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2009年1月11日 (日)

著作権で守られるのは「表現」か「廃墟」か

 時の流れの中で朽ち果てて人の記憶からも消えた「廃墟」を探し出し、フィルムへおさめる。その先がけとして活動してきた写真家が、同じように廃墟をテーマに撮り続ける写真家を訴えた。1月9日のことだ。

 原告は丸田祥三氏。群馬県の旧丸山変電所を写した作品で、1994年に日本写真協会新人賞を受賞した。以来テレビや雑誌、写真集『棄景』シリーズなどで廃墟写真を発表し続けている。訴えられた小林伸一郎氏の方も、『廃墟遊戯』『廃墟漂流』『NO MAN'S LAND 軍艦島』『亡骸劇場』などの写真集を発表、2007年には第38回講談社出版文化賞(写真賞)を受賞した。

 同じジャンルで活動する写真家同士が裁判で争うことになった理由は、丸田氏が先がけて発表した写真で知られるようになった廃墟を、小林氏も似たような構図で撮影して発表したからだ。丸田氏の側は、自身の作品のモチーフや「表現」を小林氏が不当に真似たもので、「著作権侵害」だと主張している。小林氏の側は「事実無根」としている。

 この裁判よりも前から、小林氏の作品のいくつかが丸田氏の先行作品に似ているとの指摘が、丸田氏のファンの間であったようだ。インターネットでは「検証サイト」が作られ、実際に画像で見比べられるようにして疑惑を伝えていた。また、雑誌『創』の2008年5月号では、フリーライターの七瀬恭一郎氏が「スター写真家をめぐり勃発した著作権騒動」という記事でこの問題を取り上げた。「検証サイト」でも雑誌記事でも、丸田氏だけではなく、他の写真家とも似たものがあるとの指摘がされている。

 では今回の裁判の中で、廃墟写真を多数発表している小林氏の作品のうち、どういった写真が「著作権侵害」ではないかと争われるのだろうか。丸田氏側が挙げたのは以下の5点のようだ(下記の5点は報道を合わせて判断した。カッコ内の撮影年・発表年などは、産経新聞の記事とTBSのニュースにあったものを合わせた)。同じく報道によれば、丸田氏は提訴の前に質問状を送ったとのことだが、小林氏からの回答はなかったという。

●群馬県・旧丸山変電所の建物跡
 (丸田氏:1987年撮影・1992年発表・1993年『棄景』収録、
  小林氏:1995年撮影・1998年『廃墟遊戯』収録)
●栃木県・足尾銅山付近の建物
 (丸田氏:1987年撮影・1992年発表、
  小林氏:1996年撮影・2003年『廃墟をゆく』収録)
●秋田県・奥羽本線旧線の橋梁跡
 (丸田氏:1990年撮影・1992年発表、
  小林氏:2001年『廃墟漂流』収録)
●静岡県伊豆市・大仁金山付近の建物
 (丸田氏:1990年撮影・1992年発表、
  小林氏:1995年撮影・1998年『廃墟遊戯』収録)
●奥多摩ロープウェイ機械室の歯車
 (丸田氏:1992年発表・2005『棄景V』収録※、
  小林氏:2000年撮影・2001年『廃墟漂流』収録)
 ※前記検証サイトによれば2000年『棄景IV』にも収録されているとのこと。

 いずれも、同じ建物を似た角度で撮影したものだ。「検証サイト」などで指摘された写真の中でも、特に似ているものを選んだように思われる。先行した丸田氏は、自力で探し出した廃墟を撮影したという。5点のうちには、丸田氏が新人賞をもらった作品も含まれる。自身が写真におさめるまでは世の中に知られていたものではなく、それを見た小林氏が真似たというのが丸田氏側の主張だ。ただし、丸田氏が一貫してモノトーンで撮影するのに比べ、小林氏はカラーで撮影するという違いはある。そして撮影した地点が近いものの、全く同じというわけでもない。

 これらの問題になっている写真は産経新聞のサイトで4点が、TBSニュースの動画配信でもこの5点に加えて他の「似ている」作品(奥多摩湖ロープウェイ、越川橋梁)が参照できる。なお今回の訴訟で触れられていない写真には、被写体が共通しているものの撮影の角度がまったく異なるものもある。

 今回の裁判のように、ふたつの作品の間で「著作権侵害」があったかどうかを判断するためには、次のような判断基準が使われる。まず、真似たとされる方の作品がもう片方の表現を参考にしたのかという「依拠性」だ。そして、先行作品を強く連想させるほど似ているのかという「類似性」だ。この二点を丹念に検討して判断されることになる。

 この二点だけを見れば、確かに小林氏の作品は丸田氏の発表よりも遅くに撮影され、しかも写真の表現そのもので似た印象を受ける。しかし私がこのニュースを見てすぐに考えたのは、両者の「違い」の方だった。色づかいや、被写体をどの角度で撮っているか、写真の枠をどこで切るかという「フレーミング」などに違いを見たのである。写真が「著作物」として扱われる理由も、こうした撮影手法の選択に著作者としての個性が反映され、「表現」としての写真が完成するからだ。問題になっている写真でも「類似性」を否定するだけの違いがあるのか‥‥ここに難しさがあるように私には思えてならない。

 何をもって「似ている」と判断するのか。線1本にも個性が発揮されるイラストや絵画とは違って、同じ被写体を使えば表現として似てしまう写真で同じ判断はできない。特に、撮影の際には足場などの制約で、どういった構図にするのか選択肢も限られてくる。同じ被写体を撮るのに、角度などの違いが考慮されず「著作権侵害」とされるのでは、一度ある写真家に撮影された建物は他の写真家が撮れなくなってしまう。

 たとえば、丸田氏がモノトーンで撮影したのと同じ建物を、カラーで記録しておきたいというニーズは発生しないだろうか。また、写真の世界には、ある地域を長い年月かけて記録していくというジャンルもある。定点観測のように、あの建物が年月を経る様子を撮影することは丸田氏以外にできなくなるのだろうか。

 私が今回の裁判で心配しているのは、そういった表現に対する影響だ。確かに問題とされている写真はどれも「似ている」ものが選ばれている。しかし、同じ被写体を撮影した写真家が今後も「著作権侵害」となってしまうような判断が出てしまっては、問題の5枚だけにとどまらない影響が写真の世界に出てしまいかねない。

 時事通信の記事で伝えるところでは、「原告側は、被写体と構図の選定には、文献を調査し、現地に何度も足を運ぶなど多大な労力を要し、高い創作性があると主張」しているのだという。ただ、著作権で保護されるのは「表現」の方だったはずが、ここで保護を求めているのは「廃墟」の方のように聞こえなくもない。

 指摘された5つの建物を撮影するときに、とり得る選択肢から「表現」を真似たのか、そもそも真似ようとしなくてもああなってしまうものなのか、慎重な判断が要求される。仮にこの裁判で「著作権侵害」と判断されても、複数の写真家が同じ被写体を撮影したときの、著作権侵害を避けられるラインを判決の中で示唆してくれるよう願っている。

 最後にひとつだけ私の個人的な感想を書いておこう。忘れられた廃墟を再発見し、誰よりも早く写真におさめて発表した丸田氏には敬意を持っている。そうした実績を持ち、社会からもそのように知られ、しかも優れた写真を残している。本当に私個人の感覚でしかないが、問題になった写真だけで比較するなら、丸田氏の作品の方が心に迫るものがあるように思う。




 ここからはオマケみたいなものです。

 ネットで参照できる報道は、主として以下のようなものがある。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090109/trl0901091929005-n1.htm
「廃虚写真『模倣された』 プロ写真家が同業者を提訴」
(MSN産経ニュース) 2009.1.9

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090109-OYT1T00663.htm
「廃虚写真家『場所や構図まねされた』とライバル提訴」
(YOMIURI ONLINE) 2009.1.9

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090110k0000m040086000c.html
「提訴:『廃虚写真まねされた』プロ写真家が賠償求め」
(毎日jp) 2009.1.9

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009010900722
「『廃虚写真、まねされた』=プロ写真家が同業者提訴-東京地裁」
(時事ドットコム) 2009.1.9

http://news.tbs.co.jp/20090109/newseye/tbs_newseye4034842.html
「『写真は盗作』、著作権侵害で提訴」
(News i) 2009.1.9

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00147285.html
「『廃虚』写真めぐり著作権を侵害されたとして写真家が別の写真家を提訴」
(FNNニュース) 2009.1.9

 今回の訴訟が難しいのは、目の前に存在する物体を、機械によって画像に定着させるという写真表現の特殊性があるためだ。かつて写真は他の「著作物」よりも低い保護しか与えられなかった(たとえば保護期間が短かった)のは、こうした機械的に作られる側面があるからだという。しかし写真表現というものが社会に根付いた現在では、素人の撮った写真とプロの撮った写真が全く同じだという人はいないだろうし、法律の上でも写真は「著作物」のひとつとして扱われている。
 写真が「著作物」である理由として、著作権の概説書では次のように示している。中山信弘先生の『著作権法』から引いてきたものだが、被写体の選択、シャッターチャンス、シャッタースピードや絞りの選択、アングル、ライティング、構図やトリミング、レンズとカメラの選択、フィルムの選択、現像や焼付‥‥と、これだけある技法によって思想・感情が表現されるという。
 しかし、同じ被写体を撮った場合はどうなるのかという問題は、今回の訴訟にかぎらず出てきてしまうことだ。写真の著作物がどれだけ著作権法で保護されるのかという点について、同じく中山・著作権法(93ページ)から——

写真著作物の保護範囲は、通常は絵画より狭く解釈されている。写真そのものを利用した場合、具体的には当該写真を複写したり、写真を基に絵を描いたりした場合に侵害になると考えられることが多い。写真著作物の保護範囲については、被写体との関連で二つに大別できよう。一つは、被写体が所与の存在でその制作に撮影者が関与していない場合であり、他の一つは撮影者が被写体を自ら制作した場合である。
 前者の例としては、富士山のような風景写真がある。富士山を撮影する場合でも、季節、場所、時間、方向等で様相が異なるが、それは既に存在する被写体の諸様相の中から一つを選んだということであり、その選択自体は著作権法上保護されない。その選んだ様相の一つを、カメラワーク等の創意工夫によってフィルム上に創作的に表現して始めて著作物となる。その著作物性は被写体ではなく、撮影者のカメラワークを中心に判断される。そうなると、理論的には他人の写真自体を複写せずに、同じ被写体を同じ場所で自ら撮影しても非侵害となろう。その意味で、そのような写真の著作権の保護範囲は、事実上その写真自体を用いた複製や翻案に限られよう。

 写真がその特性上、著作権による保護の範囲を狭く考えざるを得ないという点をもって、今回の裁判で「著作権侵害」と判断されるべきではないと私は主張するわけでもないのだけれど。あくまでも、難しい問題だよなぁと嘆くしかなくて、どちらの判断もあるように思う。

 厳密には同じとは言えない写真について裁判で争われ、被写体のアイディアを真似したということで著作権侵害と判断された事件が過去にはある。「スイカ写真事件」あるいは「みずみずしい西瓜事件」と呼ばれるものだ。原告の丸田氏側は、今回の訴訟で著作権侵害だと判断され得る根拠にこの判例を挙げている。

 問題になった写真はこちらを見ていただきたい(PDF。上が原告、下が被告)。扇型に切ったスイカ6切れを、スイカの器に斜めに並べた写真で、奥につるのついたスイカが配置されている。被告の側は6切れのスイカが倒れている方向が逆だったり、器になっているのが冬瓜だったりと、若干の違いがある。しかし高裁判決で、この程度の差異では「類似性」を否定するものではないとされた(もちろん、侵害を判断するもう一つの要素「依拠性」も別に立証されている)。

 ただし、この事件特有の事情というのもあるのだ。たとえば、被告の側で原告の本を入手していることが判っていたりする(原告も被告も同じ写真カタログを扱う業者にネガの管理を委託していて、原告がその業者にあらかじめ自身の写真集を送っていた)。また、被写体となったスイカを、原告自らがセッティングしたという点がある。そこに写真家としての創作性がより入り込む余地があって、被告が改めて撮影した写真が原告のものとここまで似るのは意図して著作権を侵害したためだと判断された。

 つまり、被写体がある場所にもともとあるものだと、スイカ写真事件と同じ結論が出るのかという疑問がある。スイカ事件の判決(最高裁判所サイトに判例が掲載されている)を読んでも、こうした疑問点をの存在を示唆した箇所がある。

 写真著作物において,例えば,景色,人物等,現在する物が被写体となっている場合の多くにおけるように,被写体自体に格別の独自性が認められないときは,創作的表現は,撮影や現像等における独自の工夫によってしか生じ得ないことになるから,写真著作物が類似するかどうかを検討するに当たっては,被写体に関する要素が共通するか否かはほとんどあるいは全く問題にならず,事実上,撮影時刻,露光,陰影の付け方,レンズの選択,シャッター速度の設定,現像の手法等において工夫を凝らしたことによる創造的な表現部分が共通するか否かのみを考慮して判断することになろう。
 しかしながら,被写体の決定自体について,すなわち,撮影の対象物の選択,組合せ,配置等において創作的な表現がなされ,それに著作権法上の保護に値する独自性が与えられることは,十分あり得ることであり,その場合には,被写体の決定自体における,創作的な表現部分に共通するところがあるか否かをも考慮しなければならないことは,当然である。写真著作物における創作性は,最終的に当該写真として示されているものが何を有するかによって判断されるべきものであり,これを決めるのは,被写体とこれを撮影するに当たっての撮影時刻,露光,陰影の付け方,レンズの選択,シャッター速度の設定,現像の手法等における工夫の双方であり,その一方ではないことは,論ずるまでもないことだからである。

 ここでの判断は、「撮影の対象物の選択,組合せ,配置等において創作的な表現がなされ,それに著作権法上の保護に値する独自性が与えられる」スイカ事件の特徴に限定されるのではないか。しかも、今回の訴訟で小林氏側が主張しているような点についても、スイカ事件の判決は(被告がこの主張をしていたために)次のように触れている。

 しかしながら,当裁判所は,先行著作物と被写体が同一ないし類似のものである写真一般について,そのような写真を撮影するのが著作権法に違反するといっているのではない。特に,先行著作物の被写体を参考として利用しつつ,被写体を決定し,自らの創作力を発揮して新しい写真を撮影することが,著作権法に違反するといっているのではない。当裁判所がいっているのは,先行著作物において,その保護の範囲をどのようにとらえるべきかはともかく,被写体の決定自体に著作権法上の保護に値する独自性が与えられているとき,上記のような形でこれを再製又は改変することは許されないということだけである。したがって,上記のように解したからといって,写真による表現行為が著しく制約されるということに,決してなるものではない。

 同じ論理で今回の裁判が判断されるとしたら、それは「廃墟」を丸田氏のものとして保護してしまうことにならないのかなと少し思ってしまう‥‥。

 本当に最後。今回の原告・丸田氏の側に代理人としてついているのは小倉弁護士だったんですね。後でニュース映像を見直したら、しっかり顔が写っていました。最初に見た時は丸田氏の顔ばかり見ていたので、気付きませんでしたよ。

Posted by 谷分 章優 著作権 |

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コメント

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

年始から、考えさせられる事案が起こりました。
一般不法行為論の成否も注目したいです。

投稿: オオツカ | 2009/01/12 8:42:10

1、先に発表された作品が、世間から評価されてなかった場合は、裁判が成立するでしょうか。

2、「額に汗」ってことなのかもしれないけど、汗をかいた分はまだ回収できてないってことなのかな。

3、実害は何ってことになるのかな。類例は沈黙の艦隊かな。

投稿: 藤吉とーきち | 2009/01/14 14:14:26

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