2008年11月24日 (月)

私的複製が文化を残す例

 NHKが、1978年から1987年まで放送したFM番組『サウンドストリート』のアーカイブをインターネットで配信し始めた。配信サービスの名前が『NHK青春ラジカセ』。ちょっと恥ずかしい‥‥。
 残念ながら、放送時にかけられた曲は途中を抜かれている。DJの語りを中心にした編集だ。おそらくは著作権の都合で、曲を丸ごとかけたときの使用料まではさすがのNHKも負担できなかったのだろう。仕方ない話ではある。
 ここで聴ける音源は、実はNHK自身の手で保存されたものではない。ウェブサイトで用意された説明書きに「放送当時、NHKにはFMの放送テープを保存する制度がなく、残念ながらほとんどのテープが残っていません」とある。この企画にあたっては、当時のリスナーが録音していたテープを提供してもらって音源にしたという。

 こんな話をどこかで読んだ覚えがあるな、と思った。テレビ番組の保存の問題とまったく同じだ。日本でのテレビ放送は1953年に開始されているが、この頃は生放送しかないので番組が保存されなかった。5年ほどすると制作現場にVTRが導入されるが、当時はまだテープが高価で、放送が終わると消去して新たな番組を録るのに使い回されていたという。放送番組が保存されるようになるのは1980年代からだ(出典:PDF注意。しかも、80年代においても二次利用目的の保存に限られ、保存できるものは保存するという方針に変わったとのは90年代後半に入ってからだという)。
 VTR導入から番組保存が本格化するまで、テレビ局で公式に残してある番組は特別な記念番組などに限られているとのことで、僅かしか無い。それでも今 我々が見ることのできる番組の記録で無視できないのが、一般の人がVTRを回して保存してくれたおかげで残されたものだ。日本で家庭用VTRが発売されたのは1965年、まだオープンリールだった。
 NHKに残された膨大なアーカイブの中に、個人による録画テープが寄贈されたものがある。NHKの『紅白歌合戦』の司会も務めていた故・宮田輝氏が残したVTRには、1965年から1971年の『紅白~』の映像が残されている。また「白壁コレクション」と呼ばれる、個人によるビデオアーカイブには、NHKに残っていなかった連続テレビ小説『鳩子の海』『水色の時』『おはようさん』などが含まれる(出典)。個人の記録がなければ永遠に失われていたかもしれない貴重なものである。

 音楽の場合でも、コンサートの模様などは商品化のためにわざわざ録音しないかぎりは、その場だけで消えてしまう。しかし、これを観客が個人的に録音することがしばしばある。著作権的には「私的複製」なので違法ではないものの、実演するアーティストや興業の側からすれば好ましくないと思うようで、たいていのコンサートでは録音禁止とされている。目を盗んで録音したものが、後になって思わぬ価値を持つ場合もある。
 ビートルズの日本公演が1966年の6月30日から7月2日に行なわれ、全5公演のうち際ションお2回分が公式には残されている。いずれもテレビ局が放送用に収録したものだ。ところが、3回目の公演を観客だった個人が録音していたと判った(2006年10月15日付 スポーツ報知記事「ビートルズ 幻のテープ発見」:当時のブックマーク)。
 コンサートの古い音源を商品化する際に、放送用に収録されたものを使うことも多い。しかし、録音時の事故や長い年月を経るなどしたための欠落を補うため、個人の録音テープの提供を呼びかけることがある。場合によっては、個人の録音からのリマスターでまるごと商品化することもある。これでもファンにとっては重要な記録だ。私自身の嗜好だと、先のビートルズや四人囃子・KING CRIMSONなどを例に挙げていきたいところだが省略する。
 歴史的記録としての価値を持つようになった映像や音声は、その存在自体に意味がある。それがどう記録されたかはあまり問題にされなくなる。

 文化庁の審議会で、世の中に発表された著作物をどう保存するかが検討された。著作権の保護期間が延ばされた場合に、どういう影響が考えられるか、その影響を最小限にするにはどうすれば良いかという観点での議論である(「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」の中間整理を参照)。コンテンツを制作する事業者本人や公共図書館がアーカイブを構築することを前提に検討が加えられた。
 しかしこの議論の中では、民間の第三者が著作物を保存する可能性を考慮されていなかった。著作権があるために複製が認められないという想定だ。今後はインターネットで発表された著作物を保存する必要性もあるとしながら、それを公共図書館に担わせるという。海外ではInternet Archiveに代表されるように、ウェブサイトを記録していく民間団体の存在感が大きい。ネット上の情報をある程度保存しておくには、民間団体や個人の協力も得なければ手が回らないのではないか。

 いま世の中に発表される著作物の多くはインターネットの上にある。これらを保存するには、どこかのサーバーに複製しておく必要があるが、複製を禁じることで著作権を保護してきた今の法律とは真っ向からぶつかってしまう。
 そこを変えて、社会全体で補い合いながらアーカイブとしての機能を果す世界を私は夢見ている。何か突発的な事情でオリジナルが失われたとしても、社会のどこかに保存されたコピーがその作品を残していくという世界だ。
 ネット上のコンテンツは比較的早く消える。書籍も酸性紙のため劣化するという問題がある。映画フィルムも録音テープも、保存状態にはよるが、長い年月の中で劣化していくことが知られている。記録されなかったものは勿論残らないし、記録されたものでもあえて保存や複製をしなければ、いつかは消えてしまうかも知れない。
 世の中に向けた発表された作品が、すべて、いつも、そしてどこかで提供されている世界になってほしい。アーカイブの維持に携わる人を文化庁の議論のように制限してしまって、作品がこの世の中から失われてしまうデメリットを甘受しなければならないとしたら、あまりにも悲しい。

 ――『NHK青春ラジカセ』を聴きながら、そんなことを考えた。当時番組を聴いていた人だけではなく、いま始めて聴く若い世代にとっても、追体験の機会は貴重だ。瞬間瞬間を捉えた記録の価値というものは、後世の人間ほど重く感じられるものではないか。
 私から見ても「ありがとう、残していてくれて!」という思いになる記録は多いのだ。

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2007年5月21日 (月)

保護利用小委のヒアリングとアンケート

 著作権の保護期間延長問題をふくむ数々の課題を審議するために設けられた、文化審議会 著作権分科会 過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会(以下「保護利用小委」と略します)は今までに第3回会合まで開催されたところです。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/021/07040204.htm
「文化審議会 著作権分科会
 過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会(第1回)
 議事録」
(文部科学省)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/021/07050102.htm
「文化審議会 著作権分科会
 過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会(第2回)
 議事録・配付資料」
(文部科学省)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/021/07051627.htm
「文化審議会 著作権分科会
 過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会(第3回)
 議事録」
(文部科学省)

 これらの会合の内容は、上記文科省サイトにおいて第1回・第2回会合の配付資料が公表されています(議事録については いずれも未掲載)。第3回会合についてはページが作成されたにとどまっています。
 したがって配付資料ないし INTERNET Watch などの報道を参考に内容を探るしかありません。

 第1回での配付資料6「関係者ヒアリングについて(案)」 (PDF) にもあるように、第2回・第3回で各関係者からのヒアリングが行われました。対象となるのは「創作者団体・個人」「利用者」「アーカイブ関係者」「学識経験者」でした。第2回で15人、第3回で17人からの意見を聴取したとのことです。

 何について意見を聞くかというと、保護利用小委としての検討課題とされた (PDF) 「過去の著作物等の利用の円滑化方策について」「アーカイブへの著作物等の収集・保存と利用の円滑化方策について」「保護期間の在り方について」「意思表示システムについて」。発言者がそれぞれ意見の言いたいものを選ぶという形です(全てでも良いし、一部でも良い)。
 このうち現在配付資料を読むことができる(公式議事録ページに掲載された)のは第2回のものです。レジュメとして提出された資料が14あります。これを読んでいくのは結構大変だったりしますが、今後の議論を考えていくには避けては通れないものではないかとも思われます。

 さて。第2回会合の配付資料が公表されたのに伴って、 『Copy & Copyright Diary』 さんが「はてな」でアンケートを実施なさっています。答えるためには、先の配付資料すべてに目を通すことと、「はてな」のユーザーアカウントを持っていることが条件になりますが、両方を満たせる方は是非参加してみてください。
 発言者の言い分について、それぞれ賛同できるか否かを答える形となっています。

http://q.hatena.ne.jp/1179316258 (人力検索はてな)


現在、文化審議会著作権分科会過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会において、関係者のヒアリングを行っています。4月27日に開催された第2回小委員会にて、1回目のヒアリングが行われました。

著作権の保護期間等を検討する小委員会、関係者ヒアリングを実施
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/04/27/15585.html
著作権保護期間の延長問題、関係各団体が文化審で意見表明:ITpro
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20070427/269849/

文化審議会のサイトでヒアリングの際の資料が公開されています。

文化審議会 著作権分科会 過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会(第2回)議事録・配付資料‐文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/021/07050102.htm

この資料に全て目を通してから回答してください。

 なお、いきなり配付資料に入るのは辛いという方は、まず INTERNET Watch の記事(上記引用部にリンクがあります)で概要を掴んでから読み始めるのも手です。




■第1回〜第3回にかかる報道から

 今期著作権分科会の各小委員会については、配付資料や会議録の公表が(いつもに増して)遅いという傾向が見られます。だから実際の開催から会議録の公表までの短くない期間、報道記事だけで追いかけねばならないというハンデがあります(どうしても小委員会の出席委員やその関係者、傍聴された方々の認識に追いつくことは難しい)。
 たとえば現時点では、前述しましたが、第1回から第3回のいずれについても会議録が掲載されていません。したがってその内容は報道記事と、第1回・第2回については配付資料から内容を推察するしかありません。

 第2回と第3回については(前述の通り)ヒアリングが実施されています。このヒアリングについては、報道記事で発言の概要を知り、配付資料で主旨を読み、議事録で全容を知るという流れになりましょう。
 現時点でも各発言内容について反応したいところはあるのですが、発言者としても いつもの主張をいつものように展開するのが主のようでして、それに対していちいち反応を繰り返すようなことは私もしません。皆さんがあれを読んで、どの発言に説得力があるのか冷静に判断していただければと思います。過度に情緒に流されず、一定の根拠を示し、論理的で説得力ある発言をしているのは誰なのか、と。

 ヒアリング内容以上に気になるのが、ヒアリング内容に対しての委員の対応です。しかしこれも議事録が公表されるまでの間は報道記事から拾うしかありません。第2回と第3回は開催時間の大部分をヒアリングに割いているそうで、委員意見が目立つのはむしろ第1回会合のようです(それだけに1日も早い議事録公表が望まれます)。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20070330/267061/
「著作権の保護期間延長問題で初会合、早くも論戦」
(ITpro)



 今回の討論では、「もともと保護期間は50年で世界共通だった。それを乱してきたのは欧米諸国の方だ。日本として日本国民のために主体的な議論が必要だ」(金正勲委員)、「アイデアは著作権による保護の対象外で、現行法でも自由に利用できる。保護期間延長は文化の発展を阻害しない」(三田誠広委員)、「欧米が保護期間を延長したのは、政治的な背景など一定の理由がある。たとえば米国の保護期間延長時にどのような議論があり、延長の結果どうなったのかを分析すべき。『欧米に追随しないと恥ずかしい』では米国を利するだけ。日本は日本として、日本の経済的利益を考えるべき」(中山信弘委員)、「保護期間の延長問題を考える際に、第27条・第28条(に記載された翻案権など)を切り離すという考え方もある」(上野達弘委員)といった意見が出された。

 三田某委員の発言には触れる必要性を感じないとして、この議題について指摘されるべきところは指摘され尽くしている印象です。ただ報道記事だけでは、小委員会の全体としてのトーンは見えてきませんけれども。やはり議事録が公表されないとどうも。

 そうそう、上記で触れられている著作権法第27条と第28条については一応引用しておきましょうか。

(翻訳権、翻案権等)
第二十七条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。

(二次的著作物の利用に関する原著作者の権利)
第二十八条 二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。

 要は、第27条で翻訳権・翻案権を、第28条では二次的著作物へ及ぶ原著作者の権利(いわゆる重畳的に権利が及ぶ旨)を規定しているわけです。ここを制限しつつ保護期間を延長すれば、国や言語を越えた翻訳や、後発の創作者が先人に学ぶ翻案などの表現、二次的著作物にかかる流通については(今まで以上の)規制とはならずに済むことが期待されます。
 もっとも、私がことあるごとに指摘している絶版・廃盤問題の解消には全く繋がりませんし、またパロディ・コラージュ・サンプリング・マッシュアップ等の表現が「複製権」によって禁止されてしまう事態も引き続き発生します。つまり保護期間延長によって発生する弊害はまだまだ大きいということ。

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/03/30/15266.html
「著作物の保護期間延長などを審議、著作権分科会の小委員会が初会合」
(INTERNET Watch)



 ただし、著作権保護期間の延長問題については、早くも出席した委員から発言が相次いだ。保護期間の延長を求める作家の三田誠広氏は、著作権保護期間の延長とともに権利者データベースや裁定制度の整備を進め、利用の円滑化を図ることが重要と主張。一方、慶應義塾大学の金正勲助教授は、「著作権法は文化の発展に寄与することが目的とされている。著作者の権利保護や利用の円滑化は、あくまでもそのための手段。保護期間延長という手段が目的であるかのような議論は避けるべき」と意見を述べた。

 こうした保護期間延長の是非など、具体的な議論については第2回以降に実施する関係者ヒアリングなどを経た上で進めるとしたが、ヒアリングの対象者については権利者や事業者だけでなく、エンドユーザー側など幅広い意見を聞くべきとの意見が上がった。IT・音楽ジャーナリストの津田大介氏は、「この小委員会の参加者にはクリエイターや権利者側の人が多いが、そうした人も一方では著作物の利用者でもある。こうした議論には利用者側の意見があまり反映されないことが多いのが不満。インターネットの普及により、誰もが利用者であると同時にクリエイターにもなれる時代であることを意識して議論を進めてほしい」とした。

 なおエンドユーザー代表としては津田委員自身が第2回会合で発言なさいました。配付資料を見るかぎり、慎重に言葉を選びながらも かなり踏み込んだところまで触れた印象があります。「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」とはこれのことだなと思った次第。




■あえて繰り言はしません

 著作権保護期間延長問題に関する私の意見は以下の記事に書いてあります。とりあえず「日本文化は、なぜブームで終わるのか(趣旨説明)」(下記リンクの下から2番目)を読んで戴くと概要は解ると思います。

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2005/10/post_4e44.html
「著作権保護期間の安易な延長は文化の多様性を奪う」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/11/post_0690.html
「読売社説:著作権延長問題を全く理解できずに
 トンチンカンな高説をタれる大企業の痛い論理」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/11/post_b2c3.html
「著作権法についてしっかり考えていますか?」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/12/imagine__7e62.html
「Imagine: 『著作権マニア』さんの感覚的な話を聞いてみたい」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/12/post_329b.html
「国民会議シンポジウム後のチャットにて──」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2007/03/post_7db2.html
「日本文化は、なぜブームで終わるのか(趣旨説明)」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2007/04/post_50a9.html
「日本文化は、なぜブームで終わるのか。(ツッコミ編)」
(エンドユーザーの見た著作権)

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2006年11月23日 (木)

もう少しは具体的に、そして「しっかり」考えてもらいたいものだ。

 まぁ私も素人ながらブログで著作権を採りあげる身ですから、いつこのような指摘を受けるかもわからない──という意味では自戒も含めた感じではありますが。

http://blog.goo.ne.jp/copyright1971/e/81ac2516137d057eed29ee7ce40f26d6
「著作権の保護期間の延長」
(著作権法)

 こんな記事があるブログさんに掲載されていました。
 権利者団体の代表が記者会見で発言しているのではなく、一個人がブログで意見表明しているだけなんですがね、ここまで抽象的かつ観念的な意見で終わってしまってるのが何とも。痛さしか残らないというか。
 もう少しは“反対派”の意見をリサーチして、じっくり考えた上で賛成意見を載せてもらいたいものです。具体的な根拠も添えて、ね。どうも新聞記事を読んだだけ、あとは自分のイメージだけで語ってる感じなんですよ。

権利者団体が保護期間の延長を求めて文化庁に要望書を提出し、また、慎重な検討を求める有識者がその旨文化庁に要望書を提出した

「慎重な検討を求め」た側を「有識者」と称しているのは筆が滑ったのか否か。あるいは印象操作でしょうか? 国民会議の発起人は殆どが著作者ですよ。名簿くらいはチェックしておいてもらいたいものですが。

保護期間の問題は、ある面経済問題ですが、創作に携わる人や創作物をどれほど大切にするかという文化芸術の問題でもあると思います
(延長要望派は)経済的な側面よりも、「しっかり保護してくれている」というその「気持ち」のような部分を重視しているのでしょう

 著作権を保護すれば「創作に携わる人や創作物」を「大切にする」こととなるというのは あまりに短絡的な考え方であって、また著作権制度を一面的に捉えているに過ぎません。
 既存の著作者(しかも商業コンテンツに携わる人)だけではなく、未来の著作者が再生産できる環境を整えていくのが著作権制度の役割であることも忘れてはなりません(「文化の発展に寄与することを目的とする」──著作権法第一条)。だからこそ利用促進の観点から異議が出ているのです。現在の利用者から未来の著作者が生まれてくる、いや個人で発信することが可能となった現在では利用者すべてが著作者となり得ます。
 また「気持ち」などという、著作者が感情に流されて“身勝手”に要求しがちなものを、どこまで社会が許容するか──著作権制度はその線引きでもあります。流通させる・させない、他人の表現の幅を制限する・しないといった判断を著作者に委ねるのを許容するのか、そういう論点をも含んだ議論をしなければなりません。「創作に携わる人や創作物」が大切にされていない!などと著作者がどんなに叫んだところで、それを社会が認めないのであれば要求など実現しません。

 著作権は天賦人権ではありません。社会的な制度なのです。常に多くの人々の間で権利関係が調整されている事実を忘れてはなりません(著作権法上の権利制限や限界等々)。
 また、欧米での著作権政策は露骨に経済問題として扱われていることにも注意を要します。著作権保護期間を延長する“メリット”は経済面にあるのですから当然といえば当然です。“金の問題じゃない”などというナイーブな発言は全く妥当しない問題なのです(敬意なら金を介在させなくても示せますし、むしろ自由利用が進んだ方が敬意を示しやすくなると思いますがね。それとも何ですか、他人に対して利用とか表現を妨害したいという意図なんでしょうか)。

国境を越えて利用されることが多い「著作物」の保護は、一般論としては先進国共通の保護内容とすべきではないでしょうか
損得の議論がありますし、知的財産権法の権威である研究者までもそのようなことを言っておられますが、それはあまりにも「途上国」的な発想ではないかと思います

 この「先進国」レトリックは保護期間延長を求める人たちがよく使うものですが、そもそも「先進国」「途上国」との括りで話し出すところが非常に滑稽です。そもそも「途上国」で何が悪い(笑)。

 輸入・輸出のバランスからすれば日本の創作市場は明らかに「途上国」です(内向きの創作が殆どですしね)。保護期間延長によって利用・創作の自由度は(それによって得られる経済的メリットに比して)圧倒的に制限される。このあたり、欧米のような、輸出で莫大な利益を得られる国とは事情が異なります。
「損得」にしても、金の問題だけではありませんね。著作権切れ作品の自由利用がもたらすメリットは計り知れないものですし(何せ利用方法を考えれば考えるほどメリットが拡大するのですから)、しかも欧米よりも先に著作権が切れることで日本文化への吸収を先行できます。これは文化競争政策上 重要なメリットだと言えます。
 ただでさえコンテンツ市場での新技術の実用化が致命的に遅れる(それどころか実用的な技術の殆どは輸入に頼ってしまっている)日本、これ以上 著作権の副作用を甘受する必要はありますまい。この副作用である利用制限が拡大していけばコンテンツ「途上国」化はさらに進むことでしょう。音楽配信・動画共有・ファイル共有・デジタルアーカイヴ等々、技術とコンテンツ流通が相互作用で発展する以上、パブリックドメインの流通を豊かにすることで こうした新技術の登場と普及を促進する望みを繋ぐことができるのです(現行商用流通に期待できないのは現状を見れば明らかであって、望みはパブリックドメインないし許諾済み自由流通作品にしかありません)。
 そして。流通が広がったところには新たな創作が発生します(いつまでも旧作品の流通では続きませんからね)。過去の文化を浴びて育った者たちが自分の表現を始めるのです。この「過去の文化」をどれだけ多様に享受できるかで後の文化の多様性をも決定してしまいます。著作権の保護期間を延長することは、こうした未来の可能性を閉ざすことになる。

「星の王子様」が、保護期間が切れたことにより多くの翻訳が登場したといいますが、そうした翻訳が出版される経費のうち、権利者に支払われるべき金銭はいったいどれほどなのでしょうか

 やはり金の問題ですか。

 いや、そもそも著作権切れ作品というものは、もはや創作の対価を「権利者」に支払わなくても良いと社会が認めたものです。別の言い方をすれば、現状の“創作後の著作者の余命+ 50 年”の保護で充分であると社会が認めているということです。私に言わせれば(期間も内容も)保護し過ぎでしょう。
 金云々以上の問題があります。『星の王子さま』は岩波書店が翻訳権を独占していたのです。こういうことが可能な点は著作権の本質的問題だと言えます。第三者が交渉費用や使用料の発生を嫌い新訳を諦めてしまうような制度であって、権利独占者が他者との競争を回避できてしまいます。このような状態が“創作後の著作者の余命+ 50 年”も継続するのが適切なのか否か。さらに 20 年も延ばすことが必要なのか否か。
『星の王子さま』はたまたま絶版にならなかったから まだしも、こうした出版の独占契約は多くの場合「絶版」という形で作品自体の存在をも消してしまうことになります。ボランティアベースでなら(いや有償でもインターネットベースでなら)流通させられたかもしれない(いやこれからならば間違いなく流通可能な)作品を、旧来の商用流通に見合わないというだけで死蔵させてしまう場合が圧倒的に多いのです。

 すでに充分な保護を得られている(流通量としては僅かな)著作物から発生する「金銭」を生じさせるために、流通せず文化に帰すことすら不可能となってしまう圧倒的多数の著作物を犠牲にすることが適切なのか否か。ここに触れず保護期間延長問題を論じることは(文化の恩恵を受けている者として)到底許されるものではありません。

日本は「自由貿易」でもって、今日の経済的な繁栄を勝ち取り、その成果を謳歌しています。そういう国は、国際収支面の「損得」の議論というよりも、「国際協調」を大切にすべきではないでしょうか

 著作権が自由貿易に反し得るものであることは件の「レコード輸入権」(正しくは商業用レコードの還流防止措置)が示しているのですが、それはともかく。自由貿易云々はこの問題とはまったく関わりありません。
「国際協調」を言うのであれば、欧米だけを見るのではなく もっと大きな枠組みでの「国際」条約に基づいて考えねば筋は通りません。ベルヌ条約では保護期間について最低保護ラインを定めるのみであって、あとは各国の判断に委ねています。すなわち保護期間をどれだけ延長するかについては「協調」をとる必要があるとはされていない訳で、また別の言い方をするなら(筆者氏が「協調」にこだわるのなら)むしろ欧米の方が協調を乱しているということになります。
 なお欧米が著作権を延長するのは「損得」による判断だということをお忘れなく。

創作をする方々の気持ちを大切にしたい

 将来に創作を行なっていく者について無視しておきながら「創作をする方々の気持ち」がどうのというのはおかしいのでは? 彼らの権利(知る権利や表現の自由)を抑圧しかねない側面についてはどうお考えなのでしょうかね。
 しかも保護期間延長賛成派の意見の多くは権利管理を生業とする団体によるものです。著作者本人としての意見は非常に少ない(現場の声が聞こえてこない)。どれだけの実著作者がそれを望んでいるのか見えてこないだけに、「創作をする方々の気持ちを大切にしたい」という言葉が空々しく聞こえます。
 むしろ国民会議の発起人の殆どが実著作者であることに注目しなければなりません。彼らの意見もまた「創作をする方々の気持ち」なのです。ついでに言えば、我々ブロガーだって著作権法上の著作者です(私の「気持ち」はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスとして表明していますが)。これもお忘れなきよう。

保護期間の問題は、先に触れたように、「経済問題」だけではなく、「文化芸術政策」の問題でもあります

 既存の著作物の保護を強化することが「文化芸術」にどう資するのか。ネタ元記事では「気持ち」のことしか書かれていませんが、これを許容するメリットが弊害に比してあるのか否か。
 何度も書きますが、著作権の強化は他者の文化活動を制限することに繋がります。本来はここまで斟酌して初めて「文化芸術政策」と呼べるようになるのです。したがって保護強化をしないという選択もひとつの政策です。

 保護期間を延長することで未来の著作物に発生する弊害は次のようなものが考えられます。
「翻案権」の拡大によって許される表現がより限定されていき、新たな著作物の創出を妨げて再生産が進まなくなります(今以上にね!)。「複製権」が及ぶことでアーカイヴ作成が禁止されてしまい(アーカイヴ作成が 20 年停滞します)、発表当時は流通していた筈の文化が消えていってしまう。また筆者氏はお好きではないようですが、金の側面(商用利用)について言っても、新規製作へのインセンティブが今以上に低下します。手軽に一定の金を稼げる方法へ流れてしまい、ただでさえヒット作のリマスターやらリメイクやらが跋扈してる現状がさらに進みます。

※パブリックドメインの流通が活発になれば“隠れた名作”のリメイクなどが可能になるでしょうが、保護期間延長ではそれすら断たれてしまいます。

せめて著作権の分野で、創作を大切にする姿勢を示さなければいけないのではないか

 すでに充分な保護を得られている著作物に、さらなる保護を与えたところで「創作を大切にする」こととなるのか否か。私はそうは思いませんね。

 保護を強化すれば「創作を大切」にできるなどと考えるあたり、筆者氏は「創作」をやったことが無いのでしょうか? (あれ、でもブログは書いてますよね?)
 肥沃な文化空間があってこそ、その中で育った者が創作を始めるものなのです。文化利用が文化を生み、継承されていく──その繰り返しです。

 文化の継承は、決して現行の著作物商用流通だけで維持されるものではありません。むしろ商用流通はわずかな期間のみで(金にならないという理由づけで)打ち切られてしまい、後は権利の及ばない態様で細々としか流通しないのが殆どです。例えば私的複製や図書館での資料提供などの、個人の努力によって文化が維持されているのです。著作権の強化はそうした努力をも危機に陥れることとなります。
 著作権保護期間延長によって、目に見える形で最も強い影響を受けるのは『青空文庫』でしょう。しかし目に見えない形でも、文化継承の危機が発生するということを意識すべきです。文芸著作物や漫画等の「絶版」、映画著作物の「絶版」(パブリックドメインの作品ですら日本映画は流通しづらいという事情も状況を更に悪化させています)、音楽著作物の「廃盤」(しかも従来より低コストで流通させられる筈の音楽配信にすら載らない廃盤音源ばかり)などなど。
 著作権保護期間が満了した作品の流通は、こうした現状を僅かでも回復しようとする試みを可能にします。こうした文化継承を 20 年も停滞させて構わないのか。ぜひ考えてください。

保護期間の延長は、経済的には大きな影響はない
死後50年を経過しそうな者の作品の利用はいったいどれだけあるかと考えると、著作物全体の利用からすれば極わずかでしょう

 このあたりは暴言と言わざるを得ないというか、そもそも筆者氏の主張すら覆してしまうのですよね。「死後 50 年を経過しそうな者の作品の利用はいったいどれだけあるかと考えると、著作物全体の利用からすれば極わずか」であるのなら、著作権を死後 50 年から延長するメリットは殆どないということになります(それに比べデメリットは既に述べた通り──文化を殺す行為に等しい)。
 まずは国民会議のサイトを御覧ください。死後 50 年を経過しそうな著名著作者のリストが掲載されています。ここにある著作者の作品を利用する際に、(延長が実現してしまえば)今後新たに対価が発生してしまうということは確かに言えるでしょう。その意味では遺族にとっては“利益”かも知れない。
 しかしながら、あのリストの裏側に膨大な無名著作者(いや著名であってもあそこに現われなかっただけかも知れない、存命中は著名であっても今は知られていないだけかもしれない)がいること、そして彼らによる膨大な著作物が眠っていることを忘れてはなりません。著作権が延長されることで、それらが我々の目に触れなくなるということを示しています。
 延長が実現していない今ですら我々はそれらの著作物と触れていません。あと数年で保護期間が切れれば、そのうちのいくつかと出逢える可能性がまだ残されているのです(『青空文庫』のような活動を通して)。しかし保護期間が延長されれば、その望みは(少なくとも 20 年間)断たれます。

※将来 商用利用で復活する? そんなこと期待できません。今まで(著作者が亡くなってから 50 年もの間)満足に流通させられずに我々の目の前から消えてしまったものばかりなのですから。

 筆者氏の上記の発言(引用部)は、著作権制度の弊害を端的にしめしたものと言えます。それどころか保護期間延長のデメリットを端的に協調しているものとも言えます。もちろん延長賛成の根拠には全くなっていません。
 私がここまで絶版・廃盤著作物のことを(口を酸っぱくして)繰り返すのは、著作権保護期間を延長する際にその対象となるのが商用利用される著作物だけではないからです。商用流通していた著作物の陰に、更に多くの非商用著作物が隠れているのです。忘れてはなりません。
 保護期間延長の問題は、我々が(自身の著作物について)「死後 70 年」の保護を望むのかという問題でもあり、また我々が(他人の著作物について)「死後 70 年」まで著作物利用許諾を得ようと努力できるかという価値判断でもあるのです。

権利者との連絡がうまくいかないから著作物を利用できないとか、そういう面での影響も考えられますが、それは50年となっている現在でも問題とされており、保護期間の延長問題とは別に解決されるべき課題であり、延長問題とリンクして語られるものではない

 害悪の発生が明らかであるのに、それを拡大させる政策を採るのはあまりにも愚かです。上記問題を「延長問題とリンクして語られるものではない」とするのではなく、むしろ延長問題の前提として解決策を議論すべきです。
 現状、これを解決する手だてが著作権法上 用意されていません。したがって延長を議論するのは時期尚早です。(まぁ延長問題が政策議論の俎上に上がりそうな現在、それを言っても始まりませんがね。)

「えいや」と使っていいことにして、後から登場した権利者には、その権利行使に限定を加えるとか、そうした措置を取るべきでしょう

 こうした著作権制度であれば、確かに延長への反対は出づらいだろうと思います。
 ただし現行の著作権制度はその真逆です。何せ許諾がなければ(権利制限が定められた利用態様でない限り)禁止されるというのが今の制度。根本的なパラダイムシフトをしなければ延長の弊害を消せない証拠でもあります。
 筆者氏の意図とは真逆の解釈でしょうが、論理的に読めば延長賛成の論拠にはなり得ないということです。かりに延長が肯定されるとすれば、それは上記の「限定」「措置」が実現してからの話です。今ではありません。

 著作権制度の本質的な問題点は常に意識しておくべきです。
 著作者らに正当な対価を還流させるということ(この一点をもってしても現状の著作権制度の運用がおかしいのではないかと思われますし、またこの対価還流の徹底を目的とする法改正なら理解も得られやすいと思うのです。しかし著作権保護期間延長問題は、著作者本人とは関わらないだけにかなり離れたものとなります)以上に、他人の著作物利用・使用や新たな創作に対し既存著作者のコントロールを認めてしまうという側面があります。著作権制度をどう設計するかは、日本の社会が既存著作者らに対してどこまで独占権を許容するのかということと同義です。いちど社会に“放流”した文化は誰かにコントロールされるべきなのか否かという価値判断も含まれます。
 つまり「創作に携わる人や創作物をどれほど大切にするか」などという“純情”(別の側面では一方的かつ独善的)な理由のみで議論すべき問題ではありません。保護期間延長が社会に与える影響を子細に検討し、かつ社会のコンセンサスとして著作権制度を維持していくという前提のもとに考えていかねばならないのです(コンセンサスが取れなければどうなるか? 著作権侵害がどんどん増えていくのは間違いありません)。

 最後に、筆者氏 (copyright1971 氏)へ。
 この問題は、場当たり的な意見表明で済ませられる問題ではありません。とりあえずは“反対派”の意見(国民会議のサイトを参照ください。記者会見の模様も MP3 で聴けます)をよく吟味し、それに対する反論をブログに掲載してください。
 もちろん私は筆者氏が延長に「賛成」すること自体をとやかく言う気はありません。もう少し有益な「賛成」意見が読みたいだけなのです。

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2006年11月22日 (水)

読売社説:著作権延長問題を全く理解できずにトンチンカンな高説をタれる大企業の痛い論理

 著作権保護期間延長を求める権利者側の意見を読んでいると、あまりの非論理性に頭が痛くなってきます。しかもそれに無批判に乗っかるようなブログ記事があったりして(これについては別稿にて)、眩暈がしてきます。
 しかも今度は新聞社説ときた──

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061120ig91.htm
「11月21日付・読売社説(2)
 [著作権延長]『作品の流通を損なわない工夫も』」
(社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞))

 吐き気までしてきましたよ。

[著作権延長]「作品の流通を損なわない工夫も」

 はぁ、「工夫」ですか。
 ‥‥。
 ──「工夫」じゃ足りんわいボケ!

 著作権が禁止権として構成されているが故、数々の弊害が引き起こされているのは もはや言うまでもないかと思いますが、このあたりを読売社説は全く考えていません。許諾を求められれば済むという問題ではないのですよ。
 まず許諾を取らねば利用できない、許諾を求めてもOKが貰えるとは限らない、そもそも許諾を得るのに金と手間暇がかかる──そういう理由で使われない著作物がなんと多いことか。

最大の理由は、格差の解消だ。

 はぁ、「格差」ですか。
 で、どんな「格差」かというと──

 現状では、日本の小説や絵画は国内と同様、海外でも、日本の法律に合わせて死後50年までしか保護されない。これを過ぎるとタダで利用されてしまう。

 国際的にも、肩身が狭い。死後70年まで保護された国の著作物が、日本では20年早く、許可を得ずにタダで使えるようになるためだ。

 新訳による出版が相次いだサンテグジュペリの「星の王子さま」は、その好例だ。本国のフランスでは著作権が生きているが、日本では保護が切れたことが、出版を後押しした。

 得をしているように見えるが、海外から、日本は他国の知的財産にタダ乗りしている、と批判されかねない。

 保護延長は、日本が文化と、それを支える著作物、著作者を、どう育てる方針か、という問題でもある。著作権法を所管する文化庁は、延長が可能かどうか早急に検討を始める必要がある。

 この現状評価に読売の貧困なる精神が見え隠れしますね。
 死後50年の保護でなぜ足りないのか。その理由は論理的に説明されていません。著作権満了作品の利用を「許可を得ずにタダで使える」と称するという、きわめて主観的かつ非論理的な理由付けが為されているのみ。
 そもそも保護期間満了作品が文化遺産として共有のものとなるという発想に乏しく、著作権制度を語る資格を読売が持っているのか疑わざるを得ないほどの酷い内容です。「日本は他国の知的財産にタダ乗りしている」などという表現も同様ですね。

 著作権の保護期間を満了した作品は、自由利用できて当たり前なのです。「タダ乗り」などというものとは明らかに異なる利用態様です。ベルヌ条約という国際ルールに則って保護を外れたものであって(例として挙げられた『星の王子さま』などは戦時加算まで受けています)、パブリックドメイン化について他国から非難される筋合いなどありません。
 いや、この基本ルール自体は(保護期間を延長した)欧米においても同じであって、パブリックドメインを利用することをさも恥ずかしいことであるかのように表現するのは おそらく日本の権利者と読売新聞くらいなものでしょう。ここに常識の欠如というものが見えます。
 私はむしろ、こんな日本の現状の方が恥ずかしく思えます。

 仮に欧米から文句があるとしたら、その時は彼らが死後50年の保護に戻せば良いのですよ。そうすれば、パブリックドメイン化の恩恵を日本と同程度に受けることができます。国際条約上は、死後50年の保護さえしておけば後は各国の判断次第なのですから、好きにすればいいのです。

 繰り返しのようになってしまいますが、有期限の権利付与(流通コントロール)の後で自由利用可とするのが著作権制度の根幹と言えます。こうしたあたり、読売新聞はどのように理解しているのか(あるいは理解していないのか)。金儲けの権益か何かと勘違いしているのではないでしょうか。あるいは売国とか(笑)。
 また、文化が模倣・発展・継承というステップを踏んでいることも読売は留意すべきでしょう。著作物がいつまでも自由利用できないとしたら、後の世に残っていく文化はどんなものかということ。たまたま売れ続けた僅かな商品か、読売のような金の余った大企業が選んだ“文化事業”だけでしょうよ。
 それとも何ですか、読売は文化継承への影響力を維持するために死蔵作品を完全に葬りたいということなんですかね? (それとも やっぱ売国ですか。笑。)

 日本は文化の輸入額が輸出額より多いから延長は損という声もある。だが、そう言われては、マンガのように国際的に評価の高い著作物は立つ瀬がない。

 ──So what?
 輸入に比して輸出が低いのは事実でしょう。漫画が売れたところで、著作権保護期間延長によって文化に大きな弊害が発生すれば意味はありません。
 また、死後50年で何が不足なのか。著作者が死後50年経過した漫画で何か海外で売れているものがあったりするんですかね? ほとんどが存命中の作家の作品ばかりだと思うのですけど。

 著作物の円滑な流通が文化の発展に欠かせないことは、誰しも異論がないだろう。延長に際しては、流通を阻害しないよう、管理の仕組みを整備することが欠かせない。著作権管理の体制が整っている音楽業界は、参考になる。

 まぁ、独占的事業として公正取引委員会から目を付けられている JASRAC を暗に示しているかと思われますが、この団体が音楽流通にどれほど暗い影を落としていることか。規定の不備でもって許諾を出さない(出せないのではなく、怠惰で出さないだけ)利用態様を生じさせたり、一方的な請求でもって流通潰しを図ったり。
 禁止権を付与していることで流通にどれだけ害が発生しているのか。あるいは利用の萎縮がどれだけ発生しているのか。こうした点で考えても、 JASRAC は格好の素材と言えます。ポッドキャストでは音楽がなかなか流れません。 iTunes Music Store (現 iTunes Store) が日本上陸に遅れたのも記憶に新しいところ。日本のウェブサイトでは英語楽曲の歌詞が合法的に掲載できませんし(しかも歌詞を引用するだけで JASRAC から請求が来る!──曰く「引用は利用者の権利ではありません」だってさ)。

 死後70年となると、著作物を利用しようにも著作者の遺族と連絡が取れず、結果的に作品が死蔵される、という懸念も出ている。著作権管理の仕組みがあればこうした損失は防げるはずだ。

 誰がデータベースを保守するのでしょうか、死後70年に渡って。権利が移転したり、権利者の住所が変わったり、そういった変更を誰が追跡するんでしょうか。さらに個人情報保護法との絡みもあります。簡単に個人情報を集められない時代になってきてるんですよ!
 禁止権構成が持っている本質的な問題は、 JASRAC のような権利管理だけでは決して解決しません。世の中にどれだけの著作物が存在していると思ってるんですか。たとえばこの文章だって著作権法上は著作物ですよ。

 ともあれ、読売の見解に乗ったとしても、権利管理システムの整備は議論の大前提と言えます。この論理でいくかぎり、著作権保護延長などは時期尚早であると言わざるを得ません。

著作権の保護・活用で世界に遅れないよう、論議を急ぎたい。

 いや、日本は「活用」で既に遅れてるンですけど。フェアユースの不備、権利者自身の既得権へのしがみつきが原因だと個人的には思います。とても保護期間を延長できる現状にはなくて、むしろ権利を弱める方向で法改正していく必要があります。

 ──ここからは愚痴です。
 読売め。どこまで著作権制度の光と影(その意義と副作用)を真剣に考えているのか。せいぜい著作物をパクると侵害罪になるとか その程度にしか理解してないのでは?
 こういっては何ですがね、あの社説自体、文藝著作権通信の主張の引き写しですよ。あれの複製権を侵害してるんじゃないかってほど。

※著作権法上 侵害にあたると指摘しているわけではありませんよ。当該社説の中に創作性なんて無いよねという皮肉です。

 この記事を準備している間に、こんなものまで読売サイトに掲載されていましてね、もう‥‥

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/dr/20061121md01.htm
「著作権の保護期間 : 大手町博士のゼミナール」
(トレンド : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞))

 これ読んで、さらに頭痛が悪化しましたよ。

 一見、賛否両論で書いてあるかのようではあります。しかし、実は構成上 賛否の扱いに差をつけてあるんですよ。「延長すべきとの意見がでているのはなぜですか」の答えの部分には賛成派の意見しか載せていません。逆に「反対の声もあるようですが」の段になると、延長反対意見の後でそれを打ち消すように賛成意見(反対の反対)を掲載しています。これでは賛成意見が印象づきますね。嫌らしいレトリックを駆使しています。
 さらに悪質なのは、これらの段の間に『ローマの休日』の件を挿入して中立性を装っている点。明らかに読者を騙そうとしているということです。全体を通して読めば、延長に賛成する立場が刷り込まれるという仕組み。

 なお読売新聞は社説ではさも“金の問題ではない”的な建前で書かれていたのですが、同じネタを扱ってるこの記事は「マネー・経済」のページに掲載されています。
 ──語るに落ちるとはこのことですね。

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「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」追記

「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議」周りの動きが、シンポジウムの中身が固まるにつれて活発になってきた印象ですね。

http://xtc.bz/index.php?ID=391
「『著作権保護期間の延長問題を考える国民会議』のシンポジウム詳細が決定しました」
(音楽配信メモ)

 賛成派のパネリストとして三田誠広氏と松本零士氏が出席することに(三田氏は賛成側の意見講演も。反対側は福井健策氏)。松本氏はなんと国民会議の発起人にまで名を連ねることとなりました。まぁ議論を目的とする団体ですから、松本氏の主張と何ら矛盾するところは無いのですけどね。
 12月11日は、 残念ながら私は仕事です。もとより札幌から駆けつけるなんてことも出来ませんが。それでも仕事の調整がつけば、途中から生中継を見られるかも。いずれにせよ後からのダウンロードを楽しみにしております。
 なお国民会議のサイトでは、シンポジウムのこと以外でも様々な情報が更新されています。定期的にチェックされることをお勧めします。

http://thinkcopyright.org/
「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議 - thinkcopyright.org」

 さて。国民会議の発足を高らかに宣言した記者会見について(上記サイトで MP3 ファイルをダウンロードできます)、その書き起こしを掲載し始めているネットメディアが登場しました。耳と目で内容を確認できるようになるのは大変ありがたいことです。

http://ascii24.com/news/s/specials/2006/11/20/665950-000.html
「【短期連載】識者・クリエイターの声を聞いて、
 著作権保護期間の延長を考えてみよう(前編)」
(ASCII 24)

http://ascii24.com/news/s/specials/2006/11/21/665963-000.html
「【短期連載】識者・クリエイターの声を聞いて、
 著作権保護期間の延長を考えてみよう(中編)」
(ASCII 24)

http://ascii24.com/news/s/specials/2006/11/22/665972-000.html
「【短期連載】識者・クリエイターの声を聞いて、
 著作権保護期間の延長を考えてみよう(後編)」
(ASCII 24)
※後編へのリンクは 2006年11月23日追記。

 実際の音声とは(私自身は)比較していませんが、読んだ印象では一部整理されている感もあります。3回に分けて掲載される予定とのことです。

 ところで、延長しろと要求している方の言い分も最近明らかになってきています(下記はその言い分を紹介した 『Copy & Copyright Diary』 さんの記事です)。

http://d.hatena.ne.jp/copyright/20061113/p1
「『著作権問題を考える創作者団体協議会』と
 『著作権保護期間の延長問題を考える国民会議』のQ&A」
(Copy & Copyright Diary)

 文芸著作権通信に記者会見の模様(をQ&Aにまとめたもの)が掲載されているそうです。
 これが、まぁ彼らの相変わらずな主張と言えばそうなのですが、ツッコミたくて仕方ない内容だったりします。後回しにしますがね。

 著作権保護期間問題を議論する際にチラっと出てくるのが「戦時加算」の話ですが、これについては 『The Casuarina Tree』 さんがまとめていらっしゃいます。

http://00089025.blog8.fc2.com/blog-entry-262.html
「戦時加算の基礎知識」
(The Casuarina Tree)



本国では様々な優遇措置が取られている「ピーター・パン」や「星の王子さま」が日本国内では最近10年でPD化したのを見れば明らかなように、このまま戦時加算が存続した場合でも講和条約60周年の2012年前後が山場で、それ以降は現在に比べれば考慮の必要性がほとんど無くなることもまた事実である。

 あと何年かすれば戦時加算も意味が無くなるのかなぁと漠然と考えていたのですが、やはりそういう考え方もアリなんですね。




■『文藝著作権通信』の痛い中身

 Q&Aへのツッコミは別稿に譲るとして、ここでは本文のみを対象に紹介します。

http://www.bungeicenter.jp/NPO007.pdf
「『文藝著作権通信』第7号」
(日本文藝著作権センター・ PDF)



いまや70年というのが世界標準として定着しているといっていいのです。

 これは大嘘です。「世界標準」とは国際的に広く定められたものを指すべき言葉ですが、本来それに当たる国際条約で義務として定められているのは著作者の死後50年ですし、また現に50年で著作権制度を維持している国の方が圧倒的に多いのです。

複製は無限に作ることができますから、その作品が高く評価されれば、長期間売れ続けることになります。そのために、保護期間というものが設定されているのです。

 これは「保護期間というものが設定されている」理由には全くなりません。この話が本当だったら、著作権制度で保護期間が設定されなくても(つまり永遠の保護を受けるとしても)OKということになるではありませんか。
 しかし永遠の保護が不適切であるということは、死蔵の問題や創造サイクルの断絶を考えても明らかです。同じ理由で延長も否定されます(少なくとも延長のデメリットは指摘できる)。

多くの作家は目先の収入を求めるのではなく、芸術として長く評価されることを期待し、そのことを目標として創作活動に励みます。ですから芸術を愛し、創作に命を捧げようとする作家にとって、「インセンティブ」とは、金銭ではなく、将来の評価だということになります。だからこそ、保護期間の延長というものが、作家にとっては重要な「インセンティブ」となるのです。

 著作権の保護期間を延長するということがどういうことなのか。著作権のうちでも「財産権」と呼ばれる権利の行使がより長く出来るということになります。著作者が「金銭」を求めているのではないとするなら、こうした著作財産権の行使が出来なくなっても変わらない筈ですが如何でしょう。自由利用には文句をつける(特に「タダ」であることに執着する)のに、変ですね。
 また、著作財産権は原権利者から第三者に譲渡されている場合が多いわけで、保護期間を延長することで「金銭」的な利益を得るのは今権利を持っているそういった人たちなのです。今以上の保護期間延長が著作者の「インセンティブ」になるのか判らなくなってしまいますね。

 ちなみに「将来の評価」が著作権の付与にあるという考え方も腑に落ちません。既に著作権の切れた宮沢賢治や夏目漱石らの作品は(書かれた当時から見て)「将来の評価」を得ていないのでしょうか? 自由利用に供されており、その名声は落ちることなく、また時には書籍としても買われているのです。おかしいですね。
 もし著作権保護期間が延長されれば、今の宮沢賢治作品や夏目漱石作品とは異なり、自由利用もされず本にもならない作品が多く発生します。このような死蔵作品の評価は誰がするのでしょうか?

いまだに保護期間を50年のままでとどめている日本は、文化的後進国といわねばなりません。

 それが事実ならば、それに甘んじては如何ですか。
 著作物がどう使われているのか、どのように残されていくのか──そういった観点から、著作権保護の適切な在り方を問えない著作者ばかりだったとしたら、そちらの方が私は「文化後進国」だと思いますね。なんと浅ましいことか。

まず日本の作家の作品が50年を経過すると、欧米では著作権フリーになってしまうということが起こります。

 死後「50年」ですからね。あしからず。
 この時点で既に長すぎるのですよ。この『文藝著作権通信』の5ページには「パブリックドメイン(自由利用可能)となる主な作家」が掲載されていますが、逆に言えば ここに挙げられた以外の作家の殆どはその著作物が死蔵されている状態だということです。
 あのリストの背後にある無数の死蔵作品が見えないとしたら、彼らは本当の意味で想像力が足りないし、この問題について発言するのに適格ではないと思われます。

著作権の保護期間が短いということは、多大の損失をもたらすことになります。

 やはり金ですか。

その作家の本国ではまだ著作権が保護され、財産権が機能しているのに、日本では著作権フリーになり、無許諾無償で使用されてしまうということは、外国の作家にとっては許しがたいことでしょう。

 また金ですか。
 というか、死後50年で保護期間が満了し無許諾・無償で使用されるのが嫌ならば、国際条約に文句をつけては如何でしょうか。あれによって50年が標準であって、それ以上の保護にするかは各国の判断に委ねられています。しかも属地主義をとることとなっているのですよ。
 国際条約上の義務を果たしている以上、外国人にとやかく言われる筋合いではありません。

たとえば作家が亡くなった時、夫人が30歳だったとしましょう。保護期間が50年のままでは夫人が80歳になった時に、保護期間が切れてしまいます。お子さんの場合は、生きている間に保護期間が切れるケースがもっと増えるはずです。

 年金じゃあるまいし、遺族が生きてる間 なにもせず金が入ってくることを保障する必要がどこにありますか。たとえば作家が亡くなった時、夫人が30歳だったとしましょう。そこから80歳になるまで生きるのに、働かないで何もしない人なんていないでしょう。子供にしても、作家が亡くなってから50年後、何の収入も得られないような子供のままでいるケースなんて全く考えられないですよ。
 そもそもの死後50年という現行規定自体、非常に長いものなのですよ。売れる・売れないの違いはあるにせよ、その間に充分な利益を得られるよう法で手当てされているのですから、それ以後も期間を延ばす必要はどこにもありません。

 それにしても、金の話ばかりですね。

ご家族に負担を強いて創作活動に専念している作家本人としても、保護期間が長く設定されていれば、未来に夢をもつことができます。

 50年で足りないという理由にはなりませんね。
 むしろ「永遠に保護してくれ」と言ってるのに等しい要求であって、そんな図々しい考え方に同調する義務など日本社会にはありません。

「文化は模倣により発展するものであり、著作権はその発展を妨げている。保護期間の延長はそれをさらに助長する。」という意見も時に聞かれますが、大切なのは作品の創作性であり、著作権はその創作性を保護するものであって、他人の表現の模倣や真似による作品を保護するものではありません。

 創作の試行錯誤というものを忘れていますね。誰しも最初から立派な作品を書いていたわけでもあるまいに。
 ひとりのアーティストの変遷を考えれば、模倣期の存在が確認できます(よほどの天才でない限りは)。また、二次的著作物を創ったことのない人だって殆どいないと思われます。そうした作品だって著作権法上は著作物となる筈ですがね。
 たとえば米国著作権法でよく引き合いに出されるディズニーの作品群にしても、その多くがパブリックドメインからの二次的著作物です。

(Q&Aについては別稿にてツッコミます)

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2006年10月 4日 (水)

貸与権管理センターの使用料規程が運用へ(リンク)

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20061002-OHT1T00208.htm
「コミック貸本にも著作権料…12月から支払い開始」
(社会:スポーツ報知)



 文化庁は2日、コミック本などの貸本業者が作家側に一定の著作権料を支払う仕組みが12月からスタートすると発表した。貸本業者側と作家など著作権者側が昨年1月に施行された改正著作権法に基づき協議、支払額について合意した。

▲マスコミの一報。

http://www.gamenews.ne.jp/archives/2006/10/1265121.html
「貸本1冊あたりの著作権料は265円から、
 レンタルコミックの著作権料支払い制度12月1日スタート」
(Garbagenews.com)

▲まとまってる。

http://www.taiyoken.jp/siryo.html
「貸与権管理センター」

▲使用料規程などの資料を掲載。参照用リンク。

http://blog.goo.ne.jp/subarushoten/e/97eaf70f32d221c5a3cee3f3f6372ec4
「【NO.79】レンタル料金があがるコミ!」
(コミック『買う派?』『レンタル派?』)

▲レンタル料金値上げの例。言い方がどうも気に食わないのだけれど(私がひねくれてるだけ?)。

http://d.hatena.ne.jp/copyright/20061003/p1
「文化庁が発表?」
(Copy & Copyright Diary)

http://d.hatena.ne.jp/banraidou/20061003/1159854459
「レンタルコミックの使用料に関してちょっとした不明点
 /わからないことは聞いてみるに限る」
(万来堂日記2nd)

http://d.hatena.ne.jp/banraidou/20061003/1159871530
「レンタルコミックの使用料に関しての回答と、もうひとつ不明点
 /まだわからないときはさらに聞いてみるに限る」
(万来堂日記2nd)

▲以上、ネタ元でした。


※私が注目した記事を「はてなブックマーク」にクリップしています。
 一部コメントつき。
http://b.hatena.ne.jp/himagine_no9

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2006年6月20日 (火)

464 は許諾の「夢」を見るか?

http://www.464.jp/gp.htm
「464.Jpは新人作家を大募集中です」
(まんが・コミックの464.jp)

http://www.464.jp/index.htm
「まんが・コミックの464.jp」

http://www.muramoto.net/
「村元 寅次のひとりごと」

 ──何から伝えていけば良いのでしょうか?
『464.jp』 が再始動しそうだという話を前に採りあげたのですが、予想の斜め上を行く展開で腹を抱えてます。

 まず、「新人作家」の募集を始めました。
 これはある意味、正統的と言えなくもない。ネットで配信する旨をあらかじめ示してから募集すれば、権利関係はクリアできますからね。ただ、そういう「新人作家」の需要が 『464.jp』 ユーザーにあるのかという問題が‥‥だって、ここが注目を集めた理由は、メジャー系の漫画を(勝手にですが)ネット配信したところだったのですから。
 いや、そもそも「新人作家」であっても、今どきの漫画家志望の人たちはパソコンを持ってませんか? 制作にパソコンを使う人だって珍しくないですよ。自分のウェブサイトを持ち、そこに掲載することだって難しくはない。 『464.jp』 への掲載が応募のインセンティブになるとは思えないのですが。
 ──企画倒れになる気がするなぁ。

 そして 『464.jp』 本サイト。なんとリニューアルしてます(笑)。
 トラジったら、顔出ししてますよ。「夢 464.jp漫画公国」との字が痛々しい。
 いや、注目すべきところはそこじゃありません。「再開にあたって」という挨拶文がありまして、その最後に「今回のマスコミ報道で一部に誤解があったのでご理解いただきたく思い、私共弁護士が裁判所に提出した報告書を掲載します」とあるんですね。このリンク先が PDF でして、なかなか笑える内容なんです。
「弁1号証 平成18年(わ)第277号 著作権法違反被告事件 『報告書』」。つまり前に逮捕された時のいきさつを弁護士がまとめ、裁判所に提出した文書です。言ってみればトラジの弁明──“どうですか、私はこんなに許諾を得ようと努力したんですよ”みたいな話です。
 突っ込みどころ満載ですけどねぇ(後述します)。

 トラジの日記『村元 寅次のひとりごと』でも新しい文章が上がってたのですが、「応援メール」の転載だとか(これ許諾を貰ってるのですかねぇ。笑)。
 ‥‥何というか、お人好しが多いというか、著作権の概念が浸透していないというか。落ち込んだ気分にさせられる文章群ではあります。せめて何が問題になったのかググっておけよ、と小言のひとつも言いたくなるような物言いばかりで。
 もっとも、これらが本物なのか(ただのひやかしかも知れませんし)、鵜呑みには出来ませんけれど。

 ところで、 『464.jp』 は本気で再開する気なのでしょうか?
 本当に配信許諾を取っていく気なのでしょうか?
 トラジは一度アレをやった身です。執行猶予中の身です。仮に著作権侵害を繰り返せば実刑です。しかも私は何度も繰り返して指摘していますが、漫画の配信について一括で許諾を得ることはできません。個別に交渉するしかありません。
 一歩一歩交渉して許諾を勝ち得ていくのなら解るのですよ、まだしも。一度過ちを犯したけれども次はきちんとしていく、信頼されるまでは時間がかかるだろうけれども丁寧に信頼を得ようと努力する──という態度に見えますか、これ?
 もう「再開」宣言なんかやってる。どう考えても早すぎますって!

 さすがに今の 『464.jp』 には、かの「全日本漫画著作権管理機構」の名は書かれていません。
 しかし今度は 「464.jp 株式会社出版部」なる存在が示唆されています。
 大丈夫なんでしょうか。
 これ、信用する人はどれくらいいますか?


※私が注目した記事を「はてなブックマーク」にクリップしています。
 一部コメントつき。
http://b.hatena.ne.jp/himagine_no9




■さて、 464 弁護士の言い分は?



http://464.jp/main/pdf/f.pdf

「弁1号証 平成18年(わ)第277号 著作権法違反被告事件

 報告書」

(464.jp)

 問題の文書ですが──いや問題多すぎます。
 担当弁護士自身は真面目に書いてると思うのですよ(そう思いたい。なおこの弁護士さんは、かねてからトラジの会社の「法律上の問題」について相談に乗っていたとのこと。その「法律の問題」って何よ──なんて訊いてみたいですな)。しかし、弁護士の目を通した被告人(トラジ)の行動が、やっぱりあのサイトで受ける印象そのままなんです。さらに言えば、逮捕報道で受けた印象とも同じ。
「今回のマスコミ報道で一部に誤解があった」などと(本サイトで)書いていますが、正直どこが誤解だったのか判りません。おそらくは、この文書をわざわざ公表したということは、自分にどれだけ正当性があるのかを示そうとしているのでしょう。
 しかしどう読んでもその効果はありません。ただズレまくってる印象です。
 はっきり言います。この文書は著作権侵害のレポートそのものです。

 ──報告書の内容を時系列でまとめてみましょう(この報告書自体、時系列で書かれているのですけどね)。

●平成17年9月8日
 トラジが弁護士へ相談。「インターネット上で漫画を読めるようにし、読者から会費を集め、著作権者に対して著作権料を支払うシステムを構築することを計画しており、その準備を進めている」と説明。弁護士は「許諾を得ないで、漫画を公開すると著作権法に抵触するので、著作権者からの許諾を取得する必要がある」とアドバイス。
 トラジの希望で、漫画家・出版社等との面談の機会を弁護士が設定することに。

●平成17年9月21日
 トラジが「著作権(原文ママ)を支払う際の契約書の案を作成してほしい」と依頼。 9月27日に 弁護士が「電子的使用許諾(骨子)」を作成、 28 日にトラジ事務所で協議(さらに内容を詰めることを確認)。

●平成17年9月30日
「21 世紀のコミック作家の著作権を考える会」事務局を努める相手弁護士と面談。 464.jp の概要を話し、著作権者らと許諾交渉が可能か打診する目的。
 トラジは 「464.jp において、期間を限定して漫画を配信した際の作家名、作家別のアクセス数及び全体のアクセス数に対する作家別のアクセス数の割合等を表す資料を渡した」。また、「持参したノートパソコンを使用して」 「464.jp のサイトを見せ、捜査(原文ママ。おそらく「操作」の誤変換だろう)方法を説明した」。加えて、会費 380 円、そのうち著作権料 200 円という構想を説明。
 相手弁護士に漫画家・出版社へ連絡を取ってもらうよう依頼。「許諾の交渉については出版社が窓口になる」「出版社の研究会に話を振ってみる」旨を聞く。

●上記面談から一週間後
 相手弁護士から、大手出版社の法務担当者と相談したこと、漫画の配信の停止を求める旨のファクスが届く。直後の電話で、弁護士は「同時点においては漫画の配信をしていないことを告げる」。

●平成17年11月7日付
 相手弁護士からトラジ宛てに通知書。「まんが家S氏の著作権管理会社であるSプロダクション及びまんが家H氏の代理人として、 464.jp のサイト上での漫画の掲載の中止を求める」内容。
 この通知書のことを報告する際、トラジが弁護士に語ったところによると 「464.jp が著作権者に理解されないのであれば、配信を停止するつもりであるが」「著作権者に対して 464.jp について直接説明する機会を設けてもらうことを(中略)お願いできないか」と。
 弁護士は相手弁護士に「ご連絡とお願い」 (464.jp の趣旨・目的・経緯を説明、直接の説明機会を求めるとともに「納得していただけない場合には、サイトでの配信を中止する」旨)送付。
 さらに 「464.jp 概要説明書」など資料も送付。

●「ご連絡とお願い」・概要説明書送付後、相手弁護士からの連絡はなし。

●平成18年1月20日
 トラジから弁護士に「1月終わりから、会員を募り、集まった会費の一部を著作権者またはその代理人に支払いたい」と相手弁護士へ伝えたいとの依頼あり。

●平成18年1月24日
 弁護士が上記の内容をメールで送信。

●平成18年1月25日
 トラジ事務所、家宅捜索。証拠物件を差し押さえられる。
 漫画の配信を「直ちに中止」、会費を集めることも中止、集まった会費は「返金する旨の通知をメーリングリストによって会費の納入者に対して行った」。

※「報告書」の内容を再構成しています。

 ──どうですか。
 かなりツッコミを入れたくなるんですけど。

 被告側の言い分だけ見るのも何ですから、権利者側の説明も加味して考えましょう。

http://www2.accsjp.or.jp/news/news060214.html
「ネットでコミックを無断送信、古本売買サイト運営者ら3人逮捕」
(ACCS/著作権侵害事件)



 福岡県警生活安全総務課と甘木署は平成18年2月14日、権利者(コミック作家)に無断でスキャニングしたコミックを大量にアップロードして送信できる状態にし、自らが運営するホームページを通じてインターネットユーザーに無料で閲覧させていた、大田区の自営業男性A(52歳)、千葉県市川市の自営業男性B(43歳)、大田区の会社員女性C(34歳)の3人を、著作権法違反の疑いで逮捕しました。(中略)

【摘発までの経緯】
 「464.jp」があまりにも大量のコミックを扱っていたため、既に、平成17年9月ごろには関係者に噂が広まっており、ある出版社が「464.jp」に対してメールで抗議を行ったこともありました。さらに、コミック作家の会及び出版社は、9月下旬ごろから、著作権侵害行為を止めるようAらに対して数度に渡って文書などで警告していました。また、同年11月7日には、コミック作家の会理事であるさいとう・たかを氏(さいとう・プロダクション)や弘兼憲史氏が、「464.jp」の運営を直ちに止めるよう求める通知書を、代理人を通じて送付していました。
 これに対してAらは、著作権侵害との指摘に対しては明確な回答を避け、同サイトの開設経緯や目的を、顧問弁護士を通じて説明するにとどまり、その後も「464.jp」の運営とコミックの無断アップロードを継続していました。
 このように、コミック作家や出版社からの抗議や警告に基づいたAらとの交渉が、先方の不誠実な対応によって暗礁に乗り上げていた同時期に、福岡県警の署員がサイバーパトロール中に「464.jp」を発見し、権利者側へ、著作権侵害の有無等について照会が行われました。権利者側は、Aらとの交渉経緯などがあったことから刑事告訴を決意し、同県警で捜査を進めていました。

『464.jp』 がいつから始まっていたのかは私には確証がありません。
 トラジ側も、権利者側も、明らかにした行動は去年9月からのものです。また、私を含めたはてなユーザーが注目を始めたのもこの前後です(はてなブックマークにおいて 『464.jp』 は 2005年8月25日から、『村元寅次のひとりごと』は 2005年9月4日 から、「全日本漫画著作権管理機構」は 2005年9月20日 からブックマークが始まっています。なお、はてなダイヤリーでは 2005年7月24日 時点で 『464.jp』 にリンクを張った人がいます)。私が自分の体験として 『464.jp』 を認知したのは、自身でブックマークした 2005年9月22日 からです。したがって、確かなことは言えない これ以前のことには触れないこととします。

 まず、去年の9月8日。
 弁護士がトラジに対して「許諾を得ないで、漫画を公開すると著作権法に抵触するので、著作権者からの許諾を取得する必要がある」とアドバイスしてる辺りは報道の通りですね。中国新聞の 2006年2月14日付記事に 「顧問弁護士は『著作権法に違反する』と指摘したというが、村元容疑者は同課の調べに『どうせ違反するなら全部でも一緒だと思い、本の全量を配信した』と供述した」という一文がありました(トラジ逮捕時のうちの記事参照のこと)。
 ──もっとも、「どうせ違反するなら全部でも一緒だと思い、本の全量を配信した」のが本当か判りませんがね(トラジが「誤解」と言ってるのはこれか?)。

 相手側弁護士との面談が決まり、トラジは使用許諾契約書を用意するそぶりを見せます。 9月21日 以降ですね。
 しかしながら、この時すでに 『464.jp』 は本格稼働していました。前述の通り「全日本漫画著作権管理機構」の胡散臭さにツッコミが入り始めていたのです。特に、いち早く「全日本漫画著作権管理機構」を調査したブログ(『第三幕第一場』さん)がありまして、 『464.jp』 とドメインを取得した人物(=トラジ)が同じだと指摘されるに至っています。
 つまるところ、許諾を求める意思があるフリをしている裏で、とっくに漫画の配信をやっていたということです。「全日本漫画著作権管理機構」という、ゴマカシにならないゴマカシを駆使しながら。

 そして相手側弁護士との面談へと臨みます。去年の 9月30日 のことです。 「464.jp において、期間を限定して漫画を配信した際の作家名、作家別のアクセス数及び全体のアクセス数に対する作家別のアクセス数の割合等を表す資料を渡した」という。
 ──ここ、ツッコミどころですよ! 要するに、この交渉(とすらも言えない)に先んじて漫画の配信をやっていたことをバラしてしまった訳です。しかも「持参したノートパソコンを使用して」 「464.jp のサイトを見せ、捜査(原文ママ)方法を説明した」ということですから、面談中も同サイトが稼働していたことを窺わせます。「期間を限定して」どころか現行犯じゃん。
 このあたり、トラジ側弁護士がツッコミ入れてないのが不可解でならないのですが(報告書に書かないだけで入れてたのかなぁ?)。

※『464.jp』 と同じものをローカルで動かしていたという可能性もありますがね。「報告書」で明記されていない以上、インターネットで繋いでたと解釈するのが自然な気がします。何せ、この時期すでに やんちゃなネットワーカーが殺到してたんですから。

 9月30日 の面談は(「報告書」を読む限り)穏やかに終了したかに見えます。が、その「約1週間後」に「漫画の配信の停止を求める旨のファクス」が相手弁護士から届きます。
 これ、 ACCS の説明にある「コミック作家の会及び出版社は、9月下旬ごろから、著作権侵害行為を止めるようAらに対して数度に渡って文書などで警告していました」のことでしょうね。ちょっと時期が前後したりしますけど、両方とも「ごろ」とまぁ曖昧な表現ですから。確かなことは判りません。
 ところで このファクスが届いたとき、「同時点においては漫画の配信をしていない」と弁護士が答えてしまったのは失敗だったのではないですかね。本当のところは弁護士に知らされてなかったのかも知れませんが(また常識的な判断があればあり得なかったのですが)、この時もまさに 『464.jp』 はネットワーカーの注目の的でした。賛否両論(というか法的にシロと見る人は皆無だったでしょうよ)で良くも悪くも話題のサイトでした。相手(権利者)側にしてみれば、こういうことをやっている人間とまともに交渉できるとは思わないでしょうね。
 なお ACCS の「数度に渡って文書などで警告」というのはトラジ側の「報告書」から受ける印象とは食い違います。まぁ些末的なことですけど。

 11月7日。 一通の通知書がトラジに届きます。「まんが家S氏の著作権管理会社であるSプロダクション及びまんが家H氏の代理人として、 464.jp のサイト上での漫画の掲載の中止を求める」。この次は“出るところに出るぞ”ということでしょう、これは。
 ACCS の説明ではこうなってます。「同年11月7日には、コミック作家の会理事であるさいとう・たかを氏(さいとう・プロダクション)や弘兼憲史氏が、『464.jp』の運営を直ちに止めるよう求める通知書を、代理人を通じて送付していました」。ドンピシャですね。

 その後のトラジ、いろいろ「直接説明」したいとか何とか相手に伝えようとしたようですが、相手にしてみれば「著作権侵害との指摘に対しては明確な回答を避け、同サイトの開設経緯や目的を、顧問弁護士を通じて説明するにとどま」っているようにしか見えなかったようです。確かに「報告書」を読んでみても、このあたりの行動はかなりズレています。
 いやそれ以前に、「その後も『464.jp』の運営とコミックの無断アップロードを継続してい」たというのが致命的でした(括弧内は ACCS の説明から引用)。

 そして遂に極めつけの行動に出ます。今年 1月20日 頃のトラジの提案──「1月終わりから、会員を募り、集まった会費の一部を著作権者またはその代理人に支払いたい」。
 もう、電波でも受けてるのかという。人の話を聞いてるのかという。金の問題ではなくて、「漫画の掲載の中止を求める」と言われていたというのに。

 ──で、あとは当然だよな、という展開。家宅捜査があってサイト停止、しばらくして逮捕実刑判決と相成ります。

 ここまで読んできて、この「報告書」がどういう意図で 『464.jp』 に掲載されていたのかますます解らなくなります。結局、この村元寅次という人物がイタいということが判るだけではないかと。

 さて。
 最後に、徴収していた問題の「会費」がどうなったのかを探ってみましょう。
 実はこのことも「報告書」に書かれていたんですね。

第5 会費の返還、贖罪寄附

1 その後、被告は会費を納入した人たちに対し、収めた会費の返還を随時行った。
2 そして、4月12日現在で、集まった預かり金額合計が 2,968,149 円、返還金を含む支払い合計が 2,072,871 円、差額が 895,278 円となった(添付資料 14)。
3 上記金銭について、被告が、当職らに対し、本件についての反省の念を示すためにしかるべき団体に寄付することを申し出たため、当職らは、法律扶助協会への贖罪寄付の制度を被告に紹介し、平成18年4月18日、法律扶助協会東京都支部に、上記差額 895,278 円を贖罪寄付した(添付資料 15)。
4 なお、被告人は、同年4月8日、会費の納入者のうち返還未了者に対し、電子メールで再度返還先の連絡をお願いするとともに、現在も、会費の納入者から、返還先の申し出があった際には、会費を返還する旨をホームページ上で告知しており(添付資料 13 の3、4)、今度は、私財を投じて、返還にあたることとしている。

 ──返しきれてない分は寄付しちまったのかよ!
 ──しかも「贖罪」!?

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2006年6月17日 (土)

ほんとの出逢い

http://free.txt-nifty.com/free/2006/06/post_475e.html
「いまの読者は書店に『本と出会う場』を求めていないのかも...」
(未公認なんですぅ)

http://d.hatena.ne.jp/banraidou/20060616/1150432241
「書店が本との出会いの場として機能しなくなった
 原因についての仮説を建てようとおもったのだけれど、
 やっぱり俺は駄目なんだ」
(万来堂日記2nd)

 印象に残った記事から──。
 我々にとって書店というのはどういう場なのか、本との出逢いの場がどこにあるのか、そういう話です。書店が「本と出合う場」として期待されているのは勿論今でもそうなのでしょうけど、私にとってはどうなのだろうなと思いまして。
 もっとも私が一般論をぶてる訳でもなく、あくまでも私自身という限定された範囲での考えですが。

 書店に入った時点で、既に買う本が決まってます。
 自慢じゃないですが、私の場合は図書購入費が限られていますので(CDにも金を回さねばならないのです!)。だから買う本は大まかな計画のもとで選んでいます。また近所の書店には無さそうな本ばかり買ってるもので、大型店へ行くことの方が多い感じ。その代わり、店内での検索システムが無いとキツイ。
 東京に住んでいた時は、池袋のジュンク堂や西武リブロを使ってました。前者は特にネットで在庫確認が出来るので便利でした(後者も店内に検索システムがありますしね)。今、札幌に住んでいますので札幌駅前の紀伊国屋に主として出没しています。ジュンク堂が札幌に進出するとかいう噂もあったりするので、ますます大型書店が便利になるかと思われます。

 買う本が決まっているなら、前述したとおり大型店での検索システムが必須です。棚が多いと、目的の書籍がどこに置いてあるのか判りませんからねぇ。もっとも北海道にいると入荷日が数日遅れますから、在庫データに入ってなくて店員さんに探してもらうことが少なくありませんが。
 検索という作業だけを見るならネット書店(私がよく使うのはbk1とアマゾンですが)でも同じことなのですが、やはりリアル書店の場合は現物を確認できるのが大きい。中身を確かめてから買うかどうか決めるというのもあるのですが、それに加えて、現物を手にした方が物欲を刺激するという効果もあります。そこまで自分を興奮させないと買う踏んぎりが付かないというか(笑)。
 計画的に本を買う──その効率を上げるためには、書店に入ってすぐさま検索、本を見つけて速攻で買って店を出てくるくらいでないと。本を探すのにダラダラ時間をかけてると そのうち本を買わなくてもいいような気分になってしまいますし、書店にあまり長くいると余計なことを思い出して“衝動買い”してしまいかねません(私だけかしらん)。

 本との出逢いはインターネットが演出します。
 私が小説読みでない上に たいして本に金をかけない所為もあるかと思われますが、自分で買おうと思った本の多くはブログで紹介されているものだったりします。あとは著作権関連の本などでは参考文献リストから次に買うものを決めたりもしますし。書店を介在しない“新しい出逢い”の形は確かに存在します。
 また、本を買うまえに探りを入れるという私の性格もあるでしょう。図書館で一度読んでみたり、ネット書店・ネット古書店での在庫を確認するなど、書店へ行くまでに様々な調査をしていますから。

 ここまで考えてみて、では近所の小規模店には存在の意味がないのかというと、そういう訳ではないのですよね。まず新刊本などの様子が見渡せる規模というのは、大型店でなく むしろ小規模店の方が適しています。大型店では新刊の置き場が大きすぎて、見渡せる感じではありませんから(もう表紙見ただけでお腹が一杯になるくらい)。
 即買うという行動にまでは至らなくても、新刊と関連させた「出逢い」の演出は充分可能かと思われます。私も近所の書店にぶらりと入って、新刊の様子を眺めるのは嫌いじゃないです。適度なボリュームで新刊チェックができる便利さというのはありますから(さすがにコンビニでは品揃えが少なすぎます。こちらは買い物するついでの衝動買いくらいのものです)。雑誌や書籍でこれくらいは置いてるだろうとアタリが付くものについては、まず近所の本屋に行くことも少なくありません。

 本当の出逢いというものは、書店でもネットでも何処でも起こり得ます。要は縁であって。

 もっとも どの本を買おうか既に決めている人にとっては、行ったとしても置いてあるか判らないような書店は利用しづらいのは確かかと思われます。書店側としても、そういう客に対応するか(しかし在庫データ管理は難しいか‥‥)、独自路線の「出逢い」を演出するなどの別の価値観を提示するか、いずれにせよ今のままでOKということにはならないでしょうね。


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2006年6月15日 (木)

貸与権が無ければ多少は可能性があった「レンタル本屋」

http://d.hatena.ne.jp/copyright/20060613/p1
「書籍・雑誌の貸与権」
(Copy & Copyright Diary)

http://d.hatena.ne.jp/copyright/searchdiary?word=%2a%5b%C2%DF%CD%BF%B8%A2%5d
「Copy & Copyright Diary」

 はてなブックマークで少々話題になった「レンタル本屋」の話。CDやコミックではレンタル業があるのに、普通の書籍ではどうして登場しないのかという疑問が提されたわけですね。それに対して 『Copy & Copyright Diary』 さんが判りやすく まとめてくださいました。
 なお 『Copy & Copyright 〜』さんの「貸与権」カテゴリの記事を読むと、この問題がより深く理解できることと思います。この方はずっと「貸与権」関連の問題を追いかけていらっしゃいますので。

 うちでも何かコメントしようかと思ったのですが、私の理解から書いたところで 『Copy & Copyright 〜』さんの記事の要約にしかなりません。まぁとりあえず「要約」だけでもメモしておきましょうか(あと私が気付いたところに補足を入れていきます)。

●「レンタル本屋」が登場しない最大の理由は「利益がほとんど出ないから」。たぶん、ですが。コミックレンタルが既に存在していて、これの回転数が普通の書籍よりも多くありそうなところ、これですら利幅が薄く 著作権使用料を捻出するのに苦労しているらしいのです。そりゃレンタルに高い値段はつけられないでしょう。なお、コミックレンタルの使用料については未だに折り合いがついていません(そういう話は出てきていません)。一般書籍では尚更キツイでしょう。
●2004 年の著作権法改定によって「貸与権」(営利目的の貸与を禁止できる権利)が書籍・雑誌の著作者(必ずしも出版社ではありません)にも付与されることとなりました。したがって著作者の許諾が無ければ「レンタル本屋」は営めません。
※この改定法が施行された 2005 年1月1日より前だったら、許諾なし「レンタル本屋」を営業することが可能だった(ただ商売が成立するのかは別論)。
●著作者・出版社側は漫画喫茶への対策のつもりで「貸与権」の付与を求めたのだが、法律上「貸与権」は漫画喫茶には及ばない(ただし著作者側と業界団体との自主的な話し合いは行なわれているとか)。「貸与権」が及ぶのは主にコミックレンタル業者・貸本業者である。
●従来から営業してきた零細貸本業者については、権利を行使しないとの“口約束”が権利者側から国会の場で為されている(どこまで拘束力があるのかは疑問)。
※コミックレンタル業者に対する使用許諾を出すための権利集中管理機構(出版物貸与権管理センター)の設立も“口約束”されていたのだが、 2006年6月14日 現在、稼働できる状態には無い。国会から改定著作権法が成立してから丸二年、施行からは1年半が経過しているにもかかわらず、“口約束”は果たされていない。他の“口約束”の信憑性も推して知るべし。
●現在稼働に向けて準備を続けている(!)貸与権管理センターは、翻訳書籍と雑誌にかかる貸与権は扱わない。貸与権管理センターが本格稼働したところで、これらの書籍・雑誌を貸与するためには権利者に直接許諾を求めるしかない。

 ──てな感じで、昔なら可能であった「レンタル本屋」も現在では難しいかと思われます。

 ちなみに一部では「無料貸本屋」などと陰口を叩かれてしまう図書館についてですが、まず公共図書館については無償・非営利の貸出なので「貸与権」は及びません。もっとも、そもそも国民の「知る権利」を保障するための施設ですから、権利者の“利益”に優越する憲法の要請とも言え、著作者の独占権を及ぼそうという考え方とは相容れない性質があるように思います。
 外国には「公貸権」(公共図書館が書籍を貸し出すことについての補償金)なる制度が設けられているところがあるのですが、これは日本には無く、また日本での「貸与権」とは根本的に異なるものです。著作者が図書館に貸出を禁止することはできず、ただ著作物の貸出について“補償金”ないし“報酬”だけ受け取れるという仕組みになります。しかも公共図書館が支払うというよりは、むしろ国が拠出するというのが殆どのようです。
 日本の話に戻ります。他の図書館──企業がその中で設置した図書館や、有償で資料閲覧をさせる図書館、デパート・スーパーなどの一区画に設けられている図書館などについては、営利目的であるかどうかの判断が問われるところであって、「貸与権」が及びかねないという懸念があります。これらは「レンタル本屋」とはまた別の話ではありますが、書籍などの著作者が「貸与権」を行使する方法・範囲を確立せぬままに法改定が実行されてしまった故の問題と言えます。
「貸与権」によって「レンタル本屋」だけではなく、多くの書籍・雑誌の利用が妨げられかねないという懸念が常について回るのです。

※ここまで書いたところで、あれ、学校図書館ってのはどうだったか。私立学校の図書館などでは「営利目的」と取られかねないという懸念を目にしたことがあったように思いますが、独立法人化した国公立大学の図書館などもどういう扱いになるのか。私自身も調べてみないといけないですね。

 ところで。著作者が「貸与権」を行使するために用意される筈の権利集中管理機構・出版物貸与権管理センターですが、文化庁の「著作権等管理事業者検索」のデータによれば使用料規定が「未提出」とのことです。公式サイトも相変わらず未完成のようであり(本来なら著作権等管理事業者としての情報提供が必要なのですがね)、稼働が始まった様子は全く見られません。
「貸与権」をめぐる現状はお寒い限りと言わざるを得ません。不必要な禁止権を付与してしまったばかりに、ただ著作物利用を萎縮させる結果にしかなり得ないのが情けない。

 最後に、この「レンタル本屋」の話題のきっかけとなった記事も紹介しておきます。
 ただし 『Copy & Copyright 〜』さんの記事をお読みになってから(できれば過去ログも)リンク先に飛ばれることを推奨いたします。

http://blog.livedoor.jp/dogmanage/archives/50593098.html
「なぜレンタル本屋がないのか?」
(発想日記)

http://blog.livedoor.jp/livenhk/archives/50548073.html
「レンタル本屋はやろうと思えば(たぶん)できる(はず)。
 (きっと)(マジメにやろうとしたら)面倒だけど。」
(木々ノ日記@livedoorblog)


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 一部コメントつき。
http://b.hatena.ne.jp/himagine_no9




■書籍や雑誌の貸与権はどこまで理解されているか?

 私事にはなるのですが──

 2004 年の著作権法改定の際、私はいわゆる「レコード輸入権」に対して反対の声を挙げていたんですね(ただし反対運動の末端にいたような感じではありましたが)。著作権法改定に異議を申立てていたネットワーカーたちも多くは「輸入権」に集中していました。しかし同じ改定法案には、上の記事で話題になった「貸与権」のことも審議されていたんです。
『Copy & Copyright 〜』 さんは積極的に「貸与権」の弊害について情報発信されていた一人でした。

 ──しかし私は「貸与権」のことをあまり重視していませんでした。「零細な貸本屋には権利を行使しない」「権利集中管理のための機構を立ち上げる用意がある」などという権利者側(代表として国会の場で発言したのは弘兼某氏)の言うことを鵜呑みにしてしまった。“これなら問題ないじゃん”と思ってしまった。「レコード輸入権」では権利者側の発言を鵜呑みにせず疑ってかかっていたにもかかわらずです(その後「権利集中管理のための機構」とやらは実現していません)。
 そして、結局は法改定が成立し、私は「レコード輸入権」の動向を追いかけ続けようと決心しました。と同時に考えたのです。今度は「貸与権」のことも見落とさないようにしよう、と。

 今、一般的にはどうなのでしょうか。「貸与権」の問題は知られているのでしょうか。
「レコード輸入権」を始めとした音楽関係の著作権については、以前より関心が集まっているような気がします。まだ誤解に基づくような “JASRAC 叩き”もあるようには思いますが(突くなら正当な批判で行きましょう!)‥‥少なくとも 「iPod 税」の問題には大きな盛り上がりを感じました。翻って「貸与権」についてはどうか。
 まだ権利行使の段階に至っておらず利用者団体との協議が水面下で続いていることから、話題になることが少ないような気がします。

 どうやったら他人の関心を呼べるのか。
 どうやったら「貸与権」のことを理解してもらえるのか。
 ──ブログをやり続けている私たちが、それを考えるべき時に来ているような気がします。

※関心を持続し問題を理解することは、私たち自身にも必要なこと。
 それを他人にも働きかける方法──その「答え」はまだ見えません。

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2006年6月13日 (火)

読めないよ.jp :次やったら厳罰だな

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0606/12/news066.html
「あの『464.jp』が再開?」
(ITmedia News)

http://www.muramoto.net/
「村元 寅次のひとりごと」

 執行猶予つきの実刑判決を受けた著作権侵害サイト 『464.jp』 の主・トラジのことなんですが、 ITmedia の記事経由で気になる話が出てきています。もともとこの人は『村元 寅次のひとりごと』という日記サイトも運営していまして、ここで「大勢の会員の方からの励ましのメールによりもう一度464.Jp再開に挑戦しようと思います」とか書いてあるんですね。
 ──懲りないなぁ!

 どこまで本当かは判りませんよ。前と同じように 464.jp をやる気なのかも。ただ漫画にかかる、インターネットで配信するための著作権集中管理の仕組みというものが存在しない訳ですから、今度はまっとうに権利処理をしてネットで配信しようと思ってても個別処理しか方法がありません。一度ああいうことをやってる人間が許諾を貰えるんですかね?
 次に同じことをやったら、おそらく実刑をモロに食らうでしょう。前の刑事事件は「漫画9作品」についてのものであって、実際に配信してた漫画すべてについて告訴されたら懲役2年・罰金 50 万円じゃ済まないでしょうし。その辺 わかってるのでしょうか。

『21 世紀のコミック作家の著作権を考える会』も ACCS (コンピュータソフトウェア著作権協会)もトラジには目を付けてるのでしょうから、このまますんなり再開なんてことにはならないでしょう。
 今度はこの二者に取材してみるべきじゃないですかね →ITmedia。

※うちでは 『464.jp』 の停止移行、ネタとして採りあげています。よろしければ併せてお読み下さい。

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/01/_464jp__1d81.html
「著作権侵害“コミック立ち読みサイト” 464.jp サービス停止」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/02/__c371.html
「意外と遅い決着 ──マンガ無断配信サイト、経営者逮捕」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/05/464jp_50_1e38.html
「『464.jp』 の主・トラジに懲役2年(執行猶予3年)+罰金 50万円」
(エンドユーザーの見た著作権)


※私が注目した記事を「はてなブックマーク」にクリップしています。
 一部コメントつき。
http://b.hatena.ne.jp/himagine_no9

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2006年5月31日 (水)

同人誌と、文化庁の現状認識(追記あり)

http://d.hatena.ne.jp/bn2islander/20060529/1148905181
「同人誌に対する文化庁著作権課のコメント」
(memorandum)

http://www.st.rim.or.jp/%7Enmisaki/#2006_05_27
「同人誌生活文化総合研究所」



「『原作者と同人作家の間には、見て見ぬ振りという、“暗黙の了解”が存在するため、侵害しているとは断言できません。それゆえ、よほど悪質なものでない限り批判的な立場を取ることはありません」 その理由として、同人誌のおかげで原作の知名度が上がることもあるし、また原作側で同人誌を訴えるなどすれば、原作のイメージが悪くなることさえあるからだという。」

※『サイゾー』記事からの引用という形

『memorandum』 さん経由。
 同人誌と言えば、既成の漫画・アニメ作品を翻案したものがかなり多いわけですが、このことについて文化庁著作権課に見解を求めた記者がいるんですって。詳しくは『同人誌生活文化総合研究所』さんの記事を読んでいただくとして(もっともネタ元は雑誌『サイゾー』だそうで)。
『memorandum』 さんも仰ってますが、これ、文化庁が何か言える立場には無いんですよね。同人誌を著作権侵害(もっと言えば翻案権侵害)と見るか見ないかは著作権者次第ですから。現に同人誌関係では逮捕例があったように記憶してますし(ポケモン絡みで。『同人誌生活文化総合研究所』さんにそのもののページがありますね)。

※もっとも、裁判で争えばケースバイケースでしょうね。翻案権侵害が認められないケースもあるんじゃないかなぁ(キャラクターだけ借りて、オリジナル色が強ければ──キャラクターの著作物性が問われるような気が)。

 単純に、著作権課がどのような現状認識を持っているか以上の意味は無いものと思われます。ただ「見て見ぬ振りという、“暗黙の了解”が存在するため」なんて認識が出来ているあたり、侮れません。
 著作権課にしては珍しい、妥当な現状認識だと思いますよ。


※私が注目した記事を「はてなブックマーク」にクリップしています。
 一部コメントつき。
http://b.hatena.ne.jp/himagine_no9




■同人誌への黙認はいつまで続くか?

http://d.hatena.ne.jp/bn2islander/20060608/1149783249
「日本の同人誌文化とフェアユース」
(memorandum)

 同人誌と著作権者との関係について、 『memorandum』 さんで続編が掲載されました。

 フェアユースというのは司法判断と背中合わせですので、日本人の意識にはあまりそぐわないのではないかというのが通説ですよね。だから著作権法では権利制限規定を限定列挙しているのだ、と。
 ただ著作権侵害をどうにかしようとすると結局は裁判になるわけで、司法の場で争うのをネガティブに考える日本人としては、著作権侵害の疑いを掛けられて提訴されるだけでもかなりのダメージだったりします(その上 負けて金を取られるときた日にゃ‥‥)。
 その意味では、権利者の黙認による「恣意的なルール運用」「事実上のフェアユース」は日本人のなあなあ精神には合致するのかもしれませんが、結局 権利者が権利行使をしようと考えてしまえば歯止めになるものが何も無い。同人誌作家が訴えられる潜在的な危険性は全く減っていないわけですから、なあなあだから創作の場が保証されるというものではないでしょう。ひとつでも“例外”が出てしまえばビクビクせざるを得なくなります(あのポケモン同人誌事件はまさにそれだった筈なのですが、忘れられてしまってるかも知れませんねぇ)。

「裁判に訴えたくともなかなか踏み切れなかった権利者側が、訴訟によって白黒付ける機会が、今後は増えてくるのかもしれない。大きなお世話ではあるが、同人誌文化を支えている人たちは、その日が来ることを想定するべきなのではないだろうか」とする 『memorandum』 さんの考えには同感です。
 また、訴訟を前提とする以上、新たな創作の足を縛らないためにも翻案にかかるフェアユースの規定を著作権法に設ける必要があるように思います。今の著作権法じゃパロディすらも安心して行なえない有様ですからねぇ。

(追記: 2006.6.12)

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2006年5月17日 (水)

『464.jp』 の主・トラジに懲役2年(執行猶予3年)+罰金 50万円

http://www.asahi.com/national/update/0517/SEB200605170006.html
「『こち亀』をネット配信、3被告に有罪判決 福岡地裁」
(asahi.com - 社会)



 人気漫画を勝手にホームページで公開したとして、著作権法違反(公衆送信権の侵害)の罪に問われた漫画ネット喫茶経営、村元寅次被告(52)=東京都大田区=ら3被告の判決公判が17日、福岡地裁であった。大庭和久裁判官は、主犯格の村元被告に懲役2年執行猶予3年、罰金50万円(求刑懲役2年罰金50万円)を言い渡した。

 数多くの漫画単行本をネットにアップロードして捕まった 『464.jp』 運営者が福岡地裁で判決を受けたそうです。まぁ争う余地のない王道(?)の著作権侵害ですから、この記事にしても只の結果報告ということになりますね。
 まさか控訴したりしないだろうねぇ?

 余談ですが、 2004年法改定(我々には「輸入権」絡みで忘れられない)の作用が今回の事件にも及んでいます。「懲役刑及び罰金刑の併料」というやつです。まぁ罰金の方の 「50万円」 というのも微妙な感じではありますが。
 また、記事では権利を侵害されたのが「漫画9作品」と報じられていますが、実際の侵害実態はこんなもんじゃなかった筈ですよね。おそらく警察を動かしたのが「漫画9作品」の作者たちだったということでしょう(確か逮捕時の記事もそういう感じだったような)。


※私が注目した記事を「はてなブックマーク」にクリップしています。
 一部コメントつき。
http://b.hatena.ne.jp/himagine_no9




■『464.jp』 トラジ逮捕時を思い出してみよう

 恥ずかしながら私の記事へリンク──

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/02/__c371.html
「意外と遅い決着 ──マンガ無断配信サイト、経営者逮捕」
(エンドユーザーの見た著作権)

 そう言えば、徴収してた会費は返したんですかねぇ?

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国立国会図書館をよりよく知るために──

http://www.ndl.go.jp/jp/role/
「国立国会図書館の役割とは?」
(国立国会図書館)

 はてブ経由で知ったページ。
 自民党から「独立行政法人化」だなんてトホホな「提言」をされてしまった国立国会図書館ですが、こういう無知蒙昧の輩(国会議員だってのにさ!)だけでなく より広く役割を理解してもらおうとページを設けているそうです。
 私も色々と読んで国立国会図書館の役割を知ったつもりになっていますが、この機会に当該ページを隅から隅へと読んでおくのも悪くないかなと思っております。

 ──無くしてからじゃ遅いんだって、マジで!


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 一部コメントつき。
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2006年5月13日 (土)

赤本では受験勉強がままならない時代

 赤本の 2005年度版 で問題の一部が掲載されていなかったという話は聞いていたのですが──

http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20060511
「やはり評論の載っていない赤本が出た!」
(入試過去問と著作権を考えるblog)

http://www.kyogakusha.co.jp/cgi-bin/book_search.cgi?mode=display&isbn=4-325-14703-9
「書籍データ『大学入試センター試験過去問研究 国語』」
(赤本ウェブサイト)

 『入試過去問と著作権を考える blog』 さんの記事。このブログさんがセンター試験当時に懸念されていた通り、センター試験向けの赤本で今年の試験問題の一部が掲載されなかったそうです。赤本の公式サイト(数学社)で調べてみると、確かに「編集の都合上、以下の問題を省略しています。/ 2006年度 本試験 第1問」との説明があります。
 当該問題が「『日本ビジュアル著作権協会』の活動に賛同し、四谷大塚や日能研を訴えている」別役実氏の評論を使ってることから、著作権絡みで掲載されなかったのは間違いないでしょう(こうした赤本側の対応は前回から引き続いてのことですし)。

 私自身も受験生時代には赤本にお世話になったクチですけど、過去問をやってみるというのは有効な勉強法のひとつなんですよね。そんななか問題がひとつでも欠けてしまうと、ただでさえ不安と闘っている受験生の負担を増やすことになります。精神的にも、当該問題を探す手間としても、です。
 入試問題で著作物が使われた(こちらは著作権法で事前の許諾なしで可能となっています)際に、同じものが過去問題集に収録されるのは社会通念上 当然のことなのであって、これへの配慮もなしに著作権を「行使」し続ければ著作権制度自体が社会的理解を得られなくなる可能性が高いと思うのですがねぇ。
 著作権者という存在にネガティブなイメージが結びつきがちな昨今なわけで、私個人としては、さっさと法改正して事後承諾を可能にすべきかと(法規定が権利者の不当な「権利行使」を助長しているという見方もできます)。


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2006年5月10日 (水)

生原稿の流転と著作権

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060508bk12.htm
「生原稿流出 物故作家ならどうする?」
(出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞))

 以前、村上春樹氏の生原稿が流出した(もちろん本人の同意なし)と公表されたことで俄に話題になったこの問題ですが、日本文藝家協会が古書店・出版社に注意喚起することにしたのだそうです。
 この手の流転って著作権ではどうにもならない(所有権が移るだけ)から、古書店や出版社の自主的な取組みに任せるしかないんですよねぇ。著作者側で敢えて防御するなら、生原稿の所有権について出版社と取決めしておく位ですか。

 ところで文藝家協会の「未公表の書簡などを無断公開することは、『著作者人格権の侵害であり、プライバシーの侵犯になる』」とする主張、これ「無断公開」については確かに著作権(著作者人格権→公表権)に触れるのですけど、所有権を転々とさせた場合でも「公表」とみなされてしまうのでしょうか?
 著作権法では、「著作物の公表」については第四条で、著作者人格権たる「公表権」については第十八条で規定されています。これを見た限りでは生原稿の売買が「公表」に当たるようには思われないんですが。

 やっぱ著作権者自身が実際に動かない限り、(著作権的な観点からは)古書店らの自主的取組みに委ねるしかないんじゃないかなぁ。


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2006年2月28日 (火)

国会図書館・公立図書館が理念を踏みにじられ崩壊させられる危機

 ──ちょっと旧聞になるのですけど。

http://gomame.cocolog-nifty.com/library_copyright/2006/02/post_2588.html
「自民党案の全貌【国会図書館の独法化問題】」
(Library & Copyright)

http://www.jimin.jp/jimin/gyo/katsudou/h18/180210.pdf
「国会事務局等改革に関する提言」
(自由民主党・行政改革推進本部・ PDF)

 自民党行政改革推進本部が国立国会図書館の独立行政法人化を「提言」したとの話題で、 『Library & Copyright』 さん経由、「国会事務局等改革に関する提言」が自民党サイトに掲載されたとのことです。
 この文書、書かれている日付は 平成18年2月10日 (この日に自民党行政改革推進本部総会で可決されました)となっていますが、実際の PDF ファイルには 「2006年2月23日木曜日 2:26 PM」 とのタイムスタンプがあります(ちなみに私が当該ファイルをダウンロードしたのが 24日 でした。だから当該 PDF がこの 23日 に生成されたのは間違いないと思われます)。確かに、私もちょくちょく自民党サイトを覗いていたのですが、いまリンクの張られている「行政改革推進本部」にも「党の行政改革推進本部の活動」にも しばらく当該情報が掲載されていませんでした。これらの事実と 『Library 〜』さんで話題になった時期が符合しているので多分間違いないと思います。
 日付は可決当日のものを付しているのに、掲載はかなり後になってから。なんだか自民党の小汚いやりくちを見てるような気にもなるところですが(さも当日に掲載したかのような‥‥普通は掲載日も情報として書きませんか?)、まぁ直接公表するとの判断自体は正しいものなので文句もほどほどにしておきましょうか。
 私個人としては、国会図書館の問題は国民の間で広く議論されるべき問題と考えており、自民党としての考えを早くから公表しておくことが必要だと思っていました。

 さて語るべき問題は「独立行政法人化」の方です。件の文書では「国立国会図書館の『独立法人』のイメージ」と称してページを別立てしているのですが、どうも結論ありきな内容の上に 首を傾げたくなるような文言が見受けられます。
 曰く、「業務範囲/現行の国会図書館法に基づく業務をベースにスリム化を図る」。関西館や国際子ども図書館の運営、サービスのデジタル化(ネットを通じた複写受付や近代デジタルライブラリー、あとは今後期待されるデジタルアーカイブ・ウェブアーカイブ等々)など、これからやるべき新たな試みというのは国会図書館にまだまだ残っているわけですよ。国立国会図書館としての役割を全うするための試みを潰してしまうことに どんな正当性があるというのか、その観点で精査した形跡が文書からは見られません。出てくるデータにしても職員数と人件費のみ。このような“検討”で国立国会図書館の特殊性(かつ重要性)を考慮することが可能とは思われません。
 職員がたくさんいるから減らせ──などと単純に考えられるものではないのですよ。国立国会図書館と言えば、国内で発行された出版物を(可能な限り)保存する、全国各地の公共図書館に対して資料の貸出・レファレンス提供を行なう、そして国会議員の調査・立法活動を補佐するなどの役割が課せられています。他の機関とただ人数を比較するだけで、こうした役割を全うするのに必要な人数なのか否か(多すぎるのか否か)など判る筈もありませんし、人数が増えているからと言って即 余剰人員が発生しているというものでもありません。
 自民党提言の「改革後のイメージ」によれば「現行の調査室、国会図書館調査及び立法考査局が有する機能は各々(引用者注:国会事務局の)課が持つこととし、国会図書館には調査現場としての調査室を配置する」となっています。これもどうかと思います。国会図書館の立法補佐の役割を削ってしまい、図書館の役割を資料提供だけに矮小化する考えにしか見えないのですが(公共図書館を無料貸本屋とみなすのと同レベルなような気が)。膨大な蔵書と専門知識に基づいて徹底した調査・考察を行なうことが期待されている訳でしょう、立法補佐の役割では。

 国会議員がどれだけ国会図書館を利用しているのか知りたいですね。そしてその能力をどれだけ評価しているのかということも。現行の国立国会図書館によって自分の活動がどれだけ保障されているのか、国会議員がいかにして国会図書館を利用すべきなのか、そしてその要請に応えるためには国立国会図書館にどれだけの人手が必要となるのか。
 逆に言えば“あまり利用されていないから人を減らせ”という性質のものでもない。文化の保存や継承、国民の知る権利の確保、国会の独立性といった 憲法に直結する価値観の上にその役割が定められているのですから。国立国会図書館のあり方を変えることが許容されたとしても、それに向けた議論を慎重に行なうべきなのは当然と言えるでしょう(憲法改定への議論を慎重に行なうとの同じく)。
 以上のような点を国会議員各自が問い直さねばなりません。もし国立国会図書館の重要性を認識しないまま独立行政法人化を受け入れるようなことになれば、自らの手足を縛るのと同じ結果になりかねないのですから。

 なお、これも 『Library & Copyright』 さん経由の話なんですが、自民党が図書館に対してどう考えているのかという一端を知る資料として次のようなものがあります。

http://www.jimin.jp/jimin/closeup/2212/closeup.html
「文字・活字文化振興法
 新聞や本に親しむ環境をつくり、深刻化する「活字離れ」に歯止め」
(自由民主党・クローズアップ あなたの生活こうなります)

http://www.jimin.jp/jimin/closeup/2074/closeup.html
「国会図書館の改革 進化続ける国会図書館」
(自由民主党・クローズアップ あなたの生活こうなります)

 まず、去年成立した文字・活字文化振興法について。これほどまでに御立派な広報を出しています。「同法では、文字・活字文化の振興は国と地方自治体の責任と明記。図書館整備によって、より読書しやすい環境づくりを進めること、学校教育では『言語力』(読み書きだけでなく、調べる力・伝える力を含む幅広い能力を表す言葉)の育成、また学術的出版物への支援などを求めています。/『文字・活字文化』とは、文章を読んだり、書いたり、出版すること、その結果生まれた出版物などの文化的所産です。人類が長い歴史で培った知識・知恵の結晶であり、健全な民主主義を発達させていくうえで、なくてはならない存在です」ですって。ここまで重視している図書館の存在は、それをバックアップする国立図書館があってこそのものでもあるのですが。
 少し遡ると国立国会図書館自体についての広報もありました (2002年11月)。 業務が広がっていくさまを誇らしげにアピールしています──「一層国民に奉仕していく体制が整いました」と。先の「国会事務局等改革に関する提言」では職員の「増減の要因」として「国際子ども図書館設置、関西館設置、開館日・開館時間増対応」と挙げておきながら、「スリム化」を謳っているのとは大きな違いがあります。
 「一層国民に奉仕していく体勢を整」えさせたのは誰だったのでしょう。時の政権を担っていた政党はどこだったのでしょう。この一貫性の無さって何なのでしょう。

 国内の図書館を整備することに対する国の責務とは如何なるものなのか。
 特に国立国会図書館が果たすべき役割というものをどう全うさせるべきか。
 こうした立脚点を取らない、ただ数合わせで人減らしするような「行政改革」では、本来確保されるべきサービスの悪化(国立国会図書館の場合だと憲法に抵触する事態にも)を招きこそすれ 実のある「改革」にならないことは明らかです。

 長い間 与党の座にある自民党には政策の継続性を保つ努力が求められます。
 また、国会議員(与党も野党も)がこのような粗い議論をそのままスルーさせることが無いよう願っています。前述したとおり、この議論は国会議員の存在を賭けたものなのですから。




■図書館の存在意義を揺るがしかねない「都立図書館大改造計画」

 図書館関連の話題でもうひとつ。

http://motto-library.cocolog-nifty.com/main/2006/02/post_0e2b.html
「[資料紹介]都立図書館改革推進会議による都立図書館大改造計画に対する見解」
(東京の図書館をもっとよくする会)

http://www.geocities.jp/hibiya_bunkai/kai_ken.htm
「都立図書館改革推進会議による都立図書館大改造計画に対する見解」
(都庁職教育庁支部・教育庁支部日比谷分会・教育庁支部三多摩分会)

 これを読んで驚いたのですが、都立日比谷図書館が千代田区へ移管される(予定では 「平成20年4月」。 この件に関しては、私はどこかで小耳に挟んだ程度の知識でした) のに伴い「千代田区民以外に対するサービスは、協力貸出資料の予約は有料とする、有料サービスの費用負担額について区民と区別する」との方針が出されていたのですね。これは酷いと思いますよ。
 もともと都民のために設置された図書館であって かつ「現行サービスを継続」するとの説明で移管しようとしているのだから、区民とそれ以外でサービスに差を付けることが妥当だとは思えません。言ってることと やってることが違うじゃないか、と。特に千代田区外からの利用者が多いともなれば混乱は必至でしょう(納得できない人も少なくないと思うし)。
 他にも、あからさまに図書館サービスを低下させるような方針が打ち出されているようで、都庁職教育長支部らが指摘する内容を読んでいると頭を抱えたくなります(まぁ私はもう都民ではないので何も言えませんが‥‥)。

 あと、この件の一次資料にもリンクしておきます。

http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2005/10/20fas200.htm
「都立日比谷図書館の移管方針について」
(東京都公式ホームページ)

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr050825t/besshi.htm
「日比谷図書館の地元区への移管について」
(東京都教育委員会)

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr050825t.htm
「第二次都立図書館あり方検討委員会報告について」
(東京都教育委員会)

 都立図書館あり方検討委員会の報告に「第二次」があるということは、「第一次」もある。検索してみたら出てきました。
 それとポット出版の『ず・ぼん 8』 (2002年10月) で特集が組まれていまして、これが「第一次」の「検討委員会報告」に対する反応のようです。かなり前から この問題が続いてきたんですね(当時は全然知りませんでした、私)。
 今さらながら読んでみて泣けてきましたよ。これが首都・東京の有様かい、と。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/shogai/toshokan.htm
「今後の都立図書館のあり方
 〜社会経済の変化に対応した新たな都民サービスの向上を目指して〜
 平成14年1月 都立図書館あり方検討委員会」
(東京都教育委員会)

http://www.pot.co.jp/zu-bon/zu-08/index.html
「[読みもの]ず・ぼん全文記事-8号タイトル一覧」
(スタジオ・ポット/ポット出版)

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2006年2月11日 (土)

国会図書館がその存在意義を自ら説明しなければならない政治レベル

http://d.hatena.ne.jp/copyright/20060210/p1
「国立国会図書館の独立行政法人化」
(Copy & Copyright Diary)

http://www.ndl.go.jp/jp/press060210.pdf
「国立国会図書館の役割について」
(国立国会図書館・ PDF)

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO005.html
「国立国会図書館法」
(法令データ提供システム)

 国立国会図書館を独立行政法人化するだの業務整理するだの、そういった動きを報じたニュースなどを 『Copy & Copyright Diary』 さんが集約されています。詳しくはリンクを辿って参照ください。
 そのうちで特にお読みいただきたいのが「国立国会図書館の役割について」です。独立行政法人化への提言(これを出したのは自民党の行政改革推進本部)に対して堂々と反論しています。言い過ぎかも知れませんが、こうした「国立国会図書館の役割」を理解しておくのが日本国民(とりわけ有権者)の義務ではないかと。この反論を報じた読売新聞の記事は酷いもので、本当ならこの「〜役割について」の要旨を(知らない国民には)報じるべきところ、ただ「懸念を表明した」だけであるかのように考えているようです(ネットでの記事を読んだ限りにおいては、ですが。本紙の方がどうなっているのかは判りません)。文字・活字文化振興法との絡みで言えば、読売新聞には詳しく報道する道義的責任があるように思うのですが(やはり只の出版業界振興運動だったってことですかね)。

 実際「国立国会図書館の役割について」を読むと感動しますよ。ここがどのような理想のもとに運営されているのか、そして如何に守るべきものなのか。
 民主的な国家を運営していく上で国会・国民が必要とする知の集積を担う──。このことは本来 国会図書館が自ら説明することではないのですよ。国会議員の一人ひとりが理解していなければならないことでしょう。つまり、自民党が僭越にも「提言」した内容に対して国会議員が異議を出さなければおかしい。このような〈国立国会図書館の縮小〉を許すようなら、国会は自らを縛ることに加担するのと同じです(ちなみに国立国会図書館の役割は行政・司法にも及ぶのですが、ここでは簡略化して書いています)。
 まがりなりにも長いこと政権を担当している与党がこのような「提言」を出すことに、この国の政治のレベルを見るような思いもあります。まぁ質問主意書(これもまた国会の重要な制度)に制限を加えるようなことを言い出す政党ですから、同じような思想のもとでの「提言」なのかも知れませんが。
 国会議員ひとりひとり、そして国民ひとりひとりの見識が問われます。この国のかたちを決めるという意味では、憲法に次ぐレベルの問題ではないかとも思うほどです。

 余力のある方は国立国会図書館法をお読みいただければと思います。どれだけ重要な施設なのか、その組織の規定ぶりを読むと驚かれるのではないでしょうか(その概要は「〜役割について」にも書かれていますが)。




■国立国会図書館→独立行政法人化の話をとりあげたブログ

 はてなブックマーク経由で知った話ではありますが──

http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2006/02/12183645.php
「国会図書館が、自民党の独法化案に反論」
(Internet Zone::Movable TypeでBlog生活)

 舌足らずな私の文章と違って、 『Internet Zone』 さんでの冒頭のまとめが非常に解りやすいです。
 あと、ここからリンクを辿って読ませてもらった記事を以下に。

http://shikado.cocolog-nifty.com/zakki/2006/02/post_c0eb.html
「国会図書館の独法化案について」
(雑記@史華堂)

http://d.hatena.ne.jp/arg/20060204/1139046886
「2006-02-02(Thu):」
(ACADEMIC RESOURCE GUIDE(ブログ版))

 それにしても、国民の知る権利や国権最高機関を支える組織を改編しようとしているのに情報開示が不充分というのは如何なものでしょうかねぇ →自民党。

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2006年2月10日 (金)

出版物貸与権管理センターと日本コンパクトディスクビデオレンタル商業組合との合意内容

http://d.hatena.ne.jp/copyright/20060209/p1
「合意内容」
(Copy & Copyright Diary)

http://blog.livedoor.jp/takanamishin/archives/50581965.html
「貸与権のこと」
(高波伸のブログどえ〜す)

『Copy & Copyright Diary』 さん経由、『高波伸のブログどえ〜す』という漫画家さんのブログにて貸与権にかかる合意内容が報告されているそうです。コミックレンタル事業での使用料をめぐり、出版物貸与権管理センターと日本コンパクトディスクビデオレンタル商業組合 (CDVJ) との間で続いていたアレです。
「結果550円未満の単行本は、新刊中古関係なく210円/冊の使用料が徴収できるようになり、レンタル店が新設される時の大量購入に関しては150円/冊(CDVJに委託するので、実質100円)の使用料が徴収される。新刊が出てから、レンタル店頭に商品が並ぶ準備期間は1ヶ月」──だそうです。意外と高い使用料で「合意」したものだなと思ってしまいますね(本当に合意したんだよね?)。

 ちょっと過去の交渉を振り返ってみましょうか。
 2004年11月 の段階で明らかになったのは、「1冊 400円定価 のコミックの例で、使用料 270円 〜 300円、 作家への還元金 80〜90円」 という貸与権管理センター側の主張でした。これに対して CDVJ 側は「1冊あたり 80〜100円」 を想定した月額固定払方式を求めました。このとき特に問題となったのが「作家への還元金」という部分で、逆に言えば、作家へ還元しない金額が 190円 〜 220円 発生するということになります。これが貸与権管理センターだけではなく出版社・取次に行くらしいということで、貸与権の付与の趣旨とは異なる利権化が見られたわけです。
 当然のことながら この交渉は難航し、 2005年1月に 「暫定合意」が発表されました。1店舗あたり1ヶ月 20000円 (税込み 21000円)。 ここで想定されている使用料は1冊あたり 「60円」 とのことでした。そして正式な協議は継続されていったのです。
 ──ここでの使用料想定額と比較すると、合意されたとする1冊 210円 というのはかなり高い感じがしますよね。

http://www.cdvnet.jp/date/cdvjnews/041119cimicteiansyo.pdf
「コミックレンタルの許諾に関する提案」
(CDVJ ・ PDF)

http://www.cdvnet.jp/date/oshirase/050127rentalcomic.pdf
「1月から暫定料金(2万円/月)で許諾
 正式料金は継続協議」
(CDVJ ・ PDF)

 「合意内容」に戻って考えましょうか。
 気になるところがもう一つありましてね。「レンタル店が新設される時の大量購入に関しては150円/冊(CDVJに委託するので、実質100円)」という部分。よく解らないのですよ。 「CDVJ に委託」って何を委託するのでしょうか? 出版社と直接取引するとかして取次を通さないということなのでしょうか。 まず 150円 を徴収して、その徴収手数料として CDVJ に 50円 バックするという意味なのかも知れません(それでも金額算出の根拠が見えてきませんけどね)。

 そのうち CDVJ 側でも正式発表をするかと思われますが‥‥それまでは解らないことだらけな感じです。現場の漫画家さんだと、どういう説明を受けていらっしゃるんでしょうかね? (『高波伸のブログどえ〜す』さんでは貸与権の管理委託契約の打診は受けてるんでしょうか。)




■『高波伸のブログどえ〜す』さんの当該記事を読んで

 ただネタ元にしておくだけなのが勿体ないというか、ツッコミたいところがあるというか。
 でも いろいろ考えていらっしゃる様子も見受けられたりで、ただツッコミっぱなしというのも躊躇してしまうという、なかなか味わい深い記事だったりします(こういう心の揺れた文章も好きですよ)。

 冒頭の、「当初はブックオフ、マンガ喫茶をどうにかしたかったのだが、攻め方が見えずどうにもならないので、TSUTAYAなどで前例のあるCD,DVDレンタル組合、CDVJを相手に戦略を進め、昨年1月、国会で貸与権が可決したようだ」という業界側の“目論見”はツッコミどころですよね。書籍・雑誌へ一律に貸与権を付与したため、今後 大きな弊害が発生しかねない──なんてことは全く考えていないわけで。
 しかも「ブックオフ、マンガ喫茶をどうにかしたかった」という発想そのものがアレですよ。業界の努力を全くしないで(コミック単行本の価格は順調に上がっています。笑)法律での取締りに頼ろうとする安易さもさることながら、中古規制もマンガ喫茶規制も現行著作権制度では不可能であって、実現する可能性が極めて低い(反発も強い)というオチ。その「攻め」始めに実現されてしまった書籍・雑誌の貸与権というのは いいツラの皮だったりしますが。
『高波伸のブログどえ〜す』さんでも中古規制とマンガ喫茶規制について考察されています。権利者にありがちな発想ではなく、きわめて素直に考えていらっしゃって好感が持てるところです。「基本は古本屋なので、これを規制すると神保町の古本屋まで規制されてしまうという事なのだろう」、「『喫茶店にただ置いてあるのを読んでもらってるだけ』と言われてしまえば規制は難しいという事なのだろうか」。そういった点こそが、著作権法改正の課題にすら採り上げられなかった理由でしょう。
 ──本来だったら、今回実現してしまった貸与権の話も『高波伸〜』さんのような考え方で議論されるべきだったんですよね。それなのに、現状では出版社の取り分・取次の取り分などといった歪んだ運用がされるおそれが依然としてある。「実際話を聞いていると、ほとんど作家ではない、弁護士や専務理事のおかげで貸与権が認められ、CDVJとの合意も得られたようだ」との一文と合わせて、この制度の歪みを見る思いがします。

 最後に、当該記事では 「RRAC、10年後には自社ビルをかまえて、JASRACのように社会見学のできるような団体になってほしいですね」とあるんですが、私としては JASRAC の悪いところは見習わないようにして戴きたいと強く願うところであります。というか、すでに JASRAC 的な利権の臭いが‥‥。

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2006年2月 3日 (金)

図書館の運営は国の責務じゃなかったのか?

http://gomame.cocolog-nifty.com/library_copyright/2006/02/post_65a9.html
「国会図書館、独法化か!?」
(Library & Copyright)

http://www.sankei.co.jp/news/060202/sei028.htm
「国会図書館、独法化へ 自民行革本部、国会改革の目玉に(02/02 10:20)」
(Sankei Web 政治)

http://d.hatena.ne.jp/copyright/20060202/p2
「国会図書館関連本」
(Copy & Copyright Diary)

『Library & Copyright』 さん経由、産経新聞に「国会図書館、独法化へ」との記事が掲載されたそうです。「自民党行政改革推進本部(衛藤征士郎本部長)は1日、国立国会図書館の独立行政法人化を求める方針を決めた。政府の公務員総人件費削減に合わせたもので、行政機関よりも遅れている国会(立法機関)の改革を進めるための目玉に位置づける。9日に総会を開き、国会図書館の独法化を含めた国会改革案の了承を得る方針。その後、公明党や野党の協力も得ながら、平成19年度から順次実現させたい考えだ」とのこと。
 国会図書館をめぐる議論について詳しいわけではないので私は何も言えないのですが、素人考えをしてみれば〈国会図書館は国が運営(その独立性は当然確保)すべき施設〉だと思ったりします。まして国会の活動を保証する存在でもあるわけですよ(こちらの方が優先される業務)、国政調査権の行使や立法に深く関わっているという点では。国会の活動や国民に対する図書館奉仕(こちらは産経に「副業」と揶揄されているところですが)を阻害し、民主主義の根幹を揺るがすことになりやしないかと危惧するところなのですが。

 与太話的に言を続ければ、この独立行政法人化って全会派一致で可決された文字・活字文化振興法の「国の責務」に反する方針じゃないですかね?

 ちなみに 『Copy & Copyright Diary』 さんで国立国会図書館のことを知るための参考資料を挙げていらっしゃいます。実は私、このうち『国立国会図書館入門』は読んだことがあるのですが(図書館から借りて。笑)、まだアマゾンに在庫があると知って驚いています。確か以前は品切れの状態だったもので、ちょっと欲しいかも‥‥。

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2006年1月24日 (火)

出版物貸与権管理センター×CDVJ の協議が進展したとの報道‥‥なのだが、判らないことだらけ

http://d.hatena.ne.jp/copyright/20060123/p1
「基本合意?」
(Copy & Copyright Diary)

 『Copy & Copyright Diary』 さんによると、「管理センター CDVJ 貸与権で基本合意 年内正規運用で交渉継続」との記事が文化通信に掲載されたのだそうです。話の出所は日本雑誌協会の理事会、 12月16日に 「基本線での合意」があったとのこと。
 しかし、同じ記事で「使用料率を含め、細部の合意が残っている」などとも書かれているようです。

 ──あれ?
 確か CDVJ (日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合)と貸与権管理センターとの協議で揉めてたのは この「使用料率」ではありませんでしたっけ? ということは、去年1年かけて話あっても全然 話し合いが進展していなかった‥‥?
 実のところ、この書籍・雑誌貸与権にかかる管理事業者と利用者代表との協議の情報は、 2005年1月末に 運用準備のための暫定合意をしたとの発表があってから、何も流れてきませんでした。つまり協議の話がほぼ1年ぶりに窺えたということになります。が、見るべきところが無い。
 CDVJ の方だって使用料の支払いをすること自体は拒否していないのですから、「基本合意」していたのですよ、去年1月の段階で。それを、1年かけて何が話し合われたのやら。使用料が決定しないのであれば「年内正規運用」なんて出来るわけないでしょうに(貸与権管理センターは使用料規程の提出を義務づけられていますから、これが決まらないとそもそも管理事業を行なうことが出来ないのです)。

 ちなみに、私は この協議の情報を知る前に知財戦略本部へ意見を出していました(余談ですが、『ロージナ茶会の日常を、あなたに』(ロージナ茶会公式 BLOG) さんでも貸与権に関する意見も提出されたようです。こちらは実態調査が必要との観点からの意見。ほかにも知財戦略にかかる本質的な意見が掲載されていて参考になります)。貸与権管理センターが動かないことには、書籍・雑誌にかかる貸与権を停止するしかあるまい──というのが私の考えです。
 こういう知財戦略本部の意見募集が関係してるかは全く判りませんが(というか関係ないですかね やっぱり)、今まで散々情報公開を怠っていた癖に、今になって未合意のまま情報を流すというのは何か裏がありそうな感じがします。あるいは体裁を取り繕ってるだけかしら。何度も言いますが、使用料で合意していないのに「基本合意」などとするのは何も言ってないのに等しいですよ。
 いずれにせよ『Copy & Copyright Diary』 さんも記事に書かれているように、一日も早く「合意」内容とやらを公開してもらいたいものですね。


(余談)
 全然関係ない話ですけど、貸与権管理センターの顧問が三田誠広・角川歴彦の両氏というあたり、その体質を象徴するような気がしませんか?

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2005年12月28日 (水)

船橋市西図書館蔵書廃棄事件・覚え書き

 ──自分用メモです。
 『図書館員の愛弟子』の記事で、最高裁判決の評釈が掲載された雑誌などの情報がまとめられています。私は今 知財戦略本部のパブコメに注力しているところですので、ちょっと後回しにして心苦しいのですが そのうち資料集めをして読んでみたいと思っています(その頃には複写も大丈夫になってるでしょう。笑)。

http://lomax.cocolog-nifty.com/apprentice/2005/12/3_ec3a.html
「船橋市西図書館蔵書廃棄事件・差戻審判決の覚書(3)」
(図書館員の愛弟子)

 なお私のスタンスとしては、図書館の自由を保障しつつ その運用をチェックすべきは一般市民であるというものです。すなわち本の著者は口を出すな、と。
 図書館というのはワケノワカラン公務員が働く場所ではなく、知の集積を代行する者たちが働く場所なのです。すなわち、あそこにあるのは我々自身の知であり、それを委ねることのできる人たちを(我々が)置いている場所なのです。我々が持つ権利と責任において、決して無関心でいるべきでない施設です(行政全般にそれは言えますが)。
 理想どおりに行くのなら、我々も図書館員さんたちも苦労はしないんですけどね(予算が充分に無いことがその代表例。件の裁判だって、司書が自身の職権を逸脱したからこそ起きたものですし)。

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2005年11月30日 (水)

船橋西図書館蔵書廃棄事件・差戻審判決

http://lomax.cocolog-nifty.com/apprentice/2005/11/post_cfd1.html
「船橋西図書館蔵書廃棄事件・差戻審判決の覚書」
(図書館員の愛弟子)

http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-26.html
「蔵書破棄訴訟差戻し控訴審判決」
(Because It's There)

http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20051128/1133111574
「船橋西図書館焚書事件差戻審」
(言いたい放題)

http://tatuya.niu.ne.jp/copyright/column/11.html
「著作権コラム第十回:船橋図書館蔵書遺棄事件判決を読む」
(“presented by tatuya”)

 船橋西図書館の蔵書廃棄訴訟で差戻審判決が既に出ていまして、私は 『Copy & Copyright Diary』 さんで知ったクチなんですが、これが何というか、賠償額は(請求額と比べ)著しく低いは、訴訟費用が殆ど原告持ちだはで、「逆転勝訴」とされた最高裁判決から一転して(原告側にとっては)厳しい内容となっていました。まぁ、もともと私は最高裁判決の方に疑問(というか違和感)を持っていましたので、最高裁判決を覆せない中でバランスを取ったのかなぁと思ったりもしましたが。賠償額を低く算定して訴訟費用も原告に負わせるというのは、読売新聞の見出し訴訟を彷彿とさせますよねぇ(思えば あれも不法行為の認定が曖昧で、首を傾げたくなる判決ではありました)。
 『図書館員の愛弟子』さんの記事で他ブログでの関連記事もリンクされていまして、これがまた充実した内容だったもので私も勉強させていただきました。ついでに便乗して記事にさせてもらおうかなと思った次第です。

 ここでは当該リンクから幾つかピックアップします。詳しいことは『図書館員の愛弟子』さんの記事を御覧ください。
 今回の差戻審判決については、 『Because It's There』 さんが簡潔にまとめていらっしゃいます。賠償額の算定は妥当であるとの見方のようです。逆に『言いたい放題』さんでは算定額に疑問を呈されています(あと、ここでは各紙報道をまとめて引用されていますので資料にもなります)。差戻審の前に発表されたものですが、本件最高裁判決の読み方を解りやすく説明した「船橋図書館蔵書遺棄事件判決を読む」 (“presented by tatuya” さん)も必読の内容です。

 ところで、低く算定するという今回の賠償額は最高裁の想定として織り込み済みだったのでしょうか? 原告側は「再上告」するとしていますが、これが受け入れられるのか否か。このような結論が織り込み済みだったとしたら、あっさり終わる可能性もあったりしませんかねぇ。




■当記事の掲載と前後してしまいましたが

http://lomax.cocolog-nifty.com/apprentice/2005/11/2_9ceb.html
「船橋市西図書館蔵書廃棄事件・差戻審判決の覚書(2)」
(図書館員の愛弟子)

 『図書館員の愛弟子』さんで「覚書」の続編がアップされていました。これを読んで、『ず・ぼん』を読もうと改めて思いました。

(追記: 2005.11.30)




■ホントに「再上告」しちゃったよ。

http://www.asahi.com/national/update/1207/TKY200512070085.html
「船橋市蔵書廃棄訴訟、著者側が再び上告」
(asahi.com - 社会)

 「千葉県船橋市立図書館の司書が『新しい歴史教科書をつくる会』や関係者の著作などを処分したことをめぐる訴訟で、著者側は、原告1人につき3千円の支払いを同市に命じた差し戻し控訴審判決を不服として6日、最高裁に再び上告した」とのこと。
 先の上告審で一定の司法判断があったわけですから、それを覆すことがあり得るのか否か。それとも賠償額だけを判断するのかしら? 教えて →偉い人。

 私個人としては、もう少し「図書館の自由」に配慮した判断をこの機会にやり直してほしいと思ったりしますが‥‥淡い期待でしかないのでしょうねぇ。
 問題の本を廃棄した司書(ただし本裁判で賠償責任は負わされていない)の行なった行為が妥当なものでなかったのは間違いないとしても、それを強調するあまりに図書館の自主的な活動を阻害するような司法判断があっては困ります。図書館が困るのではない、日本国の国民が迷惑するのですよ。
 本の著者と図書館との問題ではなく、本の著者と国民との利益のバランスを考えなければならないところです、ここは。知る権利をどのように確保するのか、その活動として図書館の自主性をいかに実現するのか。“本の廃棄は著者の利益を損なう”などと一概に言い出したら(間接的にでも)図書館の活動を阻害することとなります。すなわち知る権利にも少なからぬ影響を与えるという。
 著者が図書館の選書に口出しすることは かなりお門違いな行為であると、そう思えてならないのです。残念ながら、今のところ司法判断はそうなってませんが(認めた「利益」の範囲は限定的なのでしょうけど‥‥)。

(追記: 2005.12.7)

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2005年11月17日 (木)

国立大学図書館協会から声明

http://d.hatena.ne.jp/copyright/20051116/p1
「国立大学図書館協会の声明」
(Copy & Copyright Diary)

 『Copy & Copyright Diary』 さん経由、国立大学図書館協会から声明が出されたとの話題です。声明の中身は図書館予算の増額を求めるもののようです。
 これは国立大学内の図書館の話でして、私は一般利用者としての立場でしかありません。だから関係ないと言えなくもないのですが、実のところ 「iPod 税」パブコメの際には北海道大学付属図書館にお世話になっていたりしますし、これからもお世話になりたいなぁと思っているもので、他人事とも言っていられません。それこそ雑誌資料を調べるなら、ここが一番近くて便利だったりしますから。

 とは言え、私のような一般国民に何ができるのかは判りません。だからせめて、こうした予算の問題が存在しているのだと心に留めるだけでもしておこうかと思います。
 私の希望としては、(国立大学図書館に限らず)一般に流通した情報は いつでも図書館ネットワークで捕捉できるように保存しておいてほしいという所にあります。究極的には国立国会図書館で保存ということになるのでしょうけど、やはり自分から最寄りの図書館でもある程度は情報を保存しておいて貰わないと。
 これが、研究を専門にやっている国立大学内の人たちなら尚更でしょう。

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2005年11月13日 (日)

法制小委「報告書(案)」の明暗

http://gomame.cocolog-nifty.com/library_copyright/2005/11/post_03a7.html
「図書館関係、全滅・・・」
(Library & Copyright)

http://blog.livedoor.jp/whats_my_scene/archives/50238474.html
「2年間のしっかりしたロビー活動で成立を目指すという可能性もある訳で…」
(what's my scene?)

 11日の 法制小委#9を受けて、続々とブログ記事が上がっています。
 特に、 『Library & Copyright』 さんの記事は必読です。今までの流れとしては要望実現が認められそうだったのに、急に「全滅」となってしまった図書館関係について感想を述べられています。私も同感です。
 もし事実に反する認識を事務局が示しているのなら、図書館協会は早急な対応が必要となるでしょう。事実関係を発表し(そして周知させ)、事務局に抗議し、法制小委の委員とコンタクトをとるべきです(審議の内容を正確に把握するには こちらを先にやるべきかも知れません)。事務局の心変わりを図るよりは、委員を味方につけるのが先決でしょう。

 「iPod 税」反対の観点では、 『what's my scene?』 さんの記事に頷かされます。「ロビー活動」に注意を払う必要があります。前の「輸入権」騒動の教訓です。

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2005年11月 9日 (水)

彼らの目的は利益誘導だ── 「文芸5団体」公貸権要求

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20051108ij21.htm
「文芸家協会など5団体、図書館の充実求める声明」
(文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞))

 読売新聞にこんな記事が。文字・活字文化振興法に便乗して「日本文芸家協会、日本ペンクラブなど文芸5団体」が「著作者らへの補償金制度の確立を求め」たそうです。短いながらもポイントは押さえた記事です(多少皮肉まじりです)。
 「図書館の充実」を求めているように見せかけて、実のところ公貸権を要求しているのですね。すなわち図書館から、実際の本の購入額よりも より多くかすめ取ろうということです。“図書館のせいで書籍の売上げが落ちる”などという奇妙な“論理”でもって従来より出されてきた要望ですが(もっとも今の図書館の図書購入状況に全くの問題なしとは私もしません)、この「補償金」とやらを図書館予算から出すにせよ、公的基金を作るにせよ、結局は国民全体の話になってくるのです。
 よく考えましょう。図書館という、知を集積する公共機関にかかる社会的コストから「文芸家」が(従来の資料購入費に加えて)上前をはねることが合理的なのか。本当に図書館奉仕が「文芸家」への「補償」を必要とする行為なのか。これは何のための「補償」なのか。

 再販制下で価格は高止まり、絶版が多くてそもそも入手できない本ばかり、そう言えば住宅街の書店が消えている──とまぁ、本の流通をめぐるマイナス要因が非常に多いわけですが、これを補完しているのが図書館なのですよ。しかも文字・活字文化振興法にも、「文字・活字文化」を国民にもたらす存在として図書館が明示されています。
 そういった「文字・活字文化」振興と、「文芸家」が求めている公貸権とは全く相容れないものではないでしょうか(「文芸家」自身の収入増もまた「文字・活字文化」に資するところではあるでしょうが、その解決策は図書館に求めるのではなく出版社に求めるのが筋というものでしょう。出版契約・書籍流通の見直しをせずして、安易な「補償金」に頼るのでは「文字・活字文化」の「振興」などおぼつかないと思います。それこそ私的録音録画補償金という利権を守るのに汲々としてビジネスチャンスをどんどん潰している音楽業界のように。ユーザーの視線に晒され続けているのを忘れている「文芸家」に未来はありますかねぇ)。

 じきに当該団体から声明全文が発表されることでしょう。それを待って、何かあればまた感想を述べたいと思います。私の意見の方向性は変わらないと思いますがね。

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2005年11月 3日 (木)

「国立国会図書館近代デジタルライブラリー等のアーカイブ事業に関する質問主意書」

http://gomame.cocolog-nifty.com/library_copyright/2005/11/post_51f9.html
「国立国会図書館のアーカイブ事業に関する質問主意書が!」
(Library & Copyright)

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/163034.htm
「第163回国会 34
 国立国会図書館近代デジタルライブラリー等の
 アーカイブ事業に関する質問主意書」
(衆議院)

 『Library & Copyright』 さん経由です。
 何日か前に民主党・川内博史議員の質問主意書の話を採り上げたのですが(私的録音録画補償金についてでした)、それより少し前にこんな質問主意書も川内議員から出されていました。国立国会図書館のアーカイブ事業についての質問主意書です。
 今のところ、まだ両方とも質問主意書の中身は公表されていません。読めるようになるまで期待して待ちたいところです。

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2005年10月31日 (月)

活字文化の良さを伝えられない「活字文化振興」側

http://banraidou.seesaa.net/article/8722567.html
「活字文化振興におけるネガティブなフレイヴァー」
(万来堂日記)

 『万来堂日記』さんで、文字・活字文化振興に関する所感を掲載されています。
 私は、「文字・活字文化振興」は書籍・新聞などに偏りすぎる上に、話し言葉よりも書き言葉の方が優れているかのように主張されると評し批判的意見を何度か表明してきました。そうした記事で私の思うところがきちんと表現されているかは疑問だったりしますが、『万来堂日記』さんのこの記事で膝を打ちました。
 ──私が言いたいのもこれだったんですよ(笑。我ながら狡い言いぐさ)。

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文字・活字文化振興法は国民の期待を一身に(笑)

http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/50154708.html
「活字文化振興法『期待せず』 55%(笑)」
(マスコミ不信日記)

 『マスコミ不信日記』さんで、 10月28日付 読売新聞の世論調査を紹介されています。私もこの読売記事の見出しは見かけてたんですがスルーしていました。「期待せず」が 54.5% しかなかったんですね(笑)。
 知への探求は、必ずしも本でなければ出来ないものでもありません(本から得られる知は無視できないほど大きいのも事実ですが)。逆に言えば、こうした世論調査で出てくる読書のうち、どれほどが知への探求の手段なのか。意識的にブログを閲覧するのと ただ楽しみのために本を読むのとでは、その優劣は一概に決められないのではないかと思うところであります(もちろん楽しみの為に読むことを貶めるものではありません)。
 読書をするかしないかを調査することで何かを解った気になるというのは、いいかげんやめて貰いたいですね。どうせ調査する側は新聞や出版の“地位”を保つことにしか興味が向いていないのでしょうが。

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2005年10月29日 (土)

「文字・活字文化の日」は盛り上がらずして‥‥

http://d.hatena.ne.jp/copyright/20051026/p1
「JLAの提案」
(Copy & Copyright Diary)

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jla/mojikatsuji2.pdf
「『文字・活字文化振興法』を実効あるものにするために」
(日本図書館協会・ PDF)

 10月27日は 「文字・活字文化の日」だったのですが、皆さんが如何お過ごしだったでしょうか。この「文字・活字文化の日」を意識しているのは ほんの一部だけで、某「見出し使用は著作権侵害」新聞社くらいでしか採り上げられない惨めな一日だったようではありますが。
 さて、この「文字・活字文化の日」に先駆けて日本図書館協会から「政策提案」の素案が発表されていました(ネタ元は 『Copy & Copyright Diary』 さん)。図書館予算の拡大と司書配置の充実が主なところでしょうか。本当に図書館サービスが充実してくれば、利用者たる我々としても嬉しい限りなのですが‥‥。

 あと私の別ブログでトラックバックを戴いた記事も紹介しておきます。読売新聞 10月28日付で 中高年の「本離れ」についての記事が載っていたそうですが、本や新聞が読まれないことだけを問題視する そうした見方に疑問を呈している意見です。
 私はこの意見に共感しています。また、文字・活字文化振興法が出版業界・新聞業界をさらに保護しようという流れの中で出てきたこと、逆にこの法律の定義ではブログ等インターネットでの情報も「文字・活字文化」の一翼を担っていることを敢えて指摘しておきたいと思います。
 本・新聞を過剰に神聖視することは、「文字・活字文化」が何なのかという概念を歪めるだけの害しかありません。前にも同じことを書きましたが、本・新聞は「文字・活字文化」のほんの一部分でしかなく、さらに「文字・活字文化」は日本語文化の一部分でしかないのですから(話し言葉を書き言葉より劣るとする考え方は適切でありません)。文化というものはそれぞれ一長一短、しかしその間には決定的な優劣など存在しません。そうした相対的な意識がなければ、「読書運動」をやったところで社会的な成果には繋がらないでしょう(本を読む子供は増えるかも知れませんがね)。

http://sex-therapy.cocolog-nifty.com/editor/2005/10/post_5e38.html
「活字離れや本を読まないことを“問題視すること”に対し、
 一編集者として反論します!
 ※よーく見てね、活字離れや本を読まないことへの反論なんてな
 凡人タイトルじゃないからね! <中高年、本離れ進む>」
(元フリーター編集者の出版日記)

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2005年10月27日 (木)

「船橋西図書館蔵書廃棄事件差戻審の判決言渡しの予定」

http://lomax.cocolog-nifty.com/apprentice/2005/10/post_a055.html
「船橋西図書館蔵書廃棄事件差戻審の判決言渡しの予定」
(図書館員の愛弟子)

 司書が独断で蔵書を廃棄したことが著者の利益を侵害するのかが争われた裁判で、いま高裁に差し戻されている判決がいつ出るのか『図書館員の愛弟子』さんが確認されたのだそうです。確か、利益を害するという判断は覆らないだろうから賠償額算定をするためだって話でしたよね、今回の判決の内容は。
 さて、どう計算されてくるんでしょうか?

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2005年10月25日 (火)

あんまり「文字・活字文化」を繰り返すと胡散臭くなるよね

http://www.komei.or.jp/news/daily/2005/1024_02.html
「心の豊かさ耕す機会に:
 活字文化振興法の理念具体化へ全国で多彩な行事
 公明推進の文化芸術基本法の個別法」
(公明党ホームページ:デイリーニュース)

 公明党サイトで文字・活字文化振興法関連の記事が掲載されています。
 10月27日を 「文字・活字文化の日」として定め、文化庁によるシンポジウムなどが企画されているのですが、その他にも『手書き文字ばんざい!』というイベントや「朝の読書」運動なども紹介されています。
 文字・活字文化振興法においては「文字・活字文化」を次のように定義しています──「活字その他の文字を用いて表現されたもの(以下この条において『文章』という。)を読み、及び書くことを中心として行われる精神的な活動、出版活動その他の文章を人に提供するための活動並びに出版物その他のこれらの活動の文化的所産」。かなり範囲が広いのですね。
 要するに、書も本も雑誌も「文字・活字文化」です。ウェブサイトもブログもメールも含まれます(含まれないとは言わせません)。そういう広い概念での「振興」を目指す法律ですから、その一部(たとえば出版や書など)を振興するあまり他を阻害することは趣旨に合致しないわけです。今後展開されていくであろう施策について、「文字・活字文化」を広く捉えているか、一部の業界に利することを目的としていないかに注意する必要があります。

 ところで、私はいつも疑問に感じているのですけど、「文字・活字文化」ばかり振興しようとして「話し言葉」をないがしろにすることは構わないんでしょうかね? 「文字・活字文化」というのは日本語文化の一部でしかないと思うのですが。
 確かに、「文字・活字文化」は大事だと思うのですよ。私もこうして文章を頻繁に書いている身ではありますし、また文章を書くことで得ているものも少なくありませんから。書くことを中心にして さまざまに認識を試みている節があります。
 書き言葉と話し言葉は異なるとされます。話し言葉は特に変化が大きく、「乱れている」などと言われることが多いものです。しかし自然言語たる日本語を考える上では むしろ日本語の本質を示しているとも言え、書き言葉の充実は話し言葉というバックグラウンドがあってこそです。話し言葉が枯れれば、書き言葉も痩せていきます。そういった意識が「文字・活字文化振興」にはあるのか否か。
 どうも「文字・活字文化」を標榜する人たちって、話し言葉よりも書き言葉の方が優位にあると思い込んでいるように見えてならないんですよね‥‥。私は「文字・活字文化」だけを振興するのではなく、日本語文化自体をもっと考えろよ──と苦々しく思ってます。

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2005年10月24日 (月)

著作権保護期間の安易な延長は文化の多様性を奪う

http://blog.drecom.jp/ecolin_profile/archive/464
「著作権法70年はやはり問題ありでしょ?」
(ふっかつ!れしのお探しモノげっき)

 『ふっかつ!れしのお探しモノげっき』さんで、著作権保護期間の延長問題が採り上げられています (『Copy & Copyright Diary』 さんの記事に触発されたようです)。ここ数年「新訳の出版が増えている」とか。著作権切れのために各出版者からの新訳が相次ぎ、ちょっと前に話題になった『星の王子さま』が代表例ですね。
 文化というのは多様性が命です。多様性が新たな創作のきっかけを作り、さらなる多様性を生んでいきます。特に翻訳本の場合には幾通りもの訳し方があるわけで、訳本が複数出版されることは原著への理解を深める絶好の機会と言えます。また、日本語表現そのものの多様性を味わう機会にもなります。いずれも、文化の発展に資するのです。
 翻訳に限らず、創作というものは過去に発表された作品を下敷きにして行なわれるものです。今どこかの漫画家がパクったとか何とかで話題になっていたりしますが、これは程度問題であって、本来パクりパクられるのが文化の本質と言えます。そもそも「文化の発展」という概念自体、過去の文化を踏襲し新しいアイディアを加味していくというものなのですから。また、創作をやっていくには、その前段階として鑑賞や模倣が必要です。これらをまとめた「利用」の促進が無ければ、文化の発展はあり得ません。
 もっとも無制限にパクリを認めては、新たに創作していこうという人が出てこなくなるんじゃないか、創作者が生活していけるようには保護していこうじゃないかという考え方もあります。自由利用が進むあまりに「文化の発展」が低下していけば本末転倒ですから。そこで設けられているのが御存知・著作権制度ですね。しかしこれが行きすぎると「文化の発展」が阻害されます。過去の文化を踏襲できなくなりますから。
 著作権保護期間という問題は、上のような創作者保護と利用促進とのバランスを見据えたところで考えねばなりません(まぁ保護期間に限らず、全般的に言えることではありますが)。保護期間を「死後 50年間」 から「死後 70年間」にすることが適切なのか否か。死後の保護が長くなれば創作は活発化するのか。逆に、保護期間が延びることで、青空文庫などの著作物保存・利用の試みが阻害されたり、新訳出版ブームに水を差したりすることになります。これをどう考えるべきか。
 私は、今以上に保護期間を延長するという動きを文化庁らが見せれば、反対の声を挙げます。ただでさえ、現行の著作権制度は文化発展を阻害するところまで強化されすぎていると思いますから。

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2005年10月 9日 (日)

活字文化の日、シンポジウムという名の決起集会?

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/
20051008ij21.htm

「10月27日は活字文化の日、文化庁長官招きシンポ」
(文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞))

 文化庁が「活字文化の日」にシンポジウムを開くそうです。国会でろくに審議されず成立した文字・活字文化振興法(施行済)を受けての話。今後、この法律については「施策」として再販制の維持・版面権の創設などといった方面に悪用されないかが心配されるところです。図書館関係とくれば、公貸権の話が出てきかねないし‥‥。
 もともと権利者寄りの動きが多い文化庁、このシンポジウムが中立の立場で開かれるのかは甚だ疑問ですし、下手すると権利者側の総決起集会になるんじゃないかと私は妄想たくましくしてるのですが‥‥詳しいことは後日発表になる模様です。

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2005年10月 6日 (木)

図書館関係のパブコメ

http://blog.goo.ne.jp/bartk/e/ddfda5f03325b4061c2d04237a5b7d97
「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会へのパブコメについて」
(教えて!サルトル!!)

 図書館関連でもパブコメを公開されている方がいらっしゃいます。
 私はまだ図書館関連のパブコメ(「権利制限の見直しについて」)は出していないんですが、「教えて!サルトル!!」さんほど詳しくは書けないにしても、何とか時間を作って提出したいと思っています。

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