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2006.09.28
「知的財産戦略本部 コンテンツ専門調査会:企画ワーキンググループにおける意見募集」に対する意見
(暫定的掲載。数日したらエントリーしなおしたい。)
(余談だけど、小倉弁護士グッジョブだなぁ。)
【資料4】『コンテンツをめぐる課題』より
「コンテンツは文化の重要な柱」「ソフトパワーとして外交的にも重要」とある。
それと同時に「本格的なデジタルコンテンツ時代が到来し、ネット上で誰でも気軽に参加してコンテンツが創作され、循環する時代へ」といったことも書かれている(角川歴彦氏の文書・資料6-2にも「ブログに書込んだ人全てに著作権があり、全ての人が著作権を主張できる時代がきます」と同趣旨の部分がある)。
これは重要な指摘である。コンテンツを重視する旨だけであれば、コンテンツ産業を過保護なまでに推進していくという誤った考え方に結びつきかねないが、実のところそれでは文化としてのコンテンツは発展していかない。いかに利用と再生産に気を配るかという視点を重視しなければならないのである(この点、角川氏の文書・前掲では「著作権法は、今日では産業振興を実現する『産業著作権』の立場から見直されるべきです」とある。これでは先に引用した部分と矛盾しよう。実際はむしろ逆であり、個人の権利という側面がクローズアップされることとなる。とりわけ利用者側の権利が意識されなければ、事務局のまとめにある「コンテンツが創作され、循環する時代」は実現しなくなる。著作権が産業を保護するあまりに利用が阻害されるようになるからである)。
旧来のような、一部コンテンツホルダーが既得権益を増大させていくだけのような制度改定は厳に慎むべきである。特に昨今話題とされるような著作権保護期間を延長するなどといったことは、単に現在持っているコンテンツの経済価値を不当に吊り上げるだけの話であって(しかしそれがエンドユーザーの購買を促進し本当に利益を得られるものなのかは別問題であり、逆に不買の流れを作ることのほうが可能性としては高い)、むしろ今後のコンテンツ制作を抑制させる働きを持っている。新たな制作に金をつぎ込むよりは、既発コンテンツから収益を上げた方が楽だからだ。かような安易な政策が実現してしまえば、「文化」としてのコンテンツの発展など望むべくもない。長い目で考えていくべきである。
今後のコンテンツ政策については、その制度を、一部業界・法学者・行政の間の合意に基づくだけで採用するようなことは避けなければならない。「誰でも気軽に参加してコンテンツが創作され」るような時代にあっては、社会全体に受け入れられるような制度を提案しなければその運用が非常に困難なものとなるだろう。
社会全体の合意を目指すためには、まず社会としての慣習を見据えること、その上で実行可能なものを、広くオープンな議論の中で検討し、論理性をもって判断していくことである。従来のように一部業界の要望にとらわれて拙速な制度改悪を行なうなどと言ったことを繰り返してはならない(著作権関係の制度改悪にこのようなものが多い)。
守られるようなルールづくりをしなければ、早々に制度が崩壊するだけの話なのである(例:著作権問題における私的録音録画補償金)。
「残された課題」から
まず、再販売価格維持制度の撤廃が必要である。
CD(レコード)については撤廃が当然である。なぜならレコード業界は還流防止措置という著作権法による保護を受けているからである。このまま再販制を存続させれば二重保護の状態となってしまうばかりか、再販制による価格高止まりの現実がエンドユーザーに不当な負担を強いることとなる。ただでさえ還流防止措置の影響で輸入盤(邦楽・洋楽に限らない)の価格が上がっているのである(たとえばネット通販大手・アマゾンでの洋楽輸入盤の多くは、同内容のCD価格について日本盤より若干高い値段に設定されている。よって日本のエンドユーザーは、本来日本盤より安く現地では売られているものを不当に高い値段でないと入手できないこととなっている)。知的財産推進計画2006では、意見募集時のレコード業界組織票により、その案と実際の計画とではCD再販見直しの表現が後退した印象があった。
出版物や新聞についても再販制は必要ない。今年の前半では再販制(および新聞特殊指定)の見直しが議論されそうな気配があったものだが、結局マスメディアによる議題設定ボイコットおよびネガティブキャンペーンにより国民的議論にすら発展せず潰されてしまった。公正取引委員会の弱腰にも参るが、一番の問題は再販制の恩恵を受けている者が世論上の議題設定に強い力を持っており、それを悪用して再販制の維持を行なっていることであろう。民主的な手続きによって出された結論とは言い難いのが今の再販制である(現にインターネットで、再販制およびそれに対するマスコミ言論へ強い非難が集中したことからも判る)。
再販制については、これが無ければ出版物・新聞・音楽の質が低下すること、全国での価格統一が崩れると消費者が“困る”こと、全国へ著作物が行き渡らなくなること、小売店の営業に影響するなどといった“根拠”が喧伝されているところである。しかしながらこれら全く根拠がないばかりか、再販制度が存在するもとで質の低下・著作物の滞留・小売店の減少などの現象が進んでいるところである。
それよりも深刻なのは、再販制の対象となる著作物の価格が高い水準で維持され、それが市場停滞に繋がっているという事実である。コストパフォーマンスの面からエンドユーザーが購入を判断するとすれば、出版物・新聞・音楽に馬鹿正直に対価を払おうとしないのは当然のことであろう。これらが安くなることがない以上、国民は初めから不買を貫くだけなのである。
著作権法のありかたとして、著作権保護期間の延長を欧米並みに行なうかという論点が昨今示されている。しかしながら国際標準としてはベルヌ条約上の義務である著作者の死後50年の方が適切であり、これを70年に延長するのはもってのほかである。
むしろ国民全体が著作物の恩恵(それは経済的にも文化的にも)を受けるためには、利用の促進および新規制作へのインセンティブを確保することが必要である。すなわち米国著作権法にあるフェアユース法理を(現行日本法での権利制限規定と平行する形で)導入したり、著作権保護期間を現行のまま維持したり、著作権が存続する期間内でもパブリックドメインとしての扱いを宣言したり、あるいはクリエイティブ・コモンズのような著作者みずからが権利行使の範囲を限定的に宣言することの効果を法的に担保するなどすべきである。
著作権保護期間に話を戻すと、死後の保護期間を延ばすことで創作へのインセンティブを得られるとは到底考えられず、またこれによって増益が見込めるのは経済的収入が既に見込まれているヒット作品を所有する企業だけであり、新たな創作に資本を投下せず既に持っている著作物から利益を“捻り出す”ことしか行わなくなるインセンティブを生じさせてしまう。その上で本来パブリックドメイン入りし自由利用が見込まれていた著作物の独占を長らえさせるのであり、後発の創作者による再生産やエンドユーザーによる鑑賞・視聴の機会を奪うこととなる(発表された著作物のうち後の時代にまで商用流通するのは2%とのこと)。
また、コンテンツ産業においては日本は輸入超過の状態にあることが知られている。欧米の保護期間が日本より長いこともあり、欧米の著作物が日本で早く切れることが判っている。従って権利切れ作品の利用等の面で日本が有利となっている(先人から学ぶという点では日本の制度の方が理にかなっている。著作権保護期間を満了することは、著作者から権利を奪うことでもないし、国際的に「恥ずかしい」事態では決してない。先人の著作物にもとづいて作られた著作物が、またその先人の積み重ねた文化の中に還っていくだけなのである。そして後発の創作者の糧となる。むしろ著作者の死後永きにわたって作品を独占させる方がよほど「恥ずかしい」。くりかえすが死後50年の保護こそが国際標準なのである)。
こうしたことを考えれば、このまま文化的・経済的に日本が有利な状態を保ち競争力の蓄積を目指すのも一つの考え方であろう。日本製コンテンツ輸出が、欧米製コンテンツ輸入を超えるようになってから初めて著作権保護期間の延長を議論することとしても決して遅くはない。
保護期間延長は百害あって一利なしである。
※仮に“著作者への励み”を理由として保護期間延長するとすれば、既に作られた著作物についてはこれを適用せず、保護期間延長を行った後に創作された著作物にのみ適用するとすべきである。もしそれで不足だという著作者がいるとすれば、「著作者への励み」などという彼らの主張が決して鵜呑みに出来ないことを示したものとして慎重に考えるべきである。新たな創作に対する「励み」を求めるものではないということなのである。
コンテンツデータの整備を行うことについては反対はしないが、現在民間で進められているデータベースの整備とどう折り合いをつけるのか(並行して新たに国主導のデータベースを作るのでは資金と労力の無駄である)、また権利処理へときちんとリンクさせながら構築していく必要を充分意識すべきである。
通信・放送に関する法体系については、特に変える必要はないように思う。現行法での法体系は通信技術ごとに放送法・有線放送テレビジョン法などに分かれ、コンテンツ保護は著作権法にゆだねられる形となっている。これはこれで論理的なものであると言え、各法の改定にそれぞれの連携が考慮されさえすれば現行のままでも充分運用していけるものと考えられる。むしろ放送全体で一つの法(あるいはひとまとまりの法)を用意することで、たとえば著作権の扱いが放送とそのほかの著作物で異なるようになってしまうこととなるのが心配である。結局のところ検討段階での各分野の連携が必要となるところは変わらないのであるから、むしろ法的検討を行う場が総務省・経済産業省・文化庁とバラバラに用意されているところを是正し、それぞれの代表を集めた検討の場を用意するなどの方策を採るべきではないかと考える。
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【資料5】「コンテンツをめぐる課題」より
全体として、使われているデータの古いことが気になった。特に、音楽関係のデータは最新で2004年である。音楽配信や還流防止措置にかかるデータが出始めたのが2005年であるから、本来ならばこの年のデータが重視されてしかるべきなのにもかかわらず、古いデータでいろいろ検討したところで実態を反映したものになるとは考えられない。
5ページ。日本製コンテンツが世界で充分な競争力を持ち得ていないこと、日本の中でも依然として輸入超過の状態にあることが明確に示されている。輸出減少の事実を示しているに至っては、近年のコンテンツ産業過保護が与えた影響も少なくないのではないと思われるほどだ(特にエンドユーザーを敵に回し還流防止措置を実現した音楽業界などはその凋落ぶりが著しい)。
実際問題として、欧米との比較でコンテンツ制作力の差は歴然としている。何かと「クールジャパン」「ジャパニメーション」だともてはやされているような錯覚に陥っていた日本コンテンツ業界ではあったが、実際に制作されている作品を見ればその差は明らかであった。慢性的な人材不足もさることながら、そもそも発表される作品がおおよそ金を取れるようなものではない。著しく論理性を欠き、内容の充実が見られない。映画にしてもアニメーションにしても、日本製のものに決定的に欠けるのは「ストーリーテリング」である。海外での評価が高い宮崎駿監督ですら、このストーリーテリングの点では海外作品に劣る。
ただ商売になるからと保護政策を続けていけば、このまま質の低下が進んで海外競争力を更に失っていくことになろう。国内でたいした競争になっていないようなコンテンツ業界が、海外へ進出していくことなど夢のまた夢なのである。一時はもの珍しさで売れたとしても、それが長く続くかどうかは作品そのものの質に依存する。その質をきちんと高められる人材を得られるような業界構造にしなければ日本コンテンツ産業の未来は無い。
7ページ。
放送番組の二次利用をどう進めるのかが今後のコンテンツ政策の中心となっているように見受けられる(逆に言えば別分野の音楽配信などについては全くメスが入れられていない)のだが、これはかえって放送への過保護を強くすることとならないか危惧している。放送番組の質の低下は近年著しく、さらに放送番組の二次利用を進めるともなれば、新たな番組を制作しなくとも収益を得られるような形となりかねない。競争を忘れ、ただ所有コンテンツの切り売りで利益を得るような構造になるのではないだろうか。
もちろん、いままで死蔵されてきた過去の放送番組が正規に利用されるようになるのはエンドユーザーにとっても大変ありがたいことではある。しかしそこで是非考えていただきたいのは、利用・再生産の観点からの見直しである。現に今まで放送番組の二次利用が進んでこなかったのは、放送局自身がビジネスモデルの不在を言い訳として積極的な試みを行ってこなかったためである。ここで法的に試みやすくなったとして(著作隣接権などを弱めるなどして)も、それがきちんと新しい利用に繋がっていくかは不透明である。
むしろハードディスクレコーダーやロケーションフリー、 YouTube などといったエンドユーザーレベルでの新たな放送番組の視聴方法が広がってきているところであり、たとえば YouTube で放送番組をアップロードすることのように現行法には抵触してしまうようなものもある。しかしこうした番組視聴こそが真に求められているものであり、また今のビジネスモデルには無い利便性を提供しているものであることもまた事実である。それを考えるなら、放送局が番組の二次利用をしやすくするのと同時に、このような新しい番組視聴もまた合法なものとして利用できるよう法に手当てを行なうことも考えるべきではないだろうか(つまり無償もしくは安価に放送番組の二次利用をエンドユーザーが行えるしくみ)。
具体的には、一定のレベルよりも圧縮された映像については著作権等(禁止権)が働かないとすることなどが考えられる。
10ページ。
音楽分野においては、業界への過保護が続いている実情を正確に把握すべきである。著作隣接権(とくに送信可能化権)・再販制に加え還流防止措置が創設されたことにより、音楽流通の幅が制限されエンドユーザーに不当な負担を強いている状態であり、これが音楽不買を誘発して市場の縮小を招いているのは明らかなところである。
資料の中では残念ながら2005年のデータは掲載されておらず、還流防止措置が市場にどのようなダメージを与えているかは定かでない。しかしこの年の対アジアライセンスが前年割れしていること、生産実績が上向きながら実際のCD売り上げは減少していることなどが判っていることから、レコード業界の現状はいまだ楽観視できない。
また、新たな音楽流通として注目されているインターネット配信については、レコード会社による不当な“出し渋り”によって一部配信事業者が不利に扱われている現実がある。具体的には、ソニーミュージックの楽曲がアップル iTunes Store へ提供されていないという事実(他のサービスには提供されている)。また価格についても、本来1曲150円のところ200円(邦楽であったり、洋楽でも日本のレコード会社が配信するものの多くはこちら)に吊り上げられているという状態でもある。これによって音楽配信事業者間の競争が適切に行われていないのである。
音楽コンテンツが適切な流通経路をたどり、適切な価格で売買されるよう、現状を打開する必要がある。今の窮状はこれが出来ていないが故の自業自得である。
13ページ。
「映画鑑賞料金の多様化」との看板に偽りありである。
これは料金の多様化とは言わない。一定の条件下での割引を、業界横並びで実施しているに過ぎないのである。結局、基準とする価格はどこも同じである(嗤えることに割引後の価格すら横並びである)。本来的な競争状態下での料金「多様化」とは、その基準となる価格自体がさまざまに設定されるもの。その上で特別な割引をそれぞれが用意する。そこまで行って初めて「映画鑑賞料金の多様化」と呼ぶにふさわしい状態といえる。
現在の映画鑑賞料金に関しては、独占禁止法上 問題がないのかしっかりと検討していただきたいところである。映画 DVD の低廉化が進んでいる昨今、劇場での料金が旧来のままというのはその異常性を示すもののように思われるのだが‥‥。
あえて言わせてもらえば、本資料の当該ページは価格横並びの指摘に対する言い繕いにしか見えないのであるが。
14ページ。
著作権法において、映画著作物の保護期間は公開後70年とされている。他の著作物に先立ち、映画だけで保護期間延長がなされた形である。しかしながら、保護期間延長によって映画の国際競争力が少しでも上がったのか否か。
掲載されたデータによれば、保護期間延長がその国際競争力に何ら影響を与えていない様がわかる。これは他の著作物の保護期間を考える上で参考にすべきものであろう。まして輸入超過のため著作権延長による経済的損失が日本側に生じるともなれば。
また、知的財産推進計画が実際に作成されるようになってから映画輸出が鈍りだしているというのが興味深い。もちろんその因果関係の存在は不明であるが、少なくとも知財推進計画が良い効果を与えているわけではないことは明らかである。知財推進計画の見直しも必要なのではないか。
19ページ。
実演家の現状については、著作権・肖像権の保護が問題なのではなく、その活動における契約慣行の問題であろう。芸団協を始めとした実演家団体は何をやっているのだろうか。実演家が自らの弱い立場によって何も言えないままでは、何ら改善することは無いのではないかとすら考える。
また、著作権・肖像権の問題にしても、結局、権利を守らせるのは実演家自身である。彼らが実際にどう権利行使しているのかということを含めて具体的に検討する必要があろう(ただ「権利が守られていない」とかいう印象でもって罰則強化とか法改定を要求するのは虫が良すぎる)。
「音楽CDについては再販売価格維持制度によって同一価格で販売されている」との記述があるが、この問題はぜひ大きく採り上げるべきである。なぜなら実演家からすれば、CDを売る・売らないの判断がレコード会社に不当に握られている上に、その価格決定についても何ら判断できる立場にないからである。しかも価格が高止まりしているためにエンドユーザーから購入されないともなれば、ただただ実演家が本来得られてもおかしくない利益をレコード会社によって奪われているのと同じことだ。
正直な話、実演家自身による努力が極めて足りないという事実もあろう。しかしながらレコード会社による過保護が音楽市場縮小をもたらしている現実、また「コピーコントロールCD」なる欠陥品を平気でばらまいて更なる市場縮小を招き実演家の利益に悪影響を与えている現実を考えると、これは座視できないのではないか。まずは再販制を廃止することで価格の適正化を図り、市場の正常化を目指さねばならない。
さらに言えば、再販制に加えて還流防止措置も実演家への利益の可能性を断っているという現実がある。日本盤よりも安く買える還流盤については、その価格ならではの購入者を得る良い機会となる。実際問題として3000円ものCDは特定ファンでなければ買わない。しかしこれが1500円ともなれば、試しに買ってみようというエンドユーザーは多いものなのである。これが還流盤の存在メリットであり、またこれが正規盤であるがゆえに実演家への利益が少ないながらも保証されていることになる。
より音楽市場の適正化(競争原理の導入)を行なうためには、再販制と還流防止措置の両方を廃止するのが理想である。
28ページ。
「技術開発」に関しては、是非エンドユーザーの意向も踏まえた検討をお願いしたい。なぜなら著作権管理保護技術や「標準化」「互換性」の問題は、エンドユーザーがコンテンツを利用したり視聴したりしていく上で直接関わってくるからである。たとえば音楽配信におけるファイル形式・ DRM はその視聴環境を縛るものとなる。こうしたファイル形式・ DRM 間で互換性を確保することが必要であり、これは法律で義務づけるなども検討されなければならないのではないかと思われるほどである。
またエンドユーザーの支持を得られないような仕様のコピーガードは「コピーワンス」という愚例を示すまでもなく、市場での生き残りに失敗するものである。これが特に地上デジタル放送移行への不当な出費と相まっているために、全く普及していない現状である。おそらく地上デジタル移行は失敗に終わると私個人としては考えているが、その最大の“戦犯”として「コピーワンス」が挙げられるのは間違いない。
※最終的に、国が地上デジタルチューナーを無償配付しない限り、完全移行は難しいだろう。テレビ放送がその質を低下させ続けている上に、アナログテレビとは比べものにならないほど高額の出費を新たにさせられるともなれば、「格差」云々の問題以前にエンドユーザーから適正な出費とは判断されにくい。端的に言えば、現行のテレビ放送に更なる出費するだけの価値は無いのである(NHKも含む)。
ましてテレビ放送ごときが「高画質」を謳ったところで何の説得力もない。そもそもそのようなものは必要とされていないからだ。また現実の地上デジタルの映像の汚さは、そうした画質を見る「目」の持ち主にとっては定説となっている(これが品質の高いハイビジョンテレビで見るほど判りやすいのだから悲惨だ)。
地上デジタルにかかる各仕様は、その選定段階から既に誤っているのが現実である。あとは敗戦処理の一途と言える。
31ページ。
「還流防止措置の検証」は絶対に行なうべきである。
特にアジアへの邦楽CDライセンスが進んでいるのか否か、また還流盤を止めたことで当該CDの日本盤売り上げに回復のきざしがあるのか否か(私自身はいずれの観点についても否定的である。還流防止措置は税関の手を煩わせているだけで、何の利益ももたらさないものと考えている)。新聞記事を使ったレコード業界の印象操作や、都合の悪いデータは隠すということを排除して、客観的なデータをもとに検証していく必要がある。
また洋楽CD輸入盤についても、その価格動向を調査すべきである。一応、還流防止措置創設時に危惧されたような輸入差止には至っていないようであるが、現実問題として輸入盤の価格が上昇傾向にあることが指摘されている。特に日本盤が発売されている輸入盤の価格高止まりが顕著であり、還流防止措置(あるいはレコード業界の商慣行として)が影響していることが充分疑われるところである。
また、CDの価格に悪影響を及ぼしているもうひとつの要因として再販制が挙げられる。還流防止措置との二重保護は国会も認めるところであり、いずれかを廃止するなどの措置が早急に求められるところであろう。
現状、CDが適正な価格で売買されているとはとても言えない。それは再販制対象外の DVD が低廉化の動きから爆発的な普及を見せていることからも判るところである。
※もっとも音楽配信への移行を促すために、わざとCDが売れない状態のまま放置するということも考えのひとつではあるが。
これとは別に、音楽配信での商慣行も検証する必要があろう。レコード業界としては再販制前提の考え方から抜け切れてはおらず、配信においても価格高止まり・横並びの傾向が維持されている。このような不当な状態から早く抜け出し、適正な競争をさせていくことが必要である。
33ページ。
「劇場内で無断盗撮された映像の違法流出への対策」とあるが、この「無断盗撮」に関しては既に劇場側の施設管理権によって対処が可能である。仮に著作権法上の私的複製規定から当該行為を除外するとしても、劇場側でこれに対処できない限りは問題解決とならない。「テロ」の名を持ち出して規制強化を訴える向きもあるところだが、これは文字通り「恐怖」をネタに思い通りの社会を実現しようとする「テロ行為」と何ら変わりないものであり、冷静な評価が必要である。繰り返すが、現行法でも劇場側で対処できるのである。業界の取り組みが果たして実効性あるものなのかを含め、議論をしていかねばなるまい。
また、「違法流出」に関しては既に著作権法上でも抵触する行為である。たとえば私的複製物の目的外使用がそうであるし、当初から頒布目的で行っているのなら当該行為そのものが複製権侵害行為である。いずれにしても劇場(映画興行・権利者)側で対処しなければならないものであり、これがきちんと行われていないからこそ現状の違法流出があるのである。現行法以上に罰則を強化するとか、新たな禁止権を付与するとか、そのような対処ではこの問題が解決しないのは明らかである。
「YouTube などネット上での映像の違法流通の増大」についても同様である。既に著作権法の公衆送信権(とりわけ送信可能化権)によって対処済みであり、あとは権利者が粛々と権利行使すべき話である。法は権利者に味方しているのである。
逆に、 YouTube によって顕在化したユーザーニーズをどうビジネスに活かしていくかを考えるべきではないのかと私などは思う。たとえば YouTube においては過去の番組に対するオンデマンド視聴の要求が顕在化したものと考えられる。ならば放送局側でそれを実現すれば良いのである(有償であるべきか無償であるべきかは試行錯誤の余地があろう。ただし望むものが視聴できるか不確実な YouTube に対し、それが確実な正規サービスが用意できれば有償であっても利用する人間は少なくないと思われる。ファイル交換に対して健闘している音楽配信の例を見ても明らかである。要は以下に正規サービスへ導いていくかである)。
あるいは、いっそのこと YouTube のような著作物利用を著作権の対象から外すという考え方もある。一定の品質を下回る形で複製・公衆送信することについては著作権が及ばないとするのである。国際条約上の問題は何とかクリアする必要はあるだろうが、これが可能となればインターネット上での著作物流通を爆発的に拡大させることができ、有償流通への誘導も可能となる (YouTube での利用を「試聴」と位置付け、より高品質のものを望む人には有償の正規流通を利用させるわけだ)。
もっとも現実的なのは権利者への幾ばくかの補償金を与え、 YouTube での視聴・アップロードを可能とする方法であろう。現にワーナーグループがこのことで YouTube との合意に達したとのニュースが流れた。アップロードの抑止や権利行使が現実的に難しい以上、利用を認めて利益還元を模索するのが当然の判断と言えよう(他の権利者の頭が固すぎるのである)。
35ページ。
「IPマルチキャスト放送に関する著作権法改正」は是非行うべきである。ただし今のところ当該改正は地上デジタル放送の同時再送信に限った話であり、自主放送にかかる権利制限については後の検討次第としている。私個人としては、自主放送も含めて「有線放送」の扱いとし、権利制限を実行すべきと考える。これに伴って、IPマルチキャスト放送に有線放送並みに同時再送信義務と裁定利用への道を拓いておくべきとも考える。
また、著作権・著作隣接権によって著作物流通が妨げられているのはIPマルチキャストに限った話ではない。たとえば音楽配信においても著作隣接権の不当な行使によって普及が進まないという実態がある。放送番組の二次利用に関してはレコード製作者・実演家の集中管理が整備されつつあるが、これは音楽配信に関する許諾を扱わない旨があらかじめ宣言されている。しかしながら音楽配信にかかる集中管理こそ今必要なものであり、これが進まないのであれば音楽配信にかかる公衆送信権の扱いを禁止権から報酬請求権に“切り下げ”る必要があろう。
もっとも公衆送信権を報酬請求権に(単純に)変更することは国際条約上難しいかもしれない。そのため、まずはタイムテーブルにそった番組提供を行なうようなストリーミング音楽配信について報酬請求権化を行なうことを提案する。これについては、禁止権が国際条約上の義務とはなっていない模様である(だからIPマルチキャストでの地上デジタル放送同時再送信にかかる報酬請求権が可能とされた)。
「コピーワンスの問題などユーザーに配慮したプロテクションシステムの採用」については、エンドユーザーをも含めたオープンな議論を望む。また検討の様子も逐一公開するものとし、それに使われたデータ等も早いタイミングで公開していくべきである。意見募集も数度おこなわれることが望ましい。
また「コピーワンス」に限らず、他のコピープロテクション(たとえば音楽配信や DVD など)についても検討されたい。何が問題となるかについては、あらかじめエンドユーザー(国民一般)から意見募集しておくべきである。
村上光一氏の文書・資料6-6には「有効なDRM技術の研究開発とメーカーによる機器搭載の法制化」に至っては暴論と言うほかない。まだ市場が成立していない分野であればともかく、ほとんどの場合すでにコピーのための機器・記録媒体は出回った後である。すなわち無反応機器の問題が存在し、これの存在を認めなければエンドユーザーやメーカーに不当な負担を強いることとなり市場自体の壊滅を招くこととなる。また標準的なDRMというものが規定できないこともある(これの仕様は国が決めるべきものではない)。現実離れした意見としか良いようがない。
私的録音録画補償金制度に関しては、基本として廃止の方向で検討すべきである。また著作権法上、エンドユーザーの権利としてフェアユース規定(米国著作権法にあるものと類似した一般権利制限規定)を早急に用意する必要がある。フェアユースとして無償・自由が保証されなければならない私的複製の範囲を特定することが私的録音録画補償金制度の検討に必要だからである。
補償金制度については、私的複製の態様を複製元コンテンツの入手方法で細かく分類し、エンドユーザーが正当な対価を支払ったものの私的複製について補償金の必要がない旨を確認しなければならない。なぜならこの場合の私的複製は、すでに権利者へ充分な利益が支払われている上、本質的に視聴と同一だからである(私的複製がなされなかったとしても視聴可能である)。私的録音・録画のための機器が一般に普及している現代において権利者の複製権を無条件で認めること(あるいはその前提で権利制限規定を議論すること)は著作物利用・技術革新等に悪影響を及ぼすものであり、エンドユーザーの不買を招く理由となりかねない(不買行動への動機付けは、「コピーコントロールCD」や「コピーワンス」の投入によって、音楽市場と地上デジタル市場が停滞している例に顕著である。また私的録音録画補償金制度自体への理解と支持が少ないことから、制度の存続自体が危ぶまれているという現実もある。これは徴収方法を強制化すれば解決する問題ではない)。
現行補償金制度は上記複製態様でも権利者の「経済的不利益」を推定する不当なものであり、また創設時そうした議論を全く行わず(国民にも説明せず)現在に至ったものである。ここでは制度を一度白紙に戻し、「そもそも論」から議論をやりなおすべきである。
近年普及が進んでいるデジタルミュージックプレーヤーやハードディスクレコーダーなどは、本質的にプレイスシフト・タイムシフト用途にしか使われないものであり、権利者に不利益を与える仕様とはなっていない。こうした機器が私的録音・録画の主流を占めていくという意味でも補償金制度がその役割を終えていると言え、現行の指定機器・記録媒体は仮に維持するとしても、新たな指定を必要としない。
投稿:by 暇人#9 04:41 午後 [著作権行政 watch] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック
2006.09.25
「法制問題小委員会報告書(案)に対する意見」
1.個人・団体の別: 個人
2.氏 名: (みうらゆう)
3.職 業: (趣味の文章書き)
4.住 所: (北海道在住)
5.連 絡 先: (himagine_no9@pop02.odn.ne.jp)
6.御 意 見: 以下のとおり意見を送信いたします。
目次
【全体として】
○私的複製の諸問題を検討する場として、私的録音録画小委員会は適格か否か?
○私的複製の分類。
○著作権法に“利用者の権利”を明示すべきではないか。
○権利者へ複製権を無条件に与えてしまうのは時代錯誤ではないか。
○私的領域内へ著作権を及ぼすことに合理性はあるか?
【契約による権利制限のオーバーライド】
○契約によってオーバーライドすることを認めるべきでない(社会での抵抗感が強い)複製態様というものは存在しないのか?
○オーバーライドを簡単に認めてしまっては、市場振興・消費者保護に悪影響を及ぼしかねないのではないか?
○立場の不均衡が著しい権利者・エンドユーザー間において、適切な契約関係の構築を探るべきでなのではないか?
【DRM】
○DRM の仕様に委ねる形で、著作権法上の私的複製の範囲を調節することは適切か?
【私的録音録画補償金】
○そもそも、正当な対価を支払って入手したコンテンツを私的複製することに補償金が課せられるのは妥当か?
○現行制度の、録音・録画機器と記録媒体両方への課金は適切か?
○その他、そもそも論の再提起。
【違法コンテンツからの私的複製】
○これを私的複製から外すとすれば、どう規制するのか? それは可能なのか?
○私的複製の範囲にとどめるため、補償金制度を活用することは可能か?
○複製態様に応じた徴収法を検討すべきではないか?
『法制問題小委員会報告書(案)』から感じる疑問と私の考えを以下に述べる。
【全体として】
○私的複製の諸問題を検討する場として、私的録音録画小委員会は適格か否か?
私的録音録画小委員会は論理的もしくは法的な検討が可能な場なのか。
もともとは補償金制度の根本検討を目的として設けられた議論の場である。法的検討を前提とした委員構成では全くない。むしろ法的検討は法制問題小委員会で行なうべきであろう。現に私的録音録画小委員会会合での委員発言は、それぞれの立場からの要望または印象批評にとどまるものでしかない。私的録音録画補償金制度の根本検討にすら程遠い有様である。
また、利用者代表が権利者代表に比べ少なすぎる。学識経験者はそれなりに参加してはいるが、法的観点からの発言は圧倒的に少ない。
やはり法制問題小委員会において法的検討を加えるのが本道と言えるだろう。
私的録音録画小委からフィードバックされた法的論点を検討し、私的複製(私的録音・録画に限らない)を大まかにでも分類した上での検討を行なう。すべての私的複製が一緒くたに議論されがちではあるが、それが適切なのか否かも含めて考えるべきである。
発生した各課題について、適法・違法のボーダーラインもそれぞれ明示(あるいは例示)する必要があるだろう。ここまでの作業は私的録音録画小委には不可能であり、法制小委がやるべきものである。
○私的複製の分類。
その性質によって扱いを区別すべきではないだろうか。
現在の著作権法では私的複製の分類を殆どおこなっていない。あえて言えば、私的録音録画補償金においてデジタル・アナログの区別を行なっているのみである。
しかし社会通念上は、私的複製が〈無償・自由とすべきもの〉〈有償・自由とすべきもの〉〈私的複製の範囲から外すべきもの〉等に分かれているのではないか。
以下にいくつかの分類を考えてみた。私の見解も付記してある。
・デジタル著作権保護技術による私的複製の制限での分類
(1)公正な利用であって無償・自由とすべき私的複製。
(2)補償金を課すことで有償・自由を維持すべき私的複製。
(3)DRM によって制限されてしまうが、本来「公正な利用」であって無償・自由とすべき私的複製。
(4)DRM がかかっているため補償金不要と考えられる私的複製。
※正当な対価を支払い入手したコンテンツの私的複製については無償・自由とすべきであるというのが私の基本線。この「正当な対価」なしに入手したコンテンツを私的複製する際に「補償金」を支払うこととしてはどうかと考えている(私見だが、ここまでは譲歩できるのではないか?)。もちろん経済的不利益に関する検討は必要。
問題は DRM との共存。 DRM の許す範囲内で行なう私的複製では「補償金」を課すのはおかしいと思うし(もともとコンテンツ流通の段階でどの程度 複製されるかが想定されているのだから)、本来 無償・自由とすべき私的複製まで DRM で制限されているようならば、その回避を容認すべきであろうと思う。個人的には、著作権法上の「技術的保護手段」の回避についても規制を緩和すべきだと考えている。
・複製元コンテンツの入手法での分類
(1)自ら購入したコンテンツからの私的複製。
(2)正当な対価を支払いレンタルしてきたコンテンツからの私的複製。
(3)放送コンテンツからの私的複製(タイムシフト用途の私的複製も含む)。
(4)友人から借りたコンテンツからの私的複製。
(5)違法複製物からの私的複製。
(6)パブリックドメインからの私的複製。
(7)市場で流通していないコンテンツからの私的複製。
※私がいつも主張している分類。個人的にはこの主張が本命。
コンテンツ流通から得るべき権利者の利益というのは、ある私的領域内に当該コンテンツが入り込む際に得られる対価であると私は考えている。ひとつの私的領域では同一コンテンツを何度も買うことは推定されず、ほとんどの場合は一つ買えば充分(それ以上の購入は、付加価値等を勘案しての自由行動になる)。それが一般的な消費行動であって、それ以上の利益を権利者に保障することは著作権法といえども不合理だろう。
従って、自ら購入したり、正当な対価を支払ってレンタルしてきたコンテンツについては私的複製をしても権利者の利益を損ねるものではない(複製をしなかったとしても、同じコンテンツを再び買うことは期待できないのだから)。また放送コンテンツから私的複製したものも、それがコピー制御を行なっていない以上、あらかじめ私的複製を想定して流通しているものと考えられる(さらには放送コンテンツの私的複製の殆どがタイムシフト用途で行なわれていることが判っており、これが権利者の利益を損ねるものでないことは明らかである──単に本放送時の試聴が時間をずらして行なわれているだけなのだから)。
私個人としては、友人から借りたコンテンツから私的複製する場合、あるいは違法複製物から私的複製する場合には、権利者に対する「不利益」について若干の同情がある。ちょっとぐらいは金を払ってやっても良いじゃない?──というわけだ。厳しい言い方をすれば、そもそも購入できるようなコンテンツを適切な価格で流通させていないのが悪い、と突っぱねることも可能ではあるのだが。
パブリックドメインのコンテンツを私的複製することは(元)権利者の利益を損ねるものではないのは言わずもがな。それが著作権等の保護期間の肝。しかし現行補償金制度はそういうの お構いなしだったりする。
市場で流通していないコンテンツ(例えばCDは廃盤になってるしネット配信すらされていない音楽とか)については、そもそも購入してもらう機会が無いのだから、私的複製によって権利者の不利益が生じているとは考えられない(自業自得)。個人的には、著作権法によって強い禁止権を持っている権利者である以上、当該コンテンツを流通に載せることは義務であるとすべきだと思う。つまり流通しないコンテンツについては権利制限の範囲を広げるという。保護期間が満了していなくてもパブリックドメインとみなせるような条項があっても良いと思う。
※なおレンタルに関しては、貸与権使用料が私的複製を前提に定められている(本来の使用料よりも高く設定されている)ことを根拠として“不利益なし”と判断している。このあたり、権利者側とレンタル事業者側とでは見解が食い違っている(エンドユーザーからすれば「善意の第三者」であり当該使用許諾の内容に制約は受けないのだが)。国会においては私的複製を前提とした貸与権付与が行なわれている以上、論理的にはレンタル事業者に分があると思う。
著作権分科会(法制問題小委員会あるいは私的録音録画小委員会)においては、 JASRAC と CDVJ 双方の意見を聴取した上で検討することが急務だ。また、私的録音録画補償金制度の導入の前後において貸与権使用料の額に変化があるのか否かも調査すべきである(経緯からすれば補償金制度導入時に使用料が減額されていないとおかしい)。録音権使用料などとの比較もされたいところ。
※友人から借りたコンテンツ、あるいは違法に複製されたコンテンツからの私的複製を権利者が把握することは不可能である。したがって私的複製の範囲から外し違法化したり、その実態を正確に掴んで補償金を取ることなども不可能であると言っていい(無理にやろうとすると社会的混乱を招くだけである)。こういう、ラフにやらざるを得ない時こそ「補償金制度」の出番ではないのかと私は考える。個人的には、その実際の複製元のコンテンツにかかる権利者が誰であるかにかかわらず、エンドユーザーが分配先を指定して補償金を納められるようにすれば問題は少ないのではないかと考えている。エンドユーザー自身の判断で正しい権利者に送っても良いわけだし、誰か他の権利者に“投げ銭”するのでも良い。こういうやり方の方が出てくる文句が少ないと思うわけだ(少なくともエンドユーザー側からは文句が出ないし、権利者側は実態との齟齬を知る手掛かりがない。ぶっちゃけた話、誰かに払いたいエンドユーザーが払うのだろうし)。
※違法複製物については、その呼び名の通り、既に著作権法による規制は充分に為されている。あとは権利者がきちんと権利行使するかどうかの問題だけであって、そういう努力をせずして“違法複製物の私的複製を違法化すべき”などという主張は虫の良い話にしか見えない。社会に混乱をもたらすことが必至であるような法改正を要求できる権利は著作権者・著作隣接権者には無いと思う。
・複製手段での分類
(1)アナログ技術による私的複製(現行では私的録音録画補償金の対象外)。
(2)デジタル技術による私的複製で、私的録音録画補償金の対象とされているもの(代表例:MD・音楽用 CD-R など)。
(3)デジタル技術による私的複製で、私的録音録画補償金の対象とはされていないもの(代表例:汎用機器・汎用機録媒体・ iPod など)。
※まず、補償金制度においてアナログとデジタルを区別する必要があるのかという根本的な疑問がある。いちおう「劣化しない完全なコピーができるから」などというもっともらしい(?)理由づけが為されているが、これなどは論理的一貫性を全く考えていない詭弁に過ぎない。なぜなら、デジタルによる私的複製でも不可逆圧縮技術を使えば「劣化」するのだから。
方向性としては、私的複製としてアナログもデジタルも同じように考えて補償金の対象とするか、劣化しないコピー(多くはデジタル)に限定して補償金の対象とするか(圧縮技術によって劣化する私的複製については補償金対象外とする)のいずれかだろう。ここを無視して、論理的整合性のある(納得できる)補償金制度を再構築することはできない。
もっとも、どの程度「劣化」すれば不利益にならないかというボーダーラインについては議論の余地があるとは思うけれども (個人的には YouTube の品質が DVD 等の代替になるとは思えない──というか、 YouTube で見たコンテンツが DVD でも手頃な値段で売ってたら、たぶん私は購入を考える)。
※たとえばCDを例にあげると、CDの商品としての価値は MP3 や AAC では代替できない。こうした圧縮音声をCDの「複製」として扱うから、 iPod で聴くために「録音」することすら“補償金がいる”みたいな おかしな話になるのであって、こういう“市場と競合しない”複製については無償・自由を認めるべきなのである(特に自分で購入したCDからリッピングする場合は)。
・売買契約上の債務履行状況での分類
(1)契約による、私的複製の制限がない。
(2)契約による、私的複製の制限がある。
A)契約で許された範囲内の私的複製。
B)契約で許された範囲外の私的複製。
a) 「公正な利用」であって
無償・自由で許されるべき私的複製。
b) 権利者への経済的不利益が疑われる私的複製。
※この分類では、複製元となるコンテンツに DRM がかけられているか否かは問うていない。 DRM の実際には、必ずしも契約の内容は左右されないからである(極端な話、無 DRM でも私的複製を制限する契約を結ぶことは可能──その実効性はどれほどかは疑問だけれども)。
※もっとも、契約に反し私的複製を行なったところで それは著作権の侵害とはならないと考えられる。単に契約上の問題であって、契約内容をめぐる争いが生じるだけだろう。
○著作権法に“利用者の権利”を明示すべきではないか。
権利制限規定を強行規定化すれば当該権利を保障できる。
著作権法に消費者保護の観点を導入し、安心してコンテンツ商取引に臨めるようにする。端的に言えば著作権・著作隣接権がそれを阻害しないよう、権利者と利用者とのバランスをきちんと取るということ。
正当な対価を支払い入手したコンテンツの私的複製については無償・自由で認めるべきである(コンテンツ売買の結果 実質的に生じる私的複製“権”の保障が必要──社会通念と整合性をとることが重要である。著作権制度が社会に受け入れられるためには、制度を常識に近づけなければならない)。
DRM による制限を回避することも、正当な対価を支払い入手したコンテンツの私的複製については認めるべきである(著作権法の規定による私的複製制限を緩和する)。この複製態様での、契約による制約(権利制限のオーバーライド)についても認めない方向性を打ち出したい。
正当な対価が支払われた際、エンドユーザーは何を「買った」のか明示することも必要である(売買契約の明確化──もちろん必ずしも文書を交わすことは要しない)。エンドユーザーが正当な対価を支払い、常識的にコンテンツの利用“権”を買うインセンティブが働くよう著作権制度を見直す必要がある。現行著作権法のように権利強化がばかりが進むようであれば、とても利用の拡大は望めない。
※売買契約の内容・条件に不備(エンドユーザーの行動を不当に制限する条項など)があれば、エンドユーザーは「不買」の選択をする。契約意識の啓蒙が必要となるだろうとは思うが(最初は権利者側に言われるまま不利な契約を交わしてしまうおそれも強かろう)。
※権利強化や私的複製制限の容認がなされることで、消費者保護の関係法令が骨抜きになってしまう現状がある。
著作権者・著作隣接権者の権利を規定する著作権法の規定ぶりからすれば、直接的に“利用者の権利”を規定することは難しかろう。最低限、その意識を持って権利者・利用者間のバランスをとるべきということである。
○権利者へ複製権を無条件に与えてしまうのは時代錯誤ではないか。
権利制限にかかる議論の中でも、複製権の無条件付与が前提となって「不利益」を認定している節が見られる。
国際条約の規定を変えていくことは困難に思われるが、各国に留保されている立法でもってバランスを取っていくことは可能だろう。複製が不可欠となっている現代のコンテンツ利用状況(特に私的領域内で起こっている無償・自由とすべき複製)に合った権利制限規定のあり方を探る必要があるのではないか。
著作物の使用(再生・鑑賞等)に伴い私的複製が必然的に発生している現代において、複製に対し何が何でも権利者の「不利益」と認定する考えは時代遅れである。
コンテンツ売買の実態に鑑み、正当な対価を支払って入手したコンテンツを私的複製する場合には、権利者の不利益は存在しないものと考えるべきである。(社会通念としては、こちらの考えが一般的である。)こうした意識でもって利用者の“権利”が確立し、安心してコンテンツ市場に関われるようになる。
そもそも複製権の保護によって、権利者のどのような「利益」を守るべきだったのかから洗い出す必要がある。
※社会的に認められる著作権者・著作隣接権者の「経済的利益」は、コンテンツ売買またはコンテンツ商業利用からの収入に尽きる。すなわち同一の私的領域において、一人の人間が同じコンテンツを何度も買うことを前提とするような議論は不合理である(一般的には、同一の私的領域内では ひとつのコンテンツが購入される見込みは1度しかない──まれに数度購入されるのは、何らかの付加価値が用意された場合に限る)。
○私的領域内へ著作権を及ぼすことに合理性はあるか?
規制・取締りの実効性とトランザクションコストは? モラルは?
そもそも著作権法によって保護されるべき「経済的利益」とは どこまでを指すのか? (社会通念上、どこまで想定されているのか?)
プライバシーの確保と衝突しないか?
そもそも実効性ある規制は可能なのか?
民事・刑事双方の裁判が激増することが予想され、捜査や裁判に費やされる社会的コストを許す根拠がどこにあるか?
私的領域内での自由な視聴(私的複製も視聴の内である)を制限することで、著作物に対価を支払い所有するとういビジネスモデルを崩壊させかねないことに対する懸念は?(無料で視聴できるメディアに利用者が集中してしまい、そもそもコンテンツに対価を支払うインセンティブが働かなくなるのではないか? 視聴のみに低価格かつ定額の料金を支払うビジネスモデルへの移行が進むと考えられる。)
【契約による権利制限のオーバーライド】
○契約によってオーバーライドすることを認めるべきでない(社会での抵抗感が強い)複製態様というものは存在しないのか?
社会の要請を意識すべきである。著作権保護技術(必ずしも著作権法上の「技術的保護手段」であるとは限らない)の実態についても要検討だ。
コンテンツを購入し所有するという現行のビジネスモデルは、あくまでも私的領域では当該コンテンツが自由に視聴できる(私的複製も含む)ことが前提となっている。そうでなければ、購入することにインセンティブが働かない(レンタルや放送番組で充分である)。
とくに音楽の場合には、私的複製によって利用が拡大しコンテンツ購入の機会も増大してきた歴史的経緯がある。私的複製の制限はそのまま音楽への需要の縮小を意味する(なお不当な賦課金も需要縮小の原因となる)。
○オーバーライドを簡単に認めてしまっては、市場振興・消費者保護に悪影響を及ぼしかねないのではないか?
○立場の不均衡が著しい権利者・エンドユーザー間において、適切な契約関係の構築を探るべきでなのではないか?
現状は権利者側の立場が強く、あまりに一方的なコンテンツ供給が行なわれているのではないか?
※契約法に複製の可否を委ねるのであれば、著作権法には手を付けず私的複製の範囲をそのままにしておくべき。(エンドユーザーが明文化されていない契約の内容を争うには、著作権法の権利制限規定が唯一のよりどころである。)
ここで、契約に応じた範囲で権利が及ぶとすれば、合意内容に争いが生じた際に、エンドユーザーは不当なほど弱い立場に追い込まれる。このことは最初の売買契約・利用契約においても不利に作用する。
【DRM】
○DRM の仕様に委ねる形で、著作権法上の私的複製の範囲を調節することは適切か?
特に、 DRM が著作権法上の「技術的保護手段」である場合と、そうでない場合とで扱いは異なる筈である。
まず、 DRM (デジタル著作権保護技術)は著作権法の規定とは関係なく存在し得る。著作権の問題というよりは、権利者とエンドユーザーとの間に結ばれた間接的契約を具現化したものと言える。
現行著作権法からすれば、「技術的保護手段」を回避しての私的複製は禁止されている。これに当たる DRM であれば、契約とは別に著作権法によっても私的複製ではないと判断される。ただし無反応機器などによる“回避を伴わない私的複製”については規制対象とならないから、ここまで契約で禁止されているか否かを問わず、著作権法上 私的複製の範囲から外れることはないと思われる。
では、権利者とエンドユーザーとの間に交わされる契約に応じて私的複製の範囲を変えるよう、著作権法の規定を変えるべきか? しかし問題の契約は間接的に交わされるものであって、また明文で内容が示されたものではない。さらには DRM が完全であることは殆どなく、音・映像として視聴可能である限り私的録音・録画される可能性は必ず存在する。明文化されていない曖昧な契約でもって私的複製の範囲を決めることはエンドユーザーの行為を規制する手段として適当ではなく、また私的録音・録画が技術的に可能である以上、「技術的保護手段」を回避しての私的複製を除いては、著作権法によって規制することは実質的に不可能であると考える。
実際問題として、著作権法上の「技術的保護手段」にあたるとされない例は多い。 DVD でのアクセスコントロールが代表である。また、音楽・映像配信にかかる DRM についても、それを回避することなく私的録音・録画する方法が存在する(たとえば iPod で再生する音楽をアナログラインを介して録音するなど)。 DRM が働いた状態で現にこのように可能である私的録音・録画が契約によって“禁止”されているとは解釈しづらく、また著作権法上これを私的複製ではないと規定することは無用のトラブルを発生させる原因になりかねない。
著作権法上の私的複製の範囲については手を加えず、「技術的保護手段」ではない DRM については純然たる契約法上の問題として処理すべきものと考える。
【私的録音録画補償金】
○そもそも、正当な対価を支払って入手したコンテンツを私的複製することに補償金が課せられるのは妥当か?
こうした私的複製によって権利者にいかなる「経済的不利益」が生じるのか。社会的に認められている、権利者が得るべき利益の範囲はどこまでか?
「正当な対価を支払って入手したコンテンツ」には、新規購入したものはもちろん、中古で購入したもの、レンタルしたものも含まれる。新規購入あるいは中古購入したものについては既に権利者に正当な収入がもたらされているし、レンタルについては私的録音・録画を前提とした貸与権使用料が支払われている。
一般に、同一の私的領域において同一コンテンツが複数回購入されることはない。エンドユーザーの消費行動として明らかな事実であり、ここで“私的録音・録画がされなければ新たな購入の機会が発生する”かのような前提で補償金を課すことの不合理が存在する。
また私的録音・録画によって権利者にいかなる経済的不利益が発生するかについて、未だにきちんとした議論がなされていない。特に既に正当な対価が支払われているコンテンツの私的録音・録画については、むしろ経済的不利益の不存在の方が論理的に説明される。
○現行制度の、録音・録画機器と記録媒体両方への課金は適切か?
タイムシフトやプレイスシフトといった、権利者への不利益を与えない複製態様にしか使えない録音・録画機器の存在をどう捉えるべきか。
まず、タイムシフトにしか使えない録画機器というものがある。放送されたコンテンツを録画することしかできないハードディスク内蔵型録画機器がそれに当たる。ハードディスクというものは限られた期間しか使えないものであって、この種の録画機器はハードディスクが稼働する間のみコンテンツを保持できる。すなわちタイムシフト用途の録画にしか使用されない。
放送されるコンテンツはエンドユーザーが無料で視聴することを前提として権利処理されたものである。基本的には放送時にリアルタイムで視聴されることが想定されてはいるが、私的録音・録画を可能とする機器が一般に普及している昨今、この番組を録音・録画することもまた前提として放送されていると言わざるを得ない。このうちタイムシフト用途で録音・録画された分については、その視聴の態様としてはリアルタイム視聴と同じものであり権利者に経済的不利益を与えるものではない(逆に、タイムシフト用途以外の私的録音・録画──アーカイビング用途のものについては、当該コンテンツを購入することの代替になることから経済的不利益を与えるおそれなしとしない。詳しい検討は必要であると思われるが)。
また、正当な対価を支払って入手されたコンテンツを、プレイスシフトあるいはメディアシフト用途で私的複製することについても権利者の経済的不利益を生じさせるものではない。なぜなら、すでに入手されたコンテンツを再び購入することなど同一の私的領域においては期待できないからである(まれにそれが起こり得るが、それは付加価値等の判断からエンドユーザーの自由意思で為されるだけであり、著作権法によって権利者に保障されるべき経済的利益とは言えない)。そして、プレイスシフトやメディアシフト用途にしか使えない私的録音・私的録画機器というものがある。同一の私的領域外へ複製物を拡散するおそれが技術上抑制されている iPod 等の機器がそれにあたる。
以上の事実から、デジタル録音・録画が可能となる録音・録画機器に一緒くたに課金することは、補償金を課する必要性の点から言っても適当でない。また、記録媒体のみに課金するようにすれば、エンドユーザーから見ても私的録音・録画を行なう頻度・回数に応じた支払いをすることになり、より公平な負担になる。
○その他、そもそも論の再提起。
→別項「私的録音録画補償金にかかる議論で検討すべき論点」参照。
【違法コンテンツからの私的複製】
○これを私的複製から外すとすれば、どう規制するのか? それは可能なのか?
私的領域内での複製の実態について、権利者が把握していくことは不可能である。また、それを可能とした場合にはプライバシーに抵触する蓋然性が高い。
エンドユーザーから見ても、入手したコンテンツが果たして適法に複製されたものか否かは判断できない。適法だろうが違法だろうが複製を可能としてしまうデジタル技術が普及している現代であればこそである。
違法コンテンツからの私的複製が違法化された場合、仮にその疑義が指摘されたエンドユーザーは、自らの所有する複製物が適法コンテンツからの私的複製によるものだと証明しなければならない。しかし私的複製物には、そのコピー元が適法か違法かを知る手がかりなど存在しない。これはエンドユーザーに不当な負担を強いるものである。
私的領域内で実質的には可能である行為を違法化することは、“見つからなければ平気”というモラルハザードを蔓延させかねない。特に適法の私的複製と外形的に区別できないとなれば、ますます違法コンテンツからの私的複製を抑制するインセンティブは働かなくなる。
商売上の理由から流通が止められているコンテンツや、そもそも流通していないコンテンツ(例えばライヴコンサートの模様を収録したブートレグなど)の「違法」複製物から私的複製することについて規制を行なうことは、その実効性が疑わしいばかりか、そうした違法コンテンツをきっかけに喚起される需要をも失うことに繋がる。特にブートレグ等に対抗するために正式発売されたコンテンツがファンを掴み、新たな需要を喚起する例は数あまたある(音楽業界においてライヴ盤・ベスト盤・アウトテイク集などの企画は海賊盤対策から生じたものが大半と言える──中には海賊盤で流通したものを正規に発売しなおす例もある)。
違法コンテンツの提供自体はすでに法の規制がかけられているところであり、それ以上の手当てを法で行なう必要はない。むしろ「違法コンテンツ」からの私的複製については積極的に実態調査を行ない、マーケティング資料として活用すべきと言える。(どうして違法コンテンツからの私的複製をコンテンツ入手法として選択するのか、その根本を解決しないかぎり この問題はなくならない。)
○私的複製の範囲にとどめるため、補償金制度を活用することは可能か?
必ずしも現行制度をそのまま活用する必要はないことに注意。また、補償金不要という主張も当然成立しえる。
私的複製の範囲や自由さを維持するために導入された私的録音録画補償金の趣旨からすれば、この補償金という手段をもって「違法コンテンツからの私的複製」をも私的複製の範囲内に留めておくこともまた可能ではないかと思われる。
○複製態様に応じた徴収法を検討すべきではないか?
(エンドユーザーによる個別支払いへ道を拓くなど。)
録音・録画機器と記録媒体との両方に課金することの妥当性?
小売価格に対する低率で課金することの妥当性? また、その率の妥当性?
実質的に補償金を支払っている者(機器・記録媒体メーカー)の妥当性? 本来の支払い者であるエンドユーザーが直接支払うことも出来ても良いのでは?
ラフな分配だけを行なっていることの妥当性? 分配先を支払い時に指定する方法も検討に値するのではないか。
※私的録音録画小委員会においては、各権利者団体による具体的な分配実態を公表させることで、分配の適切さについて議論すべきである。最低でも、分配対象となる権利者の数、分配額(平均だけでなく最高額・最低額も含めたデータとして)、分配額を決めるための基準(そのデータ)などは公表すべきである。社会に対し多大な負担をかけている以上、各権利者団体はそれくらいの情報公開を行なってしかるべきだ。
※アナログとデジタルを区別する必要性を改めて問うべきであろう。アナログを補償金対象外とする“論理”のもとで、逆にデジタルなら何でも補償金対象とすることは不合理である。なぜならデジタルでの私的複製の多くは、複製元コンテンツに取って代わることのできないデジタル圧縮を介したものだからである。“アナログでの私的複製は劣化するため権利者の不利益が大きくない”とする“論理”はデジタル圧縮技術(不可逆のもの──代表としては iPod への MP3 や AAC が挙げられる。実はCDからMDへの私的複製もデジタル圧縮された音声である)にもそのまま当てはまる(当てはまらなければおかしい)。
※どの程度デジタル圧縮すれば「不利益」とならないかについては議論の余地もあろう。私見では、 MP3 ならば 128 k、 映像ならば YouTube 程度の劣化があれば元コンテンツの利用を妨げることは無いかと思われるが。
投稿:by 暇人#9 12:44 午後 [ユーザーと著作権, 著作権行政 watch, 音楽業界の愚行] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック
私的録音録画補償金にかかる議論で検討すべき論点
(注:この文章は、 2006年9月25日 締切りの文化庁パブコメに向けて書いた。)
私的録音録画補償金については、文化審議会著作権分科会法制問題小委員会での前期 (2005 年度)1年間の議論で数々の論点が採りあげられた。検討の中心となったのはハードディスク内蔵型録音録画機器・汎用機器および記録媒体・政令指定であったが、他にも二重徴収の問題や分配・共通目的基金の問題なども指摘された。私も意見募集を通じて少なからぬ指摘を行なったところであるが、これを吸い上げたかのような委員意見も若干見られた。
ところが、この法制小委の検討を引き継いで補償金制度自体を議論するはずの今期・私的録音録画小委員会は上記論点をなかなか消化できないでいる。下手をすると議論されずに終わってしまうのではないかとの危惧すら覚えるところである。
そこで私が検討を望んでいる論点を整理するとともに、本意見募集の場を借りて私の意見もまとめることとした。
私的録音録画補償金については、文化審議会著作権分科会法制問題小委員会での前期 (2005 年度)1年間の議論で数々の論点が採りあげられた。検討の中心となったのはハードディスク内蔵型録音録画機器・汎用機器および記録媒体・政令指定であったが、他にも二重徴収の問題や分配・共通目的基金の問題なども指摘された。私も意見募集を通じて少なからぬ指摘を行なったところであるが、これを吸い上げたかのような委員意見も若干見られた。
ところが、この法制小委の検討を引き継いで補償金制度自体を議論するはずの今期・私的録音録画小委員会は上記論点をなかなか消化できないでいる。下手をすると議論されずに終わってしまうのではないかとの危惧すら覚えるところである。
そこで私が検討を望んでいる論点を整理するとともに、本意見募集の場を借りて私の意見もまとめることとした。
目次
【1.議論に先立つもの】
●1-1 大前提
1-1-1 エンドユーザーが納得できる理論を構築すべき
●1-2 議論の当事者
1-2-1 私的録音録画小委員会
1-2-2 忘れられた重要当事者
【2.現行制度に感じる疑問】
●2-1 「補償」の検討
2-1-1 私的複製の範囲
2-1-2 「不利益」の存在
2-1-3 複製権ありきの考え方
2-1-4 私的領域に及ばない知的財産権
2-1-5 「補償」されるべきもの
2-1-6 不当な「補償金」と、負のインセンティブ
●2-2 「そもそも論」として
2-2-1 フェアユース類似規定創設の必要性
2-2-2 「違法コピー」喧伝の詐欺性
【3.疑問の検討】
●3-1 現行制度創設時の論点を洗い直せ
3-1-1 メディアシフトが全く検討されていない
3-1-2 制度創設の根拠はレンタル・放送
3-1-3 「不利益」の正体を明らかにせよ
3-1-4 スリーステップテストの精査を
3-1-5 デジタル・アナログを区別する妥当性は?
3-1-6 メーカー悪者説に固執する、信義則を忘れた権利者
3-1-7 再検討すべき他の手段
【4.前期法制小委で指摘された論点】
●4-1 ハードディスク内蔵型録音機器・録画機器
4-1-1 タイムシフト目的の私的録画
4-1-2 プレイスシフト目的の私的録音、そして iPod 等の汎用性
4-1-3 機器・媒体一体型の指定は著作権法上 予定されたものか?
●4-2 二重徴収問題
4-2-1 法解釈からの議論、そして契約法と一般慣行
●4-3 補償金を課すのがおかしい態様
4-3-1 所有著作物(複製物)からの私的録音・録画
4-3-2 「コピーコントロール」された著作物(複製物)からの私的録音・録画
4-3-3 レンタルした著作物(複製物)からの私的録音・録画
4-3-4 ネット配信で購入した著作物(複製物)からの私的録音・録画
4-3-5 友人からの借り物からの私的録音・録画
4-3-6 放送番組からの私的録音・録画
4-3-7 私的録音・録画時には複製元を所有していたが、その後 売却した場合
4-3-8 自作曲や非著作物から、自ら行なった私的録音・録画
●4-4 メディアシフト・プレイスシフト・タイムシフト
4-4-1 対価支払い済み著作物につき、
上記目的の私的複製は補償金の対象外とすべき
4-4-2 上記目的の複製に使われた CD-R やMD
4-4-3 ハードディスクは有限期間しか使えない
4-4-4 上記目的の私的録音・録画につき
技術的保護手段の回避も認めるべきではないか
●4-5 汎用機器・記録媒体
4-5-1 録音や録画に使用している場合
4-5-2 録音や録画に使用していない場合
●4-6 政令指定
4-6-1 基本は現行通り
4-6-2 規定を簡略化すべきか?
【5.これからの制度】
●5-1 私的録音録画補償金制度廃止の可能性
5-1-1 補償金制度は DRM とは両立しない
5-1-2 既に家庭内に存在する著作物(複製物)について
●5-2 暫定的に改善すべき点
5-2-1 分配の透明性確保
5-2-2 共通目的基金は廃止・縮小すべきか?
5-2-3 返還制度
5-2-4 制度の周知
●5-3 これからの補償金制度
5-3-1 録音・録画機器への課金をやめよう
5-3-2 付加価値をつけた CD-R の市場投入が可能ではないか?
【6.議論のされ方について】
●6-1 審議会(小委員会)の進行
6-1-1 意見募集の必要性
6-1-2 迅速な情報公開
6-1-3 とりわけ議事録公表を速くするために
6-1-4 余談だが──
【1.議論に先立つもの】
●1-1 大前提
1-1-1 エンドユーザーが納得できる理論を構築すべき
著作権制度自体の在り方としても言えることだが、エンドユーザーが納得できる理論を構築していく必要がある。かつては各権利者団体や法学者・実務家の間で納得しあっていれば済んでいたのだろうが、著作物利用(あるいは使用)においてエンドユーザーも重要な位置を占めるようになっているからである。その理由については、エンドユーザーの各々が情報発信の手段を得たり、著作物の複製を可能とする機器を所有したりしていることなど、多くの識者によって指摘されるとおりであろう。
とりわけ、私的領域内における著作物の扱い(この場合は「利用」ではなく「使用」と呼ぶべきものばかりではないかと個人的には考えるが)に関する取り決めをおこなう場合、エンドユーザーの納得が得られなければ制度自体破綻することは間違いない。著作物を扱うのがエンドユーザー自身であり、私的領域内においては各々の判断が全てだからである。著作権制度が維持できるか否かはエンドユーザーの理解如何にかかっていると言ってもいい。
では現行制度にエンドユーザーが納得できていないことが多いのは何故か。権利者側が不当にも決めつけているような「無知」や「意識の低さ」から来るものでは決してない。現行制度の設計・検討にあたり、エンドユーザーを納得させるだけの論理性に乏しいことが原因なのである。また著作権制度の前提として想定されているものと社会常識との乖離が著しいことも一因だろう。
ひとつの論点について、仮に現行の著作権制度を変更しなくてもいいと結論するとしよう。しかしこの場合でも、論理的検討を一通りすませ、その検討内容を後からでも参照できるように最低限すべきであろう。そうすれば周知不足によってエンドユーザーの「理解」が不充分だったとしても、自ら学ぶ方法が確保されることになる。過去の議論を理解したうえで制度に評価を下すことができるわけだ。
もっとも その「参照」できる情報は、著作権制度の説明を一方的に行なうのではなく、制度設計時の論理的検討をふたたび辿らせられるような詳細さで用意されている必要がある。最初の議論の段階で、論理的には粗い検討しか行われていないとしたら論外ではあるが。
なお著作権制度については、研究者でないかぎり、過去に遡って審議会の内容を精査することは難しい(議事要旨しか掲載されていなかったり、そもそも ある年以前はインターネット上で参照することすらできない)。私的録音録画補償金制度はその創設時において詳細な検討がなされていたのか否か。現状の文部科学省・文化庁サイトではそれすらも判りづらい。
※もちろん、権利者にとっても録音・録画機器メーカーにとっても納得できる内容でなければ私的録音録画補償金制度の運用は覚束ないだろう。よって、これら三者をつなぐのは論理か妥協しかない。私はこのうち前者を重視している。
現行補償金制度は後者によって構築されてはいなかったか。制度創設の議論に加わらず私的録音・録画問題の当事者となってしまった者からは、全く説得力のない制度として酷評されているように見受けられる。「妥協」で制度設計を行なったところで その合意内容が脆いということは、権利者団体・メーカーの双方に合意内容を反古にするかのような発言が見られることからも判る。
●1-2 議論の当事者
1-2-1 私的録音録画小委員会
現在、私的録音録画小委員会において私的録音録画補償金制度に関する議論を行なっているところであるが、その委員構成は以下のようになっている。
権利者代表 6名
日本レコード協会
日本音楽作家団体協議会
日本芸能実演家団体協議会
日本放送協会
日本民間放送連盟
日本映画製作者連盟
メーカー代表 3名
電子情報技術産業協会
日本記録メディア工業会
ユーザー代表 2名
主婦連合会
IT ・音楽ジャーナリスト
学識経験者・実務家 7名
実のところ、私的録音・録画をおこなうエンドユーザーは消費者団体の構成員とは一致しない。よってエンドユーザーの考えが小委員会の議論に反映されないという危険がある。エンドユーザー代表としての人物をもう数名追加すべきであろう(数としてのバランスからもそれが妥当である)。
エンドユーザーというものは、極端な話、国民の全員がこれに該当する。このようなエンドユーザーの大部分を包括する団体の創設など極めて難しいものであり、また現行の消費者団体のような形で仮に結成できたとしても、エンドユーザーの多種多様な意向を汲み上げていくことは不可能に近いと思われる(また残念ながら現行の消費者団体は私的録音・録画問題に積極的に取り組んできたとは言い難い)。
私的録音・録画にかかる論点を収集・検討していく意味でも、大々的な意見募集を早急に実施することが必要である。従来のような報告書をまとめる段階になっての意見募集では遅すぎる。まず意見募集をおこない、寄せられた意見・疑問から浮かびあがる論点をもとに「そもそも論」を議論していくべきである。
できることなら、意見募集を幾度かにわたり こまめに行なっていくことが望ましい。議論の推移に応じて反応を見ていくことができるからである。
1-2-2 忘れられた重要当事者
私的録音録画補償金を議論する場には、この問題において重要な当事者であるレンタル事業者も含めるべきなのではないか。なぜなら著作物利用者として大きな存在であり、私的録音・録画問題ではエンドユーザーが著作物入手法として多く利用することに加え、私的録音録画補償金の導入時にその根拠として挙げられていたのがレンタルCDだったからである。
しかも私的録音録画補償金制度が創設される以前から、レンタルレコード・レンタルCDについて私的録音前提の貸与権使用料で権利者の利益が確保されていたという経緯もある。この補償金と貸与権使用料との関連性については、現在もレンタル事業者と JASRAC との間で言い分が食い違っている。これを解決する意味でも、レンタル事業者を議論の場に参加させるべきである。
最低限、レンタル事業者 (CDVJ) と著作権者 (JASRAC) との双方から意見を聴取し、私的録音録画小委員会の場で検討することが必要である。
【2.現行制度に感じる疑問】
●2-1 「補償」の検討
私的録音録画補償金を理解しようとして感じる疑問は数多い。しかも過去の議論(特に創設時のものなど)を紐解いても、残念ながらその多くが解消しえない。今まで本質的な議論が重ねられて来たのか正直疑わしいほどである。今もなお「そもそも論」からの検討を求める声が多いのは、こうした過去の経緯からしても当然なのではないか。
現行補償金制度は、エンドユーザーが私的複製を行なうことに対する権利者への「補償」である。あるいは自由に行なえるとする私的複製にかかる権利制限に対する「補償」であるという解釈も示されている。しかしながら、こうした根本的な部分ですらエンドユーザーが理解するための手掛かりは少ない。過去の議論では観念論に終始し、具体的な話として説明されていないためだ。
2-1-1 私的複製の範囲
これまで法制問題小委員会で、「私的複製の範囲」の見直しについて議論されていたとされる。しかし意見募集に付された報告書案を見る限り、私的録音録画小委員会での議論を待って検討をしていくとの方向性が打ち出されているようである。これでは法制小委としての役割を果たさずに議論を丸投げするような無責任な結論と言わざるを得ないが、ここではさて置く。
私的録音録画補償金制度はあくまでも私的複製の範囲内での行為について適用されるものであるから、私的複製の範囲自体を左右する法制小委の議論を待たずとも検討することはできる。私的複製から外すべきという録音・録画態様が法制小委の議論で指摘されれば、それも補償金から外せば済むだけの話だからだ(私的複製の範囲から外れた無許諾複製は当然違法となる)。
しかし私的録音・録画の議論においてはもうひとつ、重要な論点を提示しておきたい。私的複製として考えられる録音・録画態様のうち、“権利者へ、経済的不利益を具体的に発生させているもの”だけに補償金を課すべきである──ということだ。
2-1-2 「不利益」の存在
私的録音録画補償金問題において、「不利益」という言葉はかなり観念的な意味合いで使われているようである。もちろん法学用語としての性質もあるが、本問題のような社会生活を左右しかねないものについては、一般国民が理解できるような具体的定義が必要である。
私的複製にかかる権利制限が定められているために権利行使を“我慢”させられることが権利者の「不利益」であるとの説明も散見される。しかし著作権制度本来の趣旨からすれば、著作物の商用利用(すなわち著作物が私的領域へ入っていく場面)からの正当な対価を保障するのが本道であって、私的領域へ入ったあとの著作物視聴に新たな対価を発生させる必要があるのか疑問である。いちど私的領域に入った著作物については、それが正当な対価(無償も含む)によって入手されたものであるかぎり、その著作物(複製物)からの利益還元は既になされているからだ。
確かに、私的録音・録画によって私的領域内での著作物視聴は拡大していると言える。しかし所詮は同一人(あるいはその家族)による視聴である。私的複製物を視聴することも、入手した大元の著作物を繰り返し視聴することも同じであり、権利者が新たに得るべき「経済的利益」の発生は考えられない。具体的には、たとえばあるCDを持っている者がそれを iPod に録音できなかったと言って、新たに配信楽曲の形で買い直すか──ということだ。一般的な消費行動として、それはまず考えられないところである(同一著作物の新たな複製物に付加価値があれば別だが、それとて買うかどうかはユーザー自身の判断次第である)。私的複製に権利者の「不利益」を推定するということは、同一著作物を何度も重ねて購入することを推定するのに等しい。これは現実から あまりにかけ離れた前提と言わざるを得ない。
また、逆のアプローチでも考えてみる。もし私的領域内で私的複製や視聴をするたびに支払わねばならない金銭が発生するとすれば、エンドユーザーは著作物の購入という行為そのものを行なうだろうか? ビジネスモデルとして、権利者・流通業者・エンドユーザーの三者間で合意されたもの(適切な価格が設定されたペイパービューなど)が存在すれば別であろうが、これに近い負担を著作権法で強制することは、エンドユーザーにとっての著作物(複製物)購入のインセンティブを失わせる。このような権利者の新たな「利益」は不当なものであるとすら言える。
繰り返しになるが、著作権制度が著作物流通からの利益還元を意図するものである以上、経済的な動きが生じない私的録音・録画にまで無条件に「利益」を想定するのはおかしい。
※著作物パッケージを一家庭内で複数買うことが殆どない──という一般的消費行動は、著作権に対する意識とはまったく別の問題である。むしろ同じ人間に同じ著作物を何度も買って貰えるという権利者側の考えの方が甘い(そこまで著作権法が面倒を見る必要はない)。
著作権者・著作隣接権者に新たな創作へのインセンティブを生じさせるという考え方からすれば、むしろ家庭内での著作物取扱いへの課金を認めるべきではない。このような課金は既発著作物を繰り返し売ることで金銭を巻き上げる“錬金術”を誘発し、新たな創作が抑制させる原因となる。
2-1-3 複製権ありきの考え方
“我慢=不利益”の考え方と表裏一体なのが、“まず複製権ありき”という考え方である。確かに国際条約上は、まず第一義として権利者へ複製権が付与されている。しかしスリーステップテストに適合することを条件として、公益や各種権利との調整から権利制限を行なうことは各国の立法に委ねられているところである。日本なりの論理構成でもって権利者と利用者とのバランスを図ることはできる。
ところで、そもそも複製権を無条件で付与することは現代社会に合致した考え方なのだろうか? 私的領域内に複製機器が全く無かった時代ならいざ知らず、私的録音・録画にかぎらず著作物を複製する手段がいくらでも入手可能になって久しい。複製権と私的複製とのバランスをどう取るべきなのかという問題はいつも指摘されているところではあるのだが、実はこれと逆の意味で指摘されるべきなのではないか。
これまでの著作権制度の前提がおかしかったのではないか、と。
2-1-4 私的領域に及ばない知的財産権
複製技術(特にデジタル機器を介したもの)の普及によって著作権制度が危機に陥っている──とのフレーズは権利者側からよく連呼されているところである。しかし複製権以外での著作権制度の設計を見てみると、著作物の使用(視聴など)や利用(送信など)については私的領域にまで及ぶとされていない。著作権以外の知的財産権についても市場での保護が第一義であって、私的領域内での“使用”にまで権利を及ぼして禁止してしまおうという設計はされていない。
とすると一つの疑問が出てくる。複製権においても、市場利用と私的領域での使用とを同じように禁止権が及ぶものとする当初の前提自体がおかしいのではないか。単に昔は複製機器の普及が遅れていたために、このような誤った“前提”による歪みが顕在化しなかっただけのように思える。
現行著作権法でも私的録音・録画以外の場合、たとえば講演内容をメモする、講義の板書をノートに写す、研究用に論文をコピーする、写真を撮る(これなども時として著作物の有形的再製となる)──などの行為も含めて「私的複製」とされている。こうしたものは一般国民の知的活動の一環であって、さらには過去の知識・技術を体系的に習得することで今後の表現活動へと繋げていく行為と言える。ここで複製権が及んでしまって「私的複製」が禁止されるような事態になってしまえば、「知る権利」や「表現の自由」はもちろん、国民が文化的な生活を送ることをも阻害することになりかねない。
私的録音・録画についても同様である。放送番組や映画・コンテンツパッケージ、あるいはCD・レコード等の視聴は映像・音楽文化を国民が吸収するのに極めて効果的なメディアであることは明らかである。しかも私的録音・録画が可能となったことで こうした文化に接する機会・時間が拡大していることも明らかであり、もし私的録音・録画を前提とした著作権制度が設計できないとしたら それは時代に逆行する社会を標榜することに他ならない。今後の映像・音楽文化を再生産していく次世代から機会と可能性を奪うこととなる。
また、著作物(複製物)を購入することでエンドユーザーに認められるべき利用態様というものがある。いれもの自体は有体物として存在するコンテンツパッケージでは比較的擬制しやすい財産権的アプローチでの論理構築が必要であり、またインターネットなどで流通する無体コンテンツについても同様に“財産”としてのみなしが必要であると思う。
たとえば音楽CDや映像 DVD であれば、エンドユーザーがわざわざ購入する以上、相当回数の視聴が可能でなければおかしい。そしてその視聴態様について限定的な拘束が(不当にも)生じてしまうのはおかしい。このことはエンドユーザーがCDを購入する際の売買契約の“前提”として現に意識されている上に、エンドユーザーの今後の文化的・知的活動を保障するという意味から言っても、こうした正当な視聴を著作権制度によって妨害・抑制することは不適切きわまりない。
著作物パッケージではその物理的制約により、視聴態様がしばしば限られてしまう(レコードでは室内で視聴するしか方法がない等)。たとえば再生機が持ち運びできなかったり、あるいは多くの事例があるように再生機自体が世代交代して生産されなかったりした場合である。このような時に私的録音・録画によってエンドユーザーは自身の“財産”たる著作物の視聴機会を繋いできたのである。古くはレコードから私的録音したカセットテープをウォークマンで聴くこと(プレイスシフト)、現在ではCDから私的録音した iPod で音楽を聴くこと(プレイスシフト)、メディア破損の危険が少なくない自動車内において私的録音した CD-R を視聴すること(メディアシフト)、あるいはレコードでしか発売されていない音楽を CD-R にメディアシフトすること──など、私的録音・録画ができなかったら過去に購入した著作物パッケージが著しく不便に(酷いときは只のゴミに)なってしまう。こうしたコンテンツの一部は新たなメディアなどでも流通しつづけるが、かつて旧メディアで購入したエンドユーザーはその新メディアでの再購入を強制されるのは理不尽だと言えるだろう。
無体コンテンツについても同じことが言える。むしろファイル形式や DRM ・再生環境を限定した仕様で流通している分、著作物パッケージよりもメディアシフト・プレイスシフトの必要性が生じてくる。これを単純に売買契約の問題として片づけるには深刻すぎ、エンドユーザーが当然に認められるべき私的複製の保証が検討されなければ、コンテンツ流通自体を危うくすることとなるだろう(エンドユーザーが理不尽な商品に対して下す最終判断は「不買」である)。
以上のように、私的領域内において常識の範囲内(現行著作権法での「私的複製」の範囲)で私的録音・録画を行なうことについても、権利の存在を前提として著作者らの「不利益」をすぐ認定してしまうのはおかしいのではないか。むしろエンドユーザーが著作物を入手するのと引き替えに支払った対価(それは無償のものも含まれる)によって保障されるべき自由視聴の範疇だ。
言ってみれば、エンドユーザーが私的領域内で完結させる私的録音・録画は視聴と同義なのである。
著作権制度のありかたとして、まずは市場での著作物利用から対価を得さしめることを第一義とし再構築する必要がある。私的領域での著作物利用に制限をかけるのは、あくまでも市場での利用に影響ある不当なものに限るべきである。
私的録音録画補償金においては、権利者に具体的な「経済的不利益」を生じさせる複製態様についてのみ「補償」する(すなわち課金する)よう制度改正すべきである。
2-1-5 「補償」されるべきもの
私的録音・録画を行なうことで、私的領域内での著作物視聴が拡大することは間違いない。この結果として新たな著作物の購入・視聴を連鎖的に誘発していくことは、私的録音・録画のプラスの効果として充分意識されるべきである(たとえば友人間でのCDの貸し借り及び私的録音が、自らが消費できる金額以上の音楽以上の音楽体験をもたらし、その後のCD購入機会を増やすという事実に注目しなければならない)。もっとも私的録音・録画問題ですぐさま槍玉に挙げられるのは私的複製そのものの「不利益」とやらなのだが。偏った議論と言わざるを得ない。
もし私的録音・録画によってエンドユーザーが何らかの経済的利益を得ているのであれば、権利者への「還元」もまた考えねばならないだろう。しかし私的録音・録画を行なっているのは著作物(複製物)を所有する本人(またはその家族)なのであって、録音・録画できなかったとしても元々の著作物を視聴すれば事足りるだけだ。そのままでの視聴が不便であって、私的録音・録画をすることで利便性向上を図れるために著作物視聴が拡大するのである(私的録音・録画ができないとすれば単に視聴機会が失われてCDが売れなくなるだけである)。
正当な対価を支払って入手した著作物(複製物)を何度でも好きな形で視聴することは、コンテンツパッケージを購入した所有者に認められて然るべき権利である。こうした利便性確保だけを目的とした私的複製に「補償」が必要──と頭ごなしに決めつけるのは不合理なのではないか。言ってみれば、欠陥品を売りつけられたユーザーが自らの努力で改良して物品を使いこなす際に、元の売り手に追加料金を支払えと求めるようなものである。
現行法で私的複製とされる態様で作られたものであっても、その複製物が私的領域外に出てしまえば「目的外使用」として著作権侵害とみなされる。逆に言えば、その複製物が私的領域内にとどまる限り、権利者に「不利益」を与えているとは考えづらい。複製物の流出可能性をもとに「補償」を考えているとすれば、すぐにでも改めるべきであろう(一部にこのような認識を示す向きがある)。法律では既に手当てされているのだから。
また、私的領域内での複製であれば、その複製の量が多くても「不利益」とはなりづらいものと考えられる。極端な話、私的複製の数は、シフトできるメディアの種類の分だけ必要となる。しかもこのような形だろうが なかろうが、個人が視聴目的で幾つも幾つも同一コンテンツを複製することはまず考えられない(せいぜい CD-R バックアップ、パソコン、 iPod くらいなものであろう。あとは並び替えや編集した CD-R 程度)。そしてそのうち同時に聴かれる複製物などはごく僅かである。同一家庭内では聴く人間が同じであって、私的録音・録画をしようがしまいが同じことだ。プレイスシフトで聴く時間が多少は増えるが(これは明らかである)、1日 24時間 しかないのは誰も同じである。
私的領域内でどんなに私的複製を行なったところで、すればするほど著作物の使用が無限に拡大するというものでもない。
私的複製が権利者に与える「不利益」が大きくないということに加え、権利者が本来得るべき「利益」がどんなものかということもまた検討する必要がある。本来得るべき「利益」が得られなくなるからこそ「不利益」となるのだから。それ以外の“甘い見込み”や“獲らぬ狸の皮算用”“希望的観測”の分は「不利益」ではない。
私的録音・録画問題において、著作物の流通はいくつか考えられる。CDや配信などでの正規売買。あるいは放送などの二次利用である。他にも中古売買があるが、これは正規売買に準じて考えれば良い(中古売買自体から権利者は利益還元を受けることはできないが、最初の販売時点で充分な利益を得ている。また生産しなくなったコンテンツパッケージについては中古売買でしか入手できないのであって、むしろ権利者側が中古品店に手数料を支払うべきであろう。文化を流通させつづけ、時代の中を生きながらえさせているのが中古品店らなのだから)。
正規の商業利用による「利益」を精査し、これが得られなくなる因果関係が明らかな場合にこそ権利者の「不利益」を認定すべきであって、まずそうした録音・録画態様を特定すべきなのである。
2-1-6 不当な「補償金」と、負のインセンティブ
著作権制度の問題というよりは経済的な問題であって余談になってしまうかもしれないが、メディアシフト(CDからMD、CDからPCなど)やプレイスシフト(PCから iPod、 CDから CD-R に録音しカーオーディオ視聴するなど)といった用途の私的録音・録画に「補償金」の名目で賦課金を発生させることは、エンドユーザーが著作物購入をするインセンティブを失わせる原因になる。私的複製に料金を発生させようとしたソニー製「レーベルゲートCD」が、「コピーコントロール」への拒否とともに市場での生き残りすら叶わなかった事例もある通りである。 CD-R への焼き付けが許されなかった時代の日本製音楽配信が全く普及しなかったことも同じ原因による。
著作権制度は、複製以外の利用態様では first sale からの利益還元を意図した設計が採用されている。代表的なのは譲渡権の国際消尽原則だ。複製権についても同様の考え(ただし市場への影響を考えれば、私的複製物を私的領域の外に流出させないことは大前提となろう)で臨むべきと考える。経済的な動きが生じない(本来支払うべき金を払わなくて済むという場合を除く)態様の私的複製にまで権利者の「利益」を推定し、それを「還元」させようとする制度設計はおかしい。エンドユーザーの理解など永遠に得られまい(ひどいときは著作権制度とともに葬り去られることとなろう)。
●2-2 「そもそも論」として
2-2-1 フェアユース類似規定創設の必要性
日本の著作権法は、権利制限の範囲が米国法よりも広く取られているとの評価もできるところではある。しかし権利制限にかかる議論や、新しい技術の出現を阻害する事実を見るかぎり、利用者の権利が充分に確保されているとは言い難い。そこで米国法のフェアユースに類似した概念を(例えばスリーステップテストを要件にするなどして)導入し、一般権利制限規定を権利制限個別規定との並行で規定できないだろうか。
※もっとも現行の私的複製のすべてが「エンドユーザーの権利」であって無償・自由とすべきものだとは言えないだろう(逆も然り)。無償・自由とすべきか、有償・自由とすべきか、その峻別をきちんとしておかなければ、いつまでも私的複製の問題は解決しない。
著作物(複製物)を購入するエンドユーザーの権利を意識することが肝要である。たとえばCDなどは、当のレコード業界が「半永久的」に聴けるものとして売り出したものである。「半永久的」との表現が適切かどうかは別としても、エンドユーザーがCDを買うときの意識としては“今後ずっと聴く権利を買った”というものである。
これに加えて、“自由な態様で聴く権利を買った”という意識も存在する。自分で購入した著作物、あるいは所有している著作物について、エンドユーザーが私的録音・録画を行なうことの裏側にあるのがこれである。
著作物(複製物)を売買することが一般的なものであり、エンドユーザーの上記意識が社会常識と言える以上、こうした私的録音・録画が無償・自由で行なえるようにする必要がある。フェアユース類似の規定をすべきである。
デジタル技術で私的複製を妨害することが可能となる今後、この問題は大きく注目されることは間違いない。
2-2-2 「違法コピー」喧伝の詐欺性
パソコンを使った私的録音・録画については私的録音録画補償金の対象外とされる。汎用機器・記録媒体への課金が難しいことが理由だが、補償金が課金されていない以上そのまま私的複製規定が適用される私的録音・録画ということになる。よってこれは適法行為である。
仮に現行補償金制度の精神を尊重するのであれば、パソコンでCDから CD-R へ私的複製する際に音楽用 CD-R (補償金が課されている)を使うことで補償金支払いを実質的に済ますことも可能である。それにもかかわらず、レコード業界はこの私的録音を「違法コピー」と名付けて喧伝し続けている。本来なら「音楽用 CD-R を使ってください」とでも言えば済む話だというのに。
そればかりか、レコード業界が「コピーコントロールCD」というパソコンでの視聴すら妨害する物品を市場に投入した。これはCDの規格を逸脱した上に、購入したエンドユーザーに再生を保証しないという商品の名に値しない代物であった。
現行補償金制度へのエンドユーザーの理解が一向に進まないのは、業界側が全く補償金制度の周知活動を行なわないことに加え、以上のような行動にも原因がある。もともとは私的録音・録画を有償かつ自由とすることを前提に導入した補償金制度でありながら、それを当事者のレコード業界自身が反古にするという事態なのだから誰の理解も得られまい。
「コピーコントロールCD」とやらを市場にバラ撒いている間も、レコード業界は(従来と変わらない額の)補償金を受け取り続けていた。これでは二重・三重の意味で「詐欺」と言わざるを得ない。現在の補償金に対するエンドユーザーの反発は、レコード業界自身が引き起こした自業自得である。
くりかえしになるが、私的録音・録画にかかる補償金制度のもとでは、私的複製そのものを禁じるような重 DRM は撤廃されるべきである。補償金制度下で重 DRM 状況が続く現在のままでは、エンドユーザーの理解が得られない上に補償金制度を廃止する理由になり得る。
※なおCDの規格内ではコピーコントロールは実現できない。今まで流通していた「コピーコントロールCD」は再生を保証できない欠陥品ばかりである。商道徳上 不適切と指摘されるべきものであり、再販制等の優遇措置を多く受けておきながら行なう商行為として決して許されるものではない。
もっとも実態の伴わない欠陥品だったとしても、売り手本人が「コピーコントロール」を標榜している以上、私的複製補償の対象から外すべきではあろう(主張する権利者側の責任として負うべき問題である)。
【3.疑問の検討】
●3-1 現行制度創設時の論点を洗い直せ
3-1-1 メディアシフトが全く検討されていない
現行の私的録音録画補償金制度が創設される際に念頭におかれていたMDは、その用途はユーザーが自ら所有するレコード・CDからのメディアシフトが主である。議論当時も音楽入りMDはわずかしか売られていなかったし、また現在にいたっては音楽入りMDは殆ど扱われていない。所有するCDをMDに私的録音するだけでは、権利者に与える不利益が全く存在せず補償金を課す必要がない。
しかしメディアシフトの多くが不利益を生じさせないことは全く考慮されていない。メディアシフト用途の私的録音・録画を課金対象から外すなど、見直しが必要である。
3-1-2 制度創設の根拠はレンタル・放送
制度創設時から現在にいたるまで、補償金制度の必要性はレンタルCDや放送からの私的録音・録画にあるとの説明がなされているところである(文化庁担当者や法学者らによる文献より)。エンドユーザーが自分で購入したレコード・CD等からの私的録音・録画について全く触れられていないことは前述のとおりである。これだけでも現行制度の妥当性が疑わしくなるが、根拠として挙げられたレンタルや放送ですら問題なしとしない。
まずレンタルでは、貸与権使用料との関係が問題となる。私的録音録画補償金制度に先がけて貸与権が創設された際、レンタル利用者の私的録音が前提として議論された。またレンタル料金に占める貸与権使用料の率が高いことも、ユーザーによって私的