ダウンロード違法化・ iPod 税パブコメ:提出意見
11月15日 〆切だった私的録音録画小委員会中間整理に関するパブリックコメント募集ですが、私も時間ギリギリまで かかりながら意見を提出しました。今回は募集期間が比較的長かったのと、 MIAU がパブコメ提出の呼びかけを行なったことから、〆切前から様々なブログさんで提出報告が相次ぎました。
周辺状況については正直 追い切れていません。幾つか目に付いたブログさんについてはピックアップしてみたいとの欲はありますが、ここでは後回しにしておきます。何せ、私自身の意見も相当の分量だったりするわけでして。
そんなわけで、ここでは私の提出意見をそのまま載せます。誤字・脱字もそのままです(苦笑)。そのうち別稿で解説というかフォローをしておきたいと思いますが、とにかくここでは“生”のまま並べておきます。
【P.97〜98】
第7章第1節「私的録音録画問題の検討にあたっての基本的視点について」
私的録音録画補償金制度を検討するにあたり、過去の議論をどう踏まえていくかという中間整理でのまとめかたには問題があると言わざるを得ない。ここでは補償金制度創設時の議論を無批判に踏襲する様が見受けられるが、現在 補償金制度にまつわる混乱が見られるのは まさしく創設時の議論が不足していたが故であり、この議論をも積極的に見直し是々非々で評価しなおしていく必要がある。
すなわち、この項目については再度 検討を要するものと考える。
現行補償金制度が創設される前の著作権審議会における議論をどう評価するかという問題は非常に大きなものとして挙げられる。
まず、時間だけは掛かっていたものの、その論理的成果は極めて乏しく充分な議論を尽くしていたとは言い難いところがある。今も踏襲すべき内容かは慎重にかつ冷静に判断すべきところであり、たとえば創設前からMDへのプレイシフト(CDに収録された音楽をMDウォークマンで聴くために私的録音する)が大部分存在していたにもかかわらず、議論に反映された形跡が全くない。加えて、補償金問題で特にレンタルCDからの私的録音がその根拠とされていたところであるが、貸与権使用料との関係について国会審議にまで遡った議論はなされていなかった(これは未だに為されていない)。
私的録画ではタイムシフトの扱いが重要となる(米国においては私的録画がタイムシフティング用途であるとして補償金課金の対象外とされている)にもかかわらず、報告書で軽く触れられたのみである。私的録画補償金を課すべきとの根拠に乏しい。
この議論においてメーカー側から、なぜ補償金制度が必要なのかという「そもそも論」を検討するよう幾度となく提示されていたいもかかわらず、結局そこを手つかずのままで妥協の産物として補償金制度が創設されている(そして「そもそも論」は現在の私的録音録画小委員会ですら検討されていなかった)。このような有様で無批判に踏襲すべき内容の議論であったかは甚だ疑問と言わざるを得ない。
私的録音録画補償金が妥協の産物以外の何物でもない最大の特徴として、アナログコピーには課金せずにデジタルコピーのみを対象としている点がある。音質云々が一応の理由として挙げられているが、複製の前後で質の劣化が伴うのはデジタルコピーにおいても同様である(とくに圧縮技術の採用等)。これがアナログコピーを不問とする理由として認められるのなら、大きく劣化したデジタルコピーについても私的録音録画補償金の対象外とするような制度改正も認められるべきであろう。
補償金制度創設時の議論に加え、 2005年度の 著作権分科会(法制問題小委員会)での検討結果をどう踏まえるのかという視点も必要である。補償金創設時の議論を踏襲するのなら、こちらも同様に踏襲されるべきであるからだ。
たとえば、 2005年度 当時から状況に変化が無いとするのなら、この時の結論を踏襲すべきと考える。また、 2005年度とは 異なる結論を今回の私的録音録画小委員会が出すというのなら、その根拠として充分なものが示されることが必要である。しかしながら本中間整理の内容では充分だとは全く言えない。
「二重取り」の解消を目的として適法配信からの私的複製を30条対象から除外する旨の提案が為されているが、これは「二重取り」の解消とは全く繋がらない。むしろ適法配信で入手したものからの私的複製の法的位置づけを著しく不安定にするものである(配信事業者の契約によって定められる私的複製はPC・ CD-R ・携帯音楽プレーヤー等への一次的な複製のみであり、 CD-R を介した複製──いわゆる孫コピーにまで明示的に許諾を与えるものではない)。音源のファイル形式等の問題があって(著作物のデータ形式の)変換を余儀なくされる一般的ユーザー環境を考えれば、こうした複製の法的位置付けが配信契約の内容に左右されることはユーザーの立場を不安定にすることと同じである。容認できるものではない。
違法複製物や違法配信からの私的複製を30条の外に設定することについても、その実効性や「違法」かどうかの判断が結局 司法に委ねられるという性質から、安易な法改定を肯定する根拠には欠けるものと考える。 2005年 の審議で出された結論は私的録音録画補償金自体の「根本的」見直しであって私的複製条項の縮小ではない(敢えて言うのなら私的複製の範囲の確定であって変更ではない)。複製が著作物使用そのものと同義であるデジタル時代(の複製機器やインターネット)の特性を把握しないまま30条縮小を行なうことは、その実効性や副作用の面から行っても危険極まりないものと言わざるを得ない。
さらには、ここで指摘された補償金制度の周知不足の件をきちんと検討されていたようには窺えない。単に補償金管理団体へ周知義務を課すだけとしており、具体的提案が示されていないばかりか、権利者団体側の委員からは経費の問題をもって周知に消極的な発言すら飛び出す有様である。実際問題として、公式サイトでの説明文掲載や共通目的事業以外には継続した周知広報が実施されておらず、時折思い出したかのように広告を打つだけ(それも首都圏のみを対象とするような)なのが現状である。もっと具体的に何をしていくべきか議論する必要があろう。
ハードディスク内蔵型録音機器等や汎用機器等への課金についても、それを決めるにたる根拠が示されないまま課金相当との結論を出すことには反対である。結論を出すためには、上記著作権分科会(法制問題小委員会)での指摘をきちんとクリアする必要があり、かつ私的録音録画補償金を課すことが相当であると認めるに足る私的録音・録画態様に限定して課金する方策を提案していくべきである。
すなわち、私的録音録画小委員会の中間整理は、まだ結論を出すべき時期には至っていないことが示されているものと考えられる。このような状態で結論を出すことは今まで以上の禍根を残すこととなり、ひいては著作権制度自体の崩壊をも招くことになりかねない。
【P.99】
第7章第1節3「私的録音録画問題を巡る時代の変化等にあわせて、次のような基本的視点を踏まえる」
「利用者のニーズを尊重し、円滑な利用が妨げられることのないよう配慮」することを示していること自体(この文自体)には意義があるものと考えられるが、しかし中間整理全体のトーンを考えると、不当な30条縮小と私的録音録画補償金の存続(そして改悪)を提案する中での“エクスキューズ”としてこの甘言が用いられているに過ぎないとの疑念を抱かざるを得ない。
もしこの理想を本当に私的録音録画小委員会が打ち出すのであれば、「利用者のニーズ」そして「円滑な利用」を現実のものとするために具体的な提案をしていくべきである。その際には、ユーザーの意見を実際に取り入れることも考えねばならない。
論点として考えられるのは、まず「利用者のニーズ」「円滑な利用」と「著作権保護技術」が両立するかということである。音楽配信における DRM、 地上デジタル放送における「コピーワンス」あるいは「ダビング10」、CDにおける 「コピーコントロールCD」、 DVD における「CSS」 等、ユーザーが本当に受け入れているのか定かでない仕様の「著作権保護技術」が市場に多く存在しているところである。
この問題意識を裏打ちするのが、充分な対価を支払って入手した著作物がユーザーが「公正」に扱うことについて(つまりプレイスシフト・メディアシフト・タイムシフト等)「補償金」なるものを支払わせる正当性がきちんと説明されているのかという観点である。現行の補償金制度がこうした利用をも一緒くたに扱っているため、ユーザーの理解を一向に得られないでいる(補償金を廃止すべしとのユーザー意見は少なくない)とも考えられる。
本来、私的録音録画小委員会に期待された役割というのは こうした疑問に対して説明していくことであったが、結局「そもそも論」の回避と30条縮小のゴリ押しに終始したことは誠に遺憾である。
「私的録音録画に関する具体的な制度設計を考える場合には、著作権保護技術や配信事業等の音楽・映像ビジネスの新たな展開などとの関係を十分考慮すべきこと」とする一文についても、現状を考えれば非常に虚しく響くと言わざるを得ない。実際に、音楽配信や映像配信が充分なレベルで実現しているかという観点で疑問がある。
海外で圧倒的な支持を受けている iTunes Store ひとつ取っても、海外版と日本版とで比較すればそのカタログの貧弱さは明らかである。日本では映画の配信は始まっておらず、しかも海外では配信していながら日本で入手できない楽曲が非常に多い。とりわけソニーミュージックのように、日本国内で音源を不当に提供していない例も見られる(ソニーは海外では積極的に配信している)。
配信事業がまったく発達していない世界では私的録音・録画が果たす役割が決して小さくない(つまり著作物を入手する有力な手段である)のだが、これを縮小したり「補償金」なる不当な負担を上乗せすることは、ただいたずらに配信拒否を助長させ、旧来のパッケージコンテンツ流通に止まろうとするような流通阻害をやりやすくするだけの結果を生むことに繋がってしまうのである。
こうしたことから、中間整理の内容はそもそも「利用者のニーズを尊重し、円滑な利用が妨げられることのないよう配慮」しているものとは認められない。むしろこの方針を強く打ち出し、再度 中間整理を刷新すべきものと考える。
補償金の課金は権利者に明白な経済的不利益を与えている私的複製態様に限定して行なうものとし、ユーザーが「公正」な範囲で行なう私的複製には DRM (コピーコントロール)の導入を認めず(仮にコントロールされているものはその回避を認める)、いちど公表された著作物については権利者に流通の義務を課す(この義務を怠った者については許諾権の一部を制限する)等の具体的提案を行なうべきである。
【P.100】
第7章第2節1「利用態様ごとの私的録音録画や契約の実態」
DVD からの私的録画が不可能であるかのように書かれているが、これが実態を反映しているのか疑問である。 DVD に用いられている「著作権保護技術」は著作権法の「技術的保護手段」には当たらないため、中間整理でも「技術的保護手段」の語は注意深く回避されているところである。
映画業界側の見解としては DVD のコピーを私的複製外(「技術的保護手段」の回避にあたる)としているが、実際問題として著作権法によって規制されているものでも技術的に不可能なものでもなく、むしろユーザーは私的複製(具体的には DVD からのハードディスクへの記録、および iPod 等用の変換)することも想定して上で DVD を購入しているというのが実態である。
このような現状がある以上、たとえばこうした私的録画を改めて違法化するとかするのではなく、素直に DVD の私的複製を認め、私的録画補償金の対象として含めることが必要である。
現在、 DVD に替わる新世代のディスクが提案されているところであり、これには複製を不可能とする技術が使われているところである。ユーザーが従来の DVD (複製可能)を採るか、新世代のディスク(複製不可能)を採るかは微妙な情勢であるが、著作権法によって保護されていない「著作権保護技術」にまで その保護が及んでいるかのような認識でいつまでもいるのは おかしいのではないか。
むしろユーザーには、自らが対価を支払って入手したコンテンツの私的複製(とりわけプレイスシフト・メディアシフト・タイムシフト)の権利を保障すべきなのであって、こうした私的複製態様については「技術的保護手段」の回避であっても違法ではないとするような法規定を設けることが強く望まれる。その立場を採って、 DVD の複製についても従来の著作物複製と同じ扱いを適用し、私的録画補償金を課金する対象として含めるべきと考える。
「技術的保護手段」については、現状の規定を維持することとし、次世代ディスク等がこの規定に沿った複製防止技術を採用して初めて私的複製から除外するものと考えるべきであろう。著作権法ではあくまでも複製利用に権利を認め、視聴については権利を及ぼさないとの原理原則を維持すべきである。
第7章第2節2「第30条の適用範囲から除外することが適当と考えられる利用形態」
【P.104】
中間整理でのこのページでは、違法複製物からの私的複製や 違法配信物のダウンロードを30条対象から除外することを肯定する根拠がかかれている。しかしこれらは著作権法を改定するだけの根拠として認めるに足る内容とは言えず、当該改定を提案する中間整理の方向性には私は反対である。
根拠アとして、中間整理は当該私的複製が「通常の流通を妨げる利用形態」であると位置付けている。しかしながら この種の私的複製について各著作物に着目するなら、海外の劇場公開から日本公開までの理不尽な時間差が生じている映画著作物であったり、 DVD 発売が全く予定されていないテレビ番組(映画著作物の日本語吹替版放送も含む)であったり、廃盤や未配信等の事情で正規には入手不可能な音楽であったりと、実際に「通常の流通を妨げる」どころか流通そのものが用意されていない事例が大半である。本来であればそうした流通を確保する努力を著作権者が為すべきところであり、そうした努力が為されていない現状では当該複製の違法化を法律の上で行なったとしても当該複製行為自体を根絶することは絶対に不可能であると断言できる。
「通常の流通を妨げる」行為に対する法規制は複製権・公衆送信権(送信可能化権も含む)の付与で充分為されており、権利者は流通の確保と権利の行使をもって、権利を保持する著作物を自分以外の者が流通させるという好ましくない状態から脱することが既に可能である。この上 ユーザーの私的領域に踏み込み、私的複製行為まで違法化することは、権利者自らの怠慢から市場流通が叶わない著作物を入手しようと希望することまで〈悪〉と断じかねない在り方へと法を変質させてしまうものと危惧する。
※ 国際条約を始めとした伝統的な考え方では未来における「通常の流通を妨げる」こともスリーステップテストの条件に含めて考えているようであるが、このような考え方は著作物を独占し経済財としての価値のみを追求して(例えば保護期間の延長を強く主張するなど)国民の「知る権利」「言論・表現の自由」に脅威を与えるインセンティブになり得ても、創作や流通を促進し文化発展に資するというインセンティブになり得ない。これは歴史が証明している。こうした反文化的・反競争的思想からの脱却を、日本発の著作権制度として世界へ示すべきである。
また、仮に違法性のある複製物からの私的複製が存在するとすれば、その行為の時点において同一内容・同一フォーマットで現に流通している著作物を違法性のある提供手段から入手し「情を知」りながら私的複製する場面に限定すべきであろう。私的複製への権利行使の要件として現実の流通を設定して初めて、著作権者に正規流通を促進するインセンティブを生じさせることとなる(ただしこの提案は、「その行為の時点において」「同一内容・同一フォーマットで現に流通している著作物」「違法性のある提供手段から入手し」「情を知りながら」という要件のどれが欠けてもいけない。ここまで限定しなければ、実効性も納得性も得られないし副作用が大きい)。
根拠イにおいては「違法サイトからの録音録画が違法であるという秩序は利用者にも受け入れられやすい」としているが、実はその根本的な根拠が書かれていない。そしてこの命題は、「違法サイト」なるものがユーザーにとって判断不可能であるということ(仮に「適法マーク」なるものを設定したとしても海外の配信事業者にまで普及し得ない)、適法性が曖昧なサイトから入手しなければ得られない著作物が殆どである(つまり かつては公表されたものでありながら現在 正規流通が確保されていない)こと、そもそも適法に提供された著作物の私的複製ですらその適法性が証明できない(すなわちまかり間違って訴訟になった際にユーザー自身が身の潔白を証明できない)ことなどから、ユーザーとして到底受け入れられるものではない。
根拠ウにおいて「個々の利用者に対する権利行使は困難な場合が多い」と書かれていること自体が この問題の難しさを的確に表している。すなわち当該複製を30条から除外したところで、その実効性はとても確保できないということを私的録音録画小委員会(および著作権分科会)が認めているのである。
ウの後段で「録音録画を違法とすることにより、違法サイトの利用が抑制されるなど、違法サイト等の対策により効果があると思われる」としているが、これは前段とは全く繋がっていない。この部分を意味の通る文章にするためには、前段で示された実効性の無さ(そのおそれ)をカバーできるほど後段の効果が期待できるかどうかを示す必要があるが、それは書かれていない。そしてこの後段の効果が果たして期待できるのかといえば否である。むしろ“見つかりさえしなければ構わない”といったモラルハザードが引き起こされる温床になりかねず、こうした安易な(法による)行為規制は著作権制度の崩壊の引き金となりかねない。
希望的観測に基づいた安易な結論を出すのではなく、実効性についての検討をさらに具体的に行なった上で議論を進めるべきである。すなわち今年度中に結論を出すという方針を凍結し、さらに数年の期間を設けた上で文化庁のみならず経済産業省・総務省をも交えた「私的録音録画小委員会」を継続して開催すべきである(この際には、権利者側委員・メーカー側委員・ユーザー側委員・有識者委員の数をそれぞれ同数に設定しなければならない)。
根拠エについても単なる希望的観測に過ぎない。
「効果的な違法対策が行われ違法サイトが減少すれば、録音録画実態も減少することから、違法状態が放置されることにはならない」といった命題において、「効果的な違法対策が行われ違法サイトが減少すれば」との前提が本当に成立するのかというのが大きな問題である。現実問題として「違法サイト」なるものを減少させる方策が今までに採られてきたのか否か。これまでに効果的な違法対策が行なわれてきたのであれば現行法を変える必要が無いということであるし、効果的な違法対策が望めないから30条を変えるというのであれば今後も対策など出来ないということになる。すなわち前提条件が真であっても偽であっても、この30条縮小の理由とはなり得ないのである。
「効果的な違法対策」の内容が不明確なのも気になる。これまでの「違法対策」が30条縮小を要求するほどに成功していないのだとすれば、今後の新たな「効果的な違法対策」として想定されるのは私的複製を行なったユーザー個人を提訴するということである。これはダウンロード違法化に反対するユーザーの危惧そのものであるが、中間整理はそうした危惧をストレートに抱かせる内容となっている(なお私的録音録画小委においては日本レコード協会から提訴の可能性を示唆する見解が披露されてもいる)。
家庭内の「録音録画実態」について「減少」するとの把握はどのように行なうつもりなのか。家庭内の行為をどう捉えるか、その中から「違法」性のあるものを切り分けて対処するかというところに大きな課題があるところ、その上「録音録画実態」の「減少」を想定するというのは如何なものか。各家庭というのは社会の中に存在するのであって、文化庁担当者や審議会委員の脳内に存在するのではない(それとも私的領域のプライバシーを侵してまで私的録音・録画の実態を把握しようと今後していくのであろうか?)。
このウの項目については特に、仮定に仮定を重ねる文章であるがゆえ結論の妥当性が極めて低いと言わざるを得ない。しかも誤った前提に基づいて書かれているため、結局は「違法状態が放置される」との結論しか導かれない。このような文章を検討結果として公表してしまった私的録音録画小委員会(とりわけ事務局)と著作権分科会は恥を知るべきである。
なお当該私的録音・録画を規制する海外の立法例が脚注に書かれているところであるが、よく考えてみると、これらの国はかような法規制が存在していながらファイル交換ソフトの開発・利用の本場である。むしろ法規制によって この種の行為が抑制できないことを示す証左と言える。
以上のように、中間整理で示された“根拠”では正当性が薄く、当該複製を30条から外すことが適切であるとの結論は導き出せないことが判る。この問題は30条の範囲縮小という形で解決しようとするのではなく、むしろ補償金によって解決した方が(正統的な手段ではないにせよ)理想的な社会秩序を保つことができる。まず「違法」行為を蔓延させる恐れが回避でき、かつ かような私的録音録画から実質的な使用料を得る手段が用意されるからである。流通促進のインセンティブを生じさせるほどの効果は無いにせよ、それまでゼロであったところから僅かばかりでも支払いが発生するのであるから、何も無いよりは遙かにマシである。30条から外してしまえば補償金はおろか、放置された「違法」行為からの使用料が一切得られない。
加えて、補償金と同様の考え方を用いて(ここでは「包括許諾」あるいは「強制許諾」という意味合いが強いように思われるが)合法のファイル交換を実現することこそ、当該「違法」行為の抑制を期待できる方策と言える。つまるところ、必要なのは当該行為の違法化ではなく、こうした需要を満たす手段を適法なものとして如何に整備するかということなのである。そうした正規の流通が確保された後から当該行為の違法化を検討しても遅くはない(私個人は、こうした違法化を検討する必要の無いほど「違法」行為が抑制されるものと考えるが)。
【P.105】
「仮に補償金制度で対応するとすれば、莫大な補償金が必要となることも理由の一つではないか、とする意見があった」とあるが、仮にかような私的録音・録画も含めて補償金で処理するとなれば、多少高い補償金額でも支払う理由が出来るというもの結構な話である(もちろん当該録音・録画行為を行なわない者については減額するなどの措置も用意しておく必要があるが)。
それよりも、機器へ一律に課金するという考え方を改める必要があろう。ユーザーそれぞれによって利用の態様は変わるのである。「違法」性の疑われる私的録音・録画行為も含め、それぞれの態様について補償金を課していく(それを擬制する形で機器や記録媒体に課金、余剰分は返還制度を利用させる)方針へ転換すべきだと考える。
私自身は補償金制度を改善した上で維持、その代わり30条も現状維持すべきと考えている。その意味では「違法対策としては、海賊版の作成や著作物等の送信可能化又は自動公衆送信の違法性を追求すれば充分であり、適法・違法の区別も難しい多様な情報が流通しているインターネットの状況を考えれば、ダウンロードまで違法とするのは行き過ぎであり、インターネット利用を萎縮させる懸念もあるなど、利用者保護の観点から反対だという意見」にそのまま同意するものである。
また、現状使われているファイル交換ソフトにおいては、その多くがダウンロードと並行してアップロードも行なう仕様のものばかりであり、これもまた現行法で既に規制対象として扱えることも考慮すべきである。
第7章第2節2「第30条の適用範囲から除外することが適当と考えられる利用形態」
【P. 105】
違法複製物からの私的複製や 違法配信物のダウンロードを30条対象から除外する場合の「条件」とやらが中間整理に示されているところである。しかし「違法」行為が放置され実効性が期待できないこと、ユーザーが目の前の著作物が「違法」に提供されたものかを知る手がかりが実質ないこと、「違法」行為と無関係のユーザーが訴訟に巻き込まれるおそれがある上に潔白証明が難しいことから、 105ページの 「条件」を示しながら30条縮小を前提に論じていくことには問題がある。
当該「条件」はいずれも根拠に欠けていると言わざるを得ず、予想される弊害を解消できる方策とはなり得ない。このまま30条に手を加えることともなれば社会秩序に混乱を来たすものと考えられる。
加えて、「他人から借りた音楽CDからの私的録音」について現状維持とされているところ、これの根拠とされるものと違法化すべきという私的複製態様との論理整合性が全く図られていないのも問題である。
このような、まともな根拠も示されない状態での30条改定には明確に反対である。
※なお「他人から借りた音楽CDからの私的録音」を現状維持としたことについては賛成である。そしてここで示された根拠をもって30条縮小全般について反対するという趣旨であることに注意されたい。
条件アについて。違法複製物・違法配信物であるかどうかを知らずに私的録音・録画した者を30条除外から外すことは当然の措置である。しかしながらこれを「情を知って」などという曖昧な法学的言葉遊びで実現しようとすることには反対である(こうした限定は何の意味もない)。
そもそも「情を知って」などという主観的要素をどう判断するのかという問題がある。デジタルコンテンツの取り扱い(私的複製や再生など)やインターネット配信においては、目の前に提供されたコンテンツが適法なものかユーザーが知る手がかりなど殆ど存在しない。そのような中で訴訟に至れば判断は司法に委ねられることになり、つまるところユーザー側が「情を知って」行なったのではないと示せなければならないということになる。
現実問題として、自らが所有しているパッケージコンテンツからの複製や、購入ログが保存されている(あるいは購入者情報が埋め込まれている)配信物からの複製であればある程度の証明は可能であろう。しかし実際に家庭内で行なわれている私的録音・録画の大部分はレンタルCD、友人や図書館から借りたCD、放送・配信から入手した音声・映像である。オリジナルが手元に無いものが圧倒的であり、こうした曖昧な事実関係を裁判所の心証ひとつで判断されてしまうおそれが常に発生する。
また、「情を知って」の条件が必ずしも厳格に捉えられるのではなく、実務的には“相当程度 違法らしいと考えるに足る根拠が示されている”とのラインが違法とされることも想定され、ユーザーに対し実質的な適法性確認義務という過重な負担を課すことになりかねない。たとえばいったんは適法であるかのように市場へ提供されながら、その後 裁判等で権利侵害の上で提供されたものとして認定されたような著作物(服部克久作曲「記念樹」のような)について、これを入手したときには確かに「情を知って」はいなかっただろうが、その後 裁判が有名になった後で私的録音する場合にはユーザーの行為がどのように判断されるのか。これが「違法」であるかどうかを確認すること(ただ有名裁判例を知らないというだけで違法性が問われ得るのか)をユーザーに押しつける結果になることは間違いない。
別角度からも問題点が指摘できる。インターネットに期待されているカジュアルな情報発信においては、その発信者がプロの創作者であったとしても受け渡しのログや適法入手確認の保証を行なえるものではない。インターネットの普及が著作物流通のコストダウンをもたらし、既存のメディア企業の支配から脱して自由な活動をしようとしてる著作者らの活動を、ユーザーが曖昧なダウンロード違法化により萎縮してしまう事態によって妨げてしまうおそれが非常に強い。既存メディア企業による著作者支配の構造へ逆戻りしかねないのである。
ユーザーから見て、その著作物提供が適法であるのか違法であるのか判断しにくい状況は、今以上に進んでいく。個人による著作物発表・著作物流通が望ましい方向で進んでいけばいくほど、そうなっていくのである。著作権制度はこうした(確実に見えている)先のことまで考慮して設計していくべきであり、ただ既存のメディア企業の一次的な利益を保護するために権利制限規定を変更していくことは厳に慎むべきである。
※「趣旨の周知」程度で何とかなると思っているのも安易に過ぎる。そもそもこれまで私的録音録画補償金の管理協会や権利者団体や文化庁はきちんと「趣旨の周知」が出来てきた試しなどない。私的録音録画補償金をめぐる混乱はまさしく周知不足によって引き起こされたものであり、かつ商業用レコードの還流防止措置にかかる文化庁の対応、意見募集手続きにおける文化庁の周知の程度などを考えても、今後の30条縮小に関して適切な周知が行なわれるとは到底期待できず、具体的な周知内容をしっかり定めた上で提案するのが筋であろうと考える。
※「利用者が明確に違法サイトと適法サイトを識別できるよう、適法サイトに関する情報の提供方法について運用上の工夫が必要」としているが、これについての詳しい内容は示されていない。それもその筈で、日本レコード協会で策定中の“適法マーク”はまだ全く内容が定められていない状態。このような未確定のものを前提にして法改定を考えるのは尚早である。
私的録音録画小委員会において日本レコード協会から示された構想によれば、レコード協会会員社が国内の携帯電話向け音楽配信に対して表示を付すことについては方針が決まっているようである。しかしながらまだPC向け配信が未確定なのと、海外の権利者が国内配信事業者から音楽配信を行なう場合、あるいは国内の権利者が海外の配信事業者から音楽配信を行なう場合については全く触れられていない。また海外において海外の権利者が配信する場合については、“適法マーク”の提示など到底考えられない。つまりインターネット上で流通するコンテンツの大部分に“適法マーク”を付すことなど期待できないということである。
インディーズの配信についてはどうなのかと津田委員から指摘があったように、インターネット上での著作物発信がローコストで可能になった現在、レコード協会のような業界メジャー団体では捕捉しきれないほどの権利者が世の中に存在している。これらをカバーした“適法マーク”の設定など到底不可能であり、逆にこうしたマークの設定を強行しダウンロード違法化によって裏付けするともなれば、業界メジャー団体に属さない権利者(特に個人)が独立して活動していく機会を不当に奪うことになりかねない(“適法マーク”の付いていないサイトがあたかも違法サイトであるかのように誤解される副作用が強く心配されるところである)。
さらに言えば映画関連においては全くマークの話は決まっていない。このような有様で30条縮小を云々するのは時期尚早に過ぎる。
条件イでは、30条対象から除外する複製態様を「録音録画」に「限定」するとしている。しかし、こうした「限定」にどれだけの合理性が存在するのかは示されていない。私的複製全般について当該複製を30条対象から外すこと(たとえば文芸著作物の「違法」複製・「違法」配信からの私的複製を違法化する)は社会的混乱を生じさせる結果が目に見えているが、こうした法改定を「録音録画」に「限定」すれば法改定が正当化されるとの合理性はこのページの説明からは見出せない。
たとえば「権利者の不利益が顕在化している」のは本当に「録音録画」のみなのか。録音・録画される音楽・映像等の分野においてどれだけ「不利益が顕在化している」のかが明らかでないのに加え、他の著作物においては「不利益が顕在化」していないと結論できるのか否かについても全く検討された形跡がない。このことは私的録音録画小委員会での結論がそのまま維持されるのかが不安定になる要因となり得、たとえば私的録音・録画以外の私的複製について検討するとされる法制問題小委員会において他の著作物へも広げた形で30条改定が提案される可能性を残していることをも示している。
条件イが維持されるか不安定である要因としてはもう一つ、著作権分科会において ACCS からの代表として出席している委員会から全著作物を対象にすべきとの意見が出されたことが挙げられる。この委員意見はゲーム業界からのものであると考えられるが、これを受けて法制問題小委員会で再検討されるとすれば、私的録音録画小委員会で提案された条件イが破棄される可能性が高い。
このような状況下でもって条件イを前提として30条縮小を肯定するのは適切ではなく、またそもそも論として私的録音録画小委員会で30条縮小という大きな問題を決めることは極めて僭越であると言える。これは私的複製の問題を大きくとらえて検討することをせずに、私的録音録画小委に“丸投げ”してしまった法制問題小委員会の方針にも明確な誤りがあったと言わざるを得ないし、そうした初手からの歪みがここへ来て更に大きな禍根を残す結果となっているものである。
なおインターネットからの著作物の私的録音・録画について、ダウンロードとストリーミングの区別を明確に付けるべきであると考える。視聴行為には権利を及ぼさない従来の著作権制度との整合性を保つために、ストリーミングについては不問としダウンロードを30条除外の対象とするものとされてはいるが、現時点ではダウンロードとストリーミングとでは同じ技術を使っているため いずれも「複製」ととらえることが可能であり、区別が法解釈に委ねられる曖昧さを残したままである。
複製権が私的領域の視聴へ浸食していくことを防ぐためには、ダウンロードの定義を明確にする必要がある。たとえば「明確に保存するとの目的をもって、ファイルの形として内蔵ハードディスク又は外部記録媒体に相当期間 保存する行為」のような規定を設ける必要がある。
【P.106】
条件ウにおいては「罰則の適用を除外」するとあるが、これは確かに必須の条件と言えるだろう。私的領域で行なわれている複製行為について刑事罰を与えることは、他の規定との整合性を考えても社会通念から考えても不適切であると言わざるを得ない。その一方で、民事訴訟に巻き込まれる可能性が(罰則なしで違法化されたとしても)生じてくるということはユーザーにとって過重な負担となるものと考えられる。
ユーザーが自身の私的複製行為の適法性を証明することは極めて難しい。テレビ・ラジオからの録音・録画や、借りたCD・ビデオ等からの録音・録画については、複製元のオリジナルが手元に残らず何の情報も付加されていないコピーのみが存在し続けるからである。さらには、30条縮小が施行される前に作られた私的複製物が大量に存在しており、それと施行後の複製物とで判別できないこと、たとえ判別できたとしても若干の操作でもって当該情報を書き換えられること、加えて30条外の複製によって得た複製物を再度 私的領域内複製することで(その気になれば)適法な私的複製物へ見せかけることが可能である。こうした状況は、ますます違法複製と適法複製の区別を困難にするのみならず、確信犯的に「違法」複製を行なっている者には更なる「違法」複製を重ねさせるインセンティブを生じさせるところから、30条縮小による対処が適切なものであるとは到底考えられないところである。
要するに、「違法」複製への対処が30条縮小によって為されることは、その実効性が殆ど期待できないことに加え、あまりにも甚大な副作用(ユーザーへの負担)をもたらすという下策であると言わざるを得ない。
「権利者が利用者に対し本当に権利行使できるかという疑念が残るが、今の状況を放置しておくわけにはいかないので、例えば『著作物の通常の利用を妨げるものであってはならず、かつ著作者の正当な利益を不当に害するものであってはならない』との但書を加え、個別の事案に即して違法性を判断するのも一案ではないかという意見があった」とされているが、これが採用し得る対処の本筋と言えるのではないか。
また、「他人から借りた音楽CDからの私的録音」について30条除外に慎重であるとする根拠 (106ページ) を「私的領域で行なわれる録音行為について利用者との契約により管理をすることは事実上不可能であり、仮に第30条の適用範囲から除外しても違法状態が放置されるだけであること」としているところであり、これはまさしく先の私的録音・録画やダウンロードにも言えることである。
これまで中間整理において当該複製行為の30条除外の根拠・条件について何ら合理的な説明が為されていない以上、「他人から借りた音楽CDからの私的録音」同様に著作権法改定を見送るべきものと考える。
よって、30条対象となる私的複製の範囲を狭めるような私的録音録画小委員会の提案には反対である。
【P.107】
第7章第2節2「第30条の適用範囲から除外することが適当と考えられる利用形態」
私的録音録画小委員会の中間整理では、適法に配信された著作物の私的複製についても30条対象から除外する旨のまとめが為されているところである。「音楽・映像等のビジネスモデルの現状から契約により私的録音録画の対価が既に徴収されている又はその可能性がある利用形態」について「著作物等の提供者が利用者の録音録画行為も想定し、著作権保護技術と契約の組み合わせ等により一定の管理下においてこれを許容しているような実態であれば、著作物等の提供者との契約により録音録画の対価を確保することは可能であり、このような利用形態について仮に30条の適用範囲から除外したとしても、利用秩序に混乱は生じない」としており、まずこの認識で問題が無いのかが疑問として出てくる。
たとえば配信契約に不備がある場合についてはどうなるのか。現在の配信契約が想定される状況を満遍なくカバーする形で用意されているのかという検討が不足している。あるいは配信事業者がユーザーに対し一方的な禁止を宣言しいた場合(技術的には複製可能であるにもかかわらず、契約でそれ以下の複製のみを許諾する場合)にどのような扱いになるのか示されていない。契約外であれば「違法」行為であると考えるのが自然であろう。
現状の配信契約について考えても、“許諾”が明示されているのは配信されたものからの子コピーのみであって、孫コピーについては法的位置付けが曖昧であると言わざるを得ない。適法配信からの私的複製で想定される孫コピーはいくらでもある──ある配信事業者から購入した音楽等について、これに対応していない携帯メディアプレーヤーで視聴するため、いったん外部ディスクへ複製したのちに、当該携帯メディアプレーヤーで使えるファイル形式へ変換しなおす場合。あるいは、配信で購入したファイルのバックアップも孫コピーの一種である。そしてこれらの孫コピーは現状の配信契約では触れられていない上、触れられていたとしても(ソフトウェアにおける使用許諾契約のように)技術的に可能な私的複製よりも狭い範囲で契約を結ばされる可能性が高い(その一方で、かような厳しい使用許諾契約が果たして正確に守られているのかという点については甚だ疑問が残る)。
こうしたことから、適法配信された著作物についても30条対象から除外してしまうことには反対である。むしろ私的複製として築かれたこれまでの法的秩序を混乱せしめる結果となるのは間違いない。
【P.108】
このページでは、適法配信された著作物の私的複製を30条対象から除外する際の「条件」について示されているが、先のように30条除外が不適切である上に ここで示された「条件」が適切なものとは到底考えられないところであり、この「条件」をもって法改定が妥当と結論づけることはできない。
まず「現状では権利者は配信事業者との契約により、録音録画に対する対価を確保する必要があることになるが、配信事業者が利用者の録音録画行為について配信事業者に一定の管理責任を負っているような事業形態に限定して第30条の適用を除外すべきである」としているが、ここでの「配信事業者に一定の管理責任を負っている」とはどういう意味なのか不明である。
それに加え、ここで「一定の管理責任を負って」いないような配信を利用する場合には、私的録音録画補償金との「二重取り」の負担をユーザーが甘んじて受けろという意味にも捉えられる。ということは配信契約の内容を吟味し、ここからの私的複製が30条の対象となるのか否かをユーザー自ら判断する必要があるということでもあり、外形的には同じような配信サービスを受けていながら その契約内容によってユーザー自身も対応を変えなければならないという過重な負担を強いられる結果となってしまう。
しかも、このような条件を付したところで、やはり孫コピーの法的位置付けが問題となってしまう。対価を支払って購入したものを利用しやすい形式へ変換するだけのことなのに、配信契約次第で違法になったり適法になったりするような利用秩序がユーザーに受け入れられるとは全く考えられない。
配信契約による30条対象の切り分けを提案する根拠として「利用者の録音録画について配信事業者に一定の管理責任がないような形態まで第30条の適用を除外した場合、利用者が直接権利者と契約できない現状では、違法状態が放置されるだけになり問題がある」との説明が書かれているが、上に示したように配信契約でカバーしきれず「違法」化されてしまう私的複製態様が想定される以上、どうあっても「違法状態が放置されるだけになり問題がある」のである。よって30条除外をそもそも行なうべきでない。
適法配信された著作物について30条適用除外が提案された理由は、これの私的複製について私的録音録画補償金が課せられることが「二重取り」であるとの指摘があったためである。それを解消するために30条除外を考えるのは下の下の策であると言え、上に指摘したように弊害を招くだけのものである。むしろ私的録音録画補償金の課金対象から外すこととし、適法配信された著作物を私的録音・録画するための機器・記録媒体については補償金返還制度の理由として認めるという形にすれば足りることである。
なおこの際、補償金の返還を受けるにあたって要する諸費用については補償金管理協会が負担するものとするのが望ましい。そうすれば適法配信の複製に使われる(返還請求が為される可能性がある)機器・記録媒体への課金もそれなりに慎重に行なわれるものと考えられ、課金対象の指定を行なう上での調整も期待できる。
第7章第3節1「権利者が被る経済的不利益」
【P.110】
権利者が私的録音・録画から受けるとされる「経済的不利益」について、「総体として」というレトリックを用いることを いい加減にやめるべきである。こうした考え方は“塵も積もれば山となる”との結論を導き出したいがために導入されたものに過ぎず、現行著作権法30条が設けられた当時から「零細」であると判断された私的使用目的の複製について、これを有償・自由とすべき理由とは直接結びつかないものである。
むしろ私的録音・録画の個々の態様に着目し、その複製が著作物(複製物)購入の代替となっているか否か(同一著作物の初めての入手に対価が支払われているか)によって補償の必要性を判断していくべきである。
私的録音録画小委員会の中間整理においては複数の考え方が併記されているものの、実際の小委員会での審議では私的録音・録画イコール経済的不利益として強引に進められているのが実態であった。これも結局は「総体として」云々のレトリックによるものであり、ユーザーの理解を得るに充分なものとは到底言えないものである。
もっと根本的なことを言えば、著作権制度によって著作権者(著作隣接権者)のどのような利益を保護すべきなのかというところまで考えるべきなのであって、すなわち同一の著作物について何度もユーザーから対価を得ることを法によって保護する必要があるのか否かをしっかり見定める必要があるのである。
同一の著作物で何度も対価を得ることを肯定するとするなら、具体的な例で判りやすいのは複製物の中古流通の度に権利者へ対価を還流させるべきか否かであるが、そうした制度が社会通念からかけ離れたものであることは明らかである。同じ著作物を何度も買うかと言えばそれは普通考えられず、仮に買うことがあったとしても、メディアが新しくなっているか何らかの付加価値(リマスターやボーナストラック等)がある場合に限られるのである。文化的に豊かな状態を目指すのであれば、こうした付加価値を模索するインセンティブを確保することが合理的であり、補償金制度のような同一著作物が金を生む制度(改良や二次的著作を抑制した方が儲かる仕組み)は抑制的に考えるのが妥当と言える。
※なお著作物の商業利用についてまで「同一著作物が金を生む」ことを否定するのではない。ここはやはり、どこまでの著作物利用から対価を得られるようにするのが公正なのかという判断によるべきものであるが、商用利用については利用者に少なくない経済的利益が発生しているのであって、そうした利益の一部を権利者に渡すのは当然のことと考えられる(非商用利用の場合には慎重な議論を要する)。しかし私的領域においては、その私的領域に初めて入ってきた瞬間のみに対価を支払うものと考えるのが経済的に合理性があるのであり、同一の私的領域内で同一著作物を複数購入することを前提に制度設計することは社会通念からかけ離れた結論を導いてしまうおそれを強くする。
現実問題として、私的録音録画補償金制度を含めた私的録音・録画問題の議論の多くはこうした「社会通念からかけ離れた結論」を量産しているものと言わざるを得ない。
【P.112】
私的録音録画小委員会の中間整理では、私的録音・録画にかかる権利者の経済的不利益についての考え方をアとイとで2つ挙げているのだが、このうち伝統的な考え方であるアについてはユーザーとして納得できないというのが正直なところである。
私はイの「権利制限することによって、権利者の許諾を得て行なわれる事業(販売、配信、放送等)に与えた経済的損失が経済的不利益であるとする考え方」の立場を取る。「私的録音録画は本来無償で自由にできるものであり、補償金制度は権利者に新たな権利を付与するのと同じであるから、権利付与の前提となる経済的損失が具体的に発生していることを立証することが必要である」と考える。
ここで明確にしておきたいのは、著作権の伝統的な考え方における「複製権」とは、まだ社会全般に複製機器が普及していなかった時代に商業利用のみを前提として打ち立てられたものだということである。すなわち、この理論では誰もが複製機器を持ち複製することが可能だという世界は想定されていない。
演奏権や上映権については、非商用・無償の利用行為には権利が及ばないよう制度設計されているが、これは例えば曲を口ずさんだり鼻歌を歌ったり何人もでテレビを見たりすることが広く行なわれるために、こうした著作物利用に いちいち権利行使できるようにすることは社会生活を混乱させかねないという意味で妥当な設計と言える。
こうした場合と同様に、複製についても、誰もが複製利用が出来るのだという前提の下で私的使用目的ないし非商用・無償の複製について権利を及ぼすべきか考え直すべきである(逆の言い方をすれば、権利者の権利をどこまで及ぼすべきかを考えるということ)。
※もちろん私的領域内での無償複製を無制限に認めよという話ではない。中には「通常の使用」を脅かしかねない複製態様も現実に存在するのであり、これの中で権利を及ぼすべき態様と、補償金で処理すべき態様と、無償・自由で認めるべき態様を切り分ける必要がある。
具体的には、同一家庭内において同一の著作物に何度も対価を支払うことは通常考えられないことを基本として、正当な対価を支払って入手した著作物については私的複製を「公正」な利用として認め、無償・自由とする(補償金の課金対象から外す)べきものと考える。すなわち購入したり有償レンタル・有料放送を受けたりした場合に、その複製を無償で認めるということであり、かつそれ以後の(私的複製の範囲内の)孫コピーも無償で認めるとすべきである。
誰もが複製を可能とする世界においては、ユーザーは私的複製できる利便性を込みで著作物(複製物)を購入するのであって、この時に支払われている対価には私的複製分も加味した上で購入の可否を判断しているというのが妥当な認識である。著作権制度が現実に即したものとなるためには、この改善は避けて通れない。
第7章第3節2「著作権保護技術と権利者が被る経済的不利益の関係」
【P.114】
中間整理では、「技術的保護手段」の付されたコンテンツがユーザーの私的複製を前提として市場に提供されているのかという観点について、「一般にある録音録画制限手段を施したシステムに権利者が著作物等を提供するということは、当該要件(引用者註:権利者の意思に基づき技術的保護手段が施されること)を満たす限りにおいて、著作権法上の技術的保護手段に該当し、権利者は、当該技術的保護手段の下でどのような録音録画が可能化について一定の予見は可能である」としている。
しかしながら、この論点は「技術的保護手段」を「権利者の意思」に基づいて施した場面のみに限定するのは妥当でない。著作権法上の技術的保護手段には当たらないが権利者自身がそうした制限技術を標榜するもの(中間整理における「著作権保護技術」)や、すでにコピーフリーであることが充分知られていながら なおも市場で利用し続けているもの(CDのようなパッケージメディア)についても、ある程度の私的複製が行なわれている実態を権利者が把握しながら市場で活用しているという現実がある。いわば“ザル”の状態であるメディアを自らの意思で選択しておきながら、私的複製されるとは知らなかったなどと主張するのは現実を反映していない。
とりわけCD・ SACD ・ DVD-Audio ・ DVD-Video ・ HD-DVD ・ Blueray Disc ・各種音楽配信等々、さまざまな選択肢がある上で権利者自らが選んだコンテンツ仕様である。一部サービスについて選択的にコンテンツ提供を拒否するようなことをしている実態を考えれば、CDのような比較的 制限の緩い仕様での市場提供についても権利者の意思というものを認めることは可能だ。つまり購入ユーザーの私的複製を明確に意識した上で流通しているのである。
なお同ページにおいて、音楽CDと映画 DVD との扱いをわざわざ変えるような記述「現状でも、著作物の性質上繰り返し視聴する必要性が少ない、ごく少数の複製であっても権利者に大きな被害が生じる可能性があるなどの特別な理由があるもの(例えば劇映画のDVD)」が掲載されているところであるが、実際問題として音楽だから繰り返し聴かれ、映画だから繰り返し鑑賞されないとの考え方は実態を反映しているとは言えない。なぜなら、映画もまた繰り返し鑑賞され得る著作物のひとつであり、またユーザーは同じ映画に何度も金を払うとは考えられない(すなわち一度買えば充分であって私的録画する必然性が高い)からである。これは私的録画が「権利者に大きな被害が生じる」というのではなく、もともと期待できない利益まで著作権によって保護しようとしているのに過ぎない。
今では iPod を始めとした携帯プレーヤーで映画等の動画も視聴できるようになってきている。“先進的”なユーザーとなると、自己で所有する DVD から映画を私的録画(変換)することで持ち歩きを可能にするという視聴方法を選択する者も少なくない。こうしたことを考えると、もはや DVD を複製禁止されたものとして扱うのは実態と乖離しており、ここで採用されている著作権保護技術が技術的保護手段に当たらないことも踏まえ プレイスシフト目的の私的録画という観点から検討し直す必要がある。
よって自らが正当な対価を支払って入手した映画著作物 (DVD 等)についてもプレイスシフト用途の私的複製を認めるべきであり、これを無償・自由とすべきである。
第7章第3節3「補償の必要性の有無」
【P.117】
他人から借りた音楽CDからの私的録音について、権利者への不利益が認められるとの趣旨でまとめられている。しかしこれを受けて「レンタル料金には私的録音の対価は含まれていないという認識に立てば、レンタル業者から借りた音楽CDの場合も同様である。また図書館等から借りた場合も同様である」としており、この論理飛躍は看過できないものである。
「レンタル料金には私的録音の対価は含まれていないという認識」については確かにレンタル業界からヒヤリングにおいて当事者が認めている旨が確認されているが、実際問題として著作権法で貸与権が創設された際にはレンタルレコード(レンタルCD)からの私的録音が大前提となって国会審議が行なわれている事実がある(著作権法改定による貸与権付与の前段階として、貸レコード暫定法の存在も忘れてはならない)。こうした経緯を考えれば、レンタル料金に私的複製分の対価が含まれているとの解釈も充分に可能であり、当該複製による権利者への不利益を単純に認めることは出来ない。
また、図書館から貸し出されたCDについても、国民の知る権利を保障する最低限のサービスとしての性質を考えるのなら、既に入手不可能となった著作物を入手できる機会である場合も含め、貸与(および利用者の私的複製)によって権利者へ不利益を与えているとは考えるべきではない。限られた予算内で購入された僅かなCDが貸し出されているに過ぎず、比較的長い貸出し期間が設定されているなど著作物利用として極めて軽微である点をむしろ考慮すべきである。
※図書館からの貸出しについて安易に結論を出すことは慎まなければならない。なぜなら、こうした図書館サービスによる「不利益」(あればの話だが)は公貸権の議論とも密接に関わってくるからである。現実問題として公貸権は私的複製とも密接に結びついており、私的複製だけ独立で議論することは妥当でない(状況変化如何によっては公貸権にかかる報酬と補償金とが二重で課金される可能性すらある)。
著作権法において貸与権は無償貸与に及ばないこと、レンタル事業者への使用料請求に正当性があるのは この事業が商行為であって僅か数日単位で頻繁に貸し出されるためだということ、そうした違いを無視してあっさりと「同様である」などとしてしまう杜撰さには呆れる他ない。
タイムシフティング用途の私的録画についても、杜撰極まる まとめである。
「放送時点で投資回収は完了していること、放送番組の二次利用は進んでおらず、録画によって正規品の購入や再放送の視聴が妨げられるとはいえないこと等から、権利者が経済的不利益を被っていることに疑義を示す意見もあった」と妥当な意見を紹介しておきながら、後段で「タイムシフト録画以外の録画実態も多いと思われ、両者は区別し難いこと、映像作品はごく少数の録音録画でも権利者に与える不利益が大きいといわれていること、映画や放送番組の録画は前述の意見にかかわらず二次利用に影響があると考えられること」などという根拠にならない根拠を持ち出して否定している。
しかしながら、映像の方が(音楽よりも)不利益が大きいとする主張などは業界関係者の勝手な論理であって、同一家庭内で同一著作物を購入することは一度だけ考え得ること、そして同一著作物を何度も購入させるためには常に付加価値を付ける努力が求められていること(そしてそれは著作物流通を豊かにするために資すること)を考えると、映像についても音楽同様の保護にとどめておくのが妥当なのである。
また、放送番組においては、それが DVD 化される保証が一切なく、かつ吹替版洋画のように制作のたびに差異が生じてきて録画保存が望まれる(パッケージとして流通する見込みが全く立たない)ものが多く存在することも考慮すべきである。端的に言えば、放送で流れている番組がそのまま DVD 化されることなど(追加映像が用意されることも含めて)ごく稀なのである。
【P.118】
対価を支払って入手した(CM視聴と引き替えに受信する放送番組も含む)コンテンツをプレイスシフト・メディアシフト・タイムシフトすることについては権利者の経済的不利益を認めることができない。また、私的録音録画小委員会の中間整理ではこれを否定するだけの有力な根拠を示すには至っていない。
しかしながら中間整理では「仮にプレイスシフトやタイムシフトの録音録画が与えている経済的不利益が充分立証されていないとしても、利用者が行う私的録音録画は、一般的に特定の利用形態に限定されるわけではなく、例えば他人から借りた音楽CDからの録音などの形態や録画物の保存、更には他人(特定者)への録音物・録画物の譲渡が存在することは否定できないことから、一人の利用者の行う私的録音録画の全体に着目すれば、経済的不利益を生じさせていることについてはおおむね共通理解があると考えられている」としている。これは噴飯ものであり、認めることはできない。
なぜなら、たとえば多くCDを所有する者はわざわざCDを借りてきて私的録音する必要は無いからである。年に何十枚から数百枚のCDを購入していくようなユーザーは、自分で所有するCDをプレイスシフトして聴くだけで可処分時間を費やしてしまう。レンタルCDや他人から借りたCDを聴くようなユーザーであれば、購入するCDもそれなりの数であって、おのずと借りたCDの視聴割合が(多く購入するユーザーに比して)大きくなるのである。
中間整理でのまとめは、多くCDを購入するユーザーにも補償金を課したいがための言い訳を捻り出したものに過ぎない。
Posted by 暇人#9 知財推進の弊害, 著作権の気になる話, 踊る文化庁, 音楽と著作権 | Permalink
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/42184/17192166
この記事へのトラックバック一覧です: ダウンロード違法化・ iPod 税パブコメ:提出意見:



コメント