「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」追記
「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」周りの動きが、シンポジウムの中身が固まるにつれて活発になってきた印象ですね。
http://xtc.bz/index.php?ID=391
「『著作権保護期間の延長問題を考える国民会議』のシンポジウム詳細が決定しました」
(音楽配信メモ)
賛成派のパネリストとして三田誠広氏と松本零士氏が出席することに(三田氏は賛成側の意見講演も。反対側は福井健策氏)。松本氏はなんと国民会議の発起人にまで名を連ねることとなりました。まぁ議論を目的とする団体ですから、松本氏の主張と何ら矛盾するところは無いのですけどね。
12月11日は、 残念ながら私は仕事です。もとより札幌から駆けつけるなんてことも出来ませんが。それでも仕事の調整がつけば、途中から生中継を見られるかも。いずれにせよ後からのダウンロードを楽しみにしております。
なお国民会議のサイトでは、シンポジウムのこと以外でも様々な情報が更新されています。定期的にチェックされることをお勧めします。
http://thinkcopyright.org/
「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議 - thinkcopyright.org」
さて。国民会議の発足を高らかに宣言した記者会見について(上記サイトで MP3 ファイルをダウンロードできます)、その書き起こしを掲載し始めているネットメディアが登場しました。耳と目で内容を確認できるようになるのは大変ありがたいことです。
http://ascii24.com/news/s/specials/2006/11/20/665950-000.html
「【短期連載】識者・クリエイターの声を聞いて、
著作権保護期間の延長を考えてみよう(前編)」
(ASCII 24)
http://ascii24.com/news/s/specials/2006/11/21/665963-000.html
「【短期連載】識者・クリエイターの声を聞いて、
著作権保護期間の延長を考えてみよう(中編)」
(ASCII 24)
http://ascii24.com/news/s/specials/2006/11/22/665972-000.html
「【短期連載】識者・クリエイターの声を聞いて、
著作権保護期間の延長を考えてみよう(後編)」
(ASCII 24)
※後編へのリンクは 2006年11月23日追記。
実際の音声とは(私自身は)比較していませんが、読んだ印象では一部整理されている感もあります。3回に分けて掲載される予定とのことです。
ところで、延長しろと要求している方の言い分も最近明らかになってきています(下記はその言い分を紹介した 『Copy & Copyright Diary』 さんの記事です)。
http://d.hatena.ne.jp/copyright/20061113/p1
「『著作権問題を考える創作者団体協議会』と
『著作権保護期間の延長問題を考える国民会議』のQ&A」
(Copy & Copyright Diary)
文芸著作権通信に記者会見の模様(をQ&Aにまとめたもの)が掲載されているそうです。
これが、まぁ彼らの相変わらずな主張と言えばそうなのですが、ツッコミたくて仕方ない内容だったりします。後回しにしますがね。
著作権保護期間問題を議論する際にチラっと出てくるのが「戦時加算」の話ですが、これについては 『The Casuarina Tree』 さんがまとめていらっしゃいます。
http://00089025.blog8.fc2.com/blog-entry-262.html
「戦時加算の基礎知識」
(The Casuarina Tree)
本国では様々な優遇措置が取られている「ピーター・パン」や「星の王子さま」が日本国内では最近10年でPD化したのを見れば明らかなように、このまま戦時加算が存続した場合でも講和条約60周年の2012年前後が山場で、それ以降は現在に比べれば考慮の必要性がほとんど無くなることもまた事実である。
あと何年かすれば戦時加算も意味が無くなるのかなぁと漠然と考えていたのですが、やはりそういう考え方もアリなんですね。
■『文藝著作権通信』の痛い中身
Q&Aへのツッコミは別稿に譲るとして、ここでは本文のみを対象に紹介します。
http://www.bungeicenter.jp/NPO007.pdf
「『文藝著作権通信』第7号」
(日本文藝著作権センター・ PDF)
いまや70年というのが世界標準として定着しているといっていいのです。
これは大嘘です。「世界標準」とは国際的に広く定められたものを指すべき言葉ですが、本来それに当たる国際条約で義務として定められているのは著作者の死後50年ですし、また現に50年で著作権制度を維持している国の方が圧倒的に多いのです。
複製は無限に作ることができますから、その作品が高く評価されれば、長期間売れ続けることになります。そのために、保護期間というものが設定されているのです。
これは「保護期間というものが設定されている」理由には全くなりません。この話が本当だったら、著作権制度で保護期間が設定されなくても(つまり永遠の保護を受けるとしても)OKということになるではありませんか。
しかし永遠の保護が不適切であるということは、死蔵の問題や創造サイクルの断絶を考えても明らかです。同じ理由で延長も否定されます(少なくとも延長のデメリットは指摘できる)。
多くの作家は目先の収入を求めるのではなく、芸術として長く評価されることを期待し、そのことを目標として創作活動に励みます。ですから芸術を愛し、創作に命を捧げようとする作家にとって、「インセンティブ」とは、金銭ではなく、将来の評価だということになります。だからこそ、保護期間の延長というものが、作家にとっては重要な「インセンティブ」となるのです。
著作権の保護期間を延長するということがどういうことなのか。著作権のうちでも「財産権」と呼ばれる権利の行使がより長く出来るということになります。著作者が「金銭」を求めているのではないとするなら、こうした著作財産権の行使が出来なくなっても変わらない筈ですが如何でしょう。自由利用には文句をつける(特に「タダ」であることに執着する)のに、変ですね。
また、著作財産権は原権利者から第三者に譲渡されている場合が多いわけで、保護期間を延長することで「金銭」的な利益を得るのは今権利を持っているそういった人たちなのです。今以上の保護期間延長が著作者の「インセンティブ」になるのか判らなくなってしまいますね。
ちなみに「将来の評価」が著作権の付与にあるという考え方も腑に落ちません。既に著作権の切れた宮沢賢治や夏目漱石らの作品は(書かれた当時から見て)「将来の評価」を得ていないのでしょうか? 自由利用に供されており、その名声は落ちることなく、また時には書籍としても買われているのです。おかしいですね。
もし著作権保護期間が延長されれば、今の宮沢賢治作品や夏目漱石作品とは異なり、自由利用もされず本にもならない作品が多く発生します。このような死蔵作品の評価は誰がするのでしょうか?
いまだに保護期間を50年のままでとどめている日本は、文化的後進国といわねばなりません。
それが事実ならば、それに甘んじては如何ですか。
著作物がどう使われているのか、どのように残されていくのか──そういった観点から、著作権保護の適切な在り方を問えない著作者ばかりだったとしたら、そちらの方が私は「文化後進国」だと思いますね。なんと浅ましいことか。
まず日本の作家の作品が50年を経過すると、欧米では著作権フリーになってしまうということが起こります。
死後「50年」ですからね。あしからず。
この時点で既に長すぎるのですよ。この『文藝著作権通信』の5ページには「パブリックドメイン(自由利用可能)となる主な作家」が掲載されていますが、逆に言えば ここに挙げられた以外の作家の殆どはその著作物が死蔵されている状態だということです。
あのリストの背後にある無数の死蔵作品が見えないとしたら、彼らは本当の意味で想像力が足りないし、この問題について発言するのに適格ではないと思われます。
著作権の保護期間が短いということは、多大の損失をもたらすことになります。
やはり金ですか。
その作家の本国ではまだ著作権が保護され、財産権が機能しているのに、日本では著作権フリーになり、無許諾無償で使用されてしまうということは、外国の作家にとっては許しがたいことでしょう。
また金ですか。
というか、死後50年で保護期間が満了し無許諾・無償で使用されるのが嫌ならば、国際条約に文句をつけては如何でしょうか。あれによって50年が標準であって、それ以上の保護にするかは各国の判断に委ねられています。しかも属地主義をとることとなっているのですよ。
国際条約上の義務を果たしている以上、外国人にとやかく言われる筋合いではありません。
たとえば作家が亡くなった時、夫人が30歳だったとしましょう。保護期間が50年のままでは夫人が80歳になった時に、保護期間が切れてしまいます。お子さんの場合は、生きている間に保護期間が切れるケースがもっと増えるはずです。
年金じゃあるまいし、遺族が生きてる間 なにもせず金が入ってくることを保障する必要がどこにありますか。たとえば作家が亡くなった時、夫人が30歳だったとしましょう。そこから80歳になるまで生きるのに、働かないで何もしない人なんていないでしょう。子供にしても、作家が亡くなってから50年後、何の収入も得られないような子供のままでいるケースなんて全く考えられないですよ。
そもそもの死後50年という現行規定自体、非常に長いものなのですよ。売れる・売れないの違いはあるにせよ、その間に充分な利益を得られるよう法で手当てされているのですから、それ以後も期間を延ばす必要はどこにもありません。
それにしても、金の話ばかりですね。
ご家族に負担を強いて創作活動に専念している作家本人としても、保護期間が長く設定されていれば、未来に夢をもつことができます。
50年で足りないという理由にはなりませんね。
むしろ「永遠に保護してくれ」と言ってるのに等しい要求であって、そんな図々しい考え方に同調する義務など日本社会にはありません。
「文化は模倣により発展するものであり、著作権はその発展を妨げている。保護期間の延長はそれをさらに助長する。」という意見も時に聞かれますが、大切なのは作品の創作性であり、著作権はその創作性を保護するものであって、他人の表現の模倣や真似による作品を保護するものではありません。
創作の試行錯誤というものを忘れていますね。誰しも最初から立派な作品を書いていたわけでもあるまいに。
ひとりのアーティストの変遷を考えれば、模倣期の存在が確認できます(よほどの天才でない限りは)。また、二次的著作物を創ったことのない人だって殆どいないと思われます。そうした作品だって著作権法上は著作物となる筈ですがね。
たとえば米国著作権法でよく引き合いに出されるディズニーの作品群にしても、その多くがパブリックドメインからの二次的著作物です。
(Q&Aについては別稿にてツッコミます)
Posted by 谷分 章優 図書館・読書, 著作権保護期間延長問題, 著作権行政 | Permalink
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