしらの手当てをせずに補償金制度を廃止することはあり得ないわけだ。
 だから、対案が全く出てきていないため、補償金全廃に関しては現実味が無いと言わざるを得ない。もし可能だとしても、今後の議論の詰め方次第ということになるだろう (DRM だけでは対案として片手落ちであろう。レンタル使用料での調整、放送での料金発生など、いろいろ考えられなくもないが いずれの実現の見込みが立ってからでないと補償金制度廃止は難しいのではないか)。

 補償金制度を廃止することで、消費者にどんなメリットがあるのかを考えるのは、非常に難しい。例えばデバイスやメディアの金額が下がると考えているのであれば、それはないだろう。上記のような経緯から考えれば、元々販売価格に補償金が含まれていると想像しないほうがいい。

 むろんその内訳はメーカー次第ではあるが、現在でも補償金の有無で、メディアの実勢価格には差がない。逆に補償金制度の廃止によって価格を下げなければならなくなるとしたら、メーカーは元々そんな金額は含まれておらず、実は最初から我々が払っていたのだと主張するだろう。補償金制度を廃止することで、消費者には実質的なメリットはほとんど何もない。

※ リンク既掲記事 「4/4」 より引用。

 仮に補償金が廃止されたとしたら、メディアは安くなるだろうか? MDは知らない。私は使ってないから(理屈からすれば、補償金分を値下げして当然であろう。メディアなら数円、機器なら数百円である)。しかしここで断言できるのが、 CD-R は安くできるということである。
 なぜなら、音楽用の CD-R は補償金以外にもコストを生じさせる要因があるから。私的録音補償金という制度のために、そして民生用のオーディオ CD-R デッキを流通させているが故に生じているコストなのである。
 これについては、法制小委#5で sarah 側の説明としてこんな発言があった。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/013/05070401.htm 「文化審議会 著作権分科会 法制問題小委員会(第5回)議事録」
(文部科学省)



(亀谷私的録音補償金管理協会事務局長) (中略)音の方は音楽用CD−Rとデータ用CD−Rとは実は中身が違っております。音楽用は識別フラッグがついておりまして、音楽用のCD−Rは音楽録音用のレコーダーでは使えますし、パソコンでも使えますが、逆に音楽録音用であるというフラッグがついていないCDを音楽録音用レコーダーでは使えません。
 つまり、データ用CDに音楽レコーダーで音楽を録音しようとしてもはねられるようになっています。これはこの制度の最初のところから決められたことで、音楽録音用レコーダーに音楽専用CD−Rを入れて初めてそこで録音されるというシステムができ上がっています。ですから、一部分では互換性がないという違いがあります。
 そのせいで音楽用CD−Rにつきましては値段が非常に高うございまして、一般の電器店で買いますと、今データ用CD−Rというのはもう10枚で、200円、300円といったような時代でございますが、音楽用CD−Rは1枚100円くらいはしております。ちょっとこれはメーカーさんの話で何とも言えませんけれども、やはり販売数量が絶対的に違うというところから高くなっているのではないかというように思われます。これはCD−Rだけの特徴で、ビデオの方はまた状況が違っておりますので、後ほど説明させていただきたいと思います。

 仮に私的録音補償金が無くなれば、こうしたコストのかかる作り分けは必要なくなる。音楽用 CD-R もデータ用も一緒に作れば良い。となれば、消費者にとっては補償金制度廃止によってメディアの値下げの恩恵に与れることになる(特に民生用 オーディオ CD-R デッキを使ってる人にメリットがある)。
 ──もっとも、私は補償金制度全廃は不可能と思ってるから、ただの与太話でしかないが(笑)。

 また現行の補償金制度は、DRMなど著作権保護技術の存在を無視している。これと補償が、著作権法上どう関係していくのか、またどうバランスを取るべきなのかの議論も必要だ。

※ リンク既掲記事 「4/4」 より引用。

 これは mixi の方で ある方とやりとりする中で指摘を受けたのだけど、確かに DRM の扱いには難しさがある。コピーできないような DRM (例えば 「CCCD」) だったら権利者は補償金を受け取るべきでない。また、コピー回数の制限があるような場合、コピーフリーのものとどのように補償金額を調整するのか。この辺りは全く考慮も処理もされていないのである。
 今後は DRM のかかったコンテンツの流通が前提となって議論されているだけに、この部分を避けて補償金制度を存続させる訳にはいくまい。というか、おそらく現行の補償金制度では DRM との調整は出来ないだろう。

 ちなみに、補償金制度を無くしたら DRM 強化の世界が待っているかのような言説があるが(主に JASRAC が唱えている)、これは明らかな間違いである。補償金制度と DRM 強化には因果関係が全く無い。補償金制度があっても DRM は強化され続けたし、補償金制度が無くなってもCDにコピーコントロールがかけられないからである(私のブログを読んで戴いている方なら理解できると思うが、いわゆるコピーコントロールのかかった「CD」はCDと似て非なるものである)。しかもそれが市場に受け入れられるのかは待ったく別の問題だ。
 たとえば、携帯プレーヤーに曲を移すたびに課金される DRM があったとしよう。あるいは CD-R に焼くたびに課金されるものでも良い。いずれにせよ、そんなものを消費者が買うのかということである。かつてCD焼きを認めていなかった日本の音楽配信が消費者の支持を受けたか? 「CCCD」 は市場に受け入れられたか? 「コピーワンス」は?  JEITA は個別課金への移行を主張しているが、これは DRM のバランス(権利者 vs 消費者)を市場原理に委ねるという方法である。彼らは消費者の代表ではないから 私のいう手持ち音源のコピーにも補償金を課すべきとの考えではあるが、それを踏まえた DRM とするのか それを排除するのかの選択の機会は消費者にも与えられている。その意味では、補償金制度より公平とも言える(実現可能かは別だが)。
 補償金制度が存続するために DRM が緩くしてもらえるかと言えばそんな訳でもなく、今後は DRM のかかったコンテンツ流通が前提なのである。ネット配信などを見れば明らかであろう。これは個別課金の代表だ。また次世代の音楽メディアである SACD や DVD-Audio にはコピーガードが掛かっているのも周知の事実である。
 ただ、くどいようだが、補償金制度を廃止することは不可能だと思うので、 DRM については配分比率の調整についてのみ語るのが妥当だろう(あとは市場において如何に DRM の選択肢を担保するか、か)。

 さらに自分が購入した音楽の私的複製を制限し、それに対して課金することは、財産権の侵害にあたるという考え方も存在する。筆者は今までそういう観点でこの問題を考えてみたことがなかったので、まず財産権とは何かというところから勉強しなければならず、まだまだそれに関して書くには先が長い。

※ リンク既掲記事 「4/4」 より引用。

 ──「財産権の侵害」か。かなり突っ込んだ表現である。
 私も、自分で購入した音楽の私的複製に関しても補償金を課すという現行制度には疑問を持っている。が、その正当性を問うのがせいぜいで「財産権の侵害」とまでは表現できない。小寺氏のように「財産権とは何かというところから勉強しなければなら」ないからだ。
 ただ、同一の著作物から何度も対価を要求することが正当であるか、それがもし強制的な徴収であれば「財産権の侵害」ではないかという理屈は成り立つように思う(そうアタリは付けている)。もっとも、私的録音しない人から補償金を徴収すると「財産権の侵害」になるかも知れないという認識は法制小委内でも確認されているところだが、手持ちCDのコピーに関しては、実際に私的録音している以上 これより弱い感じはしないでもない‥‥。
 なおパブコメにおいて私は、タイムシフト・メディアシフト・プレースシフトなどの、本質的に同一著作物の再生とみなせるような私的複製については補償金を課すべきではない──との意見を提出するつもりだ。そこから私的録音録画補償金制度を見直していかないと、私的録音なら何でもかんでも課金するという考えから脱することが出来ない。パブコメとしては前後してしまうけれど、 iPod に課金すべきでないと考えるのもそこから来ている。




 まとめに入らせてもらおう。

 忘れてならないのはバランスである。保護されるべき権利者の「正当な利益」と、確保されるべきユーザーの「公正な利用」である。ここを意識して私的録音録画補償金制度の問題を評価しなければならない。この補償金制度が創設されたのは、これが無ければバランスを失するとの確信があってのことである(ただしこの判断の妥当性は改めて問うべきと個人的には考えるが)。
 iPod 課金には充分な正当性が示されていない所だが、かと言って補償金制度自体を廃止するにはハードルが高すぎるように思う。MDや CD-R ・ DVD 等にはそれぞれの事情があるからだ。 iPod と同じには考えられない。
 したがって現実解としては、 iPod 課金は見送り、補償金制度は当面存置とする他ないのではないか。そして補償金制度の見直しの検討を続けていくべし、と。

 もっとも iPod 課金の方も実現させてしまうという結末もあり得る(これは政令指定するかしないかだから、文化庁が粛々とやることは可能である──閣議を通す必要はあるけれども)。しかしこいつはリスクがでかい。何故ならユーザーが目覚めてしまったからだ。この流れは決して元に戻せない。
 私的録音録画補償金に「理解」を示すどころか、ことあるごとに この制度の矛盾が指摘されることになろう。今のところ数割のユーザーにしか認知されていない補償金制度であるが、さらに多くのユーザーに知られるようになれば どうなるか。賛否の比率が変わらないとしたら、今の反対の声が倍々で増えていくことになるのである。
 それを阻止しようと思ったら、採れる対処法は二つしかない。ひとつは何も知らしめないこと。しかしこれは選択できない。「理解」を前提とした制度である上、この一連の騒動で注目されてきているからだ。となれば、残る手段を採るしかない──きちんと正当性を示し、説得するということである。これが出来なければ、私的録音録画補償金制度の健全な存続は難しい。
 矛盾を多く抱えた現行制度のままで進んでいけば、間違いなく「理解」を得られないばかりか 著作権制度自体に対する信頼も失墜していくこととなろう。今はまだ JASRAC への信頼が薄くなる程度で済んではいるが(笑)。

 そう、たぶん今の著作権制度は危機のまっただ中にあると思う。法学者や権利者団体が言うのとは反対の意味で。これまでの著作権制度が形骸化し「不利益」拡大するとかいうことよりも更に深刻な事態──「著作権制度自体に対する信頼」の崩壊である。「著作権」なるものが信頼に値するのか、そして それは正当に行使されているのか。そもそも「著作権」なるものを著作権法通りに守る必要があるのか。
 今までだと気にしない人が多かったから まだしも良かった。しかし今では多くが気づいてきているのである。行き過ぎた著作権強化の風潮から問題が続々噴出し、これに対抗すべく理論武装を始めたユーザーが増えている‥‥(私もそのひとりだ)。もはや、権利者の論理だけがそのまま鵜呑みにされる世の中ではない。
 iPod 課金について正当に判断することは、著作権制度への信頼を回復する第一歩であろう。そうでなくても「著作権」を楯に不透明な出費を強いられることがユーザーには多いのだから。還流防止措置しかり、私的録音録画補償金制度しかり、進まぬ音楽配信やネット放送なども。すべて「権利者」の都合でユーザーに負担が転嫁されている。
 いま、日本国内でのコンテンツの流通を妨げているのが他ならぬ「著作権」であることはユーザーの共通認識としてある(ここには絶版・廃盤問題も含まれる)。特に、硬直化し新しいビジネスモデルを全く生み出せない音楽業界では、文字通り「著作権」が新たなブレイクスルーの芽を摘む原因となっている。合法の音楽ファイル交換が出てこないこと、ポッドキャスティングで音楽が使えないことなどがその代表例である。
 著作権制度は、著作権の保護だけではなく、「公正な利用」や簡便な許諾システムとのバランスを含めて運用していかねばならない。コンテンツの正規流通(言ってみれば利用の促進と利益還元)こそがその本質なのだから、それを確保しなければ制度が動脈硬化に陥るだけだ。そんな状態で、著作権は国民からの「理解」を得られるだろうか? 著作権を尊重しようという考え方を醸成できるだろうか?

 権利者を名乗る人々は、著作権制度が社会の理解を得て初めて機能するということを真剣に考えるべきである。その保護にどんな正当性があるのか、社会に対して きちんと説得を試みなければならない。頭ごなしに「不利益だ」とやってみたところで、そんな話に耳を傾ける人はどれだけいるのか。ましてや無根拠な主張ともなれば。
 もし「理解」が得られなかったら何が起こるのか。さらに言えば、 「30条 廃止」だのと強引な手法を採ったところで何が起こるのか。──そこで引き起こされるのはモラルハザードだ。著作権を守ることに何の正当性も共有されない世界、著作権侵害について大したデメリットを感じさせられない世界だ(そりゃ1人か2人は訴えられて重い刑罰を科せられるかもしれないが、私的録音録画で国民を片っ端から訴えない限り効果は薄いだろう)。
 権利者が採るべき道というのは非常に限られているのだ。そして、いま彼らがやっていることは、その限られた道ですらない。それに気づくのは いつなのだろうか。
 ──著作権制度は「文化のバロメーター」らしいが、日本はまだまだなのだろう。著作権を専門にやってこられた法学者の先生方には悪いけれども(個人的には敬愛するところである)、今の JASRAC の物言いを見ていると、成熟した著作権制度が日本社会に息づいているようにはとても見えないのである。

投稿:by 谷分 章優 12:30 午後 [著作権行政 watch, 音楽業界の愚行] | 固定リンク

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» iPod課金の是非に対するパブリックコメント募集開始!! [Where is a limit? から]
 文化庁経由「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会 審議の経過」に対する意見募集についてが掲載されています。気になる部分を引用させて戴くと【御意見の提出方法】 (1) 提出方法:郵便、FAX又は電子メール ※ 電子メールによる場合、テキストファイルにてお..... 続きを読む

受信 2005/09/23 7:14:34

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