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2006.03.28
知的財産推進計画 2006 パブコメへの提出意見をでっちあげる方法・3
知財推進計画 2006 パブコメに向けたデカブツ草稿掲載第3弾である。
これもまたコピペ・加筆・修正でも何でもやって送っていただければと。
なお今まで掲載した意見草稿は──
http://himagine9.cocolog-nifty.com/kitaguni/2006/03/_2006__ba28.html
「知的財産推進計画 2006 パブコメへの提出意見をでっちあげる方法」
(試される。(ココログ mix))
http://himagine9.cocolog-nifty.com/kitaguni/2006/03/_2006__6242.html
「知的財産推進計画 2006 パブコメへの提出意見をでっちあげる方法・2」
(試される。(ココログ mix))
http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/03/post_3668.html
「さぁ、パブコメ追い込みですよ」
(エンドユーザーの見た著作権)
今回のも、1月6日締切りだったパブコメでの提出意見に加筆修正したものである。
知的財産推進計画 2005 の中身に対応して意見を述べているものであり、言ってみれば正攻法での意見文ではないかと思う(でも内容の濃さは他の文案に負けているという‥‥苦笑)。
知的財産戦略本部 御中
以下の通り、意見を送信いたします。
知的財産推進計画 2005 より項目を引き、それに対する意見を述べております。
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総論
2.「知的財産立国」実現に向けた取組方針
《5つの配慮事項》
(1)ユーザーの視点を考えた政策
(5)競争政策の重要性と表現の自由の重視
●著作権法の目的は、「著作権者等の権利の保護」と「文化的所産の公正な利用に留意」することを両立させ「文化の発展に寄与する」こととされる(著作権法第1条)。しかし、これまでの著作権法改定においては、権利強化ばかり進められてきたというのが国民共通の理解としてある。その間 軽視された「ユーザーの視点を考えた政策」および「競争政策の重要性と表現の自由の重視」との方針を今こそ取り戻し、著作権制度の再評価を行なうべきである。正すべきところを正さねばならない。
●公正使用として認められている範囲内の著作物使用を権利として確立すべきである。特に、権利者側からの一方的な主張により縮小されがちな私的複製について、正当な対価を支払い(無償のものも含む)入手したコンテンツをタイムシフト・メディアシフト・プレイスシフト等の目的で行なうことを無償・自由と明確化すべきである(すなわち この私的複製においては私的録音録画補償金を課さないものとする)。また、「権利制限規定はユーザーに権利を認めたものではない」として当該権利制限を無効化しようとする権利者側(例:歌詞引用に関する JASRAC) の発言に釘を刺す必要があろう。
●著作権法 30条以下 の権利制限規定は、知的財産戦略本部の「配慮事項」に関連して言うなら、「ユーザー」および「表現の自由」について配慮された結果であると理解できる。しかし私的複製や引用の規定については、権利者寄りの法制度や契約慣習によって形骸化させられている例が散見される。「競争政策」も同様に権利者側が形骸化させていることも合わせると、権利者の“権利行使”が濫用的にならないよう、コンテンツ市場のあるべき姿に向かって著作権制度の設計・運用を根本的に問い直すべき時期に至っていると考えられる。
●権利者の“権利行使”によって妨害されるコンテンツ流通の一例として、差別的許諾(同時に差別的非許諾でもある)が横行する音楽配信の問題、著作権法上の権利を持つ者のみの決定による廃盤・絶版(実制作したアーティスト・映画監督・作家らの意思にかかわらず流通が断たれてしまう)の問題などがある。著作権および著作隣接権は、コンテンツ流通を拡大し「文化の発展に寄与する」ようインセンティブを発生させるという趣旨で付与されている。従って、これらの権利の“行使”によってコンテンツ流通が阻害されるような事態の発生は本末転倒と言わざるを得ず、直ちに是正化の方策を取るべきである。
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第2章 知的財産の保護
II. 模倣品・海賊版対策を強化する
2.水際での取締りを強化する
(5)模倣品等の流通態様に応じた取締りを強化する
1) 模倣品・海賊版の税関での取締りを強化する
●税関による「水際での取締り」を実現する一手法として、輸入差止申立て制度が活用されているところであるが、この申立てから、申立て受理・輸入差止めという流れが不透明であるという指摘がある。差止めが申立てられた時点で当該物品の輸入が止められているとの話もあるのだが、これは事実なのだろうか? 私は特に、商業用レコードの環流防止措置に関して差止申立て制度の動向を探っているのだが、こうした輸入停止のタイミングについて(一国民としての立場では)見えてこない。そのあたりの事実関係をぜひ公表してしただきたい(たとえば実際には権利を有していない申立て者をどう弾くか、その申立が正しい権利行使の結果なのか等の判断が要求されるところである)。申立てが実際に「受理」されてから差止めを実行するのが合理的と考える。
●輸入が為されようとする物品が知的財産権の侵害に当たるか否か(模倣品・海賊版であるか否か)は、非常にデリケートであり かつ公平な判断が要求される。そうした中で、判断を行政の運用に委ねすぎては「疑わしきは差止める」となりかねず、流通における国民の営為を萎縮させることが危惧される。究極的には判断を司法に委ねなければならないのであり、公の場での透明性ある判断を経ることで本推進計画が進んでいくことを望む。
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第2章 知的財産の保護
II. 模倣品・海賊版対策を強化する
2.水際での取締りを強化する
(6)個人輸入等の取締りを強化する
●知的財産推進計画によれば、模倣品・海賊版による知的財産権の侵害を防止するにあたり、個人による当該物品の所持まで禁止することを視野に入れているようだ。これには強い危惧を抱く。個人にとって模倣品・海賊版の問題とは、それが模倣品・海賊版であると知らずに買った場合の、詐取された対価(被害額)に尽きる。たとえば当該物品が模倣品・海賊版であると理解していて(かつ それそのものを)購入するつもりであったなら、そこに被害は発生しない。たまたま買った商品が「模倣品・海賊版」であったからと言って、所持まで一律に禁止されるのはおかしい。“本物”を(品質や価格の面から)求めていない者にまで“本物”をねじ込むのは、市場における消費者の自由な選択を妨げるものである。取り締まりは、あくまでも模倣品・海賊版を売るという行為について為すべきである。
●模倣品・海賊版を取り締まる際に、営利目的のものにとどめ私的領域にまで対象を広げるべきでない理由は 個人の財産権にどう配慮するかという問題にある。特に、個人的な使用を目的として個人的に作成された「模倣品」や、私的複製の結果として作成された複製物を「模倣品・海賊版」とどのように区別するのかという疑問を強く感じる。複製機器や技術の高度化が進み、かつ著しく普及しているという現在、業者による営利目的の「模倣品・海賊版」と個人作成のものとは区別が難しいのではないか。仮に模倣品・海賊版の所持を禁止したところで、こうした判断の難しさによって国民のプライバシーが侵害されるおそれが強い。
●知的財産権は、その制度において私的領域には及ばないとされている。家庭内で個人的に行われていることに干渉しないという制度の趣旨からすれば、模倣品・海賊版の単純所持を禁止するということもまた 否定されるべき考えであろう。模倣品・海賊版は客観的に判断できるものではなく、一般国民には区別できないものの方が多い(「模倣」判断基準の曖昧さや、ライセンス契約の有無が一般に公表されないなど)。私的領域への行政の安易な介入を許すわけにいかないし、そうした事態になれば国民の経済活動等の萎縮を生み、元来 為されるべき正規品の購入すら抑制しかねないのである。
●すでに公に「模倣品・海賊版」として認知されているものを個人輸入などで差し止められるのは まだしも理解が得られるかもしれない。しかし、その認定が未然であったり、私的領域に存在する「模倣品・海賊版」にまで取締りの手を伸ばすことには断固反対である。
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第2章 知的財産の保護
II. 模倣品・海賊版対策を強化する
3.国内での取締りを強化する
(1)インターネットを利用した侵害の対策を総合的に推進する
4) ファイル交換ソフト等を用いた著作権侵害を取り締まる
●インターネットでファイル交換ソフトを使用すること自体については、あくまでも著作物の無許諾アップロードが違法なのであって、ダウンロードが必ずしも違法とは言えないことに留意すべきである。また、違法行為の責任はあくまで行為者に負わせるべきであり、ファイル交換ソフトの開発者・頒布者が「幇助」責任を負わされることのないよう法改正が必要である。ファイル交換ソフトの開発・頒布は(著作権侵害を教唆するような言とともに開発・頒布するのでない限り)中立的な行為であり、通信事業者であるプロバイダや電話会社・テレビ局、あるいは通信機能を有したパソコンOSの開発者らが「著作権侵害幇助」に問われないのと同じように、中立的行為が安全に続けられるよう手当すべきである。
●合法 P2P の成立を模索することもまた知的財産戦略に求められるところであろう。 Winny のような日本発の技術発展を生かすも殺すも その戦略次第なのである。
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第2章 知的財産の保護
II. 模倣品・海賊版対策を強化する
4.官民の連携を強化する
(5)国民啓発を強化する
●国民に正しい知識を持たせ、その意識を向上させることは勿論重要である。が、そうした試みを、「権利者」と称する者が主張するままに国民を“洗脳”する口実としないよう留意しなければならない。例えば「模倣品・海賊版が社会悪である」という主張は、模倣品・海賊版の定義と共に語られることが殆どなく、一方的なものであると言わざるを得ない。消費者が模倣品・海賊版であると知らずに買ってしまうような場合(知的財産権を侵害した物品が本物と混同されうる場合)には「社会悪」と呼ぶのが相応しかろうが、「模倣品・海賊版」と判って買っているのであれば(消費者の立場で言って)必ずしも被害が生じない普通の商取引である。
●「社会悪」として排除すべきなのは知的財産権侵害物品の販売であり、「模倣品・海賊版」などという曖昧なものではない。また、これを購入することまで「社会悪」とするのは不当である。「国民啓発」をするのなら曖昧なイメージを植え付けることなく、正確さを期して臨むべきである。
●正しい知識を国民に持たせるのは確かに重要であろう。しかしその「国民」には知的財産権を所有している者たちも含めるべきである。いわゆる権利者がどれだけ正しい知識を有しているのか。その権利行使において国民の常識から乖離したものが少なくなく、社会問題を引き起こしてしまう例すらある(松下×ジャストシステム「一太郎」訴訟など)。
●すべての国民が、意思さえ持てれば すぐにでも知的財産権を学べるような環境を整えることが望ましい。知的財産権の概要や関連資料等をインターネットに集約して掲載する等が考えられる(知的財産権ポータルサイトなど)。
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第4章 コンテンツをいかした文化創造国家への取組
I. コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する
1.業界の近代化・合理化を支援する
(1)業界慣行の改善や透明化に向けた取組を奨励・支援する
●契約慣行の改善・透明化が進められるとすれば、それは歓迎すべきところである。しかしながら、文化庁が構築した「著作権契約書作成支援システム」では「著作物の創作や演技・演奏等の実演を職業としない者とその利用を職業としない者の契約」を想定されたものとされ、この項が求めているものには まだ遠いと言わざるを得ない。「業界慣行」の洗い出しから検討まで、ぜひ公開された場で扱っていただきたい。
●前記「著作権契約書作成支援システム」について、これが最初に構築される際に、アップル社の基本ソフト・ MacOS X に含まれるアイコンを画面上の装飾として盗用したとの不祥事が発生した。しかしこれについての文化庁からの公式発表は未だウェブサイトに掲載されていない。当該システムはその後 いちから作り直し多額の税金が費やされたものと考えられ、また この不祥事によりシステムの稼働が大幅におくれたこともあり、文化庁側が説明責任を果たすべき事案であることは間違いない。この不祥事は知的財産推進計画の実施にも甚大な影響を与えており、このような事態を引き起こした原因・対処・再発防止策等を検討し発表する責任が文化庁にはあろう。知的財産戦略本部としても如何お考えか明らかにしていただきたい。
●映画興行において、ロードショー館の入場料金(大人料金で 1800円) がどこも同じなのは何故なのか。毎月1日の「サービスデー」やレディースデーなど、各館で適宜設定される割引料金についても ほぼ横並び (1000円ほど)の様相である。このように硬直化している料金設定についても、反市場競争的な問題は生じていないのか。是正する必要があるように思う。
●「コンテンツ業界における業界構造や契約・流通の慣行などについて、 2005年度中に 実態を調査し、公表する。(経済産業省)」とあるが、これは既に実施されているのだろうか? その実態調査がどこまで適切に実施されるものか注目している。特に音楽配信での差別的許諾、特定のOS(端的に言えば Windows) に依存した DRM などの問題を是非調査していただきたい。
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第4章 コンテンツをいかした文化創造国家への取組
I. コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する
1.業界の近代化・合理化を支援する
(2)独占禁止法を厳正に運用する
●著作物の流通においては、独占禁止法の適用除外を良いことに問題あるまま商慣行が続く傾向がある。こうした適用除外はあくまでも例外なのであるから、その縮小を求めるところである。
●再販売価格維持制度は廃止すべきである。コンテンツホルダーに対する過剰な著作権保護に加え、この再販制が結びつくことにより不当な価格吊上げが横行している。不当な価格ゆえに消費者離れを引き起こし市場縮小の一途をたどっているのが音楽・出版業界であるが、再販制はデジタルコンテンツについても影を落としている。音楽配信・電子書籍は再販制の適用外であると考えられるにもかかわらず、CDや書籍の価格を“標準”として参照しているのである。デジタルコンテンツを含めたコンテンツ業界全体の活性化を考えるなら、硬直化した再販制度を廃止し、風通しの良い市場に価格決定を委ねるべきである。
●新聞についても再販制と特殊指定を廃止すべきである。新聞業界はそのメディアとしての地位と政治力(ジャーナリズムを標榜する者が政治に擦り寄ってどういう気なのか?)を背景に特殊指定廃止への抵抗を続けているが、さらに許せないのは宅配の廃止や全国一律価格の廃止をチラつかせて国民を脅迫するという姿勢である。再販制と特殊指定はこの宅配・一律価格との因果関係が薄く、単に新聞業界がこれを維持させたくないのに過ぎない(既得権を守るための方便としか考えられない。むしろ再販制・特殊指定が廃止されれば「ほれ見たことか」とばかりに すぐ宅配・一律価格をやめてしまうのではないか。それこそ喜んで)。
●特に価格については事実上 景品のバラ撒き・値引きを行なっており、特殊指定・再販制の意義は崩れている。景品は洗剤類から商品券・レジャー施設招待券にまで及び、値引きで酷いものは数ヶ月分を無料で(要するに代金は先方持ち)購読させるものまである。いずれも大手新聞社による一例である。言ってみれば都市部において数ヶ月単位に契約すれば、田舎で長期契約するよりも大きな割引率で新聞が購読できるのである。
●新聞においても書籍・CDと同じように価格の高止まり(前述のように値引きされこともあるが)が深刻であり、その上 料金の値上げとくれば大手新聞が一斉に値上げする有様。その紙面にしても半分を広告が占めている。現在 新聞の価格として請求されている額が正当な対価なのか甚だ疑問である。また紙面による報道に拘泥し、インターネットを全く活用できていない(インターネットでの情報発信を活かすのなら、それこそ紙面の限界のないジャーナリズム活動が可能となろう)。自らの立場が保護されているがゆえに努力をしなくなっているように見受けられる(注:景品バラ撒きや値引きのような「努力」を指しているのではない)。
●読売新聞 2006年2月20日付 の記事では「新聞の特殊指定『存続』 84%」 「『宅配性維持』 91%」 と嬉々として報じているところであるが、実際の調査内容を参照してみれば「全国有権者 3000人」 に質問して回答を得られたのが 「1784人 (59.5%)」 なのである。要するに特殊指定の存続を望んでいるのは全体の 50.0%、 宅配の維持を望んでいるのは全体の 54.1%。 実はそれほど多くない。こうした事実を読売新聞は正確に伝えていない(他の新聞──朝日や毎日も同様である)。しかも質問文を「日本では、全国紙や地方紙などの一般の新聞の9割以上が、毎日一定の時間帯に読者に直接配達されています。あなたは、この宅配制度を、今のまま続ける方がよいと思いますか、なくなっても構わないと思いますか」「新聞の値段はそれぞれの新聞社が決めており、同じ新聞なら、山間部も含め全国どこでも基本的に同じ値段で購読できます。あなたは、この再販売価格維持制度を、今のまま続ける方がよいと思いますか、なくなっても構わないと思いますか」などと誘導的に示しており、その調査結果の妥当性には疑問が残るところである(本来ならば質問文にはデメリットも併記すべきであろう)。
●注目すべきは、新聞社の世論調査に応じようとしない人間が 40%強 いるという現実である。必ずしも質問内容で回答しないことを決めたわけではないだろうが、新聞社にとっては一大事であるかのように報じられている特殊指定に対する一般の関心がこの程度であるという目安にはなる。新聞離れが進んでいる今、この業界に特殊指定・再販制といった特別扱いが必要なのか疑問である(また新聞業界の言うように再販制が「言論の自由」「知る権利」を保証しているものなのか、つまりは再販制下の今の新聞が「言論の自由」「知る権利」を守るために為すべき事をしているのか、再販制がない場合には「言論の自由」「知る権利」は守られなくなるのかという疑問が常について回る。再販制度に関する公正な議論が全く新聞媒体に掲載されないことなどは最大の疑問点であろう)。
●むしろ再販制は政治との癒着を生むのであって、また本来のジャーナリズムを全うする妨げになっている。「売らんかな」の大衆迎合主義は既に現在の新聞に見られるところでもあり、再販制の有無は関係ない。むしろ再販制は旧来の新聞の体質を存続せしめることだけに機能してしまい、競争によって是正されていく機会をも奪うものである。国からの保護政策が得られなければ廃れてしまう「ジャーナリズム」など最早それまでの話(その役割はフリージャーナリストらに受け継がれよう)、早急な過保護制度廃止を考えるべきである。
●繰り返しになるが、再販制は廃止すべきである。「言論の自由」や「知る権利」「宅配」「一律価格」を人質にして国民を脅迫する者に与えるべき既得権など存在しない。
●著作権の「行使」によるコンテンツ流通の阻害を抑止する必要がある。正確には、独占禁止法では手当てできない範囲のものかも知れない。しかし、インターネット配信に係る差別的許諾(同様の仕様にもかかわらず許諾する先を差別的に選択すること)が健全なるコンテンツ流通を阻害する要因にもなっているだけに、競争政策・独占禁止法的な観点から何らかの手を打っていただきたい。
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第4章 コンテンツをいかした文化創造国家への取組
I. コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する
2.コンテンツの制作・投資等を促進する
(4)コンテンツの制作・投資等を促進するためのインセンティブを付与する
●この項目については、著作権の新たな支分権の付与、あるいは著作権保護期間の延長も想定されていると思われるが、これらは決して好ましい措置ではない。確かに保護期間の延長は「制作・投資」を促進する可能性はあるが、逆に言えば、これらの措置でインセンティブが生じるのは製作(ここでは「製作」はプロデュースを指す。クリエイターによる実制作は「制作」と表記する)と投資のみである。著作権法の目的である「文化の発展」を考えるなら、大切なのは製作・制作の部分だけではなく 著作物の流通と継承にも留意しなければならない。保護期間を延長することで、死蔵されるコンテンツが世に出る可能性を潰してしまうこと、後続の作品が採りうる表現の幅を狭められかねないことなど、製作・投資にインセンティブを生じさせるのと引き替えに失ってしまうものが甚大である。目の前の利益にとらわれて文化に対する罪を犯すのに等しい。本末転倒だ。
●死後 50年から 死後 70年。 このような保護期間延長によってインセンティブを得るクリエイターはどれだけいるというのか。はなはだ疑問である。今これからコンテンツ制作をするクリエイターは孫の収入のために創作を始めるのか? 死後の収入の多少でインセンティブが生じるとするのは不自然すぎる考え方であろう。しかも死後 70年の 保護となると その分 正規の著作権料が発生するのであり、現在でも限られたパイの食い合いとなっているコンテンツ市場において、その時点で生活をかけて創作するクリエイターの収入を 過去のクリエイター(の遺族)が食ってしまう事態となる(この基本的な性質は海外市場への進出などで「パイ」が大きくなっても本質的に変わらない)。多くのコンテンツが享受できない状態のまま、表現の幅が狭められ、その上 パイの食い合いが激化し その煽りを食うことにもなるというのに、実制作者にいかなるインセンティブが働くというのか。著作権保護期間の延長は百害あって一利なしである。
●保護期間延長の問題は、日本製コンテンツが欧米へ進出した際の保護期間にも生じるとされる。相互主義によって日本製コンテンツのみ保護期間が短く扱われるとのことである。しかし現状でこれを考えるのは時期尚早と言える。なぜなら日本は今もってコンテンツ輸入超過国だからである(輸出超過となるとの希望的観測をもって安易に著作権保護延長を決めるべきではない)。輸入超過国である以上、海外のコンテンツを 50年 保護すれば、国内では これを公有に帰して自由利用の恩恵を受けることが出来るのである。未来のコンテンツ制作の発展を考えれば、質の高い海外コンテンツを(その当事国よりも)早く自由利用できることは日本が優位に立てる機会ということでもある。輸入超過の状態は今後も続くのは間違いない。未来のコンテンツ制作を促進するよう戦略的に考えるべきである。すなわち著作権保護期間を現行のまま維持することもまた戦略的な判断であり、それで充分なのである。
●重複するが、日本で保護期間延長の必要が出てくるのは、欧米において著作者の死後 50年から 70年 たった著作物が売れるようになり、これらが輸入分を超過した時である。それまでは現行のまま死後 50年 にしておいた方が文化政策として有利なのである。戦略とはそのように立てるものだ。
●文化発展を旨とするなら、むしろベルヌ条約における(最小限の義務とされる)保護期間を短縮するよう働きかけるべきである。文化は共有されるべきものだからだ。デジタルアーカイブが一般化していく今後は特に その性質が強くなる。
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第4章 コンテンツをいかした文化創造国家への取組
I. コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する
4.コンテンツ流通大国に向けた改革を進める
(1)デジタル時代に対応した幅広い改革を進める
●デジタル機器を使った家庭内での私的録音・録画がコンテンツ使用の一般的な態様として定着している。また、その私的録音・録画したコンテンツを家庭内サーバで配信し、さまざまな部屋で(時にはインターネットを介しても)視聴できるような機器も登場している。こうしたコンテンツ視聴に関しては今のところ著作権侵害であるとの指摘は為されていない。しかしながら、その機器の保守を外部の業者に任せる形となったとたん、著作権侵害であるとされてしまう(例:「録画ネット」訴訟および「選撮見録」訴訟。いずれも司法判断によると著作権侵害とのこと)。確かに、私的録音・録画を行なう人物みずからが管理する機器による録音・録画ではないため私的複製の範囲内とは考えづらい。となれば、法改正によってこれらのサービスを救うことは出来ないだろうか。本質的には私的複製と変わらない結果をもたらすサービスであり、コンテンツ流通活性化にも貢献するものと考えられる(機器は録画の主体たるサービス利用者の持ち物とし、メンテナンス・ハウジングのみを事業者が受け持つ形であれば問題はない)。このまま潰してしまうのは勿体ないのである。
●以上の話とは直接関連しないが、障碍者が自らの使用に供する複製を為す時に他人の手を借りる場合にも同様の問題が発生する。要件を決めた上で、著作権法上 適法とする規定を設けることが望まれる。
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第4章 コンテンツをいかした文化創造国家への取組
I. コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する
4.コンテンツ流通大国に向けた改革を進める
(2)新しいビジネスモデルと技術を開発する
4) コンテンツを安心して利用するためのシステムの開発・普及を行う
●安全なコンテンツを認証し、それだけを閲覧できるようにするシステムを構築すること自体は賛成できる。しかし そのシステムの使用を義務化したり、システム認証外のコンテンツへのアクセスを禁止したりすることには断固反対である。当該システムの扱いについては慎重さが必要であり、使う・使わないの最終的な判断は個々の利用者自身に委ねるべきだ(たとえば私はむしろ「有害情報」込みで知る権利を行使したいし、その中から必要な情報を選択している)。国家権力が、国民が知ることのできる情報を制限していくことは断じて考えてはならない。
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第4章 コンテンツをいかした文化創造国家への取組
I. コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する
4.コンテンツ流通大国に向けた改革を進める
(2)新しいビジネスモデルと技術を開発する
8) 家庭等で円滑にコンテンツを利用するための技術開発を行う
●「家庭等で円滑にコンテンツを利用する」ことは、デジタル地上波テレビ放送が始まる前にきちんと検討すべきだった。そもそも採用されたコピーワンス自体が「家庭等で円滑に」使えるものではなかったのだから。今後は「家庭等で円滑にコンテンツを利用する」との観点から再検討し、洗い出された問題点を解消していくべきである。現状を追認してしまい、たとえばコピーワンスの廃止が断行されないなど、何ら改善策を打ち出せなくなってしまうことを私は危惧する。
●繰り返しになるが、デジタル地上波放送におけるコピーワンスは廃止すべきである。これはデジタル地上波放送を普及させることを阻害する大きな要因の一つである。
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第4章 コンテンツをいかした文化創造国家への取組
I. コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する
4.コンテンツ流通大国に向けた改革を進める
(3)法制度の改革を進める
1) 私的使用複製などの基本問題について方向を得る
●私的使用目的の複製については、エンドユーザーの公正使用の権利として著作権法に明記する必要がある。特にタイムシフト・メディアシフト・プレイスシフト等を、正当な対価を支払って入手したコンテンツであれば無償・自由の私的複製として認めるべきである。エンドユーザー向けのコンテンツ販売は家庭内での自由な視聴を前提に為されており、この「家庭内」の範囲にとどまるなら視聴の態様を限定すべきでない(たとえば買ったCDを iPod に録音して聴くことなど)。
●私的録音録画補償金を廃止または縮小すべきである。特に上記公正使用と認められる態様でのデジタル録音・録画については課金対象から除外しなければならない。視聴という本来の使用行為(私的複製についても多くは複製自体が目的ではなく、視聴が目的である)について、同一家庭内で同一著作物から対価を重複徴収するような制度を設ける合理性がない(私的録音録画補償金制度の創設時にその観点での検討がきちんと行なわれた形跡も全くない)。デジタル時代に対応した著作権制度の成立は急務であるが、この私的録音録画補償金制度もまた現代の視点から再検討することが必要である。
●著作権保護期間の延長に反対である。現行の「死後 50年」 より延長したところで、コンテンツ制作へのインセンティブを生じさせることなど全く期待できない。コンテンツホルダー(多くは実制作ではなく製作や投資に特化した法人である)に利するのみであり、それと同時に、実制作するクリエイターの育成・表現活動を萎縮させる危険性が強い。創作は過去の作品に依拠して為されるものであり、また過去の名作をより多く鑑賞することでクリエイターとしてのノウハウを学ぶ。著作権は本質的に模倣(複製権・翻案権に抵触)も鑑賞(絶版・廃盤問題)も阻害する一面がある。保護期間延長はこうした阻害を拡大するものであり、百害あって一利なしである。
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第4章 コンテンツをいかした文化創造国家への取組
I. コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する
4.コンテンツ流通大国に向けた改革を進める
(3)法制度の改革を進める
4) 司法救済の観点から間接侵害などについて方向を得る
●著作権法に間接侵害規定を設けることには反対である。利用者による著作権侵害が可能であるというだけで、利用ソフトウェアの開発者・サービス事業者のような中立的立場の者たちに責任を負わせるのは過重である。利用者が著作権侵害をするか・しないかを関知し得ないのに加え、そのような間接侵害規定を設けることにより、コンテンツ流通を活性化させる新サービス等の出現を抑制することとなる。これではデジタルコンテンツ流通の拡大を望むべくもなく、むしろ逆に、彼らのような中立的行為については間接侵害とはならない旨を法に明記すべきである(仮に利用者が著作権侵害をしているのであれば、侵害者自信がその責任を取るのが筋というものであろう)。
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第4章 コンテンツをいかした文化創造国家への取組
I. コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する
4.コンテンツ流通大国に向けた改革を進める
(3)法制度の改革を進める
5) 技術的保護手段等の回避に係る法的規制の対象について方向を得る
●アクセスコントロールを、著作権法で保護する「技術的保護手段」に含めることには反対である。著作権法はもともと知覚(アクセス)することに対して規制を加えるような趣旨のものではない。また、知覚を制限すること(正確には、アクセスコントロール回避による知覚を制限すること)は国民の「知る権利」を侵すことにつながる考え方である。
●著作権法で保護されるところの「技術的保護手段」は厳格に規定すべきである。例えば、通常の使用方法から推定できるような形で「回避」できるようなものは、技術的保護手段に当たるまい(例えば ある種のコピーコントロールCDのように、ただ入れるだけで録音可能となるものや、シフトキーを押せば録音可能となるものなど)。
●コピーコントロールと再生保証を両立させられないような場合にはその技術を技術的保護手段とみなさないことは勿論、そのような仕様を採用したことに対する罰則を事業者に課すべきである(消費者保護の一環として必要な手当てである)。
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第4章 コンテンツをいかした文化創造国家への取組
I. コンテンツビジネスを飛躍的に拡大する
7.コンテンツのアーカイブ化に関する取組を奨励・支援する
(1)コンテンツのアーカイブ化を促進する
(2)フィルムセンターの充実を図る
●「コンテンツのアーカイブ化」は積極的に進めていただきたい。特にフィルムセンター所蔵の映画作品については(著作権が切れていたり、権利者の許諾が得られたものなら)インターネットでの配信も可能とするのが望ましい。国立国会図書館のデジタルアーカイブと連携してサービスが行なえれば充実したものになることだろう。
●国民から広く受信料を徴収し、国民共有の財産とも言える NHK 制作番組についても、番組のアーカイブをネット配信できるよう整備することが望ましい。イギリス BBC が既に開始していることであり、参考になるところが非常に多いと思われる。
(以上)
投稿:by 暇人#9 06:59 午後 [著作権行政 watch] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック
知的財産推進計画 2006 パブコメへの提出意見をでっちあげる方法・2
締切りまであと僅かである。
私が提出した意見(デカブツ第2弾)を掲載する。意見提出がまだだという方、コピペでも加筆・修正でも何でもやって送っていただければ幸い。好きなようにお使いください。
なお今まで掲載した意見草稿は次のとおり──
http://himagine9.cocolog-nifty.com/kitaguni/2006/03/_2006__ba28.html
「知的財産推進計画 2006 パブコメへの提出意見をでっちあげる方法」
(試される。(ココログ mix))
http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/03/post_3668.html
「さぁ、パブコメ追い込みですよ」
(エンドユーザーの見た著作権)
今回のは、1月6日締切りだったパブコメでの提出意見に加筆修正したものである。
※今まで書いてきた意見でも、今回の意見の中ですらも、同じような文章が散見される。まぁ言いたいことだからこそダブってもそのまま出しているのだが、こうやって改めて推敲だの何だのとしていると、自分の粘着質がよく見えるというか、かなりキチガイじみてる感じが自分でもする(笑)。あと必要なのは〈深み〉だな。精進せねばなるまいて‥‥。
知的財産戦略本部 御中
以下の通り、意見を送信いたします。
【基本線】
『知的財産推進計画 2005』 において、「5つの配慮事項」として(1)ユーザーの視点を考えた政策(5)競争政策の重要性と表現の自由の重視──との項目が掲げられている。これを更に押し進める形でコンテンツ専門調査会デジタルコンテンツ・ワーキンググループが「ユーザー大国を目指す」「クリエーター大国を目指す」との方向性を打ち出したところである。これを私は歓迎したい。
かつての『知的財産推進計画』においては権利保護強化の方向性が強かったものだが、こうした全体的な方向性においても是非デジタルコンテンツWGの考えを反映させたものを打ち出していただきたい。
【エンドユーザーの支持がなければ
デジタルコンテンツ市場は拡大しない】
国が推進する知的財産戦略は、市場活性化・技術推進・文化発展を旨として行なわれるべきものである。権利強化に偏りがちな傾向が見られるが、この権利強化というのは手段であって目的でないことに留意すべきである。
市場の活性化を図るためには、エンドユーザーの支持を得られるような提供サービス規格・仕様を用意する必要がある。現状としては、エンドユーザーの利便性を無視し、コンテンツ業界の都合だけで規格・仕様を一方的に決定し押しつける例があまりにも多い。その結果、まったくエンドユーザーの支持が得られず市場形成を達成できないものも続出している。今後の展望が全く見えない分野すら存在する。ゆゆしきことだ。
たとえばCD。
いまCDが売れないのは、エンドユーザーの支持を得られるようレコード業界が努力しないからである。そればかりか、正当な対価を支払っているエンドユーザーを泥棒呼ばわりし、「コピーコントロールCD」などという規格外不良品(いまだに再生保証と両立した「コピーコントロールCD」は登場していない)をバラ撒き続ける等の行為を続けている。他にも還流防止措置創設の強行や、再販制に起因する価格高止まり、私的録音補償金の一方的要求などと併せ、エンドユーザーの要望を踏みにじる言動に終始しているのである。ここまでエンドユーザーの反感を買い続ければ、レコード市場の停滞ももはや業界の自業自得と言わざるを得ない。
なお、 2005年 はレコード生産額が回復傾向にあったとされている。しかしながら同年のレコード売上げは激減しており、楽観視できるような要素が全くない。音楽販売を促進すると期待されたネット配信も意外と伸び悩んでいる。もっともPC用音楽配信については配信事業に協力しようとしないレコード会社が続出したため、自業自得であるという見方もできるのだが。
デジタルコンテンツの市場を拡大していこうとしているなかで、レコード業界はその牽引力となる見込みは全く無く、おのれの行動からコンテンツ戦略の足を引っぱっているのが実情であろう。
※レコード販売に悪影響を及ぼす要因の方はひっきりなしに発生している。米 SONY BMG 社から発売された XCP 仕様の「コピーコントロールCD」がエンドユーザー所有のパソコンへ 「rootkit」 と呼ばれるハッキングツールを勝手に組み込み、米国で訴訟を提起されるという事件がある(この仕様の「コピーコントロールCD」は日本のレコード会社からは発売されておらず、輸入盤として販売された分のみが日本のエンドユーザーに直接関係すると思われる。なお同社の MediaMax 仕様の「コピーコントロールCD」についても、エンドユーザー所有のパソコンを無断改変するとの問題が指摘されている)。
XCP ・ MediaMax のいずれについても、 SONY BMG (やその商品を扱った日本法人・ソニーミュージックと BMG ビクター)の対応は遅く不十分と言わざるを得ない。日本では事の重大性が周知されていないのが現状であり、また同種のディスク(「セキュアCD」と称されている)を発売している東芝 EMI は涼しい顔をしているという有様である。
このような例は、「著作権保護」の名の下に レコード会社がエンドユーザーの財産を破損せしめる行為である。この傾向はソニー1社だけのものではなく、現在のコンテンツホルダー全体を象徴するものと言える。そして、音楽業界に少なからぬ額の対価を支払っている音楽ファンはその動向に注目しており、不適切な仕様で売られているディスクには不買の態度を貫いているのである。
インターネット音楽配信。
パソコン用のダウンロードサービスにおいて、国産サービスは海外サービスに完敗を喫している。エンドユーザーの利便性を考慮しなかったが故の、国内コンテンツホルダー(そして国内サービス事業者)の自業自得である。 iTunes Music Store (アップル社)が日本でサービスを始めるまで、(当該ダウンロード音源について)日本のエンドユーザーは CD-R への焼き付けや携帯プレーヤーの使用を制限され、価格も不当に吊り上げられた状態を強いられてきた。国産音楽配信サービスではコンテンツホルダーの意向が仕様・価格の両面で強く反映されていたためである。
また iTMS の日本上陸後も、ソニーミュージックに代表される一部コンテンツホルダーが ここにのみ曲提供を拒否するという不自然な状態が続いている(なお 2005年末 になって、それまで曲提供を保留していたビクターが iTMS での配信を始めた。ソニーも 2005年内 の配信予定を示唆していたものの、 2006年3月現在 配信は始まっていない)。ソニーについては自社が運営に関わっている配信サービス(主として Mora) に利する差別的許諾が顕著であり、エンドユーザーの不興を強く買っているところである(ソニーミュージックは海外では iTMS に曲提供をしている。日本人だけが iTMS でソニーの楽曲を購入できないという事態なのである)。
電子書籍。
これは机上の空論だけで推進されてきた印象である。
果たしてそこにエンドユーザーの求めるものが実現されていたのか。高価な専用機器をわざわざ購入しなければ利用できず、コンテンツの価格も上の書籍とさほどかわらず、ひどいものになると限られた期間や回数の範囲内でしか読めないよう設定されたコンテンツすら存在する。決定的な可読性と利便性を誇る紙の書籍ですら なかなか売れない時代に、コンテンツの使用が著しく制限された形で売られているものをエンドユーザーが支持するとは到底考えられない。このような仕様が横行するのはコンテンツホルダーの要求によるものであり、その身勝手かつ一方的な都合により電子書籍の未来が閉ざされているのである。
電子書籍が目指すべきは、パソコンでも携帯電話でも専用機器でも使える(利用機器を選ばない)、バックアップ・メディアシフト・プリントアウト等の私的複製を可能とする、特定のOS・特定のソフトに限定されない汎用性の高いデータ形式のものであろう。価格面でも、安価なものを目指すか サブスクリプションサービスか、そうした選択肢を確保することが必要である。再販制度的な価格横並びの状態だったり、あるコンテンツを配信する方式が僅かしか用意されていない場合のような、選択肢の少ない状態であればあるほど、エンドユーザーから忌避されやすいと知るべきであろう。結果、全く売れない危険性をコンテンツホルダー自ら高めているということである(この危険性は電子書籍だけでなくコンテンツ流通全般に言える)。全てのコンテンツが、適切な価格競争とサービス競争のなか、全流通方式で入手できるようになっていることが望ましい。
※エンドユーザーの利便性に配慮した電子書籍の仕様が全く存在しない訳ではない。ボイジャー社の試みは(現時点では有名と言い難いかも知れないが)期待できるものとして挙げられる。 T-Time や Azur といった読書ソフト(PC画面上に縦書き文章を表示する)を開発している会社なのだが、ここのコンテンツに対する考え方がユニークなのである。PC内に保存したコンテンツ(これ自体は一般的なファイル形式なのでOS等の環境を問わず、またバックアップ等も自由)を携帯電話・デジタルカメラ・ iPod 用の画像ファイルへとそれぞれ変換・転送する仕組みである。この考え方はアップル社による iTunes ・ iPod でのものよりも、 DRM の縛りを設けないだけ大胆なものと言える。本来のデジタルコンテンツ流通とは、ボイジャー社のような柔軟性を持ってこそ促進される(エンドユーザーに使われる)のである。
ゲーム。
これは、ゲーム機本体の定期的開発競争と、ソフト価格が一向に高価なままという点がネックとなる。特に本体は過去系列機との互換性をとらない場合が多く、エンドユーザーが所有ソフトを無駄にしないよう新型機購入を見合わせるという一面がある。こうした阻害要因を解消し本体乗り換えを促進しようと考えるなら、新しいゲーム機の発売の際には旧型機との互換性を保つことを業界に促すという手法もあるのではないか。これはソフトメーカーにとっても旧型機向けのソフト制作を続けられるというメリットもあり、開発費を無駄に高騰させたり 新ハード用に引きずられた無用の“技術革新”に追われることもなく、ゲームそのもののアイディアに人的資源を充てられるようになる。
※余談だが、中古ゲームソフトの売買が犯罪であるかのようなゲーム業界の主張が、エンドユーザーのゲーム離れを引き起こした一面もある。中古売買が適法であるとの司法判断は既に示されているところだが、それにもかかわらず この種の発言を続ける者は後を絶たない。そうした人物(あるいは業界団体)に対して釘を刺す必要があるのではないか。中古売買はコンテンツ流通の一端を担っているのであり、むしろこの存在を前提として、価格競争の促進等 コンテンツ戦略に組み込むべきである(確かに中古売買からコンテンツホルダーへの利益還元は望むべくもない。しかし中古売買はコンテンツの適正価格を知るてがかりともなり、これとの競争のなかで新品で売れる機会を得るきっかけに転じることができる)。
中古ゲーム訴訟では、劇場映画に付与された「頒布権」がゲーム(映画の著作物のひとつ)にも同様に認められるのかが争点となっていたが、かように「映画の著作物」と考えられる著作物の範囲は広くなってしまっており、現行著作権法の成立当時に想定されたものとは異なる運用を強いられている。そこで、この「頒布権」を劇場用映画の上映用フィルム(あるいは専用データ)に限定することを方に明記すべきであろう(なお同じ映画作品であっても、頒布権は劇場用フィルム・データの時のみに及ぶとし、ビデオや DVD には消尽する譲渡権のみが及ぶとする)。ゲームには「頒布権」が及ばないと明確に規定できれば、貸与権を付与する(ただし禁止権を制限する必要がある)ことでゲームレンタルも可能となる。
「映画の著作物」を劇場用映画に限定すべきとの考え方については、「知財系 BLOG 運営者会議」による「著作権法改正要望」(8)を参照いただきたい。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/013/04093001/002.htm
デジタル地上波放送の先行きも決して明るくない。
2011年に 地上アナログ停波が予定されているが、これの実現は非常に難しいと言える。なぜなら地上デジタル放送を受信するためにはエンドユーザーが新たな機器を購入しなければならないからである。もともとアナログからデジタルへの買い換えメリットが全くみえない(画質・音質の「向上」や文字情報の付加なぞはテレビに期待される特性では断じてない)上に、今のテレビ放送の内容に対して不満ある層ならば この機会にテレビを見ないこととする選択肢が存在する(もちろん NHK を視聴しないということも それに含まれる)。さらには「コピーワンス」などという、エンドユーザーの利便性を著しく損なう仕様が採用されているともなれば、逆に買い換えを抑制する要因となる。現行のデジタル放送の仕様は、その移行が楽観視できるようなものでは全くない。
国の政策として地上デジタル放送移行を実現する気であるなら、「コピーワンス」の撤廃と受信可能化の方策(デジタルチューナーの無料配布や、IPマルチキャストによる地上デジタル放送同時再送信の実現など)を実施しなければなるまい。
DVD は、デジタルコンテンツメディアのなかでは数少ない成功例だろう。
価格競争が激しいという実態が良い方へ作用しているように思う(廉価版として多く流通しているのは海外作品であって、音楽等 他のメディアと一概に比較することは難しい。しかし最近では国内作品の DVD も廉価化が徐々に始まっているところであり、価格競争の効果を無視することはできない)。また著作権切れした海外作品の廉価 DVD も多く市場に現われており、こうした価格の多様性がコンテンツ流通の促進に大きく貢献していることに注目すべきである。
エンドユーザーもこうした状況を歓迎しており、 DVD は今や映像流通の主流として定着している。録画目的使用が主だったビデオテープ、とうとう爆発的普及には至らなかったLDなどと比較しても、ここまで広い購買に結びついた映像メディアは他に無い(その勢いはCDがレコードに取って代わった例を彷彿させる)。
【クリエイターが創作に専念できる環境が整わなければ、
コンテンツ創造は続かない】
現行のコンテンツ制作システム(および著作権制度)では、著作権・著作隣接権を握るコンテンツホルダーだけが莫大な利益を得るように設定されている。クリエイター自身には殆ど還元されない。現場のクリエイターの立場で考えるなら、日本のコンテンツ産業では劣悪な労働環境(賃金体系が他業種より圧倒的に悪いことなど)での活動を余儀なくされているのである。その結果、他業種への人材流出を招き、同時に人材確保を海外に依存するようになってしまっている。アニメーション業界において特に顕著であり、実のところ日本国内での実制作者の空洞化が進んでいる現状なのである。
さらには、次世代のクリエイターを育てるという観点がどの業界にも無いため、コンテンツ流通を促進し 次世代の創作の土壌を作るという試みも殆ど見られない。次世代のクリエイターは今のエンドユーザーから生まれてくるのであり、また これから為される創作は過去の創作物(もちろん他人によるものが殆ど)の上に成り立つものである。クリエイター育成では、特に若年層が多くのコンテンツに触れることが必須だというのが通説である。コンテンツ流通が身勝手な「権利行使」で阻害され続け、運良く流通しているものでも高価であり続ける──などという現状は、次世代のクリエイターに対して罪を犯しているのに等しい。未来を潰す行為である。
※なお ここでは「クリエイター」を、エンドユーザーにとってはコンテンツ選択の大きな要素であるにもかかわらず、その流通について全く決定権を得られない音楽家・俳優・映画監督・アニメーター等のコンテンツ実作者を指している。
※音楽や演劇などの実演分野においてコンテンツホルダーが過剰に力を持つのは、実演家がパッケージ制作でしか収入を得られない業界構造が一因でもある。ライヴ活動などでも充分な収入が得られるように、公共施設での施設使用料軽減など配慮が欲しい。詳細は小倉秀夫弁護士による以下の文章を参照していただきたい。
http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2004/06/post.html
【コンテンツの流通が阻害されるようでは
ビジネスの拡大は見込めない】
現在の日本のコンテンツ業界において、有力コンテンツホルダーの多くが「権利行使」と称して配信事業等の新しい流通を妨害している。これは所有コンテンツの有効利用を怠る態度と言わざるを得ない。そればかりか、当初から利用態様として想定されていた手段(パッケージ販売・放送・出版など)においてすら流通させ続けられずに、廃盤・絶版などの措置によって死蔵コンテンツを増やし続けている。
コンテンツ市場でビジネスを拡大するということは、デジタルコンテンツの流通を拡大することと同義である。これを国が進めていくのであれば、前述の問題点を解消すべく、第三者の発意でもコンテンツ流通を行なえるよう道を開くべきである。具体的には、コンテンツホルダー(言うまでもなく この者がコンテンツ死蔵を決定した)の同意なくして流通を可能とする強制許諾制度などを検討されたい(なおコンテンツホルダーと流通事業者との当事者同士の話し合いに委ねるだけでは不十分である──たとえば音楽配信では、そのビジネスモデルが一般化してから既に2年以上経過しており、それでいて日本は欧米のサービスから立ち後れているという現実がある。音楽配信事業自体の立ち上げは日本の方が何年も先行していたにもかかわらずである)。究極的には、今までに発表されたコンテンツは全て流通状態を保つことを目標にすべきである。
元来、著作権・著作隣接権は制作・流通へのインセンティブを生じさせることを目的に付与されているのである。従って この権利を口実に流通阻害することは制度の趣旨に反する行為と言える。国がコンテンツ市場振興を掲げる以上、流通量の増加を戦略的に行なう必要があり、そのためには権利制限も断行していかねばならない。
第三者が業としてコンテンツ流通に関われる環境が整えば、それは正規の流通であるから正当な対価が発生することとなる。加えてエンドユーザーが流通に関わる場合も今後は考えられ(例:音楽配信・ファイル交換など)、これもまた対価が発生し得る(クリエイター側が無償化を決める場合も考えられるが、この場合は対価以外のインセンティブがクリエイターに生じていると考えるべきであろう。よって想定から排除すべきでない)。流通を活発化させれば市場の拡大も自明である。
活発な流通があって、各流通事業者がサービス競争(価格競争も含む)を行ない、エンドユーザーの支持を競い合う。こうした流れが出来るよう国が支援することを私は望んでいる。
(以上)
知的財産戦略本部 御中
以下の通り、意見を送信いたします。
【音楽配信について】
●配信楽曲のラインナップ: iTMS ・ Mora 等での曲揃えの問題
iTunes Music Store へのソニーミュージックの対応のように、音楽配信競争上の身勝手な考えにより音源提供を拒む例が続出するなか、正当な価格競争・サービス競争へと導くために対策を打たねばならない。差別的許諾の禁止や、場合によっては強制許諾制度の導入などを検討すべきである(たとえば欧米の音楽配信サービスへ提供された音源ならば、同音源の配信を同様の使用で行なうことについて日本でも許諾されたものとみなしても問題は少ないと考えられる。例: iTMS の日本版と欧米版)。
廃盤等の事情があって現在流通していないコンテンツを、配信などの低コスト手段で流通に載せていくことも特に望まれるところだ。強制許諾を認める場合、この「廃盤」等「現在流通していない」ことを要件にするという考え方も可能である。こうすれば、コンテンツホルダーに所有コンテンツの流通を義務化する効果も得られる──強制許諾下で第三者が配信することを好まないコンテンツホルダーなら、自身で流通させることを促進することにもなろう(ただし通常考えにくいような形での流通──不当に高い価格づけや一定の注文数を集めてからの製造、直販のみの扱いで送付までに異常に長い期間を要するものなど──によって“アリバイ”づくりできないよう配慮する必要もある。あくまでも主眼はスムーズな流通にある)。
※もっとも、強制許諾制度を導入するのであれば全コンテンツが対象となることが望ましい。上記の「要件」の話は一例である。
●配信で使われる規格 (DRM) :オープン化か積極的なライセンス供与を
デジタルコンテンツを流通させる際には、著作権等を保護するため DRM (デジタル著作権管理)と呼ばれる技術が使用されるところである。しかし現状として、この規格が乱立している上に互換性が無いため、サービス間の“乗り換え”が妨害され ユーザーの囲い込みに繋がるという性質が強く出ている。たとえば音楽配信を例にとると、 WMA 規格が Windows での使用に限られたり (Macintosh や Linux では使用できない)、 FairPlay 規格が iTunes および iPod での使用に限られる(他社の携帯音楽プレーヤーでは使用できない)など、ユーザーの使用機器環境によって選択肢が著しく狭められている。これを放置したまま、規格間でのユーザー獲得競争が促進されるようには全く考えられない。
規格間競争を促す際にぜひ強く意識していただきたいのは、 Windows 等のOSに依存することなく(すなわち Macintosh や Linux でも使える)、オープン化されているかライセンス供与を積極的に行なうものを より多く生み出すことである。こうすることで、各 DRM の互換性を保証したり、各OSでの選択肢を確保したりできる。例えば国が行なう事業(国会中継のネット配信や政府発信情報の配信など。例:政府インターネットTV。これが Windows + Internet Explorer の組合わせでしか利用できないことには批判が多く挙がっているところである。国の情報発信には税金が使われている以上、すべての国民が享受できなければならない。一私企業によるOS・ソフトウェアのみに依存するようなシステム構築が適切であろう筈もない。猛省されたし)。
また規格競争を、配信するコンテンツの品揃えで行なうことは避けるよう求める。規格間競争は(前述の利用機器環境に依存するものでないのは勿論)このような配信コンテンツの“囲い込み”によって行なうべきではない。あくまでも規格やサービスそのものの優劣で決すべきなのである。よってコンテンツのラインナップについては、なるべく同じ条件下に揃えられるよう法整備するのが望ましい(ある配信サービスに許諾されたコンテンツは、同様の仕様を持つ他のサービスでも許諾されたとみなされるようにするなど)。
私的財産戦略本部コンテンツ専門調査会デジタルコンテンツ・ワーキンググループでは「各企業の規格の囲い込みを防ぎ、国内標準を一本化することで、国際標準の提案につなげる」との方針を打ち出している。このうちの「囲い込みを防ぎ」との部分については前述の通り共感するものである。
しかし、「国内標準を一本化する」との部分には強い違和感を覚えるところだ。国が考えるべきは、数ある規格の中から「国内標準」を選ぶことではなく、より多くの規格の間で競争を促進し 国際的競争力を持った規格を《複数》生み出すことである。技術というものは進化が速く、ある時点で有力とされた規格が その後わずかな期間で無力化することも考えられるのである。後々の発展を本気で考えるなら「一本化」という危険は冒すべきではない。
むしろ多規格間をつなぐ互換性の確保、そのオープン化に力を注ぐべきである。
●価格:再販制の影響による価格高止まりを解消されたい
音楽や出版においては、再販制という過保護から業界が脱却することを必要としている。特に音楽業界は、再販制が存在するためにエンドユーザーへ思いを至らせることを怠っている。おのれが決めた価格で売るという以外 考えられなくなっているのである。その結果 CDが売れなくなるのは必然と言えるのだが、真っ先に疑われるべき価格については全く見直さず、CD価格が世界一高い状態のまま今も推移している(たとえば映画 DVD よりもサウンドトラックCDの方が高価だという例えがよく為されるところである)。市場原理が全く働いていない。
今のところ音楽配信は再販制の対象でないとされている。しかし実際の配信価格はCD再販価格を基準に設定されているため、価格競争を阻害する再販制の負の影響から逃れられていない。現に iTunes Music Store が日本でサービスを始めるまでは、国内配信サービスの価格が全く下がらなかった。
一般に、新しいコンテンツは比較的高く売れる(もっとも この時点での価格が高すぎては初めから売れないのだが)。しかし、発売からある程度 経った後では同じ価格で売れるとは期待できない。そこから更に売っていきたいのなら価格を下げるなどの手法が有効と考えられるところだが、今の音楽業界では「売れなかったから」との理由で廃盤としてしまうことが多い(さもなければデッドストックのまま放置するか)。コンテンツ市場の今後の発展を考えれば、これまでの再販制の失敗を維持するのではなく 市場としてあるべき姿に再生することが必要である。
コンテンツ発売からの時間経過に応じた価格戦略を考えさせず、そもそもコンテンツの適正価格を掴む手がかりすら失わせる再販制度の維持は有害以外の何物でもない。再販制を撤廃し、正常な競争のもとにコンテンツホルダーを晒すことで競争力を増強する必要があろう。現状のままでは市場が痩せ衰えるのみであり、このような脆弱な競争力でもって海外に「進出」していくことなど夢のまた夢であろう(現に、再販制と重なる保護の還流防止措置の前提とされたアジア「進出」においてすら、 2005年では前年割れしているとの公算が大きい)。
ちなみに、CDの内外価格差を調査する際には、安易に新品CDの平均価格で比較すべきではない。海外原盤の作品と国内原盤の作品、あるいは旧譜と新譜の別を意識しなければならない。すなわちこれらの分類ごとに比較する必要があり、特に国内原盤の新譜CDの価格に注目すべきである(これは価格上昇傾向にある)。
●サブスクリプションサービスの実現を
価格の問題とも繋がるが、ある程度 市場が大きくなれば、エンドユーザー個人にとってコンテンツ個別課金よりも一定期間定額制の方が便利になってくる(インターネットが本格的に普及し始めたのは、料金定額制が一般化してからだった)。定額料金で一定期間にコンテンツ利用し放題とするサブスクリプションサービスを実現するためには、権利者からの包括的な許諾が必要となる。これを可能にする法整備等、国の後押しが望まれるところである。
なお現在、包括許諾を実現している著作権等管理団体で代表的なのは JASRAC である。 JASRAC が管理しているのは音楽著作物の著作権だが、他の分野(実演家やレコード製作者など)でも同様の包括許諾が可能とならなければ、音楽配信でのサブスクリプションサービスは実現できない。その反面、 JASRAC による包括許諾には分配方法の不透明さなど問題も存在し、これを解決しなければ同様の問題を他管理団体にも甘受させてしまうことになる。利用者から支払われる金額は包括的な料金であっても、利用コンテンツのデータを提出させることで(コンピュータを介する音楽配信ではそれが可能である)正確な計算による分配を行なわせなければならないだろう。
●デジタルコンテンツに再生保証の義務づけを
「コピーコントロールCD」のような、「著作権保護」を標榜するあまりに規格を逸脱した音楽ディスクが販売されている(正確には「コピーコントロールCD」と異質のものだが、 「Dual Disc」 のように形状の特殊性からCD規格を逸脱しているものもある)。CD規格に従っていれば自ずと再生が保証されるのであるが、上記のディスクは規格外であるために保証できないとされている。
コンテンツ商品の販売目的(エンドユーザーから見えれば購買目的)を考えれば、再生保証ができないことと瑕疵ある商品とは同義である。音楽コンテンツ市場を健全な発展へと導くには、こうした規格外不良品を市場から排除しなければならない。エンドユーザーへの被害を拡大させないためにも対処されたい。
そもそも上記の似非CDは「著作権保護」に全く役立たない(「違法コピー」を防止するには足りない稚拙な技術である)ばかりか、エンドユーザーの不買運動を招いたという点で、デジタルコンテンツの流通を阻害する要因でしかない。さらに言えば「コピーコントロールCD」でなくとも著作権保護は可能であり、現にスーパーオーディオCD・ DVD オーディオのように規格内で著作権保護技術が組み込まれているものもある。これならば再生保証との両立もできる。
あえて問題ない方法を採らず、わざわざ再生に支障あるCD規格外の不良品をバラ撒き続けるレコード業界の無責任は、 SONY BMG による 「XCP」 仕様のディスクが 「rootkit」 と呼ばれるハッキングツールをユーザーのパソコンに仕込み、その機能を改変・損壊させるという暴挙を世界規模で行なうところまで至ってしまった(主に海外で販売されたディスクであるが、日本での被害も多いとされる)。また、同社の MediaMax 仕様ディスクについても同様の問題が報告されている。
かような不良品を頒布しておきながら居直る姿勢は企業として相応しいものではない。 SONY BMG を系列会社とする日本のソニーミュージックにも説明責任がある筈だが、かなり後手後手の対応をしていたに過ぎなかった。また、東芝 EMI は現在も「セキュアCD」なる規格外不良品を頒布し続けているところであるが、我関せずと涼しい顔のようである。しかし同ディスクにも同様の問題がある(ソフトウェアを勝手に組み込むとの報告がある)だけに、非難を免れるものではない。レコード業界のモラルハザードはここまで来ている。
「著作権保護」の名のもとに、エンドユーザーの財産を侵す行為は犯罪以外の何物でもない。このような犯罪行為を厭わないレコード業界の風潮に釘を刺すことも国には求められるのではないか。
●コンテンツホルダーのみが流通の決定権を握る構造に問題
現状、レコード製作者のような著作隣接権者の立場が過度に強すぎる。資金面や著作権制度面での優位がその一因であろうが、その保護に一定の合理性が認められるとしても、実際のクリエイターたるアーティスト(音楽の実演家)らが作品流通に全く関与できないことには問題がある。特にレコードの世界ではアーティストの意向に反して流通メディアが限定・強制されたり(例: 「CCCD」 のみの発売、 iTMS での未配信など)、廃盤などで流通すら望めなくなる場合が多く発生している。
かと言ってアーティストへの保護を強めること(たとえば新たな権利を付与するなど)は、コンテンツ流通の阻害要因を増やすばかりで好ましいものではない。そこで、アーティストとレコード製作者との間で意向の衝突があった場合、コンテンツ流通の意思を尊重できる方策を国が提供すべきであると考える(強制許諾制度の導入を検討されたい。なお権利管理団体による集中管理で同様の効果が得られるところであるが、現在もなお そうした仕組みが用意される様子もなく流通阻害が続いている以上、今後 一向に改善の見込みが無い場合は踏み込んだ策に出る必要があろう)。
●正当な対価を支払ってコンテンツを入手したエンドユーザーに自由使用の権利を
コンテンツを入手するエンドユーザーは、そのコンテンツがどのような形態で販売されていたとしても、自由な態様で何度も繰り返して楽しむことを前提として対価を支払っている。特に、私的領域における複製はそうした目的で行なわれている場合が多い(複製物を生じさせること自体が目的なのではない)。
タイムシフト・メディアシフト・プレイスシフト・バックアップ等は公正な私的複製の代表例としてよく挙げられるところであるが、コンテンツホルダーからは不当に敵視される使用態様でもある。しかし経済活動の最小単位である ひとつの家庭内において、同一コンテンツを複数購入するということは一般に予想されない(私的複製によって生じた2つめ以降の同一著作物に権利者利益を推定することはできず、著作権法の保護をこの「権利者利益」に与えることは不適当である)。よって、私的複製のたびに権利者への利益還元が必要であるとの考え方は不合理である。ことあるごとに対価を要求されるともなれば、エンドユーザーの側にコンテンツ購入を抑制するインセンティブが生じる(支払総額を考えれば、コンテンツを購入することよりもレンタル+私的複製の方が合理的選択となる)。その結果、当該コンテンツからエンドユーザーは離れていくこととなろう。それがコンテンツ戦略の望む結末なのか否か。
正当な対価を支払って入手したコンテンツの私的複製については、ユーザーに私的複製の“権利”を明確に規定するか、当該コンテンツには「私的複製の範囲内なら無償・自由とする」との許諾があったとみなすべきである(また、私的録音録画補償金を縮小もしくは廃止すべきである)。
●無償コンテンツが提供できるように
クリエイターらがプロモーション等の目的でコンテンツ無償提供(配信など)できるよう、著作権等の管理団体の規定を改善させることはできないだろうか。著作権者自身が無償提供を認めれば、それに応じて著作物使用料を免除するなどの方策が採られるようにすべきである。「規定に定められていない」とする権利管理団体の怠慢により、クリエイターの意思に反してコンテンツ流通が阻害されることは許されない。
至急、各著作権等管理団体の規定を調査し、こうした措置がとれない規定については改善するよう促すべきである。
●インターネットでのコンテンツ配信を促進すべき
各権利者が積極的に許諾を行ない、コンテンツ配信が促進される──というのが理想である。しかし現実には、権利者がさまざまな理由をこじつけてコンテンツ配信を阻害する例があまりにも多く発生してる。このままでは、コンテンツ提供が進まず配信事業の試みが潰されてしまうおそれがある。コンテンツ配信について強制許諾制度を導入する必要が出てきているように思う(国がデジタルコンテンツ利用の促進を喫緊の課題と考えているのなら、対処必須の課題である)。
特にコンテンツの「伝達」へのインセンティブ付与を目的としている著作隣接権(実演家・レコード製作者など)については、コンテンツ流通の阻害要因になっているのなら権利制限も辞さないで対処すべきである。
●エンドユーザーも著作物利用許諾が受けられるように整備すべき
デジタル技術とインターネット利用の普及は、コンテンツ流通に大きな影響を与えている。その中でも、従前はプロだけが携わってきたコンテンツ配信等にもエンドユーザーが関与し得るという状況にまで変化してきている。例えば、個人のウェブサイトで歌詞を掲載する、個人のウェブサイトにおいて楽曲を配信する、ポッドキャスティングの制作・配信時に BGM として楽曲を使う──などである。
今のところ、個人がレコードの音源等をインターネットで配信することは出来ない。技術的には可能であっても、それを許諾するシステムが用意されていないためである。レコードの音源を配信しようと思えば、音楽著作権を管理する JASRAC だけでなく、著作隣接権者たる実演家・レコード製作者にも許諾を得る必要がある。しかしこれらの著作隣接権者は個人からの利用許諾を受け付けていないという現状にある。
また、海外の楽曲の歌詞については、 JASRAC が許諾を出すことを怠っているという事実もある。こういった場面について規定や実務を調査し、改善していく必要があろう。
エンドユーザーが流通に関与し得る状況のなかで正式な許諾が出せない状態が続いていたとしたら、無許諾でコンテンツを流通させてしまうような口実を一部エンドユーザーに与えかねない(勿論この行為は法に触れる)。コンテンツ流通におけるモラルハザードを防ぐ意味でも、許諾を求める声があるうちに JASRAC 等の管理団体が対応できるよう業務を改善すべきである。国が規程の改定を促すよう望む。
(以上)
知的財産戦略本部 御中
以下の通り、意見を送信いたします。
【コンテンツのアーカイブ化を促進すべき】
基本線として、今までに流通したコンテンツすべてがアーカイブ化され、ネット配信を代表とする流通手段が確保されていることが望ましい。しかしながら著作権との兼ね合いもあり、あるコンテンツが保護期間内にあるかどうかで対処法を分ける必要があるかも知れない。以下、著作権保護期間内のコンテンツ・その中でも権利者から配信の同意が得られたコンテンツ・そして著作権切れしたコンテンツに分類して考える。
著作権保護期間内にあるコンテンツについては、強制許諾制度導入などにより流通阻害要因を排除すべきと考える(現状では、「権利行使」と称してコンテンツ流通を妨げる場面が多々見られる)。コンテンツの利用を促進し、それによる経済活動を活性化することが望まれる。
保護期間内であっても著作権者から配信の同意が得られたコンテンツ(書籍・雑誌に限らない)については、国立国会図書館のデジタルアーカイブに収蔵し 同館のウェブサイトで無償公開するのが望ましい。こうした取り組みが次世代での文化発展に資することは間違いない。
また国民共有の財産である NHK 制作番組については、英 BBC のようにインターネットで配信できるよう環境整備することが有益である(例えば これの一部を有料配信するようにすれば、受信料に代わる NHK の主要収入源となり得るのではないか。コンテンツを利用する者が対価を払うという意味で、テレビを所有するだけで請求されてしまうような現行受信料制度よりも公平な負担と言えるだろう)。
著作権切れしたコンテンツの積極利用も促進すべきである。国立国会図書館やフィルムセンターに所蔵する著作権切れ作品をインターネットで配信したり、パッケージ売りのための原版として提供するなどの試みが考えられる。例えば日本では著作権切れした海外映画を 500円 程度で(主として書店にて)販売している業者があるが、同様の商品を日本映画でも販売できるよう促してみては如何か。
残念ながら映画の著作物は保護期間が延長されてしまっている(公開後 50年を 70年に)のだが、それでも かろうじて著作権切れした作品には日本映画黄金期に突入していった時代の名作が多く存在している。そうした名画に触れる機会を若者に提供できることは、未来のクリエイターを生み出していることに資するのである。コンテンツ制作を志す若者にとって、この時代の日本映画から学ぶべきことは多い(なおクリエイターではない国民にとっても、文化所産への理解を深める機会を提供することは重要である。今でもフィルムセンターでは上映等が実施されているが、いかんせん関東在住者しかその恩恵に浴することができない。ネット配信が実現すればその意義はさらに強まることだろう)。
民間でも「青空文庫」らのように著作権切れコンテンツの再配信を行なっている団体があり、こうした試みに対し国が後押ししていくことも望まれる。まず著作権保護期間を延長しないとの断固たる態度をとることである。そして原著が著作権切れした作品の翻訳者や校訂者に対してアーカイブ化できるよう国が仲立ちすること、底本(複写)の提供などが具体的に考えられる。
翻訳・校訂の問題については、原著が著作権切れしていも これらが著作権切れしていなければアーカイブ化できない。しかしながら、原著者とは全く別個の人物による翻訳・翻案であって著作権が発生しているとなると、原著が著作権切れしているからといって翻訳・校訂にかかる著作権を制限することは些か不合理に過ぎる感もある。そこで国として何か解決策が無いものか検討していただければ ありがたい。
既存の翻訳とは別に、国の事業として無償公開用の新訳を作成するという方法もある(ただし流通にかかる一部著作権──著作者人格権も含む──を制限する必要も出てくる。あるいは契約でオーバーライドするか? 場合によっては著作権存続中でもパブリックドメインとして扱えるよう著作権法を改正する必要もあるかもしれない)。原著が著作権切れした作品を新訳で公開するという試みは、実は青空文庫でも既に実例がある。これを(国の事業として)翻訳家志望の若者にやらせてみれば人材育成の面でも資するであろうし、また 国民が広く(しかも無料で)利用できるコンテンツが増えることは好ましいのではないか。
※上記の話とは若干ずれるのだが、クリエイティブコモンズのように一部の権利(非営利目的使用に対する許諾権など)を放棄(宣言)したり、あるいは全ての権利を放棄してパブリックドメイン化(宣言)する著作者もわずかながら存在する。こうした事例については著作者人格権まで放棄し得るのか等 著作権上の問題が残されている(当事者が存命中は大丈夫だろうが、死後にトラブルとなる可能性はある)。そこで登録制度などを活用し、著作権保護期間を満了する前の著作物でもパブリックドメインとして扱えるような規定を著作権法に定めることはできないだろうか?
青空文庫のような、言語著作物のアーカイブプロジェクトは著作権切れ作品の豊穣さが他の著作物と比べても群を抜いている。さすがに著作物としての歴史の凄みとでも言うべきか。確かに音楽著作物も歴史は長いが、残念ながらその記録方法は楽譜という間接的なものでしかない。著作者が自らのコントロール下で制作されたものを極力そのままの内容で接することが可能なのが言語著作物の特徴である。
日本文学に限定しても既に多くの文化遺産が著作権切れしており、公有に帰しているのである。今後のコンテンツ制作者養成を考える上で、こうしたパブリックドメインを活かさない手は無いし、また著作権保護期間の延長などという目先の利益に惑わされるような愚行で文化遺産の継承を絶えさせてはならない。著作権保護期間が延長されれば、それだけ死蔵コンテンツ(あまりに高値で取引されるために一般には出回らないものも含む)が多く発生してしまい、本来ならより多くの作品が帰すべきパブリックドメインが痩せ細っていくのである(さらに言えば、複製物が社会に残らないことで、オリジナルが消失した際の再現が困難になるという一面もある)。
鑑賞に伴う対価は、その時代を生きているコンテンツ制作者が得るべきものである。過去の制作者に対しては、敬意をもって文化遺産を継承することはあっても、現代の制作者とのパイの食い合いをすることを許すべきではない(そうでなくても死後 50年 という手厚い保護を既に受けているのである)。文化はどこから来て どこへ行くのか、誰のものであって 誰かが所有すべきものなのか──という問題に留意されなければならない。
過去の文化を背負って創作されたものを、すべて自分のものだと「著作者」が独占することが許されるのか(たとえば こうして書いている私の意見にしても、決して私ひとりで考えついたものではない)。文化は「公有」があるべき姿である。著作権制度はその例外でしかなく、その例外の期間(保護期間)を安易に延長すべきではない。
【著作権処理の適正化と促進が望まれる】
正確な個別徴収と個別分配の実現を目指すべきである。コンピュータ導入などを行ない、包括許諾の際にも権利者の正確な取り分を算出するシステムを構築しなければならない(特に JASRAC の包括許諾の扱いに批判が集中している。改善が急務である)。
管理事業者間の競争を促すという著作権等管理事業法の理念を尊重し、権利者が委託管理事業者を変更することを阻害するような規程を是正すべきである(特に JASRAC の著作権信託契約約款第6条に そのような文面が見られる──他の事業者にも委託する場合には、 JASRAC とのやりとりをするための窓口を2つ以上用意することが強制される。そのために追加の出費をしなければならないのである)。
また、複数の著作権管理団体がある場合には管理権利情報を一括して検索できるシステムを構築すべきである。さらには、一括検索から一つの窓口を通して許諾を申込み、管理団体との交渉に入れるようなシステムも検討すべきである(現状では、各管理団体にコンタクトし管理著作物を調査、許諾を得たい著作物の権利管理団体を見つけてから交渉に入らねばならない)。こうした一括検索システムを構築するためには、各管理団体に管理著作物の情報公開を義務づけねば意味がなく、著作権等管理事業法の改正も必要となろう。このようなシステムは管理事業者らの自主性に任せるだけでなく、国が指導力を発揮し一気に実現すべきものと考える。
国の主導で一括検索・許諾の窓口を設置する際、団体に権利管理を委託していない権利者の情報(連絡先なども含む)も登録されることが望ましい。ここまで網羅した情報を集めるとなると、国が主導しないと実現不可能ではないだろうか。
※現在、放送番組の二次利用をめぐって経団連が権利管理情報を集約するサイトの構築を目指してはいる。しかしこれは全ての著作物の情報が集約されるという訳ではなく、たとえば複写権にかかる文献の著作権管理団体は含まれないだろう。経団連の試みだけで国は良しとするのでなく、すべての著作物分野に目を配って情報集約の必要な分野では国主導で進めていく必要がある。
なお、著作権等管理事業者であるにもかかわらず 団体側の不備から目的を果たせずにいる例として、書籍・雑誌の複写権にかかる各団体や 同貸与権にかかる貸与権管理センターが挙げられる。後者については特に、貸与権管理業務すら始まっていない現状であり、雑誌や書籍にも貸与権を及ぼすという 2005年 (施行)の著作権法改定時の前提条件すら実現していない有様である。利用者団体との「暫定措置」により かろうじて市場の混乱は避けられているが、このままでは書籍・雑誌の貸与権がまともに行使されないまま時間が費やされていくのは必至である。
著作権等管理事業者による課金システムの透明化も望まれるところだ。
現状では権利者団体の“言い値”をそのまま支払わされる形であり、妥当性の疑われる使用料規程による算出など、その透明性に疑義が多く示されるところである(特に JASRAC に顕著)。権利管理団体側と利用者側との話し合いが決着しない場合には裁定制度を利用させたり(現行では指定管理事業者と利用者代表の話し合いのみに裁定がなされるが、これを一般的な話し合いにまで広げるべき)、使用料規程に疑義のある個人利用者には権利管理団体との協議を設定するなど、使用料の設定が妥当なものに是正されるよう促す必要がある。
使用料の問題は商業利用する企業だけに関わるものではなく、最終的には支払い単価に反映されてエンドユーザーにも関わってくる。また今後はエンドユーザー個人も許諾を求めていくような場面が充分に予想されるところである。その意味では、全ての国民に使用料規程の根拠を知る権利があるとも言え、使用料に関する話し合いは公開の場で行なわれることが望ましい。
エンドユーザー個人が著作物利用の許諾を得る機会としては、ウェブサイトでの歌詞掲載・音楽配信・記事転載などが今のところ考えられる。インターネットでの著作物利用がエンドユーザー個人によって為される環境が整ったことで、こうした個人向け許諾システムの整備は急務である(著作物利用が P2P によるファイル交換に広がっていくことも含め、これはまさしく新たなコンテンツ市場の発生と呼べるだろう)。
現状、歌詞については外国曲の掲載を JASRAC は許諾していない。レコード音源の配信については、レコード会社・アーティストのいずれにも個人向けの許諾システムを用意する兆しが見えない。新聞・雑誌等の記事についても安価で簡便な許諾システムが用意されていない(新聞社・雑誌社や寄稿者から許諾を得るという、ごく一般的な許諾手続を経ることになる)。
【通信と放送との法的融合】
放送・有線放送に認められている著作権法上の優遇措置(権利制限)を通信にも適用すべきである。もっとも放送法や有線テレビジョン放送法・電気通信役務利用放送法のような法規制が放送においては一方で課せられてはいる。従って、放送・有線放送と同等の性質を持つ通信──IPマルチキャストによる同時再送信に限り「有線放送」とする考え方が合理的かも知れない。
しかし音楽配信に代表されるような、送信可能化権が及ぶ著作物流通についても「権利行使」による阻害が起こらないよう手当てする必要がある。たとえば音楽配信での著作物利用について裁定を受けられるようにするなど。出来れば、その裁定はエンドユーザー発の通信においても適用されることが望ましい(もちろん正当な対価を支払うのが大前提である)。
【DRM 規格間競争の促進】
デジタルコンテンツ販売・配信に使われる DRM 規格間での競争は、その仕様およびサービス内容によって行なわれるべきである。よくありがちなのが利用許諾を受けたコンテンツの品揃えで“競争”するという事態だが、これはコンテンツの囲い込みを招き歪んだ市場形成となりかねない。例えばコンテンツホルダーが自社系列の配信サービスのみに許諾を行なったり、ライバル配信会社へ許諾しなかったりする差別的かつ反競争的な商行為などが考えられる。こうした事態に陥らないよう、コンテンツ利用企業のための強制許諾制度を導入することが望ましい。
パソコン上で利用するコンテンツの場合、 Windows だけでなく MacOS や Linux でも使えるシステムを積極的に国が支援すべきである。使用しているOSによって受けられるサービスが著しく制限される事態は、競争政策上 適当ではない。特に国が行なう情報配信や国のコンテンツ制作を委託され もしくはソフトウェアを採用される事業者に対しては、OSに依存しない配信の仕様(採用 DRM も含む)を義務づけるべきである。行政サービスが特定のOSやソフトウェアに依存するようなことでは、国民からの税金を用いて行なう公共サービスとして趣旨に悖るものと言わざるを得ない。
知的財産戦略本部下のコンテンツ専門調査会では DRM を国として「標準化」「一本化」する方針を明らかにしているが、このうち「一本化」は行なうべきでない。あくまでも標準規格の選択は市場に委ねるべきである。技術革新が速いため、ある時点で選択した DRM が翌日には時代遅れになっていることも充分考えられるからだ(むしろ考えるべきは、各規格の互換性を得る上での「標準化」であろう)。
国内標準「一本化」に拘っていても良い結果は得られない。技術や規格の淘汰を市場競争に委ね、どの時点でも日本からデファクトスタンダードを生み出せる環境を整えるべきである。米国が握るデファクトスタンダードは必ずしも「一本化」の結果でなかったことを留意していただきたい。同時に複数の有力規格が登場し競争しているのである。真の競争力は多様性の中から生まれてくる。
残念ながら、現在の DRM 規格間競争は歪なものと言わざるを得ない。音楽配信において有力な立場にある WMA 規格(マイクロソフト社)・ FairPlay 規格(アップル社)を例に挙げれば、 WMA 規格は Mac ・ Linux で使用できず、 FairPlay 規格は iTunes ・ iPod でしか使用できない。よってこれらの規格間では競争が発生せず、ただ“ユーザー囲い込み”が続くだけで今ひとつ盛り上がりに欠けるのである(なお、コンテンツホルダーの差別的許諾もまた「盛り上がりに欠ける」理由のひとつである)。このような不毛な囲い込みを解消するためには、他社に DRM 規格をライセンス供与させることを義務化し 各OS向けのソフトウェアを市場に送り出せるよう道筋をつけるしかあるまい。同じ DRM を採用した複数の配信事業者間であっても、サービス内容の工夫で競争状態を保つことができる。
【私的領域での公正使用をユーザーの権利として確立する】
再生保証が伴わないコピーコントロール・ DRM を禁止すべきである。例えば「コピーコントロールCD」「レーベルゲートCD」「セキュアCD」 「Dual Disc」 などはCD規格から逸脱した技術を採用しているため、発売レコード会社がCD再生機すべてに対する再生保証を拒否している(また、再生機メーカーはCD規格外ディスクの再生を保証できない旨を明言している。再生できなかった場合の対処を拒否しているソフトメーカー側とあわせ、その瑕疵ある商品の責任をどこに求めるべきか明確でない)。
かような不利益を一方的にエンドユーザーに押しつけるという、問題ある事態は一刻も早く解消すべきである。再生保証と DRM を両立させた規格を採用したメディアは既に存在しており、こちらへ移行するのが筋であることを考えれば、再生保証のない規格外不良品を頒布し続けているレコード会社の罪は大きい。
更には XCP ・ MediaMax 等のような、ユーザーの許諾を得ずに所有パソコンを改変(ハッキング)するソフトウェアをレコード会社が混入させる行為も横行している。コンテンツホルダーによる このような犯罪行為は厳罰に処すべきである。
エンドユーザーが正当な対価を支払い入手したコンテンツについて、メディアシフト・プレイスシフト・タイムシフト(いずれも私的複製の範囲内であり、公正使用と言える)の行為が適法であることを明確化することが必要である。すなわち、こうした使用態様については私的録音録画補償金制度の課金対象外とすべきである。
著作権法の権利制限規定について、「私的複製の権利があるわけではない」「引用の権利があるわけではない」とは権利者がエンドユーザーに対して頻繁に嘯くところではあるのだが、実際は財産権の行使や言論・表現の自由といったエンドユーザー自身の権利と大きく関わってくる部分でもある。しかしながらエンドユーザーの権利を省みられることなく著作権者(および著作隣接権者)の「権利」だけが強化されるというのが昨今の著作権法改定の流れであった。デジタル技術の発展により そうしたエンドユーザーの権利が技術的・法的に制限されてくることに対して、著作権法にエンドユーザーの権利を明文規定する必要があると考える。
エンドユーザーの権利が制限されていくことは、コンテンツ市場に悪影響を及ぼす。市場でのコンテンツ利用の選択権がエンドユーザーの側にある以上、使い勝手の悪いコンテンツは「買わない」という選択肢をとることになるからである。著作権制度の本質がエンドユーザーからの対価の分配にあるのなら、エンドユーザーが「買う」という選択肢を採るよう誘導すべきであろう(勿論エンドユーザーの権利だけでなくコンテンツ制作者の権利も重要であるが、それらのバランスをとるのが著作権法の目的である以上、今さら指摘すべきことでもなかろう)。コンテンツホルダー側に傾きすぎた著作権制度を均衡点にまで戻すべきである。
【海外との異常価格差および市場分割を是正する】
DVD のリージョンコードや音楽配信の国別サービスのように、あるコンテンツの販売地域を国別に限定する市場分割は、日本国内のコンテンツ価格の高騰や 国際的なコンテンツ流通阻害を招く要因である。是正されたい。
日本のコンテンツ価格について、海外(特に欧米)との異常な価格差が付いているのは、再販制が今もなお続いていることが原因と考えられる(特にCDの価格差に顕著である)。再販制の過保護によって競争力の低下が著しいレコード業界を立て直すには、正常な競争状態に置くことが急務である。
※「競争力の低下」という意味では、アジアにおけるCD価格を極端にダンピングしなければいけないところも象徴的ではある。しかもこのダンピングされたCDを日本人が買うと「利益を不当に侵害」するのだという。海外進出のためのコンテンツ制作費はすべて日本のエンドユーザーが賄えという考えらしい。
DVD についてはリージョンコードを廃止するか、リージョンコードに反応しない機器の発売(あるいはリージョンコードに反応しないよう改造すること)を認めるなどの対応が考えられる。詳細は、小倉秀夫弁護士による以下の文章を参照していただきたい。
http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2005/11/_in_2005_848f.html
音楽配信についても、海外のサービスを使えるよう法整備するか(日本の法令がそれを認めれば海外サービス事業者も日本向けに配信を始めるのではないか)、海外で流通している楽曲は日本でも流通させられるよう強制許諾制度を設けることが望ましい。
(以上)
知的財産戦略本部 御中
以下の通り、意見を送信いたします。
【JASRAC らの著作権等管理事業者の適正化が急がれる】
CD等の市場が縮小傾向にある中で JASRAC の権利料徴収額が増えていく。この傾向が今後も続いていくのは間違いないだろう。コンテンツ流通が促進されればされるほど、発生する使用料も増えていくからだ。しかしながら、問題はそのコンテンツ流通の恩恵に著作者自身が与れるか否かということだ(与るべきは権利管理団体では決してない)。
『週刊ダイヤモンド』誌 2005年9月17日号 で指摘された高額幹部報酬・天下りの問題を放置していては、 JASRAC に著作権を信託した著作者らへの権利料分配が目減りしたままということになる。 JASRAC は『週刊ダイヤモンド』誌に対し訴訟を提起したとのことだが、本来は著作者に分配されるべき使用料をこのような不条理な訴訟に費やすべきではなく、同誌の指摘を JASRAC 自身の適正化の参考とすべきであろう(なお、報道のために「信頼が損なわれた」との JASRAC の主張は失当である。あの記事に書かれていたことは周知の事実であり、むしろ JASRAC は己の行ないによって信頼を失墜させているのだから。あの記事が書かれた当時から今まで、 JASRAC は何か改善策でも出したのだろうか?)。
JASRAC の管理手数料を下げることが出来れば、そのぶん権利者の分配に充てられる。こうしたことも真剣に検討すべきである(ただし、より正確な徴収・配分を実現するためには予算も必要であろう。その辺りは透明性を確保した検討の末に決定すべきだろう──そもそも今の手数料内で正確な分配が行なわれているのか否か?)。現状を考えれば、天下りによる高額報酬問題は解消し 管理手数料の軽減に反映させることが必須であろう。
著作権管理は、デジタル技術によって利用実態を正確に把握し、正確に権利料を分配するのが あるべき姿である。しかし現在の JASRAC はこれすら覚束ない。特に包括許諾時の使用料分配の透明性を確保する措置をとっておらず、 JASRAC 会員からの批判も噴出しているところである。 JASRAC が公の信頼を獲得するためには、分配方法をある程度(分配に使っている利用実態データなどを)公開すべきである。
コンテンツホルダーが死蔵している著作物について、制作・実演したアーティストの意向があれば流通に載せられるよう法整備すべきである(現状では、アーティストの意向にかかわりなく「廃盤」とされれば全く流通しなくなる。これの決定権を握るのは著作隣接権者たるレコード製作者である)。強制許諾制度の導入を検討するとともに、それが成立する前でも死蔵コンテンツの流通化が可能となるようなシステムづくり (JASRAC ら管理事業者の規程の改善など、特に原盤権者から容易に許諾が得られるようなシステム)を進めることを求める。
方向性としては、レコード製作者や著作権者の独断によって流通がストップする事態はなるべく起こさないような法整備が進んでほしい。一度 適法に発表された作品については、流通させ続けるか否かの判断はアーティスト(実演家)自身の意思を尊重すべきである。また米国のような、演奏・録音に関する強制許諾制度もぜひ欲しい(これは上記の流通にかかわる強制許諾とは別に)。既存曲であっても、新たな視点で演奏されることにより その曲の新たな魅力が提示されることも多々あるからである。現状 著作者による同一性保持権が強く働くため、必ずしも自由な創作が保証されているとは思われない。ここで強制許諾制度が実現すれば、多種多様のコンテンツが作られることにもなり豊穣な音楽市場の成立が期待される。
(以上)
知的財産戦略本部 御中
以下の通り、意見を送信いたします。
【規格間の競争を適正化する】
知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会デジタルコンテンツ・ワーキンググループから提唱された中で、「各企業の規格の囲い込みを防ぎ、国内標準を一本化する」との部分に疑問がある。国が「一本化」を図るべきではなく、複数の規格を並存させながら それらの間に適正な競争を生じさせることを考えねばならない。国に求められるのはジャッジではないのだ。それは市場に委ねていればいい。
国が見据えるべきはその先である。逆に言えば、どの国内規格が事実上の標準となっても柔軟に対応できるよう戦略を立てるのが肝要である(例えば規格ひとつ変更されただけで全てが崩壊してしまう、アナログハイビジョン放送・地上デジタル放送などのような脆弱な戦略を繰り返すべきではないのである)。
デジタルコンテンツを流通させる際に使われる DRM 規格は、特定のOSや機器に依存するような仕様を採らせないよう国が監視すべきである。たとえば音楽分野を大勢を占める WMA (マイクロソフト社)や FairPlay (アップル社)は、前者は Windows 上での使用に限定され、後者は iTunes + iPod での使用に限定された規格である。こういった規格の間では競争が生じないのに等しく、それぞれのユーザーを囲い込んでいるだけの状態である。双方のユーザーにとっては選択肢が全く無い。国が手を入れて、市場活性化を図るべきポイントはここである(複数プラットフォーム対応やライセンス供与の促進が望まれる)。
国内規格の「一本化」よりも先に手を付けるべき問題ではないだろうか(特にマイクロソフト社の規格については国の機関も採用しているところが多く、問題は大きい)。
仮に国が後押しすることで新たな規格を立てるとすれば(一本化には反対だが)、前述のように、プラットフォームの限定をせず Windows でも MacOS でも Linux でも使えるようなものを策定すべきである。同時に、規格のライセンス供与を積極的に行なうよう促すのが望ましい(一社が全てのプラットフォームを扱うのは困難であること、第三者が対応ソフトウェアを作成できる道を確保しておくことが必要である。例: FairPlay 対応のソフトウェアを Linux で作成するなど。今のところアップル社は Linux 用の FairPlay 対応ソフトは開発していない)。
また国から発信される情報について、前述のような配慮がほいい。現状では Windows + Internet Explorer という環境に限定したものが多く、他の環境下でパソコンを使用している国民から不興を買っているところである(OSでは MacOS や Linux の利用者、ウェブブラウザでは Firefox や Safari の利用者が少なくない)。なお Windows と Internet Explorer の組合わせを強要することは、インターネット利用環境でも最も脆弱な組合わせと評されているだけに、セキュリティ保全の面から言っても好ましい状態ではない。
規格を複数プラットフォームに対応させるためのインセンティブとして、コンテンツ配信の強制許諾制度を設け、これを利用するための要件として複数プラットフォーム対応の義務を課すという方法も考えられる(また、ライセンス供与等で複数プラットフォーム対応を実現させることも考慮に入れるのが望ましい)。
(以上)
投稿:by 暇人#9 02:14 午前 [著作権行政 watch] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック
2006.03.16
知的財産推進計画 2006 パブコメへの提出意見をでっちあげる方法
採り上げるのがかなり遅くなってしまった。しかも『試される。』じゃ2ヶ月以上も間をあけての更新じゃないか。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/pc/060308comment.html
「『知的財産推進計画2006』の策定に向けた意見募集」
(首相官邸:知的財産戦略本部)
締切りは 3月29日 午後5時。
お題は、「知的財産推進計画 2006 に盛り込むべき政策事項」だそうな。参照されたいサイトとして次の2つが示されている。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/050610.html
「知的財産推進計画2005」
(首相官邸:知的財産戦略本部)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/060224housin.html
「知的財産基本法の施行の状況及び今後の方針について」
(首相官邸:知的財産戦略本部)
まぁ、上のサイトを参照しながら いちから意見を組立てていくのが本道とは言えるだろう。しかし時間がない(私がモタモタしてるうちに1週間も費やしてしまった!)。
そこで私が提案したいのは、既に指摘されている問題点について自分の意見を付加していくという方法だ。幸い、「知的財産推進計画 2006」 と深く関わる意見募集が先日 行なわれたばかりである。今年の1月6日までやっていた「知的財産基本法の施行状況に対する意見募集」だ。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/dai13/13siryou2_2.pdf
「知的財産基本法の施行状況に対する意見募集の結果について」
(首相官邸:知的財産戦略本部・ PDF)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/contents/dai7/7siryou4_betu.pdf
「知的財産基本法の施行の状況に対する意見募集の結果について
(コンテンツ分