私的複製が文化を残す例
NHKが、1978年から1987年まで放送したFM番組『サウンドストリート』のアーカイブをインターネットで配信し始めた。配信サービスの名前が『NHK青春ラジカセ』。ちょっと恥ずかしい‥‥。
残念ながら、放送時にかけられた曲は途中を抜かれている。DJの語りを中心にした編集だ。おそらくは著作権の都合で、曲を丸ごとかけたときの使用料まではさすがのNHKも負担できなかったのだろう。仕方ない話ではある。
ここで聴ける音源は、実はNHK自身の手で保存されたものではない。ウェブサイトで用意された説明書きに「放送当時、NHKにはFMの放送テープを保存する制度がなく、残念ながらほとんどのテープが残っていません」とある。この企画にあたっては、当時のリスナーが録音していたテープを提供してもらって音源にしたという。
こんな話をどこかで読んだ覚えがあるな、と思った。テレビ番組の保存の問題とまったく同じだ。日本でのテレビ放送は1953年に開始されているが、この頃は生放送しかないので番組が保存されなかった。5年ほどすると制作現場にVTRが導入されるが、当時はまだテープが高価で、放送が終わると消去して新たな番組を録るのに使い回されていたという。放送番組が保存されるようになるのは1980年代からだ(出典:PDF注意。しかも、80年代においても二次利用目的の保存に限られ、保存できるものは保存するという方針に変わったとのは90年代後半に入ってからだという)。
VTR導入から番組保存が本格化するまで、テレビ局で公式に残してある番組は特別な記念番組などに限られているとのことで、僅かしか無い。それでも今 我々が見ることのできる番組の記録で無視できないのが、一般の人がVTRを回して保存してくれたおかげで残されたものだ。日本で家庭用VTRが発売されたのは1965年、まだオープンリールだった。
NHKに残された膨大なアーカイブの中に、個人による録画テープが寄贈されたものがある。NHKの『紅白歌合戦』の司会も務めていた故・宮田輝氏が残したVTRには、1965年から1971年の『紅白~』の映像が残されている。また「白壁コレクション」と呼ばれる、個人によるビデオアーカイブには、NHKに残っていなかった連続テレビ小説『鳩子の海』『水色の時』『おはようさん』などが含まれる(出典)。個人の記録がなければ永遠に失われていたかもしれない貴重なものである。
音楽の場合でも、コンサートの模様などは商品化のためにわざわざ録音しないかぎりは、その場だけで消えてしまう。しかし、これを観客が個人的に録音することがしばしばある。著作権的には「私的複製」なので違法ではないものの、実演するアーティストや興業の側からすれば好ましくないと思うようで、たいていのコンサートでは録音禁止とされている。目を盗んで録音したものが、後になって思わぬ価値を持つ場合もある。
ビートルズの日本公演が1966年の6月30日から7月2日に行なわれ、全5公演のうち際ションお2回分が公式には残されている。いずれもテレビ局が放送用に収録したものだ。ところが、3回目の公演を観客だった個人が録音していたと判った(2006年10月15日付 スポーツ報知記事「ビートルズ 幻のテープ発見」:当時のブックマーク)。
コンサートの古い音源を商品化する際に、放送用に収録されたものを使うことも多い。しかし、録音時の事故や長い年月を経るなどしたための欠落を補うため、個人の録音テープの提供を呼びかけることがある。場合によっては、個人の録音からのリマスターでまるごと商品化することもある。これでもファンにとっては重要な記録だ。私自身の嗜好だと、先のビートルズや四人囃子・KING CRIMSONなどを例に挙げていきたいところだが省略する。
歴史的記録としての価値を持つようになった映像や音声は、その存在自体に意味がある。それがどう記録されたかはあまり問題にされなくなる。
文化庁の審議会で、世の中に発表された著作物をどう保存するかが検討された。著作権の保護期間が延ばされた場合に、どういう影響が考えられるか、その影響を最小限にするにはどうすれば良いかという観点での議論である(「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」の中間整理を参照)。コンテンツを制作する事業者本人や公共図書館がアーカイブを構築することを前提に検討が加えられた。
しかしこの議論の中では、民間の第三者が著作物を保存する可能性を考慮されていなかった。著作権があるために複製が認められないという想定だ。今後はインターネットで発表された著作物を保存する必要性もあるとしながら、それを公共図書館に担わせるという。海外ではInternet Archiveに代表されるように、ウェブサイトを記録していく民間団体の存在感が大きい。ネット上の情報をある程度保存しておくには、民間団体や個人の協力も得なければ手が回らないのではないか。
いま世の中に発表される著作物の多くはインターネットの上にある。これらを保存するには、どこかのサーバーに複製しておく必要があるが、複製を禁じることで著作権を保護してきた今の法律とは真っ向からぶつかってしまう。
そこを変えて、社会全体で補い合いながらアーカイブとしての機能を果す世界を私は夢見ている。何か突発的な事情でオリジナルが失われたとしても、社会のどこかに保存されたコピーがその作品を残していくという世界だ。
ネット上のコンテンツは比較的早く消える。書籍も酸性紙のため劣化するという問題がある。映画フィルムも録音テープも、保存状態にはよるが、長い年月の中で劣化していくことが知られている。記録されなかったものは勿論残らないし、記録されたものでもあえて保存や複製をしなければ、いつかは消えてしまうかも知れない。
世の中に向けた発表された作品が、すべて、いつも、そしてどこかで提供されている世界になってほしい。アーカイブの維持に携わる人を文化庁の議論のように制限してしまって、作品がこの世の中から失われてしまうデメリットを甘受しなければならないとしたら、あまりにも悲しい。
――『NHK青春ラジカセ』を聴きながら、そんなことを考えた。当時番組を聴いていた人だけではなく、いま始めて聴く若い世代にとっても、追体験の機会は貴重だ。瞬間瞬間を捉えた記録の価値というものは、後世の人間ほど重く感じられるものではないか。
私から見ても「ありがとう、残していてくれて!」という思いになる記録は多いのだ。
Posted by 谷分 章優 図書館・読書, 著作権, 著作権保護期間延長問題, 音楽と著作権 | Permalink
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