« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月26日 (月)

著作権分科会の前夜(メモ)

 著作権制度に関する2008年度の議論の締めくくりとして、26日の10時から著作権分科会が開かれる。「法制問題小委員会」「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」「私的録音録画小委員会」「国際小委員会」それぞれで検討されてきた結果の報告が出される予定だ。

http://www.bunka.go.jp/oshirase_kaigi/2009/chosaku_bunkakai_090126.html
「文化審議会著作権分科会(第27回)の開催について」
(文化庁)

 各小委員会の報告書案は、既に文化庁のサイトに掲載されている。実際の報告書で大筋に変更があることは考えられないが、いくつか細かな修正は入っているだろう。
 ともあれ、現時点で判っていることを軽くまとめておく。



http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/housei/h20_11/gijiroku.html

http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/housei/h20_11/pdf/shiryo_1.pdf

 法制問題小委員会では、「平成19年・20年度」ということで、2年分の検討結果が1冊の報告書にまとめられた。平成19年の「中間まとめ」と平成20年の「中間まとめ」がベースになっている。
 2年間で検討された課題は次のとおり。

・デジタルコンテンツ流通促進法制
・海賊版の拡大防止のための措置
・権利制限の見直し
・その他の課題

 「デジタルコンテンツ流通促進法制」について、「コンテンツの二次利用に関する課題として、権利者不明の場合の利用の円滑化」「インターネット等を活用した創作・利用に関する課題として、関連の権利制限規定の見直し」「権利者が安心してインターネットにコンテンツを提供するための環境整備としての海賊版の拡大防止策」を盛り込むよう提言しているが、流通促進法制を実施するということにまでは踏み込んでいない。

 海賊版については、ネットオークションなどで海賊版を売るとの告知を行う行為(譲渡告知行為)を禁止する方針と、海賊版被害について権利者の告発なく公訴できる「非親告罪化」を見送る方針が書かれている(平成19年度時点の結論から変更なし)。

 権利制限は、この2年間のメインの議題でもあった。しかし項目によって、ただちに権利制限に加えるべきとされるものと、慎重な検討を要す(つまり今後も議論を継続する)べきもので分かれた。
 障碍者に向けた、手話・字幕付きの映像や録音図書について、権利制限が認められる対象を緩める。たとえば視覚障碍者や聴覚障碍者に限っていた項目で「障害等により著作物の利用が困難な者」も含めたり、複製する人物や方式も従来より広げるなど。また、ネットオークションでの商品画像の掲載や、検索エンジンのサーバでの著作物の蓄積についても法改正することが妥当との結論を出している。なおこれらは2007年度に既に結論が出され、これまでの間、文化庁に放置されてきたとも言える。
 また、機器利用時の(機器内での著作物の)蓄積について「著作物等の視聴等に係る技術的過程において生じる」「付随的又は不可避的で」「視聴等に合目的的な蓄積物であって、‥‥合理的な範囲内の視聴等行為に供されるもの」といった条件を付けての立法措置を提案。通信過程での蓄積も「権利が及ばないこととする立法措置を講ずることが望ましい」とする。
 これらの法改正妥当とした項目の他、リバースエンジニアリング、研究開発上の著作物利用については議論を継続する旨でまとめられた。なお、薬事関係や図書館・学校教育などでも継続して議論する予定とされていた項目があったが、これらは実質的に議題に取り上げられず、今後の議論ということにされている。
 権利制限の課題については、報告書案が法制問題小委員会で了承されるさい、法改正すべきと結論された項目をより判りやすくすべきではないかとの委員意見が出されている。著作権分科会で提出される報告書では、そのあたりが修正されているものと考えられる(項目の入れ替えなどがあるか?)。

 違法複製物や違法配信物からの私的複製の30条除外(いわゆる「ダウンロード違法化」)については「その他の課題」の中で触れられるのみ。法制問題小委員会では、私的録音録画小委員会で(映像と音楽については)法改定妥当と結論付けたのをそのまま受け、プログラムの著作物についても30条除外するかが検討された。結果は法改定をただちに提言するものではないが、映像・音楽以外の著作物について検討を続ける旨でまとめられる。
 加えて、「ライセンシーの保護」「間接侵害」「法定損害賠償制度」も今後も検討を続けるとのこと。

 なお、知的財産戦略本部「デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会」での報告で注目される「日本版フェア・ユース規定の導入」については、法制問題小委員会の報告書において「その他の課題」として「順次検討を行うことが必要」と軽く触れられるのみ。

http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/hogo/07/haihu.html
http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/hogo/07/pdf/shiryo_02.pdf

 保護利用小委は、「過去の著作物等の利用の円滑化方策」と「保護期間の在り方」の二本柱でまとめられる。保護期間の方については、各報道のとおり、延長要望派と慎重派との両論併記で「検討を続けることが適当である」とまとめざるを得なかった。
 利用円滑化については、権利者が不明の場合の著作物利用と、国立国会図書館が行うアーカイヴについては法的措置が妥当と結論。その一方で、多数権利者が関わる場合(少数の反対者による許諾拒否)、権利者の意思表示システム(自由利用マーク・クリエイティブコモンズなど)の法的バックアップ、二次利用・パロディ、非営利無償のアーカイブなどについては今後の検討とされた。
 


http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/rokuon/h20_5/gijiroku.html

http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/rokuon/h20_5/pdf/shiryo_01.pdf

 私的録音録画小委は、いわゆる「ダウンロード違法化」を実施するよう結論するのみで、私的録音録画補償金に関する合意は一切無かった。文化庁は、補償金にまつわる課題の整理が終わったかのように演出しているが、補償金廃止と補償金存続を同居させた「文化庁案」を掲げているかぎり、補償金問題が解決することはないだろう(私見)。

http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/kokusai/h20_02/gijishidai.html
http://www.bunka.go.jp/chosakuken/singikai/kokusai/h20_02/pdf/shiryo_03.pdf

 国際小委員会では、世界知的所有権機関(WIPO)などの国際会議の動向をみつつ、日本が先行して何を検討・提案していけるかという「検討課題」がまとめられた。小委員会では「エンフォースメントの実効性確保に向けた取組」に強い関心のある委員が多い。模倣品・海賊版拡散防止条約(ACTA)の交渉が進んでいることもあり、検討結果よりも、むしろ今後の状況が大きく動きそうで要注目の小委員会ではある。

Posted by 谷分 章優 著作権, 著作権保護期間延長問題, 著作権行政 | | コメント (0) | トラックバック (0)

レンタル業界の、自分たちの商売を「守る」ための働きかけについて

 CD/DVDレンタルの業界団体が出している機関紙の今月号に、興味深い記事が載っていた。映画がDVD化され、それがテレビで放送されるまでの期間の話だ。

 映画は製作に多額の費用をかけており、その製作費は劇場での入場料の他、DVD化やテレビ放送など、複数の商品化の機会をとらえて回収する仕組みになっている。劇場・DVD・テレビ放送など、観客との接点は「ウインドウ」という呼ばれ方をする。「ウインドウ」を複数用意できることは、製作する側にとっては、ひとつの作品から何度も利益を出す機会が得られるメリットがある。また、鑑賞機会に応じた対価(一般的には待てば安価になる)が設定されることから、観客側も時期や対価を基準に選択肢を得られることになる。

 DVDレンタルも、そんな「ウインドウ」のひとつだ。時期としてはDVD発売以後、300円から400円程度で映画1本を鑑賞できるという、コストパフォーマンスのかなり高い鑑賞機会を提供している。そんなレンタル業界が気にしているのは、そのDVD発売から地上波での放送までの期間だという。“タダ”で映画が見られる地上波放送が済んでしまえば、その映画をレンタルしてもらえる見込みが極端に減る。つまりレンタル業界の“稼ぎ時”がこの期間に限られるという考えだ。

 先に述べた機関紙の記事によれば、DVDなどのパッケージリリースから365日以内に地上波で放送された映画の数は、2002年に11作品、2003年に12作品、2004年に13作品と来ていたところ、2006年には22作品、2007年では28作品と急増傾向にあるのだという。ちなみに、356日というのがどこから来てるのかと言えば、レンタル業界から製作側へ求めているのが、DVD化から放送まで最低でも1年間あけてほしいということかららしい。こういう働きかけをしているとは知らなかった。

 DVD化から放送まで短期間になりそうな事例として、『三国志』を映画化した『レッドクリフ』の例が出されていた。この作品は2部構成で公開されていて、Part 1が今年3月11日にDVD発売され、Part 2が4月10日に劇場公開される予定だ。このPart 2の上映を成功させるため、製作にも関与しているエイベックスが構想したのが、上映直前にPart 1をテレビ放送するという手法だったという。

 続編映画をプロモーションするのに、前作をテレビ放送するという手法はこれまでにもよく取られてきた。また、シリーズでなくても、関連作をテレビ放送して上映を勢いづけるということもよくある。ただ『レッドクリフ』についてレンタル業界が神経をとがらせたのは、Part 2のプロモーションとはいえ、Part 1のDVD化から1か月を切る時期に放送されるということだった。CDVJとエイベックスとの間で話し合いの場を持ち、「出来る限り地上波放映を送らせ、せめて1ヶ月はパッケージリリースから期間を開けてほしい」「地上波放映の後、回転が激減することは明白なので、可能な限り仕入れについて柔軟に対応してほしい」といった要望を入れたと機関紙の同記事にはある。

 「本件については初めてのケースであり、データを採取した上で十分な検証を行うことが必要である」と同記事は締めくくられている。どうせ避けられないことなら、しっかり今後の参考にしようという点で冷静な判断かと思われる。そういえば、確か『デスノート』の時にも後編の封切り(2006年11月3日)直前に前編をテレビ放送(同年10月27日)した筈だったのだが、この時はCDVJでは問題視しなかったのだろうか。DVD発売(2007年3月14日)前の放送だったので別扱いなのかも知れない。

 ところでこうしたDVD化からテレビ放送の期間が短くなってきている問題にかぎらず、今後のレンタル業界にとって、流通の変化が重くのしかかることが予想されている。レンタル業界内部での競争を考えても、レンタルと販売の複合店の存在感が大きくなっていたり(しかしこういうのはだいたい大型店)、「ツタヤ ディスカス」や「ぽすれん」といった郵送ベースのサービスなどが登場している。もっと脅威的なのは、インターネット配信などのVideo On Demandという外部との競合だ(今回ネタにさせてもらった記事でも、「アクトビラ」が今後強力なライバルになるとの見通しが示されている)。

 ネット配信に少なからぬ期待をしている私から見れば、iTunes Storeでのビデオレンタルが日本で開始されていなかったり、レンタル業界がDVDと同じく扱っているCDについても、レンタルと競合できるほど安価なネット配信はまだ登場していない(もっともCDシングルのレンタル在庫数は、レコード協会の調査によれば、音楽配信が本格化する前から減り続けているとのこと)ことに大いに不満がある。その一方で、これらがレンタルと競合し始めたら、業界が生き残っていく術があるのだろうか。

 ユーザーへ安価に音楽を届ける“スキマ商売”として始まったレコードレンタルの時代から、この業界には“お世話になってきた”私ではあるけれども、音楽配信・レコード配信といった新しい流通の日本での発展に対して、もしレンタル業界が「パッケージ」にとどまることを望む“抵抗勢力”になってしまうとしたら、ちょっと困るなぁと思ったりする。

 DVD化から放送までの期間で調整するのだったら、私は期間がそう長くても気にならない。レンタル業界を救うために配信が不当に制限されるとかいうことでなければ、テレビ放送の例のような穏当なところで配信とレンタルの棲み分けを模索して欲しいと願うばかりだ。


※今回のネタ元
日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合『CDV JAPAN』
No. 298 (2009年1月号)
「THE SPECIAL 多メディア時代のウインドウの在り方を考える」

Posted by 谷分 章優 映画・映像 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月23日 (金)

権利者の「努力」をどう評価するかで、「流通促進法制」の評価も変わる

 21日に、総務省の情報通信審議会 情報通信政策部会「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会」(通称・デジコン委員会)第48回会合が開かれた。

 デジコン委員会では、地上デジタル放送の著作権保護ルールをどう強制するかの検討を「技術検討ワーキング」で行っている。また、インターネットでのコンテンツ流通の効果と課題を実際の番組制作からさぐる試みを「市場取引ワーキング」で行っている。本委員会の下に2つのワーキンググループを設け、専門的で小回りのきいた議論をするという趣旨だ。本委員会では、そのワーキングでの検討経過を受けて議論を深める。ちなみに前の2回は、「技術検討ワーキング」の報告をもとに、B-CAS関連で議題が設定されていた。

 今回の議題は、もう一方の「市場取引ワーキング」に関するものだ。デジタル・コンテンツ利用促進協議会が1月9日に公表した、コンテンツの権利関係を整理する特別法を設けて流通促進をはかる「会長・副会長試案」(PDF)について、ヒアリングが行なわれた。また、同協議会とは対照的な立場をとる「ネットワーク流通と著作権制度協議会」で検討中の「流通促進方策」についてもヒアリングがあり、いわゆる「流通促進」の考え方に対する権利者側委員の疑義が相次いだ。

 特に、利用促進協議会の「会長・副会長試案」は、デジタル・コンテンツ法有識者フォーラムが提案した「ネット法」構想が叩き台になっているため、反発する声が目立った。

デジタル・コンテンツ利用促進協議会「会長・副会長試案」

 デジタル・コンテンツ利用促進協議会の「会長・副会長試案」に関するヒアリングは、同協議会事務局から弁護士の櫻井由章氏が出席して行なわれた。

 この協議会は、「コンテンツ大国」のスローガンを掲げる政府方針の一助にと、デジタル・コンテンツの利用促進策を議論する場として昨年9月に設立された。東京大学名誉教授で弁護士の中山信弘氏が会長、株式会社角川グループホールディングス代表取締役会長の角川歴彦氏と、参議院議員の世耕弘成氏、株式会社スクウェア・エニックス代表取締役社長の和田洋一氏ら3氏が副会長に就いている。デジコン委員会でヒアリングされる「会長・副会長案」というのは、この4氏が連名で発表したものだ。

 試案は、

●対象コンテンツの利用に関する権利の法定事業者への集中化
●権利情報の明確化(対象コンテンツの登録)
●適正な利用を過重な困難なく行い、原権利者に適正な還元がなされる仕組み
●デジタル・コンテンツの特性に対応したフェア・ユース規定の導入

――の4つが骨子となる。

 この試案の目的は、映画・音楽・放送番組をインターネットで配信するときに必要な権利処理を容易にすることにある(ただし音楽を対象から外すこともあり得るそうだ)。従来ならば、この配信にあたって、作詞家・作曲家・映画会社・レコード会社・放送局・出演者などの関係権利者(著作権者と著作隣接権者)すべてから許諾をもらう必要がある。そこで、新しい特別法を作り、1つのコンテンツにつき一人が“代表”して許諾をできるようにする。コンテンツを配信した事業者はその一人と交渉すれば良くなる仕組みだ。

 試案の中で、関係権利者を代表する「一人」を「法定事業者」と呼んでいる。「権利情報の収集等を行い原権利者に適切な還元を行う当事者としての協力を有すると認められる者」としている。「原権利者」というのはそのコンテンツに関係する著作権者・著作隣接権者のことで、彼らが「法定事業者」に権限を集めたくない場合には「別段の意思表示」をする。一人への権限の集約が原則で、ある程度の権利者が「意思表示」をしたときに集約をまぬがれる趣旨のようだ。

 「法定事業者」が配信の許諾を出せるコンテンツは、「コンテンツID登録事業者」へ権利情報を登録する。情報は公開され、登録から一定期間、原権利者からの異議を受け付けることで権利情報の正確さを保つ。「法定事業者」にはコンテンツ配信で得た利益を原権利者へ分配する義務が課されており、ここでの権利情報にもとづいて実行する。

 試案では、「公正」と言える利用行為が著作権・著作隣接権の侵害とならないとする「フェア・ユース」の規定を特別法に盛り込むことも提案している。この特別法がインターネット上でのコンテンツ利用を対象にしていることから、特にインターネット関連のサービスなどで導入が望まれている「フェア・ユース」を改めて定めるということらしい(著作権法にフェア・ユースを入れる場合、映画・音楽・放送番組以外のコンテンツや、インターネット以外の利用行為にも影響されるためだろう)。

 なお現在、試案に関してパブリックコメントが募集されている。2月10日締切りだ。


ネットワーク流通と著作権制度協議会 松田氏私見

 昨年11月21日に設立された「ネットワーク流通と著作権制度協議会」からは、会長職務代行で弁護士の松田政行氏がヒアリングに臨んだ。この協議会は法学者・弁護士ら118名が参加、新潟大学名誉教授で弁護士の斉藤博氏が会長に就いている。「コンテンツの流通促進方策」と「権利制限の一般規定」を検討するための分科会を設け、議論を続ける。ただし設立に関する報道を見たかぎり、「権利制限の一般規定」つまりフェア・ユースの導入には慎重な姿勢が目立つようだ。

 利用促進協議会のような「案」が、まだ制度協議会としてまとまっている段階ではないとのことで、今回のヒアリングにあたっては松田政行氏の「私見」として「コンテンツの流通促進方策」が語られた。

 この松田氏の「私見」においても、コンテンツのネット流通を「促進」させる方向性は利用促進協議会の「会長・副会長試案」と共通する。また、「デジタル・コンテンツネット流通を促進する要素」として(1)諸権利者間の配分ルールの合意(2)諸権利の一元化(3)メタデータ化(4)ビジネスモデル――といったキーワードを挙げた。ここも基本的には「会長・副会長試案」に近い方向性を持っている。

 しかし決定的に違うのは、「会長・副会長試案」が特別法を作ることを前提にしている点に対し、松田氏「私見」では「ガイドライン」と「契約モデル」を用意して流通促進を図る点だ。つまり現行法の枠内で「契約」をさせるということで、新たな立法を考えていない。対象とするコンテンツについても、音楽は実際にネット配信されていること、映画はすでに権利が映画製作者へ集約されていることから、放送番組に限定して提案されているという。

 松田氏「私見」によれば、放送番組をニュース・クイズ・バラエティーなどジャンルを分けて、関係する権利者の典型例を整理した「権利関係モデル」を作る。ジャンル分けはなるべく細かく設定する。そして、この権利関係モデルから必要な配分先を整理することで、各ジャンルごとの「契約モデル」を作成する。配信契約の際には、「権利契約モデル」の中から利用予定の番組に近いジャンルを探し出して、それと関連付けされた契約書の雛形(契約モデル)を使うことになる。この一連の手続きは「ガイドライン」として示されるわけだ。

 「権利関係モデル」から配分先、「契約モデル」を作るのは放送局や関係権利者の団体だ。基本的には当事者間の協議によって「契約モデル」まで持っていく。配信のための契約モデルが一度出来上がれば、あとは配信までスムーズに行く(ビジネスモデルは現場で考えられる)という趣旨だ。利用促進協議会の「会長・副会長案」では、契約に委ねていては時間がかかりすぎるとの前提で立法を提案していたが、その手法でもやはり当事者間の協議がなければ分配ルールは決まらない――と松田氏は指摘している。

 なお権利情報については、各権利者団体のデータベースと連動する形で、各テレビ局あるいは「権利処理機関」にデータベースが用意される。そしてガイドラインに基づいて利用があると、「権利処理データベース」へ登録される。このデータには権利者や関係者がアクセスできるようにして、透明性を確保する。利用から使用料の配分までに一定期間を設け、配分ルールに異議のある権利者が登場した場合はADR(裁判外紛争解決機関)の裁定に委ねるという(ただしADRで決着しない場合に裁判になることも想定)。


「流通促進」に疑義を出す権利者側委員

 櫻井氏・松田氏からのヒアリングを受け、「相変わらず、安価に効率よくコンテンツを配信したいという虫の良い話だ」と椎名和夫委員が批判した。また、利用促進協議会の「会長・副会長試案」の中で、「権利情報の収集等を行い原権利者に適切な還元を行う当事者としての協力を有すると認められる者」を「法定事業者」としていることを指し、「いったい誰がどのような基準で判断するのか」と疑義を出した。

 同協議会の「会長・副会長試案」については、コンテンツに関係する権利を映画会社・放送局・レコード会社らに集約するという「ネット法」構想から出発しており、これに対する権利者側の反発が強かった。そういった事情もあって「最大のネックはインターネットの収益性の悪さで、そこを改善することなく、なぜ法律で解決できるのか。前に(デジコン委員会で「ネット法」をプレゼンした)岩倉弁護士にも質問したが、答えが聞けていない」と椎名委員が指摘。他人の財産で商売をする以上は権利者との話し合いで時間と費用が必要なのはあたりまえで、ネット関連のような「特定の事業者や産業を優位に立たせるために立法をすることは許されない」(椎名委員)と反対した。

 これまでのコンテンツ流通は交渉と契約で決めてきた――と堀義貴委員も、日本音楽事業者協会と実演家著作隣接権センター(CPRA)が権利情報の集約で合意したこと、NHKオンデマンド開始前に短期間で許諾に至ったこと、5カ国に向けたドラマの配信が始まっていることなど、権利者側で努力を続けていることを強調した。

 佐藤信彦委員(フジテレビ)からも「なぜ性急にことを運ぶことを目指すのか。コンテンツ大国、コンテンツ立国という言葉の裏に、本当はコンテンツは何かの肥やしにすぎない。国が目指すべきは『コンテンツはいつでも安価で利用できることを前提とした』産業政策ということなのではないか」との、「流通促進」の前提に対する疑問が出された。


私見

 一言だけ。

 この「流通促進」策の必要性、そして新たな立法をすべきかという点について、以下の問いをどう考えるかで結論が変わるのではないかと思う。

●現状として、インターネットでのコンテンツの流通は不充分ではないか。
●一度世の中に発表されたコンテンツは、常に流通させるべきか。
●「権利者」と配信事業者との契約を待てるか。

 「流通促進」を望む側からすれば、権利者側からの反論に対しては、かなり身も蓋もない再反論をせざるを得ないような気がする。

Posted by 谷分 章優 映画・映像, 知財戦略, 著作権, 音楽と著作権 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月15日 (木)

行政の「違法・有害」検討の一区切り

 14日に、総務省の「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会」第10回会合が開かれた。インターネット上にある「違法」あるいは「有害」な情報が、携帯電話やパソコンを通じて青少年に届いてしまう現状をいかにして変えるのか、「安心」「安全」なインターネットを事業者や学校・社会との関係の中で実現していくかを考える検討会だ。今回が最後の会合ということで、「最終取りまとめ」を承認して1年以上に渡る検討を終えた。

 第1回の検討会は2007年11月に開かれ、「違法有害情報に対する総合的な対応について」(検討会設置の報道資料から)検討が始まった。当初、2008年4月の「中間とりまとめ」までは主に携帯電話でのフィルタリングサービスが取り上げられていたが、同年6月の「青少年ネット規制法」(公式には「青少年インターネット環境整備法」と呼ばれる)の成立を受けて、より広く「安心ネットづくり」促進プログラムの骨子づくりを集中的に検討してきた経緯がある。

 検討会の議論と取りまとめにあたっては、ワーキンググループが設置された。「基本的枠組WG」「自主的取組WG」「親子のICTメディアリテラシーWG」「技術検討WG」の4つだ。これらのうち3つはそのまま「最終取りまとめ」の柱となっている。フィルタリングや産学連携・国際連携などの「基本的枠組」、レイティングや児童ポルノ対策などの「民間における自主的取組」、教育活動や調査活動などの「利用者を育てる取組」といった具合だ。4つ目のワーキングの「技術検討」は、それぞれの柱での技術的側面をフォローしている。

 今回了承された「最終取りまとめ」の案自体は、前回(昨年11月26日)にすでに公表されていた。その後、国民からの意見募集(パブリックコメント)にかけられ、それを踏まえた修正がされて今回の検討会にかけられた。ちなみにパブリックコメントでは、個人から82件、法人・団体から8件の意見が寄せられたという。

 第10回会合で配布された資料は、当日のうちに総務省のサイトに掲載されている。

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/internet_illegal/090114_2.html
インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会(第10回)
(総務省)



資料1 第9回検討会議事要旨(案)
資料2 欧州における民間の自主的取組やリテラシー向上等の取組について
資料3-1 最終取りまとめ(案)について提出された意見について
資料3-2 意見募集で寄せられたご意見に対する考え方(概要)
資料3-3 意見募集で寄せられたご意見に対する考え方
資料4-1 最終取りまとめ(案)
資料4-2 意見募集を行った案からの修正箇所

 ここにあるうち、パブリックコメントの結果に関するものは資料3−1から3−3だ。資料3−1は意見数の集計、資料3−3が各意見をすべて掲載したもの。間の資料3−2は、説明のために事務局が主要な意見をピックアップした“概要版”となる。

 意見に対しては、それぞれ総務省からの「考え方」が記されており、特に主要なものについては、「最終取りまとめ」にも修正が加えられ反映されたものもある。その修正箇所が一覧できるようになっているのが資料4−2だ。

 本編の「最終取りまとめ」は資料4−1、前回の案から修正された部分には下線が引かれている。国が今回の「最終取りまとめ」のように大枠を検討しつつも、基本的には民間での自主的取組みを見守ることとし、国としてはそのバックアップに徹するとの方針自体は変更されていない。その結論に至るまでの検討部分で、細かい修正が入れられたという具合だ。

 「違法・有害」検討の結果としてまとめられた「最終取りまとめ」には、検討課題となっている「フィルタリング」「児童ポルノ」などの他、キーワードとも言えるものがある。「産学連携の結節点となる組織」「eーネットづくり宣言」といった言葉が繰り返し登場し、実際の試みはそうした民間の組織が担うこととされているのである。「違法・有害」の中でも特に「有害」情報の問題で国が主体になって対策を進めることは、インターネット上で流れる情報を国がコントロールすることになりかねないため、難しい。そこで、民間の側でこうした対策の主体となる組織ができ、国がそのバックアップするという形で報告書をまとめているわけだ。

 昨年10月8日に、ネット関連企業やPTA全国組織・大学教授などが発起人となって「安心ネットづくり」促進協議会の設立が発表された。検討会での「最終取りまとめ」の最後にもこの協議会に触れるところがあり、「同協議会が、青少年インターネット環境整備法の基本理念に則り、その活動を軌道に乗せることにより、『安心ネットづくり』促進プログラムに盛り込まれる諸施策の多くが着実に実施されることを期待したい」とまとめている。

 今後は、総務省から「安心ネットづくり促進プログラム」の発表が予定されている。正式な「最終取りまとめ」もその時に一緒に公表されるそうだ。施策を引き受ける形となる「安心ネットづくり促進協議会」の実際の活動に焦点が移ることになるが、国の意向が強制力となって働いてしまわないか、あるいは「民間」ゆえに過剰に制限的な施策を始めてしまわないかなど、気になる点はある。

 これからが始まり。関心を失わずにいたいところだ。

Posted by 谷分 章優 ネット規制 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月11日 (日)

著作権で守られるのは「表現」か「廃墟」か

 時の流れの中で朽ち果てて人の記憶からも消えた「廃墟」を探し出し、フィルムへおさめる。その先がけとして活動してきた写真家が、同じように廃墟をテーマに撮り続ける写真家を訴えた。1月9日のことだ。

 原告は丸田祥三氏。群馬県の旧丸山変電所を写した作品で、1994年に日本写真協会新人賞を受賞した。以来テレビや雑誌、写真集『棄景』シリーズなどで廃墟写真を発表し続けている。訴えられた小林伸一郎氏の方も、『廃墟遊戯』『廃墟漂流』『NO MAN'S LAND 軍艦島』『亡骸劇場』などの写真集を発表、2007年には第38回講談社出版文化賞(写真賞)を受賞した。

 同じジャンルで活動する写真家同士が裁判で争うことになった理由は、丸田氏が先がけて発表した写真で知られるようになった廃墟を、小林氏も似たような構図で撮影して発表したからだ。丸田氏の側は、自身の作品のモチーフや「表現」を小林氏が不当に真似たもので、「著作権侵害」だと主張している。小林氏の側は「事実無根」としている。

 この裁判よりも前から、小林氏の作品のいくつかが丸田氏の先行作品に似ているとの指摘が、丸田氏のファンの間であったようだ。インターネットでは「検証サイト」が作られ、実際に画像で見比べられるようにして疑惑を伝えていた。また、雑誌『創』の2008年5月号では、フリーライターの七瀬恭一郎氏が「スター写真家をめぐり勃発した著作権騒動」という記事でこの問題を取り上げた。「検証サイト」でも雑誌記事でも、丸田氏だけではなく、他の写真家とも似たものがあるとの指摘がされている。

 では今回の裁判の中で、廃墟写真を多数発表している小林氏の作品のうち、どういった写真が「著作権侵害」ではないかと争われるのだろうか。丸田氏側が挙げたのは以下の5点のようだ(下記の5点は報道を合わせて判断した。カッコ内の撮影年・発表年などは、産経新聞の記事とTBSのニュースにあったものを合わせた)。同じく報道によれば、丸田氏は提訴の前に質問状を送ったとのことだが、小林氏からの回答はなかったという。

●群馬県・旧丸山変電所の建物跡
 (丸田氏:1987年撮影・1992年発表・1993年『棄景』収録、
  小林氏:1995年撮影・1998年『廃墟遊戯』収録)
●栃木県・足尾銅山付近の建物
 (丸田氏:1987年撮影・1992年発表、
  小林氏:1996年撮影・2003年『廃墟をゆく』収録)
●秋田県・奥羽本線旧線の橋梁跡
 (丸田氏:1990年撮影・1992年発表、
  小林氏:2001年『廃墟漂流』収録)
●静岡県伊豆市・大仁金山付近の建物
 (丸田氏:1990年撮影・1992年発表、
  小林氏:1995年撮影・1998年『廃墟遊戯』収録)
●奥多摩ロープウェイ機械室の歯車
 (丸田氏:1992年発表・2005『棄景V』収録※、
  小林氏:2000年撮影・2001年『廃墟漂流』収録)
 ※前記検証サイトによれば2000年『棄景IV』にも収録されているとのこと。

 いずれも、同じ建物を似た角度で撮影したものだ。「検証サイト」などで指摘された写真の中でも、特に似ているものを選んだように思われる。先行した丸田氏は、自力で探し出した廃墟を撮影したという。5点のうちには、丸田氏が新人賞をもらった作品も含まれる。自身が写真におさめるまでは世の中に知られていたものではなく、それを見た小林氏が真似たというのが丸田氏側の主張だ。ただし、丸田氏が一貫してモノトーンで撮影するのに比べ、小林氏はカラーで撮影するという違いはある。そして撮影した地点が近いものの、全く同じというわけでもない。

 これらの問題になっている写真は産経新聞のサイトで4点が、TBSニュースの動画配信でもこの5点に加えて他の「似ている」作品(奥多摩湖ロープウェイ、越川橋梁)が参照できる。なお今回の訴訟で触れられていない写真には、被写体が共通しているものの撮影の角度がまったく異なるものもある。

 今回の裁判のように、ふたつの作品の間で「著作権侵害」があったかどうかを判断するためには、次のような判断基準が使われる。まず、真似たとされる方の作品がもう片方の表現を参考にしたのかという「依拠性」だ。そして、先行作品を強く連想させるほど似ているのかという「類似性」だ。この二点を丹念に検討して判断されることになる。

 この二点だけを見れば、確かに小林氏の作品は丸田氏の発表よりも遅くに撮影され、しかも写真の表現そのもので似た印象を受ける。しかし私がこのニュースを見てすぐに考えたのは、両者の「違い」の方だった。色づかいや、被写体をどの角度で撮っているか、写真の枠をどこで切るかという「フレーミング」などに違いを見たのである。写真が「著作物」として扱われる理由も、こうした撮影手法の選択に著作者としての個性が反映され、「表現」としての写真が完成するからだ。問題になっている写真でも「類似性」を否定するだけの違いがあるのか‥‥ここに難しさがあるように私には思えてならない。

 何をもって「似ている」と判断するのか。線1本にも個性が発揮されるイラストや絵画とは違って、同じ被写体を使えば表現として似てしまう写真で同じ判断はできない。特に、撮影の際には足場などの制約で、どういった構図にするのか選択肢も限られてくる。同じ被写体を撮るのに、角度などの違いが考慮されず「著作権侵害」とされるのでは、一度ある写真家に撮影された建物は他の写真家が撮れなくなってしまう。

 たとえば、丸田氏がモノトーンで撮影したのと同じ建物を、カラーで記録しておきたいというニーズは発生しないだろうか。また、写真の世界には、ある地域を長い年月かけて記録していくというジャンルもある。定点観測のように、あの建物が年月を経る様子を撮影することは丸田氏以外にできなくなるのだろうか。

 私が今回の裁判で心配しているのは、そういった表現に対する影響だ。確かに問題とされている写真はどれも「似ている」ものが選ばれている。しかし、同じ被写体を撮影した写真家が今後も「著作権侵害」となってしまうような判断が出てしまっては、問題の5枚だけにとどまらない影響が写真の世界に出てしまいかねない。

 時事通信の記事で伝えるところでは、「原告側は、被写体と構図の選定には、文献を調査し、現地に何度も足を運ぶなど多大な労力を要し、高い創作性があると主張」しているのだという。ただ、著作権で保護されるのは「表現」の方だったはずが、ここで保護を求めているのは「廃墟」の方のように聞こえなくもない。

 指摘された5つの建物を撮影するときに、とり得る選択肢から「表現」を真似たのか、そもそも真似ようとしなくてもああなってしまうものなのか、慎重な判断が要求される。仮にこの裁判で「著作権侵害」と判断されても、複数の写真家が同じ被写体を撮影したときの、著作権侵害を避けられるラインを判決の中で示唆してくれるよう願っている。

 最後にひとつだけ私の個人的な感想を書いておこう。忘れられた廃墟を再発見し、誰よりも早く写真におさめて発表した丸田氏には敬意を持っている。そうした実績を持ち、社会からもそのように知られ、しかも優れた写真を残している。本当に私個人の感覚でしかないが、問題になった写真だけで比較するなら、丸田氏の作品の方が心に迫るものがあるように思う。




 ここからはオマケみたいなものです。

 ネットで参照できる報道は、主として以下のようなものがある。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090109/trl0901091929005-n1.htm
「廃虚写真『模倣された』 プロ写真家が同業者を提訴」
(MSN産経ニュース) 2009.1.9

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090109-OYT1T00663.htm
「廃虚写真家『場所や構図まねされた』とライバル提訴」
(YOMIURI ONLINE) 2009.1.9

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090110k0000m040086000c.html
「提訴:『廃虚写真まねされた』プロ写真家が賠償求め」
(毎日jp) 2009.1.9

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009010900722
「『廃虚写真、まねされた』=プロ写真家が同業者提訴-東京地裁」
(時事ドットコム) 2009.1.9

http://news.tbs.co.jp/20090109/newseye/tbs_newseye4034842.html
「『写真は盗作』、著作権侵害で提訴」
(News i) 2009.1.9

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00147285.html
「『廃虚』写真めぐり著作権を侵害されたとして写真家が別の写真家を提訴」
(FNNニュース) 2009.1.9

 今回の訴訟が難しいのは、目の前に存在する物体を、機械によって画像に定着させるという写真表現の特殊性があるためだ。かつて写真は他の「著作物」よりも低い保護しか与えられなかった(たとえば保護期間が短かった)のは、こうした機械的に作られる側面があるからだという。しかし写真表現というものが社会に根付いた現在では、素人の撮った写真とプロの撮った写真が全く同じだという人はいないだろうし、法律の上でも写真は「著作物」のひとつとして扱われている。
 写真が「著作物」である理由として、著作権の概説書では次のように示している。中山信弘先生の『著作権法』から引いてきたものだが、被写体の選択、シャッターチャンス、シャッタースピードや絞りの選択、アングル、ライティング、構図やトリミング、レンズとカメラの選択、フィルムの選択、現像や焼付‥‥と、これだけある技法によって思想・感情が表現されるという。
 しかし、同じ被写体を撮った場合はどうなるのかという問題は、今回の訴訟にかぎらず出てきてしまうことだ。写真の著作物がどれだけ著作権法で保護されるのかという点について、同じく中山・著作権法(93ページ)から——

写真著作物の保護範囲は、通常は絵画より狭く解釈されている。写真そのものを利用した場合、具体的には当該写真を複写したり、写真を基に絵を描いたりした場合に侵害になると考えられることが多い。写真著作物の保護範囲については、被写体との関連で二つに大別できよう。一つは、被写体が所与の存在でその制作に撮影者が関与していない場合であり、他の一つは撮影者が被写体を自ら制作した場合である。
 前者の例としては、富士山のような風景写真がある。富士山を撮影する場合でも、季節、場所、時間、方向等で様相が異なるが、それは既に存在する被写体の諸様相の中から一つを選んだということであり、その選択自体は著作権法上保護されない。その選んだ様相の一つを、カメラワーク等の創意工夫によってフィルム上に創作的に表現して始めて著作物となる。その著作物性は被写体ではなく、撮影者のカメラワークを中心に判断される。そうなると、理論的には他人の写真自体を複写せずに、同じ被写体を同じ場所で自ら撮影しても非侵害となろう。その意味で、そのような写真の著作権の保護範囲は、事実上その写真自体を用いた複製や翻案に限られよう。

 写真がその特性上、著作権による保護の範囲を狭く考えざるを得ないという点をもって、今回の裁判で「著作権侵害」と判断されるべきではないと私は主張するわけでもないのだけれど。あくまでも、難しい問題だよなぁと嘆くしかなくて、どちらの判断もあるように思う。

 厳密には同じとは言えない写真について裁判で争われ、被写体のアイディアを真似したということで著作権侵害と判断された事件が過去にはある。「スイカ写真事件」あるいは「みずみずしい西瓜事件」と呼ばれるものだ。原告の丸田氏側は、今回の訴訟で著作権侵害だと判断され得る根拠にこの判例を挙げている。

 問題になった写真はこちらを見ていただきたい(PDF。上が原告、下が被告)。扇型に切ったスイカ6切れを、スイカの器に斜めに並べた写真で、奥につるのついたスイカが配置されている。被告の側は6切れのスイカが倒れている方向が逆だったり、器になっているのが冬瓜だったりと、若干の違いがある。しかし高裁判決で、この程度の差異では「類似性」を否定するものではないとされた(もちろん、侵害を判断するもう一つの要素「依拠性」も別に立証されている)。

 ただし、この事件特有の事情というのもあるのだ。たとえば、被告の側で原告の本を入手していることが判っていたりする(原告も被告も同じ写真カタログを扱う業者にネガの管理を委託していて、原告がその業者にあらかじめ自身の写真集を送っていた)。また、被写体となったスイカを、原告自らがセッティングしたという点がある。そこに写真家としての創作性がより入り込む余地があって、被告が改めて撮影した写真が原告のものとここまで似るのは意図して著作権を侵害したためだと判断された。

 つまり、被写体がある場所にもともとあるものだと、スイカ写真事件と同じ結論が出るのかという疑問がある。スイカ事件の判決(最高裁判所サイトに判例が掲載されている)を読んでも、こうした疑問点をの存在を示唆した箇所がある。

 写真著作物において,例えば,景色,人物等,現在する物が被写体となっている場合の多くにおけるように,被写体自体に格別の独自性が認められないときは,創作的表現は,撮影や現像等における独自の工夫によってしか生じ得ないことになるから,写真著作物が類似するかどうかを検討するに当たっては,被写体に関する要素が共通するか否かはほとんどあるいは全く問題にならず,事実上,撮影時刻,露光,陰影の付け方,レンズの選択,シャッター速度の設定,現像の手法等において工夫を凝らしたことによる創造的な表現部分が共通するか否かのみを考慮して判断することになろう。
 しかしながら,被写体の決定自体について,すなわち,撮影の対象物の選択,組合せ,配置等において創作的な表現がなされ,それに著作権法上の保護に値する独自性が与えられることは,十分あり得ることであり,その場合には,被写体の決定自体における,創作的な表現部分に共通するところがあるか否かをも考慮しなければならないことは,当然である。写真著作物における創作性は,最終的に当該写真として示されているものが何を有するかによって判断されるべきものであり,これを決めるのは,被写体とこれを撮影するに当たっての撮影時刻,露光,陰影の付け方,レンズの選択,シャッター速度の設定,現像の手法等における工夫の双方であり,その一方ではないことは,論ずるまでもないことだからである。

 ここでの判断は、「撮影の対象物の選択,組合せ,配置等において創作的な表現がなされ,それに著作権法上の保護に値する独自性が与えられる」スイカ事件の特徴に限定されるのではないか。しかも、今回の訴訟で小林氏側が主張しているような点についても、スイカ事件の判決は(被告がこの主張をしていたために)次のように触れている。

 しかしながら,当裁判所は,先行著作物と被写体が同一ないし類似のものである写真一般について,そのような写真を撮影するのが著作権法に違反するといっているのではない。特に,先行著作物の被写体を参考として利用しつつ,被写体を決定し,自らの創作力を発揮して新しい写真を撮影することが,著作権法に違反するといっているのではない。当裁判所がいっているのは,先行著作物において,その保護の範囲をどのようにとらえるべきかはともかく,被写体の決定自体に著作権法上の保護に値する独自性が与えられているとき,上記のような形でこれを再製又は改変することは許されないということだけである。したがって,上記のように解したからといって,写真による表現行為が著しく制約されるということに,決してなるものではない。

 同じ論理で今回の裁判が判断されるとしたら、それは「廃墟」を丸田氏のものとして保護してしまうことにならないのかなと少し思ってしまう‥‥。

 本当に最後。今回の原告・丸田氏の側に代理人としてついているのは小倉弁護士だったんですね。後でニュース映像を見直したら、しっかり顔が写っていました。最初に見た時は丸田氏の顔ばかり見ていたので、気付きませんでしたよ。

Posted by 谷分 章優 著作権 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年1月 2日 (金)

B-CASをめぐる議論に望んでいたもの

前のデジコン(総務省「デジタル・コンテンツの流通の流通の促進等に関する検討委員会」)で、地上デジタル放送のスクランブル解除の「新方式」が提案された。今後「小型カード」「事前装着カード」「チップ」「ソフトウェア」のいずれかを導入して、ユーザーにストレスを与えず地上デジタル放送へ移行してもらおうという話だ。

しかし注目すべき点が、「新方式」と並存する形で、現行のB-CAS方式も残すとの前提が立てられたところだ。デジコンの議論の中で、B-CASの限界が指摘され、新しい方式を導入するなどの今後のあり方が検討されてきた。そしてB-CAS廃止に世間の注目が集まり、委員の意見でも「B-CASにはこだわらない」旨が繰り返されてきたのである。それが、今回一転して「存続」という話になった。これには私も少なからず失望させられた。

「失望」した以上は、おそらく私の中にも何か望むものがあったのだろう。これまでは漠然とした思いでしかなかったのだが、ここで少し整理して考えてみる。

B-CAS方式は、地上デジタル放送にスクランブル(暗号)をかけ、その解除の「鍵」としてB-CASカードを用いる。受信機に同梱されたB-CASカードを、ユーザー自らが受信機へ差し込まねばならない上、そのカードはあくまでもB-CAS社から貸与される形となる。暗号技術の内容や、B-CASカードの管理を一民間企業であるB-CAS社が行なっているのが大きな特徴だ。ユーザーから見ればかなり煩わしい。

デジコンでは、このB-CAS方式を支持する委員意見は出なかった。逆に、委員からさまざまな課題を突きつけられていた。「基幹放送」として無料で流されている放送にスクランブルをかける正当性への疑問や、受信機メーカーへB-CASカードの使用を強制するため商品の多様性が損なわれている弊害、すでにB-CAS方式の裏をかく海外製の機器が登場している事実などの指摘だ。今後B-CAS方式を続けるとしても、これらをクリアする必要がある。

順番に見ていこう。まず、日本全国にあまねく届けられなければならない「基幹放送」という地上デジタル放送の性格が、B-CAS方式によるスクランブル化になじむのか。B-CASカードを「鍵」としてスクランブルを解除する仕組みなので、そのカードを持っている人に、対応機器でのみ視聴させるということになる。災害時の情報提供など、誰にでも受信できる状態にしておく必要のある「基幹放送」とは正反対の性格である。使用前のB-CASカードのセッティングやその管理、場合によってはカードの入れ替えなどをユーザーに強いることとなるが、そこまでする意味がどうにも見出せない。

また、B-CASカードという物理的な制約と、B-CAS方式の仕様に従わねばならないという強制力のために、メーカーが作る商品の選択肢が限られてしまうとのデメリットがある。小型化が図りにくかったり、コストの問題からか価格面でもアナログテレビの水準までこなれているとは言い難い。先日のデジコンで提案されたのは、受信機の「選択肢」を増やす方策だった筈だが、B-CAS方式が残ることで、その効果も思うように出ないのではないかと私は危惧する(これは後述する)。

こうまでして地上放送のスクランブル化をおこなうのは、著作権保護ルール「ダビング10」をメーカーに厳格に守らせるためである。ルールに従わない機器にはB-CASカードを発行しないという運用でもって、B-CAS方式に準拠した受信機だけが地上デジタル放送を視聴できるという仕組みだ。しかし、この目的すら現行のB-CAS方式は果たせていない。

B-CASカードは、対応機器の間でなら使い回しがきく。だから、フリーオのように海外で作られ、著作権保護ルールを無視した番組コピーし放題の機器にも使えてしまう。別機器用として入手したカードを差し込めば、地上デジタル放送が視聴可能になる。こうしたB-CASカードの使い回しは、B-CAS社とユーザーとの間で結ばれる貸与契約の中で禁じられてはいるが、契約違反のユーザーをB-CAS社が知ることは難しい。それに加えて、今ではB-CASカードを差さなくても視聴できるようフリーオが“改良”されている。

以上のことは、別に私だけが考えているものではない。デジコンでも直接指摘されてきたことだ。意図通りに運用できていないB-CAS方式を残してしまうのでは、デメリットが先に立つのではないかとすら思える。

B-CASの実効性を求めるなら、フリーオへの対処が必要だ。しかし、B-CAS方式は、 Dpa(デジタル放送推進協会)とARIB(電波産業会)が決定した技術資料にメーカーが従うという「民民の決めごと」でしかない。「ダビング10」ルールがこのデジコンで決められたという経緯はあるが、これは単に当事者間の相談の場が総務省の審議会に置かれただけで、法律によるルールの強制があるわけではない。だからこそ現時点で、フリーオに対してルール無視をやめさせる方策が見つかっていないわけだ。

デジコンの検討の大元にあるのは、著作権保護ルールをどう強制させるかという手法だ。「技術・契約」と「制度」の2通りが想定され、現行のB-CASや「新方式」で考えているのは「技術・契約」の強制力だ。一方、「制度」の強制力とは、要するに著作権保護ルールを破る行為を法律で禁止するなどの対応を指す。これまでのデジコンでは「制度」での対応に消極的だった。しかし、「技術・契約」だけで対応するには不充分と言わざるを得ないB-CASをもし存続させるなら、制度的対応を取るとの方向転換を迫られることになる。

「制度」的対応で対処できるのなら、素直に導入すれば良いではないかとお思いの方もいるだろう。ところが、B-CASの場合はそう簡単な話ではない。B-CAS方式やダビング10のような「民民の決めごと」を法律で強制することが問題をもたらさないかを気にしなければいけないのである。この決めごとが受信機メーカーに強い拘束力を持ち、決めごとの枠外にあるメーカーの参入を難しくしたり、枠内のメーカーすら機器の使用を決める上での選択肢を失って、市場競争が損なわれているとの指摘が、今の時点でもある。たとえばB-CAS方式の「鍵」の管理をし、ユーザー情報を握っているのが民間会社のB-CAS社たった1社という歪んだ状況だ。国がこれをさらに固定化することになりかねない。

心配なのは「制度」的な強制の話だけではない。B-CAS方式と並存するとの前提では、いま議論されている「新方式」の選択にも影響するのではないかと考えられる。言うまでもなく、どんな方式を選んでもコストというのはかかるものだ。B-CASが存続すれば、単純に移行させるよりも、B-CASと「新方式」双方のコストで多くかかることになる。となれば、現行方式に近いもの――B-CAS社が関与する、カードの小型化や事前実装などに落ち着く可能性が高くならないだろうか。

B-CAS廃止の選択肢をデジコンが排除したことで、私が危惧しているのはここである。B-CAS存続のために「制度」的な強制力を導入し、あるものを“有効に”使うとしてB-CASに近い「新方式」が選択され、結局B-CAS社の“独占”状態が継続していくという事態だ。

何とも閉塞感に満ちた話ではないか。デジタル移行(アナログ停波)へ向けて、さまざまな対処をしようとするのは判る。しかしB-CASといいダビング10といい、すでに破綻しているものを、現行の仕組みをこねくり回して維持しようとしている。

確かに、デジコンではこれまで長い時間をかけて議論が行なわれてきた。しかしそこで出された結論というのが、地上デジタル放送にスクランブルが必須であることと、著作権保護ルールが「ダビング10」で、ユーザーの録画については権利者への「適切な対価の還元」を考える、といった内容だった。その結果、多大なコストをかけてスクランブルを施し、その技術が及ばないところでコピーされる番組に「制度」的に対応を試み、「適切な対価の還元」の議論が延々と続くことになる。

この議論で幸せになった人はいるのか。いっそのことスクランブルに固執するのをやめた方が、議論がすっきりするようにも思う。B-CAS方式から新方式へ移行した場合、すでにB-CAS方式の受信機を買ったユーザーが視聴できなくなることを心配してB-CASを残すとのことだが、スクランブルを無くせば問題は起こらない。

おそらく早い段階からボタンの掛け違えがあって、ここまでこじれてしまった。地上デジタル放送の著作権保護ルールについて議論するのなら、私的録画補償金の問題も含めてトータルに考えるべきだった。地上デジタル放送は総務省、補償金は文化庁の管轄ではある。しかし、互いの領域を避けたがためにこの現状がある。総務省は「適切な対価の還元」と曖昧な文言を使い、文化庁では補償金問題が暗礁に乗り上げた。ユーザーの私的録画の自由が保障されるとの趣旨が貫徹されるのなら、まだしも私的録画補償金に存在価値があるようにも思えるのだが‥‥。

そういう横断的な議論のできる場が、今までも、これからも、霞が関に用意されない。残念なかぎりである。

Posted by 谷分 章優 映画・映像, 著作権, 著作権行政 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 1日 (木)

「対象期限経過」がずらりと並んだ様子をお楽しみください

 昨年末に、「商業用レコードの還流防止措置」(いわゆる「レコード輸入権」)の話を書いた。アジアで売られた邦楽CDを日本に持ち込んで安く売る「還流盤」が増え、価格がずっと高止まりしている国内盤が買われなくなると慌てたレコード業界の要望を受けて、「還流盤」の輸入を禁じてしまえとなった乱暴な制度である。この「還流防止措置」は4年前に始まったのだが、2009年1月1日になると、これまで輸入が禁じられ得たCDの多くが「輸入解禁」となる——というのが前回の話だ。

 年が明けてから日本レコード協会のサイトをチェックしてみると、変化があったのでお知らせしておく(たぶん自動更新だったんだろう)。「還流防止措置」にもとづきレコード会社が輸入を差止めるつもりでいるCDのリストが「輸入差止申立てに係る対象レコードリスト」なのだが、ここで対象期限が2008年12月31日だったものが片っ端から「対象期限経過」との表示に変更されていた。リンク先で「還流防止対象期限」のボタンをクリックしてリストを並び替えるとより判りやすい。

 ちなみに、今回「対象期限経過」となったCDすべてが税関で「輸入差止申立て」が受理されていたわけではない。レコード会社が「申立て予定」としていたまま期限を迎えてしまったものも多いのだ。これは対象レコードリストの「更新履歴」で12月31日付を調べてみると判る。

 「還流防止措置」は、アジアで邦楽CDを売るために「必要」という触れ込みで、レコード協会が音楽ユーザーの反対の声を無視した形で実現した制度だったわけだが、いざ4年もの運用の実態を見ると、正しく活用されていたのかとの疑問は残る。実際に税関に申立てられていた以外のCDでも、その巻き添えを食う形で実質的に輸入禁止となってしまっていたのではないか。「申立て予定」のまま対象期限を迎えたCDは、そういう“不正”な形で還流防止措置の恩恵にあずかっていたように思えてならない。

 この1月1日を迎えたところで、還流防止措置は一区切りついたと言える。しかし今後も引き続いて動向を見ていきたい。「解禁」された還流盤が実際に輸入されるようになるのかが判るのも、もう少し先のことだろうし(4年前のCDを逆輸入して商売になるかという問題もある‥‥)。

 ともあれ、これを念頭のご挨拶に代えていただくとして、皆さま今年もよろしくお願いいたします。

Posted by 谷分 章優 著作権行政, 音楽と著作権 | | コメント (0) | トラックバック (0)