2009年3月30日 (月)

著作権分科会 #28 ――フェアユース戦線はいつもの風景

 3月25日に、文化審議会著作権分科会の第28回会合が開かれた。この分科会では1月に前期・2008年度までの報告書が出され、それを受けて3月10日に今国会へ著作権法の改定案が提出されたところだ。法案の方は衆議院で先に審議される予定らしいが、30日現在でまだ審議は始まっていない。ともあれ、法案提出を前期の区切りとして、25日は今期・2009年度の分科会運営について話し合われる最初の会合となる。

文化審議会著作権分科会(第28回)
  日時:平成21年3月25日(水)
     10:00~12:00 ※実際には30分ほど早く終了
  場所:三田共用会議所 3F大会議室

【議事】
1 開会
2 委員及び文化庁関係者紹介
3 議事
(1)文化審議会著作権分科会長の選出について
(2)小委員会の設置について
(3)その他
4 閉会

【配付資料】
資料1 文化審議会著作権分科会委員名簿
資料2 「著作権法に関する今後の検討課題」
    (平成17年1月24日・著作権分科会決定)
    の概要とそれ以降のこれまでの審議状況
資料3 小委員会の設置について(案)

参考資料1 文化審議会関係法令等
参考資料2 文化審議会著作権分科会(第27回)議事録
参考資料3 著作権法の一部を改正する法律案の概要
      ※配付資料には法律案そのものも含まれていた。
参考資料4 デジタル・ネット時代における知財制度の在り方について(報告)
      (平成20年11月27日 知的財産戦略本部デジタル・ネット
      時代における知財制度専門調査会)
参考資料5 広崎委員意見書
      (第9期文化審議会著作権分科会の運営に対する意見)

 分科会の運営の話——と言っても、実際に議論をする場は、分科会の下に設けられる「小委員会」の方である。だからこの小委員会をどう設置するのかが話の中心になる。
 昨年まで設けられていた、iPod全盛の今の時代に適合した私的録音録画補償金制度を話し合う「私的録音録画小委員会」と、保護期間の延長の是非を議論する「過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会」は、前期最終回にあった予定のとおり解散となった。今期設置されるのは3つ、「基本問題小委員会」「法制問題小委員会」「国際小委員会」だ。

 基本問題小委員会は、「著作権関連施策に係る基本的問題に関すること」を議論するとされる。この表現自体は配付資料にあった文言を引いているだけだが、あまりにも漠然としすぎてはいる。事務局が説明する中で例示した議題は、私的録音録画補償金と保護期間延長の問題だ。つまり解散された2つの小委員会を吸収したような形のようだ。それぞれの小委員会でも持て余してしまった議題なだけに、他の「基本的問題」を扱いつつこれら二つの議論も進められるのかは疑問。議題設定に文化庁の恣意が反映しやすいだけに、注視したい。
 「基本問題」と銘打っているだけに、事務局は方針として「文化政策的な見地から大所高所の議論をしていただける場として設置してはどうか」と提示している。この文化庁の言う「文化政策的な見地」が果たして好ましいものになるのか、私見だが微妙に思えてならない。「保護」だけが文化政策ではなく、しかもコンテンツ産業だけが「文化」ではない——そこからこぼれるものを無視したり、あるいは一緒くたにしすぎた結果が、〈時代の流れに対応できていない著作権法〉という今の状況なのではないか。
 長いこと著作権分科会の動きを見てきたためか、かなりうがった見方をする私ではあるが、心配の種が尽きないというのが正直なところである。

 法制問題小委員会は「著作権法制度のあり方に関すること」を話し合うということで、著作権法学者中心の構成で例年通りの設置。ここでは、前期まで議論しながら課題として残されているものに加え、「放送・通信の一元化への対応」「権利制限の一般規定」などが新たに挙げられている(事務局説明より)。議題てんこ盛りになるいつもの展開なのは間違いないが、その中でも最も注目が集まるのは「日本版フェアユース」だろう。

 国際小委員会も前期に引き続いて設置される。国際条約などで国内法制に対応すべき点が出てきた場合、その議論をここで行うのが主な役割なのだが、近年はこの種の動きが少なく会合が開かれるのも年に数回程度だった。もっとも前期最後の会合で「国際的な議論に先行して検討課題を設定しよう」との方針が出ており、また「模倣品・海賊版拡散防止条約」ACTAの展開も注目されるところなだけに、今期に大きな議題が持ち上がることが予想されないわけでもない(ただしACTAの中身が明らかにならないことには、今後の影響をはかることができないが‥‥)。

 今年度の小委員会はおそらく4月に入ってから本格始動する。まだ委員構成などは明らかにされていないが(たぶん事務局から本人への打診は始まってるだろう)、大ネタの未消化が目立つ著作権分科会である。バタバタと“審議したつもり”“結論が出たつもり”で片付けられることがないよう、注視していきたい。

委員発言から――

 以上が、分科会で本来話し合われるべき議題だった。しかし結果としては、いくつかの論点で委員発言が相次いだ会合となった。その論点とは、「日本版フェアユース」「美術品等のオークションでの商品画像」「不明権利者に関する裁定」の3つだ。このうちフェアユースは今後の議論に対する委員からの牽制という位置づけになるが、オークションと不明権利者については既に出された法案への質問という形。
 それぞれ、私の傍聴メモから書き起こした発言内容を引いておく。なるべく発言趣旨は変えないようにしているが、なにしろ私のやることなので必ずしも正確ではないかと思われる。正確なところは後日 公式の議事録に当たっていただくことを推奨する。各論点ごとにまとめてもいるので、発言順も前後していることにご注意を。

石坂委員(日本レコード協会会長)
 「日本版フェアユース規定」導入の今後の検討について。
 権利を制限しなければ不都合が生じるという具体的事例について、権利保護と利用のバランスを十分に吟味ないまま拙速に検討が進められるのを懸念している。公正な利用といっても、そこで想定される要件は様々だ。「日本版フェアユース規定」の検討は著作権法の根幹にかかわる内容なので、法制問題小委員会だけでなく基本問題小委員会でも検討し、多面的な議論をお願いしたい。

三田委員(作家・日本文藝家協会副理事長)
 新聞などで報道されているが、アメリカのGoogleが、いくつかの図書館の蔵書をすべてデジタル画像でデータベースを作った。これは日本の著作権法で言えば明らかに複製権の侵害。これについてアメリカの作家たちが裁判を起こし、一定の和解案が出て、補償金を払うという結論が出た。それが日本の作家や出版社にも関係してくるということで、日本でも大変な混乱が起きている。何がどうなっているのかを調べるのに、出版社や文藝家協会などで人を雇って調査をしなければならない実害が出ている。
 Googleは告知広告で、こういった和解があったとは知らせているが、謝罪の言葉が無い。明らかに法律に抵触することをしながら‥‥。アメリカの法律に「フェアユース」という概念があって、和解が成立して補償金を払う結果になっても、これは和解であって自分たちは「フェア」だと考えている。
 同じようなデータベースの作成が日本では国会図書館で行われている(註:現在国会で提出された法案に、より簡便にデジタル化できる条項が盛り込まれている)。これについては関係者を集めて、慎重な協議がなされている。複製を作ることはOKだが、それを国会図書館以外に提供するのは今後も慎重に検討するということ。日本ではそういう制度。
 ところがアメリカでは勝手に複製を作り、図書館間でも流通させてしまっている。こういったことが可能なのは「フェアユース」という概念があるから。
 「フェアユース」という概念を導入してしまうと、こうした明らかな実害がさまざまな分野で起こる可能性がある。慎重な議論をしてほしい。

(発言者不明)
 フェアユース導入の議論を拙速にバタバタとやるのは何故なのか。納得できないままに議論を進んで行くようだ。砂の上に高層ビルを建てようとするのではなくて、「砂」の基礎工事をどうやるのか、まずその土台作りの議論をちゃんとやって、先へ進む展開を考えて皆で知恵を出してやっていければいいのでは。



松田委員(弁護士・中央大学法科大学院客員教授)
 資料に「インターネットを利用した事業が諸外国に比較して遅れている」とある。一般的権利制限規定を導入すべきとの考えを持っている人々は、こういう考え方を表明している。著作権法がその障害になっているという前提。個別的制限規定であるから、著作権が障害になるかもしれないビジネスに投資をできない、新規事業への萎縮効果があるのだと。
 しかし三田委員の指摘は、一般制限規定が導入されれば極めて危険な状態が想定されるという一例。Googleは、日本の作家に対しても、オプトアウトしないと全部和解の中に含まれるから、との前提でGoogleのアナウンスに従って対処しなさいと言っているわけ。向こうの法制だからやむを得ない、圧倒的な力の差がある。そこも前提としては「フェアユース」だと言っている。そのような事業を拡大していくのが良いのか――多分ここにおられるごく普通の、著作権法の知識を持たれた方々は、いくらなんでもそれが「フェアユース」とは行き過ぎだと思われるだろう。
 日本がアメリカから遅れているとの前提で「著作権法を改正しなければならない」という発想が間違いだと私は思うが、少なくとも関係文書を作るときにはその点に注意してほしい。審議した後の記載ならやむを得ない。総意がそうであるなら仕方ないと思うが、私は今のところ総意がそうだとは考えていない。まず「遅れている」とやって、フェアユースを導入してもいいかのような、環境整備が必要だという印象を与える表現には慎重になるべき。
 事務局が作ったものでも、文化庁が作った資料、文化庁も同じことを考えている――と必ず引用される。ぜひよろしくお願いしたい。

 権利者側主催のシンポジウムなどに限らず、著作権分科会でも何かと風当たりの強い「日本版フェアユース」だが、実は分科会でこの種の発言をする委員はいつも同じである。確かに、これまで“自由に著作物を使える範囲”を個別具体的な規定で定めてきたのを、抽象的な規定を導入して後は裁判で決めようという制度へ転換させようという話だから、それに対する権利者側の反発が大きいことは当然予想される。とは言え、旧来の著作権のあり方が社会の支持を受けているのかが大きな問題。
 いつもと変わらぬ風景の中で、今回初めて出てきたネタはGoogleブック検索の件だ。もともとはGoogleが図書館と組んで、蔵書のデジタル化を始めたのに対し米国の著作者団体と出版社団体が訴えたのが最初。これが代表訴訟という形を取られて和解に至ったため、米国内での和解内容に(米国でも著作権が認められる)米国外の著作権者が拘束されるという興味深い事態になった。日本文藝家協会でも、和解に応じる協会員に対して代理手続をする方針だと報道されているところで、それについて三田委員がどうコメントするのかが見ものだったわけだが‥‥かなりグチってますな。
 しかしこれを「フェアユース」のせいにするのはどうかと。日本の権利者が巻き込まれたのは、米国の代表訴訟(クラスアクション)の問題なのではないか。海外で訴訟が起きて、その影響を受ける。そして何が起こってるのかを調査する必要に迫られる——ということを「実害」と呼ぶのも如何なものか。海外で権利行使しようとしたら、むしろ積極的に情報を収集すべきかと思われる。

 次の、法案に盛り込まれた「ネットオークション等」での商品画像掲示の件。美術品や写真などを売るのに、これまでは商品写真の撮影が著作権に触れかねなかったのが、権利制限して一定の範囲内で撮影OKということにしようとの話。

福王子委員(日本画家・日本美術家連盟常任理事)
 インターネット販売業者の美術品等の画像掲載について、権利制限を受けることになるとのこと。報告書では「ネットオークション等における画像利用」とあるのだが、この中にオークション会社が作るオークションカタログも入るというのを後で聞かされた。(持参したオークションカタログを示す)こんな立派な本が出来ていて、オークション会社が販売するもの。こういうのも権利制限の対象となるのは如何なものかと、(連盟の)美術作家らからも要件等を慎重に審議して欲しいと言われている。
 よく分からないまま審議が進行して、あるいは決定されているという感じを受ける。美術作家・絵描きは言葉や文章で語るのがよくないという風潮もあるが、そうするとどうしても事業者側に(結果が)片寄ってしまう。
 オークション会社から実際に立派な図録を発行しているわけで、そこをよく見ていただいて、あるいは調査するのも大事。慎重に審議していただきたい。

事務局
 今年1月の報告書では「ネットオークション等における画像利用の円滑化」ということで審議。報告書ではまとめとして、売り主が取引を行なう際の情報提供の必要性を根拠にしている。画像を見せなければ売買が出来ない、との点についてはインターネットに限らず、オークションカタログを除外する議論ではなかったと理解している。
 なおオークションカタログを販売する場合、それが美術品売買のためか、単に図録として販売するか、それによって違いが出る。図録が目的なら、今回の権利制限の要件の対象外。どのような基準で判断するか、運用上の工夫はしていきたい。

福王子委員
 オークションカタログの中にも、許諾を取っている作家と、全く取っていない作家がある。実際うるさいところには許諾を取るということだと思うが、こういう状況が続いてきて、係争に至る案件もある。実態の調査をよくやってほしい。オークション会社や作家の代表が集まって話し合う場も考えてやっていこうと思う。その辺でできることがあると思うので。



河村委員(主婦連合会常任委員)
 審議の過程でも「ネットオークション等」となっていて、オークションで画像がなければ円滑にいかないという説明だった。私もそうなのかと。法案では、ネットだけでなく、審議したつもりじゃなかった印刷物にまでかかる書き方。ちょっとこれは、私が聞いてても福王子委員の憤りが理解できる。審議の過程と、報告書から法案にいたる透明性が気になる。

福王子委員
 前回の審議会のあとで、文化庁からオークション会社のカタログも入ると聞いた。
 美術家連盟には5300人の会員がいて、毎月理事会があってそこで著作権の問題について――70年延長問題や、いろいろなところで勝手に使われる問題、そしてオークションカタログについても毎回出ている。それと「インターネットオークション等」とは別物だと僕は思っていたもので、後から気がついて驚いたのが本音。
 ついでに言うと、報告書の53ページに参考で「諸外国における立法例」があるが、ドイツでは許されると書いてあるのは「追求権」あるからではないか。公開オークションで作品が売買されると約2.5%から4%の間で作家に還元する。そうしたものがあって、(オークションでの商品写真に)著作権者の許諾をとらなくていいということになっていると思う。追求権はこの審議会で話題になっていても審議の対象になっていない。これは美術家連盟や関係団体で、立法化に向けて勉強しているところ。

事務局
 法制問題小委員会で議論したときは、議論のきっかけはインターネット上の公売だったが、権利制限する必要性の根拠は対面で美術品を見せられないことが言われていた。譲渡することには権利が及ばないのに、画像が見せられないとそもそも売買ができないという矛盾を解消しようというのが議論の主眼。ネットに限ったものではなかったかと思う。

福王子委員
 私はこの委員会だけに出席していたので、そうした内容がわからなかったということはあると思う。しかし美術の世界はたいへん狭いから、そんなに多数の人から許諾を取らなければならないわけではない。オークションカタログに載るのも少数の人、そう大変なことではないと思うので、印刷物については作家の許諾をとっていただきたいのが大前提。



福王子委員
 作品を(オークションカタログなどに)載せる以上、色や作品が切れてないとか、どういう状態で載るのかが心配。そういうことを気にしない作家もいるかとは思う。ただ、気にする作家がいる以上、(美術家連盟の)会議で必ず問題になる。突然自分の作品が載っててびっくりすることがよくある。海外の作家については以前、係争になってカタログとしても著作権に触れるという判例があったかと。
 (オークション側で選んで)許諾を取る作家と、全く取らない作家がある。作家や遺族に許諾を取るのが大前提だと思う。それぞれの立場で意見は違うと思うが、作家にとってはそういうことも大事。

松田委員
 今度の新法の規定は、複製物をさらに複製できないよう措置を講じた「政令が定める」ものが権利制限の対象になる。印刷物が入るとの話だが、これが政令で定められないと私は思うが。従来からの47条(で権利制限される)、展覧会のカタログには有料で販売するものは入らないはず。それとパラレルに考えれば、有料販売されて独自鑑賞性のある冊子が売られて、この47条の2にある措置が講じられる「政令で定める」ものに入るはずがない。

事務局
 有料化どうかは特に要件にしていない。有料ならば全てダメということではない。オークション参加費を取るようなものもあるだろう。カタログそのものを販売する目的なら、美術品を販売する目的というのとは変わってくるかと。有料でカタログを販売する行為自体はここで(権利制限から)外れる。
 「政令で定めるもの」は、「独立して鑑賞に堪えるようなものとはならないように」という付帯条件をするつもり。何を定めるかは、意見をいただきながら検討したい。

 福王子委員からの指摘は、なかなか興味深い。一方で事務局の返答にどう感じるか人によるかと思うが、私などはどうしても事務局へ批判的な目を向けてしまう。ネットオークションにとどまらず、現実に開催されているオークションでも権利制限の対象になるというのが事務局の説明である。しかし対外的に説明をする時は「ネットオークション等」とされていた。この「等」にリアルオークションも含まれるというわけか。
 既に提出された法案の話だけに、委員が違和感を表明するにとどまらざるを得ない。この指摘自体は、法案をチェックしていた私でも「あっ」と思ったのだが。
 
 こうした行き違いが起こってしまう背景には、分科会での議論の仕方がある。実際の審議は小委員会で行なわれ、その結果だけが報告として分科会に上げられる手法だ。オークション関連の権利制限規定は法制問題小委員会で議論されたものだが、分科会で報告された際には他の議論とひとまとめで「概要」資料によって分科会委員へ伝えられた。もちろん報告本文や議事録を分科会委員が参照するのは可能だろうが、分科会そのもので使われた資料や事務局からの説明は強い印象を委員に残す筈である。「ネットオークション等」と言われて、現実のオークションカタログが含まれるとはなかなか思い至らないのではないか。
 起こるべくして起こった事態。というか、事務局(文化庁)のふるまい自体、決定プロセスが不透明ということは確かに多いと私も思う。私が著作権界隈へ首を突っ込む契機となった「商業用レコードの還流防止措置」(いわゆる「レコード輸入権」)の時も、著作権分科会での漠然とした「何らかの措置が必要」との報告を受けて、文化庁が法案を作成した経緯があった。どういう方向で措置をとるかの実際の議論をせず、文化庁で勝手にまとめた例。また私的録音録画小委員会の迷走も、事務局側で作った資料が原因となっている。
 3月提出の法案にしても、私が気付いてないだけで、何か問題が含まれているのではないかとの見方は今でも捨て切れていない。

 さて、ピックアップしておきたい委員発言の3つ目。論点は、不明権利者に関する裁定制度だ。著作物を二次利用したいが権利者の居所が不明(あるいは権利者が誰か自体が不明)の場合、権利者の許諾の代わりに文化庁が「裁定」を出すことで、供託金を支払って利用できる制度である。裁定の申請をした時点から供託金を払えば利用可能になるなど、この制度をより使いやすくしようというのが法案の趣旨。

(発言者不明)
 権利者不明の利用の円滑化のところ、連絡できない場合で「政令で定める場合」とある。政令の内容については書かれていない。資料(パワーポイント)では実演家の権利、過去のテレビ放送に重点が置かれた説明だが。そういったあたりを伺いたい。

事務局
 権利者が不明の場合、「相当な努力があっても」連絡が取れない「政令で定める場合」ということ。どうすればいいのかが政令で定められるが、考えているのは、通常の著作権者の許諾を得る場合の努力は最低限必要だろうと。また現行制度でも文化庁の運用として、「手引き」などでどういう努力が必要かある程度明らかになっている。
 政令を定めるにあたっては、運用と関係者の意見を踏まえていこうと考えている。現時点では明確に「こういう案」というのがあるわけではない。
 実演家を中心にという質問だったが、権利者と連絡をとるために必要な努力は、分野によってさまざまあるかも知れないので、そうした実態を踏まえながら考えたい。

三田委員
 権利者不明のものを利用できるようにするとの法律改正、これは裁定制度で利用できるようにするだけでは利用は難しいだろう。裁定手続にかかる費用がかなり高いと、円滑には利用できないと思う。だから裁定の費用をできるだけ軽減し、手続も簡素化する具体的なものが必要になる。
 地方の図書館や文学館がさまざまな文書の復刻版を出したり、ネット上にアーカーブするという場合、権利者不明のものを使いたいという要望がある。こうした利用は営利目的ではないので、利用して幾らお金を得られるというものではない。だからそういう場合の裁定で、事前に納める供託金の算出も大変難しい。得られる金額がゼロだと供託金もゼロか、ということにもなる。
 どういうシステムを作っていくのか、利用状況を詳細に検討した上で、できるだけ利用を促進できるシステムを作っていただきたい。

 正直な話、著作隣接権と裁定制度の関係が私にはまだ理解できていない。法案を読んでも今ひとつピンとこないのだ(誰か解説してくれると嬉しい)。

 さて、上記のやりとり気になるのが「政令」(著作権法施行令)についてである。これは3月に出された法案全般に言えるのだが、政令で定めるべきとされる要件がかなり盛り込まれている。著作権法上「違法」とされる範囲を決める重要なラインを「政令」に委ねるような使われ方をしているので、国会での審議でもその「政令」内容がどうなのかを含めて法案の妥当性を判断することになる筈だ。しかし事務局の受け答えによると、政令の内容はまだ決まっていないようなのである(公表しないだけで、さすがに案は用意してあるのだろうが)。
 国会ではきっちり詰めて、それこそ法案の修正も辞さないような態度で審議してもらいたいものではあるが‥‥。

 この話題での三田委員の発言は良かった。特に、保護期間延長と絡めたいと思っていたに違いないのに、あえて触れなかったところを評価する。もっとも後からメモを読み返してみたら、決定的な発言ってのはしてないようだなぁ。

 ――以上が、この日の委員発言の主なところである。
 年度初めの分科会というのはいつもこんな感じだ。実質的な議論というのは小委員会で行われるから、権利者側委員としても従来からの主張を繰り返す場にしかならないことが多い。ただ今回は法案というネタがあったので、少し面白い話が聞けたという感じか。

 本番は以後の小委員会である。繰り返しになるが、大ネタが目白押しだ。議論の行方をしっかり見届ける必要がある。

Posted by 谷分 章優 映画・映像, 知財戦略, 著作権, 著作権保護期間延長問題, 著作権行政, 音楽と著作権 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月26日 (木)

著作権法改定案2009:待望された条項と抱き合わせで盛り込まれたもの

 「著作権法の一部を改正する法律案」が3月10日に閣議決定され、その日のうちに国会へ提出された。文化審議会の著作権分科会が1月に出した報告書(PDF)で法改定すべき課題が挙げられたのを受け、文化庁が法案の原案を作り、内閣での調整を経て、「内閣提出法案」として国会の審議を受ける運びである(内閣から出される法案が法律になる過程はここの説明がわかりやすい)。
 衆参両議院のサイトにはそれぞれ議案審議情報が掲載されている。ただし今のところは法案提出の事実のみが書かれる。なお法案本文は衆議院サイトに、また衆議院で先に審議される旨が参議院のサイトに載っていた。
 合わせて、法案審議で使われる関連資料も文部科学省のサイトで公表された。国会議員でなくても、「概要」「新旧対照表」などで法案の中身を確認できる。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/an/171/1251917.htm
「著作権法の一部を改正する法律案」
(文部科学省)

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/g17105054.htm
「閣法 第171回国会 54 著作権法の一部を改正する法律案」
(衆議院)

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DA5E0A.htm
「議案審議経過情報 閣法 第171回国会 54 著作権法の一部を改正する法律案」
(衆議院)

http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/gian/17103171054.htm
「議案審議情報 著作権法の一部を改正する法律案」
(参議院)

 衆議院の解散時期をにらみつつ与野党が対立する「ねじれ国会」の中で、この法案がどう審議されていくのかは不透明だ。もっとも、この18日には民主党・川内博史議員が質問趣意書を提出したという。現時点ではまだ内容が明らかになっていないものの、じきに公表されるだろう。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/171221.htm
「著作権法の一部を改正する法律案に関する質問主意書」
(衆議院)

 と、これまでの法案提出の状況に触れてきたところで、気になるのは法案の中身である。
 先に書いたとおり、衆議院サイトにも法案が掲載されているが、これは現行の著作権法から改定・追加すべき箇所を指定し、改定後の文を添える形で書いてある。読んだだけでとても理解できる代物ではない(まるで設計図を読めというようなもの)。むしろ、文部科学省サイトの方の「概要」「要綱」「新旧対照表」(リンク先参照)を読んだ方が、比較的理解しやすい。あくまで比較だが‥‥。

 法案の中身を1枚ものにまとめた「概要」での説明によれば、本法案の趣旨は「電子化された著作物等(デジタルコンテンツ)の流通促進のため、インターネット等を活用して著作物等を利用する際の著作権法上の課題の解決を図る」ことにあるという。
 また、法案の三本柱として「インターネット等を活用した著作物利用の円滑化を図るための措置」「違法な著作物の流通抑止」「障害者の情報利用の機会の確保」が挙げられている。具体的には、以下のような項目が主なものだ。

・検索エンジンサービス(適法化)
・所在不明権利者を対象とした裁定制度の改善(適法化)
・国会図書館での所蔵資料のデジタル化(適法化)
・ネット販売での美術品等の画像掲載(適法化)
・情報解析研究のための複製(適法化)
・通信障害の防止、データ消失の防止、
 送信の効率化等のための複製(適法化)
・電子機器利用時に必要な複製(適法化)
・海賊版と承知の上での販売の申出(違法化)
・違法配信から、違法と知りながらの複製(違法化)
・視覚障碍者向け録音図書の作成を公共図書館でも(適法化)
・聴覚障碍者向け映画・放送番組に字幕・手話を付与(適法化)
・発達障碍等で利用困難な者に応じた複製(適法化)

 ※カッコ内「適法化」は、これまで違法だったが権利制限に加わるもの。
  「違法化」は、新法で著作権等が及ぶものとするもの。

 著作権法の改定は、「~権」のような新しい権利の付与や罰則強化など「権利者」側に有利な面だけを考えているように見えがちだが、もう一方で権利の限界――つまり利用する側から見て、無断での著作物利用が「違法」になるか「適法」になるかの境界を変更する働きもある(文化庁が「権利者」側に立っているか否か、論者によって様々な見解もあるだろうが)。今回の法案は、まさしくこの「境界」を決める話である。
 上記の改定項目をざっと眺めるだけでも、検索エンジンサービスの実施、ネットオークションなどでの商品画像の掲載、通信過程での一時的キャッシュ、障碍者福祉の拡大など、何年も前から待望されてきた法的対応が多く盛り込まれており、“めでたい法改正”という雰囲気を演出したいのだなと見えるところではある。現に著作権法改定(法案の閣議決定)を伝える各種報道はそういう方向で出されている。
 しかし「概要」だけでなく実際の法案を読んだときに、本当にその“趣旨”どおりの中身なのかという疑問が出てくる。

 「適法化」される項目がどう法案に書かれているか。
 たとえば検索エンジン(47条の6)の場合、確かにウェブサイトなどの収集や蓄積・インデックス化などはできるようになる一方で、実は「情報の収集、整理及び提供を政令で定める基準に従って行う者に限る」との限定がつけられている。またオークションなどでの商品画像について(47条の2)も、「複製を防止し、又は抑止するための措置」が必要だとされ、そこで要求される「措置」の内容は政令で決められるという。
 この「政令」というのは、国会を通さなくても政府が出せる命令(ここでは「著作権法施行令」を指す)のことだ。つまり、これらの規定で適法となる範囲が行政府の一存で決められるようになるのである。自由利用の範囲を決めるのに何らかの条件が必要だとしたら、国会で審議して決めるのが筋で、それこそ著作権法に書き込めばいい話だ。今回の法案がやろうとしているのは、「適法」の範囲の決定権を国会から政府へ委任させることに等しい。
 想定される政令の内容については、国会で質問が出たり言質を取ったりすることも考えられる。しかし今後は「日本版フェアユース」のように国会で作るルールを抽象化して、司法での違法・適法の判断を重ねることで柔軟なルール作りを模索しようとの機運がある時に、いたずらに政令へ委任する項目のを増やすのは如何か。司法へシフトしようとするルール作りの主導権を政府が横取りするようなものだ。ここは慎重に審議すべき。

 現行法では権利が及ばなかった範囲だったのを、及ぶように変える項目もある。違法に配信された著作物を「その事実を知りながら」録音・録画する行為を、私的利用目的であっても違法だとする条文がそれだ(30条1項3号)。また、この基準に合わせるためか、先の検索エンジンを実現するための複製(47条の6)や、通信や機器利用時のキャッシュ(47条の5第1項1号)でも、違法に配信されたものは複製できない(新設される権利制限から除外)という限定が設けられている。しかも海外で配信されたものでも、日本で同じことをしたとして「違法」ならばアウトだとわざわざただし書きを付けている。
 違法配信にまつわるこのような「違法」複製の判断は、一応は受信側が「違法と知っている」かどうかが基準となっている。しかし「知っている」のかという主観的な要件なのに他人(司法)に判断されるということで、一介のユーザーである我々には不安の残るところである。実際問題として、我々が本当に「知って」いたのかよりも、判断する者がどう考えるかが重要になってしまう。

 受信した情報が「違法配信」だと「知って」いた――そう誤解されないようインターネットで振る舞おうとするなら、ユーザーはかなり萎縮的に行動せざるを得ない。国内外のあらゆる場所から情報が発信されている時代である、そのうちのどれだけが「適法」に配信されたものだとユーザー側で確信できるだろうか。“怪しいものには近づかない”としただけでも、とりわけ海外で発信された情報にはアクセスできなくなる。
 まして海外(現地)では適法に配信されていながら、日本法で違法とされるような場合も出てくるのなら尚更だ。それとも、ネットワークの利便性を享受したい人は、あえてそうしたルールを踏み越えていくことを立法者は想定するというのだろうか。守りようもない縛りばかりのルールなら、そうなってしまう可能性も(萎縮効果とは裏腹だが)ある。
 「適法」と「違法」の線引きを明確にし、ユーザーや事業者が萎縮的にふるまわくても済むようにするのでなければ、「日本版フェアユース」に先行して法律を変える意味がない。法案を今のままで成立させては、混乱かルール軽視につながるだけだ。

 違法配信の扱いについてもっと詰めていくべきだし、最悪でも、海外で配信された場合の「国内で行われたとしたならば~」とのただし書きを削除すべきだと思う。

主な改定箇所(メモ)

【30条1項3号】
●いわゆる「ダウンロード違法化」条項の追加。
●「デジタル方式」の録音・録画に限定されてはいるが、ネットワーク内での受信に伴う行為が対象となるため、殆どの場合は「デジタル方式」に当てはまるだろう。わざわざアナログ機器で録音・録画をする人もそうはいまい。意味不明な限定。
●一応は録音・録画の行為だけを今回は30条除外の対象としているが、ソフトウェアの違法ネット流通についても30条除外が求められている経緯からしても(特に著作権分科会では委員から「ソフトウェアも法案に盛り込むべき」との意見が出ている)、今後 音楽や映像以外の著作物も30条除外が叫ばれることになろう。
●「国外で行なわれる自動公衆送信であって、国内で行われたとしたならば著作権の侵害となるべきものを含む」とわざわざ書かれている点に問題。国内外の著作権法の違いによって生まれる「海外では適法に配信されているが、日本法では違法とされてしまう著作物の録音・録画」の扱いが難しくなる(参照:benli)。
●いわゆる「ダウンロード違法化」の問題点は、ユーザーから見て、配信されている著作物の適法性が保証されない点にある。特に日本レコード協会が策定した「エルマーク」は、日本国内での適法配信の一部を知る目印にすぎない。海外での配信は同種のマークが用意されているわけでなく、かつCCLに代表される権利者自らの意思で無償流通させる著作物も多く存在する(それですら必ずマークが付けられているわけではない)。区別が困難な場合、ユーザーの選択肢は「法を犯すリスクを負って利用する」か「萎縮して利用をあきらめる」かに限られるが、後者の場合「エルマーク」を使う一部の事業者へ利益誘導されてしまうといういびつな構造を生んでしまうことすら考えられる(現にレコード協会のキャンペーンは、エルマークのあるサイトから購入するよう勧めている)。
●実効性の観点からすれば、コピーガード回避規制と同程度にも思われる。コピーガード回避で民事訴訟になった例がどれだけあるのか。
●余談だが、違法配信からの複製と並行して著作権分科会で扱われていた「違法複製物からの複製」については今回の法案に盛り込まれていない。これも盛り込まれていたら相当に影響が大きかったところだろうが。かといって、「ダウンロード違法化だけで良かったね」とはならない。

【31条2項】
●国立国会図書館で所蔵資料のデジタル化が行なえるようになる条項の追加。資料の保存に関しては、これまでは資料保存のために「必要な場合」に限定して図書館での複製が許されていた(その他、利用者への複写サービスと、絶版本を他館の求めで複製することは可能だった)。今後は、国会図書館に限るが、納本を受けた時点で資料のデジタル化が可能になる。
●「当該原本に代えて公衆の利用に供するため」複製できる一方、「必要と認められる限度において」との限定は付けられている。どういった範囲で認められるようになるだろうか。
●「公衆の利用に供するため」とはどの範囲を想定しているのか。インターネット等を通じて閲覧させたり、複写サービスとしてデジタル化資料をデータのまま提供できるようになり得るのか、等の期待はある。従来のような、国会図書館内での閲覧や、デジタル化資料の複写を紙で提供することは可能にしてもらいたいが‥‥著作権分科会での説明では、利用のさせかたについて関係者間で協議中だという。まずはデジタル化だけを先行してできるようにしたというニュアンスのようだ。

【37条3項】
●視覚障碍者を対象としていた権利制限で、その対象が「視覚障害者その他視覚による表現の認識に障害のある者」に拡張された。知的障碍や発達障碍の者も、録音図書などの作成や公衆送信の恩恵に浴することができるようになる。
●この権利制限で作成される録音図書などは「専ら」上記対象者に提供されるものとされ、「必要と認められる限度において」との限定も付けられている。つまり健常者が利用できるような形で提供されることは許されない。なお、録音図書などの作成主体も政令で指定される(この種の政令指定は現行法でも同じ。「法案概要」では公共図書館もこの主体に含むようにするとあるが、おそらく政令指定で対処することになるのではないか)。
●権利者によって既に障碍者向けの内容で提供されている著作物は、ただし書きでこの条項から除外されている。たとえば朗読テープが出ている著作物だと、勝手には録音図書が作れない。

【37条の2】
●聴覚障碍者を対象としていた権利制限で、その対象が「聴覚障害者その他聴覚による表現の認識に障害のある者」へと広げられた。既存の映画や映像に字幕・手話等の挿入が可能になり、また公衆送信もできるようになる。貸し出しのために複製することも可。
●「専ら」上記対象に提供されるもので、「必要と認められる限度において」の限定つき。提供主体も政令で指定される。
●権利者によって既に障碍者向けの内容で提供されている著作物は、この条項により字幕・手話等の挿入はできない。日本語字幕入りのDVDが発売されていたりすると無理ということになるのではないか。

【38条5項】
●映画フィルムや映像ソフトを無償貸与できる主体に、これまで政令で指定されてきた「視聴覚教育施設その他の施設」に加え、「聴覚障害者等の福祉に関する事業を行う」者も追加された。「~事業を行う」者もやはり政令で指定される。補償金の支払いも必要である。

【47条の2】
●美術・写真著作物の原本や複製物を譲渡・貸与しようとする際、ネット上で画像を表示することが可能となる条項の追加。ネットオークションに美術品・写真などの商品を画像で掲載するのは著作権に触れるのではと話題になった件に対処したもの。
●ただし、画像の表示には「複製を防止し、又は抑止するための」措置が必要だとしている。その措置の具体的な内容は政令で書き込まれるのだろう、国会提出の段階では明らかになっているとは言い難い。——著作権分科会の事務局の説明でも「未定」とのことだった。ただし鑑賞に耐えうる品質で画像化しないように、との限定は考えている模様。
●文化庁の見解では、この規定の対象になるのはネットオークションに限らず、リアルのオークションでカタログの作成も含まれるという。ただし、政令での「複製を防止し、又は抑止する」措置をどう想定するのか。印刷物ではこの種の措置は難しい筈だが‥‥さて。
●将来的にフェアユース規定が導入されるとしたら、この商品写真の件は、フェアユースかどうかを争って司法判断を問うべき典型的事例ではないだろうか。しかし「日本版フェアユース」として想定されている、個別規定を判断基準として残してそこから外れる場面で「フェアユース」を判断する方向では、今回追加される個別規定によって問題が生じるのではないか。本来は司法が判断すべきところ、政令が指定する方式でしかネットオークションに商品写真を掲載できないとする条項があることで、実質的にネットオークションの運営のあり方を行政がコントロールし続けることにもなりかねない(政令で指定された方式以外の場合は、改めてフェアユースかどうか司法判断を求めることが保障されるのなら別だが‥‥)。規範を作るべきは立法・司法・行政のいずれか、という話にも映る。

【47条の5】
●書きぶりが複雑で、理解するのが(他の条項にも増して)困難。私自身、いまだに理解できているかがわからない。
●アクセス集中や送信遅滞・機器故障などによる通信障害を防止するためのサーバ内複製(1項1号)や、サーバにある著作物(複製)が消失した場合に備えサーバ外にバックアップを取る行為が可能となる(1項2号)条項を追加。それぞれ「必要と認められる限度において」との限定が付けられ、またサーバ内複製では特に「著作権を侵害するもの‥‥を知ったとき」は従来通り著作権が及ぶとされる(海外で配信されたものでも、日本法の基準で著作権を侵害すると判断されればアウト)。
●プロバイダが通信を中継する際に「送信を効率的に行うために」する著作物の複製(キャッシュ)明示的に適法とする規定を追加(2項)。ただし「必要と認められる限度において」の限定がある。
●47条の5では、送信側と中継側の複製(キャッシュやバックアップ)について規定。受信側の複製(キャッシュ)については別の項目で扱っている。

【47条の6】
●検索エンジンに必要な、著作物の収集と蓄積・インデックス化・検索結果表示などを適法化する条項の追加。
●検索エンジンでの複製と自動公衆送信が可能となる著作物は、送信可能化されている著作物に限定されており、会員制サイトのように受信者の制限が施されていたり、クローラーによる情報の収集を拒否したりするサイトは、従来どおり権利者の許諾が必要。また、検索エンジン側も「情報の収集、整理及び提供を政令で定める基準に従って行う者に限る」とされる。
●「著作権を侵害するものであること‥‥を知ったときは、その後は」当該著作物を検索結果に表示することができなくなる。今回の法案にある同種の条件と同様に、またしても海外で配信されているものでも国内法の基準で「違法」ならば「著作権を侵害するもの」とみなされてしまう。
●検索エンジン関係の規定は、Googleなどのような米国の検索エンジンの発達と、国内での状況を見比べながら「権利制限を設けるべき」と待望されていたものではあった。しかし実際の条文を読んでみると、この条項の恩恵が受けられる事業者は政令の基準に合致する必要があり(その内容は現時点で不明)、しかも将来的な「フェアユース」規定の適用から外されかねない(司法判断ではなく行政の判断で適用範囲が決定されかねない)ものではないかと危惧される。

【47条の7】
●多数の著作物(ネットで配信されているものに限らない)から情報解析をするような研究が目的の複製を可能とする条項の追加。
●ただし「情報解析を行う者の用に供するために作成されたデータベースの著作物」は従来通り権利者からの許諾を必要とする。

【47条の8】
●コンピュータ上で、ネットワーク受信の際に「情報処理を円滑かつ効率的に行うために必要と認められる限度で」著作物の複製がおこなえる条項を追加。いわゆる「キャッシュ」の問題。通信側(配信・中継)は47条の5で扱っているが、こちらは受信側。
●ただし「著作権を侵害しない場合にかぎる」とのこと。ユーザーが家庭内でする場合は私的複製との関係が出てくるので、ここで著作権を侵害するかどうかは30条(本法案で追加される1項3号も含む)を加味して判断されると思われる。
●いわゆる「ダウンロード違法化」との絡みで想定されるのが、YouTubeやニコニコ動画で「著作権を侵害」して掲載されている動画を閲覧した場合。侵害との事実を知りながら閲覧したとしたら、PC内にキャッシュが作られることはどう解釈されるか‥‥。結局はキャッシュを複製と解釈するかの論点に戻り、私的録音録画小委員会で「YouTubeやニコニコ動画での閲覧まで禁止するものではない」とする文化庁の説明とは食い違うのではないか。
●これ、ユーザーが私的領域でする場合以外だとどうなるのか? たとえば企業内で「キャッシュ」が発生する場合とか(企業内では私的複製とされず、キャッシュが複製だとしたら著作権侵害と判断されかねないか?)。「著作権を侵害しない場合にかぎる」との書きぶりはこういう場面にも脅威なのではないか。

【67条】
●不明権利者のために利用許諾が得られない場合、その許諾に代えて文化庁長官が「裁定」し利用可能にする制度があるが、その際の手続が著作権法に記載されることとなった。ただし詳細は政令で定められるとされ、法案の附則によれば改定著作権法の施行後2年のうちに整備されるという。

【67条の2】
●ここも裁定に関する条項の追加。本法案の中で、裁定制度改善のミソはここにある。裁定の申請ができれば、正式な文化庁長官の裁定を待たなくても「担保金」を供託して著作物利用が可能となる。ただし、最終的に裁定されなかった場合は、ただちに利用をやめないとならない。
●なお、裁定を受けようとしている著作物を権利者が「廃絶」したいのが明らかなら、裁定を受けることはできない。
●供託金や、裁定後に補償金が権利者へ支払われる仕組みも著作権法に書き込まれる。

【78条】
●著作権の登録制度で、原簿を電子化できる旨が書き込まれる。
●登録によって「第三者に対抗」できる場面に、「信託による変更」が追加された。

【113条】
●著作権侵害とみなす行為に、海賊版を「情を知って」「頒布する旨の申し出」をすることも追加された。いわゆる海賊版の広告規制で、ネットオークションで海賊版を売る旨が掲載された場合もここに含まれると考えられる。
●書きぶりからすると、特にネット上での広告行為に限るのではなく、実社会でも適用され得るのではないか(チラシとか雑誌誌面とか)。
●個人的には、ブートレグの広告を掲載しているサイトや雑誌とかはどうなるのかと思ったり。規制されるのは「頒布する旨の申し出」ということで、ブートレグの話題を採りあげる多くの個人サイトは問題ないだろうが。

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2009年2月25日 (水)

「Culture First」連合の主張が相変わらずなのは、JEITAの議論に乗せられたくないってことなのか

 権利者団体91団体からなる「Culture First」連合が、文化庁の募集するパブリックコメントへの意見を2月24日付で公表した。ブルーレイディスクへ私的録画補償金を課金する政令(著作権法施行令)の改定に対し、文化庁が示した条文案に賛成する内容だ。ただし「意見を発表しました」とアナウンスされているため、すでに文化庁へ提出されたのかは判らない。

 このパブコメには、メーカー団体のJEITA(電子情報技術産業協会)も既に意見を提出、2月13日付でその全文が公表されてもいるJEITAの意見は、ブルーレイへの課金が決まったのは文部科学省と経済産業省の「二省間合意」が根拠で、両省で合意した範囲にかぎって課金を定めるべきとの内容。具体的には、二省間合意の文面を引用しながら、地上デジタル放送の録画には補償金を課金すべきでないことと、ブルーレイへの課金がアナログ停波(2011年)までの期限付きの措置だと明記すべきことを主張している(加えて、ブルーレイを指定する条文に要件の追加を求めているが、ここでは特に触れない)。なお、文化庁の政令案にはそうした限定はなく、単純にブルーレイを課金対象へ加える趣旨のようだ。

 おそらくJEITAの意見が公表されたことを意識して、Culture First連合もパブコメの締切り前に意見を公表したのだろう。権利者側としては文化庁案がそのまま通れば望み通りなのを、そこに加えてJEITAを名指しし批判する意見をまとめているのだから。反論の内容は、ブルーレイへの補償金課金は当然、地上波放送がアナログでもデジタルでも同様に課金すべき、JEITAの主張は間違っている——というもの。

 このCulture First連合の主張で、「現行の補償金制度においては、ブルーレイディスクが、補償金の対象となることは明らかです」の一文が目立つ。彼らのこれまでの主張(公式サイトにも記者会見の模様として掲載されている)を踏まえれば当然出てくるものだ。彼らの考えは、「家庭内でテレビ番組を録画する行為自体が、権利者の得るべき利益を損ねている」とするところから始まっている。現行の補償金制度もそうした考えに基づく。
 ところがこの補償金制度の考え方に、「タイムシフト」目的の録画や、DRMのかかっている痴以上デジタル放送からの録画に「補償」が必要なのかという疑問がユーザーからぶつけられるようになった。今後の補償金制度ではそこまで含めて設計すべきだとの論は、補償金をめぐる2005年以後のメーカーの主張を後押しすることとなり、権利者側との対立の末に文化審議会著作権分科会での制度「見直し」をストップさせてしまっている。
 こうした論の対立がある中では、論者の立場によってはブルーレイが補償金の対象となるのが「明らか」とは言えないだろう。加えて、JEITAが公表した二省間合意によれば、「文部科学省は、著作権法30条2項が著作権保護技術の有無が支払い義務の発生要件になるかどうかについて明示的に規定していないと認識している」という。これまでの制度の考え方に立つ権利者側と、二省間合意を持ち出すJEITAとでは、前提が違う以上「この点で既にJEITAの意見は正しくありません」との権利者側の指摘は正しくない。

 JEITAが「二省間合意」にこだわる理由は、著作権分科会(私的録音録画小委員会)では補償金の議論が進まず、ブルーレイ課金が決まったのが二省間合意でそうまとまったためとの点にある。確かに、著作権分科会では課金対象にブルーレイを追加する旨を報告書にまとめておらず、わずかに二省間合意を紹介する箇所で追加が決まったものとしているのみだ。
 JEITAに対するCulture First連合の意見は、二省間合意そのものの解釈を示さずに、6月17日の経済産業大臣の会見内容を引いて「一旦延期した地上波デジタル放送の新たなコピールールである『ダビング10の早期実施に向けた関係整備の一助となることを期待』してなされたもの」と解説する。こう自らの解釈を示すだけで、「JEITAの意見はこの点でも、読む者に誤った認識を与え、混乱を招くものです」と結論することに説得力はあるだろうか。
 大臣の会見とJEITAの主張とで矛盾する点があれば面白いが、実のところJEITAが示した二省間合意は大臣会見と矛盾していない。それどころか、Culture First意見書が引用している会見録の別の箇所で、経産大臣は

暫定措置としてブルーレイに課金するということにしました。これは、既に確立されているはずですが、デジタル化しますとコンテンツの持ち主、つまり送るほうで、これは何回まで、それが幾らと全部設定ができるのです。アナログだとできないのですけれども、デジタルだとできるのですから、送り手の自由自在なのです。自由自在になる環境が整うまで、実際に行為としてダビングが行われ、それを利用する対象について、当面、いわば従来のDVD以外の部分を埋めたということでありまして、これはこれで適切な措置だと思います。

——とまで発言している。むしろJEITAの解釈を裏付けるようにも読める。権利者側からすれば、持ち出すには諸刃の剣とも言える会見内容ではないだろうか。

 権利者側が「私的録画=不利益だから補償金」との原則論で押すしかないのは理解できるし、私はやや同情もしている。二省間合意のような形で、文部科学省による半ば裏切りのような解釈が残されているのだから。文化庁のもとで制度「見直し」が全く動かなくなってしまった今、二省間合意をもとにしたブルーレイ課金との前提で議論せざるを得ず、 JEITAの“ゴネ得”が正当化される状況だ。
 とは言え、今回のCulture First連合の意見はJEITAへの反論として十分なものだったか。もしJEITAの主張を正面から覆すのなら、二省間合意を自分で取り寄せるなどして、自分に有利な解釈を作り上げるべきだったのではないか。
 たとえば、JEITAが公表した二省間合意には、「両省は、この政令の施行後3年を目途として、この政令の施行状況等について検討を加え、その結果に基づいて適切な対応を行う」の文がある。その一方で、この「見直し」はブルーレイ課金の廃止を決めたものではない。また、ブルーレイへ課金している間に“デジタルチューナーだけを搭載した録画機には課金しない”との扱いは合意に明記されていない。「3年後の見直し」を盛り込みさえすれば、デジタルチューナーのみの録画機へ課金しても合意内容に反しない——との解釈も可能だ。

 権利者が自分たちの主張を「明らか」だとして、それを“根拠”にJEITAの意見を「間違い」と強弁するより、真正面から反論をすることも可能だろうにとは思うのだが‥‥二省間合意が前提という“相手の土俵”に乗りたくないって話なのかしら。
 JEITAの主張にもほころびがあるだけに勿体ない。


※参考
 これまで『Culture First』サイトに掲載された記者会見の模様。

http://www.culturefirst.jp/news/2009/02/9.html
http://www.culturefirst.jp/news/2008/08/_8.html
http://www.culturefirst.jp/news/2008/07/culture_first_2.html
http://www.culturefirst.jp/news/2008/06/post.html
http://www.culturefirst.jp/news/2008/04/jeita_1.html

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2009年2月21日 (土)

「デジタル・コンテンツ利用促進協議会」のシンポジウムに存在価値はあるか?

 コンテンツのネット配信を促進できる法制度をまとめる「デジタル・コンテンツ利用促進協議会」(会長・中山信弘東京大学名誉教授)が、 3月12日の16時から如水会館でシンポジウムを開催する。同協議会の公式サイトで情報が掲載され、参加申込みの受付も始まっている。

 同協議会では、今年1月9日に制度案として「会長・副会長試案」を公表、1か月ほどパブリックコメントを募集していた。この結果を踏まえる形で、おそらくはシンポジウムの中で結果が示されながら、意見交換をおこなう趣旨なのだろう。

 「コンテンツ配信の促進を法制度で」という手法が議論される背景には、海外と比べ日本でネット配信が進まなかった原因として、コンテンツに複雑に絡む著作権・著作隣接権が挙げられがちだったことがある。現行の著作権法では、音楽や映像の著作者はもちろん出演者・レコード製作者・放送事業者など多数の権利者から許諾を得ないとネット配信ができない。同協議会の「会長・副会長試案」の主旨は、この多数の権利者と配信事業者との交渉コスト(そこには許諾を拒否されるリスクも含む)を下げる目的で、あるコンテンツにつき1名に権利を集約し許諾処理をさせるというところにある。
 しかしこの発想は、関係権利者の許諾権を制限するのと裏腹で、権利者団体から批判されている。実は「会長・副会長案」では、コンテンツの関係権利者の多数(割合はまだ決まっていない)が権利集約に反対すれば従来のままとされているが、かつて強制的な権利集約を主張していた「ネット法」構想(デジタル・コンテンツ法有識者フォーラム——協議会副会長のひとり角川歴彦氏や、事務局長の岩倉正和弁護士もメンバー)に案の出自があるため、権利者側の警戒感が強いままだ。

 デジタル・コンテンツ利用促進協議会だけでなく他の団体でも、コンテンツ流通を促進するのに何らかの方策をとる案が考えられている。たとえばコンテンツ学会の「ネット利用調整制度に関する民間審議会」では、今後制作される番組でネット配信が決まっていないものに配信事業者を決めるオークションを義務付ける制度(ただし時限的な制度を想定)が模索されている。また、「ネットワーク流通と著作権制度協議会」では契約モデルと使用料分配モデルを放送番組のジャンルごとに設定することで、ネット配信の際の話し合いの手間を減らす方向性が議論されているらしい(今のところ協議会としてのまとまった案が公表されていないが、会長職務代行の松田政行弁護士によるいわゆる「松田私見」の形で発表された資料は存在する)。

 こうさまざまな組織で議論される“デジタル・コンテンツ流通促進策”が出始めた頃には、確かに日本国内のネット配信状況は海外に見劣りしていた。ところが、最近になってNHKTBSフジテレビなどで「見逃し視聴サービス」などが少しずつ開始される環境になってきた。ゆっくりした歩みではあるが、こうしてネット配信の試行錯誤が始まったことで、はたして法制度などに頼った「促進策」が必要なのか、との観点からの議論が今後出てくるのは間違いない。
 状況の変化を横目に、以前は強く「ネット配信を促進しろ!」と考えていた私にも実は変化が起きてきている。と言っても、コンテンツホルダーに任せておけば十分と考えているのではない。むしろ逆で、動画配信サイトを使って日本製コンテンツを知らしめる試みが始まっていても、日本のユーザーからは見えないようにしていることが多いのに呆れているのだ。米国でDRMフリーの配信が広がっていても、日本のユーザーは相変わらず不便を強いられ続ける実態もある(iTunes Storeが代表例ですな)。そうまでして日本人の視聴機会を制限したいのなら、日本のコンテンツ産業がジリ貧になっていくのを黙って見ててやろうかって気にすらなってしまう。
 かなり後ろ向きな態度だと自分でも思うが。

 いやいや。たとえば日本で作られているコンテンツが、より利便性の高い形でいつまでも享受できるようになっていてほしい——そこまでの強い愛着がある視聴者なら、おそらく現在の試行の延長だけでは満足できない筈だ。何らかの強制力を働かせるか、あるいはコンテンツの送り手側が目覚めてユーザーへ不便を強いるのを放棄しないかぎり、状況は改善しないだろう。“廃盤”“絶版”だったり、ユーザーが「欲しい」時・場所では入手困難な作品が存在して、海賊版のニーズを高め続ける。
 触れたい作品が海賊版でしか入手できないなんてことほど悲しい状況はない。しかしそんな事例はいくらでもあるわけで、そういう思いがある以上はこの「流通促進」の問題で黙っているわけにはいかないだろう。私も。

 心の持ち方ひとつではあるが、今の「流通」に不満があるのなら、やはり3月12日のシンポジウムに期待できるものはある。

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2009年2月17日 (火)

文化庁の政令案パブコメ: おそらくはJEITAの立ち回り方が巧いのと、状況が彼らに有利だというのがあるのだろう

 文化庁が、私的録画補償金をブルーレイディスクへかけるための意見公募手続(パブリックコメント)を始めている。

 私的録音録画補償金というと、2005年からiPodへ課金する・しないで騒ぎになったアレである。ユーザーが家庭内で音楽・映像を録音したり録画したりするとその著作物の送り手に「不利益」を与えるとの(ユーザーからすれば一方的な)考えで、録音・録画機器や記録メディアへ課金して権利者への「補償」に充てられる。機器やメディアの価格に含まれるため実質の負担はユーザーがするのだが、補償金をまとめて権利者団体へ支払うのはメーカーという制度だ(そのため、この制度についてメーカーの発言力が大きくなる)。
 この補償金は主としてMD・CD-R/RW・DVDなどに課金されているが、2000年に指定されたDVD(-RW・+RW・-RAM)以降は、新しい機器への対応がされてこなかった。にわかにハードディスク内蔵の録音・録画機器への課金を権利者が叫びだした理由はそんなところにもある。

 そして、その課金対象にブルーレイディスクを追加しようというのが今回の文化庁の動きだ。なぜブルーレイに課金することになったのか、なぜ今回ブルーレイだけなのか――は後で説明するとして、課金対象を加えるときの手続について少し触れておきたい。
 著作権法の中では、補償金の課金対象は「政令」つまり内閣が出す命令(ここでは「著作権法施行令」)で指定するよう定められている。政令へは、指定機器の仕様を条文の形で書き込む。
 加えて、政令を改めるときには前もって30日間以上の意見公募手続が義務付けられている(行政手続法第39条)。ということで、今回の文化庁の政令案パブコメは2月3日から3月4日までに設定されている(これまで話題になってきた審議会報告に対する「任意の意見募集」よりも厳格な手続が決められている)。

 今回のパブコメの焦点は、政令案の文言の妥当性だ。規定ぶりに過不足が無いか、副作用が存在しないか、といった具合。政令案は『e-Gav』サイトに掲載され、「概要」と「新旧対照条文」が参照できる。


私的録音録画補償金の議論ってどうなってたっけ?

 ブルーレイ課金や政令案の話に入る前に、補償金見直しの話がどうなったのかをおさらいしておく。
 iPod課金の議論をきっかけに、2008年度まで文化審議会著作権分科会で制度の「根本見直し」が話し合われてきた。直近2年分の報告書が(PDF)この1月にまとめられたところだ。しかし周知のとおり、HDD内蔵型のiPodのようなオーディオプレーヤーや、ハードディスクレコーダーへの課金の是非には結論が出なかった。補償金を求める権利者側と、補償金廃止を主張するメーカー側とで対立が激化したのが直接の原因。この対立で、議論の場だった私的録音録画小委員会が運営できなくなるほどだった(もっとも個人的には、文化庁の議事運営がヘタを踏みまくっていたと考えている)。
 結果、補償金制度で変更される唯一の点が、いまパブコメにかけられているブルーレイへの課金となる。では、なぜブルーレイだけが例外となったのか。

 議論を複雑にしたのは、2011年に地上アナログ放送から地上デジタル放送へと完全移行する予定だったこと。アナログ放送ではコピー制限がかかっていない一方、デジタル放送では「コピーワンス」「ダビング10」といったコピー枚数制限がかけられているため、その録画に補償金をかけるのは如何かという議論になったのだ。文化庁でなく総務省の審議会で。
 従来から、機器メーカーの業界団体・JEITA(電子情報技術産業協会)はアナログ停波を機に私的録画補償金を廃止すべきと主張してきた。コピー制限がある以上、権利者のコントロールのもとで録画がされており、ユーザーの録画で「不利益」にはならないとの趣旨だ。一方、JASRAC(日本音楽著作権協会)を始めとする権利者側は録画される事実がある以上「補償」すべきだとする。
 2007年8月(総務省・情報通信審議会第4次中間答申)でダビング10の仕様が決められたが、「コンテンツを適切に保護し、その創造に関与したクリエーターが適正な対価を得られる環境を実現すること」とするダビング10開始の前提条件の解釈をめぐって権利者側とメーカー側とで対立、いったんは開始の見込みが立てられた2008年6月2日までに合意できず開始期日を延期するにまで至った。
 事態の打開のため、権利者団体を所管する文化庁と、メーカー団体を所管する経済産業省との間で「ダビング10の早期実現に向けた環境整備」を目的とした二省間合意がなされた。そして6月17日、経産大臣文科大臣のそれぞれの記者会見でブルーレイディスクへの「暫定的」な補償金課金が発表された。これを受けて、「適正な対価」イコール補償金だとする権利者側が、補償金の対象が追加される前に「ダビング10」を開始するという妥協を強いられた。

 こうして、本来は文化庁の審議会で決定される筈のブルーレイの課金が、二省間合意というイレギュラーな形で決定されてしまった。しかも、この合意の後も地上デジタル放送と「補償金」の関係は曖昧なまま。しかも当の総務省の審議会でも「適正な対価」の中身に結論が出されていない。


文化庁の政令案と、JEITAのパブコメ

 今回の政令改定で追加指定されるのがブルーレイだけなのは以上のような理由による。
 では、実際に文化庁がパブコメにかけた政令案はどんな内容か。これまでの政令で補償金の課金対象を第1条2項で指定してきたところ、その第4号としてブルーレイを特定する技術仕様を追加している。従来のCDやDVDを規定したのと同様、記録するディスクの大きさや、ピックアップから記録面までの距離が数値で書き込まれる(ただしJEITAはここの書きぶりに注文をつけている)。以下のとおりだ。

光学的方法により、特定の標本化周波数でアナログデジタル変換が行われた影像又はいずれの標本化周波数によるものであるかを問わずアナログデジタル変換が行われた影像を、直径が百二十ミリメートルの光ディスク(レーザー光が照射される面から記録層までの距離が〇・一ミリメートルのものに限る。)であつて前号ロに該当するものに連続して固定する機能を有する機器

※引用者註:「前号ロ」とは、著作権法施行令第1条2項3号の「記録層の渦巻状の溝がうねつており、かつ、連続しているもの」を指す。

 今回の政令案で変更されるのはこの部分だけ。単純に新しい規格が書き加えられただけということ。いったん指定された機器は、たとえ生産されなくなっても指定解除されないのがこれまでの運用だっただけに、政令案が妥当なものかは慎重に見る必要がある。条文がきちんとブルーレイを特定できているのか、今回の追加指定の根拠となる二省間合意の内容を正確に反映されているのか——の2点に注目。
 ところがブルーレイの技術仕様や、二省間合意の詳しい内容など、判断するための情報をエンドユーザーが一人ひとり持つのは難しいところではある(技術仕様については、こんなページがあったりもするが)。そこを考えたのか、JEITAがその両方の情報を含んだパブコメを公開した。提出期限を大幅に先行する2月13日のことだ。
 おそらく、私も含めてだが、JEITAのパブコメを参照したユーザーの意見が文化庁へ提出されることになるだろう。JEITAの立ち回り方の巧さを感じてしまう。

 政令案を見る上で問題となる二省間合意の内容だが、JEITAのパブコメによれば、経済産業省と文部科学省の両方から情報公開を受けた結果は次のようなものらしい(下は私が要約している。全文はJEITAのパブコメを参照されたい)。

(1)両省は無料デジタル放送に関する補償金問題について短期間で関係者が合意できる状況でないと認識
(2)文科省はDRMの有無が支払い義務の発生要件になるか明らかでないと認識
(3)経産省はメーカーが地上デジタル放送の録画について補償金の対象とすべきでないと考えていると認識
(4)両省はブルーレイがアナログ放送も録画できることを踏まえて「暫定的な措置として」補償金を課金、政令施行後3年を目途に施行状況等を検討して適切に対応
(5)無料デジタル放送の録画については早期に合意が形成されるよう引き続き努力

 昨年6月の二省間合意以降、上記の状況に変化はない。となれば、この二省間合意の範囲内で課金対象を決めないと、文化庁の筋は通るまい。すなわち、アナログ放送のブルーレイ録画には課金をするものの、無料デジタル放送については合意待ちということ。特に「政令施行後3年」(当時の合意の前提からすれば2011年6月、政令指定に要するパブコメ期間を見ても2011年7月と見るべきではないか?)の見直しが必要となる。
 もっともJEITAのパブコメには、政令指定されたブルーレイでも無料デジタル放送の録画には課金すべきでない(それが合意事項だ)としているが、さすがにそこまでは支持できない。二省間合意の中では、経産省もブルーレイに課金した結果デジタル放送も対象になってしまうことは「政令施行後3年」の間は容認しているように読めるからだ。まぁいわゆる官僚的な曖昧な作文なのだろうが。
 文化庁の著作権分科会では話がまとまらず、今回のブルーレイへの課金の根拠が二省間合意にしか無い以上、課金の範囲に合意内容を反映させろとのJEITAのパブコメの趣旨には肯けるところだ。

 JEITAは、上のような限定的な課金の明言を求めるとともに、ブルーレイの指定の仕方にも注文をつけている――「BDを特定する要素として、光ディスクの保護層の厚さ0.1ミリメートルに加え、レーザー波長405ナノメートル及びレンズ開口数0.85の要素を追加して規定することは必須要件である」。今の政令案に該当しながら、レーザー波長やレンズ開口数が異なる新規格が登場する可能性があるため、とJEITAはパブコメに書いている。
 課金対象となる規格をひとつひとつ文章で指定していくという制度運用を考えれば、ブルーレイの指定の文言をJEITAの言うとおりに規定しても不都合はないだろう。


そしてエンドユーザーはどうする?

 今も募集中のパブコメだが、我々エンドユーザーとしてはどう向き合うべきだろうか。

 まず、ブルーレイへの補償金課金の最終ステップに来ていることを意識すべきだろう。「ブルーレイへの課金反対」と断固たる意見を送るのもひとつの姿勢ではあると思うけれども、文科大臣と経産大臣まで担ぎ上げて「合意」した内容にもとづく課金だ、官僚の立場で今さら覆せるかという問題がある。だから意見する現実的な方向は、二省間合意を正確に反映した内容かどうかで押すことだろう。
 その意味では、JEITAが公表したパブコメの方向も妥当なものと感じる。主張自体はどうかなと思う部分もあるが、まぁ大臣の合意というのはそんなに軽い話なのか?」‥‥、いや、そんな筈はないのである。


一応、権利者の側の主張も

 リンクだけ示しておく。
 これまでの展開で同情すべき点があるにしても、やはりこの主張には乗れないのである。

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2009年1月26日 (月)

レンタル業界の、自分たちの商売を「守る」ための働きかけについて

 CD/DVDレンタルの業界団体が出している機関紙の今月号に、興味深い記事が載っていた。映画がDVD化され、それがテレビで放送されるまでの期間の話だ。

 映画は製作に多額の費用をかけており、その製作費は劇場での入場料の他、DVD化やテレビ放送など、複数の商品化の機会をとらえて回収する仕組みになっている。劇場・DVD・テレビ放送など、観客との接点は「ウインドウ」という呼ばれ方をする。「ウインドウ」を複数用意できることは、製作する側にとっては、ひとつの作品から何度も利益を出す機会が得られるメリットがある。また、鑑賞機会に応じた対価(一般的には待てば安価になる)が設定されることから、観客側も時期や対価を基準に選択肢を得られることになる。

 DVDレンタルも、そんな「ウインドウ」のひとつだ。時期としてはDVD発売以後、300円から400円程度で映画1本を鑑賞できるという、コストパフォーマンスのかなり高い鑑賞機会を提供している。そんなレンタル業界が気にしているのは、そのDVD発売から地上波での放送までの期間だという。“タダ”で映画が見られる地上波放送が済んでしまえば、その映画をレンタルしてもらえる見込みが極端に減る。つまりレンタル業界の“稼ぎ時”がこの期間に限られるという考えだ。

 先に述べた機関紙の記事によれば、DVDなどのパッケージリリースから365日以内に地上波で放送された映画の数は、2002年に11作品、2003年に12作品、2004年に13作品と来ていたところ、2006年には22作品、2007年では28作品と急増傾向にあるのだという。ちなみに、356日というのがどこから来てるのかと言えば、レンタル業界から製作側へ求めているのが、DVD化から放送まで最低でも1年間あけてほしいということかららしい。こういう働きかけをしているとは知らなかった。

 DVD化から放送まで短期間になりそうな事例として、『三国志』を映画化した『レッドクリフ』の例が出されていた。この作品は2部構成で公開されていて、Part 1が今年3月11日にDVD発売され、Part 2が4月10日に劇場公開される予定だ。このPart 2の上映を成功させるため、製作にも関与しているエイベックスが構想したのが、上映直前にPart 1をテレビ放送するという手法だったという。

 続編映画をプロモーションするのに、前作をテレビ放送するという手法はこれまでにもよく取られてきた。また、シリーズでなくても、関連作をテレビ放送して上映を勢いづけるということもよくある。ただ『レッドクリフ』についてレンタル業界が神経をとがらせたのは、Part 2のプロモーションとはいえ、Part 1のDVD化から1か月を切る時期に放送されるということだった。CDVJとエイベックスとの間で話し合いの場を持ち、「出来る限り地上波放映を送らせ、せめて1ヶ月はパッケージリリースから期間を開けてほしい」「地上波放映の後、回転が激減することは明白なので、可能な限り仕入れについて柔軟に対応してほしい」といった要望を入れたと機関紙の同記事にはある。

 「本件については初めてのケースであり、データを採取した上で十分な検証を行うことが必要である」と同記事は締めくくられている。どうせ避けられないことなら、しっかり今後の参考にしようという点で冷静な判断かと思われる。そういえば、確か『デスノート』の時にも後編の封切り(2006年11月3日)直前に前編をテレビ放送(同年10月27日)した筈だったのだが、この時はCDVJでは問題視しなかったのだろうか。DVD発売(2007年3月14日)前の放送だったので別扱いなのかも知れない。

 ところでこうしたDVD化からテレビ放送の期間が短くなってきている問題にかぎらず、今後のレンタル業界にとって、流通の変化が重くのしかかることが予想されている。レンタル業界内部での競争を考えても、レンタルと販売の複合店の存在感が大きくなっていたり(しかしこういうのはだいたい大型店)、「ツタヤ ディスカス」や「ぽすれん」といった郵送ベースのサービスなどが登場している。もっと脅威的なのは、インターネット配信などのVideo On Demandという外部との競合だ(今回ネタにさせてもらった記事でも、「アクトビラ」が今後強力なライバルになるとの見通しが示されている)。

 ネット配信に少なからぬ期待をしている私から見れば、iTunes Storeでのビデオレンタルが日本で開始されていなかったり、レンタル業界がDVDと同じく扱っているCDについても、レンタルと競合できるほど安価なネット配信はまだ登場していない(もっともCDシングルのレンタル在庫数は、レコード協会の調査によれば、音楽配信が本格化する前から減り続けているとのこと)ことに大いに不満がある。その一方で、これらがレンタルと競合し始めたら、業界が生き残っていく術があるのだろうか。

 ユーザーへ安価に音楽を届ける“スキマ商売”として始まったレコードレンタルの時代から、この業界には“お世話になってきた”私ではあるけれども、音楽配信・レコード配信といった新しい流通の日本での発展に対して、もしレンタル業界が「パッケージ」にとどまることを望む“抵抗勢力”になってしまうとしたら、ちょっと困るなぁと思ったりする。

 DVD化から放送までの期間で調整するのだったら、私は期間がそう長くても気にならない。レンタル業界を救うために配信が不当に制限されるとかいうことでなければ、テレビ放送の例のような穏当なところで配信とレンタルの棲み分けを模索して欲しいと願うばかりだ。


※今回のネタ元
日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合『CDV JAPAN』
No. 298 (2009年1月号)
「THE SPECIAL 多メディア時代のウインドウの在り方を考える」

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2009年1月23日 (金)

権利者の「努力」をどう評価するかで、「流通促進法制」の評価も変わる

 21日に、総務省の情報通信審議会 情報通信政策部会「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会」(通称・デジコン委員会)第48回会合が開かれた。

 デジコン委員会では、地上デジタル放送の著作権保護ルールをどう強制するかの検討を「技術検討ワーキング」で行っている。また、インターネットでのコンテンツ流通の効果と課題を実際の番組制作からさぐる試みを「市場取引ワーキング」で行っている。本委員会の下に2つのワーキンググループを設け、専門的で小回りのきいた議論をするという趣旨だ。本委員会では、そのワーキングでの検討経過を受けて議論を深める。ちなみに前の2回は、「技術検討ワーキング」の報告をもとに、B-CAS関連で議題が設定されていた。

 今回の議題は、もう一方の「市場取引ワーキング」に関するものだ。デジタル・コンテンツ利用促進協議会が1月9日に公表した、コンテンツの権利関係を整理する特別法を設けて流通促進をはかる「会長・副会長試案」(PDF)について、ヒアリングが行なわれた。また、同協議会とは対照的な立場をとる「ネットワーク流通と著作権制度協議会」で検討中の「流通促進方策」についてもヒアリングがあり、いわゆる「流通促進」の考え方に対する権利者側委員の疑義が相次いだ。

 特に、利用促進協議会の「会長・副会長試案」は、デジタル・コンテンツ法有識者フォーラムが提案した「ネット法」構想が叩き台になっているため、反発する声が目立った。

デジタル・コンテンツ利用促進協議会「会長・副会長試案」

 デジタル・コンテンツ利用促進協議会の「会長・副会長試案」に関するヒアリングは、同協議会事務局から弁護士の櫻井由章氏が出席して行なわれた。

 この協議会は、「コンテンツ大国」のスローガンを掲げる政府方針の一助にと、デジタル・コンテンツの利用促進策を議論する場として昨年9月に設立された。東京大学名誉教授で弁護士の中山信弘氏が会長、株式会社角川グループホールディングス代表取締役会長の角川歴彦氏と、参議院議員の世耕弘成氏、株式会社スクウェア・エニックス代表取締役社長の和田洋一氏ら3氏が副会長に就いている。デジコン委員会でヒアリングされる「会長・副会長案」というのは、この4氏が連名で発表したものだ。

 試案は、

●対象コンテンツの利用に関する権利の法定事業者への集中化
●権利情報の明確化(対象コンテンツの登録)
●適正な利用を過重な困難なく行い、原権利者に適正な還元がなされる仕組み
●デジタル・コンテンツの特性に対応したフェア・ユース規定の導入

――の4つが骨子となる。

 この試案の目的は、映画・音楽・放送番組をインターネットで配信するときに必要な権利処理を容易にすることにある(ただし音楽を対象から外すこともあり得るそうだ)。従来ならば、この配信にあたって、作詞家・作曲家・映画会社・レコード会社・放送局・出演者などの関係権利者(著作権者と著作隣接権者)すべてから許諾をもらう必要がある。そこで、新しい特別法を作り、1つのコンテンツにつき一人が“代表”して許諾をできるようにする。コンテンツを配信した事業者はその一人と交渉すれば良くなる仕組みだ。

 試案の中で、関係権利者を代表する「一人」を「法定事業者」と呼んでいる。「権利情報の収集等を行い原権利者に適切な還元を行う当事者としての協力を有すると認められる者」としている。「原権利者」というのはそのコンテンツに関係する著作権者・著作隣接権者のことで、彼らが「法定事業者」に権限を集めたくない場合には「別段の意思表示」をする。一人への権限の集約が原則で、ある程度の権利者が「意思表示」をしたときに集約をまぬがれる趣旨のようだ。

 「法定事業者」が配信の許諾を出せるコンテンツは、「コンテンツID登録事業者」へ権利情報を登録する。情報は公開され、登録から一定期間、原権利者からの異議を受け付けることで権利情報の正確さを保つ。「法定事業者」にはコンテンツ配信で得た利益を原権利者へ分配する義務が課されており、ここでの権利情報にもとづいて実行する。

 試案では、「公正」と言える利用行為が著作権・著作隣接権の侵害とならないとする「フェア・ユース」の規定を特別法に盛り込むことも提案している。この特別法がインターネット上でのコンテンツ利用を対象にしていることから、特にインターネット関連のサービスなどで導入が望まれている「フェア・ユース」を改めて定めるということらしい(著作権法にフェア・ユースを入れる場合、映画・音楽・放送番組以外のコンテンツや、インターネット以外の利用行為にも影響されるためだろう)。

 なお現在、試案に関してパブリックコメントが募集されている。2月10日締切りだ。


ネットワーク流通と著作権制度協議会 松田氏私見

 昨年11月21日に設立された「ネットワーク流通と著作権制度協議会」からは、会長職務代行で弁護士の松田政行氏がヒアリングに臨んだ。この協議会は法学者・弁護士ら118名が参加、新潟大学名誉教授で弁護士の斉藤博氏が会長に就いている。「コンテンツの流通促進方策」と「権利制限の一般規定」を検討するための分科会を設け、議論を続ける。ただし設立に関する報道を見たかぎり、「権利制限の一般規定」つまりフェア・ユースの導入には慎重な姿勢が目立つようだ。

 利用促進協議会のような「案」が、まだ制度協議会としてまとまっている段階ではないとのことで、今回のヒアリングにあたっては松田政行氏の「私見」として「コンテンツの流通促進方策」が語られた。

 この松田氏の「私見」においても、コンテンツのネット流通を「促進」させる方向性は利用促進協議会の「会長・副会長試案」と共通する。また、「デジタル・コンテンツネット流通を促進する要素」として(1)諸権利者間の配分ルールの合意(2)諸権利の一元化(3)メタデータ化(4)ビジネスモデル――といったキーワードを挙げた。ここも基本的には「会長・副会長試案」に近い方向性を持っている。

 しかし決定的に違うのは、「会長・副会長試案」が特別法を作ることを前提にしている点に対し、松田氏「私見」では「ガイドライン」と「契約モデル」を用意して流通促進を図る点だ。つまり現行法の枠内で「契約」をさせるということで、新たな立法を考えていない。対象とするコンテンツについても、音楽は実際にネット配信されていること、映画はすでに権利が映画製作者へ集約されていることから、放送番組に限定して提案されているという。

 松田氏「私見」によれば、放送番組をニュース・クイズ・バラエティーなどジャンルを分けて、関係する権利者の典型例を整理した「権利関係モデル」を作る。ジャンル分けはなるべく細かく設定する。そして、この権利関係モデルから必要な配分先を整理することで、各ジャンルごとの「契約モデル」を作成する。配信契約の際には、「権利契約モデル」の中から利用予定の番組に近いジャンルを探し出して、それと関連付けされた契約書の雛形(契約モデル)を使うことになる。この一連の手続きは「ガイドライン」として示されるわけだ。

 「権利関係モデル」から配分先、「契約モデル」を作るのは放送局や関係権利者の団体だ。基本的には当事者間の協議によって「契約モデル」まで持っていく。配信のための契約モデルが一度出来上がれば、あとは配信までスムーズに行く(ビジネスモデルは現場で考えられる)という趣旨だ。利用促進協議会の「会長・副会長案」では、契約に委ねていては時間がかかりすぎるとの前提で立法を提案していたが、その手法でもやはり当事者間の協議がなければ分配ルールは決まらない――と松田氏は指摘している。

 なお権利情報については、各権利者団体のデータベースと連動する形で、各テレビ局あるいは「権利処理機関」にデータベースが用意される。そしてガイドラインに基づいて利用があると、「権利処理データベース」へ登録される。このデータには権利者や関係者がアクセスできるようにして、透明性を確保する。利用から使用料の配分までに一定期間を設け、配分ルールに異議のある権利者が登場した場合はADR(裁判外紛争解決機関)の裁定に委ねるという(ただしADRで決着しない場合に裁判になることも想定)。


「流通促進」に疑義を出す権利者側委員

 櫻井氏・松田氏からのヒアリングを受け、「相変わらず、安価に効率よくコンテンツを配信したいという虫の良い話だ」と椎名和夫委員が批判した。また、利用促進協議会の「会長・副会長試案」の中で、「権利情報の収集等を行い原権利者に適切な還元を行う当事者としての協力を有すると認められる者」を「法定事業者」としていることを指し、「いったい誰がどのような基準で判断するのか」と疑義を出した。

 同協議会の「会長・副会長試案」については、コンテンツに関係する権利を映画会社・放送局・レコード会社らに集約するという「ネット法」構想から出発しており、これに対する権利者側の反発が強かった。そういった事情もあって「最大のネックはインターネットの収益性の悪さで、そこを改善することなく、なぜ法律で解決できるのか。前に(デジコン委員会で「ネット法」をプレゼンした)岩倉弁護士にも質問したが、答えが聞けていない」と椎名委員が指摘。他人の財産で商売をする以上は権利者との話し合いで時間と費用が必要なのはあたりまえで、ネット関連のような「特定の事業者や産業を優位に立たせるために立法をすることは許されない」(椎名委員)と反対した。

 これまでのコンテンツ流通は交渉と契約で決めてきた――と堀義貴委員も、日本音楽事業者協会と実演家著作隣接権センター(CPRA)が権利情報の集約で合意したこと、NHKオンデマンド開始前に短期間で許諾に至ったこと、5カ国に向けたドラマの配信が始まっていることなど、権利者側で努力を続けていることを強調した。

 佐藤信彦委員(フジテレビ)からも「なぜ性急にことを運ぶことを目指すのか。コンテンツ大国、コンテンツ立国という言葉の裏に、本当はコンテンツは何かの肥やしにすぎない。国が目指すべきは『コンテンツはいつでも安価で利用できることを前提とした』産業政策ということなのではないか」との、「流通促進」の前提に対する疑問が出された。


私見

 一言だけ。

 この「流通促進」策の必要性、そして新たな立法をすべきかという点について、以下の問いをどう考えるかで結論が変わるのではないかと思う。

●現状として、インターネットでのコンテンツの流通は不充分ではないか。
●一度世の中に発表されたコンテンツは、常に流通させるべきか。
●「権利者」と配信事業者との契約を待てるか。

 「流通促進」を望む側からすれば、権利者側からの反論に対しては、かなり身も蓋もない再反論をせざるを得ないような気がする。

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2009年1月 2日 (金)

B-CASをめぐる議論に望んでいたもの

前のデジコン(総務省「デジタル・コンテンツの流通の流通の促進等に関する検討委員会」)で、地上デジタル放送のスクランブル解除の「新方式」が提案された。今後「小型カード」「事前装着カード」「チップ」「ソフトウェア」のいずれかを導入して、ユーザーにストレスを与えず地上デジタル放送へ移行してもらおうという話だ。

しかし注目すべき点が、「新方式」と並存する形で、現行のB-CAS方式も残すとの前提が立てられたところだ。デジコンの議論の中で、B-CASの限界が指摘され、新しい方式を導入するなどの今後のあり方が検討されてきた。そしてB-CAS廃止に世間の注目が集まり、委員の意見でも「B-CASにはこだわらない」旨が繰り返されてきたのである。それが、今回一転して「存続」という話になった。これには私も少なからず失望させられた。

「失望」した以上は、おそらく私の中にも何か望むものがあったのだろう。これまでは漠然とした思いでしかなかったのだが、ここで少し整理して考えてみる。

B-CAS方式は、地上デジタル放送にスクランブル(暗号)をかけ、その解除の「鍵」としてB-CASカードを用いる。受信機に同梱されたB-CASカードを、ユーザー自らが受信機へ差し込まねばならない上、そのカードはあくまでもB-CAS社から貸与される形となる。暗号技術の内容や、B-CASカードの管理を一民間企業であるB-CAS社が行なっているのが大きな特徴だ。ユーザーから見ればかなり煩わしい。

デジコンでは、このB-CAS方式を支持する委員意見は出なかった。逆に、委員からさまざまな課題を突きつけられていた。「基幹放送」として無料で流されている放送にスクランブルをかける正当性への疑問や、受信機メーカーへB-CASカードの使用を強制するため商品の多様性が損なわれている弊害、すでにB-CAS方式の裏をかく海外製の機器が登場している事実などの指摘だ。今後B-CAS方式を続けるとしても、これらをクリアする必要がある。

順番に見ていこう。まず、日本全国にあまねく届けられなければならない「基幹放送」という地上デジタル放送の性格が、B-CAS方式によるスクランブル化になじむのか。B-CASカードを「鍵」としてスクランブルを解除する仕組みなので、そのカードを持っている人に、対応機器でのみ視聴させるということになる。災害時の情報提供など、誰にでも受信できる状態にしておく必要のある「基幹放送」とは正反対の性格である。使用前のB-CASカードのセッティングやその管理、場合によってはカードの入れ替えなどをユーザーに強いることとなるが、そこまでする意味がどうにも見出せない。

また、B-CASカードという物理的な制約と、B-CAS方式の仕様に従わねばならないという強制力のために、メーカーが作る商品の選択肢が限られてしまうとのデメリットがある。小型化が図りにくかったり、コストの問題からか価格面でもアナログテレビの水準までこなれているとは言い難い。先日のデジコンで提案されたのは、受信機の「選択肢」を増やす方策だった筈だが、B-CAS方式が残ることで、その効果も思うように出ないのではないかと私は危惧する(これは後述する)。

こうまでして地上放送のスクランブル化をおこなうのは、著作権保護ルール「ダビング10」をメーカーに厳格に守らせるためである。ルールに従わない機器にはB-CASカードを発行しないという運用でもって、B-CAS方式に準拠した受信機だけが地上デジタル放送を視聴できるという仕組みだ。しかし、この目的すら現行のB-CAS方式は果たせていない。

B-CASカードは、対応機器の間でなら使い回しがきく。だから、フリーオのように海外で作られ、著作権保護ルールを無視した番組コピーし放題の機器にも使えてしまう。別機器用として入手したカードを差し込めば、地上デジタル放送が視聴可能になる。こうしたB-CASカードの使い回しは、B-CAS社とユーザーとの間で結ばれる貸与契約の中で禁じられてはいるが、契約違反のユーザーをB-CAS社が知ることは難しい。それに加えて、今ではB-CASカードを差さなくても視聴できるようフリーオが“改良”されている。

以上のことは、別に私だけが考えているものではない。デジコンでも直接指摘されてきたことだ。意図通りに運用できていないB-CAS方式を残してしまうのでは、デメリットが先に立つのではないかとすら思える。

B-CASの実効性を求めるなら、フリーオへの対処が必要だ。しかし、B-CAS方式は、 Dpa(デジタル放送推進協会)とARIB(電波産業会)が決定した技術資料にメーカーが従うという「民民の決めごと」でしかない。「ダビング10」ルールがこのデジコンで決められたという経緯はあるが、これは単に当事者間の相談の場が総務省の審議会に置かれただけで、法律によるルールの強制があるわけではない。だからこそ現時点で、フリーオに対してルール無視をやめさせる方策が見つかっていないわけだ。

デジコンの検討の大元にあるのは、著作権保護ルールをどう強制させるかという手法だ。「技術・契約」と「制度」の2通りが想定され、現行のB-CASや「新方式」で考えているのは「技術・契約」の強制力だ。一方、「制度」の強制力とは、要するに著作権保護ルールを破る行為を法律で禁止するなどの対応を指す。これまでのデジコンでは「制度」での対応に消極的だった。しかし、「技術・契約」だけで対応するには不充分と言わざるを得ないB-CASをもし存続させるなら、制度的対応を取るとの方向転換を迫られることになる。

「制度」的対応で対処できるのなら、素直に導入すれば良いではないかとお思いの方もいるだろう。ところが、B-CASの場合はそう簡単な話ではない。B-CAS方式やダビング10のような「民民の決めごと」を法律で強制することが問題をもたらさないかを気にしなければいけないのである。この決めごとが受信機メーカーに強い拘束力を持ち、決めごとの枠外にあるメーカーの参入を難しくしたり、枠内のメーカーすら機器の使用を決める上での選択肢を失って、市場競争が損なわれているとの指摘が、今の時点でもある。たとえばB-CAS方式の「鍵」の管理をし、ユーザー情報を握っているのが民間会社のB-CAS社たった1社という歪んだ状況だ。国がこれをさらに固定化することになりかねない。

心配なのは「制度」的な強制の話だけではない。B-CAS方式と並存するとの前提では、いま議論されている「新方式」の選択にも影響するのではないかと考えられる。言うまでもなく、どんな方式を選んでもコストというのはかかるものだ。B-CASが存続すれば、単純に移行させるよりも、B-CASと「新方式」双方のコストで多くかかることになる。となれば、現行方式に近いもの――B-CAS社が関与する、カードの小型化や事前実装などに落ち着く可能性が高くならないだろうか。

B-CAS廃止の選択肢をデジコンが排除したことで、私が危惧しているのはここである。B-CAS存続のために「制度」的な強制力を導入し、あるものを“有効に”使うとしてB-CASに近い「新方式」が選択され、結局B-CAS社の“独占”状態が継続していくという事態だ。

何とも閉塞感に満ちた話ではないか。デジタル移行(アナログ停波)へ向けて、さまざまな対処をしようとするのは判る。しかしB-CASといいダビング10といい、すでに破綻しているものを、現行の仕組みをこねくり回して維持しようとしている。

確かに、デジコンではこれまで長い時間をかけて議論が行なわれてきた。しかしそこで出された結論というのが、地上デジタル放送にスクランブルが必須であることと、著作権保護ルールが「ダビング10」で、ユーザーの録画については権利者への「適切な対価の還元」を考える、といった内容だった。その結果、多大なコストをかけてスクランブルを施し、その技術が及ばないところでコピーされる番組に「制度」的に対応を試み、「適切な対価の還元」の議論が延々と続くことになる。

この議論で幸せになった人はいるのか。いっそのことスクランブルに固執するのをやめた方が、議論がすっきりするようにも思う。B-CAS方式から新方式へ移行した場合、すでにB-CAS方式の受信機を買ったユーザーが視聴できなくなることを心配してB-CASを残すとのことだが、スクランブルを無くせば問題は起こらない。

おそらく早い段階からボタンの掛け違えがあって、ここまでこじれてしまった。地上デジタル放送の著作権保護ルールについて議論するのなら、私的録画補償金の問題も含めてトータルに考えるべきだった。地上デジタル放送は総務省、補償金は文化庁の管轄ではある。しかし、互いの領域を避けたがためにこの現状がある。総務省は「適切な対価の還元」と曖昧な文言を使い、文化庁では補償金問題が暗礁に乗り上げた。ユーザーの私的録画の自由が保障されるとの趣旨が貫徹されるのなら、まだしも私的録画補償金に存在価値があるようにも思えるのだが‥‥。

そういう横断的な議論のできる場が、今までも、これからも、霞が関に用意されない。残念なかぎりである。

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2008年12月23日 (火)

いつのまにかB-CAS廃止の話は吹っ飛んでいて、追加する新ルールを考えるという話になっている

 22日に、総務省の「デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会」第47回会合が開かれた。この会は「デジコン」の通称で知られ、地上デジタル放送のコピー制限「ダビング10」の仕様を長い年月かけて議論し、6月末の「第五次中間答申」のまとめをきっかけにようやく「ダビング10」開始の運びになったことで注目された。その後は、「技術検討ワーキンググループ」と「取引市場ワーキンググループ」での検討を並行しながら、その報告を受け議論を行なうという形で会合が開かれてきた。
 今回の検討委員会は、2つのワーキンググループのうち「技術検討ワーキング〜」の報告のみを議題にした。このワーキングでは、地上デジタル放送の著作権保護を適正に運用するための強制力(エンフォースメント)をどう保つかの議論を続けている。技術的な録画制限を用いメーカーやユーザーへ「契約」で強制する手法と、法制度などでルール破りを禁止する手法の2つがある中、前者の技術・契約を使う手法を検討した結果が報告された。

 ワーキング報告には「放送コンテンツ保護に係る技術・契約によるエンフォースメントの在り方(案)」というタイトルが付けられた。「利用者にとっての選択肢の拡大」を前提を掲げつつ、現行のB-CASカードを受信機へ差し込む方式からどう改良するかという提案が4通り示された。(1)カードを小型化すること(2)カードを販売時にあらかじめ受信機へ装着しておくこと(3)コンテンツ保護の機能をチップに集約する形をとること(4)コンテンツ保護ルールに基づいたソフトウェアを用いること——といった具合だ。
 カードを使うという点では現行と変わらない(1)と(2)については、暗号を解除する「鍵」の管理者としてB-CAS社の存在を前提としている。現行ではB-CAS社がカードの所有者であってユーザーに貸与される形を取っていること、目的外使用の制限のことなど、ユーザー制度を理解してもらうのが必要なのも同様だ。ただし(2)では、ユーザーが受信機へカードを指す行為が不要になるため、カードの貸与などの情報を提供する機会を確保するのに「クリック契約」などの操作を改めて用意しなければならなくなるとの「課題」が指摘されている。
 B-CASカードとは全く異なるアプローチである(3)と(4)でも、保護ルールを管理するライセンサーと、チップやソフトウェアを作る事業者とで「それぞれの役割や、役割に応じた責任」や「目的やスキームに応じた技術方式」などを改めて検討していく必要があると指摘している。

 これらの(1)から(4)という“新方式”が提案されたことで、B-CASの廃止がいよいよかと思いそうになる。ところが、これらの方式は、実は現行のB-CASシステムと並行して導入されることを前提にして提案されている。「利用者にとっての選択肢の拡大」という前提が掲げられていたのも、B-CASのものと新しい方式のものと両方があることによる「選択肢の拡大」を示したものだという。案を説明した総務省コンテンツ振興課の小笠原課長によれば、すでにB-CASシステムでの受信機を買った人が多くいることでもあるし、新方式へ移行した途端に受信できなくなるというのでは「消費者保護の観点から」問題があると判断した結果のようだ。
 B-CAS廃止論が強まっていた中で始まった検討だったのに、ワーキングの提案が4つ出てきたところでいつのまにかB-CAS廃止が吹っ飛んでしまった感じは否めない。もしB-CASと異なる方式が追加されるとなれば、別方式のものを並行して送信しなければならない、そのコストはどうなるのかと聞いている方としては不思議になってくるのだが‥‥。
 しかも、(1)から(4)の方式を聞いて、ユーザー側委員が相次いで(4)のソフトウェア方式が良いのではないかと意見を述べたが、今回の報告はまだ「どれが良い」「どれにすべき」とは言える段階に無いと村井主査が釘を刺すものだった。主査によれば、まだそれぞれがどれだけのコストを要するかまで検討しきれてはいないという。確かに、コストに関する記述は資料に無かった。
 放送局側の委員からは「B-CAS方式にこだわらない」とする発言が出て、もっとも理解を得るべき視聴者(国民)を重視する意向が示されはした。一方で、費用対効果などの問題もあって、今後議論を深めていく必要性を指摘する意見も相次いだ。まだまだ先は長い。

 デジコンで議論の対象となっているのは、「基幹放送」と呼ばれる無料の地上デジタル放送のみである。その「基幹放送」にスクランブルをかける必要性があるのか、という根本的な疑問が一貫して河村委員から示されてはきた。しかし、今回の報告では「技術・契約によるエンフォースメント」としている通り、それは全く前提に汲み入れられていない。先の(1)から(4)のいずれもが暗号化を想定されたものだ。法制度に頼らないという前提では、保護ルールを守らせるためにスクランブルをかけて、受信機を製造するメーカーにチェックを入れていく手法をとるしかないという考え方なのだろう。
 となれば、スクランブルに違和感を持っているユーザーの場合は、「選択肢」をシビアに判断するしか無いのかも知れない。また地上デジタル放送に違和感を感じ、移行をためらう原因はスクランブルだけではない。ユーザー側委員から、景気悪化とともにデジタルテレビを用意できない家庭が増えていく懸念が表明されてもいた。せっかくワーキングで提案した「選択肢」でも、その中に適切なものが無ければ、ユーザーは地上デジタル放送を選択しない(見ない)という判断を下す可能性もある(逆に、何となく受け入れられる可能性も無いとは言わないが‥‥)。
 小笠原課長が説明するようにB-CASシステムが残され、さらに新方式を加えるとしたら、コストがどうなるのか注目したいところだ。2011年のデジタル完全移行に向けてこの「新方式」が実施できるように、デジコンの議論は検討開始から1年ほどで結論を出すことを目指している。その期限にきっちり合わせて委員会としての結論は出してくるのだろうが、どうも今のうちから「改善が見込めない」という閉塞した感じが漂ってきてしまっているように私には思える(あくまでも私見)。

 「技術検討ワーキング」でも(1)から(4)が検討の途中で、そして法制度を活用した手法はまだ未検討な段階での話ではある。しかしB-CASを存続させることを選択したことで、その運用に実効性を持たせるため、たとえば正規のB-CASカードを流用する無反応機器・フリーオにどう対処するかなどの論点で選択肢が限られてくるように思う。現に、椎名委員から「これらの案では、すでに多くの家庭に鍵が行き渡っているB-CASの問題が解決されるわけでなく、制度的エンフォースメントの導入を求める」発言があった。
 「技術検討ワーキング」が法制度に頼るのには消極的だった印象が私にはあったが、今後の議論次第では雲行きが変わってくるのではないかと思えてきた。ユーザーにとって、結局制限を受ける方向へ行きがちになりそうで、あまり嬉しい話ではない。

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2008年12月14日 (日)

1本の映画の修復のために、大多数の著作権切れ映画をあきらめろと?

 黒澤明監督が1998年に亡くなって10年になる。黒澤作品で有名なのは『七人の侍』『用心棒』『影武者』など東宝で製作されたものが多いが、大映で1950年に製作された『羅生門』も、公開翌年のベネチア映画祭でグランプリ(金獅子賞)を獲得し国際的評価を得るきっかけとなった作品として代表作に数えられている。
 その『羅生門』が、角川文化振興財団と米・映画芸術アカデミーとの大プロジェクトのすえ、「デジタル復元」を施されたという。『羅生門』のオリジナルのネガは可燃性フィルムだったため破棄されたとのことで、現存していない。そこで残された映写用ポジフィルムをもとに、長い年月のため付いてしまった傷やゴミの除去から、ポジフィルムに歪んで定着した像の修正まで、オリジナルのネガをイメージして復元する作業が行なわれた。
 こうした作業は、文化遺産を後世へ伝えるという点では意義深いものだ。映画フィルムは年月を経ることで劣化し、写っている像が薄くなったりフィルムそのものが収縮・変質したりする。そうなる前にデジタル化などの保存措置をとらないと、フィルムの劣化と一緒にそこに記録された映画そのものも失われてしまうことになる。しかしその一方で、映画というのは観客に見せて興行的収入を得る側面もある。それを見込んで投資されるものだ。今回の『羅生門』の「デジタル修復」も、すでに劇場にかけられたりブルーレイディスクでの発売が決定していたりする。

 『羅生門』の「デジタル復元」にまつわる報道は以前からあったようだが、復元の完了を伝える最近の報道で気になるものがあったので、ここで取り上げてみることにした。というのも、著作権との絡みが示唆されていたからだ。
 毎日新聞の記事(2008年12月13日付・夕刊)によれば、この復元プロジェクトの旗振り役は角川グループの角川歴彦会長だという。このこと自体は、プロジェクトに「角川文化振興財団」が関わっていること、大映映画の著作権は現在角川映画が所有していることから、意外な話でもない。この記事で目を引いたのは、米国での上映会を訪れた角川氏が発言したという内容の方だ。
 いわく、「3次利用のネットで、海賊版をなくし、わずかなお金でも回収する仕組みを作りたい。国のサポートや著作権延長などの例外的な措置も必要だ」。同記事によれば、復元には約6000万円の費用がかかっているという。確かにそれを回収する仕組は必要だろうし、いくら劇場上映やブルーレイ発売といっても、回収は簡単でないだろう。角川氏がかつてから必要性を説いてきたような、ネットでの「3次利用」に望みを託すのもわかる。しかし、そのサポートで求めるのが「著作権延長」なのか?

 この文脈で「著作権延長」を求めることの妥当性を考える前に、まずは映画をめぐる「著作権」ありようを振り返ろう。これが少々ややこしいのだ。
 著作権法での基本的な設定では、著作物を作ったときに著作権を得るのは制作した本人(著作者)だ。制作のための資金を出した者が著作権を得られる仕組みではない(ただし契約で、資金を出した者へ著作権を譲渡することはできる)。しかし映画の場合は、制作した者ではなく、資金を出した映画製作者へいきなり権利が発生することになっている。この特例のような仕組みは、映画製作者が「自らの発意と責任において」映画の製作を行なっており、巨額の投資を著作権収入によって回収する必要があるからという趣旨で説明されることが多い。
 また、その著作権の保護期間についても、一般には著作者の「死後50年」までとされているところを、映画の場合は「公開後70年」と定められている。映画製作者の多くは企業で、「死後」の計算ができないからだ。ちなみに、映画製作者に著作権が発生するとした現行の著作権法が作られた(1970年)直後は「公開後50年」とされていた。そうだったのが2004年に、映画業界の強い要望を受けて20年延長された。
 『羅生門』は1950年の製作ということで、この延長の対象とは考えられていなかった。著作権が延長されたのは1954年以降の製作映画だった。ここだけで考えられれば、『羅生門」は公開後50年を経過した2001年には著作権が切れてしまっているかに思われる。しかし、著作権法には他の規定があって、『羅生門』の著作権が切れていないということになってしまったのだ。

 『羅生門』の著作権が切れたのか切れていないのか。そこを直接争った裁判がある。黒澤監督の安価なDVDをめぐっての裁判(この裁判のことをまとめた、信頼するブログにリンクしておく)がそれだ。報道で見て覚えていらっしゃる方も多いのではないだろうか。著作権切れした映画を収録した廉価DVDが書店やスーパーなどで売られるようになってかなり経つが、その中に黒澤作品(ただし1953年以前のもの)もいくつか含まれており、その黒澤作品を売った業者を相手取って東宝・松竹・角川映画がそれぞれ訴えたものだ。
 この裁判で注目されたのが、旧著作権法の規定では、映画の著作者の死後38年まで著作権が存続するという点だった。加えて、現行法にも、旧法の規定どおりに保護期間を計算した方が長い場合には、その旧法の計算に従うよう書かれている。問題になった黒澤映画は旧著作権法のもとで作られたから、1998年に亡くなった黒澤監督が「著作者」なら、「公開50年後」よりも後の2036年(死後38年)まで著作権が存続するということになるのだ。

 このように、裁判で黒澤映画の“延命”が確定してしまい、我々ユーザーにとっては安価に黒澤作品を楽しむ機会が奪われた格好になってしまった。『羅生門』を例に価格を考えると、デジタル復元される前のDVDは3990円で販売されていた。いわゆる廉価DVDは1000円程度だ。収録された映像の質に違いがあるとは言え、約60年も前の映画に今の人が払うべき対価がいくらか考えたときに、ユーザーが選択する幅をこうして失ったことは大きいように思う。ちなみに復元版はブルーレイディスクで鑑賞できるようになるが、実際の販売店でそこから値引きされるとしても、4935円というのは1本の映画としては結構な値段だ。
 もっとも『羅生門』については、高い高いとは必ずしも言えない特殊な場面もあり、『KADOKAWA 世界名作シネマ全集』という映画DVD付きの書籍シリーズが発売されていて、そのうちの1冊で当の『羅生門』(もちろん復元前の映像だが)と東宝の『生きる』をセットにした、黒澤作品特集の号があった。それぞれのDVDを購入するよりもかなり安価で黒澤作品が入手できるという、評価できる企画ではあった。
 とは言え、そうした角川グループの努力を評価した上でも、著作権の保護期間延長の要望を妥当と考えることはできない。『羅生門』のようなわずかな作品の修復や販売のために、他の作品をも巻き込んで保護期間を延長することが、ユーザーの利便を失うこととのバランスが取れたものとは考えられないからだ。

 そもそもの話、『羅生門』の修復は、著作権が存続していなければ施されなかったのだろうか。もしそうだったとしたら、そうした修復を今後も他の作品に施すために、それらの著作権も延長していくべきなのか。
 シンプルに考えたい。過去の作品に付加価値を付けるため、少なくない投資をしてリマスターや修復を施す。その結果、多少は高い商品として市場に再投入される。そこまではまだ理解できるのだ。その結果に価値をユーザーがいれば買うだろうし、価値を感じなければ買わないだろう。
 しかし問題は、そうしたリマスターや修復というのは強要されなければならないものか、だ。リマスターや修復は、単なる保存とは違う位置づけで考えられている。だからリマスター・修復を口実にして保護期間の延長が求められたりするわけだ。それらが引き替えにされてしまうことで、廉価でその作品が提供される機会を失ってしまったり、著作権切れすることで多く生まれるだろう次なる作品への利用を奪うことをどう考えるべきか。『羅生門』だったり、『ローマの休日』『東京物語』『二十四の瞳』といった修復を受けられた超有名作ならばまだしも、他の大多数の作品は映画会社の倉庫に眠り続けている。DVD化されていなかったり、もう廃盤になってしまっているものだってある。
 個人的には、『羅生門』の修復は歓迎するし、それなりの対価も払いたいとは思う。しかし、こうした試みのために私自身が必要以上の負担を強いられるのはどうかと思うし、まして著作権制度のように社会全体を巻き込んで負担を強いるのは如何かと思う。『羅生門』だって、残念ながらこの社会の全員が修復に意義を見出せるものとは言えないだろうし‥‥。

 短い新聞記事の僅かな記述に私が食いついただけだから、実際の角川氏の発言が違うものだったらそれに超したことはないのだが‥‥。ともあれ、この種の修復作業というのは、ビジネスで採算が取れる範囲内か、あるいは文化事業と割り切ってやってもらいたいと切に願う。

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2008年12月10日 (水)

“お馴染み”JASRACのシンポ、話題は「ネット法」と「日本版フェアユース」

 12月9日、JASRAC(日本音楽著作権協会)がシンポジウム『コンテンツの流通促進に本当に必要なものは何か』を開催した。このタイトルは、前のシンポジウム(3月25日)でのパネルディスカッションで動画共有サイトを取り上げた際に、放送番組がネット配信されない現状を制度で変えようという、いわゆる「デジタルコンテンツの流通促進」の議論に話が及んだことを受けたものだ。
 シンポジウムは二部構成になっていた。第1部は、12月1日からスタートした番組ネット配信サービス『NHKオンデマンド』について、日本放送協会 放送総局特別主幹の関本好則氏の講演があった。NHKオンデマンドでは、番組の放送直後に期間限定で配信し、放送時に「見逃し」た人のニーズに応える「見逃し番組サービス」と、過去のNHK番組をユーザーの好きな時間に視聴できる「特選ライブラリーサービス」が用意されている。これまでの日本の放送局では珍しい、大がかりなネット配信サービスとして、ビジネスモデルがどう確立されるか注目されているところだ。ここでの結果が、今後の「流通促進」の議論の行方を左右するかもしれない。
 第2部は中央大学法科大学院教授・弁護士の安念潤司氏がコーディネーターをつとめ、株式会社ドワンゴ 代表取締役会長の川上量生氏、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の岸博幸氏、株式会社ホリプロ 代表取締役兼社長 CEOの堀義貴氏、立教大学社会学部 メディア社会学科准教授の砂川浩慶氏、日本音楽著作権協会常務理事の菅原瑞夫氏らがパネリストとして登壇した。実は、パネリストの顔ぶれは前回と同じだ。
 このシンポジウムは、ニコニコ動画でも配信された。パネルディスカッションでの話では堀氏がニコニコ動画での配信を提案したという。パネルディスカッションの最初の自己紹介の際、川上氏が話している時だけ背景にニコニコ生放送のコメントが映写された。「はやく本題に入れ」「あのー」などとツッコミが入る光景が繰り広げられた。シンポジウムの雰囲気とは馴染まないという判断か、ほんの僅かな間だけの映写だったが。

 スタートから1週間ちょっとしか経っていないNHKオンデマンドの報告がされた第1部は非常に興味深い内容だった。関本氏は7日までの速報値として、会員登録8,000人、番組の単品購入が72,000回、PCからのアクセスだけなら20万人にのぼったとの数字を挙げた。NHKはオンデマンドサービスを有料で提供し、そこから運営費・職員の給料まですべてまかなわないとならないという。現在、用意されている過去の番組が1,266本。これを毎月200本ずつ増やしていき、常時3,000本を見られるように権利処理を進める。
 ネットで配信するためには出演者や使用楽曲の権利者などに許諾を得なければならないわけで、この権利処理をどう進められてきたのか気になるところだ。しかし関本氏は、NHKオンデマンドではプロの出演者らは「団体交渉でほぼ合意できた」と述べた。団体に入っていない人とは個別に交渉しなければならないが、最近では新たに番組を作る時に「見逃し視聴」の分も込みで交渉するため、プロ相手の場合にはさほど障害になっていないようだ。ただし、映画会社や新聞社・雑誌社などが提供してくれた「調達映像」については一部交渉が難航しているという。自社で配信をするつもりの会社が増えているので、競合を避けて断るところがあるそうだ。ニュース映像ならばその部分だけ画像を外すなどすることができるが、ドラマなどの番組ではそういうわけもいかず、交渉し続けるか諦めるかするしかないという。
 むしろ苦労するのは、アマチュア一般の出演者だとのことだ。たとえばドキュメンタリー制作で微妙な内容を扱った場合に、「番組を見てから(配信の許諾について)返事する」と言われる場合があるという。一般の人は交渉の窓口になるような団体が無いから、すべて個々人を相手にして交渉しなければならない。過去の番組については特に、年間に日本で300万人が移動する中で、出演者を捜し出し交渉する。交渉しても、昔のことが掘り返されることを嫌がる人もいるという。
 関本氏の話で興味深かったのは、海外ではBBCの立場が強く、ネットの配信について権利処理していない映像素材は、BBCが国際交流も国際共同制作もしたがらない状況にあるという話だ。2006年にBBCとNHKが『プラネットアース』を制作した際、BBCから、ネット配信の許諾を処理していないためにNHKの素材を使うわけにいかないと言われたという。関本氏は、ネット配信に関する権利もつけておかないと「世界で売れない」と述べた。

 第2部のパネルディスカッションは、前回のシンポジウムでの「共通了解」をコーディネーター・安念氏がおさらいするところから始まった。「死蔵されているテレビ番組がネットで流せるようになればコンテンツ業界はバラ色というのは幻想である」「ユーザーが求めているのは、ネット環境に適した新たなコンテンツである(既存コンテンツを流しただけでは喜んでもらえない)」「ネットでコンテンツが流れないのをテレビ局や著作権制度のせいにするとか、悪者探しをしても全く生産的ではない」「最大の問題はビジネスモデルがまだ確立されていないことにある」。
 そこでビジネスモデルの話をしたい、という仕切でディスカッションが始まった。川上氏は、コンテンツが物に載せられて売られていたパッケージコンテンツが限界に来ていることを指摘した。コンテンツがデータとして売り買いされるようになった以上、違法に入手されたものも適法に入手されたものも変わらなくなっており、むしろDRMがかけられた分、適法に入手したユーザーがバカを見るようになってしまっている。しかしコンテンツを、サーバーでの使用権を売る形にすることで、今後のコンテンツビジネスが見えると持論を展開した。「パッケージが売れないゲームで、唯一ユーザーが払ってるのはMMORPGのようなサーバー型コンテンツだ」という。
 ただ、この「サーバー型コンテンツ」構想についてはあまり議論が深められず、パネルディスカッションの流れは「ネット法」と「日本版フェアユース」に向いてしまった。「コンテンツの流通促進というのが民間の一部や政府機関まで騒いでしまっている。冷静に考えると、流通の促進が本当に国益なのか」と岸氏が疑問を呈した。「金融危機の中で、英米はITなどで成長産業を作ろうと、経済をどう変えるか動き出している。日本はどこを伸ばそうとしているのかが判らない」(岸氏)。
 砂川氏も、「流通促進」という言葉の違和感を述べた。「本来は制作促進を言うべきではないか。制作がなければ流通もない」(砂川氏)。コーディネーターの安念氏も、この砂川氏の発言に前後して、「なぜコンテンツだけ流通促進と言われなければならないのか。流通促進を言われる産業というのはあまりないし、権利処理が大変なのは他でも同じだ。所有権や賃借権の制度が悪いという人はいない」と発言した。
 「日本版フェアユース」についても、菅原氏が「フェアユースは不明瞭。最終的にはとことん訴訟にまで、と考えているのだろうか。社会的な混乱を招くのでは」と指摘。堀氏も「日本版というのがミソ。もとは検索エンジンのサムネールから始まったと思うが、いつのまにかコンテンツでやろうという話になっている」との認識を述べた。
 岸氏も「日本版フェアユース」を「最低最悪」と切って捨てた。しかしその一方で、「一般規定は必要かもしれない」と前置きしてもいた。砂川氏も「目的別のフェアユースをお願いしたい。新聞の縮刷の放送版ができないか。番組ごとのアーカイブではなく、コマーシャルも含めて録画する」と発言した。現行法では、個人としてアーカイブするのは適法だが、大学としてアーカイブすれば違法になってしまう。もしこのアーカイブが可能なら、何十年も経ったのちに大きな資料的価値を持ちえるだろうという。

 さて。ここまでまとめてきた今回のシンポジウムの中で、いろいろと自分の考えを言いたいところがあるのだが、私が最も強い違和感を覚えたところだけここでは指摘しておく。それは、「ネット法」の構想が国の政策だとの前提で話されていたことだ。しかも「日本版フェアユース」がコンテンツ流通促進の議論の延長で批判されている。
 「ネット法」の構想は、元は民間団体から提案されたものだ。今年3月に、デジタル・コンテンツ法有識者フォーラムが打ち出して以来、大きな論議を巻き起こした。コンテンツをネットで流通させるかどうか決める権利を映画会社・レコード会社・放送局にひとまとめにして、出演者や作曲者ら個々の権利者は権利行使をできなくするという内容だ。そのため、権利者サイドから強い反発を受けたものだ。
 この構想は確かに自民党でのコンテンツ関連部会で取り上げられたり、内閣の知的財産戦略本部(デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会)でヒアリング対象にされたりしたが、現時点では、国の政策としてやると決まったものではない。専門調査会が先日まとめた報告(報告案PDF)でも、ヒアリングで発言されただけの提案としての扱いである。
 実は政府の側でも、コンテンツ流通促進の話は消極的な面すらある。堀氏もパネルディスカッションで発言していたが、議論の前提で部分で放送番組に限っているのだ。これなどは私から見ても不満のあるところだ。その不満の理由は私と堀氏では全く異なるところだろうと思うが‥‥。

 「日本版フェアユース」についても、パネルディスカッションでの批判が当たっているようには思われない。「ネット法」の構想は、確かに、上記“権利制限”的な「ネット権」と「フェアユース」の導入が二本柱になっている。しかし「フェアユース」の議論というのは、もともと権利侵害とまでは言えない範囲の利用について、現行法の規定では違法と判断されかねないために著作権を及ばないようにするという趣旨である。多少は流通に関する部分があるとしても、本質的には流通促進云々の話ではない。
 パネルディスカッションでは、「フェアユース」の導入を「ベンチャーがビジネスを続けていけるようにするため」との理由で説明されていることがことさらに批判されていたが、その一方で「一般権利制限規定」の必要性への言及もあった。検索エンジンのサムネイル(ただし実際に権利制限が必要なのはサムネイルについてだけではなく、サーバへの著作物のコピーそのものもだ)を適法化するために個別に規定を用意するようなことでは、社会の変化に対応しきれない。そうした点はパネルディスカッションでも言及されていた。となれば、もはや「日本版フェアユース」に対する批判は単に“理由が気にくわない”と言ってるように見えてしまう。
 私の目から見て、先の専門調査会報告案でまだ「日本版フェアユース」の姿が、現行の30条以下の規定を残すということ以外には見えてきていないのが気になるところではある。むしろ、権利制限できる範囲を狭められかねないのではと不安になっているくらいだ。そうした自分の感覚は置いておくにせよ、「公正な使用ならば著作権の侵害とはならない」という、範囲がしっかり決められるわけではない(しかもその特徴こそが導入の理由である)規定について「不明確」だと批判してみたり、訴訟によって適法かどうか判断するという趣旨なのに「訴訟でシロクロつけるのでは社会が混乱する」と批判することが当たってるのかは疑問だ。
 どうも、「日本版フェアユース」を批判しようにも、攻めあぐねている印象を拭えなかった。

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2008年12月 8日 (月)

次回の私的録音録画小委で報告書が了承される予定、しかし‥‥

 12月16日に、最後の「私的録音録画小委員会」が開かれる。私的録音録画補償金の「見直し」と、その課金対象にiPodを加えるかどうかを検討するため文化庁が設置した会だったが、とうとう見直しにも課金対象にも結論を出せずに終わる見込みだ。今後の制度案を事務局が示していたが、このいわゆる「文化庁案」をメーカーが拒否したことで、前回(10月20日の第4回)の会合において一定の方向性でまとめるのを小委員会は断念した。そしてこれまでの議論を、文化庁案に賛成する意見も反対する意見も併記する形で事務局がまとめ、最後の1回で報告書案を了承するというスケジュールが決められた。

 今年度の小委員会を振り返ると、4月からの会合は次の回を入れてもたった5回。例年は月に1~2回のペースで開かれており、この少なさは異常だ。なぜここまで議論が進められなかったのかというと、文化庁による議論の仕切にメーカーが乗ってこなかったことに原因がある。
 2007年度までの話に少し戻るが、「私的複製」となる録音・録画の範囲を検討し(なお、ここで出された方向性にも問題がある)、続いて さまざまな私的録音・録画の場面を想定しながら「補償」の必要性を小委員会では議論してきた。自分で買ったCDの音楽を録音したり、テレビ番組を録画したり、そういった行為それぞれについて権利者の“経済的不利益”があるかを検討したわけだ。この結果は「中間整理」(PDF)という形でまとめられ、それを受けて文化庁が2007年12月に今後の補償金制度案をまとめた。
 この文化庁案でまとめようと議事が進行されたのが今年度の小委員会ということになる。その内容は、「20xx年」の補償金廃止を打ち出した一方、CDからの録音と無料放送からの録画とでは補償の必要性が残るとして、iPodなどの新しい録音・録画機器にも補償金の課金をするというものだ。しかし、補償金を廃止する「未来」が本当に来るのか、そもそもiPodへの課金が必要とする説明が妥当か、といった観点からメーカー側が文化庁案の詳細を問いただした。文化庁からもメーカーを納得させる回答を用意できず、最終的にはメーカーが文化庁案を拒否するという事態に至った(7月10日の第3回)。

 議論をまとめることが至上命題の審議会でその見込みが立たないとなれば、もはや会合を開くのは難しい。開いたとしても紛糾するだけである。今期の私的録音録画小委員会はそれが決定的になったため、会合が少なくなってしまったのだ。しかし会期の終わりが迫ってくれば、報告書をまとめないとならない。そこで先の「中間整理」を基礎にして、文化庁案と、それをめぐる意見をまとめたものを付け加えて報告書を作るとする「骨子案」が前回 事務局から出された。
 骨子案は大まかに3部に分かれ、「私的録音録画補償金制度の見直し」「著作権法第30条の範囲の見直し」「今後の進め方」との章が用意される。補償金制度については、前述のとおり、文化庁案の内容とそれに対する意見が書かれる。
 一定の方向性でまとまらなかった補償金制度の章とは対照的に、今回の報告書のメインになってしまったのが「30条の範囲の見直し」だ。「中間整理」に記載されパブリックコメントでの猛反対にあった、いわゆる「ダウンロード違法化」を含む部分である。パブリックコメント後、小委員会では方向性を変えることなく「おおむね了解を得られた」ものとまとめられた。骨子案では、「違法録音録画物、違法配信からの私的録音録画」と「適法配信事業者から入手した著作物等の録音録画物からの私的録音録画」について、著作権法第30条で適法とされる「私的複製」の範囲から除外することを提言する項目がある。複製をともなう著作物の鑑賞法が激増している現在、ユーザーが家庭内でする録音・録画について、権利者と訴訟で争う可能性が生じるわけだ。
 実際の文言については「骨子案」から窺うことはことはできず、次回の報告書案を見るしかないが、第4回会合で報告書に対するパブリックコメント募集を改めて行なわないとの事務局の発言があることから、新たな要素は少なく「中間整理」とそう遠くない論旨でまとめられると考えられる。

 メーカーが文化庁案を拒否し、中間整理を引き写す形で事務局が報告書案を作成するという混乱した状態なわけだが、そもそもの私的録音録画小委員会が設けられた目的から考えても、「こんな筈ではなかった」という感じだろう。今後の補償金制度に関するコンセンサスを、当事者である権利者・メーカー・ユーザーらの間で作り上げていくというのが本来の趣旨だったのだから。当事者が納得ずくで補償金制度の行く末を決められるのならベストだったが、結果として起こったのは、権利者とメーカーとの決裂と、権利者とユーザーとの間に新たな溝を生みかねない法改定の構想だった。ここでの議論はいったい何だったのかと、私個人としても思わざるを得ない。
 小委員会が本来の目的を果たせなかったのは、地上デジタル放送のコピー制御を緩和する「ダビング10」の開始が権利者・メーカー間の対立のあおりを食って延期されていた時に、小委員会の頭越しに文科省と経産省とがブルーレイディスク課金で合意してしまったことにも象徴的に表れている。なお、このブルーレイについては文化庁が課金の方向で準備を進めているようだ。
 今後、補償金をめぐる議論はどう行なわれていくだろうか。仮に小委員会を続けるとしても、文化庁案を掲載した報告書(案)を前提にしてすぐ議論を始めるのは難しいだろう。次回が今期最後の会合となるのは間違いないが、私的録音録画小委員会としての最後の会合となる可能性もある。

 目的を果たせなかった小委員会が失ったものは大きい。ユーザーをいかにして納得させ補償金を支払わせるかという“仕掛け”を整える絶好の機会だったにもかかわらず、ユーザーから疑義を突きつけられていた「私的録音・録画すると権利者に不利益が生じる」という“前提”を逆に維持することにこだわってしまい、ユーザーの納得を得る機会を潰してしまった。課金をどういう形で行なっても、補償金が続くかぎりそれを負担するのはユーザーだ。ユーザーが補償金を忌避するようになれば、制度は回らなくなる。
 私的録音録画補償金は、その古くさい前提を権利者とメーカーが共有し、双方が妥協できる範囲――アナログの機器やメディアには課金しなかったり、課金額を定額でなく定率で決定したりするといった範囲で、金のやりとりをすることにしたものだ。実は当初からユーザーの納得性など考えられてこなかった。それゆえに認知率が低く、iPodへ課金が拡大する際の反対の声へとつながった。
 ユーザーにとっての根源的な疑問である「なぜ補償が必要なのか」については、この誰もが複製をあたりまえにできる時代を前提とした回答が真剣に議論されていない。補償の必要が無い複製の範囲が私的録音録画小委員会でも見えてきていたにもかかわらず、そこにいかにして補償金をかけるかという理屈をひねりだすことに文化庁案は腐心してしまったのだ。たとえば何千枚もCDを持っているユーザーが使うiPodに補償金をかけようとするセンスが私には信じられない。自分が所有するCDからのコピーに補償金をかけるまでもないことは小委員会の中でもコンセンサスがある(無いか少ないかとの違いはあるが)。単純に、そこには補償金をかけない(補償金返還の対象にする)、と結論すれば済むことだった。

 ここまで来たのだから、私的録音録画小委員会と私的録音録画補償金の行く末を見届けたいと、私個人としては考えている。しかし今後の展開に希望など全く持てはしない。権利者とユーザーとの間の争いで疲弊するコンテンツビジネスに、納得性が無く誰も払いたがらない補償金と、実効性が無く誰も守らない“著作権ルール”が残るだけではないか。
 そうした惨状を見届けつつ、わずかずつでも回復させていくことを考えたい。

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2008年12月 6日 (土)

放送番組をネットで流すには ——コンテンツ学会がプロジェクトチームを始動

 12月5日に、コンテンツ学会が「ネット利用調整制度に関する民間審議会」を発足させて、最初の会合を開いた。コンテンツ学会は、映画やテレビなどの特定のジャンルに限定しない「コンテンツ」全般を扱う、産・官・学を包括する議論の場を目指した学会だ。その中に設けられた「民間審議会」で話し合われるのは、テレビ放送される番組をどうすればインターネットにも流せるようになるのか、そして放送から配信へスムーズに進める業界慣行が出来上がるのを促す制度をどう用意するかということだ。早稲田大学大学院客員准教授の境真良氏が世話役となり、MIAU共同代表の小寺信良氏、KDDI総研コンテンツ・メディアグループリーダーの花岡宏明氏、ヤフーメディア事業部シニアビデオプロデューサの山根陽一氏ら8人が委員として参加している(審議会メンバーリスト)。

 テレビ番組がなかなかネットに流れない(ただし全く無いわけでもないが)ことは、これまでにも民間で多く指摘されてきたことで、行政の側でも内閣府の知的財産戦略本部や文化庁・総務省の審議会などで検討の課題に挙がった。そこでの議論の前提は、テレビ番組がたくさん製作されていながら、ネットで配信されているのは一部にすぎないとの認識で一致している。皮肉なことに、番組の製作者から正規に配信している番組コンテンツよりも、YouTubeなどの「異常な利用」がニーズを捉えてしまって、集客力を持ってしまうありさまだ。
 何故このようなことになってしまっているのか、という疑問には様々な説明がされている。ユーザーの側からは、テレビ局がコンテンツを出したがらない、あるいは権利者が著作権・著作隣接権を行使することで配信されないという指摘がある。また、権利者の側からは、ネット配信のビジネスモデルが出来上がっていなくて今出しても商売にならない、あるいはユーザーがタダで見られる状態があるのに正規に配信しても金を払って貰えない、といった意見が出ている。こうした様々な見方があるため、考えられる対処策というのも複数あり、たとえば文化庁では現在行方のわからない権利者について権利処理を簡便にする方策を提案したり、総務省ではネット配信を前提とした番組作りの実験を行なっていたりする。12月1日からNHKオンデマンドも始まっているが、ネット配信の動向にどういった影響をもたらすか判るのはまだ先の話だろう。

 ここまで見てきた議論の流れの中に、コンテンツ学会での今回の「民間審議会」も位置づけられる。しかし、直接的な発足のきっかけとしては、「ネット法」構想の存在も大きい。「ネット法」とは、デジタル・コンテンツ法有識者フォーラムが2008年3月に発表した立法案のことで、映画・音楽・テレビ番組などをネットで流しやすくするために、関係する権利者(ライター・出演者・作詞作曲家など)の権利を「ネット権」という一つの権利にまとめ、それぞれ映画会社・レコード会社・放送局に管理させるという仕組みだ(他にもフェアユースの導入も大きな柱なのだが、ここでは省略する)。この「ネット権」者が、配信することを求めるネット事業者に対して「許諾」するかどうか決定できる。この「ネット法」構想は注目を集めるとともに大きな議論を呼び、政治の世界では自民党のコンテンツ関連部会や、行政では知的財産戦略本部や総務省の審議会でも取り上げられた。
 そうした影響力を持った「ネット法」構想だが、疑問点も数多く指摘されている。権利を映画会社などに集中させるため、個別の権利を「切り下げ」られる実演家から反対があることは予想通りとしても、その権利を得られる映画会社・レコード会社・放送局からも反対されている。これまで、あるいはこれからのビジネス上のしがらみを考慮していない制度案ということは言えるかも知れない。また、ユーザーの側から見ても、「ネット権者」がネット配信を止めてしまえば、結局は今と同じではないかという疑問がある。コンテンツ学会の「民間審議会」は、その危惧にメスを入れるところから始められた。

 「民間審議会」第1回の話し合いはどういう内容だったのか。まず、議論の出発点は事務局作成の資料(リンク先参照)で提示された。まず、YouTubeやファイル共有などでコンテンツが流れてしまっている「異常」な状況は(あえて「違法」とは呼ばなかったという)、ネットでの利用機会をユーザーに与えないコンテンツ産業にも原因があるのではないかということ。そして、その問題はテレビ番組で多く発生していて、著作権などの処理が「ワンチャンス」で行なわれていないのが原因ではないかということ。そうした問題点を解消するのに、「テレビ番組コンテンツに関する諸権利を、個別の交渉無しに一本化するルールの創設」を叩き台として提示した。これだけを見ると、「ネット法」との共通点が目立つが、むしろ「ネット法」との違いを意識して案が作られている。
 「民間審議会」が提案している新ルール「ネット利用調整法」(ただし現段階では叩き台)と先の「ネット法」との大きな違いは、その制度が想定している運用期間にある。「ネット法」が今後のネット利用にずっと適用されることを考えているのに対し、「調整法」の方は、ネット利用の形が業界にできあがるまでの「暫定法」だということだ(ネット配信の業界慣行が出来上がればすみやかに廃止されるとする)。
 また、「ネット法」では権利者が利用させないという選択もできたことに対して、「調整法」では一定期間で区切ったオークションを実施することを考えている。オークションによって配信事業者をどんどん決めていく仕組みだ。配信相手を決める権利はテレビ局に持たせるが、配信相手が決まらないとオークションが繰り返させられる。これにより、半ば強制的にネット配信への流れが作られる。
 「ネット法」では明らかでなかった収益分配の仕方についても、「調整法」では経団連ルールを暫定的に使うこととされている(その後定期的に改訂するともされている)。

 会合の中で、放送番組をネット配信する許諾契約を促す「調整法」の基本的方向性そのものを変えるべきとの意見は出なかった。むしろ、この案が対象とする範囲の確認や提案など、制度の明確化に関する意見が目立った。
 花岡委員の質問にで、「調整法」があくまでもテレビ放送を対象としたもので、「ネット法」とは違い映画やレコードを含めたものではないと確認された。映画はすでに権利が集中されていること、レコードでも配信が進んでいることを理由としている(境世話役)。また、小寺委員から、放送で収益が上がっていないBSや、既存番組の再放送が多いCSについては議論から切り離し、地上波放送のみを対象にしてはどうかとの提案があった。「異常利用」で、地上波放送の番組が多くを占めているのも理由だ。
 また、オークションにかけられる番組を1本単位にするのかシリーズ単位にするのかという指摘も小寺委員からあった。事務局案では1本1本をオークションにかけるという想定だったが、「NHKに多い単発ものなら、オークションも可能だろう。しかし多くの民放番組はシリーズもので、セット売買することに意味がある」(小寺委員)という。放送番組をひとまとめに議論するのではなく、そうした細かい違いまで踏み込む必要性があるとした。
 オークションで入札できる事業者については、テレビ局自身やその子会社を参加対象とせず、「ベンチャーも想定していて、企業規模・年数・実績などで基準を設けて切ることはできない」(境世話役)としている。その一方で、談合の可能性や、大規模なネット企業だけが落札してしまう危惧も委員から指摘された。
 ネット配信でどうビジネスにしていくかという点も課題だ。ネットで配信すれば単価は安いが全体としては儲けになるという形でどう持っていくか。それにはパソコン以外のデバイスでの利用も視野に入れながら、「支払いは電話料金・携帯料金・ケーブル料金に上乗せする形になるだろう」(境世話役)、「映像についてはサブスクリプションの方が目がある」(小寺委員)といったイメージが出された。しかし現状としてネット配信ですぐに利益をあげる難しさが共通の認識としてあり、日清の『Freedom』をネット配信した際のDVD売上げへの効果を例に、「ネットに出して視聴率が上がるということを言うしかない」との見方も山根委員からあった。

 今回の会合で出た指摘を反映し、「調整案」の資料を事務局でバージョンアップし次回に提示するという。
 「民間審議会」は、次回が1月21日に予定されている。今回を含めて4回の会合が予定されていて、2月中の提言とりまとめを目指して集中的に議論を進める。第2回・第3回では、メディア関係・コンテンツ関係・キャラクター(または実演家)関係・代理店などからゲストを呼び、議論に参加してもらうことを考えているという。次回以降も、傍聴者を入れての公開の場で議論が進められる。

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2008年12月 3日 (水)

YouTube事業説明会に潜り込んできました。

 12月1日発売のマガジンハウスの『Brutus』誌(12月15日号)で、「世界初」と銘打ったYouTubeの特集が組まれています。関連トピックを集めた前半と、オススメ動画を集めた後半、それに茂木健一郎・山形浩生・津田大介・ドミニク チェンの四氏のインタビューを織り込んだ内容です。
 その特集号の発売に先立つタイミングで、11月25日には大手町の経団連ホールにおいて「YouTube日本版 08-09年事業説明会」が開かれました。ネットでもかなりの数の報道が上がっていましたね。主として、ユーザーの投稿が著作権を侵害していないかチェックする「コンテンツIDシステム」と、提携企業の現時点での成果、そしてYouTubeの今後の収益に関する課題をとりあげたものでした。

http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMITbe002025112008
「『YouTubeは攻めの段階に』 グーグルのコンテンツ担当副社長、広告事業を強化」
(IT-PLUS) 2008.11.25

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20081125/319888/ 「『著作権問題が解決し、YouTubeは守りから攻めにシフト』
 ――米グーグルのユン副社長」
(ITpro / 日経WinPC)

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/11/25/21640.html
「『YouTubeは著作権対策から収益化の段階へ』Google副社長」
(INTERNET Watch) 2008.11.25

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0811/25/news115.html
「『著作権は守りから攻めにシフト』──違法動画も収益化目指すYouTube」
(ITmedia News) 2008.11.25

 この日の事業説明会に潜り込んできた私の目から、面白いと思ったことについてメモ代わりに書き留めておきます。

 説明会では、YouTubeの用意した新しい試みが幾つか紹介されていまして、その中でおそらく1番の重要度なのが「コンテンツIDシステム」だと感じました。著作権対策としてYouTubeが開発したもので、提携した「コンテンツパートナー」からサンプル映像を提供してもらってデータベース化し、ユーザーが動画を投稿した時に比較する仕組みです。
 そこでマッチすれば著作権侵害の疑いありということで、権利者である提携パートナーに連絡が行きます。その後の処置は、(1)動画が公開される前に視聴不能とする「ブロック」、(2)動画をブロックしない代わりにアクセス解析情報を詳細に取得できる「トラック」、(3)動画に広告などを表示して広告収入を受け取れる「マネタイズ」――から提携パートナーが選ぶことになります。ちなみに動画は20秒もあれば照合可能だとか。
 実はこの「コンテンツIDシステム」は、既に海外ニュースや先行するイベントなどで既に発表されています(リンク1リンク2リンク3)。その時は“コンテンツホルダーの90%は違法動画をそのままにして広告収入を取る選択をしている”といった報じられ方をしていました。しかし私個人としては、この「90%」がどう計算されたものか、よく判らなかったのですね。
 そのあたりが今回の事業説明会でようやく理解できたのですが、まず母集団が、サンプルを提供したコンテンツパートナーの映像に限られていたようです。それも、壇上に立ったGoogle コンテンツ担当副社長のデービッド・ユン氏によれば、このシステムを使っているパートナーの数は「300」とのこと。ちなみにYouTubeが世界中で提携している「コンテンツパートナー」は3000以上という話でして、かなり狭い範囲でしかこのIDシステムが使われていないように思われます。そしてその中で「90%のマッチングについて、パートナーはマネタイズを選択している」との説明でしたから、YouTubeに理解のある提携社が僅かでも利益になる方策を多く選択しているという結果でしょう。
 まだ現時点では参考程度に捉えるのが良さそうです。

 YouTubeの他の試みはちょっと置いておきまして、説明会に参加したゲストについても書いておきます。ここでのハイライトのひとつは、JASRACの参加まで取り付けていたということです。YouTubeがコンテンツホルダーと歩み寄っていることをアピールするのに絶好のゲストでしょうし、また今年10月にようやく包括許諾契約にこぎ着けたことを考えても、JASRAC常務理事の菅原瑞夫氏が登壇したことは感慨深い光景ではありました。
 菅原氏のスピーチはJASRACの考え方を述べたものでしたが、面白かったのは「『動画投稿(共有)サイト』に対して違法利用の対策を求めるだけでなく、『動画投稿(共有)サイト』を新たなメディアとして存在を肯定し許諾の途を開く」としていた点でした。「存在を肯定し」とは随分と踏み込んだ言い方です。リップサービスにしても、こうした発言を繰り返していけばJASRACのイメージが変わるかも知れないと思いました。
 ただ、菅原氏は甘い言葉だけでは終わらせませんでした。「後ろにあるもやもやした部分は忘れてはいけない」。YouTubeの取組が十分なものではないと匂わせたのでしょう。

 YouTubeが当然のごとく呼ぶであろう重要ゲスト――日本企業でYouTubeとの連携を活発に行なっていることで有名なのは角川グループでしょう。スピーチは角川デジックス社長の福田正氏が、パネルディスカッションでは角川グループ会長の角川歴彦氏が登壇しました。
 提携後に角川グループが最初に手がけたのが「MAD動画」などの「公認」でした。自社コンテンツを勝手にアップロードしたり、他の映像や音楽と組み合わせたりした動画(こちらが「MAD動画」)を、一定の判断基準で「公認」しYouTubeに残すという試みでした。広告効果を期待したもので、福田氏のスピーチによれば、10月末の時点で「公認」動画の再生数は自社掲載の動画の62倍に上るといい、11月時点ならば「100倍を超えているかもしれない」とのことでした。
 また、角川グループが開設したYouTube上の公式チャンネルが12あります。先の「公認」動画と関連するアニメ・チャンネルから、角川エンタメチャンネル、ウォーカー・チャンネルなど、グループで抱えているメディアとの連携が図られています。その例として、タカラトミーから発売された「フラワーロック2.0」のキャンペーンが紹介されました。
 フラワーロックは、音楽を流した部屋に置くとその音楽に合わせて踊る花のおもちゃで、20年前に発売されたのを今年リニューアル再発売したものです。そのプロモーション活動に角川グループが自社の雑誌やYouTubeのチャンネルを活用しました。10月30日には昔の映像が9本(再生総数20,435)しかなかったのが、11月11日に新版のプロモーションを開始、11月14日にはYouTubeが用意した動画内広告「InVideo」にも掲載しました。するとこの日の関連動画の再生数が88,466回、前日から57,000回増えました。動画数の方は、スピーチ当日で101本とのことです。
 福田氏のスピーチは、相当の手応えを感じているといった趣旨で話が進みました。

 ゲストはこの他に、エイベックス・マーケティングの前田治昌氏、パナソニックの和田浩史氏らが登壇しました。その中でも角川グループの発表データに顕著だったのですが、 提携の成果は今のところ動画再生数を基準に測られています。そこで、大量の閲覧をいかにYouTubeの収益へ繋げ、コンテンツホルダーに還元するかが今後の課題ということになります。
 そこを意識したYouTube(とGoogle)が用意したのが、パートナー関係を結んだ企業の動画のそれぞれについて誰がいつどう見ているのかを詳細に記録したアクセス解析「YouTubeインサイト」、動画の中に広告を掲載しパートナーの別サイトへ誘導を図る「InVideo」、動画ページにパートナーの関連通販サイトへリンクを用意する「Click To Buy」です。先の「コンテンツIDシステム」でパートナーに「トラック」や「マネタイズ」の選択肢を実現するのも、こうしたサービスを並行して提供したからこそということになります。
 しかし今回の事業説明会は、金額ベースでの効果は発表されていないという、「マネタイズ」が途上だと判る内容でした。来年にはこの効果がどのように発表されるのか。コンテンツを合法に提供することに関しては、大きな前進を見せているYouTubeですが、それを活かすも殺すもこれからの話なのかも知れません。

 YouTubeが商業的に回り出したら、これまで派手さが無いながらも続けられてきた個人ユーザーの動画投稿はどういう扱いになるのか。商業コンテンツと個人動画とが両輪になっていくのか、それとも素人が入り込む余地が少なくなってしまうのか‥‥少し不安に思うところが無いわけでもありません。
 ただ、そういうことを漠然と気にしつつも、YouTubeでの私の最近のお気に入りは、公式チャンネルを開設したばかりのモンティ・パイソンだったりするんですけど。ついつい目が行ってしまうのが商業コンテンツ。おそらく、私がYouTubeを捉える角度というのは、そういう商業寄りだったりするのではないかと思われますね。

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2007年11月15日 (木)

著作権分科会パブコメ募集中 ──ホットトピックは非親告罪化と「ダウンロード違法化」

 採りあげるのが実に遅れまくっているわけですが。
 当初から予定されていた通り、 10月16日より 文化審議会著作権分科会の中間報告に対するパブリックコメント募集が実施されています。2つの募集が並行して行なわれており、ひとつは法制問題小委員会の「中間まとめ」を対象とするもの、もうひとつが私的録音録画小委員会の「中間整理」を対象とするものです。

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=185000283&OBJCD=&GROUP=
「『文化審議会著作権分科会法制問題小委員会中間まとめ』に関する
 意見募集の実施について」
(e-Gov. :意見募集中案件詳細)

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=185000284&OBJCD=&GROUP=
「『文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会中間整理』に関する
 意見募集の実施について」
(e-Gov. :意見募集中案件詳細)

 それぞれに募集要領が用意されており、送付先も異なっていますので御注意あれ。意見募集の対象となる文書もそれぞれありますので上記リンク先より入手してくださいね。
 〆切はいずれも 11月15日、 「必着」とのことです。木曜日の〆切ですから、ひょっとすると日付が変わるギリギリでの提出も想定しているかも判りませんね(極端な話、翌日に担当者がメールチェックする時点までの余裕ありと見て送る裏技も‥‥すみません、私過去にやったことがあります)。もっともメールってやつは若干の遅れもあり得るので、早め早めに送っておいた方が安全であると思われますけれども。
 意見には「個人/団体の別」「氏名/団体名」「住所」「連絡先」「該当ページおよび項目名」を付すよう指定されています。詳しいことは募集要領を参照のこと。また、メールの件名を対象資料に応じて「法制問題小委員会中間まとめに関する意見」「私的録音録画小委員会中間整理に関する意見」とするようにとの指示もあります(前述の通り、送付先メールアドレスが異なっていますよ)。
 送付した意見は、ここのところの意見募集を見たかぎりでは「氏名、住所、連絡先を除いて公表され」るのが通例です。このあたりを想定して意見を書かれるのがよろしいでしょう。ヘタに過激さに走ったりすると、某パブリックコメントの結果発表で晒されてしまって後で撤回するハメになった某AJのようなオチになりかねません。御用心、御用心。

 この記事は、〆切日付けとして上げておきます。当分は当ブログのトップに表示される筈です。何か追記すべきことがあれば更新していこうかと考えています。
 私自身、意見をまとめる過程をここで公開しながらやれたらと思っています。最近はブログの更新も滞りがちではありますが、パブコメにできるだけ注力し、その成果をブログに反映するつもりです。

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2007年10月14日 (日)

パブリックコメント開始間際の準備として

 明後日 16日から、 文化審議会著作権分科会が出した中間整理(私的録音録画小委員会)および中間まとめ(法制問題小委員会)に対するパブリックコメント募集が行なわれる予定です。これへの準備として、私的録音録画小委での議論の方をまとめてくださった方がいらっしゃいましたので、とりあえず御紹介をば。

http://d.hatena.ne.jp/picas/20071013/1192266949
「私的録音録画小委員会での著作権法第30条の議論の流れを整理してみた」
(picasの日記)

 私自身が思うように動けない有様なので、こうした方が出てきてくださると非常に助かります。
 ぜひこの問題に興味のある方はご一読ください。

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2007年9月10日 (月)

津田大介さんは闘い続けている。

 文化審議会 著作権分科会 私的録音録画小委員会では「中間整理」に向けて議論が大詰めになっているところなんですが、 ITmedia での報道がきっかけでちょっと物議をかもしてしまった事柄があったりして。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0709/05/news073.html
「補償金はDRM強化よりまし?——私的録音録画小委員会で議論」
(ITmedia News)

http://xtc.bz/index.php?ID=472
「『ダウンロード違法化/iPodの補償金対象化』がほぼ決定した件と、
 ITmediaの記事で抜粋されている発言についての補足」
(音楽配信メモ)

 要は、 ITmedia の宮本記者が、「DRMが強化されるか、補償金を支払うかの2択なら、補償金を支払う方を選ぶ」と津田大介委員が小委員会で発言したと報じたことで起こった混乱なのですね。その前提となる考えをすっとばして報じてしまったがために。
 ちなみに今では当該部分は次のように訂正されています(その前の文章は私の前の記事で引用していますのでそこを参照のこと)。もし未読の方がいらっしゃいましたら御確認ください。

 IT・音楽ジャーナリストの津田大介さんは「録音・録画に使わない機器からも補償金を徴収されるのは、消費者として納得できない」とし、もし徴収するのなら実効性のある返還制度が必要と主張する。さらに「補償金制度の維持・拡大が避けられないなら、機器1台当たり十円など消費者に負担感がないほど安価に設定した上で、家庭内の私的複製が現在と同様、自由に行えることが必須」と主張。「補償金制度がなくなったら、DRMやコピーガードが強化される可能性がある。DRMが強化されるか、安価な補償金を支払う代わりに自由に私的複製できる状況を取るかの2択なら、補償金を支払う方を選ぶ」とも語った。

 最初からこれだったら、まだしもマシだったのかも判りませんがね(私が宮本記者に対して書いた批判を撤回するほどのものではありませんが)。

 なお津田さんの真意は『音楽配信メモ』の記事で書かれていますので、それも引用しておきますか。

さて、問題となっている記事中の「補償金制度がなくなったら、DRMやコピーガードが強化される可能性がある。DRMが強化されるか、補償金を支払うかの2択なら、補償金を支払う方を選ぶ」という発言だが、これは確かに俺は言った。

(中略)

えーと、細かい発言はあとで文化庁のサイト上で議事録公開されるので、それを追ってもらえばと思うけど、「補償金制度がなくなったら、DRMやコピーガードが強化される可能性がある」という発言の前に俺が言ったのは「この2年間のなかなか進まない膠着した議論を見てきて僕が思うのは、そもそも論的なものが有効に機能してもし補償金がなくなったら、権利者の人たちは確実にDRMを強化してくるだろうなということ。良い悪いではなく、そういう厳しいDRMが普及する状況になって消費者が自由にコンテンツを楽しめなくなるのなら、返還制度がきちんと実効的に機能する枠組みがある上で1台あたり数十円とか上限を非常に安く設定して補償金を払い、その上で家庭内の私的複製を阻むようなことを権利者がしない……つまり補償金がなくてDRMが厳しい世界と、広く薄い(十分に安い)補償金払って家庭内ではコンテンツを自由にコピーできる世界の二択しかないなら、僕は後者を選ぶ」というような趣旨のこと。細かい発言とは多分違うかもしれないけど、少なくともそういう意図があってかなり細かい条件を付けて、この話をした。

あともう1個重要なのは、この話が椎名委員から「賛成だ」と言われたので、それに対して釘を刺す意味で「ただし、補償金払って良いとさっき僕が言ったのは、返還制度が機能して、十分に安い補償金で、さらには家庭内では自由にコンテンツのコピーができるような環境を権利者がきちんとユーザーに対して保証するという前提があれば、という話。少なくとも今議論の俎上にのぼってる「著作権法30条を改正して、ネット上に上がっている違法著作物のダウンロードを私的複製の外に置いて、ダウンロードする行為を犯罪化させるような状況だったら、補償金払うことは飲めませんよ」という趣旨の返答をしている。

つまりこれは、現実的には文化庁の思惑や権利者の主張とこの審議会の審議の動き方を見るに、「補償金なくしてDRMバリバリの世界にいくか、補償金払う代わりに今までの私的複製の自由な範囲はいじらない」という二択しか(この審議会においては)現実解として存在しえないだろう」と俺が判断して、そんな状況に対してある種皮肉混じりで発言した部分もあるわけです。

 では、なぜこのような発言をせざるを得ない状況になってしまったのか。




■私的録音録画小委員会のこれまでの流れ

 詳しい話は議事録を参照していただきたいのですけれども。
 基本的に、私的録音録画補償金をめぐる議論の主要課題としては「著作権法第30条の対象となる私的録音・録画の範囲の確定」と「私的録音・録画が本当に補償の必要な行為なのか」という二点が挙げられます。で、前者の議論から出てきたのが「違法複製物・違法配信からの私的録音・録画を第30条対象から除外する」「適法配信からの私的録音・録画を第30条対象から除外する」という話でした。こうした、著作権第30条(私的使用目的の複製)の対象を狭めるという考えに対しては津田さんを始めとした委員から疑問の声も挙がっているのですが、(そうした声が少ないこともあって)これを無視し進めてしまう流れが出来てしまっています。
 後者についても、(補償の必要性を示せという)そもそも論の要求がメーカー・ユーザー側から挙がっていたにもかかわらず、結局「仮に権利者の不利益があるとした場合の制度設計」という詭弁が持ち出され、補償金制度存続・拡大を前提に議事が強行されてきたということが言えます。

 そして私的録音録画小委員会の現在、なんですが。
 10月の著作権分科会での報告に向け、「中間整理」をまとめる議論に入ってしまっています。それまで残された会合は2回、補償金制度についての議論にあらかた充てられてしまうでしょうから、津田さんが仰るように第30条縮小問題の方向性が「中間整理」までに転換されることは無いでしょう。
 著作権分科会での報告で「中間整理」が了承されたら、これについて意見募集が実施されます。国民が直接意見を述べる唯一の機会と言っても良いです。おそらく10月中旬です。

 第30条関連については、もはや小委員会の外で議論を巻き起こすしか無くなってしまいました。今そうしたフェーズにあるのが正直なところなのです。津田さんもこの法改定の動きに対して警鐘を鳴らし、パブリックコメントの提出を呼びかけ始めていらっしゃいます。

http://ascii.jp/elem/000/000/065/65719/
違法コンテンツのダウンロードが“罪”になる
(ASCII.jp)

 第30条縮小について注意すべき問題点が上の記事で述べられています。これを読んで、法改定に納得できない方はパブリックコメントの提出を御検討ください。もし本気で止めようとするなら、審議会で議論されている段階で食い止めるしかありません。

 ちなみに、第30条縮小に関する私の見解はここに書いてあります。

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2007/04/post_2bb1.html
「私は、国民が文化に触れ、文化を語り、
 文化を受け継いでいくことを妨げる法改定には反対します。」
(エンドユーザーの見た著作権)

 ただし私の上の記事は、書いた当時(今年4月)時点の知識で書いていますので、今の知識で考えているのと若干の違いがあります。上記リンクの津田さんの話にもあるのですが──

●今回30条から除外されたとしても、その行為について刑事罰は科せられない。
●今回の除外は「録音・録画」に限定される。

 ということを念頭において読んでいただければ幸いです。
 それでも私が危惧している「国民が文化に触れ、文化を語り、文化を受け継いでいくことを妨げる」事態に陥りかねないという見解に変更はありませんけれども(上記2点の“限定”をもってしても、ユーザーが民事訴訟を提起される可能性が残ること、他の著作物に対象が拡大しかねないこと等の問題がなおも残っているというのは津田さんの発言にあった通りです)。




■「二者択一」と「死に至る病」

 最初の、私的録音録画補償金と DRM との関係の話に戻ります。
 これを考えるにあたり、まず前提とすべきことがあります。
 ──補償金制度と DRM というのは並存してしまっているのですね、現状。

 本来は「ユーザーが私的録音録画補償金を支払うことで私的録音・録画の自由を維持する」との名目で導入された制度ではありました。しかしコピーワンスであったり「コピーコントロールCD」であったり、補償金制度の下で私的録音・録画の自由を脅かすような実態が進んでいったのは皆さんも御存知でしょう。私的録音録画補償金の存在自体がユーザーの理解を得られないでいる主な原因のひとつであろうかと思われます。
 加えて、今の私的録音録画小委員会(とりわけその事務局)の見解としては、補償金制度と DRM の共存を前提に議論を進めているという実態もあります。つまり補償金制度を維持しようが拡大しようが、 DRM の存在とは関係ないと。コピーワンスが撤回されることも(一応「緩和」が予定されているらしいのですがね──ユーザーにとって不充分なのは言うまでもないでしょう)、私的録音・録画を妨害する仕様の DRM の導入を否定することも拒否していました。

 補償金と DRM の組合わせを考えたとき、ユーザーから考えれば有りか無しかということで利便性を判断しますのでそうしますが、「補償金あり DRM あり」「補償金あり DRM なし」「補償金なし DRM あり」「補償金なし DRM なし」の4通りを想定できます。
 「補償金あり DRM あり」が現状なのは先に書いた通りです。しかしこの現状を我々が許容できているのかと言えば、私からすりゃフザケンナってところ。そもそも私的録音・録画を妨害するような仕様のコンテンツは買いませんが、私的録音録画補償金制度の存在理由(上記の「私的録音・録画の自由」云々)を聞くたびに欺瞞だと感じずにはいられません。
 「補償金なし DRM なし」という選択肢はハッキリ言ってあり得ません。補償金が廃止された後で DRM も市場から駆逐されるという段階的変化の結果でない限りは実現不可能でしょう(市場からの駆逐は「着うた」の例を見れば望み薄といったところでしょうし)。論理的に見ても、私的録音・録画すべてが権利者への経済的不利益を発生させているとは証明できていないのと同様、私的録音・録画すべてが権利者への経済的不利益を発生させていないとも証明できていません。私見ですが、録音・録画の態様によって経済的不利益が発生したりしなかったりするのではないかと思われます(絶対に不利益が発生しないとか考える方はぜひ論証に努めてください。自分に有利な場面だけ想定できるわけではありませんから、かなり骨ですよ)。だからこれも選択肢として使えない。──それ以前の問題として、権利者が受け入れるわけないですけどね。
 となると、現実にあり得る未来について選択肢を設定するなら「補償金あり DRM なし」「補償金なし DRM あり」の二者択一ということになります。

 このうち、「補償金なし DRM あり」を選択したらどうなるでしょうか。 DRM で私的録音・録画が制限される場面が発生すると考えられますが、その DRM が社会に受け入れられるかどうかは市場が判断する結果に依ります。そこで考えられる未来はふたつ、〈権利者がガチガチの DRM をかけて市場が抵抗する〉〈権利者が軽 DRM または無 DRM を採用して市場と和解する〉です。
 しかし著作権者らの抵抗によって日本での著作物利用が阻害されている現状を見れば、こうした DRM への傾斜が市場との大きな摩擦を生むことは間違いありません。そして業界(この場合はアーティスト・レコード会社等の両方)もユーザーも疲弊し市場が縮小していくことが予想されます。中には「もう音楽なんて聴かねーよ!」と離れていく人も多く出てくることでしょう。
 私流で言えば〈ゲリラ戦が始まる状態〉で、そこまで消耗しながら音楽のために闘える人間がどれだけいるというのか疑問だったりします。津田さんの話に私が共感するのもこういう認識から。

 現実解ということで言えば、おそらく津田さんが仰るように「補償金あり DRM なし」を求めるのがいささかマシということになります。

 実は『音楽配信メモ』での記事の前に津田さんがこの問題をズバリ論じている文章があったりしますので、それも紹介しておきます。新著 『CONTENT'S FUTURE』 のプロモーションとして配信されたネットラジオの後で、チャットを使って質疑応答をした時の模様です。

http://blog.shoeisha.com/contentsfuture/2007/09/q2_drm2drm.html
「【補償金】Q.2 補償金とDRMの究極の2者選択ですが、……【DRM】」
(CONTENT'S FUTURE)

 あるべき未来を考えたときに、上の二者択一にすることを「詭弁」だとか「ミスリード」だとか呼ぶことが的はずれだということは言うまでもないでしょう。 ITmedia の記事や『音楽配信メモ』での反論を受けて、そういう声が少なからずあったんですが、私の印象はそんな感じでした。
 むしろ、あの二者択一は「補償金あり DRM あり」という可能性を拒否する意志の表われであると私は解釈しています。津田さんは闘い続けている。──著作権法第30条の縮小が規定路線で進み、私的録音録画補償金も維持、それどころか拡大されようとしている今。ユーザーにとってギリギリ容認できるラインがどこなのか、それを見極めなければならないところにまで追いつめられているということです。いつも同じことばかり議論していて進展が無いとかいう認識では見誤りますよ。むしろ状況はもっと悪い。
 他人を冷笑したり皮肉言ったりするのも勝手ではありますが、自分の考えを具体的にぶつけることを模索しないと取り返しのつかないことになるということは指摘しておきます。


 ──最後に。パブリックコメントを提出することに対して“やってもムダ”的なことを考えている方も少なからずいらっしゃるようなのですが。
 まぁ正直な話、文化庁ってのはパブリックコメントを無視して好き勝手にやる傾向はあります。まして意見募集すらまともに周知しようとしません。何せ募集要項を文部科学省や文化庁のサイトに掲載しなかったりするくらいで。
 しかし、だからと言って何をやっても無駄だという訳ではないのですよ。まず反対意見の存在を顕在化して連中に思い知らせなければ始まらないというのもあります。これまでの行政に対するネットユーザーの運動というのはこれの積み重ねでした。 2004年の いわゆる「レコード輸入権」の問題から始まって、 2005年の 私的録音録画補償金問題、 2006年の中古家電 PSE 問題など、パブリックコメントや行政に対する働きかけが事態の展開に影響した例は少なくありません(それから今、総務省でも地デジに関するパブリックコメントを募集していますよ!)。
 私的録音録画小委員会に津田さんが出席しているのもその成果の一つです。確かに現状はかなりキツイところに追い込まれてはいますが、あそこで闘い続ける津田さんをどうバックアップできるか。その視点でパブリックコメントを考えていただきたいのですよ。
 パブリックコメントは、文化庁に対する示威行動であると同時に、津田さんに“弾薬”を渡せる数少ない機会でもあるということです。

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2007年4月21日 (土)

私は、国民が文化に触れ、文化を語り、文化を受け継いでいくことを妨げる法改定には反対します。

海賊版拡散防止を口実に私的複製を規制したところで、
無実の国民を「違法」行為“容疑者”に仕立て上げるだけです。
肝心の海賊版は取り締まれず「違法」行為が放置され、
その一方で私たちの文化的活動が妨害されることにしかなり得ません。

私は、「違法」複製物からの私的複製、
そして「違法」配信からのダウンロードを
安易に規制するような法改定に反対します。


●現時点で、著作物について、海賊版を頒布する行為とインターネットで無断送信する行為とは法律で禁止されています。この法規制のもとで「海賊版」問題に対処するのが本道というものです。
●海賊版からの私的複製や「違法」配信からのダウンロードを規制したとしても、家庭内の複製行為を取り締まることは実質出来ません。法改定(取締り)の目的とする行為の殆どは放置されたままとなります。
●ユーザーの側では、自分が接する著作物が利用許諾のもとに提供されたものなのか判断する手がかりはありません。特にインターネット配信においては、「違法」のものも適法のものも全く区別できません。配信事業者を信じるか否か、信じるに足るか否かという不安定さが常に付きまといます。
●海賊版の私的複製や「違法」配信からのダウンロードによって作られたものは、適法な私的複製で作られたものと外形的に区別できません。同じ複製手段を用いて作られるため当然の結果です。
●何かのきっかけで権利者から訴えられることがあり得る反面、法廷に引きずり出された人には問題とされる複製物が適法の私的複製によるものと証明する手だてがありません。自己で現に所有しているものの複製でない限りは、つねに「違法」と判断される危険性を負わされることとなります。
●仮に「情を知って」行なった複製に限り「違法」とするような規定が用意されても、「利用者保護」には何の役にも立ちません。「情を知」ろうが「情を知」るまいが、出来上がる私的複製物は同じものだからです。司法判断次第でどうにでも認定されてしまいます。
●上記規制に加え、いま法改定が議論されている海賊版「広告」規制や「非親告罪化」が実現されてしまえば、私たちが著作物について論じること・研究すること・楽しむことが絶望的なまでに困難になるおそれが強くなります。




■趣旨説明

 知的財産立国を標榜する我が国においては、模倣品・海賊版の取締りが重要な課題として位置づけられています。知的財産戦略本部による施策方針(知的財産推進計画)や、著作権法制のあり方を検討する文化審議会著作権分科会での議論においても、この模倣品・海賊版問題は大きく採り上げられています。
 そこで いま打ち出されてきているのが、海賊版からの私的複製を規制することと、「違法」配信からのダウンロードを規制するという方針です。これによって「海賊版」への需要を抑え、その流通を減らすという趣旨が説明されています。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/dai16/16gijisidai.html
「知的財産戦略本部会合(第16回)議事次第」
(首相官邸・知的財産戦略本部)



http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/dai16/siryou4.pdf
資料4「世界最先端のコンテンツ大国の実現を目指して」
ノンブル10ページより

iii)違法複製されたコンテンツの個人による複製
 インターネット上の違法送信からの複製や、海賊版CD・DVDからの複製につ いて、私的複製の許容範囲から除外することについて、合法的で、ユーザーが利 用しやすく、クリエーターへの利益還元も適切になされる新しいビジネスの動き を支援するため、情報の流通を過度に萎縮させることのないよう留意しながら、 著作権法の規定の見直しを進める。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/010/07030910.htm 「文化審議会 著作権分科会(第22回)議事録」 (文部科学省)


http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/010/07030910/002.htm
資料2「著作権制度上の検討課題例」より

2 著作物等の保護と消費者等による公正な利用の調和を図る
・家庭内における録音録画に関する課題の解決
http://nirvana.blog1.fc2.com/blog-entry-76.html
「著作権分科会 私的録音録画小委員会(第2回)」
(zfyl)



http://zfyl.shacknet.nu/070416_m02.pdf
配付資料2「30条の範囲の見直しと補償措置の必 要性の関係について」より

見直しについて課題が少ないとされた類型
○違法複製物・違法サイトからの複製(情を知っていた場合に限る。)
 例:ファイル交換ソフトによるダウンロード
○適法配信からの複製
 例:ダウンロード型音楽配信サービス



http://zfyl.shacknet.nu/070416_a04.pdf
参考資料4「私的録音録画問題に関する検討の進め 方」より

1.第30条(私的使用のための複製)の範囲の見直しについて

○ 昨年の小委員会で事務局が提出した「著作権法第30条について(私的録音録画関係)」(参考資料6)及び「著作権法第30条の範囲外とすべき利用形態等について(案)」に関する議論を踏まえ検討する。

(検討例)
・第30条の対象外にすることが可能な利用形態とは何か。
→昨年の小委員会の議論では、違法複製物、違法サイト(ファイル交換によるものを含む)からの私的録音録画及び適法配信からの私的録音録画については、制度改正に課題が少ないと整理されている。

・第30条の対象外とする利用形態について権利者と著作物提供者や利用者との円滑な契約が可能かどうか
→たとえば iTunes のような著作物提供者と利用者との間の契約関係がある有料サービスについては利用者の私的複製の部分も含め円滑な許諾が可能と考えられるが、利用者との間の契約関係のない一般のホームページからのダウンロードや、広告収入により運営している配信サービスについてはどうか。

・違法状態を放置することにならないか
→例えば違法サイトからの私的録音録画を第30条の対象外とした場合、現在の違法サイトの利用状況が変わらなければ違法複製が蔓延するおそれがあるが、これについてどう考えるか。

 模倣品・海賊版問題で著作権法の範疇にあるのは海賊版の方です。
 現行著作権法では、既に海賊版の頒布行為(ならびに頒布目的所持)が著作権侵害として位置づけられています。また、権利者に無断で著作物をインターネット配信することも著作権侵害とされています。海賊版の拡散を防ぐための法整備中、核となるのがこの提供者規制です。
 実際問題としては、海賊版を使用(購入・視聴・私的複製)する行為、そして無断配信された著作物をダウンロードする行為(これも私的複製の一種)自体は規制されていません。全国民のうち誰がかような行為をしているのか権利者が捕捉することは不可能ですから、海賊版頒布行為者や著作物無断配信者を捕捉して対処した方が(相手にする人数から行っても)実効性を期待できます。そこで上記のような規制方法が採用されているわけです。
 ぶっちゃけた話、現行の、海賊版頒布や無断配信を規制するという手法ですら実効性があるのか定かではありません。それはさて置いても、海賊版の使用や無断配信からのダウンロードを規制しなければ足りないとする言説に従うならば、むしろ海賊版や無断配信を撲滅することは不可能だとの宣言に等しいと判断せざるを得ません。今の規制に加え、海賊版ならびに無断配信からの私的複製を規制したところでどれだけの実効性が高まるというのか? 海賊版頒布者や無断配信者よりもより多くの、そして捕捉しきれないだけの人間と行為を相手にしなければならないというのに。

 その一方で、こうした規制が実現してしまったら発生するであろう副作用も想定されます。「違法」な私的複製の結果 作成されたものと、適法な私的複製で作成されたものとでは外形的な違いが何一つないことに注目しなければなりません。同じ手段で複製されるのですから。
 ある人が「違法」複製をしたと(何かの拍子で)疑われた際に、権利者はその複製物がどのように作られたのか証明できません。また疑われた側も自分の潔白を証明できません。双方とも曖昧な事実関係をめぐって裁判に臨むこととなります。適法な私的複製をしている人からすれば、些細なことで疑われるなど法改定の「副作用」以外の何物でもありませんね。
 またさらに話をややこしくするのは、仮に「違法」複製が外形的に区別できたとしても、それを再度“私的複製”することで区別できなくすることも可能だということです。これは新たな法規制の枠組みでは「違法」複製とされる筈ですが、適法な私的複製とは到底区別できますまい。つまり“証拠隠滅”目的でこうした行為が多く行なわれるものと考えられます。悪意で複製する人間にとっては、「違法」複製が繰り返される引き金になりこそすれ、何の規制にもならないということです。
 海賊版の複製(あるいはダウンロード)を規制したとしても、本来減らしたい行為を減らせないばかりか、「違法」複製を重ねるインセンティブを生じさせ、一方で国民すべてを“容疑者”に仕立て上げるおそれの強いものです。こうした規制に利点などひとつもありません。

 「海賊版の私的複製」などと一言で言ってはいますが、この私的複製という概念には非常に多様な複製手段が想定されています。いわゆるダウンロードもその一種ですし、バックアップもそうですね。録音・録画を行なうのもそう。またインターネットを利用する際にキャッシュを取ったり(その実現のしかた次第では──ある著作物の大部分を、比較的長い時間保持して、その結果 表示を可能とするようなものは私的複製の範疇と言えるでしょう)、表示されたウェブページをプリントアウトするのも私的複製に当たります。実は手で書き写すのも私的複製です。
 もし海賊版の私的複製が規制されるとしたら、「違法」複製物から上記の複製行為を行なうことは「違法」複製ということになります。何らかの著作物が目の前にあって、これが「違法」に作られたものなのか適法のものなのか知る手がかりなどありません。そこからの複製が「違法」だとされかねない行為はあまりに広いのです(再度強調しますよ。手書きも私的複製なのです!)。
 こんな広すぎる法規制のもとで、私たちはこれまで通り著作物を論じたり研究したり鑑賞したりできるでしょうか? 必ずしも私たちは今流通している著作物だけを扱っているわけではありません。絶版・廃盤となった著作物や、過去に放送された著作物の録画・録音、歴史的に貴重な内容の私的記録、当事者の行き違いによって発行後に「違法」ということとなってしまった著作物などもまた、私たちの文化的活動を支える存在です。厳密には、私的複製物の公衆への「提示」は法に触れるのですが、これもまた私たちが様々な著作物に触れる重要な機会であることを経験的に知っています。それらから複製することがすべて「違法」とされてしまったら、私たちには何ができるでしょうか?
 海賊版の複製とダウンロードを規制することは、今までの取締り以上に実効性が期待できないばかりか、悪意で「違法」行為をする者にとっては抜け道だらけ、そのくせ適法に私的複製を行なっている国民を「違法」行為者に仕立て上げ、文化活動を阻害するような逆効果しかもたらしません。

 だから私は、安易な私的複製の制限に反対します。




■皆さんに5つの提案

1.それぞれ自分が行なっている私的複製を振り返ってみて下さい。それが今回「違法」とされそうな複製ではないと、誓って言うことができるでしょうか。

2.自分の目の前の著作物が「海賊版」ではない証拠が見つかるか、考えてみてください。

3.適法とされる今の流通著作物であなたの文化活動の間に合っているか、考えてみてください。

4.法規制という手段を選ぶよりも、私たち自身が「フェア」だと考えられるものを買うことで現状を打開しましょうよ。そうすれば自ずと海賊版を買う人が少なくなる筈です。

5.そして「フェア」な著作物流通が実現するよう要求し続けましょう。既存流通が本当に「フェア」なのかということも含めて議論することが必要です。

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2007年4月18日 (水)

いま映画の試写会って こうなってます

 ちょっと小ネタを。

 とある映画の試写会に当選しまして、数日後に見に行くわけですよ。で、当選しましたってことで案内のハガキが来てたんですが、これに気になる記述を発見したので御紹介します。
 来客者に対する注意書きという趣旨のようで──

※映画全編をご覧いただく主旨で行っておりますので、いかなる理由がございましても開映後のご入場は出来ません。
※消防法により満員の際は御入場をお断りします。
※本状1枚でご記入ご本人のみ入場できます。

【御来場の前に御一読下さい。】
 本試写においては無許諾の録画を監視しています。本試写会に出席されるお客様は、録音・録画の機器を劇場に持ち込まないことに同意し、お客様の持ち物及び身体を検査することに同意するものとみなします。お客様が録音・録画の機器を使用される場合は、直ちに劇場から退場いただき、機器を没収の上、刑事上及び民事上の処罰に問われることになります。

 これ、どう思われますか?
 私も試写会はほぼ1年ぶりぐらいなんで、いつ頃からこんな文章を載せるようになったのか判らないのですが(しかも試写会の案内ハガキって会場で回収されてしまいますからね、後から参照しようがありませんわ)。

 まぁ前半の※印はまだしも問題ないですね。試写会進行の都合上、そういうことになるのも無理ありませんから(ただ一定人数相手に試写会の案内を送っておいて「満員の際は御入場を」云々ってのはどうかと思いますけど)。
 後半の「御来場の前に」云々も、やろうとしていることは入場前の断り書きですから一種の「契約」として一定の理解はできます。個人的には「無許諾の録画を監視し」てるんだ、へぇ〜といった感じですけど。警備員でも置いてるんでしょうか。
 入場時の所持品チェック(と言っても鞄の中をチラリと見るだけですが)は、だいぶ前から実施されていました。試写会で“盗撮”されて流出しちゃかなわんってことかと思われます。涙ぐましい努力。

 しかしですね。何か行き過ぎてはいないだろうかとも思うのですよ。
 試写会主催者側に会場の管理権があるのは確かでしょう。録音・録画していた客にそれを止めさせたり、その客を会場の外へと出すこと自体はその管理権の正当な行使と考えられます。でも、客が持ち込んだ録音・録画機器を「没収」までする権利はどこにあるのか(通常の運用では一時預かりの形をとりますよね)。また「民事上」ならいざ知らず、「刑事上」の「処罰に問われる」とは何なのか。いかなる現行法令に基づいて「処罰」されるのか聞いてみたいものです。
 また、そういった事項について「同意するものとみなします」などと一方的に宣言したところで「契約」として認められるのか否か。
 国会提出が噂される「映画盗撮防止法案」の成立を見込んで やや脅しめいた文言を敢えて用いているのだとしたら、かなり嫌らしく見えるのは私だけでしょうか。

 映画業界と言えば、「海賊版撲滅キャンペーン」なる悪趣味な映像を映画上映の前に挿入していたりしました。それも、正規の料金を払って わざわざ劇場へ足を運んだ人間に対して見せつけるというやり口。
 最近になってその映像が新パターンに切り替わったという話もあるんですけど、ひょっとすると今回それを見せられる羽目になるのかも知れません。 

 別の意味で楽しみです。




■追記

 仮に録音・録画の目的が海賊版頒布だとしたら、それは著作権侵害ということになるでしょう。当然 刑事上の処罰もあり得ます。しかし今問題になっているように、私的使用目的の場合(いわゆる私的複製)には現行法に触れません。
 それ以外に刑事罰が科せられる場面って想定できるんですかね?

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2007年4月 4日 (水)

黒澤作品・廉価 DVD の行方

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070402i516.htm
「黒沢作品DVD、著作権侵害と東宝が販売差し止め提訴」
(YOMIURI ONLINE(読売新聞))

http://www.asahi.com/national/update/0402/TKY200704020249.html
「黒澤8作品の格安DVD販売 東宝が差し止め求め提訴」
(asahi.com)

 映画著作物のパブリックドメイン(著作権切れ作品)については、 「1953年問題」 にまつわる裁判でにわかに注目を集めるようになりました。その前段階として、パブリックドメインを収録した廉価 DVD の登場があったからなんですが──この廉価 DVD はもう一つの“火種”をも生み出すこととなっています。
 現行の著作権法においては、映画著作物の保護期間が「公表後70年」までとなっております。また、 1953年 以前に公表されたものについては「公表後50年」までとされています (1953年 作品の扱いについてはまだ係争中ですが、まぁ確定間近と考えて差し支えないでしょう)。ところが「公表後50年」までと定める前の旧著作権法の規定によって例外的に保護期限が決まる場合もあります。
 それが、個人名義で発表した映画著作物です。これは(数々の延長措置を経て)最終的に、著作者の「死後38年」までとされていました。ところが現行著作権法では公表後起算ですから、旧法で定められた死後起算の期限の方が後になることも多く考えられます。そこで旧法から現行法への経過措置として、旧法での保護期間の方が長い場合にはそちらを採用するとされたのでした。

 で、件の新聞記事に戻ります。公表後50年までの保護期間だとすると 1953年 以前に公表された黒澤作品はパブリックドメインとなっているように思われますが、仮にこの作品が黒澤明監督個人名義での公表だとすると「死後38年」までの保護となって今もなお著作権が存続していることとなります。
 この種の問題は、黒澤作品の他にもチャップリンの作品をめぐって裁判になっています。やはりパブリックドメインだとの判断で発売された廉価 DVD が槍玉に挙がりました(また、今回検索していて知ったのですが、映画上映でもクレームが付いた例があったそうです)。

http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY200607210557.html
「チャプリンの娘、格安DVDに『待った』 業者を提訴」
(asahi.com)

http://ecolin.blog.drecom.jp/archive/881
「パラマウント社に続いて、今度はチャップリンが訴えて来たよ。」
(ふっかつ!れしのお探しモノげっき)

http://www.osaki-midori.gr.jp/2003/puragu.htm
「プログラム変更」
(尾崎翠フォーラム実行委員会)

 おそらくは、これらの事件の争点は同じものになろうかと思います。いずれも製作会社・監督両方の名を付して公開されたもの。そのうち法律上「著作者」として認定されるのは誰なのか、という。
 なおチャップリンと黒澤明とでは若干違いがありまして、前者の場合は自ら起こした会社で製作しており、後者の場合は映画会社の社員として監督に就いていました。この差が司法判断を分ける可能性があるかもしれません(あくまでも私のような法律素人の考えですけどね)。

 ところで廉価 DVD を巡る訴訟は、いわゆる 1953年問題、 実名著作物(旧法)問題と第2ステージまで進んできました。しかし、最終ステージには至ってません。これこそが“廉価 DVD 最後の戦い”だと思われますが、まだ表沙汰にはなっていません。
 それは何かと言えば‥‥ JASRAC です。映画に使用されている音楽は作曲家の死後50年まで保護されるものですから、だいたいの映画で、パブリックドメイン入りしても音楽については許諾を要するのです(仮に最も新しいパブリックドメインである 1953年 作品について考えても、この作品が公開された直後に作曲家が亡くなっていないかぎり──1956年 までに亡くなっていないかぎり音楽の著作権が存続しています)。
 さて、廉価 DVD はきちんと JASRAC に使用料を支払っていますでしょうか?

 うちにあるやつをざっと調べて見ましたが、使用許諾を得た旨の表示はありませんね。コスミック出版のやつとキープ株式会社のやつです。もう少し権利関係を精査しないと判りませんけど(音楽の著作権も切れている可能性はありますから)。
 仮に JASRAC へ使用料を支払っていないとすると、廉価 DVD 製造者には今度こそ勝ち目がありません(それとも映画と一緒に権利が切れたと争うかな?)。
 このあたり、当事者(双方)はどう考えているんでしょうね。




■今の段階で判ること

 こういった「個人」による著作物の問題は、なにせ旧法の規定も絡む複雑なものですから、昨日今日勉強を始めたばかりのような私には裁判の行方を推測することなどできません。だから、事実関係として、私でも判ることをまず列挙していきたいと思います。
 何か他に判断材料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、コメントやトラックバックで御教授いただけれると嬉しいです。

 まず、 1953年 以前に作られた黒澤作品は次の通りです。

 ●『姿三四郎』 1943年・東宝
 ●『一番美しく』 1944年・東宝
 ●『続・姿三四郎』 1945年・東宝
 ●『虎の尾を踏む男たち』 1952年・東宝
 ●『わが青春に悔なし』 1946年・東宝
 ●『素晴らしき日曜日』 1947年・東宝
 ●『酔いどれ天使』 1948年・東宝
 ●『静かなる決闘』 1949年・大映
 ●『野良犬』 1949年・東宝
 ●『醜聞(スキャンダル)』 1950年・松竹
 ●『羅生門』 1950年・大映
 ●『白痴』 1951年・松竹
 ●『生きる』 1951年・東宝

 上記のうち、今回訴訟を起こした東宝が製作したものは9作品。記事で書かれている、廉価版として売られたものは「8作品」とのことですから、どれが割愛されてるのか はっきりとは判りません。内容・知名度からすれば『一番美しく』あたりが割愛されそうですし、時間からすれば短編『虎の尾を踏む男たち』あたりかも。なお各紙報道で挙げられていたのは『姿三四郎』『わが青春に悔なし』『酔いどれ天使』『生きる』くらいでした。
 個人的には、この時期の作品にも好きなものがあったりしますので(かと言って正規盤をバカ正直に買うほどでもなかったり‥‥)、入手機会があれば欲しかったりするんですが。『羅生門』『生きる』は正規盤を持ってるんで ともかくとして、『酔いどれ天使』『野良犬』『白痴』あたりがあれば魅力ですね。

 ついでですから、ちょっと検索もしてみました。
 Google ではこんな検索結果が出ました。

http://www.666-666.co.jp/Template/Goods/go_GoodsTemp.cfm?GM_ID=EQ2559

黒澤明監督作品DVD10枚セット
日本映画の巨匠、黒澤明のルーツをたどるDVD集がついに登場!初監督作品の『姿 三四郎』から、“世界のクロサワ”への第一歩と ... ●DVD10枚組●モノクロ●モノラル●ドルビーデジタル●発売元/コスモコンテンツ株式会社 ※原盤からの収録作品ですので、 ...

 ただしリンク先は既に削除されており、キャッシュも閲覧できません。だから、これだけで全容はつかめないのですが‥‥。
 テクノラティではこんなブログ記事が見つかりました。

http://blogs.yahoo.co.jp/sasuraino777/45928095.html
「黒澤明監督作品 DVDの販売差し止め提訴」
(逢えるじゃないか また明日)

 ここの人はタッチの差で買えたらしいです(笑)。
 いや「セット」だったのなら、私は手を出しませんでしたがね。

 ともあれ、この方が掲載されている画像から判断するに、 10作品 の内訳が次のようです。

 ●『姿三四郎』
 ●『虎の尾を踏む男たち』
 ●『続姿三四郎』
 ●『酔いどれ天使』
 ●『静かなる決闘』
 ●『野良犬』
 ●『醜聞』
 ●『羅生門』
 ●『白痴』
 ●『生きる』

 ──最強です。初期作品からこのラインナップ、なかなかの“選球眼”。
 なおこれらのうち東宝以外の製作が4作。数が合いませんね。
 報道ではあった『わが青春に悔なし』が入ってませんから、このセット以外でも売ってたということなんでしょうか。

 次に、参考資料として著作権法での規定を引いてみます。
 まずは現行著作権法(旧法からの経過措置)から。

附則
(適用範囲についての経過措置)
第二条 改正後の著作権法(以下「新法」という。)中著作権に関する規定は、この法律の施行の際限に改正前の著作権法(以下「旧法」という。)による著作権の全部が消滅している著作物については、適用しない。
2 この法律の施行の際限に旧法による著作権の一部が消滅している著作物については、新法中これに相当する著作権に関する規定は、適用しない。
3 この法律の施行前に行われた実演(新法第七条各号のいずれかに該当するものを除く。)又はこの法律の施行前にその音が最初に固定されたレコード(新法第八条各号のいずれかに該当するものを除く。)でこの法律の施行の際限に旧法による著作権が存するものについては、新法第七条及び第八条の規定にかかわらず、新法中著作隣接権に関する規定(第九十五条、第九十五条の三第三項から第四項、第九十七条並びに第九十七条の三第三項から第五項までの規定を含む。附則第十五条第一項において同じ。)を適用する。

(法人名義の著作物等の著作者についての経過措置)
第四条 新法第十五条及び第十六条の規定は、この法律の施行前に創作された著作物については、適用しない。

(映画の著作物等の著作権の帰属についての経過措置)
第五条 この法律の施行前に創作された新法第二十九条に規定する映画の著作物の著作権の帰属については、なお従前の例による。
2 新法の規定は、この法律の施行前に著作物中に挿入された写真の著作物又はこの法律の施行前に嘱託によって創作された肖像写真の著作物の著作権の帰属について旧法第二十四条又は第二十五条の規定により生じた効力を妨げない。

(著作物の保護期間についての経過措置)
第七条 この法律の施行前に公表された著作物の著作権の存続期間については、当該著作物の旧法による著作権の存続期間が新法第二章第四節の規定による期間より長いときは、なお従前の例による。

 そして旧著作権法からも。関連しそうな規定を抜き出してみます。

第三条 〔保護期間−生前公表著作物〕 発行又ハ興行シタル著作物ノ著作権ハ生存間及其ノ死後三十年間継続ス
数人ノ合著作ニ係ル著作物ノ著作権ハ最終ニ死亡シタル者ノ死後三十年間継続ス

第六条 〔同前−団体著作物〕 官公衙学校社寺協会会社其ノ他団体ニ於テ著作ノ名義ヲ以テ発行又ハ興行シタル著作物ノ著作権ハ発行又ハ興行ノトキヨリ三十年間継続ス

第二十二条ノ三 〔映画の著作権〕 活動写真術又ハ之ト類似ノ方法ニ依リ製作シタル著作物ノ著作者ハ文芸、学術又ハ美術ノ範囲ニ属スル著作物ノ著作者トシテ本法ノ保護ヲ享有ス
其ノ保護ノ期間ニ付テハ独創性ヲ有スルモノニ在リテハ第三条乃至第六条及第九条ノ規定ヲ適用シ之ヲ欠クモノニ在リテハ第二十三条ノ規定ヲ適用ス

第三十五条 〔著作者・発行者の推定〕 偽作ニ対シ民事ノ訴訟ヲ提起スル場合ニ於テハ既ニ発行シタル著作物ニ於テ其ノ著作者トシテ氏名ヲ掲ケタル者ヲ以テ其ノ著作者ト推定ス(以下略)

第五二条 〔著作権の保護期間の特例〕 第三条乃至第五条中三十年トアルハ演奏歌唱ノ著作権及第二十二条ノ七ニ規定スル著作権ヲ除ク外当分ノ間三十八年トス

 以上のような規定を見ると、現段階の私には訴訟の行方を云々できないと言わざるを得ません。
 旧法には映画著作物の「著作者」が誰かを具体的に定めた条項が無いようです。素人目には製作者とも監督とも読めます(なお日本映画監督協会では、旧法において監督こそが「著作者」であるとの主張をしています。しかし製作者を「著作者」とする説もあるようで、私にはなんとも判断できません)。条文ではかような有様ですから、判例なり法学としての“流儀”なりを踏まえていないと解釈できないような感があります。

 あくまでも現行法から勉強を始めた人間の感覚からすれば、黒澤明といえどもその作品を自由にできる立場にあったわけではなく、特にここで話題になっている初期作品は東宝社員として監督についたものばかりです(現行法でいう「職務著作」)。本訴訟とは直接関係ありませんが、松竹で製作された『白痴』の場合は、黒澤監督の意向に反して大規模なカットが実行されたりしています。要は黒澤監督ではなく映画会社の方に映画著作物の最終的な内容を決定する権限があったということ。海外映画の製作ではたびたび話題になる「編集権」の実際を考えると、本当に監督が「著作者」の立場にあると言える慣行だったのか疑問に思います。
 もっともこれは法律素人の考えていることであって、法律として解釈されるものはまた別なんでしょうけど。

※仮に黒澤明が「著作者」だとしたら、映画会社がやってきた数々のカットは著作者人格権の侵害ってことになりますよね。それとも著作者人格権を行使しない旨の契約でもあったんでしょうか?




■で、これから──

 ともあれ、これから色々と調査してみないと何とも言えませんね。
 何を足がかりに調査していけばいいのか、私も見当が付きませんが‥‥。

(1)著作権表記との関係
 黒澤作品(東宝製作)は基本的に東宝という会社名でクレジットされています。たとえば私の持ってる『生きる』 DVD ですと「(C) 1952 TOHO CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.」とあります。『七人の侍』 DVD では「(C) 1954 TOHO CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.」。
 もっとも著作権の帰属が変わるたびにクレジットも変わるため、黒澤明が「著作者」でないとの証明には必ずしもなりません。『羅生門』の現行クレジットのように 「(C) 1950 角川映画」という例もあったりしますから(前記のとおり、製作は当時の大映)。

(2)1953年 問題の時には監督の死後起算が使われていたか?
 『ローマの休日』仮処分申請判断や『シェーン』裁判(地裁・高裁)判決を読み直してみましょう。

(3)現行法が定められるにあたり、映画著作物の著作権者にかかわる議論
 これは比較的調べやすいかも知れませんね。必ず旧法での解釈論も踏まえられているだろうから、さらなる調査の足がかりになると思います。

(4)判例や解説本ではどうなってる?
 現行法についてはともかく、旧法についての解説本を探すのは大変かしら?

 ──調査の足がかりの少なさよりも、私自身 これに時間が割けるかという方が問題だったりしますがね。

(続くかもしれません。)

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2007年4月 1日 (日)

詳細の見えない「映画盗撮防止法案(仮称)」

http://news.braina.com/2007/0329/rule_20070329_001____.html
「上映中の映画、撮影禁止…海賊版防止へ自公が法案了承」
(知財情報局・読売新聞記事)

http://www.nishinippon.co.jp/entertainment/cinema/news/20070315/20070315_003.shtml
「映画盗撮防止へ 自民、今国会に法案提出 海賊版流通を阻止」
(映画の話題 / 映画情報 / 西日本新聞)

 以前から話題になっていた法案についてなんですが(尤も、うちでは採り上げていなかった筈)、自民党と公明党が法案を「了承」したとのことです。映画館での「盗撮」──つまりスクリーンのビデオ撮影を禁止する法律を作るとのこと。
 西日本新聞によれば「法案は議員立法で、自民党の『コンテンツ産業振興議員連盟』(会長・甘利明経済産業相)がまとめた」そうです。要するに映画業界が政治力を発揮して、コンテンツ族議員を動かしたというわけ。
 あとは法案が国会に提出されて→採決という流れなんでしょうけど、この法案の詳細がいまだに明らかになってないというのは如何なものでしょうかね。

 法案を作る中心になった自民党のサイトには掲載されていません。片棒担ぎの公明党サイトにもありません。まだ法案として提出されていないのか、衆議院・参議院のサイトにもありません。まさか成立してから法案がサイトに掲載されたりしないでしょうね(両議院のサイトって、法案や質問趣意書・答弁を掲載するのが結構遅れるものですから)。 まさか条文を初めて確認できるのが官報だったりして。
 「民主主義」って何なんじゃって気がしますが。

 新聞報道から垣間見える中身は、読売新聞によれば(上記リンクでは『知財情報局』に転載された読売記事を示してあります)「許可なく映画を撮影することに対し、罰則として、10年以下の懲役か1000万円以下の罰金を設けている」とのこと。
 なるほど、映画撮影を禁じるわけですか。もう好き勝手に映画を撮影できない、つまり映画人に対する表現規制ですか。

 ──って、そんなワケないですね。たぶん〈権利者(映画製作者)の許諾を得ない映画館上映映画の撮影を規制する〉と書きたかったんでしょう。映画業界が求めていたのはその一点にあったわけで。
 これまた読売記事によれば「国内で最初の上映から8か月経過すると適用されない」といいます。これで一応のバランスを取っているわけですかね。理論上は、古い映画だったら(研究や記録のために)撮影することが出来る、著作権法で許された私的複製である、ということ。いや映画館がそれを許すかは別問題ですけどね、施設の管理権限者として。
 ともあれ DVD 発売前の映画という、最も譲れない知財の「盗撮」を規制するのであれば、公開後8ヶ月くらいが妥当な線のようにも思えます。

※余談ですけど、還流防止措置(いわゆる「レコード輸入権」)も8ヶ月程度だったら、あんなに大騒ぎにならなかったかも知れませんね。もちろん私がそれを容認するかは別問題ですけど。もっともあの時には、レコ協会長が口すべらして「永久に保護してほしいくらいだ」なんて抜かして‥‥。




■ちょっと真面目な話

 件の映画「盗撮」禁止法ですが、これの実効性がどれだけあるのか疑問です。
 現状として、映画館側は「盗撮」をやめさせる権限があるわけですよ。施設の管理権限があって、観客を入館させる代わりに撮影を禁止することも出来るわけですから(もっと念を入れるなら、観客との利用契約みたいな形であらかじめ撮影禁止を明示するとか)。それにもかかわらず、業界側の言い分によれば、「私的複製」を楯に止めさせられないという。私に言わせれば、映画館側の怠慢以外の何物でもないですよ。
 仮に禁止法が成立したとして(するんでしょうけど)、実際の運用はどうするんでしょう。警備員とか立てて(今でも立ててるところはあるらしいです)、撮影してる人に「法律で禁止されています」と言って回るんでしょうか。しかし堂々と三脚立てて撮影してる人間だけじゃないでしょう? 本当に隠し撮りされてる場合はどうするんでしょうか。今日び、そんな方法はいくらでもあるでしょう。

 実際の条文を見るまで気になる点がひとつ。
 今回の「盗撮」は親告罪なのか非親告罪なのかということです。たとえば映画館側が「盗撮」現場を押さえたとして、その後 警察が動くまでにどのような手続きを経るのか。仮に非親告罪だったら著作権侵害とのバランスはどう考えるのか。

 また、映画館側が確実に「盗撮」を押さえようと思ったら、スクリーン側から観客を「盗撮」する必要が出てくるんじゃないの? ──とも思えたりするんですよ。これ、わざわざ金を払って映画を見に行く観客からすれば不愉快この上ない。
 法案の中身が見えてこないが故の、想像上のことでしかありません。でもあながち見当はずれの想像ではないように思えますが如何でしょう。

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1953年問題: 『シェーン』著作権切れ、確定間近?

http://www.47news.jp/CN/200703/CN2007032901000707.html
「知財高裁も文化庁見解否定」
(47NEWS)

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070329AT1G2903N29032007.html
「『シェーン』著作権は消滅・知財高裁も格安DVD販売認める」
(日本経済新聞)

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?
action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=07&hanreiNo=34454&hanreiKbn=06

「平成18(ネ)10078 著作権侵害差止等請求控訴事件
 平成19年03月29日・知的財産高等裁判所」
(裁判所サイト・判例情報)

 廉価版 DVD をめぐって『シェーン』 (1953年 公開)の著作権が存続しているか否かが争われた裁判で、東京地裁に続き 控訴審(知財高裁)でも「著作権切れ」との判断が示されました。
 今の映画著作物が公表後70年保護されることは御存知の方が多いかと思います。もともとは50年だったのが延長されたわけで、50年保護される映画と70年保護される映画とが分かれる境目が改定法施行日の 2004年1月1日 とされたのでした(この「施行の際限に」権利が存続しているものについて保護が延長されました)。そこで問題になったのが 2003年12月31日 に権利が切れる 1953年 公表の映画だったんですね。
 著作権行政を所管する文化庁の見解としては、 2003年12月31日24時と 2004年1月1日0時が 「接着」しているから、 1953年 公開作品の著作権も「施行の際限に」存続しているという解釈でした。「著作権切れ作品」の廉価 DVD を販売していた会社に対して訴訟を起こしたパラマウント側としても、この文化庁見解を根拠に著作権存続を主張していたのでした。
 しかし知財高裁はこれをあっさりと否定しました。施行の前日に著作権が切れているのだから、 1953年 公開作品は保護延長の対象とならない──との判断です。東京地裁で出された第一審判決と同じものでした。

 『ローマの休日』などで仮処分申請が出されたものの却下された(東京地裁)という事案もありまして、以前から注目されていた裁判ではありました。地裁判決の段階ならともかく、知財高裁も改めて同じ判断を示したことで、この法解釈が確定するのはほぼ間違いないでしょう(まさか最高裁で争えたりはしませんよね?)。
 そこで私が考えてしまうのは、文化庁の責任についてです。改定法案をもう少しきちんと書いておけば、こんなことにはならなかっただろうにと。施行の日を1日前倒しするとか、施行の前日に権利のあるものを延長対象とすれば、誰が読んでも 1953年 作品の権利存続が理解できたでしょうから。いや、文化庁見解がアテにならないのは今でも同じで、文理解釈次第でひっくり返りそうなのは還流防止措置やらIPマルチキャスト同時再送信やら、次々と実際の法律として打ち出されているわけですね。

 加えて、私は法学者の責任というものも指摘しておきたいところです。以前に軽く調査した際にも思ったところですが、文化庁の珍妙な「接着」理論に異を唱える論文・解説本は見つかりませんでした(少なくとも私が調べた中では‥‥)。裁判ではパラマウント側が著名な学者の解説を引用し自論を補強していましたが、あっさり裁判所に否定されるという事態に。これってどうなんだろうと思います。
 ブロガー(法実務家も含む)の人たちからは割と疑問は呈されてたんですけどね。

 最後に、私が書いた 1953 年問題関連の記事を紹介しておきます。



http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/10/_1953_dvd__5843.html

「映画著作物 1953 年公開作品の著作権切れ判断を踏襲

 ──『シェーン』廉価 DVD もOK!」

(エンドユーザーの見た著作権)



http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/07/53_5a0a.html

「53年問題:各紙報道から──」

(エンドユーザーの見た著作権)



http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/07/53__df93.html

「53年問題: 文化庁の解釈が司法判断で否定された(追記あり)」

(エンドユーザーの見た著作権)



http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/06/53__ab44.html

「53年問題: 『シェーン』の廉価版についても提訴」

(エンドユーザーの見た著作権)



http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/05/post_dd62.html

「著作権保護期間:文化庁の解釈が司法判断で否定されるか?(追記あり)」

(エンドユーザーの見た著作権)

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2006年10月 7日 (土)

映画著作物 1953 年公開作品の著作権切れ判断を踏襲 ──『シェーン』廉価 DVD もOK!

 映画著作物の保護期間については、 2004年1月1日 からの著作権法改定(施行)にともなって公開後 70 年とされています。反面、 2004年1月1日 までに著作権保護期間を満了したものについては延長の対象とはならず そのまま著作権切れ作品として扱われます。
 ここで問題になっているのが 2004年1月1日 で保護期間満了と(旧法で)されていた 1953 年公開作品です(つまり 1952 年までに公開された作品については一部の例外を除いて保護期間が満了しています)。文化庁の見解としては 1953 年作品も保護期間延長の対象であるとのことでしたが、『ローマの休日』廉価版 DVD をめぐる先日の仮処分申請への判断で東京地裁(高部真規子裁判長)は「保護期間満了」としました。
 『ローマの休日』と並行して提起された裁判が今回の『シェーン』のものです。やはり 1953 年公開作品であって、廉価 DVD が(権利者から)問題とされています。

http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006100601000493.html
「『シェーン』も著作権消滅 格安DVD販売認める」
(CHUNICHI WEB PRESS)



 2004年施行の改正著作権法で著作権保護期間が50年から70年に延長されたことに伴い、米映画会社などが1953年公開の映画「シェーン」の著作権を侵害されたとして、東京都内の会社に同作品の格安DVD販売差し止めなどを求めた訴訟の判決で、東京地裁は6日、格安品の販売を認め、映画会社側の請求を棄却した。

 清水節裁判長は判決理由で「53年作品には旧著作権法が適用され、保護期間は03年末で満了し、著作権は消滅した」との判断を示した。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20061006AT1G0602206102006.html
「『シェーン』も著作権消滅・格安DVD販売、東京地裁認める」
(NIKKEI NET:主要ニュース)



 訴えていたのはパラマウント・ピクチュアズ・コーポレーションと国内で同作品に関する権利を譲り受けた東北新社(東京)。(中略)

 東京地裁は今年7月、「ローマの休日」(米で53年公開)の著作権侵害を巡る仮処分申請でも、同様に著作権が消滅したとの判断を示した(映画会社側が知的財産高裁に即時抗告)。

 『シェーン』の場合は差止め訴訟が提起されていて、これに対する判決という形で東京地裁の判断が示されました(清水節裁判長)。判決の形で示されたのは初めてだそうですが、その判断としては『ローマの休日』仮処分申請へのものを踏襲した形のように見えます。
 ちなみに裁判所サイトで検索したところ、本判決がすでに掲載されていました。 PDF ですが、興味のおありの方は下記のリンクを辿って読んでみてください(私も後で読むつもりです‥‥権利者側の主張がかなり噴飯もののように思えますよ)。

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=33621&hanreiKbn=06
「平成18(ワ)2908 著作権侵害差止等請求事件
 平成18年10月06日 東京地方裁判所」
(判例検索システム>検索結果詳細画面)




■過去のうちの記事から──

 この 「1953 年問題」について採りあげたうちの記事をいくつか紹介します(手前味噌ですがね)。
 まずは今回の『シェーン』の件をとりあげたものから。

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/06/53__ab44.html
「53年問題: 『シェーン』の廉価版についても提訴」
(エンドユーザーの見た著作権)

 ここで強調しておきたいのは、『シェーン』は未だに DVD 化されていないという事実です。
 実は訴訟の中で、 DVD 化の予定があったにもかかわらず廉価版の登場で中止せざるを得なかったとの主張を権利者側がおこなっています。しかしこれなどは噴飯ものの主張でしかなくて(そりゃ法廷での争いでは主張すべき手法なのかも知れませんがね)、自分で DVD 化するつもりがあったのなら、 DVD が市場投入されて 10 年以上も経っている今までの間に どうして DVD 化しなかったのだというツッコミが即座に入るところでしょうよ。
 あの名作が DVD 化できないほど売れないとは言わせませんぜ。むしろあれが市場に存在していなかったことの方が、映画好きの人間からすれば芸術・文化への冒涜に等しい行為です。

 こういった保護期間満了作品の廉価流通をめぐる争いは、著作権保護期間とかその延長とは本当はあまり関係のない話かもしれません。純粋に法解釈の問題でしかありませんからね。しかし、保護期間やその延長問題で考えられる問題を間接的に窺える事例ではあると言えます。
 そもそも著作権を持った人間ないし会社が“金にならない”と考えてしまえば、その作品は市場に流れず 存在を抹消された状態になり続けてしまうということなのです。たとえば『シェーン』は、ビデオデッキがなくて DVD しか見られない人にとっては記憶や記録の中にしか存在しなかった作品だったということになります。
 これで保護期間を(映画以外でも)延長するともなれば、もっと多くの著作物の存在が抹消されることになります。我々が継承していくべき芸術・文化のことを真剣に考えるなら、その延長に反対するか賛成するか、いずれが論理的な立場か明らかです。
 なお我々エンドユーザーが著作権保護期間について語るとき、権利者へ妙な遠慮を感じる必要は全くありません。むしろ我々に必要なのは〈文化を継承していく決意〉です。

 さて前の『ローマの休日』に関する件でも、うちで幾つか採りあげています。
 新聞報道では仮処分申請への判断に対して「映画会社側が知的財産高裁に即時抗告」したとされていて、ここでどのような判断が改めて示されるのかは判りません。でもこれまでの報道に寄せられた専門家のコメントからすれば「満了」判断に肯定的なものばかりですので、あまり心配することもないのかも知れませんが。
 要は、知財高裁がどこまで常識的判断を下すというのかという問題ですかね。

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/05/post_dd62.html
「著作権保護期間:文化庁の解釈が司法判断で否定されるか?(追記あり)」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/07/53__df93.html
「53年問題: 文化庁の解釈が司法判断で否定された(追記あり)」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/07/53_5a0a.html
「53年問題:各紙報道から──」
(エンドユーザーの見た著作権)

 どう転んでも、文化庁の大チョンボは確定です(国家賠償訴訟になったりするのかな?)。

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2006年7月13日 (木)

53年問題:各紙報道から──

 今回の地裁決定についての報道が各紙出揃ったようです。それぞれが別々の相手にコメントを取っているようで、それを読み比べるだけでもかなり面白かったりします。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060711i216.htm
「廉価DVD訴訟、53年映画は著作権消滅…東京地裁」
(社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞))
▲文化庁・パラマウント・ファーストトレーディングのコメントあり。
http://www.asahi.com/business/update/0711/146.html
「格安DVD販売認める 『著作権消滅』と東京地裁」
(asahi.com - ビジネス)
▲文化庁・パラマウント・ファーストトレーディングのコメントあり。
※本紙では 2006年7月12日付 3面に掲載。
 半田正夫氏のコメントあり。
http://www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20060712k0000m040067000c.html
「廉価DVD:著作権の保護期間満了と販売認める 東京地裁」
(photoジャーナル:MSN毎日インタラクティブ)
▲文化庁・パラマウントに加え、
 掛尾良夫氏・壇俊光氏のコメントあり。
日本経済新聞 2006年7月12日付 38面
「『ローマの休日』など1953年作品 格安DVD販売認める」
▲パラマウント・ファーストトレーディングに加え、
 甲野正道氏・岩倉正和氏のコメントあり。
北海道新聞 2006年7月12日付 1面および8面
「『ローマの休日』など53年公開の名画 格安DVD販売セーフ」
「『映画著作権』東京地裁判決 DVD安売り 拡大の可能性」
▲文化庁・ファーストトレーディングに加え、
「映画業界」の声とコスミック出版のコメントあり。

 まずは当事者のパラマウントピクチャーのコメントから見ていきましょう。
「驚いた。到底受け入れられない」とする朝日記事の内容が代表といったところ。他の記事でも基調は同じです。が、日経記事での「文化庁の解釈に基づき著作権が守られてると思っていたが、驚いている」や、読売記事での「ホームページにも公表されている文化庁の見解の方が正しく、決定には驚いている」といった痛い発言も散見されます。
 今回の仮処分申請で争われたのは「著作権が守られる」か否かではなく、そもそもその「著作権」が存在するか否かです。裁判所が判断したのは、 2003 年時点で「著作権」が切れていたというものであって、「著作権が守られ」ないという状態とは全く異質なものです。
 また、「文化庁の見解の方が正し」いという保証は全くありません。文化庁自身もいつも発言するではありませんか、「最終的には司法判断」だと。
 パラマウントには謙虚な姿勢が足りないのと違いますか? 司法判断を受けたというのに。まぁこの判断自体も確定してみないと何とも言えませんがね。

 文化庁(著作権課)は流石というか、無難なコメントに終始しています。
 朝日の記事では「文化庁著作権課は『上級審の判断を見守りたい』と話し、ホームページの記述を変更する予定はない、としている」とありますが、北海道新聞では「訴訟についてはコメントできないが、裁判所の判断を踏まえて今後、解釈を検討する可能性はある」と述べたと報じられています(朝日では地の文、道新では文化庁コメント)。これらは言ってることが違うと読むのではなく、司法判断が確定するまでは現状維持、確定の内容によっては「解釈を検討する」と読むべきでしょうね。
 この他、文化庁のコメントをしっかり取っているのは日経です。甲野課長の名で掲載しています。

「53年」守る目的
 甲野正道・文化庁著作権課長の話 文化庁としては、一九五三年公表の作品の著作権を守る目的で法律を作った。内閣法制局にも確認のうえ、立法趣旨にかなう制度設計をした。七一年にも一月一日施行の著作権法改正で保護期間を延長したが、こうした問題は起きなかった。
 業界関係者をはじめ、問い合わせにはすべて五三年の公表作品の著作権は守られると回答してきた。今後の司法判断を見守りたい。

※上記日経記事より引用。

 まぁ「こうした問題」が初めて法廷に持ち込まれ「立法趣旨にかなう制度設計」の不備が指摘されるに至ったわけですから、甲野課長が正当性を主張したところであまり意味はありませんわね。
 最後は「今後の司法判断を見守りたい」といつもの無難な調子で締めくくっています。これは行政担当者として当然のこと。

 さて、ここまでは“前菜”です。
 各紙報道の見どころは法学者・実務家のコメントにあります。

 ◇冷静な判断だ
 ▽著作権法に詳しい壇俊光弁護士の話 裁判所も著作権を保護しすぎる風潮の中で、法律の条文に従って冷静な判断をした決定だ。刑事罰もある法律の解釈は厳密にすべきで、文化庁の見解には無理があるのでは。
※上記毎日記事より引用。
立法技術に問題  著作権法に詳しい岩倉正和弁護士の話 東京地裁の決定内容は自然で説得力がある。パラマウント側や文化庁には異論もあるかもしれないが、結論自体は認めざるを得ないだろう。問題の根源は単純に立法技術にある。改正著作権法の施行日をなぜ、二〇〇四年一月一日よりも早く設定しなかったのか、理解に苦しむ。  いったん切れてしまった著作権の復活は、新法で対応すれば法技術的には必ずしも不可能ではないが、国際条約との関係で事実上難しいだろう。
※上記日経記事より引用。
文化庁の理屈は無理  半田正夫・青山学院大元学長(著作権法)の話 文化庁の「時間が接着している」という理屈は無理がある。著作権法の中に具体的な規定がない以上、東京地裁の解釈は成り立ちうるもので、妥当な判断だ。53年作品は人気があって今でもお金を稼ぐのだろうが、改正著作権法の対象にしたいなら、文化庁は立法当局として改正法に明確な規定を設けるべきだった。
※上記朝日(本紙)記事より引用。

 壇俊光弁護士・岩倉正和弁護士・半田正夫“大先生”(笑)のお三方です。
 皆ことごとく東京地裁の判断を支持してるんですね。半田氏まで「文化庁の〜理屈は無理がある」と発言してしまうとは、私にとっては意外に感じられるものでした。と言うか、そう考えているのならどうして今まで放置していたのだ、と小一時間問い詰めたくなります →半田氏。
 壇弁護士と岩倉弁護士のコメントには頷かされます。特に岩倉弁護士のコメントは、同じ日経記事に掲載された甲野課長のコメント(先に引用したやつです)に対するストレートな反論になっています。しかもこれ、日経本紙で ふたつ並んで掲載されてるんですよね!

 ここまで専門家の意見が揃うとなると、知財高裁での抗告審でも期待が持てるんでしょうか? 東京地裁の判断が認められるんでしょうか? 祈るような気持ちです →私。

※ところで、どこか北大の田村善之教授にコメントを取るところはありませんかね?

 法律家というわけではありませんが、かなりユニークな人選もありました。
 北海道新聞の8面(関連記事)にコスミック出版の岡田武生会長の名があったんです。ここも、かなり早くから書店売りの廉価 DVD を出してた会社なんですね。私も実は数枚持ってたりします。で、そのコメントが「(五三年作品の販売について)司法の最終結論までは控えているが、いつでも販売できる準備はしている」というもの。逞しい限りです。
 そうそう、肝心のファーストトレーディング側のコメントも。日経記事の「主張が認められて安心した。五三年作品の販売再開を検討したい」とする内容が代表的です。朝日記事では「販売を中止していた」旨も触れられています。




■廉価 DVD と「著作権」

 廉価 DVD について、私は販売業者の試みを支持します。
 販売価格が下がるということは、それだけ作品が社会に浸透していく力となります。すなわち、誰でも作品に触れる機会を持てるようになります。さすがに高い商品だと買う人も限られますからね。
 1953 年と言えば映画ではクラシックもクラシック、歴史の彼方に埋もれるような古い作品なわけですよ(決して質が低いとか言ってるわけではありませんので注意)。だってこの頃の映画のうち、いま劇場にかかってるのはどれくらいあります? テレビで放送されるのは? いや下手すると、映画単体をきちんと DVD で買えるものすら少ないかもしれない。『ローマの休日』は特典映像との抱き合わせで高値、『シェーン』は DVD にすらなっていない。
 製作から充分な期間を経て 製作費の回収も済んでいるはずの作品を、寝惚けているような高い値段で売っている。そのような状態で映画文化を継承するものと言えるのかどうか。文化は人々の心にまで届かないと意味がありません。今まで DVD を買ってなかった人たちに古い映画を伝えていく(人によっては“懐かしい映画”かも知れない、人によっては初めて見る映画かも知れない)、それだけでも廉価 DVD の貢献は大きいものと言えます。

 著作権というものも考えましょう。この保護がなぜ有期限なのか。
 著作物とは人々が共有すべき文化遺産です。だから充分な保護を受けてきた著作物について自由利用を認めるのです。このことは「著作権」制度の大前提であり、決して「著作権」を蔑ろにする思想ではありません。
 だから当然、著作権切れ作品を利用していくことは元権利者に不利益を与えるものではないし、まして著作物という文化的所産を貶めるものでもない。

 我々は過去から学びます。自分の経験で知り得ないことを、他人の著作物によって学んでいきます。何者かによって不当に吊り上げられた料金を支払わされることなく、また“真似”て学ぶことを禁止される心配もなく、我々が本当の意味で先人の文化遺産を血肉とできる機会なのです。
 その機会を拡大させるものの一つが廉価 DVD なのですから、「映画文化」とやらを楯に貶めるのは非論理的というものでしょう。




■新聞報道から見える、映画業界の狂気

 内容としては先の文章から続くのですが──。
 先に引用した各紙報道を見ていて、もうひとつ興味深い論点が浮かびあがってきました。

◇違和感を感じる
▽キネマ旬報映画総合研究所・掛尾良夫所長の話 安価なDVDが出回ることは、映画界にとって歓迎すべき決定ではない。個人的にも、映画が文化というより消費財になっていくようで違和感を感じる。正規版の側には、映像のクオリティーを高めたり、メーキングや関係者のインタビューなど付加価値を高め、より魅力的商品を作る努力をしてほしい。

※上記毎日記事より引用。
 東京地裁が十一日、DVDの格安販売を認めた一九五三年公開映画。格安化に拍車が掛かる可能性があり、映画業界からは「映画文化が守られなくなるのでは」と警戒の声も上がっている。〔中略〕
 格安版の人気は、洋画大手格安によるDVDソフトの安売り競争が先導してきた。〔中略〕
 ただ入場料に比べ、DVDの割安感が広がることによる映画館離れを懸念する声は根強い。ある邦画大手の版権担当者は「安ければいいというものではない。映画という文化を守る必要がある」と困惑の表情だ。

※上記北海道新聞記事(8面)より引用。

 これらのコメント、いずれも読んだ時に頭痛がしてくる内容なんですね。「気でも違ってるのか?」と思わず呟いたり。
 映画の、文化としての価値と、売られている値段にいかなる関連性があるというのか。安く売られた映画が悪いものであるかのように語られる根拠はどこにあるのでしょうか。

 キネ旬映画総合研究所長の弁は、後半は確かに正論なのですが、それにしても前半が支離滅裂。
 そもそも複製物によって流通させる著作物は、「文化」と「消費財」という二面性を持っているものです。そしてビデオやLD・ DVD という形で映画作品が流通するようになって、映画が従来から「消費財」と化していたのは明らかではありませんか。いや それより以前は、劇場に掛かっていた期間だけ見られる、ほんの僅かな「消費」で後は“廃棄”される存在だったのではないですか、映画は。(残ったネガも死蔵の憂き目。)
 そして重要な事実がひとつ。 DVD の低廉化は著作権切れ作品の DVD によって起こされたのではないということです。メジャー系映画会社が自社の作品でこぞってやってることなのですよ。低廉化は映画作品の浸透力を強めこそすれ、無根拠な「個人的」所感でもって腐すべきものではありません(主張は自由ですがね、もっと論理的にならないと)。
 せっかく所長は「映像のクオリティーを高めたり、メーキングや関係者のインタビューなど付加価値を高め、より魅力的商品を作る努力」という素晴らしい提言をしているのに、これを著作権切れ廉価 DVD との競争に結びつけないのは勿体なさすぎます。

 道新記事では発言者が示されていません。が、この発言もまた酷い。映画業界関係者の驕りというか、狂気というか、全然周りが見えてない、何を考えてんだという感じの内容です。
 価格が安くなることで「映画文化が守られなくなる」ですって。妄想の極み。いいですか、レンタルビデオが登場するまでは、古い映画はテレビの無料放送でしか見れなかったんですよ!(一部都市部の恵まれた名画座愛好家を除く。)ということは、この発言者の理屈で言えば、有料放送や廉価 DVD で金払って見てる今の映画好きの方こそ「映画文化」を「守」ってるってことじゃないですか。しかも最近は観客動員数が増加傾向にあるんですけど、それは無視ですか。
 安く入手できることと、作品へのリスペクトは別。そもそも繰り返して見ようと思わないのなら、 DVD なんて買いませんって! エンドユーザーは自らの意思と選択でもって、映画文化を継承していくのですよ。映画業界の思い通りに行くわけがない。

 逆の視点で言うと、映画業界は“高ければいい”と考えているのではないか?──とすら思えてなりません。ロードショー館がどこも大人 1800 円、そんなカルテルまがいの料金設定を恥知らずにも続けている連中が、これを正当化しようとして廉価 DVD を陥れようとしているのではないか、と。
 まず問うべきは劇場の料金ですよ。高すぎやしないか、と。本来だったら館によって料金が違ったって良いんですよ。それなのに何故かどこも大人 1800 円。映画の日やレディースデーだと 1000 円。どうしてこんな状態が続いている?
 DVD の価格競争は、エンドユーザーが関わって映画業界にもたらされた唯一の自由競争なのと違いますか? しかもそれは映画業界自らが進めてきたことであって、決して「映画文化が守られ」てるかどうかとは関わりない。まして著作権切れの問題は別論だし。

 ──映画業界の価格設定については、もっとエンドユーザーが批判していくべきだと思いますよ!

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2006年7月11日 (火)

53年問題: 文化庁の解釈が司法判断で否定された(追記あり)

http://www.sankei.co.jp/news/060711/sha069.htm
「『ローマの休日』は権利消滅 東京地裁、格安DVD認める」
(Sankei Web 社会(07/11 16:36))



 映画「ローマの休日」など昭和28(1953)年公開映画の著作権をめぐる「53年問題」が初めて司法の場で争われた同作の激安DVD販売差し止め仮処分申し立てで、東京地裁の高部真規子裁判長は11日、同作の著作権は切れていると判断し、米国映画会社の申し立てを却下する決定をした。米映画会社側は抗告する方針。決定が確定すれば28年公開の映画はすべて著作権切れになる。同年は名作が多く、決定は映画業界に大きな影響を与えそうだ。

 今年5月の仮処分申請で にわかに話題となった “53 年問題”ですが、 7月11日 に東京地裁の決定が出たそうです。仮処分の申立ては却下、 1953 年製作の映画は著作権が切れているとの判断でした。
 権利者の方は(当然というか)抗告する方針とのことですけども。
 願わくば、今回の司法判断で確定してほしいものです。

 “53 年問題”については、以下の記事で採りあげました。

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/05/post_dd62.html
「著作権保護期間:文化庁の解釈が司法判断で否定されるか?(追記あり)」
(エンドユーザーの見た著作権)

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/06/53__ab44.html
「53年問題: 『シェーン』の廉価版についても提訴」
(エンドユーザーの見た著作権)

 もし今回の司法判断が確定すれば映画業界は多くの権利を“失う”わけで、必死になって抗告するのでしょうね。ああ見苦しい、嫌だイヤだ。
 なお仮処分申請に先だって提起していた『シェーン』の裁判も、今回の司法判断が踏襲されれば敗訴は間違いありません。その点で言っても、パラマウントは簡単に退けないでしょうね。




■東京地裁の決定から──

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=07&hanreiNo=33305&hanreiKbn=06
「平成18年(ヨ)第22044号 著作権仮処分命令申立事件」
(裁判所:知的財産裁判例集)

 決定が下された当日に裁判所サイトで全文掲載されました。この早業には驚くばかりですが、リニューアルの効果が出たというところでしょうか。裁判所、えらい。
 なお決定全文は、上記リンクを辿ると PDF で入手できます。

 申請された仮処分の相手方が今まで(報道では)判らなかったのですが、上記文書によると「株式会社ファーストトレーディング」だそうです(今回の東京地裁決定を報じるニュースでは会社名が明らかにされていますね)。この会社名でググってみると、何となく見覚えのある廉価 DVD のシリーズが出てきました。
 どうして ここが“スケープゴート”にされたのか判りませんけれども。

 さて。
 ここでは、東京地裁決定から判断の核心部分だけ引いておきます。

 以上のとおり,本件映画については,本件改正法が適用されずに,平成1
5年の経過,すなわち,同年12月31日の終了をもって保護期間が満了し
たものである。
 したがって,本件映画については,我が国においては,既に著作物の保護
期間が満了したパブリックドメインに帰属する著作物というべきであるから,
債権者の被保全権利が認められないことになる。

※ PDF 18 ページより

 で、その「保護期間が満了した」理由として、

 本件映画の保護期間の終期の計算については,本件映画が公表された日の
属する年の翌年である昭和29年から起算する(著作権法57条)。そして,
改正前の著作権法54条1項によれば,映画の著作物の著作権は,公表後5
0年を経過するまでの間存続するから,年による暦法的計算をして(民法1
43条1項),50年目に当たる平成15年が経過するまでの間存続するこ
とになる。期間は,その末日の終了をもって満了する(同法141条)から,
改正前の著作権法の下では,本件映画の著作権は,平成15年の末日である
同年12月31日の終了をもって,存続期間の満了により消滅する。
 本件改正法は,平成16年1月1日から施行され(附則1条),本件改正
法附則2条は,「この法律の施行の際」と規定しているところ,「施行の
際」とは,附則1条の施行期日を受けた平成16年1月1日を指すものであ
る。そして,附則2条の規定は,この法律の施行期日である平成16年1月
1日において,現に改正前の著作権法による著作権が存する映画の著作物か,
又は,現に改正前の著作権法による著作権が消滅している映画の著作物かに
よって適用を分ける趣旨のものと解される。
 本件映画の著作権は,改正前の著作権法によれば,上記のとおり,平成1
5年12月31日の終了をもって存続期間が満了するから,本件改正法が施
行された平成16年1月1日においては,改正前の著作権法による著作権は
既に消滅している。よって,本件改正法附則2条により,本件改正法の適用
はなく,なお従前の例によることになり,本件映画の著作権は,既に存続期
間の満了により消滅したものといわざるを得ない。

※PDF 10〜11 ページより

 ──と判示しています。極めてシンプルです。

 あとは、パラマウント側の主張に対して逐一反論を加えています。
 詳しくは本文を参照していただきたいのですが、まるで主張を虱潰しにしているかのように見えます。文化庁が示していた解釈(保護期間が満了する 2003年12月31日24時が、 新法の施行された 2004年1月1日0時 と「接触」するため著作権が存続するとされる)に対しても否定しています。
 その上「法的安定性」を楯に従来の解釈を取るべきとしたパラマウントの主張については、

〔前略〕本件改正法附則2条の適用関係に関する文化庁の上記見
解は,従前司法判断を受けたものではなく,これが法的に誤ったものである
以上,誤った解釈を前提とする運用を将来においても維持することが,法的
安定性に資することにはならない。

※PDF 17 ページより

 ──とぶった斬りにしました。豪快すぎるというか、勢い余ってるというか。
 案外、既成事実をひっくり返す判断のため、裁判所はナーバスになってるのかも知れません。付け入る隙を与えまいとしてる感じです。

 今回示された判断自体は、極めて常識的かつ論理的であると思われます(私が「数学的」な解釈のもと、期間満了との判断を期待していたことは既掲の記事に書きました)。
 ただ、この判断がどこまで尊重されるのか。抗告によって、知財高裁でひっくり返されることも起こり得るわけですから。

「接着」理論で再度挑戦するのか、はたまた「立法趣旨」を突き詰めて争うのか‥‥。パラマウント側の出方が非常に気になります。
 いや、知財高裁にしても、今回の判断をひっくり返すには それなりの理論を用意しなければならないと思いますけどね(だって東京地裁の理論構成に付け入る隙が無いのですから)。




■この決定を採りあげたブログさんから──

http://ootsuka.livedoor.biz/archives/50540662.html
「『ローマの休日』保護期間事件
 〜著作権 仮処分命令申立事件決定(知的財産裁判例集)」
(駒沢公園行政書士事務所日記)

http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060712/1152641137
「東京地裁第47部の『英断』」
(企業法務戦士の雑感)

 今回の仮処分申請→東京地裁決定については様々なブログさんが採りあげらていらっしゃるのですが、その中でも当該決定を理解する助けになるのが上記ふたつかと思われます。債権者(パラマウント)・債務者(ファーストトレーディング)双方の主張が解りやすく纏められています。‥‥まぁ、決定本文自体もそれほど読みづらい内容ではありませんけれども。

(追記: 2006.7.13)

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2006年7月 9日 (日)

あからさまな著作権侵害と、絶対に終わらない「いたちごっこ」

http://www2.accsjp.or.jp/news/news060704.html
「映像の「ストリーミング配信」による著作権侵害、日本初の摘発」
(ACCS/著作権侵害事件)

http://biz.ascii24.com/biz/news/article/2006/07/04/663251-000.html
「ACCSとAJA、ストリーミング配信による著作権侵害で日本初の摘発」
(ASCII 24 Business Center)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060704/242505/
「映像ストリーミング配信による著作権侵害、国内初の逮捕者」
(ITpro)

http://journal.mycom.co.jp/news/2006/07/04/381.html
「無断で映像コンテンツをストリーミング配信していた男が逮捕」
(MYCOMジャーナル)

 この事件については前の記事でもクリップしていたのですが、当事者の ACCS (コンピュータソフト著作権協会)と AJA (日本動画協会)でプレスリリースが上がったこともあって、改めて採りあげたいと思います。
 事件概要については、 ACCS サイトでの文章が解りやすいかと思われます(なお ASCII24 の記事に AJA のプレスリリースへのリンクが掲載されていますが、 ACCS のものと同一内容です)。

 まぁ簡単に言えば、権利者に無断で会員制動画配信をやった人間が捕まったと。ただそれだけの話です。しかも自身の所有するサーバで“サービス”を行なっていたということですから、そのやり口はむしろ古典的とも言えます。無断漫画配信の 『464.jp』 級の“捕まって当たり前”の事例ですね。
 ACCS らやメディアは「ストリーミング配信」にかかる逮捕者が「国内初」であることをやたら強調してはいますが、このこと自体には全く意味がありません。権利者が権利行使すべき場面で粛々と告訴しただけの話。ただそれだけの事例をここまで大々的にアピールするのは、“実際よりも大きな成果だと見せたい”(抑止力をもたらしたい)と彼らが考えているからではないかと思われます。

※ストリーミング型(一般的なのはコンテンツをサーバに「蓄積」するタイプ)であっても、ダウンロード型であっても、無断で配信サービスを行なった者が侵しうるのは「複製権」と「公衆送信権」(仮にアクセスが無かったとしても「送信可能化権」が及びます)です。このあたりは全く変わりません。行為として変化が生じ得るのはユーザー側であって、ストリーミング型では著作物が複製されませんが、ダウンロード型では複製されます。もっともユーザーの複製は私的複製の範囲内で、もとより権利が及ばないのですが。従って著作権法上はストリーミング型であってもダウンロード型であっても同じなんですね(なお、もし「蓄積」しないでストリーミングするのであれば「複製権」は考える必要がありません。このときはダウンロード型と異なることになりますかね)。
※あ、権利者の“論理”としては、ダウンロード型の方が著作権料を多くせしめる口実になるようですけどね (JASRAC の規定などがその例ですか)。その“論理”で言ったら、今回のストリーミング型の著作権侵害は損害額が低い(笑)。
※将来的なことを言えば、ストリーミング型でタイムテーブルに沿って放映するような形の公衆送信は著作隣接権(許諾権)を制限する余地があると、個人的には思っています(件のIPマルチキャストの議論を見た印象では‥‥)。ここに手当てするだけでも、音楽配信を促進するインセンティブになるのではないかと。

 わざわざ「ストリーミング」を強調するあたり、その視野にあるのは YouTube のようです。メディアが伝えるところを見ると、記者会見では YouTube にも触れていたとのこと。 YouTube で著作権侵害する人間は告訴するぞ、とのメッセージを送りたくて仕方ないのでしょうかね。
 しかしそのメッセージの実効性には疑問があります。まず ACCS らのプレスリリースには YouTube について書かれていません。おそらく YouTube とは別物だということを判っているのでしょう。
 YouTube の問題は今回のような違法配信よりも P2P の事例に近いわけで、粛々と対処できるものではありません。侵害者の特定が難しい上に、サービス提供者に対しては中立的行為の“間接侵害”を問わねばならない。日本だと訴訟さえ起こせば「カラオケ法理」でサービス提供者を追い込めそうですが(これ自体は理不尽な判断だと個人的には思ってます)、いかんせん今回の YouTube は日本に無いですしね。権利者側からすれば扱いにくい相手でしょう。

 YouTube への言及では、権利者側の言い分は極めて情けないものに終始した感があります。

 映像コンテンツに関しては、このところ急増している画像共有サイトに見られる著作権侵害も悩みの種だ。ユーザーが権利者に無断でコンテンツをインターネット上に公開する例が後を絶たず、「発見した場合は削除要請を出しているが、またすぐに公開されるのでいたちごっこになってしまう。“公開させない”ことが重要だ」(AJAの青野史郎著作権委員長)。国内でもこうしたサイトの開設が相次いでいるが「サイトの開設者と協力し、著作権について詳しくない人が違法にコンテンツをアップロードしないよう、投稿時の注意などの情報提供をしていきたい」(ACCSの久保田氏)。

※ ITpro 記事より
今回の事件は、男が自身で設置したサーバから無断でストリーミング配信したことで摘発を受けたものだったが、ユーザが動画投稿サービスを利用してテレビ番組などを公開していることについて、久保田氏は「著作権的には違法」と語る。しかし、すぐに「次から次へとユーザが(動画コンテンツを)アップロードしている中で、削除要請をしても意味がない」と付け加える。「著作権侵害という観点よりも、ユーザーモラルの観点から」(同)著作物の無断配信抑制をしていきたい考えだ。これには「AJAも同様の考え」(青野氏)だ。「基本的には削除要請だけでは対策にならない」との見解を示している。

※ MYCOM ジャーナル記事より

 まぁ、「いたちごっこ」は(私も今まで何度も書いてきてますが)権利者が意図してやってることでしょう。海賊行為を実質的に無意味にする方法があるというのに (“Beat the boot” ってやつですよ!)それをやらず、ただ“モグラ叩き”を繰り返すことしかしてこなかったという。自分たちが持ってる「権利」を、法の範囲内でどう使おうが彼らの勝手ではありますけどね。これが好きなのなら永遠に繰り返していただくとしましょう。
 ユーザー視点で言わせてもらえば、海賊行為ってのは絶対に無くなりません。コンテンツの需要があるところ、かならず海賊版は存在します。正規流通しなくなるコンテンツなんてものが出てきてしまったら、それこそ海賊版の思うつぼです。逆に言えば、正規流通で全ての需要をカバーできれば海賊行為は無意味になります(まぁ価格の問題は常について回りますが)。そこの努力を放棄し差止めだの告訴だのと繰り返しても、何も解決しません。

「発見した場合は削除要請を出しているが、またすぐに公開されるのでいたちごっこになってしまう」のは当たり前です。代替コンテンツが無いところに海賊行為を誘発する余地があるのですから。わかってて続けてるんでしょうが。
 安易に「“公開させない”ことが重要だ」と発言してしまうあたり、“権利者”としての驕りと危険な思想を感じてしまいます。ユーザーから発信能力を奪えと言ってるのに等しいのですから。行きすぎた発言と言わざるを得ません。

※YouTube 自体は中立的なサービスですからね(言うまでもないですが無断アップロードでの侵害者はその行為を行なったユーザーであって、 YouTube ではありません)、アップロードの際に権利関係を厳しくチェックするなんてことは不可能です。自作映像をアップしようとする個人ユーザーはその権利関係をどう証明するのでしょうか? アップロードの度に権利関係を調べるとなれば個人ユーザーの発信を妨げることとなります。
 商用コンテンツの海賊版を防ぐために個人ユーザーの表現の自由を制限しかねないような措置を取るというのは、伝統的価値観に照らして本末転倒と言わざるを得ません。侵害行為を権利者が発見し、そのクレームを受けてサービス事業者が削除していくという方法しか採れないのです。そして、 YouTube はそれを実行しています。ならば権利者側はやれることを粛々とやるのみでしょう。

「サイトの開設者と協力し、著作権について詳しくない人が違法にコンテンツをアップロードしないよう、投稿時の注意などの情報提供をしていきたい」とのことで、まぁこちらにしてみれば、これはやるべきこととして実行してくださいまし、てな感じですか。思い通りにユーザーが行動するかは保証の限りではありませんがね。「ユーザーモラルの観点から」対処を試みて、悪戦苦闘するのもまた一興でしょう。
 需要を読むことができず「モラル」に訴えるしか手段が無くなっている権利者たち。体力の続く限り足掻いてもらいたいものです。疲れてくれば、新たな視点も生じてくるでしょう。ひょっとするとユーザーの声も聞こえるようになるかも知れない(アテにはしてませんが)。

 それにしても、「基本的には削除要請だけでは対策にならない」だなんて、あなた方がそれを言っちゃおしまいでしょ! “私たちには権利行使する能力はありません”と宣言しているようなもの。

※YouTube でも著作物の無断アップロードが違法なのは論を俟たないわけですが、現行制度を前提にしたときはともかく あるべき法制度を考えるなら、流通していないコンテンツのアップロードまで違法とするのは無意味ではないかと思われます。なぜなら、そのコンテンツによって権利者が経済的利益を得るとは期待できないのですから(流通させない“権利”は無視しています。一度 適法流通させたものを後で完全に引っ込めることなど不可能なため)。まして権利者側が「削除要請だけでは対策にならない」などと権利の実効性のなさを認めている以上、送信可能化権というものを存続させる意味があるのか非常に疑問です(まぁ JASRAC はこんな弱音を吐かないでしょうけど。笑)。逆の言い方をすれば、送信可能化権という強すぎる権利が存在するためにコンテンツ流通へのインセンティブが生じていないのではないかという疑問は常にあります。

※念押ししておきますが、他人の著作物を無断で配信することは現行法では間違いなく違法ですからね(後述するやり方については除外されますが)。“確信犯”的にやるのなら自己責任で(笑)。




■今回の事件で法に触れる部分──

 今回の事件が (ACCS らのプレスリリースが事実だとの前提に立つ限り)違法だというのは間違いないとは思いますが、ならば どうすれば適法だったたのか少し考えてみます。
 まず、法に触れていそうな部分を挙げていきますと、

○権利者に無断で著作物を配信した
○公衆(今回は特定多数)に向けて有償で送信した
○著作権フリー作品ではなかった

 権利者から許諾を得て配信していたのなら勿論適法でした。ただし今回の場合、そうだったらそもそも告訴などという事態には至らなかったわけです。事件の事実関係を語る場合に この可能性を念頭に置くのは時間の無駄というものでしょう(仮に契約の解釈で対立していたのなら、まず民事訴訟から提起するのが筋でしょうし)。もし適法にやりたいならという過程の話に戻れば、 Gyao! のような許諾を受けた事業者が現に存在します。だから消して不可能な話ではない(ビジネスモデルの問題はありますがね)。
 次に送信の相手について。会員制(有料)で「多い時で約 70 人、逮捕された時点では約 40 人」とのことですから、件の配信行為が「自動公衆送信」と解釈されるのも間違いないでしょう。これが特定少数相手(かつメンバー入れ替えなし)で無償だったのなら「公衆」相手ではないとして抗弁も可能だったのかも知れませんが‥‥。ちなみにロケーションフリーを設置してインターネットから個人的にアクセスする場合には、この「公衆」の要件から外れるため適法だという解釈になる筈です。これと同じ解釈が何人までなら採り得るかという話になります。
 配信されていた著作物について、 ACCS らのプレスリリースで挙げられていた作品については問答無用で著作権が及びますが、世に存在する著作物には著作権の及ばないものも存在します。いわゆる著作権フリーの著作物で、別の言い方をすれば無断で配信できる作品ということですね。保護期間を満了したものとか、著作者らがあらかじめ複製・配信許諾の旨を明示しているものなどが考えられます。特に動画であれば著作権切れした映画作品が多いわけで、これを専門に配信する業者などが出てきても良いだろうになぁと個人的には思ったりします(余談ですが『ローマの休日』のような、権利が切れてるのか切れてないのか議論が分かれる作品なんかもあったりします)。特に日本映画でやってくれるところ無いかしらん。

 まぁ 『464.jp』 の時もそうでしたけど、他人様から金を貰って何か配信しようって時に権利関係を全く処理しないでいるってのは、逮捕という結末に同情する気にはとてもなれませんね。手違いで僅かに問題が発生してしまったというのならともかく。




■著作権法から──

 一応、関連規定を挙げておきます(私にとっても復習がてら)。
 まずは著作者の権利としての公衆送信権を規定した第二十三条から。

(公衆送信権等)
第二十三条 著作者は、その著作物について、公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。)を行う権利を専有する。
2 著作者は、公衆送信されるその著作物を受信装置を用いて公に伝達する権利を専有する。

(昭六一法六四・見出し1項2項一部改正、平九法八六・見出し全改1項2項一部改正)

 ちょこちょこ出てくる小難しい用語については第二条に定義が置かれています。

第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。(中略)

七の二 公衆送信 公衆によつて直接受信されることを目的として無線通信又は有線電気通信の送信(有線電気通信設備で、その一の部分の設置の場所が他の部分の設置の場所と同一の構内(その構内が二以上の者の占有に属している場合には、同一の者の占有に属する区域内)にあるものによる送信(プログラムの著作物の送信を除く。)を除く。)を行うことをいう。

八 放送 公衆送信のうち、公衆によつて同一の内容の送信が同時に受信されることを目的として行う無線通信の送信をいう。

九 放送事業者 放送を業として行なう者をいう。

九の二 有線放送 公衆送信のうち、公衆によつて同一の内容の送信が同時に受信されることを目的として行う有線電気通信の送信をいう。

九の三 有線放送事業者 有線放送を業として行う者をいう。

九の四 自動公衆送信 公衆送信のうち、公衆からの求めに応じ自動的に行うもの(放送又は有線放送に該当するものを除く。)をいう。

九の五 送信可能化 次のいずれかに掲げる行為により自動公衆送信し得るようにすることをいう。
 イ 公衆の用に供されている電気通信回線に接続している自動公衆送信装置(公衆の用に供する電気通信回線に接続することにより、その記録媒体のうち自動公衆送信の用に供する部分(以下この号において「公衆送信用記録媒体」という。)に記録され、又は当該装置に入力される情報を自動公衆送信する機能を有する装置をいう。以下同じ。)の公衆送信用記録媒体に情報を記録し、情報が記録された記録媒体を当該自動公衆送信装置の公衆送信用記録媒体として加え、若しくは情報が記録された記録媒体を当該自動公衆送信装置の公衆送信用記録媒体に変換し、又は当該自動公衆送信装置に情報を入力すること。
 ロ その公衆送信用記録媒体に情報が記録され、又は当該自動公衆送信装置に情報が入力されている自動公衆送信装置について、公衆の用に供されている電気通信回線への接続(配線、自動公衆送信装置の始動、送受信用プログラムの起動その他の一連の行為により行われる場合には、当該一連の行為のうち最後のものをいう。)を行うこと。

 今回の事件では、映画著作物の著作者たる映画製作者の団体だけが告訴しているようです。実演家の権利は「ワンチャンス主義」のために及んでいないんでしょうね。
 ただ一般論として(たとえばレコードに収録された著作物や放送番組など)公衆送信には著作隣接権者(放送事業者・有線放送事業者・実演家・レコード製作者)の権利も関わってきますので、それぞれの規定についても抜粋して載せておきます。

(放送権及び有線放送権)
第九十二条 実演家は、その実演を放送し、又は有線放送する権利を専有する。
2 前項の規定は、次に掲げる場合には、適用しない。
 一 放送される実演を有線放送する場合
 二 次に掲げる実演を放送し、又は有線放送する場合
  イ 前条第一項に規定する権利を有する者の許諾を得て録音され、又は録画されている実演
  ロ 前条第二項の実演で同項の録音物以外の物に録音され、又は録画されているもの

(昭六一法六四・1項2項二号一部改正、平九法八六・見出し1項2項二号柱書一部改正)

(送信可能化権)
第九十二条の二 実演家は、その実演を送信可能化する権利を専有する。
2 前項の規定は、次に掲げる実演については、適用しない。
 一 第九十一条第一項に規定する権利を有する者の許諾を得て録画されている実演
 二 第九十一条第二項の実演で同項の録音物以外の物に録音され、又は録画されているもの

(平九法八六・追加)
(送信可能化権)
第九十六条の二 レコード製作者は、そのレコードを送信可能化する権利を専有する。

(平九法八六・追加)

(商業用レコードの二次使用)
第九十七条 放送事業者等は、商業用レコードを用いた放送又は有線放送を行つた場合(当該放送又は有線放送を受信して放送又は有線放送を行つた場合を除く。)には、そのレコード(第八条第一号から第四号までに掲げるレコードで著作隣接権の存続期間内のものに限る。)に係るレコード製作者に二次使用料を支払わなければならない。
2 第九十五条第二項及び第四項の規定は、前項に規定するレコード製作者について準用し、同条第三項の規定は、前項の規定により保護を受ける期間について準用する。この場合において、同条第二項から第四項までの規定中「国民をレコード製作者とするレコードに固定されている実演に係る実演家」とあるのは「国民であるレコード製作者」と、同条第三項中「実演家が保護を受ける期間」とあるのは「レコード製作者が保護を受ける期間」と読み替えるものとする。
3 第一項の二次使用料を受ける権利は、国内において商業用レコードの製作を業とする者の相当数を構成員とする団体(その連合体を含む。)でその同意を得て文化庁長官が指定するものがあるときは、当該団体によつてのみ行使することができる。
4 第九十五条第六項から第十四項までの規定は、第一項の二次使用料及び前項の団体について準用する。

(昭五三法四九・1項一部改正、昭六一法六四・1項一部改正、平元法四三・1項3項4項一部改正2項追加、平十四法七二・1項2項4項一部改正)
(再放送権及び有線放送権)
第九十九条 放送事業者は、その放送を受信してこれを再放送し、又は有線放送する権利を専有する。
2 前項の規定は、放送を受信して有線放送を行なう者が法令の規定により行なわなければならない有線放送については、適用しない。
(送信可能化権)
第九十九条の二 放送事業者は、その放送又はこれを受信して行なう有線放送を受信して、 その放送を送信可能化する権利を専有する。

(平成十四法七二・追加)

(テレビジョン放送の伝達権)
第百条 放送事業者は、そのテレビジョン放送又はこれを受信して行なう有線放送を受信して、影像を拡大する特別の装置を用いてその放送を公に伝達する権利を専有する。

 公衆送信権には自動公衆送信(送信可能化含む)の他、放送・有線放送にかかる権利も含まれます。そんな訳で、放送・有線放送についての権利を規定した条文も含めて抜粋してみました。

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2006年6月19日 (月)

PSE 動向──北海道新聞(6.18)から

 うちのブログではあまり採りあげていませんでした、電気用品安全法の話題をすこし。
 本格施行が4月に始まってから、もう2ヶ月半も経ってるのですね。今のところは“大きな混乱”もなく、静かに推移しているような感じではあります。
 もっとも私に言わせれば、法解釈であれだけゴタゴタを引き起こしてしまったことや、未だに中古品売買が違法化してしまう問題が払拭されていないことなど、既に大きな混乱を引き起こしているのですがね。

 その後どうなったのでしょうか──。
 すいません、私こちらの話題はあまり調べていないもので(御覧のように著作権関連ばかり追いかけていましたから)、実際の中古市場がどうなっているのか、経産省の“ビンテージリスト”がきちんと更新されているのか、自主検査と PSE マークが適切に運用されているのか把握できていません。
 そんな私に出来るのは、地元の新聞でどう報じられているのか情報提供するくらいなもので。

北海道新聞 2006年6月18日付 14面
「PSE 導入から2カ月半 マークなしも売買
 変わらぬ中古品市場」
※「町田誠」との署名記事。



 電気用品安全法に基づく「PSEマーク」のない家電製品販売が禁止され、二カ月半たつが、中古品はレンタル方式が認められ、リサイクル店などではマークのない商品も売買している。消費者や従来と変わらず店を利用できるが、「いったい、何がどう変わったの?」と戸惑う声は少なくない。

 北海道新聞での記事が目に入りました。札幌市でのリサイクル店に取材し書かれたようです。
 ただ読んだ感じではあまり多くの店に取材したようには見えないんですけどね。せいぜい数ヶ所といったところ。その代わりというか、北海道経済産業局と北海道古物商業協同組合への取材がなかなかポイントを押さえてあります(新聞記事なら当たり前なんでしょうけど)。

 まず、「数カ月とされた暫定措置の期間」について道経産局に訊いています。この「暫定措置」とは PSE マークのない規制対象品(中古)の売買を「数カ月の間」「暫定的に」「レンタル品として」扱うことを経産省が認めた措置を指します。つまり中古電気用品の扱いが一応いままで通り可能になったというやつで──その「期間」は「特に定めていない」とのこと。もっとも道経産局がこのつもりでも、経産省から“ハイ終わりね”と一声あれば従わざるを得ないのでしょうけど。
 別の見方をしたら、単に道経産局への周知が徹底してないだけだったりしてね(笑)。

 次に、自主検査のために用意された機器の使用状況。なかなかお寒い感じです──

※同記事より引用

 道内のリサイクル店など約百六十業者が加盟する北海道古物商業協同組合(事務局・札幌)は、二月に自主点検用の検査機器を購入した。だが、高橋侑佶理事長は「利用は三、四件しかない」と明かす。道経産局は四月から道内九カ所で計三十台の検査機器を無料で貸し出しているが、六月十五日現在の利用はわずか十六件。

 北海道で例の協同組合に加入している業者だけですら 160 あるというのに、道内で9ヶ所・ 30 台の検査機器しか割り当てない経産省の判断って何なんだろうと思うところですが、それにしても自主検査してるところが極めて少ない(苦笑)。
 まぁこれは中古品店の責任ではありませんよ。もともと自主検査をやるなんてこと押しつけられたのが間違ってるのですから。非は経産省にあります。

 ──さて。
 電安法関連でずっと質問主意書・国会質問など精力的な活動をなさっていました民主党・川内博史衆議院議員のブログによりますと、残念ながら民主党内での電安法改正案は「継続審議」となってしまったようです。議員立法への道のりは遠いですなぁ。経産省の恣意的解釈によって中古売買の実態が続いていくという、この不安定な状態はしばらく続くことになるのですね。
 その代わりと言っては何ですが、川内議員が質問主意書を提出されたとのことです。当面は、これの内容の公表と答弁を待つということになりますか。

※電安法のことを話題にするブログも少なくなってきたようですので、今度は自分でちょっと調べてみようかしら。今まで人任せでしたから、私。

http://blog.goo.ne.jp/kawauchi-sori/e/b9c0bc148f2d81e2d722dc0ebc802bc1
「PSE 法について」
(正々堂々blog)

http://blog.goo.ne.jp/kawauchi-sori/e/3851d279261d80c6bd2d1a5b2fdf3b7e
「通常国会閉会」
(正々堂々blog)

※一応、「はてなブックマーク」では PSE 関連の話題をクリップしています。まぁ私がいつも読んでいるブログさんで採りあげられた分しかフォローできていませんが‥‥。
http://b.hatena.ne.jp/himagine_no9/PSE強制/

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2006年6月12日 (月)

53年問題: 『シェーン』の廉価版についても提訴

http://www.asahi.com/culture/update/0610/008.html
「『シェーン』も廉価版提訴 米映画会社など」
(asahi.com - 文化芸能)



 廉価版DVDをめぐり、53年に公開された映画の著作権保護期間の解釈が映画業界で分かれている問題で、同年公開の米国映画「シェーン」の廉価版DVDの製造・販売の差し止めと損害賠償を求めて、米国の映画会社などが今年2月、DVD販売会社と原盤供給会社を東京地裁に訴えていたことがわかった。
 訴えたのはパラマウント・ピクチャーズ・コーポレーション(本社・米国)と東北新社(本社・東京)。「シェーン」の著作権はパ社にあり、日本でのDVD製造・販売などの権利は東北新社が所有していると主張している。

 著作権が切れてるか存続してるかで議論のある 1953 年公開作品について、廉価版 DVD の製造・販売を差止めるよう仮処分申請があったとの報道は先日話題になりました。その話題の続きということになるのでしょうが、仮処分申請に加えて損害賠償を求める訴訟もあったことが「わかった」そうです。

 前の報道は5月 25 日付でしたか、『ローマの休日』と『第十七捕虜収容所』の2作品を対象にパラマウントが仮処分申請したという話でしたね。この申請日は5月 12 日とのことでした。
 そして今回「わかった」のが『シェーン』を対象にしたもの。原告はパラマウントに加えて東北新社の名も。映画好きには馴染みのある配給会社ですが、『シェーン』の日本での販売権を持っているのがここだそうです。仮処分申請・損害賠償の相手は明らかにされていません(この点は『ローマの休日』他でも同じでした)。
 さて、ハッとさせられたのは『シェーン』にかかる提訴の時期です。朝日記事によれば「今年2月」なんですね。つまり『ローマの休日』よりも先だったという。しょっぱなにガツンとやっておいて、あとは仮処分申請でゆるゆると締めていく感じだったんでしょうか。
 この調子で 1953 年の有名作を全部差止めていく気だったりして‥‥って、そんなことは無いかな?

 1953 年に公開された映画作品が問題となるのは、これが本来 2003 年末で保護期間満了となる予定だった(公開翌年起算で 50 年間)ところ、 2004 年から保護期間が 70 年へと延長されてしまったからなんですね。改定法施行の時点で保護期間が満了しているものについては延長が認められませんので、保護期間満了の時点が 2003 年と 2004 年の境界にあるものについて生じてしまった解釈上の問題と言えます。
 ちなみに文化庁の解釈は、保護満了の 2003 年末が新法施行の 2004 年に隣接するから保護期間延長の対象となる、つまり 1953 年公開作品も著作権が存続しているというものです。法学者の間でも一般的な解釈もどうやらこれらしいです。
 まぁ私からしてみれば納得しがたい“論理”ではあるのですが、とりあえずパラマウントらによる提訴の根拠はここにあります。最終的には司法が判断するものであり、その司法も主流の解釈に沿うことが予想されるとなると‥‥あまり嬉しい結末にはならない感じがしますね。

 この著作権保護期間の件は、『ローマの休日』が話題になったときにうちでも採りあげています(今回よりは若干詳しく書いてますよ)。併せて お読みいただければ幸いです。

http://himagine9.cocolog-nifty.com/watchdogs/2006/05/post_dd62.html
「著作権保護期間:文化庁の解釈が司法判断で否定されるか?(追記あり)」
(エンドユーザーの見た著作権)


※私が注目した記事を「はてなブックマーク」にクリップしています。
 一部コメントつき。
http://b.hatena.ne.jp/himagine_no9




■『シェーン』こそコンテンツ死蔵の典型例だった!?

http://d.hatena.ne.jp/mktkun/20060610
「遙かなる山の呼び声」
(Dig That Crazy Grave! 2)

 この『シェーン』提訴の話を はてな経由で色々読んでました。で、 『Dig That Crazy Grave! 2』 さんの指摘にハッとさせられたのです。

 ──そうなんですよ、『シェーン』は正規 DVD 化されてないんですよ!
 以前(と言ってもだいぶ昔)にはビデオ化されてた筈です。私が最初に『シェーン』を見たのがレンタルビデオででしたから間違いありません。しかし今となっては DVD として流通していなければ話にならないでしょうし、これだけ廉価 DVD が発売され、その販売を差止めようとするのなら正規 DVD を出しておかないと筋が通りません(注:著作権行使に流通実態は関係ありませんが、私は道義的責任としてそれを求めたい)。

「著作権者」とやらに限りない権利を与えていたところで それが流通の促進を生まないという典型例だったのかも知れませんね、『シェーン』は。
 これだから著作権の延長なんかしても(以下略)。

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2006年5月26日 (金)

著作権保護期間:文化庁の解釈が司法判断で否定されるか?(追記あり)

http://www.sankei.co.jp/news/060525/bun059.htm
「『ローマの休日』著作権 50年?70年? 激安DVD差し止め申請」
(Sankei Web 生活・文化(05/25 12:37))



 名画「ローマの休日」の著作権所有を主張する「パラマウント・ピクチャーズ・コーポレーション」が、同作の激安ソフトを販売する会社に販売差し止めを求める仮処分を東京地裁に申請していたことが二十四日、分かった。同作などが公開された昭和二十八(一九五三)年は、著作権の保護期間内にあるのか、期間が終了しているかが明確でない“空白の一年”で、映画の当たり年でもある。関係者の間では「五三年問題」と呼ばれ、司法判断に注目が集まっている。

『ローマの休日』と言えば、先だってリマスター版 DVD (2003年発売) を大々的に発売したり、角川の『世界名作シネマ全集』に収録させたり(2006年発売)と、著作権切れに伴って いろいろと“有終の美”を飾るように見えていたのですけど、当のパラマウントは切れてないつもりだったんですね。

※そう言えば、『世界名作シネマ全集』の『ローマの休日』収録号は「一部権利契約について予想外に時間を要してしまい」発売が遅れたんですが、このあたりも関係あるのかしらん(権利が切れてる・切れてないで揉めた?)。

 ちなみに、著作権法で映画の保護期間に関する規定は次の通りです。

http://www.cric.or.jp/db/article/a1.html
「著作権法」
(著作権情報センター)



(映画の著作物の保護期間)
第五十四条 映画の著作物の著作権は、その著作物の公表後七十年(その著作物がその創作後七十年以内に公表されなかつたときは、その創作後七十年)を経過するまでの間、存続する。
2 映画の著作物の著作権がその存続期間の満了により消滅したときは、当該映画の著作物の利用に関するその原著作物の著作権は、当該映画の著作物の著作権とともに消滅したものとする。
3 前二条の規定は、映画の著作物の著作権については、適用しない。

(平十五法八五・1項一部改正)

(中略)

(保護期間の計算方法)
第五十七条 第五十一条第二項、第五十二条第一項、第五十三条第一項又は第五十四条第一項の場合において、著作者の死後五十年、著作物の公表後五十年若しくは創作後五十年又は著作物の公表後七十年若しくは創作後七十年の期間の終期を計算するときは、著作者が死亡した日又は著作物が公表され若しくは創作された日のそれぞれ属する年の翌年から起算する。

(平八法一一七・一部改正、平十五法八五・一部改正)



附 則(平成十五年法律第八十五条)(抄)
(施行期日)
第一条 この法律は、平成十六年一月一日から施行する。
(映画の著作物の保護期間についての経過措置)
第二条 改正後の著作権法(次条において「新法」という。)第五十四条第一項の規定は、この法律の施行の際現に改正前の著作権法による著作権が存する映画の著作物について適用し、この法律の施行の際現に改正前の著作権法による著作権が消滅している映画の著作物については、なお従前の例による。

 この規定を今回の例に当てはめるとこうなります。

 1953年 に公開された映画の著作権は 1954年1月1日 に起算します。
 また現行法で定められている 70年 保護の映画著作物は、 2004年1月1日 時点で権利の残っているものに限られます。これ以前に 50年 (改定前の保護期間です)を満了した著作物については保護が延長されずそのまま切れます。
 で、ここで問題となっているのは、 2003年12月31日 で権利が切れるとされたものの扱いなんですね。つまり 1953年 公開の映画著作物は 70年 保護されるのか、という。

 法律論は私からっきしなのでパス。
 ただ数学的に考えれば、「公表後七十年を経過するまでの間、存続する」と規定されている以上、公表後 70年 を経過した時点で切れますよね。すなわち 2003年12月31日 23時59分59秒 までは権利があるけれども、 2004年1月1日 0時0分0秒には切れていると。つまり『ローマの休日』の保護期間は 70年 に延長されていないという考え方もできます(廉価版販売業者はこう主張しているようです)。
 ところが上記産経記事によると「文化庁は、二十八年映画について『保護期間の終了した十二月三十一日二十四時と、改正法施行の一月一日零時は同時』とし、『改正法の施行時は著作権の保護期間内にあり、改正法が適用される』との見解を示している」とのことです。

 事実、文化庁編著・著作権情報センター刊『著作権法入門』でもその見解に基づいた説明がされています(申し訳ないんですが、私が持ってるのは 平成16年版 でひとつ古いものです。でも現行版も表現は変わらない筈です)。

オ 映画の著作物
・独創性のあるもの(劇場用映画など)
(a) 昭和28年 (1953年) 以降に公表された著作物
(中略)
(注)点線部分は当分の間変更なし。これは 平成16年1月 から映画の保護期間が公表後 50年 から公表後 70年 に変更されたことに伴うものである。

※『著作権法入門』 平成16年版 32ページ

 法律素人の私個人としては、文化庁の説明には全く納得できないわけですが(その割にこの問題に気付かなかったなぁ。苦笑)、司法によってどのような判断が下されるのか。ここは和解することなく しっかり争ってもらいたいところです。
 ──あんな変な解釈よりも、きちんと判例を立ててもらいたいものなぁ!

 ところで、私は手元に持ってないので調べられないのですが、加戸・逐条講義ではどう説明されているのでしょうね?




■だから著作権の保護期間を延長しちゃダメなんだって!

 著作権切れした作品で新たな著作物流通を試みる例としては、文芸著作物における『青空文庫』の活動が有名です。著作権保護期間の延長が議論される際には必ず引き合いに出されるところまで存在感が大きくなりました。
 実は映画著作物でも似たような例があって、著作権切れした映画作品を廉価 DVD で販売するということが近年盛んになってるんですね(まぁ『青空文庫』ほどの志があるかどうかは置いておいて)。著作権切れ作品の廉価ビデオというのは以前からもあったのですが、さすがに 500円 とかそういうレベルまで安いものは無かった筈です。

 文芸著作物は著作者の死後 50年 の保護です。ところが映画では(前述の通り) 70年 に保護期間が延長されてしまいました(もっとも映画の著作権は映画製作者=映画会社のものですので、死後起算ではなく公開後の起算です)。ということは、この延長問題に関係しているのは『ローマの休日』などの 1953年 公開作品だけではなく、仮に保護 50年 だったら既に満了していた筈の 1954年 ・ 1955年 公開作品もパブリックドメイン入りしていません。これらが廉価 DVD になり得ないという状態が今後 18年 続きます。
 さまざまな業者から発売されている廉価 DVD に収録された映画作品は、元々の製作会社からも正規 DVD として発売されているものが殆どです(いわゆるクラシック映画として扱われていますね)。廉価 DVD の方はおおむね 500円 から 1500円 程度ですか。それが、正規 DVD の方は 3500円 から 4500円 の値付けをしてしまう。いくら名画だからと言って、この値段で本当に売れると思ってるのか。現に店頭では若干の値引きをしても売れ残っている様子ではありますが(新作や近年作のメジャー映画だと 1000円 から 3000円 程度のものが多いんですけどね。古い方が高いというのは何だか奇妙な状態ではあります)。
 映画 DVD ではリージョンコードが設定されていますから、輸入盤との価格競争というものは存在しません。製作者の言いなりの値段で買わされかねないのが現状です。価格が高ければその分、人に鑑賞される機会を失います。

 著作権というやつは限られた期間だけの占有権であって、それが社会のコンセンサスなわけです。有限期間だからこそ認められている特権と言ってもいい。たとえ著作者といえども(あるいは製作者でも)、文化的所産として著作物を公にする以上、その利用を無限に阻むことは不可能なのですから。
 充分な保護期間として国際基準になっているのは 50年 です(死後もしくは公表後)。これだけでも長きに渡る期間であり、著作者(あるいは製作者)としての得るべき利益も充分確保されています。
 そんな著作物でも過去の文化の積み重ねから生じたのであり、いずれ文化の中に取り込まれる運命です。それが自然な流れで、文化とはそうして発展してきました。充分な保護を受けた後は自由に利用されることで新たな文化への糧となり、また新たな著作物の発生を導くのです。
 そうした中で、著作物が文化に組み込まれてから長い時間が経過した後、なお占有を主張する人間が出てきたらどうなるでしょうか。しかもその人間は著作物を制作した本人でもなく、また製作の現場にいた人物でもない。

 著作権保護期間は安易に延長しちゃいけませんね。
 文化的な営み(もちろん流通も含みます)を阻害する口実を「権利者」に与えるだけです。

※廉価 DVD がらみの話でしたので流通を中心に述べてきましたが、著作権保護期間の問題は流通よりもむしろ「翻案権」の行使の方が深刻だったりします。要は“盗作疑惑”のような言いがかりをつける口実が増えるということです。これでは新たな創作を阻害するのは間違いありません。




■「53年問題」 で北大・田村教授がコメント

http://www.asahi.com/life/update/0525/006.html
「格安DVDの販売差し止めを申請 米映画会社」
(asahi.com - 暮らし)



 北海道大の田村善之教授(知的財産法)は「文化庁の解釈が一般的だ。しかし、そもそも、利用と保護のバランスを考えたときに、70年間も映画を保護する必要があるのかという本質的な問題はある」と話している。

 朝日新聞の記事の中で、北海道大学・田村善之教授のコメントが掲載されていました(上記引用はコメント部のみ)。文化庁が言うところの「03年12月31日午後12時と改正法が施行された04年1月1日午前0時が接着しているため、改正法が適用される」という解釈が「一般的」なんですって。へぇ。
 では、田村教授の著書ではどう説明してるのか。──と思ったのですが、田村教授の代表的な著作で うちにもある『著作権法概説 第2版』は 2004年 改定の前の発行でした (2001年発行)。トホホ。
 うちにある他の本も 2004年 より前の発行だったりします(最新版に手が出ないで旧版ばかり古本で買ってるのですね)。唯一新しいのは半田正夫・著『著作権法概説 第12版』ですが、今回問題とされる部分についての詳しい説明はありませんでした。

 新聞報道によれば、旧法から現行法に切り替わった 1971年 でも同様の解釈が用いられたということです。そこで旧法との関係が書かれたくだりを調べていくことにしました。

田村善之・著『著作権法概説 第2版』
(2001年・有斐閣)
289ページより



 旧法は著作権の保護期間を原則として著作者の死後 30年 としていた(旧法3条1項、暦年主義につき9条)。ただし、将来の著作権法改正を見越して、 1962年以降、 1970年 の現行法制定に至るまで、漸次、存続期間を延長する暫定措置が採用され、最終的な存続期間は死後 38年 とされていた(旧法 52条 1項)。そして現行法では、 1971年1月1日 施行の際、既に著作権が消滅した著作物に関しては著作権を復活させない旨の経過措置を設けたので(附則2条1項)、結局、 1931年12月31日 までに死亡した著作者については、旧法により既に著作権は消滅していることになる。他方、 1932年1月1日 以降に死亡した著作者については、 1971年1月1日 の0時には未だ著作権は消滅していないので、現行法が適用される結果、死後 50年 の保護期間を享受する(以上につき、加戸・逐条講義 310〜311 頁)。著作権が創作活動へのインセンティブのためだけに付与されるものだとしたならば、既に創作活動が行われた著作物の保護期間など特に延長しなくてもよさそうなのだが、現実にはそう簡単に突き放していないわけである。

 田村・概説で「加戸・逐条講義 310〜311 頁」との参照指示がありますので、次いでこちらも。
 ただ、心当たりの図書館──いや端的に言えば北大の図書館なんですが、そこで最新版が閲覧できなくて(貸し出し中だったり一般人の閲覧不可だったり)旧版からしか引用できません。最新版は所有されている方にフォローしていただきたいところなのですが‥‥これが私の限界です。

加戸守行・著『著作権法逐条講義 三訂新版』
(2000年 ・著作権情報センター)
332ページより



(保護期間の計算方法)
第五十七条 第五十一条第二項、第五十二条第一項、第五十三条第一項又は第五十四条第一項の場合において、著作者の死後五十年又は著作物の公表後五十年若しくは創作後五十年の期間の終期を計算するときは、著作者が死亡した日又は著作物が公表され若しくは創作された日のそれぞれ属する年の翌年から起算する。
 本条は、保護期間の計算を簡明容易にするため、その基準点となる日の属する年の翌年の始めから起算して、死後 50年、 公表後 50年 又は創作後 50年 の期間を計算することとしたものであります。(中略)
 なお、「翌年から起算する」といいますのは、翌年の1月1日の午前0時から計算を始めることを言い、民法 第141条 ただし書の規定によって初日不算入の原則は排除されますので、民法 第141条 の規定によって、期間の末日の終了、即ち、起算点の 49年後の 12月31日の 午後12時 の経過をもって保護期間が満了することとなります。

 田村・概説で指示されたページではなく、その後の方のページから引用してみました。問題の文化庁解釈の一端が解る部分がここだと思いましたので。

 作花文雄・著『詳解 著作権法』からも同様の解釈に触れた部分を引用します。

作花文雄・著『詳解 著作権法 第3版』
(2004年 ・ぎょうせい)
398ページより



昭和6(1931) 年以前に死亡した著作者の著作権は、昭和 44年末 に保護期間が満了となり、現行法の死後 50年 の適用を受けることなく、旧法下で権利は消滅したことになる。昭和7 (1932) 年に死亡した著作者の著作物の保護期間は、旧法により 昭和45年12月31日 午後12時 まで存続し、そして同時刻は現行法施行日である 昭和46年1月1日 の午前0時でもあることから、新法の保護期間の規定が適用され、 死後50年、 つまり 昭和57年末 まで存続したことになる。

 以上のように、「03年12月31日午後12時と改正法が施行された04年1月1日午前0時が接着しているため、改正法が適用される」との解釈が、旧法から現行法 (1971年施行) へ切り替わる際にも用いられていたこと、そしてその解釈が田村教授のコメントのように「一般的」らしいことが(何となくですが)解ります。
 ──となると、裁判でこの解釈が否定されるのは難しいかも知れません。

 しかし。やはり引っかかるものはありますね。
 私としてはついつい厳密に考えたくなるわけですよ。
 映画の場合ですと公開の「翌年の1月1日の午前0時」から起算するわけです。つまりこの「午前0時」の瞬間は保護期間に含まれているわけです。そして 50年。 ちょうど 50年 です(閏年のことは考えないでおきましょう)。 2003年12月31日 に期間が満了する場合に、 2004年1月1日の 0時の瞬間が含まれるのか否か。
 ──数学的な観点からすれば含みません。起算で「午前0時」を含めているのですから、最後の「午前0時」をも期間に含めてしまうと 50年 を僅かに超えることになります。

 また、改正法の施行と重なるような特殊なケースではなく、普通に著作権満了となる年の場合にはどうなるのでしょうか。期限が切れるのはどの瞬間でしょう、 1月1日の 0時0分0秒なのか、0時0分1秒なのか。
 なお時刻の概念として「0時0分0秒」を用いるのなら 「24時0分0秒」 は存在し得ません。 24時 になった時点で日付が変わっているのですから(だからこそ「0時」の概念なのです)。

 そうやって考えると、やはり「一般的」とされる法解釈が論理的ではないように思われます。別の言い方をすれば一般常識から乖離しているのではないか、と。
 もっとも裁判では法解釈が全てなわけですから、被告(廉価版 DVD 販売業者)がどこまで戦えるのか判りませんが。

 理系人間の考え方として、『スラッシュドットジャパン』での議論を紹介しておきます。
 論理的に考えれば、文化庁の解釈には疑義が多く出てくるということです。

http://slashdot.jp/article.pl?sid=06/05/26/0614219
「1月1日施行の著作権期限延長法は12月31日期限切れの作品にも有効か」
(スラッシュドット ジャパン)

 この問題は翌年元日の起算だから発生してるとも言えるわけで、視点を変えてみると、問題になっている 1953年 公開作品はもう著作権切れとしても良いのではないかと思えます。なぜなら本来基準とされるべき発行日から起算していたなら、改定法の適用を受けなくても間違いなく 50年 の保護を受けていたのですから。これは充分な保護期間です。
 単純に、権利者の権利をより保護する意図なのでしょうが、それならそれでもう少し解釈の問題を引き起こさないような条文を用意できなかったのかという疑問もあります。

※翌年起算とする計算方法を批判している訳ではありませんので念のため。

(追記: 2006.5.27)




■この問題を採りあげたブログから──

http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060525/1148601864
「『ローマの休日』騒動」
(企業法務戦士の雑感)

http://d.hatena.ne.jp/dr_y/20060525#1148572680
「格安DVDの販売差し止めを申請 米映画会社」
(Mein Ort,Irgends)

http://d.hatena.ne.jp/attorney-at-law/20060524/1148478046
「著作権の保護期間」
(つれづれなるままに 〜弁護士ぎーちの雑感〜)

 この問題について言及したブログさんの記事を軽く紹介します。
『企業法務戦士の雑感』さんでは、旧法から現行法への移行の際に 1953年 公開作品を(解釈として)含めたのは「著作権が『有名作家の遺族の経済的利益を守る権利』として受け止められていた、という事情もあるのではないか」「このあたり、一種の政治マターにもなっていたようだ」と指摘されています。確かに、今でも政治的な判断で著作権法が改定されるケースが多いですものね、解釈の論理性はそっちのけで(「レコード輸入権」や私的録音録画補償金の例を挙げるまでもなく)。
『Mein Ort,Irgends』 さんでは、映画の著作権が延長されたことで生じる弊害について書かれています(『ローマの休日』についてというよりは一般論で仰ってます)。
『弁護士ぎーちの雑感』さんでは、田村教授が仰ったところの「一般的」な解釈には通じていらっしゃらない様子ですが、いや、素直に考えたら(法律を専門に勉強された方でも)こういう解釈になると納得した次第です。

 裁判所でも素直な解釈が為されることを願ってやみません。

(追記: 2006.5.27)

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2006年5月13日 (土)

通信・放送懇の「あーそうですか」的 論点整理(案)

http://plusdblog.itmedia.co.jp/nishitadashi/2006/05/nhk_adba.html
「『あーそうですか』の竹中NHK改革」
(西正が贈るメディア情報)

http://www.soumu.go.jp/menu_01/kaiken/back_01/d-news/2006/0509_r_1.html
「竹中総務大臣記者会見の概要
 通信・放送の在り方に関する懇談会(第11回)終了後」
(総務省)

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/tsushin_hosou/pdf/060509_3_1.pdf
「論点整理(案)」
(総務省・ PDF)

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/tsushin_hosou/index.html
「通信・放送の在り方に関する懇談会」
(総務省)

 うちでは しばらく採りあげてなかったんですが、総務省「通信・放送の在り方に関する懇談会」の話。もう 11回 もやってるんですね。
 この会合で「論点整理」なる文書が出てきたそうなんですが(4ページほどの PDF で、簡単なものです)、この懇談会に対してかねてより辛辣なコメントを出している『西正が贈るメディア情報』さんに刺激されて私も少し触れておきます。もっとも私は西氏とは異なる考えの持ち主ですし(さらに言えば通信・放送懇の面々とも一致しない)、普段はむしろ氏の主張に反発を覚えるクチだったりするのですけど。
 ──「あーそうですか」ってのは同感ですね。何いってんだか、ってな内容なんですよ。

「論点整理」が意味不明に見えるのは、件の懇談会が非公開のものであって議論の詳細を参照できないのが一因でしょう(いや議論の前提からして納得しかねるものだったりもしますが、それを言っちゃおしまいなので小声にしておきますが。笑)。総務省サイトに掲載された配付資料か、会合の後で開かれる「記者会見の概要」でしか会合の中身を窺う術はありません。
『朝まで生テレビ』に松原座長が出てた時には“記者会見もやってるから懇談会は非公開ではない”とか宣ってましたが、これこそ「何いってんだか」って感じです。一般の傍聴を認めるとか、議事録をきちんと作るとかしないと「公開」とは言えませんがな。まぁ関連業界からのヒアリングの時みたいに、公開してた会合も例外としてあるにはあったんですが。
「論点整理」の妥当性を云々できるのはそれからに思えます。仮に公開したらしたで論理的欠陥を指摘され袋だたきになる可能性もありますがね。

 第11回 で配布された「論点整理(案)」に話を戻しましょう。私の感想を述べるということしかできませんけど。
「通信・放送の制度的な枠組みが、融合の進展、デジタル化・IP化のメリットの社会への浸透を阻害している面があるのではないか」とか言っておきながら、「著作権法上の対応」という項目では「役務利用放送事業者によるIPマルチキャスト放送」に限定した提言しか出していません。確かにこここそが急を要する部分ではありますが、「融合」だなんて大風呂敷を広げた割には狭い話だとは思いませんか。そのくせ「現行の通信・放送で二分された法体系を全面的に見直し」なんて地に足のついてない夢物語を出してきたりするし。
 そもそもね、法体系の「全面的」見直しって論理的に可能なんですか? 個人間の通信と放送は別物ですし、不特定多数を相手にした“放送的”通信についてでも全てが全て「放送」(数々の責務や参入条件を負わされています)とは同じ扱いを必ずしも出来ないわけですよ。逆に放送法における「放送」に限る法体系を成立させたところで、それにどんな意味があるのか。それ以外の部分はやはり著作権法に頼るしかないのですから(むしろ放送を他の法律に任せてしまったら、著作権保護のバランスを取りづらくはなりませんかね?)。
 著作権法に対しても「有線放送区分の撤廃等の根本改正を早期に行なうべきではないか」などと書いてますが、じゃあ有線放送特有の再送信の扱いをどうする気なんでしょう。

※どこまで会合の中で話し合われているのか‥‥すみません、私はまだ詳細を把握していないので判断は保留します。ちょっと時間が出来たら調べてみます。

 NHK に関する話も「何なんだか」。
 経営委員会を強化して、チャンネルを減らして、受信料を値下げすれば支払いを「義務化」しても理解されるとかいう考え方。──違うでしょそりゃ。一般に問題とされているのは NHK が「公共放送(=国民のための放送)」に相応しい体質へと改善していけるのかであって、現行のような(国会に首根っこ掴まれた)組織を温存したのでは何の解決にもなりません。
 それどころか、 「NHK の経営資源を日本の国益のために有効活用すべき」とか言って、まるで NHK が「国営放送」であるかのような口ぶり。私は懇談会が「国際放送」とやらを強く訴えてるあたりにも違和感を覚えるのですが、これらのことが「公共放送」に受信料を支払っている国民の理解を得ているのか。そこを気にするデリカシーはありませんかね。万一 受信料支払い「義務化」なんてことになれば、ますます全国民の総意というものが反映されないと拙くなりますよ。
 要はね、言ってることとやってることが乖離してるんですよ。「公共放送」でなく「国営放送」がやりたいのなら、受信料じゃなく税金でやれよ。

 NHK を公共放送として存続させたいのであれば、とにかく国家権力から可能な限り切り離して“民営化”すべきです(一定の規制は必要かと思いますけどね)。すなわち受信料を払っている人たちの声を運営に反映させるよう努力する、と。体勢を根本的に変えねばならないでしょうが、受信料を取っている以上は本来これが最優先されるべきです。たえず国の機嫌を窺うなど愚の骨頂、それを招く組織構成(法規定)にも問題があります。
「声を運営に反映させるよう努力」しても、 NHK の在り方に納得できず金を払いたくないという人たちは絶対に出てくるでしょう。だからそもそも論として受信料の「義務化」などあってはなりません。 NHK を見るのか見ないのか(すなわち受信料を払うのか払わないのか)というのは、 NHK のやっていることを承認するのか承認しないのかという決定的な意思表示法なのですから。
 NHK がきちんと「公共放送」の務めを全うしているのかは国民ひとりひとりが判断すべきことです。その判断の結果、受信料を払うのか払わないのかを決める。この判断がそれぞれに尊重されるべきです(この点では、私は「公共放送」の“重要性”を説く方々といは考えが一致しません)。私などは今の NHK は最早「公共放送」への改善すら見込めないと思っていますので。報道姿勢しかり、受信料支払者の声を反映できない組織しかり。政治に擦り寄ったまま放送を続けるのなら さっさとスクランブル化でも何でもやって、見てる人だけが金を払うようにした方が国民からの支持も目に見えるってものです。あるいは税金で運営する「国営放送」にしちまうとかね。
 懇談会に出てる人ですら“スクランブル化なんてしたら受信料を払う人が激減する”てなことを口走ってしまうような有様ですよ。そんな中で「義務化」したところで、意にそぐわず金をむしり取られる人が多く出るのは明らかであり、不満が大きくなっていくだけです。テレビを棄てて契約を拒否する人が増えるのが関の山でしょう。
 NHK の体質を根本的に改善できず、スクランブル化は嫌、でも受信料支払いは「義務化」なんてのは論理矛盾以外の何物でもありません。この3つは同じ前提において並立する事象ではありません。こんなところにも件の懇談会の「何なんだか」という一面があります。

※「公共放送」であろうとすれば、「国営放送」然とした今の NHK はそれに反します。受信料徴収に合理性を求めればスクランブル化は必須です。今のままで受信料支払いを「義務化」すれば、受信料は一種の「税金」と化します(まさに国営化!)。


※私が注目した記事を「はてなブックマーク」にクリップしています。
 一部コメントつき。
http://b.hatena.ne.jp/himagine_no9

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2006年3月17日 (金)

「通信・放送の在り方に関する懇談会」#6は動画配信されてるぞ!(追記あり)

 総務省の「通信・放送の在り方に関する懇談会」の話です。うちで採り上げない間に第5回と第6回が開催されていました。このうち第6回は放送関係者のヒアリング (NHK ・日本ケーブルテレビ連盟・スカパー・芸団協)でして、驚いたことに会合の模様が動画配信されているのですね。

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/tsushin_hosou/060313_2.html
「通信・放送の在り方に関する懇談会(第6回)会合映像配信」
(総務省)

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/tsushin_hosou/060313_3.html
「通信・放送の在り方に関する懇談会(第6回)配付資料」
(総務省)

http://www.soumu.go.jp/menu_01/kaiken/back_01/d-news/2006/0309.html
「竹中総務大臣記者会見の概要
 通信・放送の在り方に関する懇談会(第5回)終了後」
(総務省)

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/tsushin_hosou/0600309_1.html
「通信・放送の在り方に関する懇談会(第5回)」
(総務省)

 なお、第6回はいつもと違って議事録も公開されるそうです。この方式、文化審議会でもやってほしいなぁ(まぁヒアリングだからここまで公開されているのでしょうけど)。配付資料についても既に掲載されています。
 第5回については、これまでの議論と新たな議論をまとめて扱ったようです。

 実は私もまだ関係文書を読んでません。もし何かツッコみたいところが出てきたら、追記していきたいと思います(追記しないかもしれません)。

 ちなみに本懇談会の報道の一例──

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060313/232329/
「【速報】竹中懇の公開ヒアリング,NHK橋本会長らを招き始まる」
(日経BP: ITpro)

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060313/232364/
「【続報】竹中懇ヒアリング,IPマルチキャストの解釈を巡って芸団協が反論」
(日経BP: ITpro)

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060309/232185/
「NTTの在り方に関する新たな合意事項はナシ,第5回竹中懇談会」
(日経BP: ITpro)




■芸団協の言い分に耳を傾ける(首を傾ける?)



http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/tsushin_hosou/pdf/060313_2_s6.pdf

「社団法人日本芸能実演家団体協議会:

 通信・放送の在り方に関する懇談会20060313」

(総務省:通信・放送の在り方に関する懇談会(第6回)配付資料・ PDF)



http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/tsushin_hosou/pdf/060313_2_s7.pdf

「クエスチョネア」

(総務省:通信・放送の在り方に関する懇談会(第6回)配付資料・ PDF)

 本懇談会において芸団協(の著作隣接権センター CPRA) の椎名和夫氏が意見を述べたわけですが、主としてIPマルチキャスト放送を有線放送とみなすべきとの方針に対する反論であると総括できます。ただ、ことはIPマルチキャストの問題にとどまらず実演家の権利制限に関わるものですので、著作権周りに注目している私としては かなり気になる話題であることは確かです(今期の法制問題小委員会でも初っぱなに議論されるのがこれですし)。

 芸団協として提出されたレジュメ「通信・放送の在り方に関する懇談会 20060313」 を吟味していきます。もっとも芸団協という組織そのものに対して言いたいことは別記事「芸団協(実演家著作権隣接権センター)って何やってんだろ?」で披露しましたので、ここではツッコミモードではなく穏やかにやりましょう(できるかな? →私)。
 なお今回の懇談会での意見については、懇談会側からの「クエスチョネア」が先に渡され、それに対する回答も含めて聴取することとなっていました。この「クエスチョネア」(どうして「質問」とか日本語で表現しないんですかね)も独立した文書として公開されています が、芸団協についてはレジュメの中で質問文の引用がありますので特に読む必要も無いだろうと思われます。

※あの記事、最初はここの冒頭用として構想していたのですが、ネタとして長くなりそうだった(しかも CPRA サイトの記事にツッコミを入れたくもなった)ことから別記事として独立させました。


【ノンブル1ページ】

「実演家著作隣接権センター CPRA の事業概要」とあります。これ、 CPRA のサイトにも同様のページが用意されていますが、本レジュメだけでも結構わかりやすく書かれています。


【ノンブル2ページ】

「放送と通信の融合について」。

「放送番組の二次利用については、集中管理の体制を構築することで対応」とありますが、この集中管理は音楽配信についても有効であろうと思われます。このあたり、如何お考えなんでしょうかね? (もちろん本聴取で触れなければならないものでもないですけど。)
 ネットで実演を配信する技術はもう何年も前から存在するわけで、流通の阻害を起こさないためには許諾システムの整備が必要。となれば、芸団協はきちんと「対応」してきたのかという指摘は当然なされるべきでしょう。公衆送信権(許諾権)が付与されているという事実に甘んじた芸団協側の怠慢と評されても仕方ないところかと。
 その意味では、「実演家の『権利』が流通を阻害しているとの短絡的な議論には大きな疑問がある」という反論の短絡性を自覚すべきでしょう。 CPRA が自身のサイトで指摘しているとおり、「送信可能化権が実演家に付与されて 10年 近くがたつが、 CPRA においてはまだこの送信可能化権を処理したビジネススキームが確立されていない」のですから。
 芸団協 (CPRA) を代表して意見を述べた椎名氏は、放送のネット配信におけるビジネスモデルが確立していない旨を発言していました。しかし、それでは既にビジネスモデルの確立している音楽配信について許諾システムを構築する努力をしていたのかという疑問が出てきます。それがなければビジネスモデルの確立が直接原因ではないと考えられますから。

 レジュメの中で、有線放送にかかる実演家の権利制限(放送についての同制限という含みもおそらく持たせているのでしょう)について不当であるかのように書かれています。
 しかしながら実演家に対する著作隣接権が、著作物を伝えるということに対するインセンティブを生じさせるために付与していること、つまりは著作物の流通を止めるために付与されているのではない(むしろ正当な報酬を得ることを裏づけるための“切り札”)ということに留意しなければなりませんね。


【ノンブル3ページ】

「有線放送に係る実演家の権利制限について」として、この問題につき注目すべき点が書かれています。
 ──「有線放送 (CATV) で地上波を同時再送信する場合については、区域内の限定的な難視聴対策の範囲であって実演家の権利を害さないとの判断から、以下の権利制限が定められている」。なお「以下の権利制限」はレジュメを参照してください。

 いま実現しようということで話題になっている地上デジタル放送のIP同時再送信については、まさしく「難視聴対策」なのですね。また地方局の放送地域との兼ね合いから、再送信コンテンツと視聴可能地域との対応をどう設定するのかという問題が持ち上がっています。ここでもし地方局の区分と同様の区域でしか見られないように(技術的に実現)するのであれば、「区域内の限定的な難視聴対策の範囲」であることは明らかです。
 また、仮に在京キー局の番組が地方でも見られる場合(また逆の場合)に、同時再送信は「実演家の権利を害」するのか否か。いえいえ実演家の権利は「ワンチャンス主義」として放送においても制限されているのですから、放送用に製作された番組を有線放送において同時再送信しても権利制限の実態に何ら影響を与えません(別の言い方をすれば、有線放送での同時再送信についてそう限定的にとらえる必然性がありません)。

 芸団協としては「IPマルチキャスト放送は、区域内の限定的な難視聴対策とは云えず、よって『有線放送』と定義されるのであれば、同時に上記の権利制限の見直しを行う必要がある」としていますが、その理由がありません。IPマルチキャスト放送と言っても想定されているのはおそらく同時再送信のみでしょうし (VOD については別論とせざるを得ないでしょう)、これを「有線放送」としたところで実演家の利益について従来の有線放送と変わるものではありません。むしろ従来の公衆送信権での禁止権部分についての正当性に疑問が生じるところです。法律がそうなってるから──以外の理由がどこにあるのか、と。(法律以外に根拠が無いのなら、法律を変えれば済む話です。)
「地上デジタル放送の通信伝送路による再送信サービス」の前提条件という情報通信審議会の見解をレジュメでは引用されていすが、この「視聴方法に関する選択肢を拡大することにより、視聴者の受信環境の一層の充実を図る観点から、地上波中継局による伝送を『補完』するための措置」はIPマルチキャストによる再送信を否定するものではありません(そうは読めませんね、少なくともこの表現は)。インターネット+パソコンで地上デジタル放送を見れるようにするのは「視聴方法に関する選択肢を拡大」することに他なりませんし、地上波中継局による伝送を「補完」しているのですから(まぁ視聴環境としては家庭内の受信機器の「補完」に関わる部分ですがね)。
 芸団協が当該レジュメの主張を続けるには、相当な理論武装をする必要があります。

※個人的には、「著作権・著作隣接権は人権ではない。ルールである」とか言ってやりたくなりますね(笑)。


【ノンブル4ページ】

 ここに「クエスチョネア」への回答が示されています。

 IPマルチキャスト放送を「有線放送」とすることには“待った”をかけ、「集中管理体制の確立で全面的に協力したい」としています。ただその主張が、現実的な期間でもってシステム構築され得るのかという観点から評価されるのは逃れられません。
 もっとも、芸団協が そもそも論として「『有線放送』に係る実演家の権利制限の見直しが不可欠となる」と主張していることの方が私は気になります。現在でも彼らは再送信からも報酬を受け取っているわけで(これは法に定められた権利ではなく契約上のものなのですが、裁判によって支払いを強制できるところまで既成事実化してしまいました)。こんな中で当該権利制限が撤廃されたとしても、実演家に実質的に追加付与されるのは許諾権(つまり禁止できる権利)だけです。したがって何故これが必要なのかという疑問が出てくるわけです。現行のシステムで何かうまく行っていないことでもあるのか、もしあるならその事実をもって主張すべきではないでしょうか。
 現実として、二次利用やIPマルチキャスト放送において行使されている形となってしまっている許諾権について、それが付与されている必要性はどこにあるのか疑問視されるところまで来ています。芸団協としては“実演家の当然の権利”として許諾権が貰えて当たり前みたいな気でいるのでしょうが、自らの怠慢によってその説得力が薄れていることこそ重視すべきでしょう。

 そのような実態の中で「活用がすすまない原因を『著作権』とみるのは大きな誤り」と主張してみても、その理由を説明できないうちは説得力を持ち得ません。「マルチユースを前提とする契約システムへとシフトしてゆくべき」というのは正論だと思いますけどね(あと、 CPRA から著作権法改正要望として提出している契約にかかる規定の追加についても、芸団協の主張にしては珍しく正論だと思ったりします、私)。契約システムの不備が流通阻害要因になりかねないという問題意識があるのに、なぜ解消しようとしないのかも疑問ですよね。
 芸団協はいったい何をやってるのでしょうか? 私はあえて「怠慢」と厳しく表現させてもらってますが、別角度で考えれば「実演家」というのはエンドユーザーが最も親近感を覚える存在なのですよ。実演家を応援するためにコンテンツを購入しているのだと言ってもいい。その実演家の窮状を聞くたびに、なぜ誰も声を挙げようとしないのか、なぜ団結力を見せようとしないのか──と歯がゆい思いをさせられているのです。芸団協に対する私の感情は、そうした屈折にも一因があります。
 だから、「実演家が直接コントロールできる部分ではなく、コンテンツホルダーの奮起に期待」などと他人事のように、甘ったれたことを言ってるのを見ると腹が立って仕方ないのですよ! あなたたちは表現者ではないのか、その表現が妨害されて何も思わないのか。それとも何か、流通阻害は実演家の望むところか?
 いや著作権の構成としては確かに「直接コントロールできる部分ではな」いのです。例えば音楽配信の場合にはレコード製作者が配信しないと決めればそこで止まってしまいますし、放送番組の場合には放送局や著作権者が止めればアウトです。しかし、流通を促すよう発言はできます。それをきちんとやってきてるのか(もちろん許諾システムの構築作業という裏づけも必要でしょうが)。私は音楽の方ばかりに接しているのでどうしてもそちらへ発想が飛びますが、意に沿わない 「CCCD」 化だったり、意に反するネット未配信だったり、今回の電安法であったり、どうして芸団協は動かないのか(もしくは動きを伝えないのか)。
 著作権・著作隣接権が宿命的に持つ利用萎縮効果とともに、流通阻害要因の排除を試みない権利者の動向を見れば、「活用がすすまない原因を『著作権』とみる」ことの妥当性の方がむしろ芸団協の動きによって裏づけられているようにしか見えません。


【ノンブル5ページ】

「懇談会に要望すること」。
 主張はいつもの通りです。“文化のために権利よこせ”。

 したがって私の反応としても いつもの通りにやらざるを得ません。コンテンツ流通を振興することで「コンテンツが滅び」る理由(メカニズム)について根拠が示されない。むしろコンテンツ流通が阻害されることで「文化」が痩せ細り「コンテンツが滅び」かねないということに対する想像力がゼロ。「『文化』に対する配慮がますます希薄になっている」との指摘はそのままお返ししたい、といった感じです。

「IT産業振興の阻害要因をすべて『既得権』として排除の対象と見るような方向へと向かうのであれば問題」ともしていますが、二重の意味で間違っています。まず国が考えているのは「IT産業振興」ではなく むしろコンテンツ産業振興であるということ。つまるところ実演家が介在する場面を増やしていこうというのが第一義なのです。
 またコンテンツ流通阻害要因として指摘されているのは著作権・著作隣接権の付与を含むコンテンツ業界への優遇措置(レコード業界を例にとると再販制・還流防止措置などがありますね)であり、それが「既得権」ではないとする根拠がありません。実演家の許諾権に話を絞れば、彼ら自身がコンテンツ阻害要因を排除する努力をしないかぎり、その権利の行使が現実に発生させる流通阻害をもって それを「既得権」と呼ばれることは避けられません。現にコンテンツ流通が止まっており、その際に許諾権の行使が“見えて”しまっているのですから。

 なぜ許諾権を付与する必要があるのか。
 あるいは、許諾権を付与してもコンテンツ流通に過大な影響を与えずに済むにはどうすればいいのか。
 コンテンツの流通というものは即ち情報の流通であり、他人の知る権利や表現の自由とも大きく関わってくるものです。著作権者・著作隣接権者と言えども、これらの権利や自由を無制限に押さえることはできません(だからこそ調整機能としての権利制限規定が存在するのです)。となれば、流通阻害の課題に正面から取組まない限り、芸団協の言い分に納得できる人は増えないかと思われます。自分の権利が抑えつけられて黙っていられないのは実演家だけでないのですから。

 コンテンツ業界を国が見限るという選択肢もあるにはあります。
 自滅しているレコード業界を放置するとか。コンテンツ流通の阻害要因を放置すればどこまで市場が落ち込むのかを見る格好の反面教師となることでしょう。
 もっともコンテンツ流通を拡大させて、市場規模も拡大させて、ガンガン金儲けしたい(=税収を増やしたい)と考える向きには看過できないかと思われますが。


【まとめ】

 いつもとは違う角度でまとめます。
 許諾システムの整備にいつまでもモタモタしているようでは、許諾権の存在が「阻害要因」と呼ばれても仕方ありません。事実、それによって流通できていないのですから。許諾権があることで、明確な禁止の意思表示がなかったとしても利用を萎縮させる性質がある。このことは著作権・著作隣接権を扱う者なら強く意識すべきことです。
 許諾システムを構築するとすれば、権利制限をしなくても充分にコンテンツを流通させられるシステムである必要があります(それも出来るだけ早く)。それこそ JASRAC 並みのシステムを構築しなければなりません(許諾システムとしての JASRAC は、運用の問題こそ少なくありませんが、その存在自体の意義は図り知れません。これが正常に機能している限りにおいて、言ってみれば実質的な許諾権制限と化しています。コレ誉めてるんですよ)。構築の暁には、芸団協が主張している放送・有線放送への権利制限撤廃を実現させる大きな武器となるかも知れません。
 実演家の許諾権以外に流通阻害要因があれば、それを取り除くための努力も求められます。端的に言えば、音楽配信におけるレコード会社の許諾権行使がそれに当たりますね(本懇談会の話題からは外れますけど)。それだけではないかも知れません。いずれにせよ「実演家が直接コントロールできる部分ではなく」などと尻尾を巻くのでは芸団協が誰のための団体なのか判らなくなります。阻害要因の撤廃が実現できなかったとしても、少なくとも主張を明らかにしておくべきでしょう。
 芸団協がどれだけのことをやっているのか、きちんと情報発信をすべきです。許諾の資金を要するような広報とまで行かなくても、実演家の地位向上のために言うべき事を必要十分なだけ発信する必要があります。それも自分たちに仕事をもたらしている業界に対して、です(これを実演家団体がやらないで誰がやるんですか)。 「CCCD」 化の強要や音楽配信の拒否、廃盤などの問題で流通阻害に遭っている実演家がどれだけいるのか。心していただきたい。
 そこまでやって初めて、少なくとも実演家の公衆送信権(許諾権)については「阻害要因」でないと評価されるのです。

 ただ、やっぱり、私としては既掲の言葉に行き着いてしまうのです。あれほど絶好の説明機会があったにもかかわらず、ものに出来なかったという体たらくを見ていて。
 ──芸団協って何やってんだろ?

(追記:2006.3.20)

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2006年3月 8日 (水)

「ブロードバンド・ゼロ地域を解消」が 2010年って、 こんなんでアナログ停波が可能なのか!? ──通信・放送懇談会#4

http://tontonsblog.seesaa.net/article/14358568.html
「通信・放送の在り方に関する懇談会 第4回会合(2006/02/21) 」
(Where is a limit?)

http://tontonsblog.seesaa.net/article/12937598.html
「放送業界の在り方を議論 総務相の通信放送懇談会第3回会合」
(Where is a limit?)

http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/tsushin_hosou/
「通信・放送の在り方に関する懇談会」
(総務省)

『Where is a limit?』 さん経由、 2月21日に開かれた 総務省「通信・放送の在り方に関する懇談会」第4回の関係資料が公表されたそうです(ちなみに私は採り上げそこねたのですが、 2月7日開催の 第3回も既に議事概要等が公表されています。これも 『Where is a limit?』 さんから)。開催当日の記者会見概要と議事概要、そして配付資料「電気通信の現状」があります。
 読んでみると いろいろ言いたいことが出てきたりするんですが、今回は私が自分の目線で言える一点だけを指摘しておきたいと思います。「電気通信の現状」ノンブル2ページから「IT新改革戦略」(このまとめ自体はIT戦略本部によるものだそうです)を引用します──

II 今後のIT政策の重点
2 IT基盤の整備
「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」使えるデジタル・ディバイドのないインフラの整備 ─ユビキタス化の推進─

目標
2011年7月 を目標として、「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」使えるデジタル・ディバイドのないインフラを実現することで、ユビキタス化を推進する。
1 2010年度までに 光ファイバ等の整備を推進し、ブロードバンド・ゼロ地域を解消する。
2 2010年度までに 現在の100倍の データ転送速度を持つ移動通信システムを実現する。
3 2011年7月までに、 通信と放送のハーモナイゼーション等を進め、地上デジタルテレビ放送への全面移行を実現する。

 これを読んで「おめでたいなぁ」と思ってしまいました。
「デジタル・ディバイド」を解消するには、通信網の整備はもちろんのことですけど 端末をどうするのかという問題があります。通信網については、引用箇所の「目標」や同文書ノンブル9ページ「ブロードバンドの整備状況」を見れば、今もって まだまだ不充分だというのは判るわけですよ。その上 端末を各家庭で用意させなきゃ「デジタル・ディバイド」が解消できないとしたら、どうやって 2011年までに 一定の成果を上げるんですか。
 しかも通信網へ話を限定したとしても「ブロードバンド・ゼロ地域を解消する」との目標年限が 2010年。 この「ゼロ地域を解消」って、全世帯にブロードバンドを実現するという意味じゃないですよ。「全ての地域で加入不可能」な市町村を無くすという意味でしかありません。すなわち、極端な話、1世帯でも加入可能な所が生じれば目標を達すると。
 2010年で この目標なのに、どうやって 2011年7月までに 「地上デジタルテレビ放送への全面移行」を実現するのでしょうか。いま各方面で議論されているIP同時再送信は地上デジタル放送へ「全面移行」させる切り札として考えられているわけですが、ここで想定されているのは「難視聴地域」に対する手当てなのです。こういうところはブロードバンド化も遅れがちではないかと私は思うのですが、これは偏見ですか?
 新たに買物させられるのが鬱陶しくて地上デジタル移行という選択肢をハナから棄ててる私のような人間ならともかく、「難視聴地域」の人々は不可抗力によってそのような立場に立たされているわけで、IP同時再送信という手当てがきちんと為されないと地上デジタルへの「全面移行」など実現不可能でしょう。すなわち、こういった地域にこそ全世帯ブロードバンド化(自らの意思で契約しないとかいうのは別ですよ、ブロードバンドの利用が可能であるかという意味です)が果たされていなければ目標が達成されたとは言えません。そういった切迫性があの議事概要にあるでしょうか?
 たしかにこの「目標」は本懇談会が出したものではありません(前述の通りIT戦略本部によるものです)。が、これを前提として話し合いが始まっているわけで、前提に怪しい部分があれば その旨 指摘されてしかるべきです。殊にネタが「ユニバーサルサービス」云々なのですから。

 懇談会の議事要旨を読んだ限りでは、話の中心は NTT の独占性をどう削いで競争に持ち込むかということが中心になっているようです。これも確かに大事なことです。
 ただ問題なのは、そうした競争は採算性のある地域でしか起こらないということです。先に引用した「目標」との関わりで言えば、デジタル地上波の「全面移行」のネックとなる地域についてIP再送信で解決できる保証(著作権の話は置いておくとして、通信網の整備がされる保証)があるのかについては語られていないようです。
「ユニバーサルサービス」をIP時代では踏襲するとは限らないといった話の流れにもなっているようで、まぁ全国一律でなければならない(一地域だけ高機能なサービスを受けるような事態は許されない?)というのはナンセンスとしても、最低限の通信網を津々浦々にまで敷いておく必要性は「デジタル・ディバイドの解消」「地上デジタル放送への全面移行」を国の方針とするなら必須なのではないかと思います。
 私個人としては 2011年に 「地上デジタル放送への全面移行」なんて出来っこないと思ってますよ。しかし国が自分の決めたことを実現する努力を欠いているというのには首を傾げたくなるところなのです。

 たいそうな御題目を掲げているわりには、ゴールが見えていない──そんな印象を受けてしまいました。


※私の上の文章は、「難視聴地域」と「ブロードバンド・ゼロ地域」とが重なるのではないかという前提のもとで書いています。これは単なる偏見である可能性もありますが、本懇談会ではその実態に触れられていないようで、資料を読んだ上で出てくる当然の疑問として敢えて提示しました。
 詳しい分析をしようと思ったら、どちらもダメ・ブロードバンドだけOK・地上デジタルだけOKという区分ができて、その上でブロードバンドも地上デジタルもダメな地域について手当てする必要が出てきます(このように重なる地域が存在しないのならば、その事実を議論の前提とすれば良い→「ユニバーサルサービス」の役割は終わったのではないかという話に)。いずれにせよ、「難視聴地域」の全世帯にブロードバンド化が実現していないと「地上デジタル放送への全面移行」など難しいということです。
 個人的には、 NTT のメタル回線の「ユニバーサルサービス」義務でも何でも使って、 ADSL 使用可能化を NTT 押しつけるなり何なりしてみろと思ったりするんですが。

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2006年1月30日 (月)

「464.jp」 と並べてしまうのは失礼なんだけど ──「録画ネット」の挫折

http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20060129/1138466118
「録画ネット事件(13)〜録画ネットサービス終了」
(言いたい放題)

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/01/27/10656.html
「『録画ネット』がサービスを終了、放送局側と和解へ」
(INTERNET Watch)

 『言いたい放題』さん経由、海外在住者が国内テレビ番組を録画したり試聴したりできるようパソコンを用意する「録画ネット」サービスが停止に追い込まれました。サービス停止の仮処分をめぐる司法判断で主張が認められなかったこと、そして損害賠償訴訟で和解を提案された結果だそうです。
 サービスとしては魅力あるものだっただけに、残念ですね。(司法判断では否定されてしまったのですけど)私的複製の範囲内でなんとか収めようとしていたり、実際問題として海外在住者なら誰かに機器のメンテを頼まなきゃいけなかったりで、私としては存在価値が大いにあるビジネスだったように思います。

 海外に住んでいたって日本のテレビを見たい人はいるでしょう。そして日本のテレビ局は未だにネット等で番組を見れるサービスを用意してはいない(最近になって徐々にその動きが出始めてますけど、放送番組をそのまま見られるような環境にはまだありません)。「録画ネット」に需要があったという事実を見ようともせず、一方的に〈テレビ番組やCMを見てもらう機会〉を叩き潰す。著作権や著作隣接権は番組を見る機会を潰すために付与されているのか──などと毒づきたくなります。
 皮肉なのは、「録画ネット」問題を尻目に「ロケーションフリー」なる製品が登場したことです。「録画ネット」が実現していた環境に近いものが自ら構築できるという。これを自宅に置いて、機器メンテを業者が担当するようなサービスが出てきたら、今度はどういう判断が下るのでしょうかねぇ?

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2005年12月11日 (日)

「プーさん」は誰のもの?

http://blog.livedoor.jp/whats_my_scene/archives/50269995.html
「ディズニーはやっぱりスゴイというかトンデモナイような…」
(what's my scene? ver.7.0)

http://blog.livedoor.jp/chichi_uk2002/archives/50257064.html
「クリストファー・ロビンが消える」
(いぎりすせいかつ)

http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2-1917043,00.html
「Britain, UK news from The Times and The Sunday Times」
(Times Online)

http://www.asahi.com/culture/enews/RTR200512090045.html
「米連邦裁、『くまのプーさん』使用権問題で原作者孫娘の控訴棄却」
(asahi.com - 文化・芸能)

http://www.asahi.com/culture/enews/RTR200512080060.html
「米ディズニー、プーさん誕生80周年記念プロモーションを予定」
(asahi.com - 文化・芸能)

 『what's my scene?』 さん経由『いぎりすせいかつ』さん(ネタ元が TIMES ONLINE 記事)によると、アニメでお馴染みの『くまのプーさん』(原作は A.A. ミルン作『クマのプーさん』)でディズニーはクリストファー・ロビンを葬り去ろうとしているのだそうです。「『商品として売れない』という理由で、おてんばな女の子のキャラクターと交代する」とのこと。私はこれを知って絶句してしまいました。
 ディズニーは何の権限があって こういう改変を行なうのか。それも、いま初めて映像化するのならいざしらず、既に長い年月をクリストファー・ロビンとともに送ってきながらの改変です。原作者遺族側は関知しない方向のようですから、おそらくこの“交代劇”はディズニーの意向通りに実現してしまうのでしょう。

 しかし‥‥ここで考えずにいられないのは、こうした長い間 親しまれてきた文学作品というものは、誰のものなのかということです。いくら映像化の権利を持った者の行為だから適法なのだと言っても(いやこの権利関係自体が結構ややこしかったりするんですが)、やるにも程があるというもの。ましてディズニーの場合は映像化を独占している訳ですよ。映像の世界においては、文字通り作品を改編したに等しい。
 ちょうど同じ時期に朝日新聞の記事で「誕生 80 周年記念プロモーション」をやるという報道があったばかりで、これを機に改変された『プーさん』が商業的に氾濫していく形となるのでしょう。個人的には、下手をすると旧作アニメが無かったことになっていくのではないかと危惧するところでもあります(たとえば『くまのプーさん』の旧吹替え版のように。これを覚えていらっしゃいますか? 今は入手不可能です‥‥)。

 あの物語の構造として、クリストファー・ロビンは不可欠の存在です。彼がいるからこそあの(想像上の)世界が存在できる。彼だけの世界だからこそ人間は彼しか出てこない。場面の中に彼の姿が無くとも、その視点は彼によるものなのですよ。言ってみればクリストファー・ロビンは、プーたちと遊びたい読者が感情移入する対象ということです。そうして親しまれてきた物語なのに、急に女の子と「交代」なんてできますか? 原作はオリジナルにして別物だからともかく、アニメであの世界観を継承する限りクリストファー・ロビンとの関係性は問われ続けます。今までのディズニー版『プーさん』を全て無かったことにしないと、世界観のバランスを失う一方でしょう。
 グッズ販売について考えても、クリストファー・ロビンが「売れない」のは当然と言えます。彼の周りにプーたちがいる、そんな世界を望むからこそ プーたちの縫いぐるみやグッズを買うのですから。クリストファー・ロビンはあくまで消費者自身、その分身をわざわざ買う必要など無いのです。そのあたり、ディズニーの連中は判っているのやら。おそらく今後登場するとされる女の子についても同様の結果となるでしょう。男の子だから、女の子だからという問題では決してないのです。
 それどころか、原作や旧作アニメを気に入っている人たち(しかもそれは親の世代ですよ)の反発を招くことは間違いありません。原作を大切に語り継いだり、旧作アニメの好きな人はそれも語り継ぎ、今後登場するバッタモンに言論で立ち向かっていくこととなるでしょう。実際に「おてんばな女の子」が出てきたら指を指して嗤うとかね。

 ──となれば、あまり酷いことにはならないのかも知れません。子供に『プーさん』を与えていく親たちが、きっとクリストファー・ロビンを生かし続けるでしょう。いやむしろ、そうした努力が我々の世代に必要なのかも知れません。『プーさん』はディズニーに利益を与える金の卵であるだけではないのです。多くの親が共有してきた文化遺産でもあるのですから。

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2005年10月19日 (水)

『七人の侍』、完膚無きまでの負け戦「確定」

http://www.asahi.com/national/update/1018/TKY200510180320.html
「NHK大河と『七人の侍』巡る訴訟、黒沢氏側の敗訴確定 - 社会」
(asahi.com)

 NHK 大河ドラマ『MUSASHI 武蔵』と黒澤明監督作品『七人の侍』との著作権侵害訴訟判決が確定しました。黒澤氏側が上告していたところ棄却、『武蔵』は『七人の侍』の著作権を侵害していないと認められたということになります。
 私は黒澤作品のファンなもので ずっとこの訴訟の成り行きを見てたんですが、いや、『七人の侍』に勝ち目は薄かったんですよ。最初から。『七人の侍』がどういう経緯のもとで制作されたかは大部分が明らかになっていますし、そもそも おおもとのアイディアはオリジナルじゃないという。いろいろ文献を使ってる作品なんです。 NHK はそこを主張し、たまたま同じ文献を元にしているのであって『七人の侍』を模倣したわけでないとしました。これが認められた訳です(それ以前に、似てるのはアイディアだけであって表現の模倣ではないとも判断されたんですが)。
 ここで黒澤氏側は、上告棄却という“恥の上塗り”をやってしまったんですね。朝日新聞の記事によると「黒沢氏の代理人」氏は「日本の著作権保護の考え方は遅れている」と宣ったそうですが、次世代の創作を縛りかねない自分たちの主張は棚に置いたままですか、そうですか。氏の標榜する「著作権保護」の弊害は無視しますか。
 私はこの判決で妥当だと思っています。

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2005年10月 7日 (金)

微妙な感じの、「許」されたコピー

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/
0510/06/news093.html

「コピーは“禁止”ではなく“いかに許すか”
 ——HD DVDのコンテンツ保護」
(ITmedia +D LifeStyle)

 DVD フォーラムの模様が ITmedia の記事になっています。
 「コピーを禁止すればいいという段階ではない。問題はいかにセキュリティを保ちながらコピーを許すか、だ」という発言には少なからぬ共感を抱くのですが、私としてはその方針にどれくらいエンドユーザーが関わっているのか、つまりメーカーの勝手な言い分に陥っていないかという心配があります。
 結局の所、ユーザーが魅力だと思うようなサービスに結実しなければ、どんなに口当たりの良いことを発していても無駄なんですよ。その辺り、しっかりやって戴ければ幸いですが‥‥。

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