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2006年12月 7日 (木)

Imagine: 『著作権マニア』さんの感覚的な話を聞いてみたい

 ちと遅レスになってしまいましたが──

http://ohbentoh.blog16.fc2.com/blog-entry-54.html
「暇人#9へのご返答」
(著作権マニア)



※今までの経緯↓

http://ohbentoh.blog16.fc2.com/blog-entry-53.html
「著作権保護期間延長議論について一言」
(著作権マニア)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/11/post_b380.html
「『著作権保護期間延長議論について一言』──を受けて」
(エンドユーザーの見た著作権)

 とりあえず、『著作権マニア』さんとのやりとりでは保護期間延長問題のこと(50年であるべきか70年であるべきか)は置いておきます。“著作権保護期間の必要性”という そもそも論に話を絞りましょう。つまり「著作者が著作物の運命を一存で決められるシステム」が本当に妥当なのかという。

『著作権マニア』さんでは著作権を「不動産」に例え、「自分の著作物の経済性を、孫、曾孫、玄孫の代まであげたい」という「著作者の意思」が「ありえる話」とされています。しかし、果たしてそういうものなのでしょうか。
 不動産の場合、その範囲(占有地)に第三者が入り込もうとしない限りにおいて、その第三者の行動に如何なる制限ももたらしません。これは他人のものなんだから、それとは別に自分のものを持てば間に合う話なのです。また不動産には登記が必要であって、仮にその権利範囲に関わろうとする場合、権利関係をあらかじめ確認することができます。
 しかし著作物の場合は、これとは決定的に違う特性を持っています。

・同じ内容の複製物や翻案物が社会のあちこちで存在しており、また過去にその著作物を視聴した者については記憶の形で残存している。公表から長い期間を経ていれば、その著作物はそれだけ文化の一部となっている(今になって公表を無かったことにできない)。
・物理的には、第三者がその著作物を利用することなど いつでも可能である(場合によっては同時に複数の者が利用することも可能)。これを人工的な制度でもって「禁止」しているのが著作権制度。いちど公表してしまったものは物理的コントロールから離れてしまうのが常である。
・また、複製権や翻案権によっても第三者の行動を広く制限してしまう制度設計が為されている(新たな表現への制限になると指摘されるのはこのため。決して商用の著作物に限った話なのではない)。

 以上のような特徴から、「流通を止められない」「ゆえに、それを法で禁止する」という制度設計が為されることとなります。その結果、著作物利用の萎縮を生むことにもなるのですが。ともあれ双方のバランスの中で著作権制度は運用されます。
「流通を止められない」「法で禁止する」のいずれかに振り切ってしまうと、無視できないほど大きな害が発生します。前者に振れれば著作者らが生活できませんし、後者に振れれば文化的利用ができません(再生産に活かされないし、著作物の大部分が残らなくなってしまう)。
 これと同じように、(著作権の及ぶ範囲を調整するとともに)著作権保護の期間を区切っておく必要があります。

『著作権マニア』さんは、極めて長い期間の保護でも容認されるでしょうか?

 著作者が「この著作物の経済性は孫の孫まで担保しろ!」と主張するものを認めるか否かは、「この著作物はもう絶対に流通させない!」とか「この著作物に似たものを作ったやつは金を払え!」とかいう極端なケースも考慮した上で判断べきでしょう。「一存で決められる」ようにすればそういうケースも想定されるわけですから。さすがに“永遠の著作権”を主張する人がいるかは定かでありませんが、線引きとして現在 決められているのが「死後50年」です。
 視聴する側(エンドユーザー側)からすれば、「一番はじめに作った人」が折々の判断で許諾・非許諾を決めるのなら まだしも納得できます(まぁエンドユーザー全員がそうだとは言えませんし、ケースバイケースでしょうけど)。しかし、それが「一番はじめに作った人」が指名した人物(含:配偶者とか子供とか孫とか曾孫とか‥‥以下略)に判断を委任するようになっていたとしたら、その判断を「一番はじめに作った人」の意思だとみなせるでしょうか?
 ただでさえ人の考えというものは変わります(原著作者も、判断を委任された人も)。また「一番始めに作った人」が存命中だった頃とは社会環境も変化していくでしょう。まして「死後50年」ともなれば、「一番はじめに作った人」の考えを理解しているとは限らない人物が権利を受け継いでいるのですが、如何でしょう。

※また別の著作者にしてみれば、それだけ著作権が存続する著作物が増えてしまっては訴訟リスクも同様に増えてしまうことになります。保護期間が極めて長期に渡ることで発生するのは、自分が生まれる遙か前から存在する著作物に表現を縛られる(同じ表現を使えない)ということです。

 さて。
 ここで『著作権マニア』さんへ質問をしてみようと思います。
 感覚的にお答えいただければ結構です。

【1】「一番はじめに作った人」の「意思」が100年ないし200年程度だったら、それは従うべきだと思われますか? 100年ないし200年前に亡くなった人の著作物を利用したいけれど、遺族を探し出して許諾を得なければならないケースを思い浮かべてください。
【2】「意思」が永遠の保護だったとしたら、それは従うべきでしょうか? 1000年とか そういうスパンで考えてみると判りやすいと思います。遺族を探し出せますか?
【3】上の二つの質問を踏まえた上で、保護のラインとして どの辺りが適切と思われますか? 
【4】著作権は、一世代相続されるたびに複数の人間が権利者となります(いくら少子社会と言っても、相続先がひとりだけというケースは少ないでしょう)。著作者の「死後50年」より先ともなれば権利者はかなりの数に上るものと予想されますが、その権利はどのように管理されているでしょうか?
【5】複数の権利者に共有される著作物の利用許諾を得るためには、当該権利者全員から許諾を取らねばなりません。こうした制度のままで、ずっと当該著作物の利用を続けていくことが可能でしょうか?

 たぶん、著作権の保護期間の必要性は上記の例を考えれば、感覚的にも見えてくると思うのですよ(その適正とされる保護期間がどうあれ)。




■本当に、「一番はじめに作った人」に著作物流通を任せて大丈夫なのだろうか?

 ここからは長い余談です。
 著作物の流通に限定して、「一番はじめに作った人」の「意思」がどのような事態をもたらすのか一例を挙げてみます。

『what's my scene?』 さんで、『著作権マニア』さんの論旨に賛同されていたのが興味深い出来事でした。ただ「一番はじめに作った人」の「意思」をどこまで容認しているのか、「永遠にしろ」という「意思」もあり得るあたりはどうお考えなのか──短い記事でしたから真意を読むことは難しいのですが、著作者を差しおいて著作権者が力を持っているということを指摘してるあたりは、やや限定的な賛同を示しているような印象もあります。
 ここで 『what's my scene?』 さんを引き合いに出したのは、別に『著作権マニア』さんへの賛意を示したからじゃないんですね。実は、「一番はじめに作った人」や、「一番はじめに作った人」から権利を譲り受けた者がどのようなことをするか──を書いた記事が掲載されているからなんです。

http://blog.livedoor.jp/whats_my_scene/archives/50479436.html
「もうビートルズ商売はいいよ」
(what's my scene? ver.7.0)

http://blog.livedoor.jp/whats_my_scene/archives/50485575.html
「どうでもいい話:ビートルズ音源の独占契約はやっぱりiTunes?」
(what's my scene? ver.7.0)

 先だって 『Love』 という、ビートルズの曲を使ったアルバム(ビートルズの作品と呼ぶべきものではない)が発売されたのですけど、これを素直に喜ぶファンはさほど多くないのですね。いや買いましたよ、私もね。買いましたとも。しかしこの作品が褒められた内容なのかどうかは、私がビートルズのファンであるかとは全く無関係。
 ビートルズ関連のリリースは、今でもポール・リンゴ・ジョン・ジョージの合議制によって決定されています。まぁ後半の二人は未亡人が代理するという形ですが(しかしそれが「一番はじめに作った人」の「意思」ということになりますね)。アップルが現存しているという意味においては、ビートルズは今でも機能していると言えます。
 著作者が「この著作物の経済性は孫の孫まで担保しろ!」ということを認めると、 『Love』 みたいな事例が延々と繰り返されるわけですね。たまたまオフィシャルで“リミックスアルバム”を出せる人間が一部にいるかと思えば、他の人は許諾を貰えないでリミックスできない。私などは 『Love』 はまだしも許せる方ですが、 『Let It Be... Naked』 などは最悪の部類だと思いますね。こういうのがこれからも続くと思うと、気が重くなります。

 ビートルズというやつは、かつて発売されていながら今は正規流通していない音源・映像がいっぱいあるんですよね。上記リンクの後者の記事で、 『what's my scene?』 さんは「自分で聴きたいと思うようなビートルズ音源は、一部の初期カタログをのぞけば全てアナログとCDの両方で持っている」と書かれていたりもします。まぁアナログを持ってる人は確かに強いですよ。
 ‥‥私などはアナログをあまり集められなかったものですから(それでも多少は持ってますよ)、 『Help!』 以降のモノラル盤などは全く入手できていません。中古で見かける機会はあっても、高すぎて買えんわい! すみません、愚痴になりました。
 既に充分なだけコンテンツを所有している(この場合は複製物を所有しているという意味ですが)人は別に困らないかも知れません。が、後から──たとえば今から集めていこうと思い立った人間にとっては、「一番はじめに作った人」によって流通が断たれた場合、かつて存在していたものを享受することすら叶わなくなります。
 ビートルズだと、ライヴ音源の殆どは公式発売されていませんね。ラジオやらテレビやらオーディエンス録音やら、現存する音源が多岐に渡るにもかかわらず、です。一部が 『The Betales Anthology』 と 『Live At The BBC』 で蔵出しされたのみです。日本公演ですら全容を入手することができません(こちらは最近、客席で取られたとかいう新音源発掘のニュースがあったりもしましたが。あと、一公演分だけビデオ化されていたなんてこともありました)。かつては公式ライヴアルバムで 『Live At The Hollywood Bowl』 なんてのもあったりしたんですが‥‥未CD化です。
 オリジナルアルバムは20年も前のマスターのまま放置状態で(さすがに廃盤になってませんが)、リマスター盤発売に対する需要を米盤 『The Capitol Albums』 ボックス2組にさらわれる格好。いや、そもそも殆どのオリジナルアルバムにはモノラル・ステレオ両方の音源が用意されていたわけで、現行CDと同じくらいの数だけ音源が埋もれているということなのですよ。まぁここまで聞きたがるのは よほどのマニアですけど。
 シングルやEPで発売されていたモノラル音源なら、まだしもCDボックスになってるから救いはあります。昔はシングルもバラで売ってたんですけどねー。シングルまできちんと復刻されてるアーティストは珍しい類で、確かにアルバムとしてシングル集が発売されている他アーティストも少なくない反面、シングル音源が入手できないアーティストもまた多いわけです。ビートルズは商売になる分だけ、まだマシな方と考えることはできます。
 映画著作物として保護期間が延長されている状態にありますが、ビートルズの出演映画だって DVD の殆どは廃盤状態です(くそー 『Magical Mystery Tour』 買っておけば良かったよ)。 『Let It Be』 に至っては、いまだにビデオソフトとして発売されたことがない(どっかの国でLDになったことはありましたが)。

 音楽業界におけるビジネスの権化・アップル(英国、ビートルズの方ね)ですら満足に流通を維持できない状態にあります。「一番はじめに作った人」だけではなくて、その委任した人間の考えに任せることの弊害は、現行制度「死後50年」の中で既に発生しているのです(しかも流通阻害はその一部でしかないし)。
 我々世代のように、既に ある程度のブツを所有しているのなら、まだしも良いのですよ。しかし これからビートルズを聴いていこうという次の世代が享受できる「ビートルズ」は、本当のビートルズの全容を示したものではないということなのです。こうした状態があと何十年続くのやら。(個人的には、著作隣接権が切れると同時に流通に荷担したいと思ってるくらいですよ! ──多少 JASRAC に金を払っても良いから。)

 また愚痴になっちまうかな、私などは特に、ジョン・レノンの権利を管理してる某未亡人(名を口にすることすら忌々しい)について“恨み骨髄”って感じですよ。錬金術よろしく「未発表音源」切り貼りアルバムを製作するのは まだ良いです。アルバムのリマスターを大胆に敢行するのも まぁ良いでしょう。しかし問題は、オリジナルの音を葬り去って、さらには 『Some Time In New York City』 のように中身を改竄することです。これを許すわけにはいかない。
 東芝と結託して「コピーコントロールCD」で出すのも、某未亡人が目先の利益にとらわれて先が見えていない証拠と言えます。リマスターの時に安易に 「CCCD」 化してしまったために、その後の再発時もずっと 「CCCD」 のままで出し続けてるアルバムがあるのですから! あんたバカですか? (おかげで私はずっと東芝 EMI の日本盤を買ってませんがね。笑。)
 こういうものを、私たちは「一番はじめに作った人に「意思」として甘受しなければならないのか否か。挙げ句の果てには、某未亡人、「著作権延長しろ」とか要望出してるし。 「Imagine」 きちんと聴いたことあるのか、と小一時間問い詰めたい。

 もちろん、こういう流通阻害は「ビートルズ」に限った話ではなくて、ほんの一例に過ぎません。この社会のあちこちで起こってるわけですよ。上に長々と書いてあるのは、正確には著作隣接権の問題だったりするのですが、まぁ流通阻害という面においては著作権も著作隣接権も同じ弊害があります。ここでは敢えて区別しません。
 こと流通に着目したとき、いちど社会に放たれた著作物が、「一番はじめに作った人」の意思だからということで“無かったこと”にされていくことが容認できるのか。私は決してそうは思わない。
 既に流通したものは確かに残るかも知れません。しかし、これからその著作物に振れようとする者にとっては、それが実際に享受できる状態になければ存在しないも同じなのです。そのような実態が、文化振興法たる著作権法の予定するものなのかとの疑問を禁じ得ません。
 現に『青空文庫』などのように“消えゆくもの”のアーカイヴを作る試みが始まっています。こうした試みを危機に陥れるのもまた著作権制度と言えます。「一番はじめに作った人」の「意思」なのです。

※それにしても、我ながら長い「余談」でした。今回は流通についてのみ論じましたが、もし『著作権マニア』さんから反応が再度あれば、他の面について考える機会もあることでしょう。

Posted by 谷分 章優 著作権保護期間延長問題, 音楽と著作権 |

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コメント

拙文に対するTBありがとうございます。

正直そんなに深い考察はしてなかったのですが、単に「著作者を差しおいて著作権者が力を持っている」状況が面白くないということを、非常に脊髄反射的に書き殴ったというか…。

で、ビートルズを例にした「余談」については、答えるのが難しいです。極論すると、一旦発表した作品をお蔵入りさせることができるのも著作者の権利であり、そういうことをする理由が単なるクリエイター個人のエゴであっても、それは認められるべきですから。

また、先に来た人は買えたのに、後から来た人は買うことができないというのは、文化の問題である以前に、単なるビジネス上の問題だったりする可能性もありますよね。(初回限定、云々とか)

シェイクスピアと同時代の他の作家の作品はほとんど残ってないという話をどこかで聞いたことがあります(間違っていたらすいません)。そういう意味では青空文庫のような活動は素晴らしいし、どんどん試みられるべきだと思いますが、一方で、ある「文化」が後生に伝えられるかどうかは、割と偶然や運に支配されるのかもしれないなぁと感じています。

う〜む、なんだかピントの外れたコメントになってしまいましたね…。

投稿: wms | 2006/12/08 3:08:20

書き込みありがとうございます、 wms さん。いつもブログ読ませて戴いてます。

もしよろしければ、前半の『著作権マニア』さんへの質問、 wms さんも考えてみてもらえませんか。 wms さんだと どうお感じになるか興味があります。

「極論」としながら wms さんが示された「一旦発表した作品をお蔵入りさせることができる」との著作者の“権利”については、私個人の考えとしては簡単に受け入れられないなぁというのが正直なところだったりします。一定の期間は著作者の考え通りにさせることも(感情論として)理解できなくもないと思う一方、一度発表したものを葬り去ることは拡散するという情報の摂理に反することですから、法で縛るのは不合理ではないかと感じています。先のビートルズの例で言えば、公式CDで入手できない音源があると海賊盤は絶対に無くならない、みたいな。
法が摂理に反していれば、運用に必ず歪みが出てくると思います。
まぁ、あくまで私の「感覚」ですけど。

投稿: 暇人#9 | 2006/12/08 10:41:27

あ、いけない。書き忘れました。

公式には流通しない著作物について、その理由がさまざまあるのは間違いありません。商業的にペイできないのかも知れないし、商戦略上の理由からかも知れないし、著作者の「エゴ」によるものなのかも知れないし、あるいは著作権侵害とかのっぴきならない理由によるものなのかも知れない。
ただ現行の著作権制度および運用の問題は、それらの理由の如何にかかわらず「非許諾」「萎縮」という形で再流通の機会が得られないことにあるのだと思います。ここで何らかの方策(権利制限なり裁定なり権利集中管理なり)があれば、少なくとも「商業的にペイできない」場合などは救済できるのではないかと。

投稿: 暇人#9 | 2006/12/08 10:47:01

これはあくまでも想像ですけれど、クリエイターのエゴというのは、誰からも認められないときには、無償でもいいからできるだけ多くの人に自分の作品を鑑賞してもらいたいけれど、一度でも商業的に成功すると、今度は無償で提供するのはできるだけ避けたくなるものだと思います。

一方、受け手側としては、有料よりも無料の方が絶対にウレシイです。

結局はバランスなんじゃないですかね? 例えば、永久に著作権が保護されている作品があったとしても、それが常に無償で手に入るシステムになっているのなら誰も文句は言わないでしょうし…。

著作権の在り方が問題というよりは、ビジネスのやり方が問題なのかもしれません。その辺りのことを、池田信夫氏がブログで書かれていました:
「著作権の延長は有害無益だ」
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/70fad22f40bdebcdf8b188c0a103bdef

今回もピントが外れたようなコメントで失礼しました。

投稿: wms | 2006/12/09 23:53:59

まぁ何と言いますか‥‥「結局はバランス」というのは間違いありません、ハイ。
「著作権の在り方が問題というよりは、ビジネスのやり方が問題」というのも確か。
たとえばフェアユースがもっと認められていたり、たとえば流通していない著作物については権利制限の幅が広かったり、権利者団体が不当に使用料を吊り上げたりできないようになっていたりすれば、著作権の保護期間は死後50年より長くても問題が少ないかも知れませんね。極端な話、「永久に著作権が保護されている作品があったとしても、それが常に無償で手に入るシステムになっているのなら誰も文句は言わない」とも思います。

ただ、ここでは現行制度を前提に考えてみませんか(もっとも現行制度を不変のものと捉えるのではなく、変える場合も現行制度を始点と考えるという意味)。
我々だって何でもかんでもタダで手に入れようとしている訳ではありませんし、現に安くもないCDを買い込んだりしてるわけですから、価値があると思うものに対しては。作品の発表後(ないし作者の死後)どれくらいの期間“金を払ってあげよう”と思えるかが、ユーザー側から提案できる著作権保護期間ではないかと。
そういうところを想像することで、現行制度の運用状況なり、保護期間なり、制度自体の設計なりを評価していけるものと私は考えています。

どうです? 感覚的な話として。 wms さんは著作者の「エゴ」をどこまでなら受け入れられます?

投稿: 暇人#9 | 2006/12/10 0:39:49

どうも、oh_ben_tohです。
遅くなって申し訳ありませんでした。
早速、お返事してみようと思います。

【1】【2】
100年でも200年でも10000年でも著作者が本当にそういう意思を持っているのであれば、尊重してあげてもいいと思ってます。

しかし、結果的にそれは著作物の文化的側面を無視していることになり、著作物の全体的な価値が下がるだけです。
確かに、ユーザーは非常に悲しみますが、それはしょうがないのだと思うしかないと思うのです。
極端な話、そんな著作者だったのだと、あきらめればいいと思うのです。

【3】
難しい質問ですね。私は、正直わかりません。
ただ、今までの僕の意見や経緯とはぜんぜん逆な発言になってしまいますが、個人的に、著作者が特別な取り決めをしていない場合は、著作者が死んだら著作権も消滅というのは、ひとつの案だと思ってますけど。。。。
遺族は、著作者ではなく、著作権者なだけですから。

【4】
ほかの財産権と一緒で、当事者が勝手に決めてしまうことに、文句は言えないでしょう。きっと。だから、これも著作者がそういう人間だとあきらめざるを得なくなってしまうと思います

【5】
そうなりますね。。。でも、著作者だからしょうがない、と思うしかないのではないでしょうか?

結局のところ、著作者の意思を尊重するならば、それはユーザーも譲渡を受けた権利者も不都合を被るのはしょうがないと思うのです。

でも、まとめてご解答して、わかったことがあります。

僕の理想は、著作者が死んだら著作権(許諾権)も消滅、以後は報酬請求権になって遺族に50年担保、というシステムかもしれません。

投稿: oh_ben_toh | 2006/12/13 12:59:49

oh_ben_toh さん、御回答ありがとうございました。

そう‥‥「著作者が死んだら著作権(許諾権)も消失、以後は報酬請求権になって遺族に50年担保」というシステムだったら、今指摘されている問題の多くは解決するように思いますね。

著作権延長の議論って、我々が著作者に抱いてる敬意を悪用されているように感じるんですよね。我々が敬意を持ってるのは著作者であって著作権者ではないという。著作者が亡くなった後では、別の限られた人間がその著作物を好き勝手に出来るということに違和感を禁じ得ません。
本当にそれが著作者の判断だったら、確かに諦めもつくんですがね‥‥。

投稿: 暇人#9 | 2006/12/13 17:00:13

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