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2005.10.13
法制小委#8 ──予定にないパブコメ中間発表があってもなくても議論は絶賛紛糾中
すこし間を置いてしまったが、文化審議会 著作権分科会 法制問題小委員会(第8回)の話を採り上げたい。パブリックコメント募集期間中の 9月30日、 当初の予定を変更して追加開催されたものである(募集期間中は開催予定に無かったのだが、第7回時には開催が告知されていた)。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/
gijiroku/013/05100401.htm
「文化審議会 著作権分科会 法制問題小委員会(第8回)議事録」
(文部科学省)
http://nirvana.blog1.fc2.com/blog-entry-48.html
「著作権分科会 法制問題小委員会(第8回)」
(zfyl)
上記には ふたつリンクを示した。前者が公式議事録のページである。今のところ議事録は未掲載、資料が読めるのみである。
後者が いつもお世話になっている 『zfyl』 の傍聴レポート。「議事概要(メモ)」も掲載されており、これをテキストに法制小委#8の様子を窺っていきたい(なお「内容の正確性は保証いたしません」と書かれている通り、参照には一定の配慮がいる。私の当記事においても、発言者・発言内容等 その事実関係の判断を保留せざるを得ないことを念頭に置いて戴きたい)。
今回の法制小委は、特許・薬事行政に係る権利制限と、私的録音録画補償金が主な議題である。その中でも、私的録音録画補償金についての議論が(いつもに増して)白熱したようだ。当記事で主に論じるのも この話題である。お許し戴きたい。
さて本編に入る前に、ひとつ述べておかなければならない事件があった。この法制小委#8において、募集期間中のパブリックコメントについて中間報告が行なわれたのである(それを受けてのメディアの報道については 『Where is a limit?』 に詳しい)。
○ 中山主査:(中略) 9月8日の分科会で頂戴した意見について報告をお願いしたい。
○ 事務局(甲野著作権課長):(資料2に基づき説明。2頁目1.、4番目の○は「違法コピーの技術」を「違法コピーに対する技術」と言い換え。)
このような議論をふまえ、文化庁では、一般国民の声を聞くと言うことで、審議の経過について意見募集を9月8日から10月7日まで行っているところ。法制小委の関係で寄せられた意見にどう言ったものがあったのかについて、途中ではあるが、ここで披露させていただきたい。
重複もあるが、送られた意見は166件ほどあった。まだ分析途中である。(引用者注:以下略。各項目での途中集計結果の発表が続く。)
※ 『zfyl』 (リンク既掲)議事概要より引用。
『zfyl』 のレポートで流れを見た限りでは、事務局がパブリックコメントの集計結果を発表するよう求めた人がいるようには見えない。事務局(ここでは甲野課長)が勝手に発表し出した印象である。
これが事実としたら、このような行為を私は遺憾に思う。中間発表をやったのは報道にあるように事実だから、事務局がルール違反を侵したのは確かである。この事件を採り上げたブロガーが皆 指摘するところであるが、こうした集計を行なわないという前提のもと件のパブリックコメントは募集されていたのだから。
http://www.mext.go.jp/b_menu/public/2005/05090803.htm
「『文化審議会著作権分科会法制問題小委員会
審議の経過』に対する意見募集について」
(文部科学省)
なお,本意見募集の趣旨は,本小委員会における検討を行う際に有益な意見を求めることにあり,個別の論点に係る賛否の数を問うものではありません。したがって,いただいた御意見については,原則としてそのまま本小委員会に付し、個別の項目に係る意見提出数の集計・公表は特段いたしません。
文化庁著作権課は以前にも、募集したパブリックコメントの結果について数の集計のみ発表したという前科があり、募集の要領の悪さには定評がある。また、これ以後のパブリックコメントについては今回同様、「有益な意見を求める」ことを目的として数の集計は行なわないとしてきた。数の集計を行なった件のパブコメでは、同一文面の組織票ばかりが投じられるという実態があったからである。
尤も それ以外にも「後出しジャンケン」(募集時に出さなかった資料を後で出し、提出意見を封じようと試みる)など、パブリックコメント結果を恣意的に扱うのは著作権課のオハコではある。しかしながら今回は、意見提出数の集計・公表を行なわないとの方針を募集要領に明記した上での行為である分、より悪質な行為と言える。
このこと自体に委員からの指摘が無かったのだろうか? (委員は募集要領を知らない訳ではあるまいに。)
さて。以下は、「議事概要(メモ)」から目に留まった部分を拾い出し、それに私の感想を添えることとする。
○ 中山主査:正確な特許というのはきわめて重要。特許権というのは第三者の行為を止めることが可能な非常に強いもの。侵害となると、犯罪にもなる。これは正確を期すのが公益に資するのは間違いない。
議論のために伺いたいが、良くある議論は、利益のために特許を取るのだから自分で負担せよという意見があるが、むしろ、特許を潰すための、権利にしないようにするための資料の方が多いのではないかと思うが、どうか。特許庁。
○ 特許庁:ご指摘のように、非特許文献の提出については、引用例とされる目的が多い。従って、権利を潰す、権利範囲を縮小するために非特許分権が出される場合が多い。
○ 中山主査:出願人の利益のためなのだから、出願者が自分で払えという理屈はするとあまり成り立たないと思うが。
○ 大渕委員:非常に重要。特許の本質を突いた発言と思う。要するに、特許審査の基本構造は、出願したら審査官で拒絶理由が発見できれば拒絶、できなければ付与するもの。出願されたものに対して出願人は特許をくださいというが、審査官は要件充足というが、拒絶理由が発見できるかが法律上の審査官の職責となっている。特許権を付与すること自体というより、むしろ、不当な特許を付与しないという、公益的観点からなされるもの。したがって、自分の私権を得るためだから自分で払いなさいというのとはむしろ逆であり、視点がずれているのではないかという気がする。
※ 『zfyl』 (リンク既掲)議事概要より引用。
特許行政に係る権利制限のところで、本質的な話が飛び出してきた。
この権利制限に対する反対意見には「出願人の利益のためなのだから、出願者が自分で払え」というものが存在するのだが、これまでの法制小委での議論で再三出てきているように、本来 特許を与えるに相応しくない出願に対し正当な判断を下すため、論文等(著作物である)の提出をしやすくするのが目的である。すなわち公益のための権利制限である。その事実がここで確認されたわけだ。
ただ、「出願人の利益」ではないとの前提に立つ以上、仮に補償金制度を考えるとしたら公的な補償金を模索するという方向性もあり得る気がするのだが、そのあたりはどうなのだろう。まぁ、特許審査の場合は状況が限定されるから特に補償金制度を設けなくても不当なほどの「不利益」を生じさせないとは思うけれども(個人的には、医薬品業者の頒布資料に係る権利制限に補償金制度を置くという考え方はアリだと思う)。
特許・薬事で私が目を留めたのは以上。資料と関連して採り上げたいことは幾つかあるけれど、それは別記事に掲載するつもりである。
当記事の残りは、私的録音録画補償金問題について採り上げる。
○ 山地:資料4-2の経済的影響について納得的できないので意見を述べる。
携帯音楽プレーヤーの主な音源は3種類ある。一つは、買ってきたCD。ところで、コピーがどのくらい行われているのでかけ算して何百億との説明があったが、では、携帯プレーヤーがなければもう一枚売れたのか。もう一枚買うのか。同じものを買う馬鹿はいない。携帯プレーヤーがなかったらどうなるか。電車で聞いたりという音楽の利用の仕方ができなくなるだけ。新たにCDが売れるわけではない。したがって、権利者に経済的ダメージを与えているという理由がわからない。
2番目の音源がレンタルCD。複製の実態はある。これは、制度を決めるとき、個人はレンタルしたら複製することを承知のうえで議論して決めたはず。その上で貸与権使用料も決めている。参考までに、日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合、CDVJによると、各権利者はユーザー、レンタル店双方からコピーに関する補償金を受け取っていることになりますという話が出ている。これに関しては、国会でも議論されているはずである。したがって、資料4-1、7頁下から2行目、「又はレンタルについてはそもそも二重徴収の問題が生じていない」と書いてあるのは誤り。現行制度では、明らかに二重徴収であると私は考えている。つまり、貸与権使用料を取った上で更に私的録音の補償金を取っているので。
第3番目の音源はオンラインミュージックストアからのダウンロード。これは資料4-1、8頁1番上に反論がある。2から3行目にかけて、「消費者に一定の限度複製が認められている場合があり」とあるが、私の理解する限り、全てがPC経由で携帯音楽プレーヤーにコピーすることを前提としている。ただ、今後は携帯電話が出てくるので、その場合若干そうでないケースも出てくるかもしれないが、それは仕方ないとして、現在この審議会で話題となっている携帯音楽プレーヤーについていえば、全てのケースでコピーが前提とされている。アップルはアメリカで3年も前からやっている。iPodにコピーして聴く。それをセールストークにしてやってきた。ソニーもそうだ。だから、権利者も当然そのことを承知で交渉して料率を決めているはずと私は思っている。従って、複製する前提で料金、配分率の議論がされているはず。
従って、3つの音源いずれも、「だから経済的影響を与えている」ということにはならないと考える。従って、資料4-1、9頁のの2つめの黒丸、「より優れた代替措置(私的録音録画により失われる権利者の利益の補償等)」とあるが、失われれる権利者の利益とは何か、どういうケースでどの程度失われているかという説明がなされてないと思っている。したがって、補償すべき失われた利益はないというのが私の意見である。
※ 『zfyl』 (リンク既掲)議事概要より引用。
私(や他のブロガーたち)が主張してきたことは「山地」委員が殆ど代弁してくれた模様である。ここで感謝の意を表しておきたい。音源について3種類を提示するあたりは、私はニヤニヤして読ませていただいた。
残念ながら、「山地」委員が展開した主張は殆どが退けられている。しかしこれで議論が終わった訳ではない。法制小委で示された“回答”は、消費者を納得させるには まだ足りないものだからである。
私としては その“回答”を踏まえた上で、改めて疑義を表明したい。
今回の「山地」委員の発言は、ようやく法制小委がディベートのスタートラインに立ったことを示している。ユーザーの感じている疑問がようやく俎上に乗ったのである。今まではユーザーの声が全く(と言っていいほど)反映されてこなかった。
確かに、音楽配信に対する「二重課金」の問題は論じられていた。しかしながら購入済みCDとレンタルCDへの「二重課金」問題(私はこう呼んでいる)も俎上にのぼる兆しを見せたのである。もちろん、この議論を継続していく努力も必要ではある。
法制小委の委員各位には、この言及を“ガス抜き”にしか使わないのではなく、議論へと発展させて戴きたいものだ。あるいは理解を得られるだけのロジックを示すか。
○ 山本:何点かコメントしたい。まず、今の山地委員から指摘のあった、CDの販売機会が喪失することはなく、権利者に損失はないという意見だと思うが、その点について違うのではないか。権利者は複製する権利があるからといってCDだけで販売する権利を持っているだけでなく、鑑賞する権利を持っている。CDは伝える媒体でしかない。権利者はCDを媒介にしてであろうと他の方法であろうと、伝達された音源が他の媒体に複製されることに権限を持っており、そこでの許諾に対する利益が侵害されているのだから、損失があると思う。CDの販売機会が減ってないから損失はないという議論にはならないと思う。
次に、論点整理について。6頁一番下の所に、補償金制度の道どの問題がある。これについての意見。消費者の認知度の高低は根本的には関係ないのではないか。キャベツを買うときに、原価の構成で運送費がいくらかというのは知っておく必要はない。それがアンフェアという議論にはならない。問題は、認知度ではなく、補償金徴収に正当性があるかどうかだけである。
※ 『zfyl』 (リンク既掲)議事概要より引用。
これは「山本」委員の発言だそうである。手持ちCDのコピーにはデータ用 CD-R を使っているという山本委員と同一人物なのだろうか‥‥違和感を覚えるところではある。もっとも、趣旨の取りようによっては矛盾するものではないし、主張と事実認識はまた別である。なお発言者の特定は、公式議事録が公表するまで判断を保留しておく。
それはともかく。既に購入した音源について販売機会が考えられないのはCDに限った話ではない。MDにしても音楽配信にしても同じである。同一の著作物を同じ家庭内で何度も買うのだろうか。経済的損失を考えるのに、そうした消費者行動を考慮に入れなければ一般に理解されることは難しいだろう。何度も何度も同一の著作物について対価を要求するような制度は、パッケージングして売り渡すことを前提とする現行の音楽流通とは馴染むものではない。
仮に「複製権」ありきと考えれば、著作物の複製利用に係る許諾料を権利者本来の「正当な利益」とすることは論理的説明ではある。しかしながら私的領域という、経済的には最小単位である場での複製に対する「許諾料」が本来 保護されるべき「利益」なのかという点には依然として疑問が残る。
私的複製に係る権利制限は、利用者と権利者との権利関係のバランスを取る働きがある。それからすれば、私的領域内での「許諾料」を如何に考えるかもまた、バランスを意識して検討されるべきではないのか。始めから「複製権」「許諾料」ありきで考えるのはおかしい。
まぁ詳しいことは後述することにしよう。しかし ここを置き去りにして議論されるのを見るにつけ、「法理」と社会通念が齟齬を起こしているのではないかとの思いを強くしてしまう。
ところで、「キャベツを買うときに、原価の構成で運送費がいくらかというのは知っておく必要はない。それがアンフェアという議論にはならない」との比喩は不適切であろう。なぜなら、キャベツの価格が不当に高騰したり、劣悪なキャベツが混入するなど、流通上に問題点が発生すれば 当然のことながら原価・運送費なども議論の対象となっていくからである。関連する情報の一切を明らかにし根拠を示した議論ができなければ、「アンフェア」と批判されても仕方ないところであろう。さらに付言するなら、こうしたこと(私的録音録画補償金制度の根拠も含む)に対し「フェア」な情報公開と議論を求めるのは国民の「知る権利」の行使であるとも言える。
もし「補償金徴収に正当性があ」って 何も問題なく制度が運用できていれば、その辺りをなあなあにして議論を進めることも可能だ。しかし、いったん問題が発生すればそうも言っていられなくなる。根元的なところにまで議論が入り込まざるを得ない。私的録音・録画問題がまさにそれである。この問題の本質論を置き去りにしていたからこそ、事は「権利者の正当な利益」や「複製権」の妥当性に疑義を表明しなければならないところまで来てしまったのだ。
「問題は、認知度ではなく、補償金徴収に正当性があるかどうかだけである」との意識についても問題視せざるを得ない。著作権制度は「有識者」一部が理解していれば済むものではなく、社会全体で運用されねばならないルールである。社会のコンセンサスのもとで制度が設計されねば誰も守らなくなる(特に私的領域においては それが顕著である)。消費者に「理解」を得る必要があるというのは、そういうことではなかったのか。根元的なところまで論理的整合性を確保するのは勿論のこと、消費者にその因果を含めていくのもまた筋というものである。
○ 浜野委員:ユーザーとして発言したい。正式な協会名は忘れたが、国際録音音楽協会(※IFPI?)が毎年piracy reportを出していて、それによると、ほとんどの国で海賊版が5割以上だが、日本アメリカだけは毎年10%以下と非常に誇らしいデータ。日本のユーザーはかなりフェアな音楽を享受するということをやってきたと思う。私はそのデータを援用したら、相対的にかなり正直なフェアな音楽のやり方をやってきたと思う。ユーザー側からは、そうした正直なユーザーが馬鹿を見る制度であるのではないかという疑念はぬぐいきれない。そこで、もしこの制度を存続するとしても、指摘したいのは、補償金制度という短縮名称でいわれてしまって、何のための誰のための補償金だということがユーザーにわからないから理解が進んでないのだろうと思う。私的録音録画対価制度、私的複製対価制度とか、もっとはっきり、私的録音録画したときに払うべきお金をとっているということを明確にいえば、せっかくある返還要求も生きてきて、そうであれば返還を受けたいという人もきっと多く出てくると思うので。
※ 『zfyl』 (リンク既掲)議事概要より引用。
「正直なユーザーが馬鹿を見る制度」という表現は、ユーザー側から見て強く共感できるものではないだろうか。ここでの発言趣旨は「私的録音録画対価制度」を肯定した感じではあるが、私に言わせれば、私的録音に対価を要求するということ自体、CD等のパッケージを買ったユーザーが「馬鹿を見る」制度であると言わざるを得ない。
たとえCDを買ったとしてもだ、それを家庭内のCDデッキによってのみ聴けることとし、MDや iPod で聴いたり 気に入った曲だけを集めて聴きたい時には更に「対価」を払わねばならないという。これでは自由に聴くことが許されないのと同じことだ。このような前提で制度を作り上げたところで、ユーザーの理解が得られるのであろうか?
端的に言えば、CDを買うことよりもレンタルの方へ“インセンティブ”を発生させる前提なのである (JASRAC ら7団体の主張も同様である。彼らの主張は、無駄な出費を嫌うならCDを買わないよう勧めているようなものである)。再販制という悪しき慣習のために ただでさえ世界一高価な日本のCD流通状況だ、CD購入の中に私的領域内の自由利用許諾を含めないと、この矛盾した状況はさらに深刻化することになる。
現実問題として、どのような“契約”のもとにレコード(CD等も含む)が売買されているのかを考えるべきなのである。そのためには、もっとユーザーの声に耳を傾ける必要があろう → JASRAC ら7団体・法制小委。
○ 茶園委員:山地委員がおっしゃったこと。私も、そもそも、一方で配信サービスが一方であって、権利者が十分利益を得られるのではないか、だからこそ二重徴収という問題があると思うが、配信サービスはここまで、そこからの複製は違うという仕切りはそうだと思うが、配信サービスのところで複製のところまで考えてちゃんと取ればいいという反論が成り立つと思う。さらに、貸与権についても、CDを借りて1回聞いただけで返す人はふつういなくて、ふつうはコピーする。権利者も当然それを前提にして貸与を許諾している。貸与権の料金には複製が行われることを当然の前提として料金設定がされているだろうと私は思う。それが現在されてないのか。されてないのであれば、なぜなのか。なぜできないか。
※ 『zfyl』 (リンク既掲)議事概要より引用。
前半は、配信楽曲の「二重課金」問題についてである。 JASRAC らが出してきた反論に対し、再反論の存在可能性を示唆する意見である。「配信サービスのところで複製のところまで考えてちゃんと取ればいい」との意見は、他でもよく指摘されるところである。端的には、権利者側がきちんと対応すれば解決する。
さて特筆すべきは後半部分である。「山地」委員とともに、「茶園」委員もレンタルCDへ言及するに至った。これまでは全く省みられなかった論点であるだけに、これは歓迎すべき傾向と言える。
CDレンタルの使用料が私的複製を前提としているものだったという事実は、「山地」委員の発言にあった通り、私的録音録画補償金制度が検討された国会の場でも確認されている。この前提を覆すのなら、それを正当化する論理的根拠を示すべきであろう(ただし貸与権使用料の減額が実行されないかぎり不可能と考える)。
○ 中山主査:(中略)私が質問させていただきたいが、MD等の売り上げが減っているのは事実で、それに伴ってsarahの補償金が減っているわけだが、iPod等の場合は配信業者がいるわけで、そこから権利者側に何らかのお金が流れているわけだろう。したがって、プラスマイナスはわからないが、仮に、sarahは困っても、権利者としては十分入っているという状態があれば問題ないような感じがするが、その点はどうなのか。つまり、sarahの予算だけ見ると減っているかもしれないが、権利者としては困らないという状態があれば、著作権者としては困らないだろう。Sarahの収入が減っても、著作権システム全体としてはどうなっているのかというデータが必要ではないかという質問だが。
※ 『zfyl』 (リンク既掲)議事概要より引用。
報道があった中で話題になった 「sarah は困っても、権利者としては十分入っているという状態があれば問題ない」との発言が、よもや中山主査のものだとは思わなかった。もちろん これは正論である。しかし かなり踏み込んだ発言にも思える。何故なら、この趣旨は sarah だけでなく、 SARVH ・ JASRAC ・レコ協・芸団協などの各団体についても当てはまる話だからだ。
尤も それ以前に、補償金額の算定を定率から定額に変更するとか、そういう議論に入らないのがズルい感じではある(これは中山主査に対する感想ではない。制度運用側に対する注文である)。
結局のところ、私的録音録画補償金制度自体にガタが来ているのに、その適正化を図ることなく、“取れるところから取る”的な制度拡充の方向ばかり検討していることがおかしいのである。もともと私的録音録画補償金制度は権利者側とメーカー側での合意があって初めて可能となった制度だ。消費者側の意見が入っているようにはとても見えないのはともかくとして、その合意の困難性ゆえアナログは対象から外すといった(敢えて言うが)いびつな構造を持っている。
このまま自壊の一途を辿る この補償金制度を続けていくことに何の意義があるというのか。金額が減ってくれば更なる課金対象を探す“自転車操業”をいつまで続ける気か。特に、当事者間で合意できない課金対象拡大を強行できるのか。
○ 中山主査:細かい点を別として、私が考えたのは、著作権制度とは要するに著作物を利用した人から権利者にいかにうまく金が流れるようにするか。補償金という名前を取ろうが、結果として著作権者がしかるべき対価を得るというシステムになっているかどうかだけが問題になる。
※ 『zfyl』 (リンク既掲)議事概要より引用。
中山主査の発言に対し“茶々”を入れる形になってしまうのが心苦しいのだが、「著作物を利用した人から権利者にいかにうまく金が流れるようにするか」を しっかり検討して戴きたいと思う。現行の JASRAC らがそれをきちんと行なっているのか否か。包括許諾に係る分配の不透明さは多く指摘されるところである。
さらに言えば、通常考えられる利用とのバランスを考慮し、権利者に「金が流れる」べき利用態様の特定をして戴きたいところだ。すなわち私的領域においては、レコードを購入したり、レンタルで借りたり、放送で聴いたりするのが通常の利用法である。これが前提になって音楽著作物が流通している。また、いわゆる私的録音はこうした利用法の延長として行なわれている(それが実態だ)。頒布するなど複製自体を目的とするような利用ではなく、あくまでも聴くための手段として行なわれているものである。
私的領域での再生(著作権制度では「演奏」にあたる)は何度しても無償であるが、それを目的としたメディアシフト・プレイスシフトを有償と考えねばならない根拠はどこにあるのだろう。著作権制度で「複製権」が保護されているという以上の論拠は存在するのだろうか(「複製権」は私的領域において完全な形で保護されることは考えられない以上、バランスのとれた保護を考えるなら他の根拠も必要である)。
そもそも論として、音楽著作物における複製権というのは、権利者自らの意思が介在して発行されたレコード(CD等の他のメディアや音楽配信も含む)を売ることにより、正当な利益を得られるようにすることを目的としているのではないか(このあたり、もっと的確な表現があれば誰か教えていただきたい)。無制限に聴けることを前提として一度 売り渡された著作物から、何度も何度も対価を徴収するための権利なのかという疑問がまずある。
「複製権」ありきであれば、中山主査の言う「著作物を利用した人から権利者にいかにうまく金が流れる」との前提は論理的帰結と言える。しかし、もともとの権利というものが経済的利益を保護するための制度に基づくとしたら、「複製権」で守られてしまう「利益」がすべて正当なものであるかという検討は必要なのではないか。特に私的複製のように権利制限の対象となっている利用態様においては、そうした検討の過程が明示されなければ、国民一般からの著作権制度への理解を得ることは難しい。
お断りしておくが、私の意図するところが中山主査への“反論”には無いと理解していただければ幸いである。
私が求めているのは違和感の解消だけであり、理想的なのはそれを霧散させるロジックが制度運用側から示されることである(もちろん補償金制度の撤廃も理想ではあるが、それは選択肢の一つに過ぎない)。理解しようと思えばこそ、根元的なところまで問うことにもなるし、そこまで詰めてこそ「理解」であると私は考えている。
○ 芸団協椎名:そういう意味からいえば、極論になるが、代償措置と書いてある。DRMと契約の融合で。代償措置というのは、必ずしもお金の手当を意味してないと思う。たとえば、DRMを装着した専用機器があり、それでも録音を前提とした私的録音補償金があった中で、汎用機でCDがコピーできるようなものを売りつづけてきたのはメーカー。だから、汎用機を通じたCDのコピーができなければ、汎用機に関わる補償金など一銭も必要なくなってくると思う。汎用機に関わる経済的影響が問題だから、iPodに話が及んでいるのであって、代償措置として、突飛な発言をするが、PCを通じた音楽録音をできなくしていただければ、それもまた代償措置となるのではないかと思う。
※ 『zfyl』 (リンク既掲)議事概要より引用。
メディアで採り上げられ話題となった「汎用機にコピーできなければ」発言は、芸団協の椎名氏によるものだったらしい(くどいようだが、公式議事録が出るまで判断は保留せざるを得ない)。
ここでまた「メーカー悪者説」が出てくることに苦笑してしまうのだが、他の部分にもついても事実認識が甘いと言わざるを得ない。「極論」でも何でもなく無意味な仮定を持ち出したに過ぎないのである。
まず iPod 等のプレーヤーは、パソコンへの「録音」を大前提に仕様が決定している。 iPod 単独では録音は出来ないのである。だからこそ DRM の導入が可能になったと言ってもいい。
そして、CDのような一定の規格に基づいたメディアが存在する以上、パソコンでの利用を止めることは出来ない。パソコンでもCDを再生できるようにするのはメーカーとして当然の方針と言える。ところが再生できるようになれば、録音することも可能となるのが汎用機なのである。仮にメーカーがその機能を用意しなくても、どこからか そういうソフトが出てくるものだ。
仮にそうした「録音」を阻止しようと思ったら、「コピーできなければ」などというヌルいことを言うのではなく、パソコンでは物理的に再生不可能なメディアを使用するしかないのである(それともマイクロソフトやアップルに録音ソフトを出荷しないよう訴えてみるか? それが出来なければ、ライン入力でも録音は可能となるがね。笑)。なお、そうしたメディアを選択することができるのは権利者側の方である。いまだにCDに音楽流通を依存し 次世代のメディアへ全く移行しようとしないのに、こうしたことを棚に上げてすべき発言とは到底思えないのだが。
──まぁ、こうした発言は、何も言っていないのに等しいものではある。
投稿:by 谷分 章優 01:47 午前 [著作権行政 watch, 音楽業界の愚行] | 固定リンク
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» 法制問題小委員会(第8回)を試されるさんが斬る [Where is a limit? から]
zfylさん経由著作権分科会 法制問題小委員会(第8回)の資料とメモが公開され、それに付いて試される。(ココログ mix)さんが法制小委#8 ──予定にないパブコメ中間発表があってもなくても議論は絶賛紛糾中で言及されています。試される。(ココログ mix)さんも仰言ら..... 続きを読む
受信 2005/10/14 9:26:32
» 第八回法制問題小委員会っていうか著作権分科会における意見の概要 [音楽リスナーとPCユーザのための著作権パブコメ準備号 から]
zfyl 著作権分科会 法制問題小委員会(第8回)
http://nirvana.blog1.fc2.com/blog-entry-48.html
議事録(仮)についての検討は、試される。(ココログ mix)さんを。
http://himagine9.cocolog-nifty.com/kitaguni/2005/10/__6d82.html
?
議事録(仮)については... 続きを読む
受信 2005/10/15 2:58:14
» 第八回法制問題小委員会議事録 [音楽リスナーとPCユーザのための著作権パブコメ準備号 から]
zfyl 著作権分科会 法制問題小委員会(第8回)?
http://nirvana.blog1.fc2.com/blog-entry-48.html
?
議事録を読んでみました。
議事録(仮)についての検討は、試される。(ココログ mix)さんを。??
?http://himagine9.cocolog-nifty.com/kitaguni/2005/10/__6d82.ht... 続きを読む
受信 2005/10/16 23:27:26


