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2007年8月17日 (金)

砂上の楼閣たる私的録音録画小委の議論に正当性は見えるか ──第9回会合

 私的録音録画補償金の拡大が議論されている、文化審議会 著作権分科会 私的録音録画小委員会の第10回会合が 8月24日 に予定されています。傍聴の募集も始まっています(締め切りが 8月21日 午後6時)ので、都合の付く方はぜひ申し込んでください。はっきり言って、今が正念場です。
 さて第9回会合は8月8日に開催されました。相も変わらず2週間ほどのインターバルで開かれ続けているわけですが、それによって議論が深められている感じでは全くありません。議論の前提が積み上げられることなく、補償金拡大ありきで外観だけ整えようとしている砂上の楼閣といった風情なのですが──

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/08/08/16580.html
「『DRM普及でも補償金制度は必要』権利者側がメーカーに利益還元求める」
(INTERNET Watch)

 記事では、現行の補償金制度を変質させんと“奮闘”する権利者側委員の発言が伝えられております。もっとも、ネット上での反応を見ると これに理解を示す向きは殆ど見られませんわね。そりゃそうですよ、彼らの主張には論理的な根拠が伴っていないのですから。
 現行の補償金制度を正当なものとみなし、加えてメーカーを支払い義務者とすることで汎用機器・記録媒体(ひらたく言えばパソコンやハードディスクです)へと課金対象を広げようとしているのが彼ら(ついでに言えば文化庁も)の目論見。そしてその理由とされているのが「私的複製の問題は、メーカーが高度な複製技術を一般に普及させたことから生じている」との椎名委員の発言だったりします。
 しかし。これが本当に「私的複製の問題」なのか否か。確かに著作権法の研究者などからはこういう解釈が示されがちだったりはする訳ですが、私に言わせればそのような解釈に説得力など無い。メーカーが複製技術を普及させたところで、それは、一部の著作権者・著作隣接権者に対して「補償」せよとの責任を負うべきものではないのです。

 複製技術を一般に普及させるということは、表現手段を一般に普及させていくということと表裏一体です(特に音楽や映像というのは録音・録画と結びついて発展していく表現形態ですからね──音楽のライヴとかはともかくとしても)。社会から感謝されこそすれ、非難される筋合いはありません。
 また、〈業務用として既に存在する機器等が低廉化した結果 一般へ普及していく〉などということは工業化した社会では当然の流れです。複製技術がいつまでも一般に普及しないで済むなどという考え方自体がかなりファンタジーなのであって、こうした幻想を法律によって保障する必要など(まして幻想を維持するだけのコストを社会が負担する必要など)全くありません。
 録音・録画の機器等からメーカーが得ている「利益」を考えても、ユーザーが対価を払っている理由から、権利者団体に“利益還元”すべき性質のものではないことが判ります。我々は何に対して金を払うのか──メーカーの技術や設計思想ですよ。我々は、コンテンツへの対価は別問題として、CDや音楽配信に金を払い、その上で当該機器等を仕様しているでしょうが、いつも!
 メーカーからの“利益還元”を肯定することは、最終的な負担者である我々ユーザーにとって〈他人の著作物を私的録音・録画するかしないかにかかわらず、機器等を所有すれば自動的に課金徴収される〉仕組みを作ることに繋がります。

 私的複製の問題は、メーカーが高度な複製技術を一般に普及させたことが本質ではありません。あくまでもユーザーが他人の著作物を(30条の権利制限内とはいえ)複製しているという行為そのものにあります。だからこそ私的録音・録画に対して「補償金」を求めることに一応の論理性が認められるわけです。
 もっとも〈(デジタルであれば)いかなる私的録音・録画にも課金すべき〉との考えを正当化するだけの理論は未だに積み上げられていませんがね。少なくとも、この前提を疑う主張に対して反論が有効に行なわれている段階にはありません。かような現状で「補償金」拡大を強行しようとしているのですから、小委員会で一定の“結論”が捏造されたとしても どこまでの正当性があるのかは疑問です。
 著作権制度の本質へ立ち返ってみれば、どういった著作物の利用から著作権者等へどう利益を還元していくかということの積み重ねに尽きます(その手段として禁止権を付与するという構成を採っているわけですね)。それを踏まえて私的録音・録画問題を捉え直さないと、今のような歪んだ状況がいつまでも続くのでしょう──複製機器は一部の人間に独占させるべきという、時代遅れのファンタジーに立脚し硬直化した制度を無理に生きながらえさせようとする様が。
 著作権制度が未来へ向けアップグレードへの第一歩を踏み出すのか、旧来の価値観をごり押しして崩壊を早めるのか。時代遅れのファンタジーからくる矛盾点が一気に吹き出す私的録音・録画問題の議論に際し、こうした分かれ道に来ていることを自覚して臨んでいる人がどれだけいるのか、私には疑問に思えてなりません。

 入口の議論から詰めておかないとならなかったのですよ。やはりね。




■INTERNET Watch 記事からピックアップ

椎名氏は、現在の補償金額が「対象機器・記録媒体の価格の定率」となっていることを挙げ、「最近の対象機器・記録媒体はオープン価格が多い。これらの価格が安くなると、それに応じて補償金額も下落する」と指摘。改善策として、定率ではなく定額で補償金を徴収するプロセスを提案した。

 私的録音補償金管理協会(sarah)で権利者側の代表として補償金額を交渉した経験があるという日本レコード協会の生野秀年氏は、金額が決定するまでに時間がかかることを指摘。「(私的録音録画が可能な機器の)技術の発達に(補償金制度が)追いつかない状況はまずい」として、補償金額を迅速に決定できる仕組みが必要であると訴えた。この意見には椎名氏も同意し、「利害関係者や学識経験者で構成された評価機関で迅速に決めるべき」と続けた。

 前半の、椎名委員による定額制への要望は議論としてあり得るものだと思います。確かに、私的録音・録画という行為に対して一定額の補償金を課すという時、それに使われる機器や記録媒体の値下げによって目減りしていくのはどうかという観点はありますから。
 ただ、こうした補償金額を変更したいという要望を実現することに今まで権利者が成功しなかったという事実にも目を向けねばならないのです。そもそも権利者側がメーカー側とどう話し合ってきたのかという。権利者とメーカーとの間の妥協の末 創設された補償金制度だというのに、その金額について新たな合意に至ることができない体たらくの中で制度を存続させる意味があるのか否か。

 しかも後半の、生野委員による「迅速に決定できる仕組み」とやらは、先の定率か定額かという論点を加味して考えると、その要求が違うものに映ってきます。
 つまるところメーカー側との交渉が不調だから(別の言い方をすれば、メーカーを説得させられないから)、文化庁を味方につけ数の不均衡で押し切りたいということです。私的録音録画小委もそうですが、新たな「仕組み」でも権利者の数を多く設定するなどの不公正な運用がなされるのは明らかですからね。
「迅速」などというものは、私的録音録画小委での議事進行を見る限り「拙速」以外の何物でもないのですよ。言葉通りに受け取れるような話ではありません。

 課金対象や金額を決定する新たな組織を設けるよりも、むしろ著作権分科会下の小委員会を正常化し、補償金制度の内容を現実に合致させたものへと改善するのが先でしょう。課金対象や金額については改善議論の延長として扱えば良いだけの話。新組織で適切な検討がなされるなどとは(私的録音録画小委以上に)望めるべくもなく、ただ密室の中で権利者が好き勝手にふるまうようになるのは目に見えています。
 仮に新組織が正当性を得るには、権利者とユーザー(メーカーも含む)との人数を同じにし(有識者はオブザーバー扱い)、文化庁の影響から切り離し(あるいはメーカー側に経産省を付かせる)、現行の私的録音録画小委以上の透明性(会合の傍聴と議事録公開が必須)を保証することが最低条件です。そのうちのどれが欠けてもいけない。

 補償金額の決定方法に関する意見に対して、主婦連合会の河村真紀子氏は「(補償金制度の存続が)既定路線であるかのように話が進むことに抵抗感を抱いている」と反論。補償金制度の本質を議論せずに、対象機器・記録媒体に対する補償金額の決定方法を検討することは「一方的と言わざるを得ない」とし、これまでの小委員会で一貫して主張してきたように「補償金制度の妥当性の見直し」の必要性を訴えた。

 こうした反論が今でも繰り返し出てくることに違和感を持つ方も少なくはないでしょう。気持ちは分かりますが、こういう反論は当然出てくるものなのですよ。河村委員が指摘しているとおり、補償金制度の根本的な議論が未だ済んでいないのですから。
 今の議論は、私的録音・録画を行なうことから当然に補償金を徴収すべしとの前提で進められています。これに対する疑問がユーザー・メーカー側から挙がっているにもかかわらず、です。しかも今後、私的録音・録画できる機器等を所有すること自体に課金するような制度へと変質させることが強引に進められようとしているわけで、その根本を問う上記のような反論が(何度でも)出てくるのは必然なのです。
 例えば私たちが真っ先に考えるような疑問、〈自分で買ってきたCDをMDに録音して聴くことが、どうして「補償」の対象となるのか〉。「MD」は iPod でもパソコンでも何でも構わないのですが、こういう疑問を解消させるような(小委員会で議論の前提として合意できるような)論は出てきていません。むしろ委員の多くは、この場合には「不利益」が生じていないと考えている節も見られていたんですがね。
 そこを無視して、事務局主導で課金ありき・拡大ありきの議論が進められているのが現状です。

補償金管理協会では、徴収された補償金の一部(最大20%)は権利者団体に配分されずに、啓蒙活動などを目的とした「共通目的事業」へ支出される仕組みがある。この事業については、「存続すべき」との意見が続出。ただし、事業内容については「見直すべき」という声が多く、津田氏は「共通目的事業が継続するのであれば、その割合を20%から100%に限りなく近づけるべき」との考えを示した。

 「現在の補償金総額は5億円程度。それ(共通目的事業に割り当てられる金額)でどれくらいのことができるのか。それならば、クリエイターを守るセーフティネットのように共通目的事業を活用してみてはどうか。補償金を個々の権利者に厳密に分配できないのであれば、創作支援に使う方が良い」(津田氏)。

 個人が他人の著作物を私的録音・録画することによる「経済的不利益」の補償を建前とする制度について、その論理的正当性すらまともに議論されていないのが現状です。このまま補償金制度を存続させるばかりか課金対象を拡大するともなれば、その性質が「税」化していってしまうおそれは極めて高いものです。その一方で、そうした補償金の分配を受けられるのが、本当に補償されるべきなのか判然としない「権利者」たち。
 それならばいっそのこと完全に「税」化してしまって、共通目的基金という形で社会全体に還元してしまう方が社会的な納得を得られるのではないかとすら思います(無論、かような正当性なき制度は廃止できるに超したことはありませんが)。そういった文脈において、私は津田委員の上記発言に共感します。
 私的録音・録画問題の解決策は、一部の「権利者」だけに利するような形を採るべきではありません。より広く社会に還元され、社会的な合意のもとで存続できる制度である必要が本来はある筈なのです。私的録音・録画できる機器や記録媒体を所有することに何らかの賦課金を要するというのなら、その賦課金は「税」的な扱いを受けるべきです。私的録音・録画実態を考慮しなくなった時点で、そのような制度は もはや私権云々という概念からは離れてしまうのですから(ユーザが支払い義務者で、返還制度が維持されるのなら別ですがね)。


 記事によると、「次回の会合では、これまで寄せられた意見を踏まえた資料を事務局が提出し、これをもとにさらなる議論が進められる」とのことです。
 しかしどれだけまともな「資料」が上がってくるものなんだか。今年度と昨年度の私的録音録画小委だけを見ても、事務局の打ち出した拡大方針に対する反対意見については無視し続け、あげく強引に「叩き台」を出して、それに沿った議論をやらせたわけですから。
 また忘れてならないのが、事務局の「叩き台」はあくまで「もし補償の必要があるとしたら」との前提で制度変更を議論しているということ。ここから「もし」を外して制度変更を実現しようとするのなら、当然にその補償の必要性自体を再度議論しなければならないですし、「もし」のもとですら議論が対立しているという事実を踏まえて小委員会を運営しなければなりません。

 はっきり言って、拙速に報告書をまとめられる段階ですらないのですよ。




■ITmedia 記者のスリーアウト


 著作権分科会での議論を追いかけているメディアといえば、 INTERNET Watch と ITmedia ぐらいなものですかね。私もだいたいこの二つを引きながら動向を論じる形なのですが(私自身は物理的に傍聴不可能ですから)、今回は前者だけを引いてこれを書いています。
 最後にちょっとだけ ITmedia にも触れておこうかとは思いますが、ひょっとすると二度と引かなくなるかも判りません。

 ──あまりにも使えないのですよ、記事が。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0708/08/news074.html
「補償金額はどう決めるべきか 私的録音録画小委員会」
(ITmedia News)



 IT・音楽ジャーナリストの津田大介さんは、前回の会合で補償金の課金対象をiPodやPCにまで広げるべきとの意見が出たことを挙げ(関連記事参照)、対象範囲を広げた場合、「広く薄く」の通り、1つの機器やメディアに課す補償金額が低くなる可能性もあると指摘。このため「補償金額の決定方法と、対象機器の範囲の議論は一緒にすべき」と提案した。
※ リンク既掲 INTERNET Watch 記事より


 IT・音楽ジャーナリストの津田大介氏も、「議論を聞いていると、(対象機器・記録媒体の)範囲を迅速に拡大しようとするばかり」と河村氏の意見に同意。さらに、PCや携帯電話などが広範囲に補償金対象となるのであれば、「1つ1つの補償金額が安くなければ消費者的は納得できない」と述べた。補償金額の決定方法については、関係者が協議する際、パブリックコメントなどを通じて消費者の意見も反映すべきと主張した。

 これらは津田委員の同じ(一連の)発言を伝えているように思われます。ところが あまりにも印象が違いすぎるという。
 正確な発言内容は議事録の公表を待つしかないにしても、津田委員の過去の発言からいって「1つの機器やメディアに課す補償金が低くなる可能性もある」と肯定的に表現して終わりとは考えられません。むしろ文脈からして「1つ1つの補償金額が安くならなければ消費者的は(原文ママ)納得できない」の方が自然です。
 補償金の課金対象を拡大したときに「低くなる可能性」を示したとしても、それだけなら高く決まる可能性も加味した上で肯定しているとも読めます。現行の補償金額を前提に課金拡大される方が自然なのですから。しかしそれが津田委員の趣旨であったのか否か。
 ITmedia での伝え方では、発言の中へ留保されたものを不適切に切り捨てているのではないですか?

 字面は間違っていなくても、その伝える方向性に問題があって論旨を曲げてしまうということはよく起こります。 ITmedia の宮本真希記者は対立点をあぶり出すという書き方を基本的にしませんから、裏読みに耐えられる文章が上がってこない傾向があるようです。伝えている発言に反論がなかったのか、その発言は条件付きのものではなかったのか、という。
 それが意図的なものか実力不足によるものなのかは判りませんがね。三田誠広氏が池田信夫氏にやりこめられた一件を伝える記事にしても(池田氏による報告はこちら参照)、前回の私的録音録画小委を伝える記事にしても、事実を伝えながら論点を提示するという視点が決定的に欠けていました。
 私に関係ない記事だったらスルーしておけば良いだけなんですが、さすがに、私的録音録画小委の重要な局面でこういう記事を読まされてしまうのでは我慢の限界。私の中では「スリーアウト」ですよ。

 記者修行なら他の場所でやっていただきたい。
 報道関係者の傍聴席がもっと多く用意されてるのなら別ですがね。
 限られたリソースを無駄にするのだけは止めてくださいな。

Posted by 暇人#9 踊る文化庁, 音楽と著作権 |

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